(つづき)
(9)
・鬼神者、天神人鬼也。天神地示人鬼、見周礼。古言也。不言地示者、合天神言之。凡経伝所言皆然。後世所以鬼属陰神属陽者、以易有之也。是不知易者也。古人有疑、問諸天与祖考、蓍亀皆伝鬼神之命。是易所以言鬼神也。後儒乃謂稟命蓍亀。蓍亀雖霊、亦白鯗大王耳。聖人而豈若是其陋乎。是義不明、遂以易鬼神為陰陽之霊、造化之迹。外人鬼而為言、謬之甚者也。
[鬼神なる者は、天神・人鬼なり。天神・地示(ちぎ)・人鬼は、周礼(しゅらい)に見ゆ。古言なり。地示をいわざる者は、天神に合わせて、これをいう。凡(およ)そ経伝にいう所は皆、しかり。後世、鬼を陰に属し神を陽に属する所以(ゆえん)の者は、易にこれあるをもってなり。これ易を知らざる者なり。古人、疑いあれば、これを天と祖・考とに問い、蓍亀(しき)は皆、鬼神の命を伝う。これ易の鬼神をいう所以なり。後儒は、乃(すなわ)ち命を蓍亀に稟(う)くという。蓍亀は霊なりといえども、また白鯗(はくしょう)大王のみ。聖人にして、あに、かくのごとく、それ陋(ろう)ならんや。この義、明らかならず、遂に易の鬼神をもって陰陽の霊、造化の迹(あと)と為(な)す。人鬼を外にして言を為すは、謬(あやま)りの甚(はなは)だしき者なり。]
《鬼神(神霊)なるものは、天の神・人の鬼(霊)なのだ。天の神(天神)・地の神(地祇)・人の鬼(霊)は、『周礼』に見える。古い言葉なのだ。地の神をいわないのは、天の神と合一して、これをいう。だいたい経書・伝注でいうことは、すべて、そのようだ。後世に、鬼を陰に属し、神を陽に属する理由は、『易経』に、これ(鬼神)があることによってなのだ。(しかし、)これは、『易経』を知らないものなのだ。昔の人は、疑いがあれば、これを天(の神)と祖先・亡父(の霊)に問い、占いは、すべて、鬼神(神・霊)の命を伝える。これは、『易経』が鬼神をいう理由なのだ。後世の儒学者は、つまり命を占いで受けるという。占いは、霊妙だといっても、また、白い干物の大王なのだ。聖人で、どうして、そのように、それ(鬼神)がいやしいのか(いや、いやしくない)。この(鬼神の)意義は、不明で、結局、『易経』の鬼神を、陰陽の霊や創造・化育の痕跡とする。人の鬼を除外した言葉とするのは、誤りがひどいものなのだ。》
(10)
・仁斎先生曰、凡天地山川宗廟五祀之神、及一切有神霊能為禍福者、皆謂之鬼神也。得之。祇沿宋儒之謬、而不能正鬼神之名、非也。又曰、今之学者以風雨霜露日月昼夜為鬼神者誤矣。亦得之。然是皆神之所為也。故伝曰、神気風霆。説卦曰、神也者妙万物而為言者也。下文遂言雷風火沢水艮。可以見已。
[仁斎先生いわく、「凡(およ)そ天地・山川・宗廟(そうびょう)・五祀の神、及び一切の神霊ありて、よく禍福を為(な)す者は皆、これを鬼神というなり」と。これを得たり。祇(ただ)宋儒の謬(あやま)りに沿(よ)りて、鬼神の名を正すこと能(あた)わざるは、非なり。またいわく、「今の学者、風雨・霜露・日月・昼夜をもって鬼神と為す者は誤れり」と。またこれを得たり。しかれども、これ皆、神の為す所なり。ゆえに伝にいわく、「神気は風霆(ふうてい)なり」と。説卦にいわく、「神なる者は万物に妙して言を為す者なり」と。下文に遂に雷・風・火・沢・水・艮(ごん)をいう。もって見るべきのみ。]
