ショーエイのアタックまんがーワン -20ページ目

ショーエイのアタックまんがーワン

タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

どうも…ショーエイです。

今回は大統領選挙を踏まえて、

ほぼ4年間のドナルド・トランプの評価をしてみます。

 

【任侠度】☆☆

いわば、米国大統領という

スーパーパワーを有したヤクザなパワー。

一見、脅しが得意に見えますが、

弱者にしか通用せず、強者には全く効果ありません。

基本脅しは自分が怖いと感じるモノを多用する為、

トランプは力を無くすと、脅しに屈しやすいタイプと言えます。

 

相手が腹を括って、本気でやる気に成った時、

彼程度の脅しでは、

最終的には仁義なき戦いを引き起こします。

 

米軍というスーパー軍団を背景に

強気な姿勢を見せるのは、

虎の威を借るキツネでしかない。

 

軍役経験者や元スパイのプーチン大統領など、

死線を潜り抜けた人たちは、

踏み込んでは成らない境界線を知ってます。

そこを越えれば絶対に相手が引かなくなるという線です。

これを知っているか知らないkが大きな違いを生みます。

 

【誠実度】☆☆☆

以外にも自分は

良い人間で有りたいと願う気持ちは有るようです。

ただし、敵と味方を区別してしまう為、

政治家としての公平さは欠落してます。

 

星3つなのは、

自分の仲間に対しては、

いかなる方法を取ってでも助けようとする姿勢で

星一個分、

自分は良い人間だと勘違いしている点で、

星1個分…

ある意味、罪悪感を感じていない程、

自分は誠実だと思い込んでいるという事で、

いわば悪気はないという事です。

ただ、後程下でも言いますが…

これはバカの典型です。

いわば騙されやすいタイプ。

 

そしてもう一つは愛国心。

まあ、保護主義なんて発想は、

アメリカ以外の国にすれば迷惑だが、

アメリカを大事に考えている愛国心だけは

その誠実さとして評価し、

星1つです。

 

【不誠実さ】おまけ☆☆☆☆☆☆☆

都合が悪くなると嘘をつく=☆一つ

平気で他人のせいにする=☆1つ

自分の失態や過ちを認めない=☆1つ

反対側の意見を聞かない=☆1つ

大統領という国のトップとしての自覚が無い=☆1つ

職権を乱用する=☆1つ

ゴルフでチートする(人の見ていない所で悪事を働く)=☆1つ?

 

【責任感】☆

そんなもの有るのかな?

一つだけ…家族愛かも…?

 

【知能】

先ず、悪事を働くも直ぐバレる。

ゴルフのチートですらバレてるレべル。

★1つ

人に騙されやすい。

媚び諂う人間を信用する。

★1つ

結果、そいつらのせいで、評価を落としている事に

中々気づかない。

★1つ

自身の影響力を駆使した、株価操作の方法を理解している。

☆1つ

TwitterなどSNSを活用して発信力に活かす発想を考えた

☆1つ

自身の個性(毒舌)を殺さずに、

エンターテインメント性を維持する姿勢。

☆1つ=個性を殺して大人しくしててあの程度の采配だと、

何の面白みも無い大統領故に、個性をそのまま残して、

少なくとも愛嬌ある感じに見せた点は評価です。

 

法令、法案の効果を論理的に理解していない。

★1つ

オバマケアの必要性を理解していない時点で、

★1つ

数字上の経済効果は一応に理解している。

☆1つ

実体経済に関する知識は全く理解していない。

★1つ

緊急事態(コロナ問題)に対して専門家の説明を理解していない。

★1つ

世界情勢を全く理解していない。

★1つ

米国が世界でどうあるべきかを全く理解せず、

その信頼と価値を落とし続けている事に気づかない。

★3つ

 

という事で、この星の満点の数は、

それぞれの思う所考えてもらうとして、

満点が☆5つの採点か、それとも☆10個の採点か…

まあ、☆5つの採点で、☆7つも付いた項目は、

スゴイ事ですね…

とりあえず評価を終えます。

 

だいたいバレる嘘を突き通すのは、

基本的に頭が悪いからです。

証拠を隠蔽して、

証拠を見せて見ろという人間も

実は頭が悪い。

いわば、そういう人間は

その時点で本来信用を失うからです。

 

バレバレの嘘をつく人間を

馬鹿と思えない人たちは、

同類のバカだからで、

その馬鹿を支持している

日本国民の半数近くが、

バレバレの嘘で

証拠さえなければ大丈夫と思っている。

 

嘘をつけない奴はバカだという人が居るが、

そもそも嘘はバカでもつける。

 

弁護士に多いケースでは

嘘に聞こえそうな言葉は吐かない。

嘘に成る事は言わない。

本当に賢い人とはこういう人だと思います。

 

誰しも潔癖な生き様を出来る訳では無いが、

嘘で信用を失う事の方が大きな不利益を生む

と言った感じなのでは…

どうも…ショーエイです。

ここ数年でeSportsという言葉が焦点を浴びるように成ってますが、

ただ流行的に盛り上がっているだけの話で、

実際に将来性、いわば長期的に維持できるかと言う話でみると、

ハッキリ言ってその潜在性はありません。

 

何故か?

【基本ゲームはプレイを楽しむもので見るものじゃない!!】

現状、eSports市場の観衆は、

ゲームが上手く成りたいという好奇心で、

上手なプレイヤーを模倣する意味で見られている。

これは野球やサッカーも同じ部分は有りますが、

大きな違いは…

エンターテインメント性としての見る価値です。

 

野球やサッカーはそういうエンターテインメント性を意識して、

見る人の為にテレビ中継のカメラワークやら、

スタジアムの雰囲気づくりやサービスを充実させながら、

進化してきたものです。

 

eSportsの中にはサッカーや野球のゲームも有りますが、

実際のスポーツと比較して、

見ていて何が面白いのか?

実際のスポーツよりも興奮や感動が有るのか?

最終的にはゲームに興味のない人が

その観衆として楽しめる要素が有るのか?

 

こうした部分で比較すると、

正直、「所詮(卓上)のゲームでしょ」

という風にしか感じません。

先ず、eSportsの将来性を考える意味で、

現状の欠点から見ていき、

その上でどうすべきかを考えて見ます。

 

【逆に同じ卓上のゲームでも…】

正直、僕自身、

将棋、囲碁、チェスには興味なく、

寧ろ電子ゲーム(eGame)の方が興味ある訳ですが、

何方かと言えば自己満足の為に、

プレイする方で興味があるにすぎません。

 

逆にエンターテインメント性で比較すると、

将棋や囲碁、チェスの方が、

スポーツ(卓上ゲームもスポーツ=競技になる)として

技の競い合いを見る意味では楽しめます。

 

(鑑賞の意味での比較)

①将棋、囲碁、チェスの方が勝負行方を見やすいから 。

まあ、素人が見てどっちが優勢かなんてのは

正直解りませんが…

実況や見せ方の工夫が、

それなりに駆け引きを演出してる点が有るからです。

無論、その競技をそれなりに理解すると、

頭脳を使った駆け引きが色々見えてくる点でも、

見て楽しめる要素は異なります。

eSportsの場合、頭脳より寧ろボタン操作の上手さ

だけにしか感じられません。

 

実際、eSportsも見せ方の工夫はしてるのでしょうが、

ゲーム画面見ているだけなので見難い。

 

②進行状況の見やすさ

将棋、囲碁、チェスは、

時間の流れがゆっくりで、

勝負の行方を視聴者が把握する時間が有ります。

 

eSportsでは寧ろ早すぎて

興味のない人が見る上では致命的です。

技を繰り出して相手を倒しても・・・

まず、一体何が起こったの?

と、いう状態になってしまい。

「モーションが見えなければ意味解んない」

と言うだけの話です。

これをプレイヤー目線で、

ただこういうボタンを押して倒したみたいですね…

なんて攻略動画の様な解説で言われても、

興味ない視聴者が見て動きが把握できない状態に

どこにスポーツとしての芸術性=技を見せている美しさ

が感じられるのか?

 

サッカーで言えば、メッシ選手が

相手選手を翻弄してドリブル突破する美しさであり、

華麗なパスワークなどと、

見る人を視覚的に魅了する要素が有ります。

無論、細やかな動きはスローで見直さないと見えないけど、

ディフェンスが翻弄されて体がよれたり、

ディフェンスの間をすり抜ける様子は、

ハッキリと見れます。

 

ゲームで美しいモーションを取り入れているにも関わらず、

プレイヤー思考に合わせて早送り状態の動きでは、

誰も美しさを目撃できず、ただ「何か起こった」しか解らないのです。

 

専門的な言い方をすると、FPS(フレーム/セカンド)

いわば一秒あたりのフレーム(画像)数が60(枚)出る速度だと、

一見、早くて快適に感じるが、動画を見ると早送りに見えます。

実際はFPS30以上の速さで十分ストレス無く遊べるはずで、

その方が一つ一つのモーションがハッキリ見える。

スピード感は最悪20でも良いです。

RPGなどで遊んでいるとFPS60以上出てる方が、

動きが早くて時間の消費がそれだけ少なく済むので、

サクサク遊べてプレイする上では快適と言えば快適ですが、

その速度を知らなければ、別段気にしないだろうというのも事実です。

 

FPS30枚の速度で、FPS60出るなら2倍の詳細な画像を盛り込んで、

よりモーションが美しく見えるだけにすれば良いのに。

60枚出るから60枚出るスピードで表現している

ナンセンスな発想に呆れます。

プレイスピードが環境で変わらないほうが、

プレイヤー同士のタイムラグも発生しないで済むのだから、

そういう意味でも考えるべきだと言えます。

 

③技術を競い合う意味での違い。

今度はボクシングとの比較です。

ボクシングの試合は、確かにパンチが見えない事が有ります。

ただ、ボクシングの場合、

見えないパンチを出すというのは、

その選手の身体的な技術の一環です。

ある意味、体を鍛えてその力で相手を倒した証明です。

 

逆に同じ意味で格闘ゲームを見て、

見えない技で相手を倒した…

その人の練習の賜物として理解しても、

それの何が凄いのという感じに成るわけです。

 

いわば見えないパンチとその威力。

ボクサーは身体を鍛え上げて

それを現実の物理的な勝負で

証明するから、

その見えないという凄さは

視聴者を逆に魅了し、そして驚かせます。

 

それを妄想の威力で見せたとしても、

何の凄さも感じない訳で、

ゲームの設定なだけでしょと

冷ややかに見えてしまいます。

※ゲームをプレイしてる人からは、

その技が出た事がスゴイと評価するでしょうが、

知らない人はただ単にボタンを押して出しただけの技。

正確にボタンを押せるように練習したかも知れないけど、

相手を倒したその威力はゲームの設定なだけで、

彼の身体が物理的に与えた賜物では無い。

そういう意味で感動が無い

 

④勝負の駆け引きが見えない

これがeSportsの致命的な部分です。

先ず最初に、

ゲームがプレイヤー目線で構成され過ぎて、

通常の人間の動きの2倍速、3倍速で展開されがち。

プレイする側はその速度で何気に見えているかもしれないが、

見る側は何をやっているか全く解らない。

それ故に、駆け引きがどう展開されたのか、

駆け引きがあったのか、

それとも動体視力の差?

