荻生徂徠「弁名」下・読解6~性・情・才(1)-(2) | ejiratsu-blog

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(つづき)

 

 

○性・情・才:7則

 

(1)

・性者、生之質也。宋儒所謂気質者是也。其謂性有本然有気質者、蓋為学問故設焉。亦誤読孟子、而謂人性皆不与聖人異、其所異者気質耳、遂欲変化気質以至聖人。若使唯本然而無気質、則人人聖人矣。何用学問。又若使唯気質而無本然之性、則雖学無益。何用学問。是宋儒所以立本然気質之性之意也。然胚胎之初、気質已具、則其所謂本然之性者、唯可属之天、而不可属於人也。又以為理莫有所局、雖気質所局、実有所不局者存、則禽獣与人何択也。故又帰諸正通偏塞之説。而本然之説終不立焉。可謂妄説已。

 

[性なる者は、生の質なり。宋儒のいわゆる気質なる者、これなり。その性に本然あり気質ありという者は、けだし学問の為のゆえに設く。また孟子を誤読して、人の性は皆、聖人と異ならず、その異なる所の者は気質のみといい、遂に気質を変化して、もって聖人に至らんと欲す。もし、ただ本然のみにして気質なからしめば、すなわち人人、聖人なり。何ぞ学問を用いん。またもし、ただ気質のみにして本然の性なからしめば、すなわち学ぶといえども益なし。何ぞ学問を用いん。これ宋儒の本然・気質の性を立つる所以(ゆえん)の意なり。しかれども胚胎(はいたい)の初、気質すでに具(そな)われば、すなわち、そのいわゆる本然の性なる者は、ただこれを天に属すべくして、人に属すべからざるなり。また、もって理は局せらるる所あることなく、気質の局する所といえども、実は局せられざる所の者の存することありと為(な)さば、すなわち禽獣(きんじゅう)と人と何ぞ択(えら)ばんや。ゆえにまたこれを正通・偏塞(へんそく)の説に帰す。しこうして本然の説、終(つい)に立たず。妄説というべきのみ。]

 

《性なるものは、生の質(生まれ持った本来の性質)なのだ。宋代の儒学者の、いわゆる気質なるものは、これ(性)なのだ。その性に、本然があり、気質があるというのは、思うに、学問のためだから設定した。また、『孟子』を誤読して、人の性は、皆、聖人と異ならず、それ(皆)が異なるものは、気質なのだといい、結局、気質を変化して、それで聖人に至ろうとする。もし、ただ本然だけで、気質をなくさせれば、つまり人々は、聖人なのだ。なぜ学問を用いるのか。また、もし、ただ気質だけで、本然の性をなくさせれば、つまり学ぶといっても、無益だ。なぜ学問を用いるのか。これは、宋代の儒学者が、本然・気質の性を確立した理由の意味なのだ。しかし、身ごもった最初で、気質がすでに具備していれば、つまり、そのいわゆる本然の性なるものは、ただこれを天に属することができるとして、人に属することができないのだ。また、それで理は、局限されることにあるのでなく、気質が局限されることといっても、実際には、局限されないものが存在することがあるとすれば、つまり鳥獣と人を、なぜ選別するのか。よって、また、これ(人と鳥獣)を中正・開通と偏向・閉塞の説に帰着する。そうして、本然の性の説は、結局、確立しない。妄説ということができるのだ。》

 

・書曰、惟人万物之霊。伝曰、人受天地之中以生。詩曰、天生烝民、有物有則。民之秉彝、好是懿徳。孔子釈之曰、有物必有則。民之秉彝也、故好是懿徳。文言曰、利貞者性情也。大伝曰、成之者性。是皆古人言性者也。合而観之、明若観火。蓋霊頑之反。然亦非宋儒虚霊不昧之謂。中偏之対。然亦非宋儒不偏不倚之謂。皆指人之性善移而言之也。辟諸在中者之可以左可以右可以前可以後也。物者謂美也。美必倣効。是人之性也。是亦言其善移也。孔子又曰、上知与下愚不移。亦言其它皆善移也。貞者不変也。謂人之性不可変也。成之者性、言其所成就各随性殊也。人之性万品、剛柔軽重、遅疾動静、不可得而変矣。然皆以善移為其性。習善則善、習悪則悪。故聖人率人之性以建教、俾学以習之。及其成徳也、剛柔軽重、遅疾動静、亦各随其性殊。唯下愚不移。故曰、民可使由之。不可使知之。故気質不可変、聖人不可至。而虞九徳、周六徳、各以其性殊。豈不然乎。

