荻生徂徠「弁名」下・読解5~天・命・帝・鬼・神(13)-(17) | ejiratsu-blog

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(つづき)

 

 

(13)

・鬼神之徳、中庸以誠言之、左伝以聡明正直言之。其言雖殊、其義一矣。皆謂其無思慮勉強之心也。天地無思慮勉強之心。故必待聖人参賛而後天地位万物育。鬼神無思慮勉強之心。故必待聖人為之礼立之極、而後游魂不為変。

 

[鬼神の徳は、中庸は誠をもって、これをいい、左伝は、聡明正直をもって、これをいう。その言は殊(こと)なりといえども、その義は一なり。皆、その思慮勉強の心なきをいうなり。天地は思慮勉強の心なし。ゆえに必ず聖人の参賛を待ちて、しかる後、天地、位(くらい)し万物、育(いく)す。鬼神は思慮勉強の心なし。ゆえに必ず聖人これが礼を為(な)し、これが極を立つるを待ちて、しかる後、游魂は変を為さず。]

 

《鬼神(神霊)の徳は、『中庸』が、誠によって、これをいい、『春秋左氏伝』が、聡明・正直によって、これをいう。その言葉は、異なるといっても、その意義は、ひとつだ。両方とも、その思慮・努力の心がないことをいうのだ。天地は、思慮・努力の心がない。よって、必ず聖人の賛助を待って、はじめて、天地が位置し、万物が化育する。鬼神は、思慮・努力の心がない。よって、必ず聖人、これが礼をして、これが至極を確立するのを待って、はじめて、動き回る魂は、不変となる。》

 

 

(14)

・易又曰、聖人以此洗心、退蔵於密、吉凶与民同患。是言卜筮者也。君陳曰、爾有嘉謀嘉猷、則入告爾后于内、爾乃順之于外曰、斯謀斯猷、惟我后之徳。嗚呼、臣人咸若時、惟良顕哉。夫聖人、豈無嘉謀嘉猷。然洗其心退蔵於密、乃順之于外曰、是鬼神之命也。洗其心者、悉致諸鬼神、而不敢留以為己謀猷也。密者、謂不洩于外也。是其意吉凶与民同患故也。其仁至矣哉。鬼神合謀、吉無不利。其知至矣哉。

 

[易にまたいわく、「聖人、これをもって心を洗い、密に胎蔵し、吉凶、民と患(うれい)を同じゅうす」と。これ卜筮(ぼくぜい)をいう者なり。君陳にいわく、「爾(なんじ)に嘉謀嘉猷(ゆう)あらば、乃(すなわ)ち入りて爾の后(きみ)に内に告げ、爾、すなわち、これに外に順(したが)いて、いわく、「この謀この猷は、これ我が后の徳」と。ああ、臣人(しんじん)、咸(みな)かくのごとくんば、これ良顕なるかな」と。夫(そ)れ聖人は、あに嘉謀嘉猷なからんや。しかれども、その心を洗い、密に退蔵し、乃ち、これに外に順いていわく、これ鬼神の命なりと。「その心を洗う」とは、ことごとく、これを鬼神に致して、敢(あ)えて、留めて、もって己(おのれ)が謀猷となさざるなり。「密」とは、外に洩(も)らさざるをいうなり。これその意、吉凶、民と患を同じゅうするがゆえなり。その仁は至れるかな。鬼神、謀を合すれば、吉、利ならざることなし。その知は至れるかな。]

 

