中江兆民「三酔人経綸問答」考察2~豪傑君 | ejiratsu-blog

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(つづき)

 

 

■豪傑君:専制的・侵略主義 ~ 戦中日本の現実と類似

 

 つぎに、豪傑君は、紳士君と対照的な立場に設定され、紳士君に、「理」を講論せよといった一方、自分は、「術」を講論するといって、対比させており、「理」と「術」は、世の中の事の両側面とされ、「理」は、議論の境域で力をふるうこと、「術」は、実際の境域で効果をあげることだとしています(p.286)。

 つまり、豪傑君は、「理」(論理)でなく、「情」(感情)に偏重なので、次のように、苦痛とは別天地・新境地の、武勇の「気」や、勝利による快楽の「心」が、取り上げられています。

 

 

●個人の情(気・心)から集団の術へ

 

◎武勇の気

 

○勇気に苦痛なし

「且(か)つ紳士君は、専(もっぱ)ら戦争を以て不好事と為(な)し、兵卒の櫛風沐雨(しっぷうもくう)の苦しみを想像して、真の苦しみと為し、兵卒の焦頭烈脚(しょうとうれっきゃく)の痛みを想像して、真の痛みと為す、真の苦しみならん哉(や)、真の痛みならん哉。戦いは勇を主とし、勇は気を主とす。両軍将(まさ)に合せんとす。気は狂するが如(ごと)く、勇は沸(わ)くが如し。是(こ)れ別天地なり、是れ新境界なり。何の苦痛有らん哉。」(p.263-264)

《そのうえ、紳士君は、ひたすら戦争を、よくない事とし、兵士が風雨にさらされる苦しみを想像して、本当の苦しみとし、兵士が焦熱にさらされる痛みを創造して、本当の痛みとするが、本当の苦しみなのか、本当の痛みなのか。戦いは、勇を主とし、勇は、気を主とする。両軍が今にも合戦しようとする。気は、狂っているようなもので、勇は、沸いてくるようなものだ。これは、別天地なのだ、これは、新境地なのだ。なぜ苦痛があるのか(いや、ない)。》

 

◎快楽の心

 

○快楽=勝利:各人の極大な楽しみ=誤り・背きの強敵に勝つ

「彼果して何の楽しむ所有る乎(か)。楽しむ所有り。其(そ)の楽しみたるや、極めて大なり。彼其の脳中の智慧、方(まさ)に一心衆力の将帥(しょうすい)と為(な)り、迭升(てっしょう)法を銃礟(じゅうほう)とし、迭降(てっこう)法を船艦とし、諸種謬戻(びゅうれい)の勁敵(けいてき)を撃破して、真理の国都に進入せんとす。其の楽しみたるや極めて大なり。商人は市道不振の勁敵に勝ちて、巨利を攫(つか)むことを楽しみ、農夫は気候不序の勁敵に勝ちて、豊穣を獲(う)ることを楽しむ。其の他一業を執り、一技を脩むる者、皆勝利を求めざる莫(な)し。皆快楽を願わざる莫し。人各々皆楽しむ所有り、国も亦(また)楽しむ所無かる可(べ)けん哉(や)。人をして楽しましむる者は、各人の心なり。」(p.263)

《彼は、本当に何の楽しむことがあるのか。楽しむことがある。その楽しみは、極大なのだ。彼は、その脳内の智恵が、まさに一心に結集する力の将軍・統帥となって、帰納法を銃砲とし、演繹法を艦艇とし、様々な誤り・背きの強敵を撃破して、真理の国の都に進入しようとする。その楽しみは、極大なのだ。商人は、市場の道の不振の強敵に勝って、巨額の利益をつかむことを楽しみ、農夫は、天候不順の強敵に勝って、豊作を獲得することを楽しむ。その他、一事業を執行し、一技巧を修得する者は皆、勝利を求めないことはない。皆、快楽を願わないことはない。人は皆、各々に楽しむことがあり、国も、また、楽しむことがなくてよいのだろうか(いや、よくない)。人を楽しませるものは、各人の心なのだ。》

