荻生徂徠「弁名」下・読解7~性・情・才(3)-(7) | ejiratsu-blog

ejiratsu-blog

人は何を考え(思想)、何を為し(歴史)、何を作ってきたのか(建築)を、主に書いたブログです。

(つづき)

 

 

(3)

・楽記曰、人生而静、天之性也。宋儒本然復性之説本諸。石梁王氏、及仁斎先生、皆以為老氏之意、而非孔門之言也。蓋楽者理性情之道也。先王之教、能養人性以成其徳者、莫尚焉。且其為教、無義理之可言、無思慮之可用、不識不知、順帝之則。故性情之説、古唯詩与楽有之。喜怒哀楽、亦人之所必有者也。然其動之偏勝而不中節、則必至傷中和之気、以失其恒性。徳之所以難成也。故立楽以教之。性者人之所受天、所謂中、是也。故以其嬰孩之初、喜怒哀楽未用事之時言之。所謂人生而静者是也。是非謂必求復嬰孩之初也。又非謂以静虚為至也。為楽能制其躁動、防其過甚、故以其未甚時言之耳。如中庸未発之中、亦非以未発之時為大本為施功之地。但謂人之性、稟天地之中、故先王之道、率人性以立之耳。後儒不知古言、不知古文辞、又不知先王之教之術、妄以為本然之徳、務以義理説之、遂成宋儒之陋。王氏伊藤氏又拠宋儒之解而読古文辞、譏其非孔門之言者何邪。大氐性与習不可得而別者也。故古者語性、多以嬰孩之初言之耳。豈以嬰孩為貴哉。又如孟子曰、大人者不失其赤子之心者也。亦宋儒復初之説所本也。殊不知、大人乃大舜之誤耳。

 

[楽記(がっき)にいわく、「人、生れて静かなるは、天の性なり」と。宋儒の本然・復性の説はこれに本づく。石梁王氏、及び仁斎先生は皆、もって老氏の意にして、孔門の言にあらずと為(な)すなり。けだし楽なる者は、性情を理(おさ)むるの道なり。先王の教え、よく人の性を養いて、もってその徳を成す者は、これに尚(くわ)うるなし。かつその教え為(た)る、義理のいうべきなく、思慮の用うべきなく、識(し)らず知らず、帝の則(のり)に順(したが)う。ゆえに性情の説は、古(いにしえ)はただ詩と楽とにのみ、これあり。喜怒哀楽も、また人の必ずある所の者なり。しかれども、その動きの偏勝して節に中(あた)らざるときは、すなわち必ず中和の気を傷(そこな)いて、もってその恒性を失うに至る。徳の成り難(がた)き所以(ゆえん)なり。ゆえに楽を立てて、もってこれを教う。性なる者は人の天より受くる所にして、いわゆる中、これなり。ゆえにその嬰孩(えいがい)の初、喜怒哀楽の未だ事を用いざるの時をもって、これをいう。いわゆる「人、生れて、静か」という者、これなり。これ必ず嬰孩の初に復(かえ)らんことを求むというにはあらざるなり。また静虚をもって至れりと為すというにもあらざるなり。楽は、よくその躁動(そうどう)を制し、その過甚(かじん)を防ぐが為に、ゆえにその未だ甚(はなは)だしからざる時をもって、これをいうのみ。中庸の未発の中のごときも、また未発の時をもって大本と為し功を施すの地と為すにあらず。但(ただ)人の性は、天地の中を稟(う)く、ゆえに先王の道は、人の性に率(したが)いて、もってこれを立てしことをいうのみ。後儒は古言を知らず、古文辞を知らず、また先王の教えの術を知らず、妄(みだ)りに、もって本然の徳と為し、務めて義理をもって、これを説き、遂に宋儒の陋(ろう)を成す。王氏・伊藤氏、また宋儒の解に拠(よ)りて古文辞を読み、その孔門の言にあらざるを譏(そし)る者は何ぞや。大氐(たいてい)、性と習いとは、得て別(わか)つべからざる者なり。ゆえに古者(いにしえ)、性を語るに、多く嬰孩の初をもって、これをいいしのみ。あに嬰孩をもって貴(たっと)しと為さんや。また孟子の「大人(たいじん)なる者は、その赤子(せきし)の心を失わざる者なり」と曰(い)うごがときも、また宋儒の復初の説に本づく所なり。殊(こと)に知らず、大人は、乃(すなわ)ち大舜の誤りのみ。]