《また、『易経』によると、「聖人は、これによって、心を洗い、秘密に守り育て、吉・凶が民と心配を同じにする」。これは、占いをいうものなのだ。(『書経』の)君陳篇によると、「あなたに、よい計画があれば、つまり、受け入れて、あなたの君主に、対内的には、報告し、あなたは、つまり、これ(よい計画)に、対外的には、したがって、いう、『このよい計画は、これが私の君主の徳だ』と。ああ、臣下は皆、このようであれば、これが、よい現われだな」。そもそも聖人は、どうしてよい計画でないのか(いや、よい計画だ)。しかし、その心を洗い、秘密に守り育て、つまり、これ(よい計画)に、対外的には、したがって、いう、「これは、鬼神の命なのだ」と。「その心を洗う」とは、すべて、これを鬼神に致して、あえて保留して、それで自己の計画としないのだ。「密」とは、外にもらさないことをいうのだ。これは、その意味が、吉・凶が民と心配を同じにするからなのだ。その(聖人の)仁は、至極だな。鬼神が計画を合一すれば、吉が不利益になることはない。その(聖人の)知は、至極だな。》

 

 

(15)

・仁斎先生曰、三代聖王之治天下也、好民之所好、信民之所信、以天下之心為心、而未嘗以聡明先于天下。故民崇鬼神則崇之、民信卜筮則信之。故其卒也又不能無弊焉。及至于孔子、則専以教法為主、而明其道、暁其義、使民不惑於所従焉。孟子所謂賢於堯舜遠矣。正謂此耳。是其臆度之見、盭道之甚者也。何則、鬼神者先王立焉。先王之道、本諸天、奉天道以行之、祀其祖考、合諸天。道之所由出也。故曰、合鬼与神、教之至也。故詩書礼楽、莫有不本諸鬼神者焉。仁斎之意、蓋謂三代聖王、其心亦不尚鬼神、唯以民所好、而姑且従之。妄哉。是不知道者之言也。是或見孔子猟較之類、妄作是言耳。夫雖聖王、其即位之初或然。及其化之成也、如陶鋳以出之、果其言之是乎。則聖王之於民、亦不能若之何已。聖人之道、豈若是孱哉。且三代之道、所以謂之有弊者、乃謂其所損益已。夫聖王之尊鬼神、三代皆然。若謂之有弊、則其所因者為有弊也。果使所因者有弊、則安在其為聖人哉。観於王安石三不畏、則其所謂明其道暁其義者、豈無弊哉。且其所謂孔子以教法為主者、以口諄諄言之為教已。陋哉。是講師之事也。豈孔子而若是哉。且其言曰、明其道、暁其義、使民不惑於所従焉。其言則是、而其意則非矣。若使明先王之道、暁先王之義、一意従先王之教、而無他岐之惑、則可也。然先王之教、礼焉耳。今不遵先王之礼、而欲以言語明其理、則君子尚不能。況民而戸説之、使喩其理不惑於鬼神、是雖百孔子亦所不能也。乃其為理学所錮、而不自覚其言之非者、豈不悲乎。漢以来、仏老之道満天下、而莫之能廃者、先王鬼神之教壊故也。是豈理学者流所能知哉。

 

