中江兆民「三酔人経綸問答」考察1~南海先生 | ejiratsu-blog

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中江兆民「一年有半」抜粋1~4

中江兆民「続一年有半」読解1~8

中江兆民の「一年有半」・「続一年有半」での理1~3

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 中江兆民(1847~1901年)の『三酔人経綸問答』は、在野で活動していた、1887(明治20)年・41歳の刊行で、内閣制度の創設(1885/明治18年)以後、帝国憲法の施行・帝国議会の開催(1890/明治23年)や日清戦争(1894-95/明治27-28年)以前になります。

 ちなみに、兆民没年の『一年有半』・『続一年有半』は、1901(明治34)年・55歳の刊行で、北清事変(義和団事件、1900/明治33年)以後、日露戦争(1904-05/明治37-38年)や不平等条約の改正(1911/明治44年)以前になります。

 

 『三酔人経綸問答』は、南海先生の家(廬/いおり)に、紳士君(洋学紳士)と豪傑君(豪傑の客、豪傑の士)が訪問し、飲酒して酔っ払いながら、日本の進路を議論する設定です。

 学者の間では、3人のうちで、誰が兆民の主張を代弁しているのかに、関心があったようですが、私は、それよりも、まだ日本で本格的な対外戦争がなかった時期なのに、兆民が、日本の戦前・戦中・戦後を、すでに予言していたことに、驚きを隠せません。

 つまり、次のように、南海先生の意見の立憲制・折衷主義は、戦前日本の理想を主張しており、豪傑君の意見の専制的・侵略主義は、戦中日本の現実と類似し、紳士君の意見の民主制・平和主義は、戦後日本の現実と類似しています。

 

・南海先生:立憲制・折衷主義 ~戦前日本の理想を主張

・豪傑君:専制的・侵略主義 ~ 戦中日本の現実と類似

・紳士君:民主制・平和主義 ~ 戦後日本の現実と類似

 

 後述するように、政治社会の行程の順序(政治社会行旅の次序)は、専制→立憲制→民主制ですが、日本で、立憲制から専制的への揺れ戻しがあったのは、天皇機関説から天皇主体説への逆行(国体明徴声明、1935/昭和10年)が、決定的な転換点といえます。

 極め付けは、本書の最後で、以下のように、言及されており、この上海と北米は、専制的な戦中日本の対中国侵略と、民主制下の戦後日本の対米国従属を、暗示しているようにもみえます。

 

「洋学紳士は去りて北米に游(あそ)び、豪傑の客は上海に游べり」(p.309)

《紳士君は、立ち去ると、北米に旅行し、豪傑君は、上海に旅行した。》

 

 よって、ここでは、日本の戦前→戦中→戦後の流れを汲んで、本書とは真逆に、南海先生→豪傑君→紳士君の順番で、みていくことにします。[以下のページ数は、光文社文庫・鶴ヶ谷真一訳のものです。]

 

 

■南海先生:立憲制・折衷主義 ~戦前日本の理想を主張

 

 まず、南海先生は、先に、紳士君の、次に、豪傑君の、話しを聞いたうえで、大半を発言しているので、2人の主張→2人への批判→先生の主張、の順番でまとめると、次のようになります。

 

 

●2人の主張

 

○紳士君の主張:民主・平等の制度=完全・純粋、軍備撤廃、学術振興、無形の理義>腕力

「紳士君の旨趣を約言すれば、曰(いわ)く、民主平等の制度は、凡(およ)そ百制度中最も完粋なる者にして、世界万国、早晩必ず此(こ)の制度に循(したが)わんとす。而(しこう)して小弱の邦たる者は、富国強兵の策は初めより望む可(べ)からざるが故に、速やかに此の完粋なる制度に循い、然(しか)る後水陸軍備を撤去し、諸強国万分の一にも足らざる腕力を棄(す)てて、無形の理義を用い、大いに学術を興して、其(そ)の国をして極めて精細に彫鐫(ちょうせん)したる美術の作物の如(ごと)き者と為(な)らしめ、諸強国をして愛敬して犯すに忍びざらしめんと欲する、是(こ)れなり。」(p.290-291)

