さらに秩父の谷間を南下します。谷と言ってもこの周辺はずいぶん広いです。
■寳登山神社・・・埼玉県秩父郡長瀞町長瀞1828
秩父盆地のほぼ中央、東を向いたゆるい斜面にあります。
駐車場から歩いてすぐです。
ここは(言葉は悪いかもしれませんが)観光地のようなところです。
千木は外削(男神)、鰹木は2本(? 女神)
菊の御紋
三五の桐、高良玉垂に認められた者に許される神紋
拝殿の軒、カラーリングがケバいです。
やたら龍がいますね。
神額
拝殿奥
祭神は3柱
祭神は大山祇、神武、火産霊
ヤマトタケルが3神を祀った、と。
ヤマトタケルが山火事に遭った時、巨犬・大口真神(御眷属)が救った、と。
大山祇はビジネスマンで特定の民族アイデンティティとの結びつきは弱いと感じます。
神武は箔付けでしょうか?
火産霊は秩父の鉱物資源開発に関わる重要な祭神です。ここの中心でしょうね。
大口真神(御眷属)は秩父に多いです。
これについては後の両神神社、龍頭神社にて触れます。
本殿
これは彫刻のテーマの説明です。
張良(~前186)が黄石公から太公望の兵法書を授けられたというエピソードです。
張良は劉邦(~前195)を助け、秦を打倒し後漢を打ち立てた軍師です。
つまり反秦、親漢の立場なのが分かります。この寳登山神社の設立にはそういった立場の、おそらくは中国人が関わっているのだと想像しました。
そういった視点で見れば
このような極彩色を用いるセンスも理解できます。
さて境内を見て回ります。
これは拝殿に向かって左、神楽殿
その裏手へ行ってみますと
これらは不明です。
側には墓地もありました。
いうまでもありません。
こちらは…
藤谷淵神社
千木は縦削(男神)、鰹木は3本(男神)
側の石碑には
伊勢(天照)、八坂(スサノオ)、野栗、諏訪(タケミナカタ)、琴平(大国主)、熊野(イザナミ)、榛名(埴山姫)、竈三柱(奥津彦、奥津姫、火産霊)
長瀞8社が明治期に集められた、と。
それぞれの神様は、それを信奉するコロニーの先祖神です。
それを機械的に十把一絡げにまとめてしまうのは乱暴です。本来なら関わりがない独自の祭神をミックスしてしまうのですから。
竈三柱(奥津彦、奥津姫、火産霊)がちょっと面白いです。
以前のブログ記事で奥津彦、奥津姫には二通りがあるとレポートしました。
ここでの場合は、火産霊(金山彦)が入っていますので、より金山彦に近い人物が似つかわしいかと考え
奥津彦=長髄彦
奥津姫=大山咋の姉
としたいところです。
こちらは…
ヤマトタケル
こちらは天満天神
久留米地名研究会・古川清久氏が天満と天神は違いがある、とおっしゃっていたのですが未だよく分かりません。
さらに進みますと…
稲荷でした。
「埼玉の神社」を見ましたが、後世の出来事 ばかりで祭神については大山祇、神武、火産霊以上には分かりませんでした。
秩父に入植した中国人により建てられた神社、しかも後漢の末裔。
後漢の関係者が日本列島へやってきている例としてよく知られているのが阿知使主で、3世紀に渡来したと書紀に書かれています。後漢霊帝の曾孫とされていますので後漢建国の英雄・張良の彫刻を飾っていることは自然です。
阿知使主の名を冠する阿智神社が長野にあり、その祭神は天八意思兼命、天表春命です。
思兼=豊玉彦、天表春命は謎です。
天表春命の兄弟と言われる天下春命はここ秩父でよく祀られています。
以上から想像するに、天表春命、天下春命の正体は明らかではないものの阿知使主の流れを汲む者たちだろうと思われます。つまり後漢帝国の末裔です。
埼玉北部の神社を見ていて中国風装飾を施した神社を多数見てきました。埼玉南部、東京西部では見たことがありません。
ということは、神社に中国風装飾を施す文化は東京湾から上陸したのではなく、秩父奥地から山を越え信州より伝わった可能性を感じます。※1
信州から秩父、これは結構厳しい山道だと思いますが、そんなルートで西から秩父へ人と文化の移動があった可能性を暗示していると思いました。
話を祭神に戻しましょう。
ここ寳登山神社の祭神は大山祇、神武、火産霊。いずれも古い世代の神々です。
大山祇=金海伽耶の流れを汲む越智族
神武=古代中国王室の流れを汲む正統姫氏
火産霊=西方イスラエルのルーツを持ち始皇帝の秦とも関係を持つ殷氏のプリンス・金山彦、九州王朝の親衛隊長でもある。
古代日本列島でも古い世代のメインプレイヤー達です。
特に神武、彼を守護する立場の金山彦、初期九州王朝のツートップと言えるでしょう。
この3人は2世紀の初めに生まれていますので、3世紀終わりに渡来した阿知使主とは直接の接点はありません。阿知使主が来日した際ずいぶんと良い待遇を受けているのは、既存勢力と結託できたからでしょう。その仕掛けまでは分かりませんが、列島の重鎮3人大山祇、神武、火産霊をリスペクトするのは自然でしょう。
※1もちろん碓氷峠から群馬に入った可能性もあります。