荻生徂徠「弁名」下・読解9~理・気・人欲(1)-(2) | ejiratsu-blog

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(つづき)

 

 

○理・気・人欲:5則

 

(1)

・理者、事物皆自然有之。以我心推度之、而有見其必当若是与必不可若是、是謂之理。凡人欲為善、亦見其理之可為而為之、欲為悪、亦見其理之可為而為之。皆我心見其可為而為之。故理者無定準者也。何則、理者無適不在者也。而人之所見、各以其性殊。辟則飴一焉。伯夷見之而曰、可以養老、盗跖見之而曰、可以沃枢。是無它。人各見其所見、而不見其所不見、故殊也。故理苟不窮之、則莫能得而一焉。然天下之理、豈可窮尽乎哉。惟聖人有能窮理而立之極。礼与義是也。故説卦所謂窮理者、聖人之事、而凡人之所不能也。故先王孔子之道、言義而不言理。是豈廃理哉。苟能執先王之義以推其理、則所見有定準而理得故也。理者人所皆見、故不待言之也。

 

[理なる者は、事物、皆、自然に、これあり。我が心をもって、これを推度(すいたく)して、その必ず、まさに、かくのごとくなるべきと、必ず、かくのごとくなるべからざるとを見ることあり、これこれを理という。凡(およ)そ人、善を為さんと欲するときも、またその理の為すべきを見て、これを為し、悪を為さんと欲するときも、またその理の為すべきを見て、これを為す。皆、我が心、その為すべきを見て、これを為す。ゆえに理なる者は定準なき者なり。何となれば、すなわち理なる者は適(ゆ)くとして在(あ)らざることなき者なり。しこうして人の見る所は、各おの、その性をもって殊(こと)なり。辟(たと)えば、すなわち飴(あめ)は一なり。伯夷(はくい)はこれを見て、「もって老を養うべし」と曰(い)い、盗跖(とうせき)はこれを見て、「もって枢(くるる)に沃(そそ)ぐべし」と曰う。これ它(た)なし。人(ひとびと)各おの、その見る所を見て、その見ざる所を見ず、ゆえに殊なるなり。ゆえに理は、いやしくもこれを窮(きわ)めずんば、すなわち、よく得て一にすることなし。しかれども天下の理は、あに窮め尽くすべけんや。ただ聖人のみ、よく我の性を尽くし、よく人の性を尽くし、よく物の性を尽くして、天地とその徳を合す。ゆえにただ聖人のみ、よく理を窮めて、これが極を立つることあり。礼と義とこれなり。ゆえに説卦にいわゆる「理を窮む」という者は、聖人の事にして、凡人の、よくせざる所なり。ゆえに先王・孔子の道は、義をいいて理をいわず。これ、あに理を廃するならんや。いやしくも、よく先王の義を執りて、もってその理を推さば、すなわち見る所に定準ありて理、得られるがゆえなり。理なる者は人の皆、見る所、ゆえにこれをいうを待たざるなり。]

 

《理なるもの、事物は、すべて、自然に、これ(理)がある。私の心によって、これ(理)を推測して、それ(理)が、必ず今にも、このようにすべきと、必ず、このようにすべきでないのを、見ることがあり、これ(すべきか否か)のこれ(自然な心)を理という。だいたい人は、善をしたいとすれば、また、その(善の)理のすべきを見て、これをし、悪をしたいとすれば、また、その(悪の)理のすべきを見て、これをする。すべて、私の心が、その(理の)すべきを見て、これをする。よって、理なるものは、一定の基準がないものなのだ。なぜならば、つまり理なるものは、適応して、存在しないことがないものなのだ。そうして、人が見ることは、各々、その(人の)本性によって異なる。例えば、つまり飴は、ひとつなのだ。伯夷(孤竹/こちく国の王子)は、これ(飴)を見て、「それで老人を奉養すべきだ」といい、盗賊団の親分は、これ(飴)を見て、「それで(開き戸の音が鳴らないように、)回転軸に注ぐべきだ」という。これは、他でもない。人々は、各々、その(理の)見ることを見て、その(理の)見ないことを見ないで、よって異なるのだ。よって、理は、もしも、これ(理)を探究しないならば、つまり充分に得て、ひとつになることがない。しかし、天下の理は、どうして探究し尽くすことができるのか(いや、できない)。ただ聖人だけは、充分に自分の本性を尽くし、充分に人の本性を尽くし、充分に物の本性を尽くして、天地とその(自分・人・物の)徳を合一する。よって、ただ聖人だけは、充分に窮理(理を探究)して、これ(窮理)が至極を確立することがある。礼と義が、これ(窮理)なのだ。よって、(『易経』の)説卦伝の、いわゆる「窮理(理を探究)する」というものは、聖人の事で、凡人が充分にしないことなのだ。よって、先王・孔子の道は、義をいって、理をいわない。これは、どうして理を廃棄するのか(いや、廃棄しない)。もしも、充分に先王の義を取り上げて、それでその(義の)理を推察すれば、つまり見ることに一定の基準があって、理が得られるからなのだ。理なるものは、人が皆、見ることで、よって、これ(理)をいうのを待たないのだ。》

