中江兆民「三酔人経綸問答」考察3~紳士君 | ejiratsu-blog

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人は何を考え(思想)、何を為し(歴史)、何を作ってきたのか(建築)を、主に書いたブログです。

(つづき)

 

 

■紳士君:民主制・平和主義 ~ 戦後日本の現実と類似

 

 さらに、紳士君は、「理」(論理)に偏重で、豪傑君からは、「甚(はなは)だしき哉(かな)、理学の旨趣の人心を錮蔽(こへい)するや。」(p.257)《ひどいな、理学の趣旨が、人の心を閉じ込めたのは。》といわれており、「情」(感情、「気」・「心」)が偏重の豪傑君と、対照的な立場に設定されています。

 また、南海先生からは、紳士君と、豪傑君を、次のように、対比させていますが、2人の論は、それぞれ、未来(新)と、過去(旧)に、偏重しているので、いずれも現在に有益でないと、指摘されています。(p.291-292,300)。

 

・紳士君の論=純粋で正、濃厚な酒、思想的慶雲(将来の吉兆) ~ 新思想で前進に固執

・豪傑君の論=珍美で奇、劇薬、政事的幻戯(過去の奇観) ~ 旧観戯で後退に固執

 

 さて、兆民は、前述のように、紳士君には、政理的進化の神を持ち出して、進化・民主制・平和主義を説明しています。

 

 

●進化

 

◎進化の理

 

 まず、「理」は、進化と結び付けられ、進化は、大局的にみれば、以下の2文のように、前進あり・後退なしが、事物の常理で、不完全・不純から完全・純粋へ、醜・悪から美・善への、方向に移行し、単細胞生物から多細胞生物へ等は、動物的進化の理、遊動生活から定住生活へ等は、人事的進化の理です。

 

○事物の常理=前進あり・後退なし

「且(か)つ夫(そ)れ世界の大勢は、進むこと有りて退くこと無し。是(こ)れ事物の常理なり。」(p.223)

《そのうえ、そもそも世界の大勢は、前進することがあって、後退することがない。これは、事物の常理なのだ。》

 

○進化:不完全→完全、不純→純粋、醜→美、悪→善

「夫(そ)れ所謂(いわゆる)進化とは、不完の形よりして完全の形に赴(おもむ)き、不粋の態よりして精粋の態に移るを謂(い)う、是(これ)なり。汎(ひろ)く之(これ)を言えば、初め醜(しゅう)なりし者、終わりに美と成り、前に悪なりし者、後に佳(か)と成るの義なり。」(p.225)

《そもそも、いわゆる進化とは、不完全な形から、完全の形へと向かい、不純な状態から、純粋な状態に移ることをいう、これなのだ。全般的にこれをいえば、始めには、醜かったものが、終りには、美しくなり、前に、悪だったものが、後に、善となる、意義なのだ。》

 

 そして、人事的進化の理のうち、政事的進化の理は、次のようになります(p.225-238)。

 

※政事的進化の理

・無制度の世(紛擾/ふんじょう無紀の世)

・専制(君相専擅/せんせんの制) ~ 第1歩の境地(境界):特権階級のみ自由、不平等

・立憲制 ~ 第2歩の境地:民も自由、不平等

・民主制 ~ 第3歩の境地:皆が自由、平等

 

 このうち、立憲制と民主制は、以下のように、立憲制下で、民も自由を獲得し、民主制下で、皆が平等を獲得しています。

 

○政事的進化の理:立憲制=自由の義を獲得(中途半端な制度)、民主制=平等の義も獲得(制度の極則)

