日本文化、世界の歴史・健康・ミライにチャレンジ -4ページ目

ジェニーハイ「華奢なリップ」に惹かれる理由|苔のように夜へ沈む女性の感情

皆様こんにちは、いかがお過ごしでしょうか。世間はクリスマスソングが流れ、年末への追い込みが始まっているような感覚は、私だけでしょうか。



街は華やかで、SNSには楽しげな写真が並び、「今年もあと少し」という言葉が、なぜか少しだけ胸を急かします。

やり残したこと、片付けきれなかった感情、ちゃんと終われていない自分。

そんな、少しだけ焦りを感じる現実から逃亡するように、私は ジェニーハイの華奢なリップ を、何度も繰り返し聴いています。


不思議なことに、この曲は背中を押してくれるわけでも、前向きな言葉をくれるわけでもありません。


それなのに、心が少しだけ落ち着く。

まるで「今はそれでいい」と、静かに許可をもらっているような感覚です。




この曲を作った 川谷絵音 さんは、

なぜここまで女性の心理や感情を、痛いほど正確にすくい上げられるのでしょうか。

それは、女性を「強い存在」や「可愛い存在」として一括りにせず、

揺らぎ続ける存在として描いているからだと感じます。

女性の感情は、悲しい・嬉しい・寂しい、そんな単純な言葉では整理できません。強がっている自分と、本当は泣きたい自分が同時に存在していたり、誰かに抱きしめてほしい気持ちと、一人でいたい気持ちが重なっていたり。「華奢なリップ」に描かれているのは、その矛盾を、解決しないまま抱えている女性の姿です。




リップを塗る、という行為ひとつ取ってもそうです。

それは、誰かに見せるための武装ではなく、立ち直るための儀式でもありません。

ただ、「まだ私はここにいる」「今日を終わらせる準備をしている」そんな、自分自身への静かな合図。

赤を塗れば、少し強くなった気がする。ピンクを選べば、まだ柔らかくいられる気がする。マットにすれば、大人として整った気がする。

——どれも確信ではなく、「気がする」止まり。

でも、その曖昧さこそが、

女性が夜をやり過ごすために、長い時間をかけて身につけてきた知恵なのだと思うのです。




年末という区切りの中で、

私たちは無意識に「今年の自分」を評価しがちです。

できたこと、できなかったこと。前に進めたかどうか。けれど、「華奢なリップ」を聴いていると、そんな採点表から、一度降りてもいい気がしてきます。



この曲に流れている感情は、激しい闇ではありません。

それは、光の当たらない場所で、

静かに湿度を保ちながら生きている——

苔のような感情です。

苔は、主張しません。

競いません。

けれど、影と水分の中で、確かに命をつないでいます。

夜に沈むことは、

失敗でも、後退でもありません。

それは、自分を壊さずに年を越すための選択なのかもしれません。




クリスマスソングが流れるこの季節に、

あえてこの曲を聴き続けてしまうのは、

きっと私だけではないはずです。

華やかな音の裏側で、

静かに沈みながらも、

ちゃんと生きている私たちの夜。

「華奢なリップ」は、

そんな夜を否定せず、

無理に照らさず、

ただ「そこにいていい」と置いてくれる曲なのだと思います。

浮かび上がれない夜があってもいい。

沈んだままの年末があってもいい。

私たちは、

そうやって何度も人生をつないできたのだから。


「踊りの中で、関係性が立ち上がるとき」


皆様こんにちは、いかがお過ごしでしょうか。私は昨日のアルゼンチンタンゴのステップに酔いしれ、体幹を整えるためにストレッチやヨガに勤しんでいます。





社交ダンスももちろん大好きですが、アルゼンチンタンゴの哀愁に満ちた関係性の表現が、たまらなく好きです。

社交ダンスもパートナーのリードで踊るダンスですが、アルゼンチンタンゴは少し性質が違います。


たとえるなら

花束社交ダンスは、完成された振付のある映画。

赤薔薇アルゼンチンタンゴは、その場で会話をしながら進む物語。


社交ダンスでは、「次はこれをする」とある程度決まっているため、安心して大きく、のびやかに動くことができます。二人で同じ方向を見て、美しい形を作っていく感覚です。


一方でアルゼンチンタンゴは、次に何が起こるか、直前までわかりません。

一歩出るのか、止まるのか。近づくのか、少し距離を取るのか。相手の呼吸や体のわずかな動きを感じながら、その場で選んでいきます。言葉を使わない、静かな会話のようなものです。だからアルゼンチンタンゴには、どこか切なさや、哀愁が漂います。近づいたと思ったら離れ、離れたと思ったら、また引き寄せられる。