 

また、ゲーム展開をスピードで競う感じゆえに、

駆け引きの面白さも伝わらない。

 

戦争シミュレーションにしても、

施設の設置やら、金策して経済力をつける速度を

競い合う方が優先され、

戦闘中の陣形であり、戦術面の

醍醐味と言える駆け引きはほぼ無い。

ゲームに興味のない人は、

寧ろそういう戦略、戦術、陣形が齎す駆け引きの方が

興味を惹く部分で有り、

それを整える速さを中心で競技されても、

大事な部分は全く面白くもない、

素人の遊びにしか見えないのです。

 

サッカーゲームにしても同じです。

カードゲームのように選手の質で決まる試合に、

戦略、戦術…

いわばパスワークやら

ドリブル突破などの

技が展開する面白さは見えない。

更には、動作が早すぎて、

早すぎる中での操作の正確性を競うだけなので、

実際のサッカーと比較すると、

試合としての駆け引きはほぼ無いに等しい。

 

こうした駆け引きの見えにくい要素を、

鑑賞目的で、

eSportsのサッカーと、

運動のサッカーを比較すると、

運動のサッカーの試合を見ている方が楽しく、

そのプレイの凄さに感動できる。

 

eSportsに於いては、

ゲームを作る側もプレイする側も、

こうした大事な要素を考えずに、

ただ遊ぶ=プレイする人目線で構成している分、

eSportsの競技としての発展は、

現状、将棋、囲碁、チェス以下にしか成らないと言えます。

 

【見る人を魅了する為の工夫…速度】

先ず、見る人が技の美しさを実感できる

現実に近いゆったりとしたスピードで構成する。

 

グラフィックの技術が高くない状態なら、

そのモーションのカクツキを押さえる意味で、

倍速にして視覚を誤魔化すのは仕方ない事です。

しかし、現状モーションを現実に近づけても、

カクツキは解消される状態に成ってきた為、

寧ろ早送り状態よりゆったりした状態で展開する方が

見る人も見やすい。

 

速さを競うより緩やかな時間での勝負の方が

実際は難しい。

 

ゲームでは速さ=動体視力の様な意味で、

勝負を競いがちです。

その速さの中で、どれだけ正確にボタンを押せるか…

まあ、それも競技として成立はします。

ただ、それ故に見ていてツマラナイ。

 

これを音楽で表現すると…

ハイテンポな楽曲を演奏するのも技術です。

ただ、ハイテンポな楽曲は、

速いスピードで楽器が弾けるかが

その技術です。

 

逆にスローテンポの楽曲は…

指を早く動かす技術が無くても弾けそうですが、

音の響きがそれだけハッキリと聞こえてくる故に、

むしろ人を魅了する部分で技の差が出てきます。

 

音の響き一つ間違うだけで、

ハッキリと良いか悪いかが現れるからです。

 

これがハイテンポの楽曲でも出来れば、

それは本当にスゴ技なのですが…

 

ここでいうポイントは・・・

素人が聞いてその凄さの違いが判るか否かです。

※リズムにノッテ心地いいとは別です。

 

ただ、遅ければ良いという話では無く、

無論、プレイする側がストレスを感じる遅さは、

逆に競技人口を減らしてしまいます。

スローモーションで映像を見てもストレスだし、

早送りで見てもストレスに感じる。

 

ゲームのスピードで言うならば、

見る人が見て見やすい速度で、

プレイする側がストレスに成らないレベルの

ギリギリの速度で構成する事が先ず第一前提です。

 

格闘ゲームを例に言うと

早い速度では間合いの幅が広く成りがちですが、

見る側に心地い速度だと、

間合いの幅を狭めても構成できます。

いわば攻撃のリーチが駆け引きのポイントであり、

速度の現実から一瞬の隙も生じさせて、

カウンター攻撃も駆け引きで生じます。

 

モーションを現実に近づける事で、

物理的に態勢を崩しやすいパワーモーションと、

ジャブの様な軽攻撃もその間合いの取り方での駆け引きが生まれます。

実は、これの方がよりリアルな格闘の駆け引きに繋がるのです。

 

現状ゲーマーの凄いという技の話では、

あそこであの技=正確なコマンド(ボタンを押す技術)が出せるなんてスゴイ。

というプレイする人にしか伝わらないレベルでしか有りません。

正直、そういうゲームに興味のない人は…

何…遊びの話?

と、小馬鹿にしてしまうものです。

 

しかし、リアルな駆け引きがモーションで見られると…

見ていて練習すれば実際にそういう動きは出来そう=

なるほどこういう間合いの詰め方は面白い。

と、身体的な鍛錬とは別の、

達人の駆け引き(頭脳プレイ)を

競技のエンターテインメントして提供できるのです。

 

【見る人を魅了する為の工夫…駆け引き】

速度の方で駆け引きの話をしましたが…

より駆け引きの面白さを伝えるには、

相手に考える時間を与えているか否かです。

 

スポーツに於いては、基本、相手に考える時間を与えない方が、

より有利に成ると言われます。

確かにその方がミスを引き出しやすい。

しかし、将棋、囲碁、チェスは考える時間を与える事で、

より重厚な勝負を演出してます。

 

実際の運動系スポーツでは、

そうしたリアルな速度で生じるスピード感も、

一つの駆け引きとして成立します。

ただ、そのスピードの流れで、

ミスを引き出すための様々な駆け引きが展開している事を

忘れてはいけません。

いわば、運動系スポーツで生じる時間を与えないは、

焦りという状態を引き出し、

思考を麻痺させる意味での話で…

考える時間が無いというのは別です。

 

チームスポーツ、他人との連携がモノ言う世界故に、

崩れたら収拾がつかなくという事も、

競技に於ける一つの醍醐味として見る事は出来ます。

 

そしてそれは現実のスピード感での展開ゆえに、

見る人はその流れをハッキリと感じる時間も有る訳です。

 

運動系スポーツのプロ選手は、

ほぼ全てがその道の達人です。

 

リアルな時間の流れで生じる駆け引きは、

達人たちが試合で遭遇する駆け引きです。

その流れで生じるスピード感も、

全てがその駆け引きに入るのです。

 

そういう意味で、

運動系のプロ選手が結果を出せないゲームは、

eSportsとしての価値が無い!!

 

いわばゲーム操作の技術で競うものは、

運動系のプロ相手でも勝てます。

しかし、直感的に操作が出来て、

簡単かつ物理動作が現実に近いものであれば、

多分、運動系のプロでも操作に少し慣れれば、

実際のプレイ経験で結果を出してくると思います。

 

そうしたいわば達人同士の勝負が可能になって、

初めてeSportsという無差別勝負が実現するのです。

いわば、身体的な差が生じない男子vs女子。

現役を引退した者同士、

身体障害者で運動系のプロとして活躍できなかった人が、

運動系のプロとマインド(試合のイメージ)での真剣勝負。

メッシvsマラドーナ…サッカーの才能として本当に凄いのはどっち?

またはペレvsマラドーナ…神に近いのどっち?

そういう高尚な領域での勝負がエンターテインメントとして生じるのです。

 

そういう世界感が生まれて初めて、

身体を鍛え上げてプロとして見せる競技と、

身体とは別のイメージの世界で展開する究極の競技の

差別化が成立するのです。

 

これは戦略ゲームでも同じ。

部隊の配置の仕方であり、戦術性で、

其々のルール且つ、ほぼ対等な状態で展開してこそ、

将棋や囲碁、チェスに近づく本当の勝負の駆け引きが生まれるのです。

 

【車のF1の様なAIエンジニア】

チームスポーツの様なゲームで、

プレイヤーが一人で操作する場合、

味方の動きをAIがコントロールします。

このAIに関して明確なルール…

いわば行動の思考部分(AI)のみをプログラミングでき、

その他モーションは規定通りのモノを弄ってはいけない

というルールの下で、

エンジニアに開放する事で、

ゲームを操作する人とエンジニアの連携が

大きな勝負を左右するものとして構成できます。

 

現状ではAI部分も制作メーカーに依存する為、

幅が余り広がりません。

プロのエンターテインメントかつスポーツとして、

もっとより高いレベルを目指すなら、

こうした技術的な部分は必要と思います。

 

これによりF1なみの興奮を見る側に与えるのでは…

 

実際にeSportsに限らずゲームの世界では、

素人が自己満足で上手なのを見せびらかすだけなので、

見ていても面白みが有りません。

 

格闘ゲームが上手くて、実際に格闘のセンスが有るのか?

と、疑うケースでムカついて相手を締め上げたなんて

恥ずかしいながらもヤンチャな考えも生じます。

そういう意味でも、リスペクトを受ける話では無いと言えます。

 

プロの格闘家が実績を出せるゲームで、

その格闘家にゲームでは勝てたなら、

身体的には及ばずとも、

才能として格闘家より上という評価はリスペクトされると思います。

 

見せるエンターテインメントという部分は、

こうした興奮やその才能に対する真摯なリスペクトが

得られる状態か否かが大事なのです。

 

リスペクトという意味で、

現状、eSportsで活躍されてる方は、

試合で結果を出すために大変な努力をされてます。

そこはリスペクト出来ても、

彼らの試合を態々見に行くだけの価値を感じるか?