「然(しか)りと雖(いえど)も、夫(か)の政事的進化の理を推して之(これ)を考うる時は、自由の一義は、未だ以て制度の美を尽せりと為(な)す可(べ)からずして、必ず更に平等の義を獲(と)りて始めて大成することを得(う)る者なり。何となれば、人々皆尽(ことごと)く諸種の権利を具有して欠くる所無く、又其(そ)の権利の分量に於(おい)て、彼此(ひし)多寡(たしょう)の差別無きに非(あら)ざれば、権利の量の多き者は自由の量も亦(また)多く、権利の量の寡(すく)なき者は自由の量も亦寡なきを致すは、是(こ)れ避く可らざるの勢いなればなり。是の故に、平等にして且(か)つ自由なること、是れ制度の極則なり。是の故に立憲国に在りて、其の君主及び五等爵位の設(もう)け有るが為(ため)に、一国衆民の中に於て更に一種尊貴の物体有りて、大いに他の物体に区別するが如(ごと)きは、平等の大義に於て畢竟(ひっきょう)欠くる所有るを免れず。彼既に自由の旨義の必ず循(したが)わざる可からざるを知り、憲令を規定し、法律を設置し、民の諸権を擁護して、侵犯を蒙(こうむ)ること無らしむ。是れ其(そ)の自由の義に於て、得たりと為す所以(ゆえん)なり。然り而(しこう)して、国人の中に就(つ)きて其の若干数を択取し、所謂(いわゆる)爵位と称号する無形の繡文(しゅうぶん)を施して、他の物体の上に在らしめ、平等の義に害して、之を改むること能(あた)わず。夫(か)の政事的進化の理は、豈(あに)当(まさ)に此(こ)の境界に留まりて已(や)むべけん哉(や)。僕故に曰(いわ)く、立憲の制は、自ら其の過ちを知りて、僅(わずか)に其の半を改めたる者なり、と。」(p.235-236)

《そのようだといっても、あの政治的進化の理を推察する時には、自由の一義は、まだそれで制度の美に尽力したとすることができずに、必ず、さらに平等の義を獲得して、はじめて、大成することを得るものなのだ。なぜならば、人々は皆、すべて、様々な権利を具有して、欠如することなく、また、その権利の分量において、あれこれ・多少の差別なしでなければ、権利の量が多い者は、自由の量も、また多く、権利の量が少ない者は、自由の量も、また少なくなるのは、これが避けることができない勢いだからなのだ。それで、平等で、かつ、自由であること、これは、制度の極致の法則なのだ。それで、立憲国にあって、その君主・5等制(公・侯・伯・子・男)の爵位の設置があるために、一国の民衆の中において、さらに一種の尊貴の物体があって、大いに他の物体と区別するようなものは、平等の大義において、結局、欠点があるのを免除されない。あれは、すでに自由主義が必ずしたがわないわけにはいかないことを知り、憲法を規定し、法律を設置し、国民の様々な権利を擁護して、侵犯されることをなくさせた。これは、その自由の義において、得たとする理由なのだ。そのようにして、国民の中に身をおいて、その若干数を選び取り、いわゆる爵位と称号する無形の刺繍文様を施して、他の物体の上に存在させ、平等の義を妨害して、これを改変することができない。あの政事的進化の理は、どうして当然この境地に停留すべきなのか(いや、すべきでない)。僕が、よって、いう、「立憲制は、自分でその過失を知っていて、わずかに、その半分を改めたものなのだ」と。》

 

 政事的進化の理では、以下のように、道徳主義が拡大し、腕力主義が縮小するのが、自然の勢いで、このような進化の理を、紳士君は、進化神の仕業とみています。

 

○国際平和論:道徳主義の拡大・腕力主義の縮小が自然の勢い・進化神の行程

「且(か)つ万国講和の論は未だ実行す可(べ)からずと雖(いえど)も、諸国交際の間、道徳の旨義は漸(ようや)く其(そ)の区域を広めて、腕力の旨義は漸く其の封境(ほうきょう)を狭むること、是(こ)れ自然の勢いにして、紳士君の所謂(いわゆる)進化神の行路なり。」(p.301)

《そのうえ、国際平和論は、まだ実行することができないといっても、諸国の交際の間では、道徳主義は、しだいに区域を広めて、腕力主義は、しだいに区域を狭めること、これは、自然の勢いで、紳士君のいわゆる進化神の行程なのだ。》

 

◎進化神

 

 無制度の世→専制→立憲制→民主制の大局的な移り変わりを、紳士君は、政事的進化の理といい、南海先生は、政治社会行旅の次序(政治社会の行程の順序)とし、それを受け入れていますが、2人の違いは、紳士君が、進化の理の主体を神とし、宗教のように、信じていることです。

 それを南海先生は、「紳士君は極めて進化神を崇敬する者なり。」(p.295)《紳士君は、とても進化神を崇敬する者なのだ。》といい、紳士君も、以下のように、政治家を、政理的進化の神を尊崇する僧侶とみているので、「理」(論理)から信心の「情」(感情)への移行といえます。

