荻生徂徠「弁名」下・読解8~心・志・意、思・謀・慮 | ejiratsu-blog

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(つづき)

 

 

○心・志・意:9則

 

(1)

・心者、人身之主宰也。為善在心、為悪亦在心。故学先王之道以成其徳、豈有不因心者乎。譬諸国之有君。君不君則国不可得而治。故君子役心、小人役形。貴賤各従其類為爾。国有君則治、無君則乱。人身亦如此。心存則精、心亡則昏。然有君而如桀紂、国豈治哉。心雖存而不正、豈足貴哉。且心者動物也。故孔子曰、操則存、舎則亡。出入無時、莫知其郷。惟心之謂与、是言雖操則存、操之不可久、不得不舎、舎則亡、操之無益於存也。何則、心者不可二者也。夫方其欲操心也。其欲操之者亦心也。心自操心、其勢、豈能久哉。故六経論語、皆無操心存心之言。書曰、以礼制心。是先王之妙術、心不待操而自存、心不待治而自正。挙天下治心之方、莫以尚焉。後世儒者僅知心之可貴、而不知遵先王之道、妄作種種工夫、求以存其心。謬之大者也。学者思諸。

 

[心なる者は、人身の主宰なり。善を為(な)すは、心に在(あ)り、悪を為すも、また心に在り。ゆえに先王の道を学びて、もってその徳を成すは、あに心に因(よ)らざる者あらんや。これを国の君あるに譬(たと)う。君、君たらずんば、すなわち国は得て治むべからず。ゆえに君子は心を役し、小人(しょうじん)は形を役す。貴賤、各おのその類に従う者、しかりと為す。国に君あれば、すなわち治り、君なければ、すなわち乱る。人の身もまた、かくのごとし。心、存すれば、すなわち精(くわ)しく、心、亡(うしな)わるれば、すなわち昏(くら)し。しかれども君あるも桀(けつ)・紂(ちゅう)のごとくんば、国あに治まらんや。心、存すといえども正しからずんば、あに貴ぶに足らんや。かつ心なる者は動く物なり。ゆえに孔子いわく、「操(と)れば、すなわち存し、舎(す)つれば、すなわち亡(うしな)わる。出入、時なく、その郷(きょう)を知るなしとは、ただ心のいいか」と。これいうは、操れば、すなわち存すといえども、これを操ること久しかるべからざるときは、舎てざるを得ず、舎つれば、すなわち亡われ、これを操るも存するに益なしとなり。何となれば、すなわち心なる者は、二つにすべからざる者なり。それその心を操らんと欲するに方(あた)りてや、そのこれを操らんと欲する者もまた心なり。心、自(みずか)ら心を操る、その勢い、あによく久しからんや。ゆえに六経・論語は皆、「心を操る」「心を存す」の言なし。書にいわく、「礼をもって心を制す」と。これ先王の妙術にして、心は操ることを待たずして、自(おの)ずから存し、心は治むることを待たずして、自ずから正し。天下の心を治むるの方を挙(あ)ぐるに、もってこれに尚(くわ)うるなし。後世の儒者は、僅(わず)かに、心の貴ぶべきことを知れども、先王の道に遵(したが)うことを知らず、妄(みだ)りに種種の工夫を作(な)して、もってその心を存せんことを求む。謬(あやま)りの大なる者なり。学者これを思え。]

 