と、言われれば

「全くない!!」

と、正直に言わせてもらいます。

 

それで良いというのなら、

それはそれで良いのではという話です。

 

ただ、こうして市場の価値で考えた場合、

総合格闘技はお金を払っても見てみたいと思うが、

ストリートファイターのゲームの大会は、

無料イベントでも態々足を運んで見に行く気にすら成らない。

 

総合格闘技からすれば、

そのeSportsの大会は、

素人の競技大会にしか感じないのだから。

 

これは米国で人気が有ると言われる、

League of Legend (LOL)も同じで…

ゲームはやった事有るけど…

どうも操作性が合わないので止めたのもあって、

全くその試合に興味すら湧かない。

見ていても素人の戦術にしか見えないレベルで、

ハッキリ言ってツマラナイ。

まあ、プレイしている当初、

劣勢状態に成った味方の為、

攪乱工作の動きで敵を翻弄してたら、

誰もその意図に気づかず、味方は文句タラタラ…

まあ、攻略法に無い動きだから解らないのは仕方ないが、

結果、勝ったのに誰もその意図を評価しないので

ゲームの浅さに呆れた。

 

敵が優勢な状態を察して、余裕かまし始めた状態で、

敵は意図せぬ動きで翻弄されると色々と崩れやすくなる。

特に、5人一組のチームだったかな?

チームが固まって動いて、

分散した味方を多勢に無勢で狙っている状態で、

敵を分散させなければ成らない事を察するべきなのに、

マニュアル通りしか思考できない。

攪乱工作で敵拠点を攻撃しながら消えるを繰り返す事で、

敵は分散し、徐々に状況は改善した訳ですが…

レベルの低い話で、

こうした戦術もプロが示していないなら、

その程度のゲームでしかない。

そういう意味で興味なし。

素人さん頑張れにしか思えません。

 

最近、どこまで戦術アドヴァイザー的なメンバーが出たかは知りませんが、

結局、ゲーム操作だけ上手い人が集まった大会では、

見ていて頭の無い素人のクリックゲーム(ボタン押すだけ)に見えるだけです。

 

ゲームに夢中な人はその攻略法であり、

プロと言われる人たちのプレイを見て、

ヒット&アウェイなどというテクニックを戦術としてあげますが、

あんなもの戦術で無くプレイ技術です。

ボタンクリック出来れば当たり前。

 

最近、日本に限らず、

マニュアルでしか考えてない

ネットに支配された人間多くて、

これが主流なのかと諦めるしかないのかな…

 

ゆえにeSportsの流行は直ぐに廃れるだろうと思います。

 

ゲームは新しいものが出てくる故に、

同じゲームが延々とプレイ人口を維持できるとは思えません。

ストリートファイターや鉄拳が

30年続いているけど…

プレイ人口はどれだけ居るのかな…

 

ネットなら全世界で1000万人の視聴者が見ていました…

なんて騒いで言うけど…

日本でのテレビの視聴率で考えて、10%だよ…

世界全体の数値でやっと日本のテレビ市場大台。

全世界の視聴率だと…その1/70

1.4%だって…テレビ局は放映する興味すら持たない。

これがeSportsで世界最大級のイベント。

 

まあ、ゲームの制作会社は儲かるだろうけど…

 

こんなものオリンピックの競技に考える必要性すらない!!

寧ろ、そっちを考えるなら、

チェスや囲碁、将棋を考えるべきと言えます。

 

まあ、本当に競技として成立させるなら、

本当に色々なプロが興味を示せる駆け引きが

見る人に伝わるレベルで無いと…

 

どうも…ショーエイです。

科学の世界を垣間見て、

宇宙の神秘を検証していくうちに、

有る疑念にたどり着きます。

 

それは光速という物理上の限界で

人間が移動できたとしても、

何百光年を移動するだけで寿命が尽きてしまう。

更には観察衛星を飛ばしたところで、

何千光年離れた場所にたどり着くには、

どれだけの世代を繋げる必要が有るのか?

 

電気信号ですら光速の影響に囚われて、

光速の限界で一千光年先と通信するのに

送信に千年、受信に千年掛かるという、

ある意味、馬鹿馬鹿しい話にも成ってきます。

 

これだけ科学が進んだ今の世界ですら、

この光速の壁を打ち破る術がないのです。

 

【宇宙人って何?】

もし地球外に知的生命体が存在しても、

我々とほぼ同じ光速の物理限界に達する可能性は

ほぼ間違いないでしょう。

仮に昔語られた様に

国家機密として宇宙人と接触してた…

なんて話が有ったとしたら、

人類の科学は既に光速の領域を越えているはずなのです。

 

では、光速の領域を超えた世界とは…

 

【馬鹿げた様な話でも研究するべき】

科学者は恐らく幽霊の存在を

脳で認識している錯覚と考えるでしょう。

現状、どう考えてもそう考えるしか有りません。

僕も異常者的な思考は持ちたくないので、

そう考えました。

 

ところが光速限界の先を考えて見た所、

オッサン先生が…

人間は光に囚われて、

光で見えないものは

見えない様にしているだけなのでは…

 

と、言います。

 

そこで科学的に考えたところ…

光より早く動くものに光は反射して映像を残せるのか?

いわば光子がぶつかる前に移動するため、

当たらないのでは…

否…

放射状の光子の中を動けば、

必ずどれかの光子にはぶつかるはず。

???

野球のボールで考えて見ましょう。

大谷選手のストレート163キロのボールが、

自分にデッドボールとして向かってきたら、

それでも避けれますが、

その玉が散弾銃のように何発も飛んで来たら、

ハッキリ言って避け切れません。

故に、どっかで光子に当たる可能性は有ります。

しかし、その光子に当たって目に見える状態で

私たちの目に反射した際は、

微細な光でしかなくなり、

ある意味ぼやける透明な感じで見えるのでは…

そして見えたその瞬間には、

恐らくその存在は既に目の前には居ない。

 

こうして考えると…

宇宙人=幽霊って可能性は有かもと思えてきたのです。

 

【神秘の世界を否定する故に…】

まあ、宗教で言われる神の存在だとか何とか、

そういう話で考えると面倒で、

そういう幻想的なものゆえに、

そこに潜むヒントは見逃しがちです。

 

脳が認識する領域に、

想像力の部分が神秘の何かを感知しているのでは、

と、科学的に疑って見る必要性は出てきます。

現状の科学では、

その領域はあくまで個人の想像力の話です。

幽霊を見た現象も、

想像力が錯覚して視覚認識に影響を与えた、

という意味で理解されます。

 

確かに説得力ある科学的な説明故に、

誰もその想像力部分を深く考えようとはしないのです。

 

神秘の世界のテラパシーとかにしても、

相手と何かで繋がっているというより、

寧ろ、心理学上の共通認識から生じる以心伝心。

いわば夫婦の阿吽の呼吸と言う感じで、

相手が今何をしたいかが想像できるという話です。

 

こうした形で科学的に説明が出来る故に、

それ以上の可能性は考えないというのが、

今の科学で…

ある意味、今の技術では

それ以外の説明を立証する術がない故に、

神秘の発想は妄想の世界と成るのです。

 

故に・・・

人間は光の領域(目に見える領域)から抜けられず、

光に捉われたまま抜け出せないのでは…

下手したら太陽系と共に滅ぶ運命なのでは。

と、何億年を見据えて危惧するだけの話です。

 

ちょっとした思考の切り替えです。

死んだらどう成るの?

って、死んだ人を見て想像しても、

死んだ人は何も語りません。

まあ、科学的に当たり前ですが…

仮に語り掛けてきたとしても、

それは貴方の想像の世界です。

 

と、科学と分別して一旦は考えて見ましょう。

そこで自分を見つめて疑問を感じるのです。

 

寝ているとき、意識を失った時、

何故脳はその時間を覚えていないのか…

爆睡したら体も気持ちも解放されます。

人体のメカニズムだけの話なのか?

 

死によって眠る事は、

爆睡しているのと同じなのでは?

何万年の月日を一瞬で通り過ぎさる…

生命を受けている体では、

体が苦痛を感じて眠りから覚ますのでは…

 

意識の無い状態では、

自分の存在すら感じる事のない

「無」の時間です。

 

今日は、仏教の哲学です。

ブッダは悟りを開く上で、

断食などの苦行をしていたと言われ・・・

先ず、こうして意識を喪失して、

例えば夜に意識が有った記憶が、

気付けば朝に成っていた。

と、いう現象を検証しようとしたわけです。

 

いわば、それは体が疲れて寝ていただけ?

と、いう疑念では

意識が無い状態、

記憶がないときの睡眠状態が

単なる人間としての生理現象でしか無いという話に成るからです。

それ故に座禅の姿勢を保ったまま

時間が瞬時に消える状態を確認しようとした。

これが本来の座禅の真意です。

 

仏教の教本にこの真意が有るか無いかは知りません。

ただ、「無の境地」という言葉と、

座禅による苦行を結びつけると

こういう部分に行き当たるのです。

体が疲れるはずの座禅の姿勢を保ったまま、

いわば意識を失って、

尚且つ体も心もリフレッシュされる。

この「無」という境地を感じて初めて、

死の世界の「無」を知ることが出きるのです。

 

そこで、無に入る前の意識の有る状態が現世、

無に入り時間が過ぎ去る状態を死、

そしてそのまま目覚めた状態を転生と見極め、

輪廻転生は有りうるという事も感じたと思われます。

そして、意識を失えず座禅という体の苦痛に

耐え忍ぶ状態を地獄とする事で、

彷徨える霊の苦痛を理解したのではとも言えます。

まあ、無に帰して転生を待つ事を「極楽」、

無に帰する事無く意識が地に縛られる事を「地獄」

という漢字で表現しているのなら、

仏教の教えにちゃんと記されているのかも知れません。

 

無の境地を理解した上で、

広大な宇宙を科学的に感じて下さい。

そこに、どれだけの星が点在するか…

我々の望遠鏡で見る宇宙の話でも、

空に見える星には幾億の銀河が有ります。

銀河です!!

恒星と呼ばれる星では有りません。

その銀河を天の川銀河で考えても、

幾億の星が点在します。

その中に光の限界を越えられない

我々と同じ様な文明を持った知的生命帯が、

どれだけの可能性で存在しうるか。

 

また、宇宙が光速で広がるなんて話を前提に考えた場合、

光速で離れていくその銀河の光は、

永遠に地球に届くことは無いという話にも成ります。

そこで無限に広がるその空間を理解できると思います。

 

では…

人間の想像で見つめる貴方が目撃する別世界。

夢の中で、見た事も無い場所に降り立つ瞬間。

これは果たして幻想なのか?