 

○政治家=政理的進化の神を尊崇する僧侶、平等の理・自由の義に背反する制度・法律を事前に除去

「凡(およ)そ政事家を以て自ら任ずる者は、皆政理的進化の神を崇奉する僧侶と謂(い)うも可なり。果して然(しか)らば、独り意を現前に注ぐのみならず、亦(また)心を将来に留(とど)む可(べ)きなり。何ぞや。彼(か)の進化神は進むことを好みて、退くことを好まずして、其(そ)の進往するに方(あた)り、幸いに道路坦直にして清潔なる時は、大いに善し。即(すなわ)ち巌石凸立(とつりつ)して輪(りん)を礙(ささ)え、荊棘(けいきょく)茂生して蹄(ひづめ)を没すること有るも、夫(か)の進化神は略(ほぼ)阻喪(そそう)すること無く、更に益々奮激し、趾(あし)を挙げて一蹴し、踏過して顧みずして、頑迷なる人民が、相共に脳を裂き肝を破り、街衢(がいく)上血を湛(たた)えて、所謂(いわゆる)革命の活劇を演ずるに至るも、夫の神は当然の結果なりと看做(みな)して、少しも怯(おそ)るること無し。故に身を以て夫の神に奉事(ぶじ)する政事家の僧侶たる者は、当(まさ)に務めて予(あらかじ)め巌石を去り、荊棘を除き、夫の神をして威怒(いど)を奮(ふる)うことを要せざらしむ可し。此(こ)れ進化宗僧侶の本分の職なり。巌石とは何ぞや。平等の理に反する制度、是(これ)なり。荊棘とは何ぞや。自由の義に戻(もと)る法律、是なり。」(p.212-213)

《だいたい政治家を自任する者は皆、政理的進化の神を尊崇する僧侶ということも、できるのだ。本当に、そのようならば、ただ意思を現前に注ぐだけでなく、また、心を将来にも残すべきなのだ。なぜか。あの進化神は、前進することを好んで、後退することを好まないで、それが進行するのにあたって、幸いにも、道路が平坦・直線で清潔である時には、大変よい。つまり岩石が突出して車輪を邪魔し、イバラの木が繁茂してヒヅメをなくすことがあっても、あの進化神は、ほぼ、くじけることなく、さらに、ますます激しく奮起し、脚を蹴り上げて、踏み進んで振り返らず、頑固・迷妄な人民が、相互に脳・内蔵を破裂させ、市街地を流血で一杯にし、いわゆる革命の活劇を演じることに至っても、あの神は、当然の結果なのだと見放して、少しも恐れることはない。よって、身をもって、あの神に奉仕する政治家の僧侶である者は、当然、努力して、事前に岩石・イバラの木を除去し、あの神に激しい怒りを奮起させることを必要とさせないべきだ。これは、進化宗僧侶の本分の職務なのだ。岩石とは何か。平等の理に背反する制度、これなのだ。イバラの木とは何か。自由の義に背反する法律、これなのだ。》

 

◎後付された進化

 

 しかし、以下の2文のように、進化の理は、出来事を取捨選択し、特定の事跡を一直線上に後付したにすぎず、あらゆる出来事を、進化の一理(一過程)とすれば、揺れ戻し・逆行の出来事も、すべてが進化神の仕業になり、進化神は、多情・多愛・多嗜好・多欲だとみられます。

 

○進化の理=天下の事物が経過した足跡に命名

「且(か)つ所謂(いわゆる)進化の理とは、天下の事物が経過せし所の跡に就(つ)いて、名を命ずる所なり。」(p.293)

《そのうえ、いわゆる進化の理とは、天下の事物が経過した足跡について、命名したものなのだ。》

 

○進化神=天下で多情・多愛・多嗜好・多欲

「夫(か)の進化神は、天下の最も多情に、多愛に、多嗜(し)に、多欲なる者なり。」(p.293)

《あの進化神は、天下で最も多情・多愛・多嗜好・多欲なるものなのだ。》

 

 すると、以下のように、あらゆる出来事は、進化神が、好むことと、憎むことに、大別でき、進化神が好むことを、一直線に後付した特定の事跡とすれば、進化神が憎むことは、その時機に・その土地で行うべきでない事業を行うことになり、それも神の仕業ならば、結局、人間の仕業とみるのと同様です。