 

○兵士の極大な楽しみ=勇烈の名声

「死せざるを得(う)る乎(か)、勇烈三軍に冠たらん。死する乎、名を身後に留(とど)めん。是(こ)れ卒徒の楽しみなり。其(そ)の楽しみたるや極めて大なり。」(p.264)

《死なないのを得れば、勇烈が、陸海空の3軍に、優れていると響き渡るだろう。死ねば、名を死後に残すだろう。これは、兵士の楽しみなのだ。その楽しみは、極大なのだ。》

 

○大将の極大な楽しみ=武威・武勇の名声

「我捷(かち)を得(う)れば、銃剣敵の背に接し、長駆して都に入り、地を裂き、金(かね)を要し、和成りて、我が王国の武威、斯(ここ)に四隣に光被(こうひ)せん。捷を得ざれば、則(すなわ)ち一死以て驍名(ぎょうめい)を世に播(ほど)こさんのみ。是(こ)れ大将の楽しみなり。其(そ)の楽しみたるや極めて大なり。」(p.264-265)

《我らが勝ちを得れば、銃剣を敵の背中に突き付け、長距離を駆け抜けて都に入り、土地を切り取り、賠償金を要求し、和平が成立すれば、我らの王国の武威が、ここに・周辺諸国に、行き渡るだろう。勝ちを得なければ、つまり一死によって、武勇の名声を世の中に伝播させるだけだ。これは、大将の楽しみなのだ。その楽しみは、極大なのだ。》

 

 以上の4文のように、軍隊の将兵は、死を賭けて、勇の名声を求めるのが、極大の快楽とされていますが、これは、以下のように、専制の君主国が、帝王の功名のために戦争するのと、動機が共通しています。

 

○君主国の戦争=帝王の功名のための戯れ・楽しみの一種

「且(か)つ彼其(そ)の初め兵を出(いだ)すや、堂々たる名義を以て口に藉(し)くも、実は其の民の性命と財産とを賭(かけもの)にして、自己の功名を求むるに外(ほか)ならずして、所謂(いわゆる)戦いは帝王に在りて、畢竟(ひっきょう)戯楽(ぎらく)の一種たるに過ぎざるのみ。」(p.251)

《そのうえ、彼は、その最初には、兵士を出動させるのに、堂々とした大義名分で、かこつけるが(藉口/しゃこう)、実際には、その国民の生命・財産を賭けて、自己の功名を求める以外になく、いわゆる戦争は、帝王にあっては、結局、戯れ・楽しみの一種であるのにすぎないのだ。》

 

◎術策

 

 武を由来とする、個人の「情」(感情、「気」・「心」)を満足させるため、集団には、以下のように、「術」(術策)が必要になりますが、豪傑君は、「理」(論理)をほぼ無視するので、巧妙・奇抜が要求されています。

 

○国の楽しみ:宰相=計策、武将=戦略

「国をして楽しましむる者は、宰相の謀策なり、武将の韜略(とうりゃく)なり。謀策妙にして、与国(よこく)先を争うて盟(ちかい)を我に納(い)れ、韜略奇にして、敵国一戦の下に破敗す。国の楽しみたる、其れ如何(いかん)ぞや。」(p.263)

《国を楽しませるものは、宰相の計策なのだ、武将の戦略なのだ。計策が巧妙ならば、味方の国が先を争って同盟を我らと結び、戦略が奇抜ならば、敵国が一戦のうちに敗退する。国の楽しみは、それがどれほどなのか。》

 

 ただし、以下により、「理」(事理)は、実質も名目もありますが、各々の「情」が結集された「術」は、実質なし・名目のみなので、巧妙・奇抜が指標になってしまい、後述する、政事的幻戯(手品)の術策に極端化するようにもなるのです。

 