《伊藤仁斎先生がいう、「だいたい天地・山川・宗廟(祖先の祭祀施設)・5祀の神や、すべての神霊があって、充分に幸福・災禍をするものは、すべて、これを鬼神というのだ」(『語孟字義』鬼神1条)と。これを納得する。ただ宋代の儒学者の誤りによって、鬼神の名を正すことができないのは、非(誤り)なのだ。また、いう、「今の学者が、風雨・霜露・日月・昼夜を鬼神とするものは、誤りだ」(『語孟字義』鬼神1条)と。また、これも納得する。しかし、これは、すべて、神のすることなのだ。よって、伝によると、「神の気は、風・稲妻なのだ」(『礼記(らいき)』)。(『易経』の)説卦伝によると、「神なるものは、万物に霊妙で、言葉にするものなのだ」。下の文で、結局、雷・風・火・沢・水・山をいっている。それで見ることができるのだ。》
(11)
・鬼神之説、所以紛然弗已者、有鬼無鬼之弁已。夫鬼神者聖人所立焉。豈容疑乎。故謂無鬼者、不信聖人者也。其所以不信之故、則以不可見也。以不可見而疑之、豈翅鬼乎。天与命皆然。故学者以信聖人為本。苟不信聖人、而用其私智、則無所不至已。
[鬼神の説、紛然(ふんぜん)として已(や)まざる所以(ゆえん)の者は、有鬼・無鬼の弁のみ。夫(そ)れ鬼神なる者は、聖人の立つる所なり。あに疑いを容(い)れんや。ゆえに鬼なしという者は、聖人を信ぜざる者なり。そのこれを信ぜざる所以のゆえは、すなわち見るべからざるをもってなり。見るべからざるをもってして、これを疑わば、あに、翅(ただ)に鬼のみならんや。天と命と皆、しかり。ゆえに学者は聖人を信ずるをもって本と為(な)す。いやしくも聖人を信ぜずして、その私智を用いば、すなわち至らざる所なきのみ。]
《鬼神の説が、入り乱れて、止まない理由は、〈鬼がいる〉か〈鬼がいない〉かの弁別だからなのだ。そもそも鬼神なるものは、聖人が確立したことなのだ。どうして(〈鬼がいる〉のを)疑うことを、聞き入れるのか(いや、聞き入れない)。よって、〈鬼がいない〉というものは、聖人を信じないものなのだ。それ(人)がこれ(〈鬼がいる〉)を信じない理由は、つまり見ることができないのによってなのだ。見ることができないのによってで、これ(〈鬼がいる〉の)を疑えば、どうして、(見えないのは、)ただ鬼だけなのか(いや、鬼だけでない)。天(の神)と命は、すべて、そのよう(見えないの)だ。よって、学者は、聖人を信じることによって、根本とする。もしも、聖人を信じないで、その私的な智恵を用いれば、つまり至らないことがないのだ(何でもできてしまう)。》
(12)
・凡言鬼神者、莫善於易焉。其言曰、仰以観於天文、俯以察於地理。是故知幽明之故。原始反終。故知死生之説。精気為物、游魂為変。是故知鬼神之情状。是三者皆賛易之言也。人皆知其言鬼神、而不知賛易、乃舎易為之解。故失其義已。
[凡(およ)そ鬼神という者は、易より善きはなし。その言にいわく、「仰(あお)いで、もって天文を観、俯して、もって地理を察す。このゆえに幽明の故(こ)を知る。始めを原(たず)ね終りに反(かえ)す。ゆえに死生の説を知る。精気、物と為(な)り、游魂(ゆうこん)、変を為す。このゆえに鬼神の情状を知る」と。この三者は皆、易を賛するの言なり。人、皆その鬼神をいうことを知りて、易を賛することを知らず、乃(すなわ)ち易を舎(す)てて、これが解を為す。ゆえにその義を失するのみ。]
《だいたい鬼神というものは、『易経』よりも、よいことがない。その(『易経』の)言葉によると、「仰視して、それで天文を観察し、俯瞰して、それで地理を観察する。こういうわけで、「幽明(顕明界と幽冥界)の故(説)」を知る。始めを探求し(原始)、終りに回帰する。よって、死生の説を知る。精気が物となり、霊魂が変化をする。こういうわけで、鬼神の実情を知る」。この3者は、すべて、易を称賛する言葉なのだ。人は皆、それ(3者)が鬼神をいうことを知って、易を称賛することを知らず、つまり易を捨て去って、これ(理)が解釈となる。よって、その(鬼神の)意義を過失するのだ。》