 

《(『礼記(らいき)』の)楽記篇によると、「人が生まれて静かなのは、天の性なのだ」。宋代の儒学者の本然の性への回復の説は、これに基づく。石梁王(宋代の学者?)・伊藤仁斎先生は、両者とも、それで老子の意思とし、孔子の門徒の言葉でないとしたのだ。思うに、楽(音楽)なるものは、性の情を整理する道なのだ。先王の教えは、充分に人の性を養育し、それでその(先王の教えの)徳を成就するものは、これ(楽)に付け加えることがない。そのうえ、その(楽の)教えである、意義の理のいうことができず、思慮の用いることができず、知らないうちに、帝王の法則にしたがう。よって、性の情の説は、昔には、ただ詩と楽だけに、これ(先王の教え)があった。喜怒哀楽も、また、人が必ずあるものなのだ。しかし、その(喜怒哀楽の)動きが一方で勝って、節度が適中しなければ、つまり必ず中和の気を傷つけ、それでその(先王の教え)恒常性を失うことに至る。徳が成就しにくい理由なのだ。よって、楽を確立して、それでこれ(先王の教え)を教える。性なるものは、人が天から受けたことで、いわゆる中は、これ(性)なのだ。よって、その幼児が最初に、喜怒哀楽がまだ事を用いない時によって、これ(中)をいう。いわゆる「人が生まれて静か」というもの、これ(中)なのだ。これ(中)は、必ず幼児が最初に、回復することを探し求めるというのではないのだ。また、静穏・謙虚によって至極とするというのでもないのだ。楽は、充分にその(人の)騒動を制止し、その(人の)過激を防止するために(制防)、よって、それ(人)がまだ、ひどくない時によって、これ(中)をいうのだ。『中庸』の未発の中のようなものも、また、未発の時を大元とし、功労を施す地盤とするのではない。ただ、人の性は、天と地の中を受ける、よって、先王の道は、人の性にしたがって、それでこれ(楽)を確立することをいうのだ。後世の儒学者は、古い言葉を知らず、古文辞(古い文章の言葉)を知らず、また、先王の教えの術を知らず、無闇に、それで本然の徳とし、務めて意義の理によって、これを説明し、結局、宋代の儒学者の悪習を成就した。石梁王・伊藤仁斎も、また、宋代の儒学者の解釈に依拠して古い文章の言葉を読み、それが孔子の門徒の言葉でないことを非難するものは、何か。たいてい、性と学習は、得て分別できないものなのだ。よって、昔は、性を語るのに、多く幼児の最初によって、これ(性)をいったのだ。どうして幼児を尊貴とするのか(いや、尊貴でない)。また、孟子の「大人(立派な人)なるものは、その赤子の心を失わないものなのだ」(『孟子』8-101)というようなものも、また、宋代の儒学者の(本然の性への)回復・(幼児の)最初の説に基づくことなのだ。意外にも、大人は、つまり偉大な舜(古代中国の伝説上の帝王)の誤りなのを、知らない。》

 

 

(4)

・仁義礼智為性、昉於漢儒、而成於宋儒。縁五行之説也。然孟子亦曰、君子所性、仁義礼智根於心。又曰、口之於味也、目之於色也、耳之於声也、鼻之於臭也、四肢之於安佚也、性也。有命焉。君子不謂性也。仁之於父子也、義之於君臣也、礼之於賓主也、智之於賢者也、聖人之於天道也、命也。有性焉。君子不謂命也。是其所祖述也。

 