《紳士君の趣旨を要約していう、民主・平等の制度は、だいたい様々な制度の中で最も完全・純粋なもので、世界の万国が、遅かれ早かれ、必ずこの制度にしたがおうとする。そうして、弱小国であるものは、富国強兵の策が、最初から望むことができないために、すぐにこの完全・純粋な制度にしたがい、そののちに、海・陸の軍備を撤去し、諸強国の1万分の1にも満たない腕力を捨てて、無形の理義を用いて、大いに学術をおこして、その国を、とても精細に彫刻した美術作品のようなものとさせ、諸強国を敬愛させて、侵犯するのに耐え忍びないとさせたい、これなのだ。》

 

○豪傑君の主張:侵略主義(旨義)、国外征服で恋旧元素の成人男子を活用

「豪傑君の旨趣を約言すれば、欧洲諸国方(まさ)に兵争を事として、一旦破裂するときは、其(そ)の禍(か)は延(ひ)いて亜細亜に及ばんとす。故に小弱の邦たる者は、是(こ)の時に於(おい)て大英断を出(い)だし、国中の丁壮を挙げ、甲を捲(ま)き、兵を荷(にの)うて、他の一大邦を攻伐して、新たに博大の版図を開く可(べ)し。即(すなわ)ち未だ此(こ)の英断を出だすこと能(あた)わずして、専(もっぱ)ら内治を脩明せんと欲するも、必ず改革の業を妨阻(ぼうそ)する恋旧元素を除かざる可からずして、外征の計終(つい)に已(や)む可からず、是(こ)れなり。」(p.291)

《豪傑君の趣旨を要約すれば、ヨーロッパ諸国は、まさに戦争に専念しようとして、いったん破裂した時には、その災禍が押し広がり、アジアに及ぼうとする。よって、弱小国であるものは、この時機において、大英断を下して、国中の働き盛りの男子を挙用し、武具を装備し、兵器を負担し、他の一大国を討伐して、新たに広大な領土を開拓すべきだ。つまり、まだこの英断を下すことができずに、ひたすら国内統治を明瞭にしたいとしても、必ず改革の事業を妨害・阻止する恋旧(古さを恋う)元素を、除去しないわけにはいかないので、国外征服の計策は、結局、やめることができない、これなのだ。》

 

 

●2人への批判

 

○架空の言葉:紳士君の論=全国民が一心協力、豪傑君の論=独断専行

「紳士君の論は、全国人民が同心協力するに非(あらざ)れば行う可(べ)からず、豪傑君の論は、天子宰相が独断黙決するに非れば施す可からずして、皆恐らくは架空の言たるを免れず。」(p.292)

《紳士君の論は、全国民が同一の心で協力するのでなければ、施行することができず、豪傑君の論は、君主・宰相が独断・黙殺で決定するのでなければ、施行することができず、すべて、おそらくは、架空の言葉であるのを免除されない。》

 

○2君とも:極論(新思想で前進・旧観戯で後退)に固執、病原=過剰な思慮(過慮)

「且(かつ)二君が各々積消(せきしょう)両極の論を固執し、一(いつ)は未だ生ぜざる新思想を望みて妄(みだり)に進まんと欲し、一は既に去りたる旧観戯(かんぎ)を顧みて妄に退かんと欲して、其(そ)の主趣たる冰炭(ひょうたん)相容(い)れざるが如(ごと)きも、僕の察する所に由(よ)れば、其の病源は実は一なり。一とは何ぞや。過慮(かりょ)なり。二君皆欧洲強国が、百万の貔貅(ひきゅう)を養い、千万の闘艦を造りて、相噬攫(ぜいかく)し、又時々来(きた)りて亜細亜地方を暴掠(ぼうりゃく)するを見て、因(よ)りて過慮して以為(おも)えらく、彼一日(いちじつ)、必ず百千の堅艦を装うて来り侵すこともあらん、と。是(こ)れ其の両極の論の出(い)ずる所以(ゆえん)なり。是(ここ)に於(おい)て紳士君は、民権に循(したが)い、敵意を表するの兵備を撤し、欧洲人の先を制して其の鋭を避けんと欲す。是に於て豪傑君は、大いに外征の兵を興し、他邦を割(さ)き取り、版図を拡廓(かくかく)し、欧洲の擾乱(じょうらん)に乗じて巨利を収(おさ)めんと欲す。皆欧洲諸国の形勢に於て、過虜する所有るが故なり。」(p.300)

