■瓺𦼆神社(みか神社)・・・埼玉県児玉郡美里町広木1
かつて湾のような湿地帯をなしていたエリアを半透明青で塗りつぶすと
このようになり、湾奥の岬のような突端にこの瓺𦼆神社があります。
背後には古墳群があり稲作ベースの豊かな土地だったと思われます。
写真に撮ってはいないのですが、近くに大きな溜池が見えました。
稲作のための溜池でしょう。
日本は大陸に比べ水が豊かだと言われますが、一定して流れている訳もなく水害・旱魃の繰り返しです。
この地域のようにかつて湿地帯であったとしても人間が稲作をやるには自然任せではダメで、人工的に利水を行う必要があったのです。
その点ここは最高に整備された一等地だったのでしょう。
これで「みか」と読む。
しかも延喜式内社、近畿奈良政権がこの地域一帯を支配したセンターだったのでしょう。
上(かみ)郡は独立丘を隔ててここの西隣の地域
それに対して当地は那賀(なか=中)郡、さらに榛沢(下)郡。
上中下と独立丘で隔てられた行政区画が利根川の南側に沿って並んでいます。
古墳が多数とのことで古墳期にはすでに開発されていたということですね。
明治期に三島、稲荷、秋葉、八坂、宮司社を合わせた、と。
祭神は櫛御気野(くしみけぬ)、櫛𤭖玉(くしみかたま)
酒造りに用いる大きな甕(みか)が当社の起源、という起源説話。
鳥居を進んで左に折れると境内です。
拝殿
神額
ご覧の通り壁は真っ赤、してみると近畿奈良政権支配以前は瀛(いん)氏コロニーだったと推測できます。
拝殿の屋根には菊紋、近畿奈良政権支配の印
拝殿の軒に龍、これも同様
本殿
千木は外削(男神)、鰹木は4本(女神)ということは、これは氷川系でよく見たスサノオとクシナダヒメですか?
囲いも氷川、鷲宮的です。
おやおや~、大幡主の神紋ですよ?
本殿に菊紋がないということは、これはひょっとして「軒先貸すが母屋はダメよ(笑」のパターンでしょうか?
(冗談じゃなく)もしそうだとしたら、氏子さんたちを尊敬します。
「後から入ってきてエラそうにすんじゃねぇよっ!!」ってことですからね。
そしてこちらは本殿側面のアップです。
秩父でよく見た中華系彫刻とカラーリング、
瀛(いん)氏・金山彦系、中華移民の装飾
本殿裏、これは…
神様が祀られているようですが…不明です
こちらは本殿向かって右手奥の状況です。
では奥突き当りから見ていきます。
手前から大雷(崇神?)、天手長男、愛宕(金山彦)、?、?
母屋は貸さなかったけど、本殿裏の一番いい席を大雷にあげたのね。
その隣に手長男、愛宕ときていますのでこの2神が当地の初期開発の主役だったのではないでしょうか。長老的な。
真っ赤な壁、中華彫刻は愛宕(瀛(いん)氏、金山彦系)と考えるのですが、案外手長男もそれに近いのかもしれません。
手長男は壹岐にルーツがあるようですので大陸由来であっても不思議ではないです。
奥の2つが分かればさらに面白いのですが…
その右隣り直角に曲がって鹿島、古峰
鹿島勢力の総本山は、そばの利根川を遠く下った先にある鹿島神宮です。利根川を通じ鹿島勢力がここまで進出していたということでしょう。侮れません。
古峰は不明です。
さらにその右隣り、左から紹介しますと
松尾、山王
(山王は当ブログの後の連載で明らかになります)
真ん中は左から蚕影、神明、天満
これらはまぁまぁ…
右手は諏訪、産泰
この産泰が手長男・金山彦のことなのか、それとも??
反対側、拝殿に向かって左手の社日様、天照、倉稲魂、埴安姫、少彦名、オオナムチ
佐賀か新潟経由で入り込んだ信仰。
「埼玉の神社」によれば…以下赤字
かつての那珂郡総鎮守
周辺に窯跡、埴輪が多く、𤭖(酒造りの容器)を作っていたと思われる。
「𤭖(みか)」が当社の語源だという、地名説話である以上後付けですね。
祭神は櫛御気野、櫛𤭖玉
明治期に三島、稲荷、秋葉、八坂、社宮司を合祀した。
主祭神は後で述べるとして、明治期に合祀された祭神もここ近畿奈良政権直轄地を補佐した者達と思われます。
三島はビジネスマン・大山祇
稲荷、秋葉、八坂は綺麗に瀛(いん)氏で弥生期に入った初期の開発者と考えます。
江戸期の風土記稿によれば建御雷を祀っているという。
古墳期の土師器の𤭖2つが神宝
本殿裏手に大雷、手長男、愛宕
拝殿に向かって右手に稲荷、鹿嶋、古峰、松尾、山王、蚕影、神明、天満、諏訪、産泰
拝殿に向かって左手に社日様(天照、少彦名、倉稲魂、オオナムチ、埴安姫)
瓺𦼆神社(みか神社)の由来を酒造りの容器に繋げているようですが、瓺(みか)は櫛御気野(くしみけぬ)から来ているんじゃ?
久留米地名研究会・古川清久氏によれば櫛御気野=スサノオです。
彫刻、赤いカラーリング、本殿の氷川的な造りから考えて、スサノオでいいように思いました。
ではもう一人の祭神・櫛𤭖玉(くしみかたま)は櫛玉饒速日でしょうか? それとも玉がつくので豊玉彦なのでしょうか? 出雲国造神賀詞では大物主=倭大物主櫛𤭖玉命としていますが、さてさて…
櫛𤭖玉は誰なのかということですが、普通に考えて饒速日はないだろう!
スサノオと豊玉彦は血筋は繋がってますが、う~んここで繋がるような感じじゃないと思うんだけどなぁ。
大物主=大山咋で、大山咋は崇神の父なので、ここが近畿奈良政権の出先機関だと思えば大山咋はありえそうです。
ですが、スサノオの下に置くか?
どれもしっくりきませんね。
ならばここは矜持を守った氏子さんたちに敬意を表して櫛𤭖玉=クシナダ姫として、本殿屋根の千木・鰹木との整合性を採りたいですね。
櫛御気野と櫛𤭖玉、なんとなく語呂も揃っています。
たまにはロマン(?)を大切にしたいと思うのです。