[仁義礼智を性と為(な)すは、漢儒に昉(はじま)りて、宋儒に成る。五行の説に縁(よ)るなり。しかれども孟子もまたいわく、「君子の性とする所は、仁義礼智、心に根ざす」と。またいわく、「口の味におけるや、目の色におけるや、耳の声におけるや、鼻の臭(におい)におけるや、四肢(しし)の安佚(あんいつ)におけるや、性なり。命あり。君子は性といわざるなり。仁の父子におけるや、義の君臣におけるや、礼の賓主におけるや、智の賢者におけるや、聖人の天道におけるや、命なり。性あり。君子は命といわざるなり」と。これその祖述する所なり。]

 

《仁義礼智を性とするのは、漢代の儒学者に、はじまって、宋代の儒学に、成就した。5行(火水木金土)の説によるのだ。しかし、孟子も、また、いう、「君子(立派な人)が性とすることは、仁義礼智で、心に根ざす」(『孟子』13-197)と。また、いう、「口の味における、目の色における、耳の声における、鼻の臭いにおける、両手両足の安楽におけるのは、性なのだ。(しかし、)命がある。(よって、)君子は、性といわないのだ。仁の父と子における、義の君と臣における、礼の主人と賓客における、智の賢者における、聖人の天道におけるのは、命なのだ。(しかし、)性がある。(よって、)君子は、命といわないのだ」(『孟子』14-246)と。これは、それ(孟子)が継承して補い述べたことなのだ。》

 

・仁斎先生務言仁義礼智之非性也、可謂善獲孟子之意已。孟子固以仁義礼智根於心為性。非以仁義礼智為性。然其説本出於争内外立門戸焉。観其与告子争之、議論泉湧、口不択言、務服人而後已。其心亦安知後世有宋儒之災哉。是其褊心之所使、乃有不能辞其責者矣。夫仁智徳也。礼義道也。皆先王之所立也。孟子亦謂先王率人性以立道徳已。仁斎先生以四者為徳。亦非矣。

 

[仁斎先生、務めて仁義礼智の性にあらざることをいうや、善く孟子の意を獲たりというべきのみ。孟子は固(もと)より仁義礼智の心に根ざすをもって性を為(な)す。仁義礼智をもって性と為すにあらず。しかれども、その説は、もと内外を争い門戸を立つるに出(い)ず。その告子とこれを争うを観るに、議論、泉のごとく湧(わ)き、口は言を択(えら)ばず、務めて人を服せしめて、しかる後、已(や)む。その心は未だ、安(いずく)んぞ後世に宋儒の災あるを知らんや。これその褊心(へんしん)のせしむる所にして、乃(すなわ)ち、その責めを辞すること能(あた)わざる者あり。夫(そ)れ仁智は徳なり。礼義は道なり。皆、先王の立つる所なり。孟子もまた先王、人の性に率(したが)いて、もって道・徳を立つることをいうのみ。仁斎先生は、四者をもって徳と為す。また非なり。]

 

《伊藤仁斎先生が、務めて、仁義礼智が性でないことをいうのは、よく孟子の意思を獲得したということができるのだ。孟子は元々、仁義礼智が、心に根ざすことによって、性とした。仁義礼智を性とするのではない。しかし、その(孟子の)説は元々、(義の)内外を論争して、門戸を確立して出現した。それ(孟子)が告子とこれ(義の内外)を論争したのを観察すると、議論は、泉のように湧き起こり、口は、言葉を選ばず、務めて人を敬服させて、はじめて止んだ。その(仁義礼智が根本の)心は、まだ、どうして後世に、宋代の儒学者の災難があることを知るのか(いや、知らない)。これは、その(仁義礼智が根本の)狭い心が、させることで、つまりその(孟子の)責務を辞退することができないものなのだ。そもそも仁・智は、徳なのだ。礼・義は、道なのだ。すべて、先王が確立したことなのだ。孟子も、また、先王が、人の性にしたがって、それで道・徳を確立したことをいったのだ。伊藤仁斎先生は、4者(仁・義・礼・智)によって、徳とする。また、非(誤り)なのだ。》

 

 

(5)