《心(内面)なるものは、人身(外面)の支配者なのだ。善をするのは、心に存在し、悪をするのも、また、心に存在する。よって、先王の道を学んで、それでそれ(人)が徳を成就することは、どうして心によらないものがあるのか(いや、心による)。これを国の君主があることに、例えられる。君主が、君主でなければ、つまり国は、得て治めることができない。よって、君子(立派な人)は、心(内面)を役割し、庶民は、形(外面)を役割する。高貴か卑賤かが、各々、その同類にしたがうものは、そのようだとする。国に君主があれば、つまり治まり、君主がなければ、つまり乱れる。人身も、また、このようなものだ。心が存在すれば、つまり精通し、心が亡失すれば、つまり混迷(昏迷)する(存亡)。しかし、君主があっても、桀王(夏王朝の最後の帝王)・紂王(殷王朝の最後の帝王)のようなものならば、国は、どうして治まるのか(いや、治まらない)。心が存在するといっても、正しくなければ、どうして尊貴するのに充分なのか(いや、充分でない)。そのうえ、心なるものは、動く物がある。よって、孔子がいう、「取って守れば、存在し、捨てれば、亡失する。出入は、時機がなく、その居場所を知ることがないのは、ただ心をいうのか」(『孟子』11-148)と。これがいうのは、取って守れば、つまり存在するといっても、これを取って守ることが、長くできなければ、捨てざるを得ず、捨てれば、つまり亡失し、これを取って守るのも、存在するのに無益なのだ。なぜならば、つまり心なるものは、2つにすることができないものなのだ。それは、その心を取って守ろうとするのにあたって、それがこれを取って守ろうとするものも、また、心だからなのだ。心は、自分で心を取って守り、その勢いは、どうして充分に長いのか(いや、長くない)よって、6経・『論語』は、すべて、「心を取って守る」・「心が存在する」の言葉がない。『書経』によると、「礼によって、心を制する」。これは、先王の霊妙な術で、心は、取って守ることを待たないで、自然に存在し、心は、治めることを待たないで、自然に正しくなる。天下の心を治める方法を取り上げると、それでこれに付け加えることがない。後世の儒学者は、わずかに、心の尊貴すべきことを知っているが、先王の道にしたがうことを知らず、無闇に、様々な工夫を作為して、それでその心を存在することを探し求める。誤りが偉大なものなのだ。学者は、これを思慮せよ。》

 

 

(2)

・孔子曰、依於仁。又曰、其心三月不違仁。是孔子教学者、使其心常依於先王安民之徳、不相違離也。又曰、択不処仁、焉得知。言居其心於仁也。其言雖殊、其義実同。蓋皆古語也。夫仁者先王所以制礼也。苟為礼而不知礼之所以制、則徳難成焉。然当三代之隆、士学而成、則挙而用之、一世之人、游泳於先王之仁、黙而識之。豈有不依焉者哉。及於春秋之時、大夫世官、賢者不用。先王之仁、遠而不可見、則士之学先王之道独善其身者、比比皆是。於是乎遂忘其仁、而徒以為芸。徳之所以難成也。故孔子教以依於仁。亦衰世之意也。豈出於礼之外哉。然先王之仁不可見者、其在今世、亦甚於春秋之時、則仁礼二言、永為千万世治心之道也。

 

[孔子いわく、「仁に依(よ)る」と。またいわく、「その心、三月、仁に違(たが)わず」と。これ孔子、学者を教うるに、その心をして常に先王の民を安んずるの徳に依(よ)りて、相違離(いり)せざるしむるなり。またいわく、「択(えら)んで仁に処(お)らずんば、いずくんぞ知たるを得ん」と。その心を仁に居(お)くをいうなり。その言は殊(こと)なりとえいども、その義は実は同じ。けだし皆、古語なり。夫(そ)れ仁なる者は、先王の礼を制する所以(ゆえん)なり。いやしくも礼を為(な)せども、礼の制せらるる所以を知らずんば、すなわち徳は成り難(がた)し。しかれども三代の隆(さか)んなるに当(あた)りては、士、学びて成れば、すなわち挙(あ)げて、これを用い為(た)れば、一世の人、先王の仁に游泳(ゆうえい)して、黙して、これを識(し)れり。あに、これに依らざる者あらんや。春秋の時に及んで、大夫(たいふ)は官を世(よよ)にし、賢者は用いられず。先王の仁は、遠くして見るべからざれば、すなわち士の先王の道を学んで独りその身を善くする者、比比として皆これなり。ここにおいてか遂に、その仁を忘れて、徒(いたず)らに、もって芸と為す。徳の成り難(がた)き所以なり。ゆえに孔子は教うるに「仁に依る」をもってす。また哀世の意なり。あに礼の外(ほか)に出(い)でんや。しかれども先王の仁の見るべからざる者(こと)は、その今の世に在(あ)りても、また春秋の時より甚(はなは)だしければ、すなわち仁・礼の二者は、永(とこしえ)に千万世、心を治むるの道と為るなり。学者これを思え。]