《そのうえ、2君が各々、積極的・消極的の両極の論に固執し、一方は、まだ生じていない新思想を望んで、無闇に前進したいとし、他方は、すでに過ぎ去った旧観戯を振り返って、無闇に後退したいとして、その趣旨であるのは、氷と炭が相互に許容しないようなものだが、僕が推察することによれば、その病原は、実際には、ひとつなのだ。ひとつとは何か。過剰な思慮(思いすごし・考えすぎ)なのだ。2君は、ともに、ヨーロッパの強国が、100万の勇猛な将兵を養成し、1000万の軍艦を建造して、相互にかみつき、また、時々来てアジア地方で略奪するのを見て、(それに)よって、過剰に思慮して、思うに、「彼らは、ある日、必ず100・1000の堅固な軍艦を装備して侵略することもあるだろう」と。これは、その両極の論が出る理由なのだ。こういうわけで、紳士君は、民権にしたがい、敵意を表明する兵力配備を撤廃し、ヨーロッパ人の先手を打って、その鋭気を避けたいとする。こういうわけで、豪傑君は、大いに国外征服の兵をおこし、他国を切り取り、領土を拡大し、ヨーロッパの争乱につけこんで、巨額な利益を収得したいとする。すべて、ヨーロッパ諸国の情勢において、過剰に思慮することがあるためなのだ。》

 

○小国日本:侵略には不足、専守防衛には余力 ⇒ 無抵抗も侵略も極端

「之(これ)を要するに我亜細亜諸邦の兵は、此(こ)れを以て侵伐せんと欲するときは足らざるも、此れを以て防守するときは余り有りと為す。故に務て平時に於(おい)て訓練し、蒐肄(しゅうい)して、以て鋭を養うときは、何ぞ遽(にわか)に自ら守ること能(あた)わざることを憂へん哉(や)。何ぞ紳士君の計に従い、手を束(つか)ねて死を俟(ま)つことを須(もち)いん哉。何ぞ豪傑君の略に循(したが)い、怨(うら)みを隣国に買ことを須いひん哉。」(p.303)

《これを、要するに、我らのアジア諸国の兵力は、これによって侵略・討伐したいとする時には、不足でも、これを防御・守備する時には、余力があるとする。よって、努力して、平時において訓練し、集めて習わせ、それで鋭気を養えば、なぜ、すぐに自分で守ることができないのを悩むのか(いや、悩まない)。なぜ紳士君の計略にしたがい、手段を拘束して、死を待つことを必須とするのか。なぜ豪傑君の計略にしたがい、怨みを隣国に買うことを必須とするのか。》

 

 

●先生の主張

 

 南海先生の主張は、総論では、立憲(君主)制なので、各論では、政策方針にまとめてみました。

 

◎立憲制

 

 南海先生の主張の総論は、次のように、専制と民主制の中間である立憲制で、君主(王侯貴族)には、権利を縮小(特権を制限)、人民には、権利(自由)を拡大し、漸次的変化にすることで、できるだけ有益・無害にしようとしています。

 

○立憲制=君主・宰相の専制と民主制の中間、有益・無害(君主=尊厳のみで野望鎮圧、人民=自由)

「故に立憲の制は、君相専擅(せんせん)の制と民主の制との中間に居る者なり。其(そ)の君位の尊厳なるが為(ため)に非望を鎮圧するよりして言えば、専制国に類する有り、其の人民の自由なるよりして言えば、民主国に似たる有りて、畢竟(ひっきょう)此(こ)の両制度の利を併有して、其の害無き者と謂(い)う可(べ)し。」(p.246)

《よって、立憲制は、君主・宰相の専制と、民主制の、中間にあるものなのだ。その君主の地位が尊厳であるために、野望を鎮圧することからしていえば、専制国と類似することがあり、その人民が自由であることからしていえば、民主国に類似することがあって、結局、この両制度の利益を併有して、その弊害がないものということができる。》