○名実論:実質なし・名目あり=事理でない

「所謂(いわゆる)名は実の賓(ひん)なるが故に、其(そ)の実有りて其の名有るは固(もと)より佳(よ)きも、其の実なくして其の名有るが如(ごと)きは、事理に於(おい)て未だ得たりと為(な)さず。」(p.237)

《いわゆる名目は、実質の賓客である(『荘子』)ために、その実質があって、その名目があるもの(名実一体)は、元々よくても、その実質がないのに、その名目があるようなもの(有名無実)は、事理において、まだ得たとしない。》

 

 

●恋旧元素

 

 ところで、兆民は、2人の主張の動機を説明するのに、豪傑君には、恋旧元素(古さを恋う思い)と好新元素(新しさを好む思い)の対比を、紳士君には、政理的進化の神を、持ち出していることが、おもしろい点です(紳士君も、進化神への信心が前提なので、「理」の背後に「情」があります、後述)。

 

○恋旧元素/好新元素:相互に許容せず、年齢と土地柄が影響

「抑(そもそも)他邦に後(おく)れて文明の途に上(のぼ)る者は、一切従前の文物、品式、習尚(しゅうしょう)、情意、を挙げて之(これ)を変更せざる可(べ)からず。是(ここ)に於(おい)て国人中、必ず旧を恋うの念と新を好むの念との二者発生して、反対の観を呈するに至るは、勢いの自然なり。其(そ)の旧を恋うの徒に在りては、凡(およ)そ新規の文物、品式、習尚、情意は、皆軽浮の状、虚夸(きょこ)の態有りて、之を見れば目を汚すを覚え、之を聞けば耳を涴(けが)すを覚え、之を言えば嘔噦(おうえつ)し、之を念(おも)えば昏眩(こんげん)す。其の新を好むの徒は正(まさ)に之に反して、苟(いやしく)も旧規に属する事物は皆腐壊して、一種の臭気有るが如(ごと)く、汲々(きゅうきゅう)として唯新規是(こ)れ求めて、後るることを恐る。即(すなわ)ち其の未だ此(かく)の如き極端に至らざる者と雖(いえど)も、細別する時は、必ず此(こ)の両党中の一(いつ)に列在することを見る。要するに恋旧、好新の二者は、此の種の国民中、氷炭相容(い)れざる二元素なり。顧(おも)うに此の二元素は、之を分析すること甚(はなは)だ容易ならざるも、年齢と州俗とに由(よ)りて判断するときは、大抵之を別つことを得(う)可(べ)し。」(p.271-272)

《そもそも他国に遅れて文明の途上にあるものは、すべて、以前の文物・規定・風習・情意を取り上げて、これを変更しないわけにはいかない。こういうわけで、国民の中で、必ず古さを恋う思いと新しさを好む思いの2者が発生して、反対の見方が露呈に至るのは、勢いの自然なのだ。その古さを恋う人達にあっては、だいたい新規の文物・規定・慣習・情意は、すべて、落ち着きのない状態・吹聴の状態にあって、これを見れば、目を汚すことを覚え、これを聞けば、耳を汚すことを覚え、これをいえば、吐き気がし、これを思えば、昏睡・眩惑する。その新しさを好む人達は、正反対で、もしも、旧規に所属する事物は、すべて、腐敗して、一種の臭気があるように、アクセクして、ただ新規だけ、これを求めて、遅れることを恐れる。つまり、それがまだ、そのように極端に至らないものといっても、詳細に分別する時には、必ずこの両党の中のひとつに列席することを見る。要するに、恋旧・好新の2者は、この種の国民の中で、氷と炭のように、相互に許容しない2元素なのだ。思うに、この2元素は、これを分析することが、とても容易でないが、年齢と土地柄によって判断する時には、たいてい、これを分別するのを得ることができる。》

 

 以上により、文明の発展途上国は、古いものから新しいものへと、変更する必要があり、その国民は、おおむね、次の2元素に分断するとされ、両党は、相互に許容せず、その分断は、年齢や土地柄に左右するとしています。