・蓋易者、伏羲仰観俯察以作之。前無所因、直取諸天地。是在礼楽未作之先也。幽明之故者、謂鬼神与人之礼也。不曰礼而曰故、猶故実之故。謂上世相伝者也。堯舜未制礼之前、蓋已有其故。堯舜亦因之制作耳。学者苟明易、則知所以制作之意、取諸天地。故曰知幽明之故。宋儒乃謂知人与鬼神所以然之理者、非也。原始反終者、亦易道為然。始則終、終則始、循環無端。易者所以知来者。故原其始以反之於其終。故知来。学者苟能原人之始、以反之於其終、則知幽明之礼之説也。死生幽明、互其文耳。説猶云禘之説。故亦謂礼之説也。
[けだし易なる者は、伏羲(ふくぎ)、仰(あお)いで観、俯して察して、もってこれを作る。前に因(よ)る所なく、直(ただ)ちに、これを天地に取る。これ礼楽、未だ作(おこ)らざるの先に在(あ)るなり。「幽明の故(こ)」なる者は、鬼神と人との礼をいうなり。礼と曰(い)わずして故(こ)と曰うは、なお故実の故のごとし。上世、相伝うる者をいうなり。堯(ぎょう)・舜(しゅん)、未だ礼を制さざるの前に、けだし、すでにその故あり。堯・舜もまたこれに因りて制作するのみ。学者いやしくも易に明らかならば、すなわち制作する所以(ゆえん)の意は、これを天地に取りしことを知らん。ゆえに「幽明の故を知る」と曰う。宋儒、乃(すなわ)ち人と鬼神とのしかる所以の理を知るという者は、非なり。「始めを原(たず)ね終りに反(かえ)す」という者も、また易道しかりと為す。始(はじま)れば、すなわち終り、終れば、すなわち始り、循環して端なし。易なる者は来を知る所以なり。ゆえにその始めを原ねて、もってこれをその終りに反す。ゆえに来を知る。学者いやしくも、よく人の始めを原ねて、もってこれをその終りに反せば、すなわち幽明の礼の説を知るなり。死生・幽明は、その文を互いにするのみ。「説」は、なお「禘(てい)の説」というがごとし。「故」もまた礼の説をいうなり。]
《思うに、易なるものは、伏羲(古代中国の伝説上の帝王)が、仰視して(天を)観察し、俯瞰して(地を)観察して、それでこれ(易)を作った。以前によることはなく、直接、これ(易)を天地に取り扱った。これは、礼楽が、まだ作為していない先に存在したのだ。「幽明(顕明界と幽冥界)の故(説)」なるものは、鬼神と人の礼をいうのだ。礼といわないで、「故」というのは、ちょうど故実(先例の形)の故(昔)のようなものだ。大昔が相伝したものをいうのだ。堯・舜(古代中国の伝説上の帝王)が、まだ礼を制さない前に、思うに、すでにその(幽明の)故があった。堯・舜も、また、これ(「幽明の故」)によって、(礼楽を)制作したのだ。学者が、もしも、易に明るければ、つまり制作する理由の意味は、これ(鬼神)を天地に取り扱うことを知っていただろう。よって、「幽明の故を知る」という。宋代の儒学者が、つまり人と鬼神の、そのような理由の理を知るというものは、非(誤り)なのだ。「始めを探求して、終りに回帰する」というものも、また、易の道は、そのようだとする。始まれば、つまり終り、終れば、つまり始まり、循環して端緒がない。易なるものは、由来を知る理由なのだ。よって、その始めを探求して、それでこれをその終りに回帰する。よって、由来を知る。学者が、もしも、充分に人の始めを探求して、それでこれをその(人の)終りに回帰すれば、つまり幽明の礼の説を知るのだ。死生・幽明は、その字を相互にしたのだ。「説」は、ちょうど「(天子の)禘の祭の説」(『論語』3-51)というようなものだ。「故」も、また、礼の説をいうのだ。》