 

・老荘之徒盛言理者、廃先王之道故也。貴自然故也。孟子亦好弁、而欲言先王孔子之所不言者以喩人。故曰、理義之悦我心、猶芻豢之悦我口。但其以義連言者、孔子之沢未斬耳。及至宋諸老先生生於千載之後、其操志之鋭、直求為聖人而不得其道也。昧於古言而不得其説也。独喜孟子之若易読、而求諸己心、則不得不求諸其理焉。是其以理為第一義者、勢之所必至也。

 

[老荘の徒、盛んに理をいう者は、先王の道を廃するがゆえなり。自然を貴ぶがゆえなり。孟子もまた弁を好みて、先王・孔子のいわざる所の者をいいて、もって人を喩(さと)さんと欲す。ゆえにいわく、「理義の我が心を悦(よろこ)ばしむるは、なお芻豢(すうかん)の我が口を悦ばしむるがごとし」と。但(ただ)その義をもって連言する者は、孔子の沢、未だ斬(た)えざるのみ。宋の諸老先生、千載(せんざい)の後に生(うま)るるに及び至りて、その志を操(と)るの鋭き、直ちに聖人為(た)らんことを求むれども、その道を得ざるなり。古言に昧(くら)くして、その説を得ざるなり。独り孟子の読み易(やす)きがごときを喜びて、これを己(おのれ)の心に求めたれば、すなわち、これをその理に求めざるを得ず。これその理をもって第一義と為(な)す者は、勢いの必ず至る所なり。]

 

《老荘の門徒が、盛んに理をいうのは、先王の道を廃棄するからなのだ。自然を尊貴するからなのだ。孟子も、また、弁別を好んで、先王・孔子がいわないものをいって、それで人を教え諭そうとした。よって、いう、「理の義が、私の心を喜ばせるのは、ちょうど家畜が私の口を喜ばせるようなものだ」(『孟子』11-147)と。ただその(理の)義によって、言葉を連結するものは、孔子の恩沢(恩恵)が、まだ絶ち切れないのだ。宋代の様々な老人の先生は、永年の後に生まれるに及び至って、その(孟子の)意志を取って守るのに鋭く、直接、聖人であることを探し求めるが、その(先王・孔子の)道を得ないのだ。古い言葉に暗くて、その(先王・孔子の)説を得ないのだ。唯一、『孟子』が読みやすいようなのを喜んで、これ(義)を自己の心に探し求めれば、つまり、これ(義)をその(義の)理に探し求めざるを得なかった。これ(宋代の様々な老人の先生)が、その(義の)理を第一の意義とするのは、勢いが必ず至ることなのだ。》

 

・夫理者事物皆有之。故理者繊細者也。宋儒之意、謂合其細可以成其大矣。豈其然哉。銖銖而求之、至鈞而差、寸寸而求之、至丈而差。何者、凡人所見者小、而聖人所見者大也。所見者大、則小者不遺。聖人之所以不可及也。人苟循聖人之教而得其大者、則小者自不失焉。其或雖失之亦無大害焉。何則、不失其大者故也。大者何、礼与義是也。聖人之所立極也。宋儒之尚理、其究帰於不師聖人而自用。是其所以失也。故雖不学之人、苟能思、則不為非理之事。若夫非礼之礼、非義之義、則非君子不能弁之者、不学故也。

