えらっきーの日記 -13ページ目

えらっきーの日記

日常の出来事を日記のように書いていきます。

今日は祝日なので夕刊は休刊ですが、読売新聞は配達されています。

選挙対応ということです。

 

マンションに住んでいるから、郵便受けが1階にある関係で、先ほど取りに行きましたが、みんな気づいているのだろうか?

一応、チラシが入っていたけど、見ていない人も多いでしょう。
 
ちなみに、これは地域限定なのかどうなのかも不明だし、ほかの新聞紙がやっているのかも不明です。

選挙もマーケティングが必要だな、と今回の選挙を見て改めて思った。

 

ただし、企業のマーケティングは、その結果を踏まえて商品やサービスを提供するが、政治の場合は、与党以外はそれを提供する必要がない点が違う。

だから、話題のキーワードを捉えて、それを論点に挙げれば、それにくらいついてくる人がたくさんいて、勝手に盛り上がってそれにつられた人たちも含めて投票してくれる。

立候補者数が与党になる水準でなければ確実に野党になるので、それを実現しないといけない義務もない。

 

キーワードは、極端な話、事実と違っていてもよい。

SNSなどで騒がれているものを、うそにならない程度に主張すれば、それでよい。

 

SNSでずっと見ていたけど、今回の結果を見ると、そんな思いになってしましった。

保険代理店には、ある特定の1社の商品だけ取り扱う代理店と、複数の保険会社の商品を取り扱う代理店があります。

CMなどで見るのは後者。

多くの品ぞろえがあるから、そこから自分に適切な商品を紹介してもらえる、と期待しますが、実態はそうではない。

代理店にとって有利な商品を提案する、というのが問題になったけど、その対応として、顧客にとって良い商品を提案するようになったところもあるかもしれないが、取り扱う商品を絞って、それを提案しているところもある。

 

先日、いくつかの保険会社が、経営が厳しくなった保険代理店に出資するというニュースがありました。

このニュースから予想されるのは、この代理店が、これらの出資してくれた会社の商品しか取り扱わなくなるであろうということ。

 

保険代理店に行けば幅広い商品が提案されて、そこから自分にあった商品が選べると思っているのであれば、そうではないということを理解したほうが良い。

暑くなり、熱中症保険が話題にあがっていますが、これ、必要でしょうか?

数十円から数百円の保険料で数万円の保険金が得られるので、熱中症になれば数百倍のリターンが得られる、と考えると凄そうに見えるが、数万円の保険金ってわざわざ保険に入ってまでカバーされないといけないもの?

 

何かが起きたときに、生活に支障をきたすような支出に備えるのが保険の役割。

だから、数万円でも厳しい、という人なら意味があるのかもしれない。

 

でも、熱中症は予防ができる。

熱中症にならないように心掛けさえすれば、保険は不要。

 

 

気になるのは、熱中症保険に入ると熱中症にならない、と思っている人がいるのではないかということ。

もちろん、そんなことはないのだけど、保険が始まったころ、死亡保険に入ると死ににくくなる、と思っている人が少なからずいた、という話を聞いて、21世紀の今ではそんな人はいないと信じたいが、存在意義を感じないこの保険が話題になるのは、そう思っている人が少なからずいるという意味なのかもしれない、と感じてしまう。

 

SNSにより、考え方のおかしい人を大量に目にしてきた今、たぶん、こういう風にとらえている人がいてもおかしくない。

先日のクロ現で、アメリカの大学の問題をやっていました。

トランプ政権になって、補助金がなくなり、研究ができなくなったという話。

途中で東北大が出てくるのを知っていたので見ました。

 

この番組の最後で

「大学は国からお金をもらっているんだから、国の言うことに従うべき」

という内容の発言をしている人がいました。

 

まず、お金をもらっているのであれば、なんでもいうことを聞かないといけないのか?という問題がある

先ほどの建設的な議論の話でいうと、社員だから経営者の言うことを聞かないといけないのか?というと、問題があったら問題があるという主張をするのも社員の仕事。

そうしないと、問題が未然に防げない。

経営者の判断が常に正しいのであればよいが、そんなこと、あるわけがない。

だからこそ、社員一人一人の専門知識から問題を検出して、それを未然に防ぐ手立てを立てる。

 