それとも意識が一瞬別世界に飛んだ…

まあ、パープリンに成って別世界に飛ぶ話も有りますが…

人間の意識とするいわば宗教的な言い方の「魂」

全部が全部

その魂が別世界に飛んだという事では無いとは思いますが、

ある意味、別世界を魂が垣間見た可能性は有るのです。

 

そういう魂が垣間見るその瞬間…

これが幽霊の正体に成るんじゃ?

いわば宇宙人とされる別世界(別惑星)の魂が

地球に降り立ってるとき、

光の幻覚でボヤけて見えたとか…

 

高度に進んだ文明で、

光速限界の境地を突破したのなら、

意識(魂)を開放して時空を超える技術は

可能性として有りうるのでは…

寧ろ、この手段しか光速を越える方法はない。

 

こうして意識と魂の話を存在しうる科学として

認識して見た場合、

この世で死んだ人が、

意識を無くす眠りに着けずに、

彷徨ってしまう…

幽霊の存在も説明が着くのです。

 

と、ここまでは現実科学と想像力の狭間で、

まだ曖昧に成ってしまうのですが…

もう一点、不思議な感覚を思い浮かべて欲しい…

 

【幽霊を肯定して見た論理・・・あくまで仮説です!!】

脳が記憶する夢の現象。

ちょっとしたうたた寝をした際、

夢を見て長い時間が経過したと錯覚した状態で

目を覚ますと、実は10分しか経っていなかった…

なんて経験は誰でも一度はしていると思います。

 

意識の世界では、

この時間の概念が不規則に発生する。

これは一般に

神と呼ばれる存在を肯定して考えた場合の

原則に成りますが、

意識が存在する…いわば意識を持つ限り、

必ず何らかの苦痛が生じる仕組みに成っているはずです。

 

それ故に眠りに着けない意識=幽霊は、

時間と言う概念の崩壊によって、

苦痛を感じると思われます。

時空地獄の概念として考えて下さい。

誰からも認知される事なく、

孤独な状態で貴方はその時空に存在しなければ成らないのです。

 

これって…苦痛だと思いません?

 

人間で有れば見える事すらない…

その孤独な時間を延々と彷徨うと思ったら…

怖いですね…ある意味、自分が幽霊になったとして。

 

そういう意味で電磁波をコントロールする

魔法的な手段を覚えるのか…

自分を認知してもらうために、

ポルターガイストを引き起こしたり、

ある意味、友達欲しさに…

そう人を死地に誘い込もうとしたり…

 

ちょっと想像しても有りうる話です。

 

そういう意味ではお祓いして眠りに着かせる

 

と、いう発想も的を得てきます。

 

光という束縛の現実故に

見えない世界は立証不能ゆえに

あくまで想像の世界のお話という形でご理解ください。

でも、可能性は有るかもね。

 

もっと掘り下げて考えると…

幽霊が電磁波または電子や素粒子を操って、

魔法のようにモノを動かすポルターガイスト。

これ解明されたら、

人間はハリーポッターのように、

魔法を操る術を知ることが出来るのかも…

 

まあ、1万年先の世界はこんな状態に成っているかも…

それには光速限界を人類は突破しなければ成らないのです。

 

うむ…信じるものは救われる…

なのかな…

 

 

 

どうも…ショーエイです。

今日は簡単に人間の心理の基本を話します。

 

日本語では

「巨人ファンは巨人の為に、野球ファンは野球全体を」

 

英語だと

Yankees Fan‘s are always for Yankees,  but not for the others

 

普通人間は何処かに肩入れしてしまうと、

その肩入れした方の為に考えてしまいます。

 

いわば、巨人ファンに対して他の球団の名選手は全て敵という見方で、

野球全体を愛する人だと名選手は名選手です。

 

まあ、メッシ選手で例えるなら、

レアル・マドリードのファンからすれば彼は敵なのです。

でも、サッカー好きの人なら、

彼の凄さに敬意を持てる。

 

これは日本人が世界全体を見る時にも出てきます。

日本人として中国や韓国を認める事は中々難しい。

それは全て日本と言う国に肩入れして見てるからです。

それ故に世界全体のバランスでみる目を失ってしまう。

 

世界全体のバランスで見る程、

世界全体を愛せるなら、

中国や韓国の長所を冷静に分析し、

その中に潜む短所も見抜けます。

その目を持たずして、

冷静に日本の将来を見定めることは困難であるという事です。

 

これトランプの保護主義を皮肉った話なのですが、

アメリカの話なら納得いっても、

日本の話だと理解しにくい事も有るでしょう。

それはその人が日本だけを愛しすぎるから。

 

まあ、恋愛でも育児であり子育てでも、

愛しすぎる故に盲目に成り、

結果、その相手の為に成らず、

最悪、破滅を齎す。

 

と、は言え、

これは中毒の様なモノで、

その目線から一歩引いてみる勇気は、

自分の一部を削られる断腸の覚悟が必要なのです。

 

簡単そうで難しい。

森羅万象、悟りの境地に近い話で、

中立という立ち位置を極めない人は、

決してその境地を知る事すら適わない

と、だけ言っておきます。

どうも…ショーエイです。

コロナの拡大凄い事に成ってます。

国も地方も

「検査数増えたから仕方ない。」

「海外に比べたら押さえている方だ」

恐らくそういう視点であまり危機感を感じていないようです。

今回、発表した4段階の警告、

あんなもの国民に何もできない状態を

いわば「海外レベルで比べたら全然少ない」

という錯覚で納得させようという話でしか有りません。

 

まず国民が知っておくべき話は、

ここまで感染が拡大すると、

抑制してもある意味

検査を受けていない無症状者が拡散し過ぎて、

収拾がつかなくなるという事です。

 

見えない感染が多く成れば、

それだけクラスターも発生しやすく成り、

遺伝子変異するウィルスの確率も上がっていきます。

 

【何をここで提言しても無駄なので】

経済を凍結して、完全封鎖という手で、

ウィルスを完全に押さえ込む方法しか、

生活と健康を維持する方法はないかも知れません。

そこまで踏み込めない国、地方両政府では、

このまま被害が広がる事を、

やった振りで流していくしか手が無いのも事実です。

 

ワクチンの進展に期待を込めつつ、

無策で国民を騙しだましに押さえ込み、

ただ拡大する状況を眺めるしか無いのは残念です。

 

日本人が前例の無い方法を先手で講じることは

恐らくビビりすぎて出来ないでしょう。

 

故に我々はこのままアメリカ並みに被害が拡大するのを待って、

ようやく本腰でコロナ封じ込めを考える状況に成るのかも知れません。

 

上記に記したように、方法は有ります。

しかし、その方法を必要と考えれる状態は、

それだけ被害が甚大な規模に成った時なのです。

 

 

 

どうも…ショーエイです。

日本の最高裁が如何に頭が固いか…

と言うよりも寧ろ、柔軟な解釈に乏しいか

それを露呈した判決です。

 

https://www.asahi.com/articles/ASN7Z674RN7ZUTIL02H.html

 

「ひるおび」で知った内容ですが、

先ず、争点は行為者が付近に居て見張りをしたか否かが

ストーカー法上の解釈に繋がるという点。

GPSは遠隔で見張りをしてるから、

ストーカー本人が付近に居たわけではないから、

ストーカー行為に当たるという「法的な解釈は出来ない」

と、いう最高裁の見解です。

 

確かに一瞬、言われてみればと思いがち、

寧ろこれを期に立法=国会が

法整備し直すように求める判決という解釈で

説明されていますが…

正直、ある意味手順としてそれでも良さそうですが・・・

 

【「付近に存在する」解釈】

GPSなど私物を相手に装着した場合、

これは付近に近づいて見張った行為に成ります。

 

何故かよく考えて下さい

 

【機器装着の時点で付近に居た証拠に成る】

GPSを相手に装着する際に、

相手の付近に近づかなければ

その装着は不可能です。

これが直接的か間接的、

いわば誰かに頼んだ場合でも、

GPS機器が誰の私物として利用されていたかで

証拠とするべきなのです。

 

【付近に近づいて装着するから以後の監視も付近に居た行為として扱える】

柔軟に行為の状況を整理して考えれば、

この論点だけで付近に近づいたと認定できます。

 

その上で遠隔で監視してても、

今度はストーカーの私物が付近に存在しているため、

付近に「目」としての「視覚」が存在して

見張りを行っているという「行為解釈」が成立し、

仮にカメラだった場合、いわば「盗撮」だったらどう解釈したのか?

という話に成ってきます。

 

【付近にという言葉の解釈】

付近にという言葉を拡大解釈したくないとしても、

人間の五感の一部が存在するのなら、

それは付近に存在しているという解釈は、

科学的に理解していれば問題有りません。

その上で、被害者の生命、自由、健康に

支障をきたす行為として認められるのなら、

憲法上、それを守る解釈は正当化されます。

 

法律は立法府=国会が制定するモノでも、

憲法は司法もそれに准じて判断してもいいものなので、

国の機能=憲法、法律、行政の総体的な解釈で、

適正に判断されるべきです。

 

【検察も装着行為で付近に存在した点で主張しろよ!!】

寧ろ、GPS装着行為の際に、

対象者の付近に存在しない限り難しく、

その機器を使用していた人間が

間接的=誰かに頼んだとしても

機器を使用していた証拠の下で、

代理行為で存在したとすることも出来ます。

 

代理行為だから本人は存在してないという主張でも

代理行為の可能性があるが、

代理行為で本人が存在しなかったという根拠にも成らない。

仮に根拠が記された場合でも、

寧ろ共謀犯として代理行為を認定すれば、

それも行為者が付近に存在した意味で決定づけられます。

 

検察は寧ろこういう事に気づいた上で、

この様な主張で法解釈を説明するべきなのです。

 

残念な国日本。

何故残念なのか?

