『越中』を考える | のぼこの庵

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大河ドラマの史上最高傑作『独眼竜政宗』(1987⇒2014再放送)と近年の最高峰『平清盛』(2012)の感想です。
ついでに『江~姫たちの戦国~』(2011)、『八重の桜』(2013)、『軍師官兵衛』(2014)、『花燃ゆ』(2015)の感想も。
あとは爺放談?

近ごろまたJR富山駅で「富山県民の歌」が流れるようになりました。
こういうのをJRや私鉄の各駅でやるのもいいですね。

富山県は、江戸時代には加賀藩の領地および支藩であり、明治に入ってからも一時石川県に併合されるという歴史を持っています。
しかし、それ以前においては「越中国(えっちゅうのくに)」として、長らく現在の富山県と同じ領域を保っていました。

そこで、富山県民の一体感を醸成するには、「越中」愛を育てるのが良いと思われます。

ところが、残念ながら「越中」のイメージは、良いものばかりではないようです。

例えば、県外の人が「越中」で連想するのは…「越中ふんどし」、「越中富山のアンポンタン」、それに「越中さ」(蔑称)あたりではないでしょうか?

また、富山県民自身が「越中」にそれほど愛着を持っていない証として、
「石川県、福井県にはそれぞれ旧国名に因む市町名が複数ある(加賀市、能登町、中能登町、越前市、越前町、南越前町)のに、富山県には越中市も越中町もない」
ことが挙げられます。

「越中」の代わりに「越(こし)」や「高志」が使われることもありますが、これらは富山県だけの呼び方ではないために、一体感という点ではやや弱いようです。

私としては、やはり「越中」を身近なものにしていくことが大切だと思います。

※越国(こしのくに)は、現在の福井県敦賀市から山形県庄内地方の一部に相当する地域を領した上古の勢力圏である。越後・越中・能登・加賀・越前の5国を意味する。「越」字がない能登・加賀も含めるのが普通である。古くは「高志」「古志」などともされた。地域独自的な文化形態も確認されてはいるが、統一的な国家の形態を成していたかどうかは確認されていない。令制国としての越国は、孝徳朝(645年~654年)に建国され、689年~692年(持統3~6年)大宝律令によって、都があった近畿に近い地域から越前国、越中国、越後国の3国へと分割された。3国は越州(えっしゅう)あるいは三越(さんえつ)と呼ばれることがある。さらに後に、越前国から能登国が、次に加賀国が分立され、また越後国の出羽郡が出羽国として分離建国されている。(Wikipediaより)