12社の佐野(安蘇)の神社を参拝してきましたが、今回はそのまとめです。

ハッキリ言って、っんぱねがっだあ!!(半端なかった、すごかった、の意)

 

ご覧のとおり、関東平野北部を東西に二分する群馬と栃木

群馬の利根川、栃木の鬼怒川

 

その群馬と栃木の境界に岬のように突き出している所が佐野(安蘇)

つまりは群馬と栃木のボーダー

こうやって見ると、佐野(阿蘇)の西隣の足利がなんで栃木なのか、よく分かりませんねぇ。

地理だけ見れば足利までが群馬(上野、かみつけの)となりそうなものですが…

 

8世紀以降、奈良が通した軍事兵站線・東山道

この東山道以前と以後で栃木の古代は大きく変質しますが、

それは今後の神社調査で明らかになるでしょうね。

 

東山道は東北地方侵略のための軍事道路

これは東北へと侵攻するごとに延伸されていったと思います。

足利駅と三鴨駅の間に駅が無いということは、足利と佐野(安蘇)は同じ政治支配エリアだったんじゃないのか?と想像します。東山道の駅は兵站補給基地であると同時に砦でもあった、と考えます。

実際、足利の神社調査の結果からいうと、足利はどうも九州王朝入植地だったらしいとわかっています。

ということは…

 

今回調査した神社とそのブログNoを地図上に記入しました。

 

各神社の祭神リストです。

では以下に簡単な振り返りを…

 

#642天明宿星宮神社

ここは東山道の100m北にあるようでどう考えても要衝です。

それは奈良にとっての要衝です。

ここの祭神・迩迩杵と神社内に多数あった九曜紋はセットになっている、しかも奈良の代理人だと思います。

迩迩杵(奈良)以前の時代は、瀛氏の祭神・磐裂(埴安姫)&根裂(金山彦)の夫婦

 

#643小梥(こまつ)神社

梥=松、「松」は日本正統姫氏を表しています。

姫氏を標榜できるのは九州王朝正統だけです。

奈良が東山道を通して侵略してくる前の時代に、ここ佐野(安蘇)が九州王朝入植地だった傍証だと考えます。

しかも主祭神が天之太玉(ヤタガラス)!

ヤタガラスはめったに表に出てこない祭神で、一種のフィクサーとして存在した勢力だと想像しています。

それがここで出されているということは、そんなフィクサーが表に出ざるを得ない状況があったのだと思います。

それは

古代から当地を支配していた九州王朝と、後からやってきた奈良との調停以外には考えられません。

ヤタガラスの尽力で、九州王朝植民地たる佐野(安蘇)は殲滅されず現代にまでその痕跡を残すことが出来たのでしょう…と想像しました。

 

#644唐澤山神社

ここは藤原秀郷の居城として有名で、山頂に神社があります。

藤原秀郷の伝承として

「幼時は京都・田原に住み、下野・押領使として下る際に近江・勢多の唐橋で大蛇に出会い、琵琶湖・三上山の大蜈蚣を退治してほしいと頼まれ果たした」

とあります。

つまり、

・蜈蚣(ムカデ、赤城大神、大山祇、オオナムチ)は秀郷(藤原、奈良)の敵

・大蛇(おそらくは日光、二荒、蛭子神、事代主)は秀郷(藤原、奈良)の味方

となります。

百嶋神代系譜を見ますと、

秀郷よりもはるか古代、ムカデ(オオナムチ)とオオヘビ(事代主)は対立していたらしい、と分かります。

実はこのことが後々大きな発見につながります。ご期待ください!

そしてここにもヤタガラスの影が…

 

#645一瓶塚稲荷神社

ここには奈良系祭神は入っていません。

赤城大神、豊受姫、猿田彦

車持氏(高句麗人)

フィクサー・ヤタガラスも神紋の形で入っていました。

 

#646今宮神社

主祭神は天津児屋根、阿蘇系

配祀祭神は建速素戔嗚、大鷦鷯、彦火瓊瓊杵、大名持

(かなり後のレポートになりますが、

大鷦鷯は「九州王朝正統姫氏(開化)を終わらせた最初の倭王」と考えるに至りました。

そんな結論だけ言われても皆さんには受け止めようがなく、栃木調査が終わった後の古代史俯瞰シリーズをお待ちください。

ちゃんと解説しますので)

普通ですと応神が祀られるところですが、一般には応神の次代とされる大鷦鷯(本当は大鷦鷯の方が先で、大鷦鷯と応神は血縁関係はない)が祀られた「若」宮神社は全国にあります。