日本人は自分の言葉に責任を持ちたがらず、

人任せな性質故に、

他人の言葉に責任をかぶせがちです。

 

いわば誰誰がこう言っていたから、

その言葉通りに私は従っただけで、

私の責任ではない。

 

確かに一般市民ならそれでも仕方ないでしょう。

ただ労働しているだけなので、

機械のように指示に従って行動してください。

マニュアル社会の行動は

貴方が機械レベル

言い方を変えれば、高性能なAIすら投入してない

機械レベルでしかないのです。

まあ、優秀なAIに仕事を奪われも文句の言えない

そういう人間だという話です。

 

これが政治や司法といった場所でも

同程度の頭しか持っていないのなら、

一層の事優秀なAIを海外から導入して

それにすべてをゆだねる方が良いという話に成ります。

何か「サイコパス」というアニメの世界に近づきますね。

 

【「論破」は「言い負かす」意味では有りません。】

日本では論破は「スカッとジャパン」のせいで

変な意味で捉えられます。

本来、論破は議論した際に、

ロジックで相手が反論できない状態を言う訳で、

論破する側が科学的な機能

いわば政治でも政治学の機能を論理的に話せば、

科学的に成るわけで、

この科学的機能を議論した上で、

より明確かつ確実な法則に結びつける行為です。

 

日本人が論破されやすいのは、

議論の際に、自分を否定されて負ける意識が有るからです。

逆もしかり、

論破して相手に勝ったという意識を持つから、

議論が成立しにくい「揚げ足取り」のドロ試合に成るのです。

 

故に負ける時の為に、「他人の見識」を利用して、

自分が悪いのではなく、その見識を出した人が悪いという

無責任な方法を取ってしまいます。

でも、それを理解もせずに「参照」したのは

それを用いた人の責任です。

 

こうした低レベルな試合…

既に議論と言う高尚な言葉すらつかえない

そういうレベルの中では、

参照に用いた資料の価値

いわばどれだけ優秀な学者が言ったか、

どれだけの「いいね」や「フォロワー」が付いている

資料であるかなど、

科学的にはどうでも良いような「フェイク」を

ステータスだけでアピールして勝負するだけなのです。

 

まあ、カードゲームやってるだけで、

将棋やチェスの様な頭を使うゲームでは無いという

違いは理解してもらえればと思います。

 

将棋やチェスの様な議論では、

相手の主張(科学的に的を得た主張)に対して

自分の主張に欠点が有ったのなら

直ぐに認めた上で修正して考えるように持って行きます。

その際に相手に敬意を払って、

解決策を相手に求める事もします。

しかし、そこで解決策が出ない場合、

双方で持ち帰り、

双方がその解決策または更なる問題点を用意して、

再び議論します。

 

この際に相手が言った言葉尻を捉えて、

「それは前回の話とは違うでしょ」

なんて事が出ると「揚げ足取り」なだけで

全く不毛な議論にしか成りません。

 

よく考えて下さい。

相手の指摘が適切だったから考え直した、

そういう場合、主張が変わるのは当然です。

 

ただ、日本人はこうして主張が変わるのは当然、

と言っても科学的根拠を用いずにまたは説明せずに

「私はこう主張したのであって、こうは主張してません」

という風にするから、

ドロ試合に成るだけなのです。

 

解りやすく違いを言葉で説明すると

「貴方の指摘を吟味して解決策を模索した場合、

私はこの様な方法を考えました」

もしくは

「貴方の指摘通り問題点が生じる事を理解したため、

その点は貴方の主張通りだと思います」

と、言って省くところは省く、

修整するところは修整するという柔軟な姿勢で

挑みます。

 

実際に上と下、どっちが賢い「負け方」という言い方にしますが、

どっちが賢く見えるのと、議論として聞いてて安心ですか?

 

【当ブログのネタから】

新型コロナ感染拡大に伴って、

当ブログでは緊急事態宣言を無理にしなくても良いと主張してます。

ただし、条件を設けていて、

 

クラスターという密集場所の特定のみではない意味で

※ここは言葉が足りないと思うので付け足して置きます。

科学的に発生原因を追究して

発生した類似の環境、

いわば同じナイトクラブでも、

Aではクラスターが発生して、

Bではクラスターが発生していない。

そういう比較と対応を見極めつつ、

其々のナイトクラブでどう対応すれば感染しない状態で

運営置出来るかを検証しながら

ガイドラインを進めていくなら

緊急事態宣言で経済を圧迫する必要性は無いと主張してます。

こうした事が適切に分析できて

科学的に対応できるのであれば、

いわばこの対応が前提ならば

世論の緊急事態宣言を用いる事に動じることなく

現状の方針をブレずに進めて行けば良いと言っているのであって、

 

この前提の科学的な対応が出来ないのなら、

日本の政府や知事程度の頭では

何を頑張っても無駄と諦めて言っているだけです。

 

また前提の方針で進められない場合も実際は言っている話で、

緊急事態宣言をやる場合は、

全ての経済活動を完全に凍結させて、

国民には配給制の下で

自粛では無く、在宅を指示する。

そういう意味で書いてます。

 

「現状の方針をブレずに進めるべき」

という言葉だけ理解して、

科学的な前提条件をやれないのは知っているので、

呆れて何も言いたくないのも事実です。

 

という事で、

仮にここのブログの様な主張を摘み取って、

科学的な前提を無視した状態で

緊急事態宣言の発動をしないのなら、

それはそれで政府が無能で

我々はその人災によって何も出来ずに

ただ自身の事無きを願うだけの話なので、

どうしようも無いねと呆れる事しか出来ません。

 

仮にこれを期にブレて緊急事態宣言を出したとしても、

今度は経済活動を圧迫させる状態のまま、

ただ我慢しろという話なので、

食い扶持に困って餓死(日本では失業)することに

成るだけです。

 

どの道、無能な政治家を民主的に選んでいるのだから、

国民にも責任ある訳で、

無能な政治家がこうして蔓延る

民主制というシステムも誇れる話では無いという事です。

 

独裁でもローマのアウグストゥスなら善政に成り、

無能な政治家が独裁を行えば災厄を招く。

民主制でもそれは同じで、

いわばヒトラーは民主制から誕生しているわけです。

 

政治システムで

必ずしも正しい政治になるという根拠は無く、

民主制でも国民の大半がポンコツなら、

パフォーマンスだけの政治家しか出てこない。

ただ、民主制ならどこかで選挙による変革は齎せるという話で、

それでもポンコツがトップに立ち続ける状態を維持してしまうなら、

それはそれで崩壊します。

 

万民に千里眼を持つ教育が施せない限り、

どんなシステムで社会を動かしても、

結局は同じ結果を生む。

まあ、千里眼を持つのは難しい話なので、

アウグストゥスの様な独裁者(ディクタートル)が

圧倒的な力で

世界を一度支配する方が賢明なのかなとも感じます。

 

どうも…ショーエイです。

浅はかな議論ばかり目立つ今日この頃。

 

先ず最初に、

南シナ海だけの局地的な戦争で考えたら、

米軍が中国を粉砕する事は出来る。

でも、戦線が拡大した時は、

米軍は必ず結果を出せずに撤退を余儀なくされる。

 

ベトナム戦争ではアメリカの技術的な戦力は

圧倒的だったはずにもかかわらず、

結果として撤退を余儀なくされました。

 

中国との戦争も同じ轍を踏む、

若しくはもっと最悪な戦禍を引き起こすことに成ります。

 

ただ、逆に中国が尖閣諸島に侵攻した場合、

中国は最悪な結末で敗北するという事は言えます。

何故ならその行動はサダムフセイン同様に、

世界全体を確実に敵に回すから。

 

【トランプを英雄にしたいと思いますか?】

アホ首相同様に、トランプ如き間抜けを

戦争で英雄にしたいと思うかという点です。

支持率で言えば、

米国の40%前後はそう思うかもしれません。

しかし、残りは「冗談じゃない」と考えるでしょう。

 

そんな奴の為に命を掛けれますか?

ある意味、トランプの為に死ねますか?

 

前線に送られる人はそんな気持ちで

戦う事に成る訳です。

 

逆に中国の人たちは?

香港やウイグルの問題は別として、

生活水準が著しく向上した中、

米国が彼らの生活を脅かすと考えれば、

ある意味、中国の人たちは寧ろ

団結して戦争に向かうだろうと考えるべきです。

 

そういう意味で考えても、

こういう状況の戦争で、

中国共産党の権威を脅かすどころか、

寧ろその権威を盤石にさせるための

戦争に成るだけです。

 

そういう結末が見えていて、

戦争でしか解決しない議論に

何の意味が有るのでしょうか?

 

【間抜けな政治家と国民】

政治家は自国の軍隊が

国と言う名を借りた自分の為に

喜んで死ぬと勘違いする。

国民も自分の代わりに命を懸ける彼らが、

喜んで死地に行ってくれると勘違いしている。

 

そういういい加減な議論で、

民主主義の決断だからと、

間抜けな大統領や首相の判断に

頼って良いものか…

 

スポーツで負ける感覚で

戦争に負ける意味を考えていないだろうか。

無能な指揮官が、

結局無能な結果をスポーツで残しても、

残念というレベルで終われるが、

戦争に成ると、

生活どころか生命も脅かされる。

 

【香港国家安全法は香港デモを支援した人たちのせい】

外圧によって香港の独立が脅かされたと感じた上で、

中国は香港国家安全法を通した。

ある意味、中国からしてみれば、

何もせずに香港を野放しにしてしまえば、

香港は外圧によって独立機運をより高め、

そして独立しようとしたでしょう。

そうなった時には、

中国は自国の一部が切り取られるならと、

軍事的な弾圧をおこなう状況に走ると言えます。

 

外圧を掛けたがわは、そんな状況や、

中国が抱く危機感を無視して、

勝手に自分たちの価値観で支援した訳です。

 

いわば中国は香港の独立運動もしくは戦争を

回避する意味でこうした圧力を用いるだろうことは、

多分、このブログでも書いていたと思います。

故に香港のデモは程よい所で

終わる方が良かったと考えていたのですが…

 

【スパイ行為に関して】

中国がアメリカにスパイ行為を働いているのは当然で、

無論、その行為が発見された場合、

アメリカの法律に準じて逮捕する事は、

当然の話です。

 

ところがアメリカが中国にスパイ行為を行っているのも当然で、

逆に、その行為が発見された場合、

中国の法律に準じて逮捕するのも当然です。

 

ある意味、双方でスパイされないように努めるのが、

暗黙の外交で有るはずで、

何方かが逮捕に踏み切れば、

もう一方も報復で行えるというのが常識です。

 

領事館の閉鎖に関しても結局はそうした流れの話で、

中国を悪とするのはアメリカのプロパガンダで、

中国は中国でアメリカを悪とするプロパガンダで、

彼ら人民に反米意識を植え付けます。

 