 

※文明発展途上の国民:2元素→年齢・土地柄に左右

・恋旧元素:古さを恋う思い、新規を拒む → ガン腫瘍(癌腫) ~ 豪傑君

・好新元素:新しさを好む思い、旧規を嫌う → 生肉 ~ 紳士君

 

 なお、年齢は、30歳以上か・30歳以下か、土地柄は、情報の閉じた藩か・開いた藩かが、左右するとしているのは(p272-275)、本書の発表当時が、明治20年なので、30歳以上の男性が青少年期に、幕末の藩校・寺子屋等で、漢学・武道等に修身していたことが、影響しているとみているようです。

これは、賢明な才能(高明の才)・卓越して偉大な見識(卓偉の見)の有無や(p.276)、主義・主張に、関係ないとし、閉じた藩出身や30歳以上の男性は、おおむね、素朴(質朴)で武を尊重し、粗暴(疎豪)で重厚(厚重)、勝気・忌み嫌い(克忌)で陰険の、気風があるとみられています(p.274,276)。

 たとえば、自由民権運動(1874/明治7年~)が、過激化していったのも、以下のように、活動家達が、武(武勇・武威)を尊重した年代・出身者だったからとみられます。

 

○武の尊重(尚武)

「此(こ)の輩は、今より二三十年前に在りて、皆剣を撃ち、槍を揮(ふる)い、屍(しかばね)を馬革に裹(つつ)むを以て無上の栄誉と為(な)せし者にて、其(そ)の尚武の習いは、遠く祖先の遺伝する所にして寓(よ)せて三尺の剣に在り。其の身に至り、益々宝重して失わず。」(p.277-278)

《この人達は、今から20~30年前にあって皆、剣を振り、槍を振り回し、死体をウマの皮革に包んで送り返す(戦場で戦死する)ことを無上の栄誉とした者で、その武の尊重の習得は、遠祖の遺伝することで、象徴して3尺の剣がある。それ自身に至って、ますます貴重で失わなかった。》

 

 また、以下のように、恋旧元素は、「理」よりも、「情」で行動するので、勇につながる改革・破壊を好み、臆病につながる建設・保守を好まないとされています。

 

○勇につながる改革・破壊を好む/臆病につながる建設・保守を好まず

「彼(か)の輩太(はなは)だ改革を好む。旧を棄(す)てて新を謀(はか)ることを好むに非(あら)ざるなり。唯専(もっぱ)ら改革することを好むなり。善悪倶(とも)に改革することを好むなり。破壊を好む、其(そ)の勇に類するが故なり。建置を好まず、其の怯懦(きょうだ)に類するが故なり。尤(もっと)も保存を好まず、其の尤も怯懦に類するが故なり。」(p.278)

《あの人達は、とても改革を好む。古さを捨てて、新しさを計策することを好むのではないのだ。ただ、ひたすら改革することを好むのだ。善悪ともに、改革することを好むのだ。破壊を好むのは、その勇に類似するためなのだ。建設を好まないのは、その臆病に類似するためなのだ。最も保守を好まないのは、それが最も臆病に類似するためなのだ。》

 

 そして、以下の2文により、恋旧元素は、ガン腫瘍のようなもの、好新元素は、生肉のようなものなので、文明が発展するには、好新元素を肥大化させるため、恋旧元素を除去すべきとしています。

 

○恋旧元素の除去

「洋学紳士曰(いわ)く、必ず二元素の一(いつ)を除くことを要するに於(おい)ては、恋旧元素を除かん乎(か)、将(は)た好新元素を除かん乎。」

「豪傑の客曰く、恋旧元素なる哉(かな)。好新元素は譬(たと)えば生肉なり。恋旧元素は譬えば癌腫(がんしゅ)なり。」(p.282)