 

[書にいわく、「惟(これ)人は万物の霊」と。伝にいわく、「人は天地の中(ちゅう)を受けて、もって生(うまれ)る」と。詩にいわく、「天、烝民(じょうみん)を生ず、物あれば則(のり)あり。民の彝(い)を秉(と)る、この懿徳(いとく)を好む」と。孔子これを釈していわく、「物あれば必ず則あり。民の彝を秉るや、ゆえにこの懿徳を好む」と。文言にいわく、「利貞なる者は性情なり」と。大伝にいわく、「これを成す者は性」と。これ皆、古人の性をいう者なり。合して、これを観れば、明らかなること火を観るがごとし。けだし霊は頑の反なり。しかれども、また宋儒の虚霊不昧(ふまい)のいいにあらず。中は偏の対なり。しかれども、また宋儒の不偏不倚(い)のいいにあらず。皆、人の性の善く移るを指して、これをいうなり。これを中に在(あ)る者の、もって左すべく、もって右すべく、もって前すべく、もって後すべきに辟(たと)うるなり。物なる者は美なるをいうなり。美なれば必ず倣効(ほうこう)す。これ人の性なり。これまたその善く移るをいうなり。孔子またいわく、「上知と下愚とは移らず」と。またその它(た)の皆、善く移るをいうなり。貞なる者は変せざるなり。人の性の変ずべからざるをいうなり。「これを成す者は性」とは、その成就する所、各おの性に随(したが)いて殊(こと)なるをいうなり。人の性は万品にして、剛柔・軽重・遅疾・動静は、得て変ずべからず。しかれども皆、善く移るをもって、その性と為(な)す。善に習えば、すなわち善、悪に習えば、すなわち悪なり。ゆえに聖人は人の性に率(したが)いて、もって教えを建て、学んで、もってこれに習わしむ。その徳を成すに及んでや、剛柔・軽重・遅疾・動静も、また各おの、その性に随いて殊なり。ただ下愚は移らず。ゆえにいわく、「民はこれに由(よ)らしむべし。これを知らしむべからず」と。ゆえに気質は変えずべからず、聖人は至るからず。しこうして虞(ぐ)の九徳、周の六徳は、各おの、その性をもって殊なり。あに、しからざらんや。]

 