・夫人受天地之中以生。詩曰、天生烝民、是也。故聖人作事鬼之礼、亦原始以反之於終而帰諸天。故詩曰、文王陟降、在帝左右。人死復、則升于屋。祭有降神。凡伝謂某神降於某者、皆在天之辞也。聖人功徳如天。故配之天。群下則不配已。孔子曰、敬鬼神而遠之。祭雖妻拝之。凡事死如事生、語其心。而礼則殊者、皆以其帰諸天也。惟天也不可知矣。惟鬼神也不可知矣。詩曰、神之格思、不可度思。矧可射思。伝曰、於彼乎、於此乎。礼或求諸陽、或求諸陰。皆謂其不可知也。敬之至矣。天邪鬼邪、一邪二邪、是未可知也。故聖人制礼、雖曰帰諸天、亦未敢一之。敬之至矣。教之術也。
[夫(そ)れ人は天地の中(ちゅう)を受けて、もって生(うま)る。詩にいわく、「天、烝民(じょうみん)を生ず」と、これなり。ゆえに聖人、鬼に事(つか)うるの礼を作るにも、また始めを原(たず)ねて、もってこれを終りに反(かえ)して、これを天に帰す。ゆえに詩にいわく、「文王、陟降(ちょっこう)して、帝の左右に在(あ)り」と。人、死して復するときは、すなわち屋に升(のぼ)る。祭に降神あり。凡(およ)そ伝に「某神、某に降(くだ)る」という者は皆、天に在るの辞なり。聖人は、功徳、天のごとし。ゆえにこれを天に配す。群下は、すなわち配せざるのみ。孔子いわく、「鬼神を敬して、これを遠ざく」と。祭るには妻といえども、これを拝す。凡そ「死に事うること、生に事うるがごとくす」とは、その心を語る。しこうして礼は、すなわち殊(こと)なる者は皆、そのこれを天に帰するをもってなり。ただ天や知るべからず。ただ鬼神や知るべからず。詩にいわく、「神の格(いた)るは、度(はか)るべからず。矧(いわん)や射(いと)うべけんや」と。伝にいわく、「彼(かしこ)においてするか、此(ここ)においてするか」と。礼、或いは「これを陽に求め」、或いは「これを陰に求む」。皆その知るべからざるをいうなり。敬の至りなり。天か鬼か、一か二か、これ未だ知るべからざるなり。ゆえに聖人、礼を制するに、これを天に帰すと曰うといえども、また未だ敢(あ)えて、これを一つにせず。敬の至りなり。教えの術なり。]
《そもそも人は、天と地の中(中間)を受けて、それで生まれる。『詩経』によると、「天は、万民を生み出す」とは、これなのだ。よって、聖人は、鬼(霊)に仕える礼を作るにも、また、始めを探求して、それでこれを終りに回帰して、これ(鬼)を天に帰着する。よって、『詩経』によると、「文王(殷代末期の周王)は、天に昇り降りして、帝の左右に存在する」。人が死んで、生気を回復させようと、名前を呼ぶのには、つまり屋根に登る。祭祀には、降臨神がいる。だいたい伝の「何々神が、何々に降臨する」というものは、すべて、天にある言葉なのだ。聖人は、功徳(善行)が天のようなものだ。よって、これ(聖人)を天に配する。大群の下の者は、つまり配されないのだ。孔子がいう、「鬼神(神霊)を敬しつつも、これ(鬼神)を遠ざける(敬遠)」(『論語』6-139)と。祭祀には、妻(の喪)といっても、これ(鬼神)を拝礼する。だいたい「死に仕えることは、生に仕えるようにする」(『中庸』6-14)とは、その(下の者の)心を語っている。そうして、礼は、つまり異なるものが、すべて、その(聖人の)これ(礼)を天に帰着することによってなのだ。ただ天は、知ることができない。ただ鬼神は、知ることができない。『詩経』によると、「神の究極は、推し測ることができない。ましてや、射あてることができるのは、なおさらだ」。伝によると、「〈あちら〉でするか、〈こちら〉でするか」(『礼記(らいき)』)。礼は、「これを陽に探し求め」たりし、「これを陰に探し求め」たりする。すべて、それ(下の者)が知ることができないのをいうのだ。敬の至極なのだ。天(神)か鬼(霊)か、魄(はく、陰の霊気、死後に地へ)か魂(こん、陽の霊気、死後に天へ)か、これは、まだ知ることができないのだ。よって、聖人は、礼を制するのに、これ(鬼)を天に帰着するというといっても、また、まだあえて、これ(天と鬼を)をひとつにしない。敬の至極なのだ。教えの術なのだ。》