・情者、喜怒哀楽之心、不待思慮而発者、各以性殊也。七情之目、医書曰、喜怒憂思悲驚恐。此就其発於五蔵者立之名。儒書曰、喜怒哀懼愛悪欲、或止言喜怒哀楽四者。此皆以好悪両端言之、大氐心情之分、以其所思慮者為心、以不渉思慮者為情。以七者之発不関乎性為心、関乎性者為情。凡人之性皆有所欲。而渉思慮則或能忍其性。不渉思慮則任其性所欲。故心能有所矯飾、而情莫有所矯飾。是心情之説也。凡人之性皆有所欲。而所欲或以其性殊。故七情之目、以欲為主。順其欲則喜楽愛。逆其欲則怒悪哀懼。是性各有所欲者見於情焉。故如曰情欲、曰天下之同情、皆以所欲言之。性各有所殊者亦見於情焉。故如曰万物之情、曰物之不斉、物之情也、皆以性所殊言之。又如孟子曰、是豈人之情也哉。直以為性。又如曰訟情、曰軍情、曰用其情、皆以其不匿内実言之。所謂訓実是也。亦以情莫有所矯飾故転用耳。且訟情軍情、亦各有一種態度。而得之則瞭然者、亦如情以性殊。故有是言焉。自宋儒以性為理、而字義遂晦、性情之所以相属者、不得其解。至於仁斎先生而後始明矣。

 

[情なる者は、喜・怒・哀・楽の心、思慮を待たずして発する者にして、各おの性をもって殊(こと)なるなり。七情の目(もく)は、医書にいわく、「喜・怒・憂・思・悲・驚・恐」と。これその五蔵より発する者に就きて、これが名を立つ。儒書には「喜・怒・哀・懼(く)・愛・悪(お)・欲」と曰(い)い、或いは止(ただ)「喜・怒・哀・楽」の四者をいう。これ皆、好悪(こうお)の両端をもって、これをいう。大氐(たいてい)、心・情の分は、その思慮する所の者をもって心と為(な)し、思慮に渉(わた)らざる者をもって情と為す。七者の発すること、性に関せざるをもって心と為し、性に関する者を情と為す。凡(およ)そ人の性は皆、欲する所あり。しこうして思慮に渉れば、すなわち或いは、よくその性を忍ぶ。思慮に渉らざれば、すなわち、その性の欲する所に任す。ゆえに心は、よく矯飾(きょうしょく)する所あり、しこうして情は矯飾する所あることなし。これ心・情の説なり。凡そ人の性は皆、欲する所あり。しこうして欲する所は、或いはその性をもって殊(こと)なり。ゆえに七情の目(もく)は、欲をもって主と為す。その欲に順(したが)うときは、すなわち喜・楽・愛なり。その欲に逆(さから)うときは、すなわち怒・悪・哀・懼なり。これ性は各おの欲する所の者ありて、情に見(あらわ)る。ゆえに「情欲」と曰い、「天下の同情」と曰うがごときは皆、欲する所をもって、これをいう。性は各おの殊なる所の者ありて、また情に見る。ゆえに「万物の情」と曰い、「物の斉(ひと)しからざるは、物の情なり」と曰うがごときは皆、性の殊なる所をもって、これをいう。また孟子に「これ、あに人の情ならんや」と曰うがごときは、直(ただ)ちに、もって性と為す。また「訟情」と曰い、「軍情」と曰い、「その情を用う」と曰うがごときは皆、その内実を匿(かく)さざるをもって、これをいう。いわゆる「実と訓ず」とは、これなり。また情を矯飾する所あることなきをもってのゆえに転用するのみ。かつ訟情・軍情も、また各おの一種の態度あり。しこうして、これを得れば、すなわち瞭然(りょうぜん)たる者も、また情の性をもって殊なるがごとし。ゆえにこの言あり。宋儒の性をもって理と為せしよりして、字義、遂に晦(くら)く、性・情の相属する所以(ゆえん)の者、その解を得ず。仁斎先生に至りて、しかる後、始めて明らかなり。]

 