《『書経』によると、「これで人は、万物の霊だ」。伝によると、「人は、天と地の中(中間)を受けて、それで生まれる」(『春秋左氏伝』)。『詩経』によると、「天は、万民を生み出し、物があれば、法則がある。民が常道を守り抜き(秉彝/へいい)、この美徳を好む」。孔子は、これを解釈していう、「物があれば、必ず法則がある。民が常道を守り抜き、よって、この美徳を好む」(『孟子』11-146)と。(『易経』の)文言伝によると、「利貞(ただしきによろし)なるものは、性の情なのだ」。(『易経』の)繋辞伝によると、「これを成就するものは、性だ」。これは、すべて、昔の人の性をいうものなのだ。合わせて、これ(性)を観察すれば、明らかなことは、火を観察するようなものだ。思うに、霊(霊妙)は、頑(頑固)の反対なのだ。しかし、また、宋代の儒学者の、虚霊不昧(心が空虚でも、天からの徳が霊妙で、聡明なこと)をいうのではない。中(中正)は、偏(偏向)の反対なのだ。しかし、また、宋代の儒学者の、不偏不倚(かたよらず公平中立)をいうのではない。すべて、人の性が善く移ることを指して、これをいうのだ。これを、中に存在するものが、それで左にすることもでき、それで右にすることもでき、それで前にすることもでき、それで後にすることもできると、例えるのだ。物なるものは、美なることをいうのだ。美ならば、必ず模倣する。これは、人の性なのだ。これは、また、それ(人の性)が善く移ることをいうのだ。孔子が、また、いう、「上の知恵と、下の愚鈍は、移らない」(『論語』17-437)と。また、その他のすべては、善く移ることをいうのだ。貞なるものは、不変なのだ。人の性が変化できないことをいうのだ。「これを成就するものは、性だ」とは、その成就することが、各々の性にしたがって、異なることをいうのだ。人の性は、様々な品種で、剛柔・軽重・遅早・動静は、得れば、変化することができない。しかし、すべて、善く移ることによって、その(各々の)性となる。善に習えば、つまり善で、悪に習えば、つまり悪なのだ。よって、聖人は、人の性にしたがって、それで教えを建造し、学ばせて、それでこれ(人)に習わせる。その徳を成就するに及んでは、剛柔・軽重・遅早・動静も、また、各々その(人の)性にしたがって異なる。ただ下の愚鈍は、移らない。よって、いう、「民は、これ(政治)にしたがわせることができる。これ(政治)を熟知させることができない」(『論語』8-193)と。よって、気質は、変化することができず、聖人は、至ることができない。そうして、舜(しゅん、古代中国の伝説上の帝王)の9徳(寛にして栗、柔にして立、愿/とくにして恭、乱にして敬、擾にして毅、直にして温、簡にして廉、剛にして塞、彊/きょうにして義)・周王朝の6徳(知・仁・聖・義・忠・和)は、各々、その(聖人の)性によって異なる。どうして、そのようでないのか(いや、そのようだ)。》

 

・先王之教、詩書礼楽、辟如和風甘雨、長養万物。万物之品雖殊乎、其得養以長者皆然。竹得之以成竹、木得之以成木、草得之以成草、穀得之以成穀。及其成也、以供宮室衣服飲食之用不乏。猶人得先王之教、以成其材、以供六官九官之用已。其所謂習善而善、亦謂得其養以成材。辟諸豊年之穀可食焉。習悪而悪、亦謂失其養以不成。辟諸凶歳之秕不可食焉。則何必求変其気質以至聖人哉。是無它。宋儒不循聖人之教、而妄意求為聖人、又不知先王之教之妙、乃取諸其臆、造作持敬窮理拡天理去人欲種種工夫、遂以立其本然気質之説耳。仁斎先生活物死物之説、誠千歳之卓識也。祇未知先王之教、区区守孟子争弁之言、以為学問之法。故其言終未明鬯者、豈不惜乎。

 

[先王の教え、詩書礼楽は、辟(たと)えば和(あまな)う風・甘(あま)なう雨の万物を長養するがごとし。万物の品は殊(こと)なりといえども、その養いを得て、もって長ずる者は、皆しかり。竹はこれを得て、もって竹を成し、木はこれを得て、もって木を成し、草はこれを得て、もって草を成し、穀はこれを得て、もって穀を成す。その成るに及んでや、もって宮室・衣服・飲食の用に供して乏(とぼ)しからず。なお人の先王の教えを得て、もってその材を成し、もって六官・九官の用に供するがごときのみ。そのいわゆる善に習いて善なりというも、またその養いを得て、もって材を成すをいう。これを豊年の穀の食(くら)うべきに辟う。悪に習いて悪なりというも、またその養いを失いて、もって成らざるをいう。これを凶歳の秕(ひ)の食うべからざるに辟う。すなわち何ぞ必ずしも、その気質を変じて、もって聖人に至らんことを求めんや。これ它(た)なし。宋儒は聖人の教えに循(したが)わずして、妄意に聖人為(た)らんことを求め、また先王の教えの妙を知らず、すなわち、これをその臆に取りて、「持敬(じけい)」「窮理(きゅうり)」「天理を拡め人欲を去る」の種種の工夫を造作して、遂にもってその本然・気質の説を立てしのみ。仁斎先生の活物・死物の説は、誠に千歳の卓識なり。祇(ただ)未だ先王の教えを知らず、区区として孟子の争弁の言を守り、もって学問の法と為(な)す。ゆえにその言、遂に未だ明鬯(めいちょう)ならざる者は、あに惜しからずや。]