 

[夫(そ)れ理なる者は、事物に皆、これあり。ゆえに理なる者は、繊細なる者なり。宋儒の意、謂(おも)えらく、その細を合せば、もってその大を成すべしと。あに、それしからんや。銖銖(しゅしゅ)にして、これを求むれば、鈞(きん)に至りて差(たが)い、寸寸(すんすん)にして、これを求むれば、丈(じょう)に至りて差う。何となれば、凡人の見る所の者は小にして、聖人の見る所の者は大なればなり。見る所の者、大なれば、すなわち小なる者、遺(のこ)さず。聖人の及ぶべからざる所以(ゆえん)なり。人いやしくも聖人の教えに循(したが)いて、その大なる者を得ば、すなわち小なる者、自(おの)ずから失わざらん。それ或いは、これを失うといえども、また大害なし。何となれば、すなわち、その大なる者を失わざるがゆえなり。大なる者とは何ぞや。礼と義とこれなり。聖人の立つる所の極なり。宋儒の理を尚(たっと)ぶは、その究(きわみ)は聖人を師とせずして自(みずか)ら用うるに帰す。これその失する所以(ゆえん)なり。ゆえに学ばざるの人といえども、いやしくも、よく思わば、すなわち非理の事を為(な)さず。夫(か)の非礼の礼、非義の義のごときは、すなわち君子にあらずんば、これを弁ずること能(あた)わざる者は、学ばざるがゆえなり。]

 

《そもそも理なるものは、事物にすべて、これ(理)がある。よって、理なるものは、繊細なものなのだ。宋代の儒学者の意思は、思うに、その(理の)繊細を集合させれば、それでその(理の)偉大を成立させることができる。どうして、それ(理)が、そのようなのか(いや、そのようでない)。(わずかな)銖(重さの単位)で、これ(理)を探し求めれば、鈞(銖の11520倍)に至って食い違い、(わずかな)寸(長さの単位)で、これ(理)を探し求めれば、丈(寸の100倍)に至って食い違う。なぜならば、凡人が見るものは、卑小で、聖人の見るものは、偉大だからなのだ。見るものが偉大ならば、つまり卑小なるものは、残らない。聖人が(凡人に)及ぶことができない理由なのだ。人が、もしも、聖人の教えにしたがって、その(理の)偉大なるものを得ても、つまり卑小なるものは、自然に失われないだろう(得失)。それ(凡人)は、これ(理)を失ったりするといっても、また、大損害がない。なぜならば、つまり、それ(聖人)が偉大なるものを失わないからだ。偉大なるものとは、何か。礼と義、これなのだ。聖人が確立することの至極なのだ。宋代の儒学者が理を尊重するのは、その(宋代の儒学者の)探究が聖人を師とせずに、自分の考えのままに行うの(自用)に帰着する。これは、それ(宋代の儒学者)が過失する理由なのだ。よって、学ばない人といっても、もしも、充分に思えば、つまり非理の事をしない。あの非礼の礼(無礼)・非義の義(不義)のようなものは、つまり君子(立派な人)でなければ、これ(礼と無礼・義と不義)を弁別することができず、できないのは、学ばないからなのだ。》

 

・世之為宋儒者、猶且不以為然、必将曰、礼義者誠聖人所立也。然苟不知聖人所以立礼義之理、而徒守其所謂礼義者、則非礼之礼非義之義所由生焉。是宋儒務窮理之意云爾。殊不知、是其欲勝聖人而上之者。亦不自揣之甚者焉。何也、是不循聖人之教、而先欲獲聖人之心者也。天下豈有之説。

 

[世の宋儒を為(まね)する者は、なおかつ、もってしかりと為(な)さず、必ずまさに曰(い)わんとす、「礼義なる者は、誠に聖人の立てし所なり。しかれども、いやしくも聖人の礼義を立てし所以(ゆえん)の理を知らずして、徒(いたず)らに、そのいわゆる礼義なる者を守らば、すなわち非礼の礼、非義の義の由(よ)って生ずる所なり」と。これ宋儒の窮理を務むるの意のみ。殊(こと)に知らず、これその聖人に勝ちて、これを上(しの)がんと欲する者なることを。また自(みずか)ら揣(はか)らざるの甚(はなは)だしき者なり。何となれば、これ聖人の教えに循(したが)わずして、先(ま)ず聖人の心を獲(え)んと欲する者なればなり。天下あに、これあらんや。]