《情なるものは、喜怒哀楽の心が、思慮を待たずに発するもので、各々の性によって、異なるのだ。7情の項目は、医学書によると、「喜・怒・憂・思・悲・驚・恐」。これは、それ(7情)が5臓(心→喜、肝→怒、肺→憂、脾→思、腎→恐、胆→驚、心胞→悲)から発するものについてで、これが名を確立した。儒学書では、「喜・怒・哀・懼(恐)・愛・悪・欲」といい、ただ「喜・怒・哀・楽」の4者といったりする。これは、すべて、好むと憎むの両端によって、これ(心)をいう。たいてい、心・情の分別は、それが思慮するものを心とし、思慮に行き渡らないものを情とする。7者が発することは、性に関係しないものを心とし、性に関係するものを情とする。だいたい人の性は、すべて、欲望することがある。そうして、思慮に行き渡れば、つまり充分にその性を耐え忍んだりする。思慮に行き渡らなければ、つまりその性が欲望することに任せる。よって、心は、充分に偽って飾ることがある。そうして、情は、偽って飾ることがない。これは、心と情の説明なのだ。だいたい人の性は、すべて、欲望することがある。そうして、欲望することは、その(人の)性によって、異なったりする。よって、7情の項目は、欲望を主とする。その欲望にしたがうならば、つまり喜・楽・愛なのだ。その欲望に逆らうならば、つまり怒・悪・哀・懼なのだ。これは、性が、各々、欲望するものがあって、情に現われる。よって、「情欲」といい、「天下の同情」というようなものは、すべて、欲望することによって、これ(情)をいう。性は、各々、異なるものがあって、また、情に現われる。よって、「万物の情」(『易経』)といい、「物が等しくないのは、物の情なのだ」(『孟子』5-50)というようなものは、すぐに、それで性とする。また、「訴訟の実情」といい、「軍事の実情」といい、「その実情を作用する」というようなものは、すべて、その内実を隠さないことによって、これ(情)をいう。いわゆる「実と注釈(訓注)する」とは、これなのだ。また、情を偽って飾ることがないのによって、転用するのだ。そのうえ、訴訟の実情・軍事の実情も、また、各々、一種の態度がある。そうして、これ(内実)を得れば、つまり明瞭なものも、また、情の性によって、異なるようなものだ。よって、この(情の)言葉がある。宋代の儒学者が、性を理とすること(性即理)によって、字義は、結局、暗くなり、性と情が相互に属する理由は、その(性即理の)解釈を得ない。伊藤仁斎先生に至って、はじめて、明らかになった。》

 

 

(6)

・仁斎先生曰、於心則曰存、曰尽。於性則曰養、曰忍。志則曰持、曰尚。若情与才、皆不必用工夫。先儒有約情之語、非也。是其人専守孟子、而不知先王礼楽之教。故以為情不理可也。観其論顔子不遷怒而曰、舜殛四凶、猶当有余怒、豈不然乎。夫情者不渉思慮者也。楽之為教、無義理之可言、無思慮之可用。故理性情以楽。是先王之教之術也。豈理学者流所能知哉。伊川先生所謂約情而適中、其言、豈非哉。然亦不知所以約之之方、而欲就情上用功則過矣。

 

[仁斎先生いわく、「心においては、すなわち「存す」と曰(い)い、「尽くす」と曰う。性においては、すなわち「養う」と曰い、「忍ぶ」と曰う。志には、すなわち「持す」と曰い、「尚(たか)くす」と曰う。情と才とのごときは皆、必ずしも工夫を用いず。先儒に「情を約す」の語あるは、非なり」と。これその人、専(もっぱ)ら孟子を守りて、先王の礼楽の教えを知らず。ゆえに以為(おも)えらく、情は理(おさ)めずして可なりと。その顔子の怒りを遷(うつ)さざるを論じて、「舜(しゅん)は四凶を殛(きょく)するも、なお当(まさ)に余怒(よど)あるべし」と曰うを観るに、あに、しからざらんや。夫(そ)れ情なる者は思慮に渉(わた)らざる者なり。楽(がく)の教え為(た)る、義理のいうべきなく、思慮の用うべきなし。ゆえに性・情を理むるに楽をもってす。これ先王の教えの術なり。あに理学者流のよく知る所ならんや。伊川先生のいわゆる「情を約して中に適(かな)わしむ」とは、その言、あに非ならんや。しかれども、またこれを約する所以(ゆえん)の方を知らずして、情の上に就きて功を用いんと欲するは、すなわち過(あやま)てり。]