 

《孔子がいう、「仁に依拠する」(『論語』7-153)と。また、いう、「(高弟の顔回/がんかいは、)その心が3ヶ月も、仁に背反(違背)しない」(『論語』6-124)と。これは、孔子が学ぶ者を教えるのに、その心で、いつも、先王が民を安寧する徳に依拠して、相互に背反・分離させないようにしたのだ。また、いう、「選択して、仁に居処しなければ、どうして知識が得られるのか(いや、得られない)」(『論語』4-67)と。その心を仁に居処することをいうのだ。その言葉は、異なるといっても、その意義は、実際には同じだ。思うに、すべて、古い言葉なのだ。そもそも仁なるものは、先王が礼を制する理由なのだ。もしも、礼をしても、礼が制せられる理由を知らなければ、つまり徳は成就しにくい。しかし、3代(夏王朝・殷王朝・周王朝)の隆盛にあたっては、士(大夫の下位)が学んで成就すれば、つまり推挙して、これ(士)を登用すれば、当時の人々は、先王の仁で世渡りし、沈黙して、これ(仁)を認識した。どうして、これ(仁)に依拠しないものがあるのか(いや、仁に依拠する)。春秋時代に及ぶと、大夫(卿/けいの下位で、士の上位)は、官職を世襲し、賢者は、登用しなくなった。先王の仁は、遠くなって見ることができなければ、つまり士が、先王の道を学んで、一人でその(わが)身をよくするものは、一様に、すべて、これ(仁)なのだ。こういうわけで、結局、その仁を忘れて、無駄に、それで芸とする。徳が成就しにくい理由なのだ。よって、孔子は、教えるのに、「仁に依拠する」ことによってする。また、非哀な時代の意味なのだ。どうして礼の他に出るのか(いや、礼の他にない)。しかし、先王の仁が見ることができないことは、それ(先王の仁)が今の時代に存在しても、また、春秋時代よりも、ひどければ、つまり仁・礼の2者は、永遠に全時代で、心を治める道となるのだ。学者は、これを思慮せよ。》

 

 

(3)

・存心之説、昉於孟子、対放心言之。宋儒持敬所祖。然究孟子之意、亦其性善之説已。何則、其所謂心者、惻隠羞悪辞譲是非之心也。放心者、謂学者不察仁義礼智根於心遂失之也。故曰放、曰求、皆論説之辞、而非若宋儒所言者焉。宋儒以為工夫。可謂獃已。仁斎先生弁之是矣。

 

[「存心」の説は、孟子に昉(はじま)り、「放心」に対して、これをいう。宋儒の持敬の祖とする所なり。しかれども孟子の意を究(きわ)むるに、またその性善の説のみ。何となれば、すなわち、そのいわゆる心なる者は、惻隠(そくいん)・羞悪(しゅうお)・辞譲(じじょう)・是非の心をいうなり。「放心」なる者は、学者、仁・義・礼・智の心に根ざすことを察せず、遂に、これを失うをいうなり。ゆえに「放つ」と曰(い)い、「求む」と曰うは皆、論説の辞にして、宋儒のいう所のごとき者にあらず。宋儒は、もって工夫と為(な)す。獃(がい)というべきのみ。仁斎先生、これを弁ずること、是(ぜ)なり。]

 