[仁斎先生いわく、「三代の聖王の、天下を治むるや、民の好む所を好み、民の信ずる所を信じ、天下の心をもって心と為(な)し、しこうして未だ嘗(かつ)て聡明をもって天下に先だたず。ゆえに民、鬼神を崇(たっと)べば、すなわち、これを崇び、民、卜筮(ぼくぜい)すれば、すなわち、これを信ず。ゆえに、その卒(おわ)りや、また弊なきこと能(あた)わず。孔子に及び至りて、すなわち専(もっぱ)ら教法をもって主と為し、しこうして、その道を明らかにし、その義を暁(さと)し、民をして従う所に惑(まど)わざらしむ。孟子のいわゆる『堯(ぎょう)・舜(しゅん)より賢(まさ)れること遠し』とは、正(まさ)にこれをいうのみ」と。これその臆度(おくたく)の見にして、道に盭(もと)るの甚(はなは)だしき者なり。何となれば、すなわち鬼神なる者は、先王これを立つ。先王の道は、これを天に本づけ、天道を奉じて、もってこれを行い、その祖・考を祀り、これを天に合す。道の由(よ)りて出(い)ずる所なればなり。ゆえにいわく、「鬼と神とを合するは、教えの至りなり」と。ゆえに詩書礼楽は、これを鬼神に本づけざる者あることなし。仁斎の意、けだし謂(おも)えらく、三代の聖王も、その心はまた鬼神を尚(たっと)ばず、ただ民の好む所をもってして、姑且(しばらく)これに従うと。妄なるかな。これ道を知らざる者の言なり。これ或いは「孔子、猟較(りょうこう)す」の類を見て、妄(みだ)りにこの言を作(な)すのみ。夫(そ)れ聖王といえども、その位に即くの初は或いは、しからん。その化の成るに及んでや、陶鋳して、もってこれを出(い)だすがごとし。果たして、その言の是(ぜ)ならんか。すなわち聖王の、民におけるも、またこれを若何(いかん)ともすること能(あた)わざるのみ。聖人の道は、あに、かくのごとく孱(せん)ならんや。かつ三代の道、これを弊ありという所以(ゆえん)の者は、乃(すなわ)ちその損益する所をいうのみ。夫れ聖王の鬼神を尊ぶは、三代、皆しかり。もし、これを弊ありといわば、すなわちその因(よ)る所の者、弊ありと為すなり。果たして因る所の者をして弊あらしめば、すなわち、安(いずく)にか在る、その聖人為(た)ることや。王安石(おうあんせき)の三不畏を観れば、すなわち、そのいわゆる「その道を明らかにし、その義を暁(さと)す」という者は、あに弊なからんや。かつ、そのいわゆる「孔子は教法をもって主と為す」という者は、口、諄諄(じゅんじゅん)として、これをいうをもって教えと為すのみ。陋(ろう)なるかな。これ講師の事なり。あに孔子にして、かくのごとくならんや。かつその言にいわく、「その道を明らかにし、その義を暁し、民をして従う所に惑(まど)わざらしむ」と。その言は、すなわち是(ぜ)にして、その意は、すなわち非なり。もし、先王の道を明らかにし、先王の義を暁り、一意、先王の教えに従いて、他岐の惑いなからしめば、すなわち可なり。しかれども先王の教えは、礼のみ。今、先王の礼に遵(したが)わずして、言語をもって、その理を明らかにせんと欲せば、すなわち君子すらなお、よくせず。いわんや民にして戸(こ)ごとに、これを説き、その理を喩(さと)りて鬼神に惑わざらしむるは、これ百孔子といえども、またよくせざる所なり。乃ちその理学の錮(こ)する所と為りて、自(みずか)らその言の非を覚(さと)らざる者は、あに悲しからずや。漢以来、仏・老の道、天下に満ちて、これをよく廃することなき者は、先王の鬼神の教え壊(くず)れたるがゆえなり。これあに理学者流のよく知る所ならんや。]

 