 

○立憲制:漸次的変化で性理の法則(急変による弊害)を軽減

「且(か)つ紳士君の所謂(いわゆる)進化の理に拠(よ)りて考うるも、専制より出(い)でて立憲に入り、立憲より出でて民主に入ること、是(こ)れ正(まさ)に政治社会行旅の次序なり。専制より出でて一蹴して民主に入るが如(ごと)きは、決して次序に非(あら)ざるなり。何ぞや。人々頭脳中、帝王の思想、公侯の意象、深く印著(いんちゃく)して其(そ)の奥底に在りて、隠然として其の司命神(しめいしん)の如く、其の護身符(ごしんふ)の如くなるに方(あた)り、俄(にわか)に民主の制を打開する時は、衆庶(しゅうしょ)頭脳、為(ため)に眩乱(げんらん)せらるること、是れ正に性理の法則なればなり。是の時に於(おい)て二三少数の人物が、独り欣然(きんぜん)として其の制度の理義に合することを喜ぶも、衆民の惶惑(こうわく)し沸騰するを奈何(いかん)せん。此(こ)れ理の最も明白なる者なり。」(p.296-297)

《そのうえ、紳士君のいわゆる進化の理によって考えると、専制から出て立憲制に入り、立憲制から出て民主制に入ること、これは、まさに政治社会の行程の順序なのだ。専制から出て一気に民主制に入るようなものは、けっして順序にならないのだ。なぜか。人々の頭脳の中には、帝王の思想や、公族・諸侯の観念が、深く印象づけられ、その奥底にあって、隠れて見えず、それが司命神(人の運命を司る神)のように、それが護符(お守り)のように、なるのにあたって、すぐに民主制を打開する時には、民衆の頭脳が、(その)ために眩惑・撹乱させられること、これは、まさに性理の法則だからなのだ。この時機において、2・3人の少数の人物だけが快く、その制度の理義に適合することを喜んでも、民衆が恐れ惑い沸き立つのをどうするのか。これは、理の最も明白なものなのだ。》

 

 以上の2文をまとめると、次の3段階が設定できます。

 

※政治社会の行程の順序(政治社会行旅の次序)

・専制 ~ 豪傑君:侵略主義

・立憲制

・民主制 ~ 紳士君:平和主義

 

○民権:恩賜的/恢復的

「且(か)つ世の所謂(いわゆる)民権なる者は自(おのずか)ら二種有り。英仏の民権は恢復(かいふく)的の民権なり。下より進みて之(これ)を取りし者なり。世又一種恩賜(おんし)的の民権と称す可(べ)き者有り。上より恵みて之を与うる者なり。恢復的の民権は下より進取するが故に、其(そ)の分量の多寡(たか)は、我の随意に定むる所なり。恩賜的の民権は上より恵与(けいよ)するが故に其の分量の多寡は、我の得て定むる所に非(あら)ざるなり。若(も)し恩賜的の民権を得て、直ちに変じて恢復的の民権と為(な)さんと欲するが如(ごと)きは、豈(あに)事理の序(ついで)ならん哉(や)。」(p.297)

《そのうえ、世の中のいわゆる民権なるものは、自然に2種がある。イギリス・フランスの民権は、恢復(回復)的民権なのだ。下から進んで、これを取ったものなのだ。世の中には、また、一種、恩賜的民権と称することができるものがある。上から恵んで、これを与えるものなのだ。恢復的民権は、下から進取するために、その分量の多少は、我らの随意で定めることなのだ。恩賜的民権は、上から恵与するために、その分量の多少は、我らが得て定めることでないのだ。もし、恩賜的民権を得て、すぐに変化して、恢復的民権にしたいとするようなものは、どうして事理の順序なのか(いや、そうでない)。》

 

 また、以上をまとめると、次のようになります。

 

※民権:2種

・恩賜的民権:上からの恵与、上が権利を限定 ~ 立憲制:日

・恢復的民権:下からの進取、下が権利を随意規定 ~ 民主制:英・仏

 