・自仏氏以諸天餓鬼及地獄天堂之説溷之、而後人始軽視天与鬼神也。鬼神有無之説、所以興焉。宋儒見聖人尊天之至也、乃陰以法身如来擬之、而謂天理也、而其軽視鬼神自若焉。仁斎先生、則固執遠之之言、而欲一切棄絶鬼神。皆不知以先王之礼之意求諸易故也。精気為物、游魂為変者、即所謂幽明之故、死生之説也。鬼神之情状、祭則聚、聚則可見、不祭則散、散則不可見、不可見則幾乎亡矣。精気為物、謂聚若有物也。游魂為変、謂魂気游行為厲也。立之壇墠、立之宗廟、祭祀以奉之、儼然如在。是謂為物。然其祭之也、曰迎之、曰送之、曰於彼乎、於此乎。是豈必其在于此哉。亦聖人立其物耳。是雖言鬼神、然易亦有之。大伝又曰、乾陽物也。坤陰物也。六十二卦、孰非陰陽。聖人特立之物曰乾坤。天地位而造化行、乾坤立而易道行。乾坤毀、則無以見易。鬼神之道亦然。故伝曰、明命鬼神、以為黔首則。聖人之立其物也、是教之術也。故知易則知鬼神之情状也。聖人能知鬼神之情状。故立幽明生死之礼。是又仰以観天文以下、其義所以相因者爾。京房易有帰魂游魂之卦。是游魂為変、亦易有其義、而古来相伝也。後儒不就先王之礼与易以求知鬼神之情状、而直求諸鬼神。豈能知之哉。多見其不知量也已。
[仏氏、諸天・餓鬼(がき)、及び地獄・天堂の説をもって、これを溷(みだ)してより、しかる後、人、始めて天と鬼神とを軽視するなり。鬼神有無の説の興(おこ)る所以(ゆえん)なり。宋儒は聖人の天を尊ぶの至れるを見るや、すなわち陰(ひそか)に法身(ほっしん)如来をもって、これに擬して、「天は理なり」といいて、その鬼神を軽視すること自若たり。仁斎先生は、すなわち「これを遠ざく」の言を固執して、一切、鬼神を棄絶せんと欲す。皆、先王の礼の意をもって、これを易に求むることを知らざるがゆえなり。「精気、物と為(な)り、游魂(ゆうこん)、変を為す」という者は、すなわち、いわゆる「幽明の故」、「死生の説」なり。鬼神の情状は、祭れば、すなわち聚(あつま)り、聚れば、すなわち見るべく、祭らざれば、すなわち散じ、散ずれば、すなわち見るべからず、見るべかざれば、すなわち、なきに幾(ちか)し。「精気、物と為る」とは、聚りて物あるがごときをいうなり。「游魂、変を為す」とは、魂気、游行して厲(れい)を為すをいうなり。これが壇墠(だんせん)を立て、これが宗廟(そうびょう)を立て、祭祀して、もってこれを奉ずれば、儼然(げんぜん)として在(あ)るがごとし。これ「物となる」という。しかれども、そのこれを祭るや、「これを迎う」と曰(い)い、「これを送る」と曰い、「彼(かしこ)においてするか、此(ここ)においてするか」と曰う。これ、あに必ずしも、そのここに在るならんや。また聖人その物を立つるのみ。これ鬼神をいうといえども、しかれども易にもまた、これあり。大伝にまたいわく、「乾(けん)は陽物なり。坤(こん)は陰物なり」と。六十二卦(け)、孰(いず)れか陰陽にあらざる。聖人、特にこれが物を立てて乾坤と曰う。天地、位して造化、行われ、乾坤、立ちて易道、行わる。乾坤、毀(やぶ)るるときは、すなわち、もって易を見ることなし。鬼神の道もまた、しかり。ゆえに伝にいわく、「明(たっと)びて鬼神と命(なづ)けて、もって黔首(けんしゅ)の則(のり)と為す」と。聖人のその物を立つるや、これ教えの術なり。ゆえに易を知れば、すなわち鬼神の情状を知るなり。聖人は、よく鬼神の情状を知る。ゆえに幽明・生死の礼を立つ。これまた「仰いで、もって天文を観る」以下、その義の相因(よ)る所以の者、しかり。京房(けいぼう)の易に帰魂・游魂の卦あり。これ「游魂、変を為す」も、また易にその義ありて、古来相伝うるなり。後儒、先王の礼と易とに就きて、もって鬼神の情状を知ることを求めずして、直ちに、これを鬼神に求む。あに、よくこれを知らんや。多(まさ)にその量を知らざるを見(あらわ)すのみ。]