《伊藤仁斎先生がいう、「3代(夏王朝・殷王朝・周王朝)の聖王が、天下を統治するのは、民が好むことを好み、民が信じることを信じ、天下の心を心とし、そうして、今まで一度も聡明を天下に先行させなかった。よって、民が鬼神(神霊)を尊崇すれば、つまりこれ(鬼神)を尊崇し、民が占いをすれば、つまりこれ(占い)を信じた。よって、その(3代の)終末期は、また、弊害をなくすことができなかった。孔子に及び至っては、つまり、ひたすら教えを主とし、そうして、その道を明らかにし、その意義を教え諭(さと)し、民にしたがうことに困惑させられなかった。孟子のいわゆる『(孔子は、)堯・舜(古代中国の伝説上の帝王)よりも、はるかに賢だ(勝っている)』(『孟子』3-25)とは、まさにこれをいうのだ」(『語孟字義』鬼神2条)と。これは、その(伊藤仁斎の)憶測の見方で、道に背反するのがひどいものなのだ。なぜならば、つまり鬼神なるものは、先王がこれを確立した。先王の道は、これを天に基づけ、天道を信奉して、それでこれ(統治)を行い、その(先王の)祖先・亡父(の霊)を祭祀し、これを天(の神)に合一する。道の由来で作り出したことなのだ。よって、いう、「鬼と神を合一することは、教えの至極なのだ」(『礼記(らいき)』)と。よって、詩・書・礼・楽は、これを鬼神に基づけないものがないのだ。伊藤仁斎の意思は、思うに、3代の聖王も、その心は、また、鬼神を尊重せず、ただ民が好むことによってして、しばらく、これにしたがった。妄想だな。これは、道を知らないものの言葉なのだ。これは、「孔子が、獲物の比較をした」(『孟子』10-135)の同類を見たりして、無闇に、この言葉を作為したのだ。そもそも聖王といっても、その即位の最初は、そのようだったりする。その(聖王の)化育が成立するに及べば、陶工・鋳造して、それでこれ(物品)を作り出すようなものだ。本当に、その言葉が是な(正しい)のか。つまり、聖王が、民におけるのも、また、これ(鬼神)をどのようにすることもできないのだ。聖人の道は、どうして、このように弱々しいのか(いや、弱々しくない)。そのうえ、3代の道が、これ(鬼神)を弊害があるという理由は、つまりその(制度の)欠損か増益することをいうのだ。そもそも聖王が鬼神を尊重するのは、3代が皆、そのようだ。もし、これ(鬼神)を弊害があるといえば、つまりその(制度の)要因のことに、弊害があるとするのだ。本当に、要因のことに弊害があるとさせれば、つまり、どこに存在するのか、その聖人であることが。王安石(中国・北宋の宰相)の3不足(天変を畏れること、祖先にのっとること、人の言葉に心配すること、が不足)を観察すれば、つまり、そのいわゆる「その道を明らかにし、その意義を教え諭す」というものは、どうして弊害でないのか(いや、弊害だ)。そのうえ、そのいわゆる「孔子は、教えを主とする」というものは、口述がくどくどして、これをいうことを教えとするのだ。いやしいな。これは、講釈の導師なのだ。どうして、孔子で、このようになるのか(いや、ならない)。そのうえ、その(伊藤仁斎の)言葉によると、「その道を明らかにして、その意義を教え諭し、民にしたがうことに困惑させられない」。その(伊藤仁斎の)言葉は、つまり是で(正しくて)、その(伊藤仁斎の)意味は、つまり非(誤り)なのだ。もし、先王の道を明らかにし、先王の意義を教え諭し、ひとつの意味が、先王の教えにしたがって、他の分岐で困惑させられなければ、つまり可な(よい)のだ。しかし、先王の教えは、礼なのだ。今、先王の礼にしたがわないで、言語によって、その(宋代の儒学者の)理を明らかにしようとすれば、つまり君子(立派な人)でさえ、なお、充分にしない。ましてや、民に戸ごとで、これ(教え)を説き、その(宋代の儒学者の)理を悟って、鬼神に困惑させられないのは、これが100人の孔子といっても、また、充分にしないことなのだ。つまりその(宋代の儒学者の)理の学問が固執することになって、自分で、その言葉の誤りを悟らないものは、どうして悲しくないのか(いや、悲しい)。漢代以来、仏教・老子の道が、天下に満ち溢れて、これ(仏教・老子)を充分に廃棄することがないのは、先王の鬼神の教えが、崩壊したからなのだ。これは、どうして、理の学問の流派が、充分に知ることなのか(いや、充分に知らない)。》

 

 

(16)

・仁斎先生又曰、卜筮之説、世俗所多悦、而甚害於義理。何者、従義則不必用卜筮、従卜筮則不得不舎義焉。義当生則生、義当死則死、在己而已。何待卜筮而決之也。君子去就進退、用舎行蔵、惟義所在。奚問利不利為。

 