【中国との戦争に確実に勝つためには】

中国の共産党を打倒するという意味で考えた場合、

中国の人民が共産党から離れる状況を作らねば、

中国ほぼ12億の人民は団結して戦います。

それは日本人が日本を本当に脅かされた状態でも、

同じでその時は1億2千万人が団結して戦うでしょう。

 

こういう戦争に成ると勝っても負けても被害は甚大で、

第二次大戦の時の日本の様な状態も有りうる話です。

 

しかし、相手が国を見限る状態に有れば、

その戦争は攻め込む内部に味方を得て、

より容易に攻略出来ます。

 

その為には共産党が政策上の失態を

演じる状態がタイミングと成るわけで、

逆に言えば、今の勢いのある中国経済の状態は

寧ろ戦争を仕掛けるタイミングとして最悪です。

 

そのタイミングを生み出す意味で、

言い方が悪く成るが、

アヘンと同じように中毒症状を与えるのが

実は得策なのです。

ただ、中毒症状と言っても、

グローバル経済に依存するという中毒で、

世界の経済網あっての中国経済とするべきなのです。

 

ある意味、共産党が人民の信頼を失わない為には、

世界と上手く外交しなければ成らないという意識を

植え付ける事が大事で、

それを共産党が無視して経済を鈍化させたら、

その判断にその人民は不信感を抱く状態に成るでしょう。

ところが今、世界が反中姿勢を示して、

中国経済の鈍化で中国の人民を煽ろうとしても、

実際は逆効果で、

寧ろ中国に対する偏見を感じて、

中国の人民は団結してしまうのです。

何故時期尚早なのか…

 

日本人として例え慰安婦問題で

韓国の主張を理解したとしても、

反日感情むき出しで日本を悪く言われたら、

韓国に対して不快に感じるのは当然だと思います。

 

これはアメリカも同様で、

トランプの悪口=アメリカの悪口に聞こえたら、

それを受け入れる姿勢は変わってきます。

 

同様に今の中国人も同じ不快感を感じているだけで、

それ=共産党の外交失態とは成らず、

寧ろ中国人に対する偏見としか感じないのも事実です。

 

日本やアメリカとは言わずトランプ陣営が議論しているのは、

こういうクダラナイレベルのプロパガンダでしか無いという事です。

 

中国を受け入れて、中国人をグローバルビジネスに漬け込み、

その上で共産党が外交上の失態で世界の信頼を失う状態に成れば、

その時は多くの中国人が共産党を無能者と見て見限る意識が生まれるでしょう。

また、日本にも親中派が居るように、

共産党内でも色々な派閥に分かれ、

見識の分断が形成されたら、

失態は大きな変革を齎す機会に成ります。

 

仮にこうしたタイミングで

中国が世界の信頼を失う失態を犯した時は、

その時こそ絶妙なタイミングとして狙うべき話なのです。

無論、中国共産党はこうした隙が生じる事を理解し、

そうした隙を与えないように、

外交上、国政上適正に努めるのなら、

いわば現状維持でも世界の脅威とは成らないと言えます。

 

寧ろ、このまま中国を孤立させ、

その人民に偏見という意識を植え付けたまま、

冷戦状態に陥ってしまう方が

より軍事的脅威が高まり、

より中国の暴走気味の活動も

その人民から支持を得やすくなると危惧するべき話です。

 

ある意味、ポンペオなんて奴の言ってる話であり、

暴露本出したボルトンにしても、

全く戦略性の無い単なる疑心暗鬼の

妄想でしか無いと言っておきます。

 

外交上平和主義で進めつつ、

隙を見せたら何時でも行くぞ!!

そういうプレッシャーこそ孫子の兵法の神髄なのです。

 

結果、戦争せずに世界が外交で纏まれば、

それこそ世界全体がWINWINな関係に成るのですから。

 

何度もこのブログでは孫子の外交を以て制する話をしてます。

戦争は最終的な手段であるべきというのも、

相手が隙を見せたら逃さず攻めろなのですが、

相手に自らの隙を出させない様に外交上で取り込むというのが

その方法です。

今の世界で外交上で取り込むというのは、

国連の枠組みで世界の基準を統合するという事です。

そういう過程の中でも、

相手が失政によって隙を与えたら、

いつでも容赦なく攻め込むぞという姿勢は

プレッシャーとして意識させつつ、

相手を良い形に導くことが大事なのです。

 

今の中国が失政してる?

寧ろ失政しているのはトランプと安部の方で、

中国のやり方は民主的には疑問視されても、

国政としては当然の対応と言えます。

ある意味、それが失政で有ると

日本人や外国の人間が決めつけたところで意味が無く、

中国本土の人民が失政で有ると判断しない限り、

それはその国では失政に成らないのです。

 

トランプの失政はアメリカファーストを唱えて、

世界中からトランプに従いたくない、

トランプを世界のリーダーとして認めたくない

という意識を植え付けた事で、

パワハラ以外何もできない間抜けな失政です。

こんなアメリカとは一緒に戦いたくないという人が、

世界中で最低5割、恐らく7割いる状態で、

戦争して中国相手に苦戦したら、

ドイツを含むEUも助けてくれない状態で、

アメリカの失墜を歓迎するムードも考えられます。

 

本当に世界の為を思うなら、

コロナと共に去りぬ

して欲しいです。

 

 

どうも…ショーエイです。

前述のブログで

緊急事態宣言を今無理に再開する必要は無いと言ったが…

何故?GoToキャンペーン?

 

ある意味、これは頭オカシイでしょ。

何を目的にこれをやるのか?

この目的という部分で

このキャンペーンの機能を計ると・・・

感染拡大を全国的に広めようという事にしかならない。

まさにGoToHellだよね。

 

もしこのキャンペーンを強行するのなら、

それこそ日本人の嫌いな中国の政策を活用するしか無く成ります。

それは旅行前にPCR検査を受けて

陰性証明がある人のみに限るという条件。

それならばこのキャンペーンを利用して、

広範なPCR検査で、

早期の判別状態にも役立つ。

こうした対策が出来ないのなら、

結局の目的は、

感染を全国広範に拡大しようという

日本破壊を目指した

政府によるコロナテロに成ってしまう。

 

世論に乗じて政策をコロコロ変えるのは良くないとも

前回のブログでは言ってますが、

それ以前に全ての政策に明確な目的を持ちなさいと

説明してます。

明確な目的が健康と経済のバランスに

機能的に寄与するものか、

それとも一方を完全に犠牲にして、

それによって災厄を齎すモノなのか、

冷静に考えてから見極めて欲しいものです。

 

GoToHellキャンペーンは、

どう考えても健康面を一方的に犠牲にする政策で、

最悪な場合、救済するはずの経済も、

その後遺症として破滅しかねない内容に成ります。

 

まあ、こういう見極めも出来ないレベルの日本政府なら、

このテロ行為によって日本は一度破滅しましょう。

 

どうも…ショーエイです。

新型コロナ第二波…

連日の200人越えでという事で、

政府は何をやっているのかという感じも出てくる今日この頃です。

 

これは政治家が無能という話だけでは無く、

日本の教育がこの程度のレベルでしか対処(対応では無い)

できないという話と痛感して欲しいものです。

 

どれだけ受験で知識(メモリー)を埋め込んでも、

いわばPCのCPUに当たる部分がポンコツでは、

機能が伴わないという話です。

 

日本はメモリーに関しては大容量+高速読み取りの

ある種最高品質と言っても良いですが、

結局、CPU(演算)部分が世界最弱であるゆえに、

難しい問題には対応できないのです。

 

CPU=演算とすると、

メモリーだけの日本人は、

日本の数学教育は世界最高水準だと、

皮肉を言ったつもりで反論してくるでしょうが、

公式や解き方をメモリーにぶち込んでいるだけの教育で、

論理=構造、構成、法則といった

何故それが機能するのかを理解していないから、

メモリーから引き出せない計算は、

全く機能しない状態であると言っておきます。

 

【コロナ対策に関して】

新型コロナ対策としては、

現状感染者が200人を超えている状態でも、

経済活動を無理に抑制しなくても良いと思います。

ただし、何故抑制せずに経過を見守るのかを

明確に説明しなければ成らないのです。

 

いわば対処という部分です。

経済的副作用と国民の健康が天秤に掛けられる状態なのは、

誰もが知るところです。

ところが感染者が更に増えれば、

世論は直ぐに緊急事態宣言の再発動を想起します。

 

新型コロナ対策では

自粛するのが最良の策と言えますが、

副作用を考慮した上で対処を考えるのなら、

まあ、小池さんの言う様に

「コロナ有りきの社会」をどう考えるかなのです。

ただし、日本人のこの言葉は

全て困惑した状態の言い訳でしか有りません。

何故ならコロナ有きの社会をどう見極めるかを、

論理的かつ行程的に説明できないからです。

 

【イベント・スポーツ開催を通じて見極める】

恐らく一部の専門家は、

ある種の目的と動向を見極める意味での説明を、

政治家にはしていると思います。

政治家は恐らく専門家任せでその意図を全く把握してません。

 

先ず未知の新型コロナがどういう環境だとクラスターになり、

どういう環境だとセーフなのか?

この境界を見極める上での現状という点を

国民に説明するべきです。

いわばクラスターに成る環境を絞り込んだ上で、

極力経済的副作用を軽減させるという主旨で、

見極めつつピンポイントで

自粛が出来る方法を模索するという事です。

これが山中教授の言う科学と政治を融合させる意味です。

 

何故、こういう方法を考えるべきなのか?

新型コロナが現状いつ終息するか見えない状態で、

いつまで経済的な負荷をかけ続けるつもりなのか?