《紳士君がいう、「必ず2元素のひとつを除去することを必要とするのにおいては、恋旧元素を除去するのか、それとも、好新元素を除去するのか。」

豪傑君がいう、「恋旧元素だな。好新元素は、例えば、生肉なのだ。恋旧元素は、例えば、ガン腫瘍(しゅよう)なのだ。》

 

○恋旧元素の除去で好新元素の肥大化

「君は唯生肉を肥やすことを知るのみ。僕は国の為(ため)に癌腫を除くことを求む。癌腫を除かざれば生肉を肥やさんと欲するも得(う)可(べ)からざるなり。」(p.282)

《君(紳士君)は、ただ生肉を肥やすことを知るだけだ。僕(豪傑君)は、国のために、ガン腫瘍を除去することを求める。ガン腫瘍を除去しなければ、生肉を肥やしたいとしても、得ることができないのだ。》

 

◎侵略

 

 近代日本の軍事は、徴兵制(徴兵令、1873/明治6年)へと大転換し、ほとんどの武士が廃業することになったので、それが士族反乱(1874年・佐賀の乱~1877年・西南戦争)の一因にもなっており、居場所のない恋旧元素は、国内統治を不安にさせるので、ガン腫瘍と表現されています。

 なので、以下の7文のように、恋旧元素を、国外征服の計策(外征の策実、p.271、外征の計、p.286)に投入すれば、文明が奪取できるかもしれないうえ(第1策)、恋旧元素も除去できるので(第2策)、一挙両得だと主張しており、豪傑君は、中国を想定しているようです。

 前述では、「理」と「術」を対比させましたが、たとえば、政理は、平等の義・経済の旨で、政術は、弱を転変して強とすること、乱を転変して治とすることとされており(p.286)、以下のように、侵略で、逆境の好転が期待されています。

 

○小国・貧国の危機→大国・富国になる計策に従事すべき

「嗚呼(ああ)、今日に在りて衆小邦たる者、其(そ)れ危殆(きたい)なる哉(かな)。然(しか)りと雖(いえど)も、邦小なる者は、猝(にわ)かに之(これ)を大にせんと欲するも、得(う)可(べ)からず。邦貧なる者は、暴(にわ)かに之を富まさんと欲するも、得可からず。兵寡(すくな)きも、之を増すことを得可からず。艦少なきも、之を多くすることを得可からず。然れども、兵を増し、艦を多くし、邦を富まし、邦を大にせざる時は、或(ある)いは亡滅に至るも未だ知る可からず。是(こ)れ算数の理なり。波蘭(ポーランド)と緬甸(ビルマ)とを見ずや。幸いなる哉(かな)、今日に於(おい)て我現に、邦を大にし、邦を富し、兵を増し、艦を多くするの策在りて存す。何ぞ速やかに此(こ)の策に従事せざるや。」(p.266-267)

《ああ、今日にあって、諸小国であるものは、それが危機にあるな。そのようだといっても、小国なるものは、急に、これを大国にしたいとしても、得ることができない。貧国なるものは、急に、これを富国にしたいとしても、得ることができない。兵士が少ないのも、これを増やすのを得ることができない。艦艇が少ないのも、これを多くするのを得ることができない。しかし、兵士を増やし、艦艇を多くし、富国にし、大国にさせられない時には、滅亡に至ったりするのも、まだ知ることができない。これは、算数の理なのだ。ポーランドとミャンマーを見ていないのか。幸いだな、今日において、我らは、現実に、大国にし、富国にし、兵士を増やし、艦艇を多くする計策が存在する。なぜすぐにこの計策に従事しないのか。》

 