《「存心(心を保存すること)」(8-117)の説は、『孟子』からはじまり、「放心(心を放失すること)」(11-148,151)に対立して、これ(存心)をいう。宋代の儒学者が、持敬(敬の心を保持すること)の始祖とすることなのだ。しかし、孟子の意思を探究すると、また、その(孟子の)性善説なのだ。なぜならば、つまり、その(孟子の)いわゆる心なるものは、同情・羞悪・謙譲・是非の心をいうのだ。「放心」なるものは、学ぶ者が、仁・義・礼・智の心に根ざすことを推察せず、結局、これ(心)を失うことをいうのだ。よって、(心を)「放つ」といい(放失)、(心を)「探し求める」というのは、すべて、論説の言葉で、宋代の儒学者がいうことのようなものでない。宋代の儒学者は、それで工夫とする。愚かということができる。伊藤仁斎先生が、これ(心)を弁別することは、是な(正しい)のだ。》

 

 

(4)

・本心亦出於孟子。観其以郷与今対言、其意但謂其初時之意耳。宋儒以為心之本然、仁斎先生以為良心。皆不知辞者已。

 

[「本心」もまた孟子に出(い)ず。その「郷(さき)」と「今」とをもって、対言するを観れば、その意は、但(ただ)その初時の意をいうのみ。宋儒は、もって心の本然と為(な)し、仁斎先生は、もって良心と為す。皆、辞を知らざる者のみ。]

 

《「本心」(11-150)も、また、『孟子』に出ている。それ(『孟子』)が「前(先)」(死んでも、非礼な食を受けないこと)と「今」(屋敷の美・妻や妾/めかけの養い・貧困者の施しで、不義を行うこと)によって、対立する言葉を観察すると、その(本心の)意味は、ただ、その(前と今の)最初(前)の時の意思をいうのだ。宋代の儒学者は、それで心の本然の性とし、伊藤仁斎先生は、それで良心とする。両者とも、言葉を知らないものなのだ。》

 

 

(5)

・惻隠羞悪辞譲是非之心為四端。端猶言一端也。亦謂其微物已。朱子以為端緒。其意謂仁義礼智全於性、而四者乃其端緒発見於外也。是仏書覆蔵心之説耳。仁斎先生以為端本。其意拠孟子拡充之言、而謂有引而伸之意。豈然乎。孟子亦曰養性。是自有先王教法、養以成其徳已。如其拡充之言、亦如曰天昭昭之多也。論説之言為爾。雖孟子、豈必求拡充四端之心以成仁義礼智哉。而固泥其拡充之言、以此為工夫、遂有端本之説、亦非矣。

 

[惻隠(そくいん)・羞悪(しゅうお)・辞譲(じじょう)・是非の心を四端と為(な)す。端は、なお一端というがごときなり。またその微なる者をいうのみ。朱子は、もって端緒と為す。その意は、仁義礼智は性に全くして、四者は、乃(すなわ)ち、その端緒、外(そと)に発見すというなり。これ仏書の覆蔵心(ふくぞうしん)の説のみ。仁斎先生は、もって端本と為す。その意は、孟子の拡充の言に拠(よ)りて、引きて、これを伸(のば)すの意ありという。あに、しからんや。孟子もまた「性を養う」と曰(い)う。これ自(おの)ずから先王の教法ありて、養いて、もってその徳を成すのみ。その拡充の言のごときも、また「天は昭昭の多きなり」と曰うがごときなり。論説の言、しかりと為す。孟子といえども、あに必ずしも四端の心を拡充して、もって仁義礼智を成すことを求めんや。しかも固くその拡充の言に泥(なず)みて、これをもって工夫と為し、遂に、端本の説あるは、また非なり。]

 