自粛によって前ブログで説明した様に、

経済凍結という手段で、

国庫を費やして耐える方法ならそれも有ですが、

それでも国庫が持ちこたえる限界は生じます。

故に経済を回しつつ対処する方法を見極めねば成らないのです。

 

イベントを人数制限の上で開催させて、

クラスターの発生は抑えられるか…

ある意味、イベントに行く人は自己責任です。

クラスターの危険性を感じるなら

イベントに行かなければ良いのです。

その上で動向を見極めて、

クラスターが発生するならやっぱり自粛要請または、

強制的にイベントの開催中止という判断に成ります。

無論、イベント主催者は各々でクラスターに成らないように

対応する自助努力が求められます。

勿論、どういう対応を行っていたかまで、

明確に計画表を示す事も大事です。

その中で仮にAはクラスター発生、Bは問題ないが見つかれば、

Bが対応した方法を参考に義務付けしていくことも叶います。

 

【政府のトップダウンが全てでは無いという意識】

3人集まれば文殊の知恵

いわばイベント主催者がそれぞれで危機感を以て、

それぞれで最大限に知恵を振り絞って、

クラスター対応を講じるっ事で、

気付かなかった方法が見つかる事は多々あります。

こうした対応成功例、失敗例を政府の基準で考えるのではなく、

その都度問題が出た時点で分析して、

出来るだけイベント中止にしなくても良い環境で、

義務付けしていくことも徹底しなければ成りません。

そういう人事的な整備も政府は考えるべきです。

 

日本の人時は常時トップダウン型です。

メモリーだけの低CPUの人間が、

新しい情報を解析できず、

低CPUの判別で誤った回答を出して失敗する例が

日本の通例と成ってます。

これを意識した上で柔軟な頭の人を起用するように

心掛けないとはっきり言って、

失態を起こす理由に成ってきます。

※日本の社会システムがこうした副作用で、

せっかくの頭脳を台無しにしているのが現状です。

 

【イベント以外でももっと分析するべき】

現状、新型コロナは紫外線に弱い事は判明してます。

太陽光から発する紫外線程度にどれほどの効果があるのか、

ちゃんと調べているのでしょうか?

医療機関では強力な紫外線発生装置で、

滅ウィルスをやっているようですが、

どの程度の紫外線ならどういう時間で効果が有るかを

先ず優先的に探るべきです。

 

クラスター追跡をやっているはずで、

早朝、日中の日が当たる時間の満員電車で、

クラスターがほとんど発生した感じは見受けられないなど、

セーフポイントも合わせて分析するべきなのに、

日本人はデッドポイント=クラスターで感染するケースしか、

統計を取っていないのでは?

 

夜の街関連などは特に解りやすい比較です。

夜の街では日が当たらないし、

屋内に入っての活動故にクラスターに成りやすい。

また密会に関してもどういう空間であったか、

日光の当たり具合などと比較して統計を取れば、

紫外線を利用した活動範囲拡大も目安が出来るのでは。

 

低CPUだと絶対は無いから無意味という計算しかしません。

可能性を最大限に活用しつつ、

クラスターという意味で、

影響の少ないところと影響の大きい部分に境界線を敷くことで、

より狭めた意味での自粛要請も可能になり、

経済への負荷をそれだけ軽減させられるという事です。

 

ある意味こうした目的を明確にして、

こういう目的で見極めるための現状緩和維持である事を、

説明するべきで、

ちゃんとその目的に焦点を合わせて、

世論に動揺して目的からそれることなく、

国民の不満へ対処することが大事なのです。

※政府の対応がブレるのは、

その都度どういう意図でそれを決定したかが無い証拠です。

ただ世論の流れに便乗して博打を打っているだけ。

意図が明確なら対応がブレる事は無いし、

説得力ある説明も伴うものです。

それが無いのは、全てパフォーマンスだけの無策無能です!!

その上で行動は自己責任という話に結びつけなければ

成らないという事です。

 

まあ…最高裁判所の判事ですら

憲法を全く構造的に理解していないこの国に

期待する方が間違いなのかな・・・

 

ちょっと心苦しい話をします。

日本という国が如何に低CPUなのか…

それを知っておきましょう。

 

先ず、孫ピン兵法に

「彼を知り、己を知らば百戦百勝危うからず」

これは情報こそ全てという意味でも使われます。

ところが確か孫武の孫子では逆に書かれていたと思う。

※まあ、孫子が書いていないなら

そのままこのブログの話でご理解ください。

「己を知り、敵を知らば百戦危うからず」

 

これは自分が同じ立場ならどう考えるかで、

相手がどう考えるかを見極めるという意味です。

 

この言葉をよく理解して以下の話を見極めて下さい。

 

【中国の意固地な姿勢は当たり前】

日本では中国が一国二制度の崩壊を意固地に進めた、

悪い国だと言っていますが…

皆さん自身がもし、自分の家庭の事や、

自分個人の趣味に対して、

「社会常識ではこうだ!!」

なんて話で他人が意見を押し付けてきたらどう感じます?

結構、みんな知らず知らずに意見してしまいがちなのですが、

自分が意見される側に成ると、マジ腹立ちますよね。

国際法上の内政不干渉は、

ある意味個人の表現自由や、

幸福追求の自由と同じです。

それで自分の価値観で相手に押し付ける行為は、

本来考えるなら迷惑なだけです。

これで相手が納得する状態とは思えない事を、

馬鹿みたいに一生懸命日本人はアピールしているのです。

そして最終的には喧嘩=戦争

という感情しか生まれない訳です。

 

まあ、香港の話で言えば、

ここは中国の内政上の権限で仕方ないが、

この部分(司法処理)では人権問題に関わる部分なので、

譲歩するようにという、

ある意味、常識では無く国際法上の境界線で、

交渉する事がどの国も出来ていない点は嘆かわしい。

ただ、アメリカがアメリカの国としての権限で、

香港への優遇政策を撤廃するという点は、

それも仕方のない話と言えますが・・・

それで結局、香港の何が救えるという話でしかない、

無策無能な交渉である点は言っておきます。

皆、頭に血が上って本来の目的を見失ってしまうのです。

まあ、最終的には武力闘争に陥るのかな・・・

 

孫子は「戦争は最終的な手段で有るべき」

という言葉を残していますが、

低CPUでは、外交を先行してればOKという理解しかないのです。

実際は、上記の様に外交上で話が成立するように心掛けて

戦争と言う最終手段を極力回避するというのが

その意味な訳です。

戦争でしか解決しない内容の外交では、

最終手段であるモノを外交上で脅しているだけ…

社会的に言えばパワハラで押し込んでいるだけの話です。

 

 

【文書は書き手の心情を理解しよう】

低CPUの頭脳では、文章の内容をそのままの言葉として

理解してしまいます。

「文は嘘をつかない」

なんて言葉を信じているのかな?

文は嘘をつかないのは、契約上の話の事です。

口頭では言った言わなかったが生じるが、

文章ならそれは記録として残る為、

言った言わなかったの嘘が生じないという話です。

 

ただ、契約以外の手紙やら日記では嘘は山ほど生じます。

 

単純に言えばツンデレの子の言葉を理解しろという意味で、

「あんたなんか嫌い!!」

と照れながら言う言葉を聞いて、

本当に嫌いだからそう言ったと思うのか?

というレベルです。

 

低CPUの人はアニメのツンデレなら理解するが、

リアル社会のツンデレは

そのまま受け止めるようです。

まあ、ツンデレはあくまで例えですが、

人間様々な環境や心情で、

本心とは違う表現をしてしまいがちです。

 

NHKの番組で、

中世戦国時代の日本はキリスト教徒のバテレンの世界征服に

利用されていたという内容があります。

確かにバテレンがポルトガル王やスペイン王に充てた書簡に、

そのような記述が有ります。

ところが・・・

まず、貴方がビジネスで出張に出かけて、

上司に取引交渉中の状況を説明するときを想定して考えて下さい。

 

貴方の上司は会社が交渉で有利に運ぶ事を望んでいる訳で、

相手は相手が有利に成る様に話を進めてきます。

下請けで無く対等な立ち位置同士の交渉の場合、

接待やら何やらと経費も掛かるでしょう。

その中の報告書で貴方は上司に、

「先方の機嫌を取る為に、もっと経費の活用を認めて下さい」

なんて報告の仕方をしますか?

ある意味、取引先との交流を深める上では仕方のない事ですが、

更に

「値引きを頼まれました。値引きすれば交渉が成立します。」

なんて報告したら無能そのモノですよね。

ある意味、上司は

「何故こちらが媚びる必要があるのか、そんなんでは相手の思うつぼ」

と、怒られるかも知れません。

実際にバテレンが行った信長たまへの軍事支援は

こうした状況に近い話です。(記述内容を読む限り)

 

ただ、相手の機嫌を損なえば、

交渉は決裂する可能性も有ります。

そんな中、貴方が少しでも優秀な営業マンなら報告書で

希望的観測を用いた内容を盛り込むと思います。

 

いわば「先方は徐々に心を開いており交渉も次期上手く纏まりつつあります。ただ、色々相手も思慮深い一面が有り、もう少し砕けた関係で取り入るスキを狙いたいので、今回は少しばかりの譲歩をお願いします。」

的な文言にします。

実際に相手と上手く関係を築ければ、

バテレンと信長たまの話で言うなら対等な関係は建持てた上で、

協力関係は維持できると考えます。

その上でゆったりと侵食していく位の計算は通じます。

 

ただし!!