○侵略・文明奪取:貧国から富国へ

「是(こ)の故に他邦に後(おく)れて文明の具を得んと欲する者は、其(そ)の術多種なりと雖(いえど)も、要するに巨額の金を出(いだ)して買い取るに外(ほか)ならずして、小邦に在りては其の費を給すること能(あた)わず。必ず更に一大邦を割(さ)き取りて、己(おの)れ自ら富国と為(な)らざる可(べ)からず。然(しか)るに天の寵霊(ちょうれい)に頼(よ)りて、眼前厖然(ぼうぜん)たる一大邦の在る有りて、土壌豊沃にして兵衆軟弱なるに於(おい)ては、何の幸いか之(これ)に踰(こゆ)る有らん。仮(たと)い彼(か)の大邦をして強盛ならしめば、我割き取りて自ら富まんと欲するも得(う)可(べ)からず。今幸いに、彼の大邦現に惰懦(だだ)にして与(くみ)し易(やす)き時は、小邦たる者、何ぞ速やかに之を取らざるや。之を取りて自ら富み、自ら強くするは、取らずして自ら消滅するに勝ること万々ならずや。」(p.270-271)

《それで、他国に遅れて、文明の具体を得たいとするものは、その術が多種なのだといっても、要するに、巨額の資金を支出して、買い取る以外になくて、小国にあっては、その費用を支給することができない。必ず、さらに一大国を切り取って、自己が富国とならないわけにはいかない。ところで、天の尊い恵みに頼って、目前にムックリとした一大国の存在があって、土壌が肥沃で、兵士・民衆が軟弱なのにおいては、何の幸いか、これを越えることがあるのか。仮りに、あの大国が強く盛んになれば、我らが切り取って、自身が富みたくても、得ることができない。今、幸いに、あの大国が、現実に臆病・意気地なしで、相手にしやすい時には、小国であるものは、なぜすぐに、これを取らないのか。これを取って自身で富み、自身で強くするのは、取らないで、自身で消滅するのに、まさることが、けっしてないのか(いや、ある)。》

 

○小国が大国を侵略する絶好の機会

「万国公法果して恃(たの)む可(べ)からざるに於(おい)ては、小邦たる者は、何に由(よ)りて自ら防守することを得(う)る乎(や)。唯速やかに沈没に垂(なんな)んたる小艇を去りて、隤然(たいぜん)として動かざる大艦に移るの一策有るのみ。危殆(きたい)なる小邦を棄(す)てて安穏(あんのん)なる大邦に赴(おもむ)くの一計有るのみ。且つや、清浅(せいせん)の流れは、以て大魚を捕う可からず。治平の時は、以て奇計を出(い)だす可からず。欧亜二洲一時に妖雲(よううん)を醸出(じょうしゅつ)するの候、是(こ)れ尤(もつと)も小邦たる者の、禍(わざわい)を変じて福と為(な)し、弱を転じて強と為すの好機会にして、実に千歳の一時なり。」(p.290)

《国際法が本当に頼ることができない時においては、小国であるものは、何によって自らを防衛・守備することができるのか。ただすぐに今にも沈没しようとする小さな艦艇を去って、気力がなくて動かない大きな艦艇に移るの一計策があるのだ。危険な小国を捨てて、安泰な大国に向かう、一計策があるのだ。そのうえ、清らかで浅い流れは、それで大魚を釣ることができない。治世が平穏な時は、それで奇異な計策を出すことができない。ヨーロッパ・アジアの2大陸で、一時あやしい雲が湧き出た天候、これは、最も小国であるものが、災禍を転変して幸福とし、弱を転変して強とする、絶好の機会で、本当に1000年に1度なのだ。》

 

○一挙両得の策

「豪傑の客曰(いわ)く、之(これ)を駆りて戦いに赴(おもむ)かしむ、是(これ)なり。彼(か)の恋旧元素は、其(そ)の朝堂に布列する者と、市井(しせい)に家居する者とに論無く、皆太平を厭(いと)い、無事に苦しみて、所謂(いわゆる)咄々(とつとつ)脾肉(ひにく)の生ずることを如何(いかん)とすることも無し。国家若(も)し令を発して戦端を開くときは、二三十万の衆、立ちどころに麾下(きか)に致すことを得(う)可(べ)し。僕の如(ごと)き者も、亦(また)社会の一癌腫なり。自ら割(さ)き去りて、久しく邦家生肉の害を為(な)さざることを冀(ねが)うのみ。癌腫の割断場は、亦彼の僕が名を忘れたる阿非利加(アフリカ)か亜細亜の一大邦に若(し)くは莫(な)し。故に僕は二三十万衆の癌腫家と倶(とも)に、彼の邦に赴き、事成れば地を略して一方に雄拠し、別に一種の癌腫社会を打開せん。事成らざれば、屍(しかばね)を原野に横たえ、名を異域に留(とど)めん。事成るも事成らざるも、国の為(ため)に癌腫を割き去るの効果は必ず得可きなり。所謂一挙両得の策なり。」(p.283-284)