もう一つは、独立性の問題。

独立しているから自由な行動がとれて、その結果、広い視点から問題を見つめ、問題を解決できるし、新しい発想が生まれてくる。

もし国の言いなりになったら、限られた範囲でしかものを見ることができなくなり、正しく問題をとらえることができないとか、新たな発想が生まれたりしなくなる。

そもそも、誤った行為を止める手段がなくなる。

 

お金をもらっているから、よりいいものを出す、というのが研究者の使命。

お金をもらっているんだから、ダメなものはダメ、というのが研究者の使命。

 

お金をもらっているんだからいうことを聞け、というのは独裁者の発想としか思えない。

(こういうことをいうあほな経営者もたくさんいて、やはり、経営者として独裁的である)

私の嫌いな言葉に「建設的な議論」がある。

この言葉を出す人は、自分の思うとおりにことが進む議論を指していて、本当の意味で建設的な議論を意味していない。

 

たとえば、法令違反の可能性が高い取り扱いをしていて、でも、それを認めたくない経営者が、問題なしという結論を出すためにミーティングを設定するが、当然、それに詳しい人ほど、リスクが高いから問題だという。

そうすると、経営者が「あいつとは建設的な議論ができない」と言い出す。

そして、問題ないと主張する人たちで議論をして、問題なしの結論を出し、「彼らとは建設的な議論ができた」という。

ひどい時は、法務担当者が「私の役割は黒を白になるような法解釈をすること」と言い出したりする。

そして彼らは出世する。

そして問題が起きるが、そのときは彼らはいない。

 

最後は建設的な議論の話とは別だが、結局、自分の欲しい結論になる議論を指していて、客観的な情報から結論を導くという議論にはなっていない。

 

だから、建設的な議論という単語を使う経営者は信用しない。

曇ってはいたものの雨が降る気配がなかったので外に食べに行きました。

で、お店に入ってしばらくして、小さな窓から外を見たら傘をさしている人が数名歩いていて、雨が降り出したのかと思ったら、日傘でした。

雨が降りそうな曇りの日に日傘は紛らわしい。

 

傘をもっていかなかったし、雨が降ったら濡れるの確定だったので、どうしようと思いながら食事していたこの気持ちを返してほしい。

 

選挙のときに時々問題になる学歴詐称。

候補者の学歴なんか、その気になればすぐに調べられるので、立候補時に学歴を調査する仕組みを作ったらどうだろうか?

 

学歴で人を選ぶということ自体、信じられないが、そういう人が少なからずいるようなので、

であれば、学歴を調査してお墨付きを与えてから選挙活動をさせたほうが、選ぶ方も選ばれる方も安心でしょう。

事故に遭って、奇跡的に生還した人が神に感謝する話を(映画なんかを含めて)見たり聞いたりするけど、本来であれば、神は事故に遭わないようにしてくれるものではないのだろうか?

命の危険に遭わない日々を送っているのであれば、そのことに感謝するのはわかるのだが、事故に遭って生還して、神に感謝って不思議でしかない。

 

むしろ、神なんかいない、と思うほうが自然だと思う。

特に、死者が出ている事故なんかで生還したときは。

仕事は客観性が大事。

さっきアニメを見ていて、客観的に評価している、とその人を評価するシーンがあって、改めて思った。

 

主観的にやっていると思われる芸術だってスポーツだって、客観的な視点は必要。

昨日のテレビで一流ピアニストが先生に客観的に見てもらうシーンがあったし、スポーツ選手だってコーチが必ずついていて、客観的にフォームなどを評価してもらっている。

 

企業で務めるビジネスマンなら特にそう。

仕事に使う理論や技術の多くはすでに研究されていて、レポートや本が出ているわけで、それを知っておくのは必須。

それを知ったうえで、それを仕事に活用する。

これは、客観的に正しい(または妥当な)アプローチをとっていることを意味している。

数学的に解けるものであれば、これは究極の客観的なアプローチ。

 

もちろん、客観的なだけでは競争社会では勝てないので、主観的なアプローチも必要。

でも、客観的なアプローチがあったうえでの主観的なアプローチでなければならない。

 

少なくとも企業で働く人たちは、経営者であってもこのアプローチは最低ラインとして必要。

そのために、社員は経営者も含めて、常に勉強をし続けていく必要がある。

 

 

個人経営者なら、失敗したところで、自分が損するだけなので、好きにすればよい。

運が良ければうまくいくし、運が悪ければ失敗する、そういうアプローチでいいなら。