 よって、人間が、その時機に・その土地で、行うべき事業を行うことが得策で、行程の順序が適切なのかが大切になり、当時の民主制・平和主義への飛躍は、とても適切とはいえなかったのでしょう。

 

○進化神が憎むこと=その時機に・その土地で行うべきでない事業を行うこと

「是(ここ)に知る、凡(およ)そ古今既に行うことを得たる事業は、皆進化神の好む所なることを。然(しか)らば則(すなわ)ち進化神の悪(にく)む所は何ぞや。其(そ)の時と其の地とに於(おい)て必ず行うことを得(う)可(べ)からざる所を行わんと欲すること、即(すなわ)ち是(こ)れのみ。紳士君、君の言う所は、今の時に於て、斯(こ)の地に於て、必ず行うことを得可き所と為(な)さん乎(か)、将(は)た、必ず行うことを得可からざる所と為さん乎。」(p.294-295)

《ここで知る、だいたい昔も今も、すでに行い得た事業は、すべて、進化神が好むことであることを。そうであれば、つまり進化神が憎むことは何か。その時機と土地において、必ず行い得るべきでないことを行いたいとすること、つまり、これなのだ。紳士君、君のいうことは、今の時機において、この土地において、必ず行い得るべきこととするのか、それとも、必ず行い得るべきでないこととするのか。》

 

 

●民主制

 

◎財利・学術・政論・道徳

 

 フランス革命のスローガンで、近代民主主義の理念とする、自由・平等・友愛の三大理(p.210)のうち、自由と平等は、「自由の義の外(ほか)更に又平等の一義を併有して、以て民主の制」(p.237)《自由の義のほか、さらに、また、平等の一義を併有して、それで民主制》とまとめられています。

 つまり、国民は、立憲制下で、自由を、民主制下で、平等も、獲得したとされ、このうち、まず、民も自由が獲得できたのは、以下のように、富国のためでした。

 なお、本書で、自由・平等に、理・義が取り付くものは、自由の義が5、自由の大義が2、自由の一義が1、自由の旨義が2、自由の理が1、自由の大理が1で、平等の義が6、平等の大義が3、平等の一義が1、平等の理が1、平等の大理が1なので、理と義を使い分けているようにはみえません。

 

○自由獲得の根拠:充実した富を醸造

「而(しこう)して其(そ)の強盛の勢いを槖鑰(たくやく)し、殷実(いんじつ)の富を醞醸(うんじょう)したる所以(ゆえん)の者、其の原由(げんゆ)は固(もと)より多端なりと雖(いえど)も、要するに自由の大義実に此(こ)の大廈(たいか)の基礎を為(な)せり。」(p.220)

《そうして、その(イギリス・フランス・ドイツ・ロシアの)強く盛んな勢いを生み、充実した富を醸造した理由、その原因は、元々、多方面なのだといっても、要するに、自由の大義は、本当に、この大建築の基礎となった。》

 

 富国(財利)には、以下の2文のように、学術・政論の智識や、道徳の友愛が、必要とされ、それが民主化につながりました。

 

○民主制:自由の理・平等の義・友愛の情→学術の精・財利の富、無形の趣旨>有形の腕力

「若(も)し夫(そ)れ民主の国に至りては、自由の理、平等の義、友愛の情の三者を以て社会の根基と為(な)し、其(そ)の隣国に勝ることを求むるは、特に学術の精と財利の富との二点に存するのみ。之(これ)を要するに、立君国は有形の腕力に頼(よ)りて隣国に勝ることを求め、民主国は無形の旨趣に頼りて隣国に勝ることを求むる、是(こ)れなり。」(p.249-250)

《もし、そもそも民主国に至っては、自由の理・平等の義・友愛の情の3者を社会の根本とし、それが隣国にまさることを求めるのは、特に学術の精と財産・利益の富の2点にあるのだ。これを、要するに、君主国は、有形の腕力によって、隣国にまさるとことを求め、民主国は、無形の趣旨によって、隣国にまさることを求める、これなのだ。》

 