 

《先王の教えの、詩・書・礼・楽は、例えると、程よい風・雨が、万物を生長・養育するようなものだ。万物の品種は、異なるといっても、その(風・雨の)養育を得て、それで生長するものは、すべて、そのようだ。竹は、これ(風・雨)を得て、それで竹を成就し、木は、これ(風・雨)を得て、それで木を成就し、草は、これ(風・雨)を得て、それで草を成就し、穀物は、これ(風・雨)を得て、それで穀物を成就する。それが成就するのに及べば、それで宮殿・衣服・飲食用に提供して、欠乏しない。なお、人が先王の教えを得て、それでその人材を成就し、それで(周王朝の)6官・(堯・舜の)9官用に提供するようなものなのだ。そのいわゆる善を習って、善なのだというのも、また、その(先王の教えの)養育を得て、それで人材を成就することをいう。これを豊作の年の、穀物は、食べることができることに、例えられる。悪に習って悪なのだというのも、また、その(先王の教えの)養育を失って、それで成就しないことをいう。これを凶作の年の、実のない穀物は、食べることができないことに、例えられる。つまり、なぜ必ずその気質を変化させて、それで聖人に至ることを探し求めるのか。これは、他でもない。宋代の儒学者は、聖人の教えにしたがわないで、妄想して、聖人であることを探し求め、また、先王の教えの霊妙を知らず、つまり、これをその憶測で受け取って、「持敬(敬の心を持つこと)」・「窮理(物の道理を極めること)」・「天の理を拡充し、人の欲を離れ去る」の様々な工夫を造作して、結局、それでその本然の性・気質の性の説を確立したのだ。伊藤仁斎先生の活物・死物の説は、本当に、永年の卓越した見識なのだ。ただ、まだ先王の教えを知らず、まちまちで、孟子の論争の弁別の言葉を守って、それで学問の教えとした。よって、その言葉が、結局、まだ明快でないのは、どうして惜しくないのか(いや、惜しいのだ)。》

 

 

(2)

・孔子曰、性相近也。習相遠也。本勧学之言、而非論性者焉。蓋言君子与民、方其未学、不甚相遠、及習先王之道、以成君子之徳、而後見其於民有霄壌之異耳。故其所謂性相近者、亦語中人已。中庸曰、率性之謂道。本為老氏之徒以先王之道為偽、故子思言先王率人性以立道、非強之耳。亦非謂率性則自然有道也。孟子性善、亦子思之以耳。観其曰、服堯之服、誦堯之言、行堯之行、是堯而已矣。則所謂人皆可以為堯舜者、亦非謂聖人可学而至矣。曰仁義礼智根於心、則所謂性善、亦非謂人性皆与聖人同矣。祇如告子杞柳之喩、其説甚美。湍水之喩、亦言人之性善移。孟子乃極言折之、以立内外之説、是其好弁之甚、遂基宋儒之謬焉。其与荀子性悪、皆立門戸之説、言一端而遺一端者也。子雲善悪混、退之性有三品、豈悖理哉。至於蘇子瞻無善悪、則仏氏之意矣。欧陽子謂性非聖人所先、卓見哉。

 