《(孟子は、)同情・羞悪・謙譲・是非の心を4端とする。端は、ちょうど、ひとつの端というようなものだ。また、それ(端)が微なるものをいうのだ。朱子は、それで端緒とする。その意味は、仁・義・礼・智が、本性に完全で、4者(4端)は、つまり、その(仁・義・礼・智)端緒が、外に発現することをいうのだ。これは、仏教書の覆蔵心(心を覆い隠しても、必ず現れること)の説なのだ。伊藤仁斎先生は、それで端緒の本始とする。その(仁斎の)意思は、孟子の拡充の言葉に依拠して、(繭/まゆの糸口から、糸を引いて伸ばすように、)引いて、これ(仁・義・礼・智)を伸ばす意味があるという。どうして、そのようになるのか(いや、そうならない)。孟子も、また、「性を養う」という。これは、自然に、先王の教えがあって、養って、それでその(仁・義・礼・智)の徳を成就するのだ。その(孟子の)拡充という言葉のようなものも、また、「天は、明るい輝きが多いのだ」(『中庸』14-26)というようなものだ。論説の言葉は、そのようだとする。孟子といっても、どうして必ず4端の心を拡充して、それで仁・義・礼・智を成就することを探し求めたのか(いや、していない)。しかも、堅固に、その(孟子の)拡充の言葉に執着して、これによって工夫とし、結局、端緒の本始の説は、また、非(誤り)なのだ。》

 

 

(6)

・宋儒曰、聖人之心、如明鏡止水。是不知心之為動物。仁斎先生駁之有是矣。又曰、廓然大公、物来順応。是或一道也。如不逆詐、不億不信、亦是意。然専以此為至、則亦明鏡止水之見耳。如虚受人、亦以受人言納人諫時言之。虚者謂虚其心而不有一物也。豈語其常哉。仁斎先生以無私心為虚、亦非矣。仮使無私心、当其受人言、先有所見横其胸中、則必不入、故当其受人言、則必心不有一物、是其道也。豈無私心之謂乎。

 

[宋儒いわく、「聖人の心は、明鏡止水のごとし」と。これ心の動く物為(た)ることを知らず。仁斎先生、これを駁(ばく)する者、是(ぜ)なり。またいわく、「廓然(かくぜん)として、大公(たいこう)、物、来(きた)りて、順応す」と。これ或いは一道なり。「詐(いつわ)るを逆(むか)えず、信ぜざるを億(おも)わず」のごときも、またこの意なり。しかれども専(もっぱ)ら、これをもって至れりと為(な)さば、すなわち、また明鏡止水の見のみ。「虚にして人を受く」のごときも、また人の言を受け人の諫(いさ)めを納(おさめ)るるの時をもって、これをいう。虚なる者は、その心を虚にして、一物をも有せざるをいうなり。あに、その常を語らんや。仁斎先生、私心なきをもって虚と為すは、また非なり。仮りに、私心なからしむるも、その人の言を受くるに当(あた)りて、先に見る所のその胸中に横たわることあらば、すなわち必ず入らず。ゆえにその人の言を受くるに当りては、すなわち必ず心に一物をも有せざるは、これその道なり。あに私心なきのいいならんや。]

 

《宋代の儒学者がいう、「聖人の心は、明るく澄んだ鏡・静止した水のようなものだ」と。これは、心が動く物であることを知らない。伊藤仁斎先生が、これを批判するのは、是な(正しい)のだ。また、いう、「心がむなしくて、大公(君主)は、物が向こうから来れば、順応する」と。これは、ひとつの道なのだとしたりする。「偽りのことを迎え入れず、信じないことを推し測れない」(『論語』14-365)のようなものも、また、この意味なのだ。しかし、ひたすら、これによって至極とすれば、つまり、また、明鏡止水の見方なのだ。「空虚にして、人を受け入れる」(『易経』)のようなものも、また、人の言葉を受け入れ、人が諫めたことを納める時によって(諫言、納受)、これ(心)をいう。虚なるものは、それ(人)が心を空虚にして、ひとつの物も、保有しないことをいうのだ。どうして、それが、いつも語るのか(いや、語らない)。伊藤仁斎先生が、私心のないことによって、空虚とするのは、また、非(誤り)なのだ。仮りに、私心をなくさせても、その人の言葉を受け入れるのにあたって、先見的に、その(人の)胸の中に横たわることがあれば、つまり必ず受け入れない。よって、その人の言葉を受け入れるのにあたっては、つまり必ず心にひとつの物も、保有しないのは、これが、その(ひとつの)道なのだ。どうして私心がないことをいうのか(いや、そうでない)。》