《仏教は、様々な天・餓鬼界・地獄界・極楽浄土の説によって、これ(鬼神)を混乱してから、はじめて、人は、天と鬼神を軽視したのだ。鬼神の有無(〈鬼がいる〉か〈鬼がいない〉か)の説がおこった理由なのだ。宋代の儒学者は、聖人が天を尊重した至極を見ると、つまり陰で、法身(教えそのものの身体)の如来によって、これ(鬼神)を擬人化して、「天は、理なのだ」といって、その鬼神を軽視することに落ち着いた。伊藤仁斎先生は、つまり「これ(鬼神)を遠ざける」の言葉に固執して、すべて、鬼神を廃絶しようとした。すべて、先王の礼の意味によって、これ(鬼神)を『易経』に探し求めることを知らなかったからなのだ。「精気が物となり、霊魂が変化をする」というものは、つまり、いわゆる「幽明(顕明界と幽冥界)の故(説)」・「死生の説」なのだ。鬼神の実情は、祭祀すれば、つまり集まり、集まれば、つまり見ることができ、祭祀しなければ、つまり散り、散れば、つまり見ることができず、見ることができなければ、つまりないことに近い。「精気が物となる」とは、集まって、物があるようなものをいうのだ。「霊魂が変化をする」とは、魂・気が動き回り、祟(たた)りとなることをいうのだ。これが祭壇・祭庭を成立し、これが宗廟(祖先の祭祀施設)を建立し、祭祀して、それでこれ(鬼神)を信奉すれば、威厳があって、存在しているようなものだ。これが、「物となる」という。しかし、それ(先王)がこれ(鬼神)を祭祀するのは、「これ(鬼神)を迎える」(『礼記(らいき)』)といい、「これ(鬼神)を送る(送迎)」(『礼記』)といい、「〈あちら〉でするか、〈こちら〉でするか」(『礼記』)という。これは、どうして必ず、それ(鬼神)がここに存在するのか(いや、存在はしない)。また、聖人は、その(鬼神の)物を確立するのだ。これは、鬼神というといっても、しかし、『易経』にも、また、これ(鬼神)がある。また、(『易経』の)繋辞伝によると、「乾は、陽の物なのだ。坤は、陰の物なのだ」。62卦(占形/うらかた、62卦=64卦-乾・坤の2卦、64卦=8卦×8卦)は、どれが陰陽でないのか(いや、どれも陰陽だ)。聖人は、特に、これ(陰陽)が物を確立して、乾坤という。天地が位置して、創造・化育が行われ、乾坤が確立して、易道が行われる。乾坤が破棄(破毀)するならば、つまりそれで易を見ることがない。鬼神の道も、また、そのようだ。よって、伝によると、「神聖化して、鬼神と命名して、それで黒い頭の庶民の規則とする」(『礼記』)。聖人が、その(鬼神の)物を確立するのは、これが教えの術なのだ。よって、『易経』を知れば、つまり鬼神の実情を知るのだ。聖人は、充分に鬼神の実情を知っている。よって、幽明・生死の礼を確立する。これは、また、「仰視して、それで天文を観察する」(『易経』)以下(「俯瞰して、それで地理を観察する」)、その(鬼神の)意義の相互による理由は、そのようだ。京房(前漢代の学者)の易には、帰魂(帰着する魂)・游魂(遊行する魂)の卦がある。これは、「霊魂が変化をする」も、また、易にその(鬼神の)意義があって、古来相伝なのだ。後世の儒学者は、先王の礼と易について、それで鬼神の実情を知ることを探し求めないで、直接、これを鬼神に探し求める。どうして充分にこれを知るのか(いや、知らない)。まさに、その(聖人の)度量を知らないのを現わすのだ。》
(つづく)