[孔子いわく、「性、相近きなり。習い相遠きなり」と。もと学を勧むるの言にして、性を論ずる者にあらず。けだし君子と民とは、その未だ学ばざるに方(あた)りては、甚(はなは)だしくは相遠からず、先王の道に習いて、もって君子の徳を成すに及んで、しかる後、その民における、霄壌(しょうじょう)の異(い)あるを見ることをいうのみ。ゆえにそのいわゆる「性、相近し」なる者も、また中人を語るのみ。中庸にいわく、「性に率(したが)うをこれ道という」と。もと老氏の徒、先王の道をもって偽(ぎ)と為(な)すが為に、ゆえに子思(しし)は、先王、人の性に率いて、もって道を立てしにして、これを強(し)いて非というのみ。また性に率えば、すなわち自然に道ありというにもあらざるなり。孟子の性善も、また子思の意のみ。その「堯(ぎょう)の服を服し、堯の言を誦し、堯の行いを行えば、これ堯のみ」と曰(い)うを観れば、すなわち、いわゆる「人、皆、もって堯・舜(しゅん)為(た)るべし」という者も、また聖人は学んで至るべしというにあらず。「仁義礼智は心に根ざす」と曰えば、すなわち、いわゆる性善も、また人の性は皆、聖人と同じというにもあらず。祇(ただ)告子の杞柳(きりゅう)の喩(たと)えごときは、その説、甚(はなは)だ美なり。湍水(たんすい)の喩えも、また人の性の善く移るをいう。孟子、乃(すなわ)ち極言して、これを折(くじ)き、もって内外の説を立つ。これその弁を好むの甚だしき、遂に宋儒の謬(あやま)りを基づく。それと荀子の性悪とは皆、門戸を立つるの説にして、一端をいいて一端を遺(わす)るる者なり。子雲の「善悪、混ず」、退之の「性に三品あり」は、あに理に悖(もと)らんや。蘇子瞻(そしせん)の「善悪なし」に至りては、すなわち仏氏の意なり。欧陽子の「性は聖人の先にする所にあらず」というは、卓見なるかな。]

 

《孔子がいう、「性は、互いに近いのだ。習い(学習)は、互いに遠くなるのだ」(『論語』17-436)と。元々、学問を勧誘する言葉で、性を論考するものでない。思うに、君子(立派な人)と民は、それ(習い)をまだ学ばないことにあたっては、とても互いに遠くはなく、先王の道に習って、それで君子の徳を成就するに及んで、はじめて、それ(君子)が民における、天空と大地の異なりがあるのを見ることをいうのだ。よって、そのいわゆる「性は、互いに近い」なるものも、また、中ぐらいの人を語るのだ。『中庸』によると、「性にしたがうこと、これを道という」(1-1)。元々、老子の門徒が、先王の道を偽りとしたために、よって、子思(孔子の孫)は、先王が人の性にしたがって、それで道を確立したとして、これ(老子の偽り)を強制して非(誤り)といったのだ。また、性にしたがえば、つまり自然に道があるというのではないのだ。孟子の性善説も、また、子思の意思なのだ。その(孟子の)「堯の衣服を着て、堯の言葉を唱え、堯の行動を行えば、これは、堯なのだ」(『孟子』12-162)ということを観察すれば、つまり、いわゆる「人は皆、それで堯・舜であることができる」(『孟子』12-162)というものも、また、聖人は、学んで至ることができるというのでない。「仁・義・礼・智は、心に根ざす」(『孟子』13-197)といえば、つまり、いわゆる性善説も、また、人の性は、皆、聖人と同じというのでない。ただ告子(斉の思想家で、孟子と論争)のカワヤナギの例え(『弁道』1)のようなものは、その説が、とても美なのだ。急流の水の例え(人の本は、告子が、善にも悪にも流れるとし、孟子が、下の善へ流れると主張)も、また、人の性が善く移ることをいう。孟子は、つまり極端な言葉で、これ(告子の義外の説)を阻止し、それで義内の説を確立した。これは、その弁別を好むのがひどく、結局、宋代の儒学者の誤りを基づかせる。それ(孟子の性善説)と荀子の性悪説は、両方とも、門戸を確立する説で、一方の端緒をいって、一方の端緒を忘れるものなのだ。揚雄(ようゆう、前漢代の学者)の「善悪は、混合する」・韓愈(かんゆ、唐代の大家)の「性には、3品種がある」は、どうして理に背反するのか(いや、背反しない)。蘇軾(そしょく、北宋代の大家)の「善悪なし」に至っては、つまり仏教の意思なのだ。欧陽修(おうようしゅう、北宋代の大家)の「性は、聖人が先行することでない」というのは、卓越した見識だな。》