 

 

(7)

・孟子曰、尽其心者知其性也。是謂尽其心力以思之耳。正与梁恵王所謂寡人之於国也。尽心焉耳矣同意。言但人不思耳。思之則能知性之善、知聖之善則知天道之与善。孟子本意、不過若是矣。宋儒不識先王教法。故就論語孟子字面、以求学問之方、遂謂尽心者尽心之量也。妄哉。豈有所謂心之量者乎。仁斎先生曰、謂拡充四端之心而至于其極也。果其言之是乎、則当曰知其性有尽其心也。其言之倒置、豈非強乎。亦欲為聖人故耳。

 

[孟子いわく、「その心を尽くす者は、その性を知るなり」と。これその心力を尽くして、もってこれを思うことをいうのみ。正(まさ)に梁の恵(けい)王のいわゆる「寡人(かじん)の国におけるや、心を尽くすのみ」と同意なり。いうは、ただ人、思わざるのみ、これを思えば、すなわち、よく性の善を知る、性の善を知れば、すなわち天道の善に与(くみ)するを知ると。孟子の本意は、かくのごときに過ぎざるのみ。宋儒は先王の教法を識(し)らず。ゆえに論語・孟子の字面(じづら)に就きて、もって学問の方を求め、遂に「心を尽くすとは、心の量を尽くすなり」という。妄なるかな。あに、いわゆる心の量なる者あらんや。仁斎先生いわく、「四端の心を拡充して、その極に至るをいうなり」と。果たして、その言の是(ぜ)ならんか、すなわち、当(まさ)に「その性を知る者は、その心を尽くす」と曰(い)うべきなり。その言の倒置、あに強(し)うるにあらずや。また聖人為(た)らんと欲するがゆえのみ。]

 

《孟子がいう、「その心を尽くすものは、その本性を知ることなのだ」(『孟子』13-177)と。これは、その心の力を尽くして、それでこれ(本性)を思うことをいうのだ。まさに魏の恵王のいわゆる「徳の少ない私が、国においては、心を尽くすのだ」(『孟子』1-3)と同様の意味なのだ。いっているのは、ただ人が思わないだけで、これ(本性)を思えば、つまり充分に性善を知り、性善を知れば、つまり天道が善に関与することを知ると。孟子の本意は、このように、過ぎ去っていないのだ。宋代の儒学者は、先王の教えを知らない。よって、『論語』・『孟子』の表面(受ける感じ)について、それで学問の方法を探し求め、結局、「心を尽くすとは、心の容量を尽くすことなのだ」という。妄想だな。どうして、いわゆる心の容量なるものがあるのか(いや、ない)。伊藤仁斎先生がいう、「4端の心を拡充して、その至極をいうのだ」と。本当に、その言葉が是な(正しい)のか、つまり当然、「その本性を知るものは、その心を尽くす」というべきなのだ。その言葉の倒置は、どうして強制でないのか(いや、強制だ)。また、聖人であるとしたいからなのだ。》

 

 

(8)

・志者心之所之、此説文之訓也。是以字偏傍為説。字学家之言耳。仁斎先生曰、心之所存主也。得之。医書腎蔵精与志、亦可見已。

 

[志なる者は、心の之(ゆ)く所、これ説文の訓なり。これ字の偏傍(へんぼう)をもって説を為(な)す。字学家の言のみ。仁斎先生いわく、「心の存主する所なり」と。これを得たり。医書に「腎(じん)は精と志とを蔵す」と。また見るべきのみ。]

 