 

《世の中の宋代の儒学者を真似するものは、それでもやはり、それでそのようにせず、必ず今にも、いおうとする、「礼・義なるものは、本当に聖人の確立することなのだ。しかし、もしも、聖人が礼・義を確立する理由の理を知らないで、無駄に、その(聖人の)いわゆる礼・義なるものを守れば、つまり非礼の礼(無礼)・非義の義(不義)が、(それに)よって生じることなのだ」と。これは、宋代の儒学者が、理を極めることを務める意思なのだ。意外にも、これ(宋代の儒学者)が、その(先王・孔子の)聖人に勝って、これ(先王・孔子の聖人)をしのごうとするものなのを、知らない。また、自分で推し測らないのが、ひどいものなのだ。なぜならば、これは、聖人の教えにしたがわないで、まず、聖人の心を獲得しようとするものだからなのだ。天下は、どうして、これ(聖人の心)があるのか(いや、ない)。》

 

・聖人之教、詩書礼楽、習而熟之、黙而識之、則聖人所以立礼義之理、亦可得而見之已。然人之知、有至焉、有不至焉。安可強也。其知不至焉者、則孔子曰、民可使由之、不可使知之。是雖聖人亦不能使皆知也。今必欲使学者先知其理而後行之、則亦欲使学者人各操聖人之権也。是安用夫聖人哉。故窮理之失、必至於廃聖人也。

 

[聖人の教えは、詩書礼楽にして、習いて、これに熟し、黙して、これを識(し)れば、すなわち聖人の礼義を立てし所以(ゆえん)の理も、また得て、これを見るべきのみ。しかれども人の知は、至れることあり、至らざることあり。安(いずく)んぞ強(し)うべけんや。その知の至らざる者は、すなわち孔子いわく、「民は、これに由(よ)らしむべし。これを知らしむべからず」と。これ聖人といえども、また皆、知らしむること能(あた)わざるなり。今、必ず学者をして先(ま)ずその理を知りて、しかる後これを行わしめんと欲せば、すなわち、また学者をして人ごとに各おの聖人の権を操(と)らしめんと欲するなり。これ、安んぞ夫(か)の聖人を用いんや。ゆえに窮理(きゅうり)の失は、必ず聖人を廃するに至るなり。]

 

《聖人の教えは、詩・書・礼・楽で、学習して、これ(教え)に熟練し、沈黙して、これ(教え)を認識すれば、つまり聖人の礼・義を確立する理由の理も、また、得て、これを見ることができるのだ。しかし、人の知は、至ることがあり、至らないことがある。どうして、強制することができるのか(いや、できない)。その(人の)知が至らないものは、つまり、孔子がいう、「民は、これ(政治)にしたがわせることができる。これ(政治)を熟知させることができない」(『論語』8-193)と。これは、聖人といっても、また、皆は、熟知させることができない。今は、必ず学ぶ者に、まず、その理を知って、はじめて、これ(理)を行わせようとすれば、つまり、また、学ぶ者に、人の各々で、聖人の権利を取って守らせたいとするのだ。これは、どうして、あの聖人を用いるのか(いや、用いない)。よって、窮理(理の探究)の過失は、必ず聖人を廃棄することに至るのだ。》

 

・仁斎先生曰、道以所行言。活字也。理以所存言。死字也。聖人見道也実、故其説理也活。老氏見道也虚、故其説理也死。又曰、道本活字、所以形容其生生化化之妙也。若理字本死字、従玉従里、謂玉石之文理。可以形容事物之条理、而不足以形容天地生生化化之妙也。此等議論、皆如痴人説夢。夫道者聖人立、豈容以見道言乎。又豈容与老氏対言乎。夫道者所以安民也。又豈容以生生化化言乎。理従玉従里、亦倉頡制字時、且以此便記憶耳。豈容泥乎。且道亦本諸道路。豈有死活乎。祇道主行之、理主見之。老荘及宋儒皆主其所見。故喜言理耳。若以死活為説、則老荘亦言道徳。其謂之何。要之理豈容廃乎。苟遵聖人之教、以礼義為之極、則理豈足以為病乎。仁斎先生可謂懲羹吹䪡已。学者思諸。