 そして、恩賜的民権から回復的民権へと、しだいに変化していくのが、事理の順序で、以下のような、道徳・学術の思想(理論)を、国民の脳内に貯蓄し、その思想が普及・定着して過去のものになれば、それが発出・建立され、社会の事業(実践)が実現するとされています(p.298)。

 

○進化の理=恩賜的民権の護持・珍重+道徳・学術で恢復的民権のように肥大化・長大化

「且(か)つ縦令(たと)い恩賜的民権の量如何(いか)に寡少(かしょう)なるも、其(そ)の本質は恢復的民権と少しも異ならざるが故に、吾が儕(せい)人民たる者、善く護持し、善く珍重し、道徳の元気と学術の滋液とを以て之(これ)を養うときは、時勢益々進み、世運益々移るに及び、漸次(ぜんじ)に肥腯(ひとつ)と成り、長大と成りて、彼(か)の恢復的の民権と肩を並ぶるに至るは、正(まさ)に進化の理なり。」(p.298)

《そのうえ、たとえ、恩賜的民権の分量がどんなに少なくても、その本質は、恢復的民権と少しも異ならないために、我々人民である者は、よく護持し、よく珍重し、道徳の元気と学術によい液によって、これを養う時には、時勢がますます進み、世の中の気運がますます移るのに及んで、しだいに肥大化し、長大化して、あの恢復的民権と肩を並べるのに至ることは、まさに進化の理なのだ。》

 

 なお、この回復(恢復)という言葉には、以下のような意味があり、君主が国民から一時借用したので、やがて返還されるのを、前提とみていたようです。

 

○無智な国民が君主に権利を棄却→智識の成長で自主権を回復すべき

「且(か)つ我が儕(せい)の遠祖が、相率(したが)いて自ら君主の治下に帰し、百般事務を托(たく)して其(そ)の指令に循(したが)いたるは、他に非(あら)ず。彼無智にして、自ら一身の主と為(な)りて生を計ること能(あた)わざるが故に、姑(しばら)く其の有する所の権理を棄却し、一時の安(やす)きを図り、異日其の後世子孫の智識益々長ずるを待ちて、将(まさ)に其れをして自主の権を復せしめんと欲せしなり。当時君民の間、此(こ)の如(ごと)き明約有りしに非ざるも、其の深意を問う時は、必ず然(しか)らざるを得ざり者有り。然るに因襲の久しき、彼(か)の君主は一時我が儕遠祖より領収したる権理を持守して、肯(あ)えて之(これ)を我が儕に還(かえ)さずして、以為(おも)えらく、此(こ)れ素(もと)より我が有なりと。僕故に曰(いわ)く、君相専擅(せんせん)の制は、愚蒙(ぐもう)にして其の無礼を覚(さと)らざる者なり、と。」(p.228)

《そのうえ、我々の遠祖が、相互にしたがって、自分で君主の統治下に帰属し、様々な事務を委託して、その指令にしたがったのは、他でもない。彼らは、無智で、自分自身が主体となって、生計することができないために、しばらく、それがもつ権利を棄却し、一時、安定を図り、いつの日かの後世に、子孫の智識が、ますます成長するのを待って、まさに、それによって、自主権を回復させたいとしたのだ。当時の君主と国民の間に、このような明確な約束があったのではないが、その深い意味を問えば、必ずそのようであらざるをないものがある。ところが、その習慣が長くて、あの君主は、一時、我々の遠祖から領収した権利を守り持って、あえて、これを我々に返還しないで、思うに、「これは、元々、私がもっていたのだ」と。僕は、よって、いう、「君主・宰相の専制は、愚かで道理に暗く、その無礼を自覚しないものなのだ」と。》

 

○立憲制:国民・立法・行政の関係

「是(こ)の故に立憲の制に在りては、民たる者、輿望(よぼう)有る人物を票選して代議士と為(な)し、托(たく)するに立法の大権を以てす。所謂(いわゆる)議院なり。是の故に議院は全国民意の寓(ぐう)する所にして、宰相大臣は特に議院に隷属して、各種の事務を分掌(ぶんしょう)するに過ぎざるのみ。是の故に立法権即(すなわ)ち議院は、民の為(ため)に事務を委托する主人にして、行政権即ち宰相大臣は、此(こ)の委託を受けて事務を処理する役徒(えきと)たるに過ぎざるのみ。夫(そ)れ民たる者、既に代議士を出(いだ)して政務を監督するの権あり。其(そ)の他天賦の諸権を具有すること、固(もと)より言を待たざるなり。」(p.231)