《志なるものは、心が行く着くことで、これは、『説文解字』(せつもんかいじ、後漢代の部首別漢字字典)の注釈(訓注)なのだ。これは、字の偏(へん)と旁(つくり)によって説明をする。文字の学派の言葉なのだ。伊藤仁斎先生がいう、「心の主体が存在することなのだ」(『語孟字義』志1条)と。これを得た。医学書によると、「腎(腎臓)は、精(精気)と志(意志)を内蔵する」。また、見ることができるのだ。》

 

 

(9)

・意者謂起念也。人之不可無者也。雖聖人亦爾。如子絶四毋意、本以孔子行礼言之。孔子之心、与礼一矣。故当其行礼、若全不経意然。是形容其動容周旋中礼者爾。後儒不識語意所在、或謂無私意、或謂聖人盛徳之至自無往来計較之心也。皆泥矣。如大学誠意、乃以好悪言之。意之誠、格物之功效也。朱註以来、皆不解文意。

 

[意なる者は、念を起(おこ)すをいうなり。人のなかるべからざる者なり。聖人といえども、また、しかり。「子、四を絶つ」の「意なし」のごときは、もと孔子、礼を行うをもって、これをいう。孔子の心は、礼と一なり。ゆえにその礼を行うに当(あた)りて、全く意を経ざるがごとく、しかり。これその動容周旋の礼に中(あた)る者を形容するのみ。後儒は語意の在(あ)る所を識(し)らず、或いは私意なしといい、或いは聖人盛徳の至りは、自(おの)ずから往来・計較(けいこう)の心なしというなり。皆、泥(なず)めり。大学の誠意のごときは、すなわち好悪をもって、これをいう。意の誠なるは、格物の功效なり。朱註以来、皆、文意を解せず。]

 

《意なるものは、思念を発起することをいうのだ。人が(意)なしでは、できないものなのだ。聖人といっても、また、そのようだ。「孔子が、4つ(意・必・固・我)を断絶する」(『論語』9-209)の(1つの)「意地にならない」のようなものは、元々、孔子が礼を行うことによって、これ(意)をいった。孔子の心は、礼とひとつなのだ。よって、それ(孔子)が礼を行うことにあたって、完全に意味を経ないようなものは、そのようだ。これは、それ(孔子)が態度・動作の礼に適中するものを形容するのだ。後世の儒学者は、語句の意味があることを知らず、私的な意思がないといったり、聖人の盛大な徳の至極は、自然に、往来・計量・比較の心がないといったりするのだ。すべて、執着なのだ。『大学』の誠意のようなものは、つまり好むか憎むかによって、これ(意)をいう。意の誠は、格物(物を極めること)の効果なのだ。朱子の注釈以来、すべて、文意を理解していない。》

 

 

○思・謀・慮:2則

 

(1)

・思者思惟也。論語曰、学而不思則罔。子夏曰、切問而近思。中庸曰、博学之、審問之、慎思之、明弁之、篤行之。管子曰、思之思之。思之而不通、鬼神将通之。是学問之道、思為貴也。洪範曰、思曰睿。睿作聖。是聖人之徳、以其善思也。孟子曰、心之官則思。是人之所以為人、亦以其能思已。後儒之無深遠之思、乃以三思為大過。妄哉。

 

[思なる者は思惟(しい)なり。論語にいわく、「学んで思わざれば、すなわち罔(くら)し」と。子夏(しか)いわく、「切に問いて近く思う」と。中庸にいわく、「博(ひろ)く、これを学び、審(つまびら)かに、これを問い、慎んで、これを思い、明らかに、これを弁じ、篤(あつ)く、これを行う」と。管子にいわく、「これを思い、これを思う。これを思いて通ぜずんば、鬼神、まさにこれを通ぜんとす」と。これ学問の道は、思うことを貴(たっと)しと為(な)すなり。洪範にいわく、「思には睿(えい)と曰(い)う。睿は聖と作(な)る」と。これ聖人の徳は、その善く思うをもってなり。孟子いわく、「心の官は、すなわち思う」と。これ人の人為(た)る所以(ゆえん)も、またその、よく思うをもってのみ。後儒の深遠の思いなき、乃(すなわ)ち三思をもって大いに過(す)ぐと為す。妄なるかな。]