(ま、応神を祀った八幡神社はそれよりはるかに多いのですが)

その点から、ここは九州王朝の直轄地だった、と考えます。

#642天明宿星宮神社と同じく瓊瓊杵は奈良の代理祭神として入れられているのでしょう。

 

#647上宮神社

主祭神は橘豊日命(用明天皇)、豊聡耳命(聖徳太子)

唐突です。

ですが、故・米田良三説を知っていれば何となく見当が付きます。

米田氏によれば

九州王朝・法興帝(上宮王)は、聖徳太子のモデルになった人物とされています。

この上宮神社は奈良史観で聖徳太子を祀ったというのはいかにも唐突です。

ここ佐野(安蘇)は九州王朝が開発したとわかっていますので、

そもそもこの上宮とは九州王朝・法興帝(上宮王)を指している、と考えました。

 

#648三騎神社

ここはよく分かりません。

主祭神・天津児屋根が藤原祖神として入れられているのか、阿蘇氏のルーツとして入れられているのか…

その他の祭神はまぁ赤城系です。

ただ本殿の装飾アートが群馬・白岩山長谷寺で見たものと似ていますので、

九州王朝系が入っていたのだろう、と考えました。

 

#649大鳥篭守神社

長谷場町、篭守から、どうにも九州王朝の長谷寺を想起します。

祭神も底筒之男(開化、高良玉垂)ですので、九州王朝系と考えていいのではないでしょうか。

ただ、結構な谷奥にあるので、こんなところまで追い込まれないと生き延びられなかったのね、と。

 

#650宇都宮神社

大己貴、三穂津姫という祭神は日本海岸島根・美保神社にルーツを持つと感じます。

それはハッキリ言って誰でも分かるレベルですが、この祭神セットは意図的になされていると感じます。

美保神社の主祭神は事代主、三穂津姫となっていて、これは700年以降奈良支配時代になって事代主グループが皇統に入り込んで以降の祭神セットだと感じます。

つまりここ宇都宮神社も「三穂津姫」と書かれているだけで奈良事代主の支配下にあると分かるのです。

ですがなぜか大己貴なトップ祭神となっています。

これは栃木独特の事情によります。

その事情とは単純に「そもそも下野(栃木)国は大己貴が最初に大々的に開発、侵略した場所だから」です。

大己貴の影響力は広く深く浸透し奈良の力でも潰すことができないので、ここ宇都宮神社のように大己貴祭神を残すしかなかったのです。

奈良に出来ることは「本当はオレ様・事代主がここを支配してるんだぞ!」と暗喩する美保神社祭神・三穂津姫を入れること程度だった、と考えます。

ま、その三穂津姫にしても大己貴の妃・田心姫の別名なのですが…

 

#651人丸神社

酔狂で柿本人麻呂を祀っているわけではない、と考えました。

歌人として有名ですが、故・米田良三氏によれば柿本人麻呂は九州王朝の有名寺院を建築した責任者でもある、とのことでした。

九州王朝と関係あるここ佐野(安蘇)に、建築家としての柿本人麻呂が祀られているのではないか、と。

境内に「上宮大神」と刻まれた石碑を発見しました。

これは九州王朝最後の黄金期を築いた上宮王のことではないか?と。

 

#652示現神社

主祭神・衣通姫は柿本人麻呂と並ぶ歌人として有名、となればおそらくは九州王朝の時代の人物と想像しました。

#651人丸神社と同じような性格の神社で、九州王朝ゆかりの人物を祀っていることから

当地は佐野(安蘇)が九州王朝植民地だったころの名残を残す場所、と想像しました。

 

#653宇都宮神社

祭神は大己貴、田心姫(美穂津姫)、味耜高彦根(あじすきたかひこね)

この3者は栃木で最もポピュラーな祭神一家。

百嶋説では、味耜高彦根は猿田彦と美穂津姫の間に生まれたとされ、

栃木で田心姫が大己貴と再婚する際に連れてきた連れ子が味耜高彦根で、大己貴の跡を継ぐ養子のような格好になっています。

(勘違いしてはいけないのですが、大己貴、田心姫、味耜高彦根といった古代のスター祭神本人が辺鄙な東日本の片隅・栃木にやってくるわけではなく、当然代理人が持ち込んだリアルな伝承なのです)

 

 

佐野(安蘇)の神社の考察は以上となります。

九州王朝の入植地だったことは確かだと思います。

大己貴と事代主の関係については今後の調査で明らかにします。

 

さて次回からは久留米地名研究会・古川清久氏と征くシリーズ第2弾をお届けします。

いろんな意味で辛かった…