 

《伊藤仁斎先生がいう、「心においては、つまり「存在する」といい、「尽くす」といい、性においては、つまり「養育する」といい、「耐え忍ぶ」という。意志は、「持つ」といい、「高くする」という。情と才のようなものは、すべて、必ずしも工夫を用いない。先代の儒学者に、「情をひかえめにする」の語句があるのは、非(誤り)なのだ」(『語孟字義』情3条)と。これは、その人が、ひたすら孟子を守って、先王の礼楽の教えを知らない。よって、思うに、情は、整理しないで、可な(よい)のだ。それが顔回(がんかい、孔子の高弟)の怒りを転移させないことを論考して、「舜は、4凶を殺しても、ちょうど当然、あり余る怒りがあるべきだ」というのを観察すると、どうして、そのようでないのか(いや、そのようだ)。そもそも情なるものは、思慮に行き渡らないものなのだ。楽の教えである、意義の理をいうことができるのではなく、思慮が用いることができるのではない。よって、性と情を整理するのに、楽によってする。これは、先王の教えの術なのだ。どうして理学の流派が充分に知るのか(いや、知らない)。程頤(ていい)先生のいわゆる「情を控えめにして、適中させる」とは、その言葉が、どうして非(誤り)なのか(いや、非でない)。しかし、また、これ(情)を控えめにする理由の方法を知らないで、情の上について、功労を用いようとするのは、つまり過失だ。》

 

 

(7)

・才材同。人之有材、譬諸木之材。或可以為棟梁、或可以為杗桷。人随其性所殊、而各有所能。是材也。如孟子所謂非才之罪、天之降才、不能尽其才、皆謂性也。仁斎先生訓性之能、為是。如高陽氏有不才子、則如云棄材也。謂其不可用也。又有唯訓能者。如周公多材多芸、盆成括小有才、是也。後世才字、皆唯訓能耳。

 

[才・材は同じ。人の材あるは、これを木の材に譬(たと)う。或いはもって棟梁(とうりょう)と為(な)すべく、或いはもって杗桷(ぼうかく)と為すべし。人はその性の殊(こと)なる所に随(したが)いて、各おの、よくする所あり。これ材なり。孟子のいわゆる「才の罪にあらず」、「天の才を降(くだ)す」、「その才を尽くすこと能(あた)わず」のごときは皆、性をいうなり。仁斎先生、「性の能」と訓ずるは、是(ぜ)と為す。高陽氏に不才子あるがごときは、すなわち棄材というがごときなり。その用うべからざるをいうなり。また、ただ「能」と訓ずる者あり。周公の「多材多芸」、盆成括(ぼんせいかつ)の「小(すこ)しく才あり」のごとき、これなり。後世、才の字は皆、ただ「能」と訓ずるのみ。]

 

《才と材は、同じだ。人の材があるのは、これを木の材に例えられる。それで(人の才の)棟梁とすることができたり、それで(木の材の)棟木・垂木とすることができたりする。人は、その性が異なることにしたがって、各々、充分にすることがある。これは、材なのだ。『孟子』のいわゆる「才の罪でない」(11-146)・「天が才をくだす」(11-147)・「その才を尽くすことができない」(11-146)のようなものは、すべて、性をいうのだ。伊藤仁斎先生が、「性の能」(『語孟字義』才1条)と注釈(訓注)するのは、是(正しい)とする。高陽氏に、才のない子がいたようなものは、つまり廃材というようなものなのだ。その(才のない子の)用いることができないのをいうのだ。また、ただ「能」と注釈するものがある。周公旦(周王朝の創始者の武王の弟、兄を補佐)の「多材多芸」(『書経』)、盆成括(斉に出仕したが殺害)の「少しの才がある」(『孟子』14-251)のようなものは、これ(材)なのだ。後世に、才の字は、すべて、ただ「能」(才能)と注釈したのだ。》

 

 

(つづく)