 

《思なるものは、思惟なのだ。『論語』によると、「学んでも、思惟がなければ、つまり暗い」(2-31)。子夏(孔子の弟子)がいう、「切実に質問して、身近に思惟する(切問近思)」(『論語』19-477)と。『中庸』によると、「広く、これを学び(博学)、詳しく、これを問い(審問)、慎重に、これを思惟し(慎思)、明確に、これを弁別し(明弁)、熱心に、これを行動(篤行/とっこう)する」(11-22)。『管子』によると、「これを思惟し、これを思惟する。これを思惟して通用しなければ、鬼神(神霊)が、まさにこれを通用しようとする」。これは、学問の道が、思惟を尊貴とするのだ。(『書経』の)洪範篇によると、「思惟は、英知(叡智)という。英知は、聖を作為する」。これは、聖人の徳が、その(聖人の)よい思惟によってなのだ。『孟子』によると、「心の官職は、つまり思惟だ」(11-155)。これは、人である理由も、また、その(聖人の)よい思惟によってなのだ。後世の儒学者が、深遠の思惟がないのは、つまり3度の思惟を大変な過剰とする。妄想だな。》

 

 

(2)

・慮亦思之精也。有委曲詳悉意。多以処事言之。故亦有危懼意。然如曰士四十始仕、出謀発慮、謀以方略言之、慮主我心言之。謀者有所営為也。或為人謀、或就人謀。皆必有所営為之事、而論定其所以処置之方法也。如嘉謀嘉猷及出謀、皆指其所処置之術言之。孔子曰、好謀而成。則聖人之貴術也。自後世詐謀詐術之説興、而儒者諱言術字、遂務欲説其理以喩人。拙哉。

 

[慮もまた思の精(くわ)しきなり。委曲・詳悉の意あり。多くは事を処するをもって、これをいう。ゆえにまた危懼(きく)の意あり。しかれども「士は四十にして始めて仕(つか)う。謀(たばかり)出(いだ)し、慮を発す」と曰(い)うごときは、謀は方略をもって、これをいい、慮は我が心を主として、これをいう。謀なる者は営為する所あるなり。或いは人の為に謀(はか)り、或いは人に就きて謀る。皆、必ず営為する所の事ありて、その処置する所以(ゆえん)の方法を論定するなり。「嘉謀(かぼう)・嘉猷(かゆう)」及び「謀出す」のごときは皆、その処置する所の術を指して、これをいう。孔子いわく、「謀を好んで成る」と。すなわち聖人の術を貴(たっと)ぶなり。後世に詐謀(さぼう)・詐術の説、興(おこ)りてよりして、儒者は術の字をいうことを諱(い)み、遂に務めて、その理を説きて、もって人を喩(さと)さんことを欲す。拙(せつ)なるかな。]

 

《慮も、また、思惟の精緻なのだ。詳細の意味がある。多くは、事を対処することによって、これ(慮)をいう。よって、また、危惧の意味がある。しかし、「士は、40歳で初めて仕える。謀を出し、慮を発する」というようなものは、謀は、方策・計略によって、これをいい、慮は、自分の心を主として、これをいう。謀なるものは、営為することがあるのだ。人のために謀ったり、人について謀ったりする。すべて、必ず営為する事があって、その処置する理由の方法を論考・決定するのだ。「嘉謀・嘉猷」・「謀出す」のようなものは、すべて、その処置する術を指して、これ(謀)をいう。孔子がいう、「謀をうまく成就する」(『論語』7-157)と。つまり、聖人が、術を尊貴したのだ。後世に、詐謀(偽りの計略)・詐術(偽りの手段)の説がおこったので、儒学者は、術の字をいうことを忌み嫌い、結局、務めて、その(術の)理を説いて、それで人を教え諭そうとした。稚拙だな。》

 

 

(つづく)