人生の人間関係に、少し似ているのかもしれません。



そんなことを考えていたら、

本日Netflixで『10DANCE』が公開されると知り、とてもワクワクしています。


10DANCE

『10DANCE』は、この二つのダンス「形の美しさを極めた社交ダンス」と「関係性を踊るラテン」が出会う物語。


ダンスを知らなくても、人と人がどう向き合うのか、どう距離を縮め、どう信頼を築くのか、きっと感じ取れる作品だと思います。

私自身も、社交ダンスで身体を整え、アルゼンチンタンゴで心をほどきながら、二つのダンスから多くのことを教えてもらっています。


今夜は『10DANCE』を通して、スクリーンの向こうに描かれる

二つのダンスの世界と、そこに流れる感情を、

じっくり味わいたいと思います。

皆様にとっても、

難しいことを考えずに、

ただ「心が動く」時間がありますように。



似合う色が、静かに変わっていく頃

日本の色と時間の話




皆様こんにちは、いかがお過ごしでしょうか。日差しはやわらかく心地よいものの、風の強さによってはまだ冷たさを感じる日もありますね。

四季を通して、日本のさまざまな色を感じられることを、私はとても幸せなことだと感じています。春の淡さ、夏の強さ、秋の深み、冬の静けさ。日本の色は、季節とともに移ろいながら、私たちの暮らしや感覚にそっと寄り添ってきました。



先日、色彩を研究する前、正確には大学院に入学する前から「いつか手元に置きたい」と思っていた日本の色見本の本を、思いがけずいただきました。

長い間、心のどこかに残っていた憧れの一冊です。振り返ってみると、私は色を体系的に学ぶ以前から、自然と色に親しんできたように思います。


着物の色合わせや季節ごとの取り入れ方に心を惹かれ、またオーラソーマを通して、色が持つ象徴性や内面への作用にも触れてきました。理論よりも先に、感覚として色と向き合っていた時間だったのかもしれません。



幼い頃の記憶にも、色にまつわる小さな出来事があります。

七五三の着物を選ぶ際、私はどうしてもピンクがいいと母に主張しました。けれど実際に用意されたのは、オレンジ色の着物でした。当時の私はどこか不本意で、「どうしてこの色なのだろう」と思っていたことを覚えています。

それから長い年月が経ち、ふとアルバムを開いてその写真を見返したとき、思わず納得してしまいました。

そこには、無理のない表情で写る自分がいて、「なるほど、あの頃の私にはオレンジの方が似合っていたのだな」と、静かに腑に落ちたのです。

日本の伝統色の中で、いわゆるオレンジは、単に明るく元気な色というだけではありません。

橙(だいだい)、柑子色(こうじいろ)、黄丹(おうに)など、少しずつ表情を変えながら、祝いの場や人生の節目に用いられてきました。

赤の力強さと黄色のやわらかさを併せ持ち、外へと開きながらも、人を包み込む温度を感じさせる色です。

七五三という節目に選ばれたオレンジの着物は、可愛らしさよりも、健やかさや生命力、これから育っていく芯の強さを、そっと先取りしていた色だったのかもしれません。

色は、時に本人の意思よりも少し先を見て、選ばれることがあるのだと、今では思います。



その後、デザインや素材、光や空間と向き合う仕事を重ねる中で、色の捉え方も少しずつ変わっていきました。

色は「選ぶもの」から、「感じ取るもの」へ。

強さや分かりやすさよりも、にじみや揺らぎ、季節の移ろいの中で生まれる微妙な違いに、心が留まるようになりました。

更年期を迎えてからは、「似合う」と感じる色にも、はっきりとした変化を感じています。

以前は惹かれていた色が強く感じられたり、逆に、これまで選ばなかった色が、すっと身体に馴染むように感じられたりします。

それは流行や気分ではなく、身体の内側のリズムが変化していることと、深く関係しているように思います。



今、心地よいと感じるのは、はっきりとしたコントラストの色よりも、曖昧さを含んだ色合いです。

にごりを含んだ白、深みのある土の色、夕暮れに近い橙、影を含んだ緑。

それらは主張するのではなく、呼吸を整えるように、静かに寄り添ってくれます。

若い頃の「似合う」は、どれだけ映えるか、どれだけ目を引くか、だったのかもしれません。

けれど今は、「疲れない」「落ち着く」「長く付き合える」という感覚が、何より大切になりました。

色は外見を飾るものから、心と身体を調律する存在へと、役割を変えているように感じます。

今回手にした日本の色見本を開くと、そこに並ぶ色たちは、決して声高に語ることなく、静かにこちらに語りかけてきます。

それらは完成された色というよりも、時間を含んだ色。

若い頃には気づけなかった奥行きが、今は自然に目に入ってきます。

色は、目で見るものだけではなく、人生の段階ごとに受け取り方が変わるもの。

今だからこそ、この色たちと向き合える。

そう思えたこと自体が、この本が今の私のもとにやってきた理由なのかもしれません。

これからも色とともに、変化を拒まず、その時々の自分を受け入れながら、生きていきたいと思います。