《豪傑君がいう、「これ(恋旧元素)を駆り立てて、戦いに向かわせる、これなのだ。あの恋旧元素は、政府にいる者も、民間にいる者も、関係なく皆、平和を嫌い、無事を苦しんで、いわゆるウズウズしてゼイ肉がつくことをどうしようもない。国家が、もし、発令して開戦する時には、20~30万の民衆が、たちまち家来になるのを得ることができる。僕のような者も、また、社会の一ガン腫瘍なのだ。自分で切除して、長く国家の生肉の妨害にならないことを願うだけだ。ガン腫瘍の切除場所は、また、あの私が名を忘れたアフリカかアジアの一大国に及ぶものはない。よって、私は、20~30万の民衆のガン腫瘍の人達とともに、あの国に向かい、事が成就すれば、土地を攻略し、一地方に占拠し、別に一種のガン腫瘍社会を打開しよう。事が成就しなければ、死体を原野に横たえ、名を異国地域に残そう。事が成就しても、事が成就しなくても、国のためにガン腫瘍を切除する効果は、必ず得ることができるのだ。いわゆる一挙両得の策なのだ。》

 

○第1策:弱を転変して強とする事業

「是(こ)の故に僕が胸中蓄(たくわ)うる所の第一策は、尽(ことごと)く国内の丁壮(ていそう)を挙げ彼(か)の大邦に赴(おもむ)き、小を変じて大と為(な)し、弱を変じて強と為し、貧を変じて富と為し、然(しか)る後、巨額の金を出(いだ)して文明の効を買い取り、一蹴して泰西(たいせい)諸国と雄を競うことを求むること、是(これ)なり。」(p.284)

《それで、僕が胸の中に蓄積している第1策は、すべて国内の働き盛りの男子を挙用し、あの大国に向かい、小を転変して大とし、弱を転変して強とし、貧困を転変して富裕とし、そののちに、巨額の資金を支出して、文明の効果を買い取り、一気に西洋諸国と雄姿を競うことを求めること、これなのだ。》

 

○第2策:ガン腫瘍切除の計策

「若(も)し夫(そ)れ内治を脩明(しゅうめい)し、制度を釐正(りせい)し、風俗を移易(いえき)し、後代文明の地を為(な)すが為(ため)に、新図を妨害する恋旧元素を挙げて一時に之(これ)を割(さ)き去るが如(ごと)きは、第二策なり。」(p.284)

《もし、そもそも国内統治を明瞭にし、制度を改正し、風俗を改良し、後世に文明地域となるために、新しく描いた図を妨害する恋旧元素を挙用し、一時にこれを切除するようなものは、第2策なのだ。》

 

○一挙両得の策:アジアかアフリカで侵略の好機

「僕の二策を今日の亜細亜、亜非利加(アフリカ)に施す時は、正(まさ)に其(そ)の機に合せり。仮りに泰西(たいせい)諸国奇傑(きけつ)の士をして、今日の亜細亜に在らしめば、僕必ず其の断然として此(こ)の二策の一(いつ)に循(したが)うて、変弱為強の業を建つるか、若(も)くは割断癌腫の計を施して、遅疑(ちぎ)せざるを知るなり。」(p.285)