[仁斎先生またいわく、「卜筮(ぼくせい)の説は、世俗の多く悦(よろこ)ぶ所なれども、甚(はなは)だ義理に害あり。何となれば、義に従えば、すなわち必ずしも卜筮を用いず、卜筮に従えば、すなわち義を舎(す)てざるを得ず。義として、当(まさ)に生くべければ、すなわち生き、義として、当に死すべければ、すなわち死するは、己(おのれ)に在(あ)るのみ。何ぞ卜筮を待ちて、これを決せんや。君子の去就進退・用舎行蔵は、ただ義の在る所のままなり。奚(なん)ぞ利・不利を問うを為(な)さん」と。]

 

《伊藤仁斎先生が、また、いう、「占いの説は、世俗が多く喜ぶことだが、とても義の理に害がある。なぜならば、義にしたがえば、つまり必ずしも占いを用いず、占いにしたがえば、つまり羲を捨て去らざるをえない。義として当然、生きるべきとすれば、つまり生き、義として当然、死ぬべきとすれば、つまり死ぬのは、自己に存在するのだ。なぜ占いを待って、これを決めるのか。君子(立派な人)の去就・進退や用舎行蔵(用いれば行い、捨てれば隠れること)は、ただ義が存在することのままなのだ。どうして利益・不利益を問うことをするのか」(『語孟字義』鬼神3条)と。》

 

・夫卜筮者、伝鬼神之言者也。無鬼神則無卜筮。有鬼神則有卜筮。既以尊鬼神為非孔子之意、則廃卜筮亦其所也。祇観其所言、専以己言之。是予所謂後儒忘先王孔子之道為安民之道、而動求諸己者、豈不然乎。宋儒謂当言義、而命不足道、則仁斎先生譏之。至於其自為説、則亦唯言義而已。乃問其知命之説、則唯以不動心言之。孟子所闢楊氏為我者、豈它哉。大氐後儒貴知、主言之。先王孔子之道不然。主行道施於民。大氐民之為事、疑沮於天之不可知者、人情為爾。故卜筮祷請、亘万古而不能廃者、亦人情為爾。聖人能尽人之性。故率人之性、立以為道。豈為己而設之乎。学者其思諸。

 

[夫(そ)れ卜筮(ぼくぜい)なる者は、鬼神の言を伝うる者なり。鬼神なければ、すなわち卜筮なし。鬼神あれば、すなわち卜筮あり。すでに鬼神を尊ぶをもって孔子の意にあらずと為(な)すときは、すなわち卜筮を廃するもまた、その所なり。祇(ただ)そのいう所を観るに、専(もっぱ)ら己(おのれ)をもって、これをいう。これ予のいわゆる、後儒は先王・孔子の道の民を安んずるの道為(た)るを忘れて、動(やや)もすれば、これを己に求むという者にして、あに、しからざらんや。宋儒の「当(まさ)に義をいうべくして、命は道(い)うに足らず」というは、すなわち仁斎先生これを譏(そし)る。その自(みずか)ら説を為すに至りては、すなわち、またただ義をいうのみ。乃(すなわ)ち、その「命を知る」の説を問えば、すなわち、ただ「心を動かさず」というをもってのみ、これをいう。孟子の闢(しりぞ)くる所の「楊氏は我が為にす」という者は、あに它(た)ならんや。大氐(たいてい)、後儒は知を貴び、これをいうを主とす。先王・孔子の道は、しからず。道を行い民に施すを主とす。大氐、民の事を為すや、天の知るべからざるに疑沮(ぎそ)する者は、人情しかりと為す。ゆえに卜筮・祷請(せいとう)、万古に亘(わた)りて廃すること能(あた)わざる者も、また人情しかりと為す。聖人は、よく人の性を尽くす。ゆえに人の性に率(したが)いて、立てて、もって道と為す。あに己の為にして、これを設けんや。学者それこれを思え。]

 

