どうも…ショーエイです。
日本の最高裁が如何に頭が固いか…
と言うよりも寧ろ、柔軟な解釈に乏しいか
それを露呈した判決です。
https://www.asahi.com/articles/ASN7Z674RN7ZUTIL02H.html
「ひるおび」で知った内容ですが、
先ず、争点は行為者が付近に居て見張りをしたか否かが
ストーカー法上の解釈に繋がるという点。
GPSは遠隔で見張りをしてるから、
ストーカー本人が付近に居たわけではないから、
ストーカー行為に当たるという「法的な解釈は出来ない」
と、いう最高裁の見解です。
確かに一瞬、言われてみればと思いがち、
寧ろこれを期に立法=国会が
法整備し直すように求める判決という解釈で
説明されていますが…
正直、ある意味手順としてそれでも良さそうですが・・・
【「付近に存在する」解釈】
GPSなど私物を相手に装着した場合、
これは付近に近づいて見張った行為に成ります。
何故かよく考えて下さい
【機器装着の時点で付近に居た証拠に成る】
GPSを相手に装着する際に、
相手の付近に近づかなければ
その装着は不可能です。
これが直接的か間接的、
いわば誰かに頼んだ場合でも、
GPS機器が誰の私物として利用されていたかで
証拠とするべきなのです。
【付近に近づいて装着するから以後の監視も付近に居た行為として扱える】
柔軟に行為の状況を整理して考えれば、
この論点だけで付近に近づいたと認定できます。
その上で遠隔で監視してても、
今度はストーカーの私物が付近に存在しているため、
付近に「目」としての「視覚」が存在して
見張りを行っているという「行為解釈」が成立し、
仮にカメラだった場合、いわば「盗撮」だったらどう解釈したのか?
という話に成ってきます。
【付近にという言葉の解釈】
付近にという言葉を拡大解釈したくないとしても、
人間の五感の一部が存在するのなら、
それは付近に存在しているという解釈は、
科学的に理解していれば問題有りません。
その上で、被害者の生命、自由、健康に
支障をきたす行為として認められるのなら、
憲法上、それを守る解釈は正当化されます。
法律は立法府=国会が制定するモノでも、
憲法は司法もそれに准じて判断してもいいものなので、
国の機能=憲法、法律、行政の総体的な解釈で、
適正に判断されるべきです。
【検察も装着行為で付近に存在した点で主張しろよ!!】
寧ろ、GPS装着行為の際に、
対象者の付近に存在しない限り難しく、
その機器を使用していた人間が
間接的=誰かに頼んだとしても
機器を使用していた証拠の下で、
代理行為で存在したとすることも出来ます。
代理行為だから本人は存在してないという主張でも
代理行為の可能性があるが、
代理行為で本人が存在しなかったという根拠にも成らない。
仮に根拠が記された場合でも、
寧ろ共謀犯として代理行為を認定すれば、
それも行為者が付近に存在した意味で決定づけられます。
検察は寧ろこういう事に気づいた上で、
この様な主張で法解釈を説明するべきなのです。
残念な国日本。
何故残念なのか?
日本人は自分の言葉に責任を持ちたがらず、
人任せな性質故に、
他人の言葉に責任をかぶせがちです。
いわば誰誰がこう言っていたから、
その言葉通りに私は従っただけで、
私の責任ではない。
確かに一般市民ならそれでも仕方ないでしょう。
ただ労働しているだけなので、
機械のように指示に従って行動してください。
マニュアル社会の行動は
貴方が機械レベル
言い方を変えれば、高性能なAIすら投入してない
機械レベルでしかないのです。
まあ、優秀なAIに仕事を奪われも文句の言えない
そういう人間だという話です。
これが政治や司法といった場所でも
同程度の頭しか持っていないのなら、
一層の事優秀なAIを海外から導入して
それにすべてをゆだねる方が良いという話に成ります。
何か「サイコパス」というアニメの世界に近づきますね。
【「論破」は「言い負かす」意味では有りません。】
日本では論破は「スカッとジャパン」のせいで
変な意味で捉えられます。
本来、論破は議論した際に、
ロジックで相手が反論できない状態を言う訳で、
論破する側が科学的な機能
いわば政治でも政治学の機能を論理的に話せば、
科学的に成るわけで、
この科学的機能を議論した上で、
より明確かつ確実な法則に結びつける行為です。
日本人が論破されやすいのは、
議論の際に、自分を否定されて負ける意識が有るからです。
逆もしかり、
論破して相手に勝ったという意識を持つから、
議論が成立しにくい「揚げ足取り」のドロ試合に成るのです。