 

[仁斎先生いわく、「道は行う所をもっていう。活字なり。理は存する所をもっていう。死字なり。聖人は道を見るや実、ゆえにその理を説くや活なり。老氏は道を見るや虚、ゆえにその理を説くや死なり」と。またいわく、「道は、もと活字、その生生化化の妙を形容する所以(ゆえん)なり。理の字のごときは、もと死字にして、玉に従い里に従い、玉・石の文理をいう。もって事物の条理を形容すべきも、もって天地の生生化化の妙を形容するに足らざるなり」と。これ等(ら)の議論は皆、痴人(ちじん)の夢を説くがごとし。夫(そ)れ道なる者は聖人の立つる所にして、あに「道を見る」をもっていうべけんや。また、あに老氏と対言すべけんや。夫れ道なる者は民を安んずる所以なり。また、あに「生生化化」をもっていうべけんや。理の玉に従い里に従うも、また倉頡(そうけつ)、字を制するの時、且(しばら)く、これをもって記憶に便せしのみ。あに泥(なず)むべけんや。かつ道もまた、これを道路に本づく。あに死・活あらんや。祇(ただ)道は、これを行うを主とし、理は、これを見るを主とす。老荘、及び宋儒は皆、その見る所を主とす。ゆえに喜んで理をいうのみ。もし死活をもって説を為(な)さば、すなわち老荘もまた道・徳をいう。それこれを何といわん。これを要するに理は、あに廃すべけんや。いやしくも聖人の教えに遵(したが)い、礼義をもって、これが極と為さば、すなわち理は、あにもって病(へい)と為すに足らんや。仁斎先生は、羹(あつもの)に懲(こ)りて䪡(なます)を吹くというべきのみ。学者これを思え。]

 

《伊藤仁斎先生がいう、「道は、行動することによっていう。活字なのだ。理は、存在することによっていう。死字なのだ(死活)。聖人は、道を見るのが実で、よって、その(道の)理を説くのが活なのだ。老子は、道を見るのが虚で、よって、その(道の)理を説くのが死なのだ」(『語孟字義』理2条)と。また、いう、「道は元々、活字で、それが生き生きと変化する霊妙さを形容する理由なのだ。理の字のようなものは元々、死字で、偏(へん)の玉と旁(つくり)の里にしたがい、価値のある玉と価値のない石の条理をいう。それで事物の条理を形容することができるが、それで天地の生き生きと変化する霊妙さを形容するには不足だ」(『語孟字義』理1条)と。これらの議論は、すべて、愚か者が夢を説くようなものだ。そもそも道なるものは、聖人が確立することで、どうして「道を見る」ことをいうべきなのか(いや、いうべきでない)。また、どうして老子と言葉が対立すべきなのか(いや、対立すべきでない)。そもそも道なるものは、民を安寧する理由なのだ。また、どうして「生き生きと変化する」ことをいうべきなのか(いや、いうべきでない)。理が、偏の玉と旁の里にしたがうのも、また、蒼頡(古代中国の伝説上の帝王の黄帝/こうていの臣下で、文字の発明者)が、字を制作した時に、しばらく、これ(理)によって、記憶に便利だったのだ。どうして執着すべきなのか(いや、執着すべきでない)。そのうえ、道も、また、これ(行動)を道路に基づく。どうして死と活があるのか(いや、ない)。ただ道は、これ(事物)を行うことを主とし、理は、これ(事物)を見ることを主とする。老荘・宋代の儒学者は、すべて、その(事物の)見ることを主とする。よって、喜んで理をいうのだ。もし、死と活によって、説を作為すれば、つまり老荘も、また、道・徳をいう。それは、これ(理)を何というのか。これを要約すると、理は、どうして廃棄すべきなのか(いや、廃棄すべきでない)。もしも、聖人の教えにしたがい、礼・義によって、これ(聖人の教え)が至極とすれば、つまり理は、どうして、それで病状とするのに充分なのか(いや、充分でない)。伊藤仁斎先生は、失敗にこりて、必要以上の用心をすべきなのだ。学者は、これを思慮せよ。》