《そもそも占いなるものは、鬼神(神霊)の言葉を伝えるものなのだ。鬼神がなければ、つまり占いがない。鬼神があれば、つまり占いがある。すでに鬼神を尊重することを、孔子の意思でないとするならば、つまり占いを廃棄するのも、また、その(鬼神の)ことなのだ。ただそれ(孔子)がいうことを観察すると、ひたすら自己によって、これ(鬼神)をいう。これは、私がいわゆる、後世の儒学者は、先王・孔子の道が民を安寧する道であることを忘れて、ともすれば、これを自己に探し求めるというもので、どうして、そのようでないのか(いや、そのようだ)。宋代の儒学者の「当然、義というべきで、命は、いうのに不足だ」というのは、つまり伊藤仁斎先生が、これを非難している。それを自分で説をなすのに至っては、つまり、また、ただ義をいうだけだ。つまり、その「命を知る」の説を問えば、つまり、ただ「心を動かさない」ということによってだけ、これ(自己)をいう。孟子が排斥する「楊朱は、自分のためにする」(『孟子』6-60)というものは、どうして他にあるのか(いや、他にない)。たいてい、後世の儒学者は、知を尊貴し、これ(知)をいうことを主とする。先王・孔子の道は、そのようでない。道を行い、民に施すことを主とする。たいてい、民が事をするのに、天が知ることができないと躊躇するものは、人の情が、そのようだとする。よって、占い・祈願は、大昔から行き渡って、廃棄することができないものも、また、人の情が、そのようだとする。聖人は、充分に人の本性を尽くす。よって、人の本性にしたがって、確立して、それで道とする。どうして、自己のために、これを設定するのか(いや、自己のためでない)。学者は、それ(人の情)でこれ(鬼神)を思慮せよ。》

 

 

(17)

・孟子有天吏。乱世之辞也。天下有君、則人以君為天、唯君奉天命以行之。天下無君、則無所稟命。故君子直奉天命。是謂天吏。如湯伐桀、武王伐紂、皆称天、即此義也。故孔子時尚不称之。六経唯胤征有天吏。乃指羲和。以其為天官故也。不爾、逸徳不可解。旧注以為天子之吏者、非矣。

 

[孟子に「天吏」あり。乱世の辞なり。天下に君あれば、すなわち人(ひとびと)、君をもって天と為(な)し、ただ君のみ天命を奉じて、もってこれを行う。天下に君なければ、すなわち命を稟(う)くる所なし。ゆえに君子は直ちに天命を奉ず。これ天吏という。湯(とう)の桀(けつ)を伐(う)ち、武王の紂(ちゅう)を伐つに皆、天を称するがごときは、すなわち、この義なり。ゆえに孔子の時は、なおこれを称せず。六経ただ胤征(いんせい)にのみ天吏あり。乃(すなわ)ち羲和(ぎか)を指す。その天官為(た)るをもってのゆえなり。しからずんば、逸徳は解すべからず。旧注にもって天子の吏と為す者は、非なり。]

 

《『孟子』に「天吏(天の命を受けた統治者)」(3-28,4-40)がある。乱世の言葉なのだ。天下に君主があれば、つまり人々は、君主を天とし、ただ君主だけが、天命を奉戴して、それでこれ(統治)を行う。天下に君主がなければ、つまり命を受けることがない。よって、君子(立派な人)は、直接、天命を奉戴する。これを天吏という。湯王(殷王朝の創始者)が桀王(夏王朝の最後の帝王)を討伐し、武王(周王朝の創始者)が紂王(殷王朝の最後の帝王)を討伐するのに、両者とも、天を称するようなものは、つまり、この義なのだ。よって、孔子の時代は、なおも、これ(天)を称しなかった。6経は、ただ(『書経』の)胤征篇にだけに、天吏がある。つまり、羲和(古代中国神話の太陽神で官吏)を指す。それが天文官であることによってだからなのだ。そうでなければ、逸徳(道を逸脱すること)は、解釈することができない。旧注によって、天子(帝王)の吏とするものは、非(誤り)なのだ。》

 

 

(つづく)