《それで、立憲制にあっては、国民であるものが、人望のある人物を選挙で投票して、代議士となり、委託するのに、立法の大権によってする。いわゆる議院なのだ。それで、議院は、全国の民意が象徴することで、宰相・大臣は、特に議院に従属して、様々な事務を分担するにすぎないのだ。それで、立法権、つまり議院は、国民のために事務を委託された主人で、行政権、つまり宰相・大臣は、この委託を受けて事務を処理する役人にすぎないのだ。そもそも国民であるものは、すでに代議士を選出して、政務を監督する権利がある。その他、天から授かった様々な権利を具有することは、元々、いうまでもない。》

 

○立憲制:上の天皇=尊栄誇張、下の国民=福祉増進、上院=世襲、下院=選挙

「亦唯立憲の制を設け、上(かみ)は皇上の尊栄を張り、下(しも)は万民の福祉を増し、上下両議院を置き、上院議士は貴族を以て之(これ)に充(あ)てて世々(よよ)相承(う)けしめ、下院議士は選挙法を用いて之を取る、是(こ)れのみ。」(p.307)

《また、ただ立憲制を設置し、上では、天皇の尊厳・栄光を誇張し、下では、万民の福祉を増進し、上下両議院を設置し、上院議員は、貴族をこれに充用して、世代で相互に継承させ、下院議員は、選挙法を適用して、これを選び取る、これなのだ。》

 

 以上の2文により、天皇・国民と立法権・行政権の関係は、次のようです。

 

・天皇:尊厳・栄光を誇張

・国民:福祉を増進、代議士を投票で選出、政務を監督する権利

・立法大権=議院:国民が事務を委託された主人、上院=貴族の世襲、下院=選挙

・行政権=宰相・大臣:事務を処理する役人

 

◎政策方針

 

 南海先生の主張の各論は、以下の6文のように、国民のための政治が本旨で、国内的には、国民の権利確保、教育・産業拡大、負担軽減、国外的には、平和友好、専守防衛(武威抑制、出征回避)で、折衷主義・現実主義の兆民にとって、国家100年の大計は、陳腐な言葉になります。

 

○政治の本旨:国民の意向・智識・安静・福祉

「政事の本旨とは何ぞや。国民の意嚮(いこう)に循由(じゆんゆう)し、国民の智識に適当し、其(そ)れをして安靖(あんせい)の楽しみを保ちて、福祉の利を獲(え)せしむる、是(これ)なり。」(p.296)

《政治の本旨とは、何か。国民の意向にしたがい、国民の智識に適合し、それによって安静の楽しみを保って、福祉の利益を獲得させる、これなのだ。》

 

○立憲制:国民の権利確保

「且つ専擅(せんせん)の制を出(い)でて立憲の制に入りて後、人たる者、始めて個々独立の人身と為(な)ることを得(う)るなり。何ぞや。参政の権なり、財産私有の権なり、事業を択(えら)びて操作するの権なり、奉教自由の権なり、其(そ)他言論の権と云(い)い、出版の権と云い、結社の権と云い、凡(およ)そ此(こ)の類の諸権は、人たる者の必ず具有すべき所にして、此の種の権を具備して後、始めて人たるの声価を有すと為す。」(p.231)

《そのうえ、専制を出て、立憲制に入った後、人であるものは、はじめて、個々独立の人身になることを得るのだ。なぜか。参政権なのだ、私有財産権なのだ、事業の選択・経営の自由権なのだ、宗教信奉の自由権なのだ、その他、言論権といい、出版権といい、結社権といい、だいたいこの類の様々な権利は、人であるものが、必ず具有すべきことで、この種の権利を具備して、はじめて、人である価値をもつこととなる。》

 

