えらっきーの日記 -12ページ目

えらっきーの日記

日常の出来事を日記のように書いていきます。

プルデンシャル生命の不祥事の記事を見て、驚きました。

 

 

営業職員の皆さん、すごく真面目な人ばかりだと思ったのだけど、100人も不祥事を起こしていたなんて。

いつからこんな会社になり下がったんだろう?

もちろん、真面目な社員の方が多いのだけど、そうじゃない人がこれだけいること、それを早期に見つけられなかったことが問題。

 

実際の不祥事の状況や再発防止策はプルデンシャル生命のサイトに掲載されています。

https://www.prudential.co.jp/news/pdf/980/20260116_2.pdf

これが有効に機能するのかどうかは知りませんが。

専門書は誤植が多くて、それを直すのも勉強、という考えがあるけど、限度というものがあると思う。

 

本で伝えようとしているものはいいのだけど、基本的なところから誤植になっていると、うんざりする。

 

誰もチェックしていないのかしら?

どういう基準で出版することにしたのだろう?

そんな疑問がわいてきます。

 

本を購入してもらっている以上、誤植を無くす努力をするのが著者と出版社の義務だと思う。
それでも誤植が起きるのは、読む側がカバーするから。

うちから駅に向かう途中にタバコを販売している店があり、その店の前に灰皿があり、喫煙者が電車に乗る前にここでタバコを吸っています。

狭い歩道のわきで吸っているので、避けられず、臭くて迷惑。

ここの店主は、このタバコの吸い殻を排水溝に捨てるので、さらに迷惑。

 

喫煙者がタバコを止める話を聞くと、病気になったから、という話をよく聞くのだけど、自分が病気になったらやめるけど、周りが迷惑に感じても、病気になってもやめないんですよね。

あまりに自分勝手だな。

 

病気になっても吸い続けるのが、彼らのあるべき姿でしょう。

日経平均が上がっているときは手持ちの株が下がって、日経平均が下がると手持ちの株が上がる、という傾向が続いています。

 
私の手持ちの株が天邪鬼なのか、日経平均が実態と合っていないのか?

ITテクノロジーが発展して、人を減らす会社が増えていますが、それでよいのか?と思ったりします。

もちろん、人は減らせたらコストが減らせるからいいのでしょうけど、物事を考えるのは人なので、何かがあったときに対応するには人が必要。

人が減るということは考える存在が減るということ。

正しい行動に結びつく考えができる人がいなければ、会社は正しい方向に進まない。

 

それに、人が減らせたとしても、ゼロにはできない。

ゼロにできないということは、後継者が必要ということ。

人が減りすぎたら、後継者を育てることができなくなるので、将来、最低限の人を確保できなくなるということ。

 

人を減らすことばかり考えている経営者は、こういうことを理解できていないと思う。

もしくは、自分がいなくなった後のことは気にしていないか。

 

利益を出すことだけ考えて人を減らしているような会社は、将来、サービスの質が低下したり、サービスが提供できなくなったりすると思うので、特に長期の付き合いをしたいと思う会社であれば、気を付けたほうが良い。

特に保険会社は長期の付き合いが前提なので、要注意。

ウカンムリクリップを知ってから、勉強の際に活用しています

 

 

本を開いてノートを取って勉強する、というのが多くの人の勉強スタイルではないかと思います。

その際、左手で本を押さえながらノートに書き込むというのがこれまでのスタイルでした。

が、ウカンムリクリップを本の上部に挟んでやると、本が閉じないので、左手で本を押さえる必要がなくなる。

 

ただし、弱点はあります。

・本の上部が少し傷む

 クリップが触れるところがどうしても傷んでしまいます。

・他のページを見たいとき、クリップを外す手間がある。

 前のページを参照しているときは、クリップを外してそのページを見に行く必要があります。

 これが意外と手間。

 でも、そういうときは、ノートを取ることもないから、我慢できるかな。

学校の授業は予習をしていくものと思っていました。

予習して、授業で復習。

わからないところを事前に把握して、授業で理解。

だから、授業は一種のクイズ大会に思っていました。

(生徒に投げかける質問は、早押しクイズのような感覚で、即答していました)

 

でも、予習してもわからない人は、予習に時間を使うよりも、授業で先生の話を聞いて理解して、家に帰って復習する方がよい、という話を聞いて、なるほどと思いました。

 

一方で、こういう人たちは大学の研究や社会に出て、どうするのだろう?と思いました。

人から教えられないと困る人が大学院に行って研究することはないと思うので、大学4年の卒論を考えると、先生に教えてもらってやることもあり得るから、まだ大丈夫かなと思うけど、社会に出たら教えてもらえるとは限らない。

(数学科は卒論がない場合もあるので、卒業まで困ることはない)

 

仕事で問題にぶち当たっても、助けてくれる人がいない場合も多い。

そうすると自分でどうにか解決しないといけないのだが、書籍や論文などを見ても理解できないわけだから、正しい解決ができない。

その人だけが困るだけならいいけど、会社に迷惑をかけるようなものであれば、大事になる。

 

実際、中小規模の保険会社にいた経験からすると、誤った判断で実務が構成されているのを見かける。

指摘しても、問題を理解できていないから、指摘されている内容も理解できない。

保険は形がないから、その分、学問的な視点で正しいことをしないといけないのだけど、それができていない会社があることに恐怖を覚える。

それは、そういう会社の商品を買っている契約者が、適切な商品ではない可能性があるから。

 

小中高生程度の勉強であれば、頑張れば自力で予習できるようになれると思うので、予習できるレベルに児童・生徒の学力を伸ばしていくのが教育の課題に感じた。

日本人は誠実と言われながら、企業は不正行為をよくやっているので、誠実ではないと思う。

それは昨日の原発のニュースを見てもそう思う。

 

 

誠実なのではなく、自分が見られている相手によく思われたいだけだと思う。

だから、狭い世界でよい評価を得るために、本来不適切な行為をする。

 

上司が喜ぶから、経営者の期待に応えたいから、などで不正が正当化される。

もちろん、正しい行為を喜んでくれる人が相手だと、より正しい行為を取るし、正しい行為を求める人の方が多いから、結果的に日本人が誠実に思われる。

でも、正しくない行為も同じように助長されるから、こういう問題が起きる。

 

これは、教育の問題なのだろうか?

地下鉄の駅まで200mと書いてあったので、すぐだと思って行ったら、駅の入口までは確かに200mほどだろうと思うのだけど、駅の階段を下りたら、改札まで300mとありました。

結局改札まで500m。

しかもそこからホームまで長い階段を下りないといけないし。

 

すごくだまされた気分。

というか、改札までこんなに距離があり、その間、何もない通路を作るくらいなら、もっと近くに入口を作った方が良いのではないかと思うのだが、違うのだろうか?

用地が確保できなかったとかなのか?