○国が盛んで富む=学術が開進(智識の開明・暢達→学術の精巧)+政論が興隆

「国の殷富(いんぷ)なるは、学術の精巧なるに原本し、学術の精巧なるは、国の殷富なるに原本して、是(こ)の二者交々(こもごも)因果を為(な)すは勿論(もちろん)なり。然(しか)れども、当初学術の精巧なるを得たるは、畢竟(ひっきょう)人士智見の開暢(かいちょう)したるが故なり。然るに智見一たび開暢する時は、人々独り学術の上に於(おい)て眼(まなこ)を開くのみならず、制度の上に於ても亦(また)眼を啓(ひら)くに至るは、必然の理なり。是の故に古来何(いず)れの国にても、学術の進闡(しんせん)したる世代は、必ず政論の隆興したる時候なり。学術や、政論や、一個智見の根幹より発生する枝葉花実なるが故なり。」(p.222-223)

《国が盛んで富むのは、学術が精巧なのを根本とし、学術が精巧なのは、国が盛んで富むのを根本として、この2者が、相互に原因と結果となるのは、もちろんなのだ。しかし、当初、学術が精巧なのを得たのは、結局、人々の智識が開明・暢達したからなのだ。ところで、智識が一度開明・暢達する時には、人々がただ学術上において、開眼するだけでなく、制度上においても、また、開眼するのに至るのは、必然の理なのだ。それで、古来、どの国でも、学術が開進した世代は、必ず政論が興隆した時期なのだ。学術も、政論も、1個の智識の根幹から発生する、枝・葉・花・実になるためなのだ。》

 

 つぎに、皆平等も獲得できたのは、以下のように、人は皆、同種の肉塊だという、科学的な事実が、平等の根拠といえます。

 

○平等獲得の根拠:万人=諸元素から組成した同一の肉塊

「吾が儕(せい)人民や、貴族や、皆若干元素より組成したる同一肉塊なり。」(p.216-217)

《我々人民も貴族も皆、いくつかの元素から組成した同一の肉塊なのだ。》

 

 そうなると、民主制は、学術・政論の智恵や、道徳の愛情で、以下の3文のように、人類がひとつだと極論化し、不戦の平和主義に結び付けています。

 

○民主制:智恵・愛情で人類円満

「世界人類の智慧と愛情とを一混して一大円相と為(な)す者は民主の制なり。」(p.293)

《世界人類の智恵と愛情を混合・合一して、一大円形・円満とするものは、民主制なのだ。》

 

○民主制度:不戦、平和を尊重、万国を合一(一家族的)

「且(か)つ民主の制度は、兵を戢(おさ)め和を敦(あつ)くして、地球上万国を合して一家族と為(な)らしむるに於(おい)て、欠く可(べ)からざるの一事なり。」(p.247)

《そのうえ、民主制度は、兵器をおさめ(戢兵/しゅうへい)、平和を尊重して、地球上の万国を合一して、一家族とさせるのにおいて、必要不可欠な一事なのだ。》

 

○民主制度:不戦、平和を尊重、万国を合一(一大連邦を組成)

「是(こ)の故に、近時欧洲諸国の学士中、兵を寝(や)め和を敦(あつ)くするの説を唱うる者は、皆民主の制度を主張し、然(しか)る後宇内(うだい)万国を合して一大聯邦を組成せんと欲す。其(そ)の言誇大なるに似たると雖(いえど)も、夫(か)の政事的進化の理を推して考察する時は、未だ必ずしも然らざるを見る。」(p.251)

《それで、近年、ヨーロッパ諸国の学者の中で、兵器をおさめ(寝兵/しんぺい)、平和を尊重する説を提唱する者は皆、民主制度を主張し、そののち、世界の万国が合一して、一大連邦を組成したいとしている。その言葉は、誇大であるようだといっても、あの政事的進化の理を推察するならば、まだ必ずしもそうならないことを見る。》

 

 このように、民主制は、財利から政論へと進化し、そこでは、学術(学問)と道徳が大切とされていますが、紳士君が、人は、道徳の園で恋慕し、学問の圃(はたけ)で利便すると、いったことを受けて(p.242-243)、南海先生が、思想は、種子で、脳内(脳髄)は、田地だと返しました(p.298)。

 そうして、学術や道徳の民主思想の種子を、脳内の田地(園・圃)に蒔(う、植)え付けても、まだ帝王・貴族の根が蔓延しているので、1粒が萌芽しても、すぐに豊穣の収穫にならず、数百年後に茂生しているかもしれないので(p.298)、南海先生は、専制と民主制の中間の、立憲制を主張しています。

 

(つづく)