○外交:平和友好、武威抑制、国民の権利確保、教育・産業拡大

「外交の旨趣に至りては、務めて好和を主とし、国体を毀損(きそん)するに至らざるよりは、決して威を張り武を宣(の)ぶることを為(な)すこと無く、言論、出版、諸種の規条は、漸次(ぜんじ)に之(これ)を寛(ゆるやか)にし、教育の務め、工商の業は、漸次に之を張る、等なり。」(p.307)

《外交の趣旨に至っては、努力して友好・平和を主とし、国家体制を破損するのに至らない限りは、けっして武威を誇張・宣告することなく、言論・出版、種々の規則・条項は、しだいにこれをゆるやかにし、教育の業務・商工業は、しだいにこれを拡張する、等なのだ。》

 

○外交:平和友好、専守防衛、出征回避、負担軽減

「之(これ)を要するに外交の良策は、世界孰(いず)れの国を論ぜず与(とも)に和好を敦(あつ)くし、万已(や)むことを得ざるに及びては防禦の戦略を守り、懸軍(けんぐん)出征の労費を避けて、務めて民の為に肩を紓(の)ぶること、是(これ)なり。」(p.306-307)

《これを、要するに、外交の良策は、世界のどの国も区別せず、ともに平和・友好を尊重し、万一やむをえない場合に及んでは、防御の戦略を守り、遠方への進軍・出征の労費を避けて、努力して、国民のために負担を軽減すること、これなのだ。》

 

○専守防衛

「彼果して他国の評を慮(おもんぱか)らず、公法の議を憚(はばか)らず、議院の論を顧(かえり)みず、敢(あえ)て狡焉(こうえん)として来(きた)り襲うときは、我唯力を竭(つく)して抗禦(こうぎょ)し、国人皆兵と為(な)り、或(ある)いは要勝に拠(よ)りて拒守し、或いは不意に出(い)でて侵撃し、進退出没、変化測られざるを為(な)し、彼は客にして我は主なり、彼は不義にして我は義なり、我が将士、我が卒徒、敵愾(てきがい)の気益々奮揚(ふんよう)するに於(おい)ては、曷(なん)ぞ遽(にわか)に自ら防守すること能(あた)わざるの理有らん哉(や)。是(こ)は則(すなわ)ち武官の職に服する者、自(おのずか)ら当(まさ)に奇計妙策有る可(べ)きのみ。」(p.303)

《彼らが、本当に、他国の評判を考慮せず、国際法の議定を遠慮せず、議院の論議を振り返らず、あえてずるく来襲する時には、我らは、ただ尽力して抗戦・防御し、国民皆兵となり、要害によって拒絶・守備したり、不意に出撃して侵入したりし、進退・出没、変化が予測されないようにし、彼らは、客で、我らは、主なのだ。彼らは、不義で、我らは、義なのだ。我らの将校・兵士、我らの歩兵の、敵対心がますます発奮・高揚するのにおいては、なぜすぐに自分で防御・守備することができない理があるのか(いや、ない)。これは、つまり武官の職務にしたがう者が、自然に、当然、奇妙な計策があるべきなのだ。》

 

○折衷主義:陳腐な言葉

「平時閑話の題目に在りては、或(ある)いは奇を闘わし、怪を競うて、一時の笑柄(しょうへい)と為(な)すも固(もと)より妨(さまたげ)無きも、邦家百年の大計を論ずるに至りては、豈(あに)専(もっぱ)ら奇を標し新を掲げて、以て快と為すことを得んや。」(p.308)

《平時の雑談の題目にあっては、奇怪を競い闘ったりして、一時の笑いの種にしても、元々、妨げることがないが、国家100年の大計を論考するのに至っては、どうして、ひたすら奇抜さを標示し、新規さを掲示して、それで快適とすることを得るのか。》

 

 余談ですが、兆民の『一年有半』では、民権を至理、自由・平等を大義とみて、理義を尊重すべきとしていますが(第2:民権自由は欧米の専有にあらず)、理義の言葉は、陳腐だが、国家において、とても必要だとし、理義の行動は、新奇になると指摘されています(第3:議員政事家という啖人鬼)。

 

(つづく)