 

・仁斎先生釈孟子性善而曰、人之生質、雖有万不同、然其善善悪悪之心、無古今無聖愚一也。可謂善説孟子已。然雖有善善悪悪之心、豈必可使為善乎。其人必曰、吾雖好好色、未能為宋朝、則亦何益哉。苟能信先王之道、則聞性善益勧、聞性悪益勉。苟不信先王之道、則聞性善自用、聞性悪自棄。故荀孟皆無用之弁也。故聖人所不言也。其病皆在欲以言語喩不信我之人、使其信我焉。不唯不能使其信我、乃啓千古紛紛之論。言語之弊、豈不大乎。学者猶且不能求諸先王之教、而唯議論是務。悲哉。

 

[仁斎先生、孟子の性善を釈していわく、「人の生質は、万、不同ありといえども、しかれども、その善を善をし悪を悪とするの心は、古今となく聖愚となく一なり」と。善く孟子を説くというべきのみ。しかれども善を善とし悪を悪とするの心ありといえども、あに必ずしも善を為(な)さしむべけんや。その人、必ず曰(い)わん、吾(われ)、好色を好むといえども、未だ宋朝(そうちょう)為(た)ること能(あた)わずんば、すなわちまた何の益あらんやと。いやしくも、よく先王の道を信ぜば、すなわち性善を聞きては、ますます勧(つと)め、性悪を聞きては、ますます勉めん。いやしくも先王の道を信ぜずんば、すなわち性善を聞きては、自(みずか)ら用い、性悪を聞きては、自棄せん。ゆえに荀(じゅん)・孟は皆、無用の弁なり。ゆえに聖人のいわざる所なり。その病(へい)は皆、言語をもって我を信ぜざるの人を喩(さと)して、それをして我を信ぜしめんと欲するに在(あ)り。ただにそれをして我を信ぜしむること能わざるのみならず、すなわち千古紛紛を啓(ひら)く。言語の弊は、あに大ならずや。学者なおかつ、これを先王の教えに求むること能わずして、ただ議論をのみ、これを務む。悲しいかな。]

 

《伊藤仁斎先生が、孟子の性善説を解釈していう、「人が生まれ持った性質は、すべて同じでないといっても、しかし、その善を善とし、悪を悪とする心は、昔も今もなく、神聖も愚鈍もなく、ひとつなのだ」(『語孟字義』性1条)と。よく孟子を説明したということができるのだ。しかし、善を善とし、悪を悪とする心があるといっても、どうして必ず善をなさせることができるのか(いや、できない)。その人は、必ずいう、「私は、美貌の人を好むといっても、まだ宋の朝(公族の子弟、『論語』6-133)が実現できなければ(美貌の人がいなければ)、つまり、また、何の利益があるのか」と。もしも、充分に先王の道を信じれば、つまり性善を聞いては、ますます励み、性悪を聞いても、ますます励む(勧勉/かんべん)。もしも、先王の道を信じなければ、つまり性善を聞いては、自分の考えで行い(自用)、性悪を聞いては、自暴自棄になる。よって、荀子・孟子は、両者とも、無用の弁別なのだ。よって、聖人がいわないことなのだ。その(性善と性悪の弁別の)病状は、すべて、言語によって、私を信じない人を教え諭(さと)して、それ(私を信じない人)に私を信じさせたいとすることにある。ただ、それ(私を信じない人)に私を信じさせようとすることができないだけでなく、つまり永久に入り乱れることを啓示する。言語の弊害は、どうして偉大でないのか(いや、偉大だ)。学者は、それでもやはり、これ(道)を先王の教えに探し求めることができずに、ただ議論だけ、これを務める。悲しいな。》

 

 

(つづく)