文章から大事な事は・・・

バテレンが何を与え、そして信長たまが何を与えたか。

実際は信長たまが与えたのは活動の自由です。

そしてバテレンが与えたのは多大な軍事支援です。

そういう天秤に掛けて読み解くと、

バテレンたちは信長の為に働いて、

キリストの教えを広める事にのみ務めていたように見えます。

その宣教活動を有意義に進めるには、

むろん大きな力の庇護が必要になる為、

バテレンはポルトガルやスペインに野心的な文章を以て、

軍需物資や貿易品を調達して、

信長たまを支援する事でご機嫌を取っていたに過ぎない。

現実的にスペインやポルトガルが信長JAPANを

利用できるとは思っていなかったと思われます。

 

ここで読み解くカギは、

①当時の航海日数。

ポルトガルから日本まで1年以上の航海が必要に成る状態で、

琉球か台湾を拠点に軍隊を送り込んでも、

当時の日本をそれで征服するには、

リスクが高すぎる点です。

②当の信長たまはキリスト教徒に成らないと宣言しており、

キリスト教による洗脳で日本を支配する事はほぼ皆無。

寧ろ、軍事的に対抗しても勝ち目は無いと踏んだため、

信長たまを見限らずそのまま庇護を受ける事に努めた。

③フィリピンやその他の国の様に、

キリスト教支配を広めるつもりなら、

キリスト教徒になった大名に連合を募って敢えて障壁となる

信長たまに対抗する愚策に走ったと思われる。

 

文章の内容と、実際の行動した記録から、

彼らが本当にキリスト教で日本を征服しようと考えたか、

それとも国家では無く純粋にキリストの教えに従い

宣教活動を目指したのかをもっと適切に分析するべきです。

 

キリスト教徒には当時も2面性が有り、

スペインやポルトガルの様な国家は

キリスト教の教えとは真逆の支配的野心で動いており、

洗脳戦略の手段して宣教師を利用していた事も有り、

恐らく純粋な宣教師ならその矛盾に苦悩を感じたとも考えられる。

 

などと、文章から読み解くには

かなりのスペックのCPUが必要に成ります。

これでも足らない・・・

 

ただ、ハイスペックな話だと

現状の低スペックがマジョリティな日本社会では

興味を持たれない可能性も有る為、

いわば視聴率重視で低スペックな情報でという事も言えますが、

低スペックな情報しか流さない故に、

発信する側も低スペックなままに陥り、

社会全体が低スペックスパイラルに陥ったと言えます。

 

まあ、インフラも低スペックで満足している日本。

新型コロナのアプリすら真面に作れない低スペックさに

危機感を抱いてほしいと思うのですが、

低スペック過ぎて、

山中教授のハイスペックな話を理解できず、

吉村知事程度を持ち上げて、

期待する低スペックな社会では、

絶望的な状態にしか思えない今日この頃です。

 

山中教授も不満や不安を感じても、

まあ、自身の話に耳を傾ける意識のある人を

無碍には出来ない心情に駆られているのだと思います。

人間の情ってのは大事だけど、

低スペックの社会では、勘違いで変に利用されちゃうから、

本当に怖い怖いですね・・・

どうも…ショーエイです。

ここの所、難題と言わんばかりのニュースが続いてます。

 

先ずはコロナの第二波。

希望的観測としては、6月頭の緊急事態宣言解除で

終息に向かえばと多くの人が期待したと思います。

正直、科学的に考えると

第二波は起こるだろうと思っていたのですが、

日本の隠蔽気質を想定して

第二波を誤魔化しながら、

10月位まで大丈夫と言い張るつもりだろうと思ってましたが、

結局、東京都は100人をまた越えてしまいました。

 

【コロナ第二波の対応は難しい】

一度解除してしまった緊急事態宣言。

改めてまた発動するのは難しい状況です。

国が支援しきれるには限界があり、

企業および経営者も赤字状態で継続していくのは、

かなりのリスクが生じます。

また仕事を休むにも企業が給与を保証できないなら

多くの人が生活苦に直面してしまう事態に成ります。

これらは緊急事態宣言で生じた副作用として、

誰もが感じた現実です。

 

これに照らし合わせて健康の為にまた我慢するのか?

 

科学的にはワクチンが開発されるか、

一日10万件以上のPCR等の検査が実施された上で、

感染者が0が2週間以上続くかの何れか以外は、

終息する事は無く、再拡散する可能性は

十分に有ると考えるのが普通です。

 

とは言え、世界中どこの国も

6月頭位が経済的限界であった事は否めません。

 

【自己責任で対応とは言うが…】

こうした状況を踏まえると、第二波に関しては、

自己責任での判断に任せる話に成ってきます。

いわば感染したくない人は外出を自粛し、

感染リスクを承知で経済活動を優先する人は、

自分の責任で活動するという話です。

ただし、問題は自己責任で自粛を決めた人に対する、

社会的保障では無く、社会的保護です。

無論、自粛する人の給与は停止する形に成りますが、

何時でも職場復帰できる環境を整備するべきで、

自粛して休む決断をした人に、

「仕事をサボってる。」という印象を持たせない事です。

「寧ろ職場でのソーシャルスペース確保に

無償で貢献している」と考える環境を構築しなければ成りません。

 

日本の職場では、休むという行為が悪い印象を与え、

怠けている風に吹聴されます。

いわば

「自分は頑張って仕事をしているのに、

何故平気で休めるのか?」

なんて事を考える人も多く存在し、

更には自分の頑張りをアピールする為に、

休んでいる人を悪く言う事も当たり前の様に発生します。

そうした空気を誰もが知るゆえに、

自己責任でと言われても、

感染リスクを避ける為に仕事を休む決断がしにくい状況なのです。

 

【小池さんの自己責任では無責任に成る印象】

いわば上記の社会環境が

特に日本では厳しくのしかかるゆえに、

自己責任と言われても、

どの道、仕事に行かざるを得ない状況しか生まれません。

貯蓄のある人で仕事を休んでもいい人も、

結局職場での自身の立ち位置を考えると

休めないと考えるのは当然なのです。

緊急事態宣言の様に、皆で仕事を休むのが

当然という環境で無い限り、

自己責任は無責任な発言にしか成らないという事です。

 

緩和的緊急事態宣言

前回の緊急事態宣言の様に、

営業する事は悪い事という状態では無く、

「営業しても構わない、規制もしない。

ただし仕事を休める人は積極的に休んでください。」

と、いうもの。

そして仕事を休むことで社会的にハラスメント

及び不当な解雇(経営難が理由以外での解雇)は、

民事的に損害賠償の対象にするという

法的保護も付与しなくては成りません。

 

こうした保護の中で、経済活動を優先する人は、

自己責任で行動の決断をしてもらい、

コロナに感染した際は、速やかに隔離に従うように

とと、いう形が限界かもと思います。

 

仮に前回同様に緊急事態宣言を行う場合は、

一切の負債金の停止。

いわば、個人および企業の家賃発生は、

緊急事態宣言中は全て請求を放棄する。

生活に関わる電気、水道、ガス料金も請求を放棄する。

いわば期間中はそれらは無料状態になり、

借りている側も営業できず、仕事が出来ない状態で

無収入状態に成る故に、

家賃収入者も社会貢献として同様の無収入状態で

我慢してもらう。

銀行等の利息も停止(貸出、借入双方)の上、

期間中の返済は無利子で延長するなど、

いわば経済を完全に「凍結」させる政策を用いるべきです。

日本経済が借金や破産等で大きく枯渇せず、

コロナ終息後、速やかな経済活動が再開できるように、

且つ緊急事態宣言中に不要な負債を抱えることなく、

円滑に再開できるように全てが自粛するという事です。

 

その代わり税金は給付に使わず、

戦時中状態と想定し国民への食糧配給に割り当て、

医療関係者及び社会活動従事者(宅配や配給員として働く人)への

給与として賄うべきと言えます。

 

まあ、日本の政治にはこうした決断も、

国民に対する説明も出来ないだろうから、

期待しても無理だろうと言え、

所詮は中途半端な措置で経済を壊滅させることに成るのでは

と、危惧します。

 

【都知事選に関して…】

次は都知事選に関して。

まあ、色々悪い風に言われつつある小池現都知事。

別に支持もしなければ不支持でも無い訳ですが、

都知事選の候補者を見る限り、

まるで安い料金のビュッフェだね。

メインの小池さんがローストビーフ、

宇都宮さんが寿司、

山本太郎さんがパスタみたいな感じで、

何をとりあえず食べたいという選択肢に近い。

まあ、ローストビーフはメインなので、

とりあえずローストビーフは押さえておいて、

お寿司も美味しそうだな…

でも、パスタも・・・

と言う選択肢に近い感じです。

結局、お腹に入ればどれも同じ…

いわば誰が都知事に成っても何も変わりそうにない。

 

宇都宮さんは寿司として期待持てそうでも、

オバマくんがトランプマンにアドヴァイスした言葉と同じで、

「大統領に成って結局は出来ない事の方が多い事に気づく」

という事で都知事もそれと同じに成ると言えます。

 

まあアホ首相の様に権力を握って、

それを濫用するような感じは都知事としての小池さんには

今のところ感じないので、

最終的には誰でも良いという選挙の印象です。

まあ、ホリエモン新党の存在が

別に食べたくもない料理で埋め尽くされているだけに成るので、

安っぽいビュッフェに見えるのは仕方のない話かな。

 

【表現の不自由展】

何度もこの話題を出していますが、

公的資金を使ってまでという主張に対して・・・

 

公的資金を使用して美術展を開催した所、

不評な表現が含まれて問題化しただけの話です。

その不評な表現も表現の自由の範疇で考えるべきで、

結果、その賛否が分かれただけの問題です。

不評な評価をした側は、

自分の感性で気分を害したと表現しているだけで、

表現の自由が認められた日本という国として

美術展、芸術展の開催が間違っているというのは

意味不明です。

 

あいちトリエンナーレで、

公的資金を使って様々な形の表現の自由が認められる事を

アピールした意味として考えるのなら、

寧ろ日本国として正常な話なのでは?

憲法上それが認められた国である事を証明したと考えるなら、

日本国民の思想、表現の自由は、

北朝鮮はおろか中国よりも遥かに進んだ国として寧ろ誇るべきです。

高須君、また橋下君もこの辺に不満が有るようですが、

日本が自由を尊重する国であると主張するなら、

こうした表現も寛容に捉えて、

不快に感じたのなら

個人の感想で不快だったに留めておくべきと言えます。

 

香港の話で日本が懸念を表明するのに賛同するのなら、

寧ろ、こうした不快な表現でも

憲法上の自由を尊重する姿勢を誇って

懸念する社会的な意識の証明とするべきと言えます

 

「それが出来てないくせに何言ってんの?」

と、突っ込まれたくないなら尚更です。

 

まあ、色々まだまだ難題が山積みです。

コロナ=COVIT19はどうなる事やら…

ワクチンの話が出来つつありますが、

ワクチンが出来て、

製造されたワクチンを購入するという発想しかないのが不思議です。

ワクチンが完成したなら、

WHOが中心でも構わないが、

基金を募ってワクチンの製造法を購入して、

その製造法を元に各国の医薬品製造会社が量産して

各国の治療に宛がう様にするほうが良いと思います。

 

ワクチンの品物自体を購入するのではなく、

世界中の基金を募って、

製造法を購入するのですよ。

そうすれば量産体制は世界中で整いやすく成るという話です。

 

因みにWHOが中心となってチャイナマネーで

製造法が買い取られた場合、

トランプは大失態を演じて、落選間違いないしに成るでしょうね。

その際、コロナ終息の為、WHOに加盟しなおすか、

ワクチン開発グループに大金は叩いて、

大量生産を依頼するかのいずれかの選択肢になるね。

なんか中国がアメリカへの報復でやりそうな話だね。