《僕の2策を今日のアジア・アフリカに施す時には、まさに、その時機に適合している。仮りに、西洋諸国の豪傑な策士を、今日のアジアに存在させれば、僕は、必ずそれがキッパリと、この2策の1方にしたがって、弱を転変して強とする事業を建設するか、ガン腫瘍切除の計策を施して、疑い迷わないことを知っているのだ。》

 

 南海先生は、以下のように、日本が、中国と友好・交流すべきだと主張しましたが、現実は、豪傑君のいうように、満州事変(1931/昭和6年)・満州国樹立(1932/昭和7年)・日中戦争(1937/昭和12年)と、戦中日本が、対中国を侵略することになりました。

 ただ、本書と現実で違うのは、恋旧元素の除去でなかったことで、むしろ、軍人勅諭(1882/明治15年)・教育勅語(1890/明治23年)・国定教科書等で、武勇の気・勝利による快楽の心等を教育された、若者の好新元素が、多くの犠牲となっています。

 ちなみに、南海先生のいうように、日本が中国市場に進出したのは、高度経済成長末期の、日中国交正常化(1972/昭和47年)以降です。

 

○中国の魅力:広大な国土・大勢の人民で一大販路・利益の源泉

「抑々(そもそも)豪傑君の所謂(いわゆる)阿非利加(アフリカ)か亜細亜の一大邦は、僕固(もとより何の邦を指すことを知ること能(あた)わず。但(ただ)、所謂大邦若(も)し果して亜細亜に在るときは、是(こ)れ宜(よろ)しく相共に結んで兄弟国と為(な)り、緩急(かんきゅう)相救うて、以て各々自ら援(すく)う可(べ)きなり。妄(みだり)に干戈(かんか)を動し、軽(かるがる)しく隣敵を挑(ちょう)し、無辜(むこ)の民をして命を弾丸に殞(おと)さしむるが如(ごと)きは、尤(もっと)も計に非(あら)ざるなり。若し夫(そ)れ支那国の如きは、其(そ)の風俗習尚(しゅうしょう)よりして言うも、其の文物品式よりして言うも、其の地勢よりして言うも、亜細亜の小邦たる者は当(まさ)に之(これ)と好(よしみ)を敦(あつ)くし、交わりを固くし、務めて怨みを相嫁(か)すること無きことを求む可きなり。国家益々土産(どさん)を増殖し、貨物を殷阜(いんぷ)にするに及んでは、支那国土の博大なる、人民の蕃庶(はんしょ)なる、実に我の一大販路にして、混々尽くること無き利源なり。是(ここ)に慮(おもんぱか)らずして一時国体を張るの念に徇(したが)い、瑣砕(ささい)の違言(いげん)を名として徒(いたずら)に争競を騰(のぼす)るが如きは、僕尤も其の非計を見るなり。」(p.304)

《そもそも豪傑君のいわゆるアフリカかアジアの一大国は、元々、どこの国を指すのか、僕は知ることができない。ただ、いわゆる大国が、もし本当にアジアにある時には、これは、ちょうどよく相互に結束して兄弟国となり、差し迫れば助け合い、それで各々が自衛すべきだなのだ。無闇に武力を出動し、軽率に隣国の敵を挑発し、罪のない民に弾丸で命をおとさせるようなものは、最もダメな計策なのだ。もし、そもそも中国のようなものには、その風俗・慣習からいっても、その文物・規定からいっても、その地勢からいっても、アジアの小国であるものは、当然これと友好を厚く、交流を固くし、努力して、怨みを相互になすりつけることがないように求めるべきなのだ。国家が、ますます土地の産物を増殖し、貨幣・物資を豊富にするのに及べば、中国は、国土が広大で、人民が大勢なので、実際に、我らの一大販路で、湧いて尽きることがない利益の源泉なのだ。ここを考慮せずに、一時、国家体制を誇張する思いにしたがって、細かい言葉の行き違いを名目に、無駄に競争を高めるようなものは、それが最もダメな計策だと、僕は見るのだ。》

 

(つづく)