 

 

(2)

・気古不言之。然論説之言則或言之。如易伝曰、陽気潜蔵、礼記曰、天地之盛徳気也、尊厳気也、是也。理気対言者、乃昉自宋儒矣。其意謂陰陽之化、往者過、来者続、是気也、往者過、来者続、而有万古不易者存焉、是理也。是以生滅者為気、以不生滅者為理。乃老氏二精粗之見、亦仏氏色空之説也。其所謂万古不易者、亦唯四徳之貞耳。更有元亨利、則是、豈足以尽天道之全哉。故能黙而識之者、精粗本末一以貫之。何必以理気為説乎。且其説必至謂天地積気、日月土石人物草木皆気也。則其所謂気者、亦非古言矣。如仁斎先生所謂天地之間一元気而已、要之皆非聖人敬天之意。則君子所不取也。

 

[気は、古(いにしえ)、これをいわず。しかれども論説の言には、すなわち或いは、これをいう。易の伝に「陽気潜蔵(せんぞう)す」と曰(い)い、礼記(らいき)に「天地の盛徳の気なり」、「尊厳の気なり」と曰うがごとき、これなり。理・気の対言する者は、乃(すなわ)ち宋儒より昉(はじま)る。その意に謂(おも)えらく、陰陽の化、往く者は過ぎ、来(きた)る者は続く、これ気なり、往く者は過ぎ、来る者は続き、しかも万古不易なる者の存することあり、これ理なりと。これ生滅する者をもって気と為(な)し、生滅せざる者をもって理と為す。乃(すなわ)ち老氏の精粗を二つにするの見にして、また仏氏の色(しき)・空(くう)の説なり。そのいわゆる「万古不易」なる者も、またただ四徳の貞のみ。さらに元・亨・利あれば、すなわち、これあに、もって天道の全(すべて)を尽くすに足らんや。ゆえに、よく黙して、これを識(し)る者は、精粗本末、一もって、これを貫く。何ぞ必ずしも理気をもって説を為さんや。かつその説は、必ず天地の積気なり、日月・土石・人物・草木は皆、気なりというに至る。すなわち、そのいわゆる気なる者も、また古言にあらず。仁斎先生のいわゆる「天地の間は一元気のみ」のごときも、これを要するに皆、聖人、天を敬するの意にあらず。すなわち君子の取らざる所なり。]

 

《気は昔、これをいわなかった。しかし、論説の言葉では、つまり、これ(気)をいったりした。『易経』の文言伝で、「陽の気が潜伏・内蔵する」といい、『礼記』で、「天地の盛大な徳の気なのだ」・「尊厳の気なのだ」というようなものは、これ(気)なのだ。理と気の言葉が対立するものは、つまり宋代の儒学者からはじまった。その(理・気の)意味は、思うに、陰と陽の変化で、行くものが過ぎて、来るものが続く、これは、気なのだ。行くものが過ぎて、来るものが続き、しかも、大昔から不変なるものが存在することがある、これは、理なのだ。これ(理・気)は、生・滅するものを気とし、生・滅しないものを理とする。つまり老子が、精緻・粗雑を2つにする見方で、また、仏教が、色(万物に実体がある)と空(万物に実体がない)の説なのだ。その(理の)いわゆる「大昔から不変」なるものも、また、ただ4徳(元・亨・利・貞)の貞だけだ。さらに、元・亨・利があれば、つまり、これは、どうして、それで天道のすべてを尽くすのに充分なのか(いや、充分でない)。よって、充分に沈黙して、これを認識するものは、精緻と粗雑・根本と末端がひとつによって、これ(道)を貫く。なぜ、必ず理と気によって説を作為するのか。そのうえ、その(理と気の)説は、必ず天と地が積み重なった気なので、日月・土石・人物・草木は、すべて、気なのだというのに至る。つまり、その(天地万物の)いわゆる気なるものも、また、古い言葉ではない。伊藤仁斎先生のいわゆる「天地の間は、ひとつの元気だけだ」(『語孟字義』天道1条)のようなものも、これを要約すると、すべて、聖人が天を敬する意味ではない。つまり、君子(立派な人)が取り上げないことなのだ。》

 

 

(つづく)