故に負ける時の為に、「他人の見識」を利用して、
自分が悪いのではなく、その見識を出した人が悪いという
無責任な方法を取ってしまいます。
でも、それを理解もせずに「参照」したのは
それを用いた人の責任です。
こうした低レベルな試合…
既に議論と言う高尚な言葉すらつかえない
そういうレベルの中では、
参照に用いた資料の価値
いわばどれだけ優秀な学者が言ったか、
どれだけの「いいね」や「フォロワー」が付いている
資料であるかなど、
科学的にはどうでも良いような「フェイク」を
ステータスだけでアピールして勝負するだけなのです。
まあ、カードゲームやってるだけで、
将棋やチェスの様な頭を使うゲームでは無いという
違いは理解してもらえればと思います。
将棋やチェスの様な議論では、
相手の主張(科学的に的を得た主張)に対して
自分の主張に欠点が有ったのなら
直ぐに認めた上で修正して考えるように持って行きます。
その際に相手に敬意を払って、
解決策を相手に求める事もします。
しかし、そこで解決策が出ない場合、
双方で持ち帰り、
双方がその解決策または更なる問題点を用意して、
再び議論します。
この際に相手が言った言葉尻を捉えて、
「それは前回の話とは違うでしょ」
なんて事が出ると「揚げ足取り」なだけで
全く不毛な議論にしか成りません。
よく考えて下さい。
相手の指摘が適切だったから考え直した、
そういう場合、主張が変わるのは当然です。
ただ、日本人はこうして主張が変わるのは当然、
と言っても科学的根拠を用いずにまたは説明せずに
「私はこう主張したのであって、こうは主張してません」
という風にするから、
ドロ試合に成るだけなのです。
解りやすく違いを言葉で説明すると
「貴方の指摘を吟味して解決策を模索した場合、
私はこの様な方法を考えました」
もしくは
「貴方の指摘通り問題点が生じる事を理解したため、
その点は貴方の主張通りだと思います」
と、言って省くところは省く、
修整するところは修整するという柔軟な姿勢で
挑みます。
実際に上と下、どっちが賢い「負け方」という言い方にしますが、
どっちが賢く見えるのと、議論として聞いてて安心ですか?
【当ブログのネタから】
新型コロナ感染拡大に伴って、
当ブログでは緊急事態宣言を無理にしなくても良いと主張してます。
ただし、条件を設けていて、
クラスターという密集場所の特定のみではない意味で
※ここは言葉が足りないと思うので付け足して置きます。
科学的に発生原因を追究して
発生した類似の環境、
いわば同じナイトクラブでも、
Aではクラスターが発生して、
Bではクラスターが発生していない。
そういう比較と対応を見極めつつ、
其々のナイトクラブでどう対応すれば感染しない状態で
運営置出来るかを検証しながら
ガイドラインを進めていくなら
緊急事態宣言で経済を圧迫する必要性は無いと主張してます。
こうした事が適切に分析できて
科学的に対応できるのであれば、
いわばこの対応が前提ならば
世論の緊急事態宣言を用いる事に動じることなく
現状の方針をブレずに進めて行けば良いと言っているのであって、
この前提の科学的な対応が出来ないのなら、
日本の政府や知事程度の頭では
何を頑張っても無駄と諦めて言っているだけです。
また前提の方針で進められない場合も実際は言っている話で、
緊急事態宣言をやる場合は、
全ての経済活動を完全に凍結させて、
国民には配給制の下で
自粛では無く、在宅を指示する。
そういう意味で書いてます。
「現状の方針をブレずに進めるべき」
という言葉だけ理解して、
科学的な前提条件をやれないのは知っているので、
呆れて何も言いたくないのも事実です。
という事で、
仮にここのブログの様な主張を摘み取って、
科学的な前提を無視した状態で
緊急事態宣言の発動をしないのなら、
それはそれで政府が無能で
我々はその人災によって何も出来ずに
ただ自身の事無きを願うだけの話なので、
どうしようも無いねと呆れる事しか出来ません。
仮にこれを期にブレて緊急事態宣言を出したとしても、
今度は経済活動を圧迫させる状態のまま、
ただ我慢しろという話なので、
食い扶持に困って餓死(日本では失業)することに
成るだけです。
どの道、無能な政治家を民主的に選んでいるのだから、
国民にも責任ある訳で、
無能な政治家がこうして蔓延る
民主制というシステムも誇れる話では無いという事です。
独裁でもローマのアウグストゥスなら善政に成り、
無能な政治家が独裁を行えば災厄を招く。
民主制でもそれは同じで、
いわばヒトラーは民主制から誕生しているわけです。
政治システムで
必ずしも正しい政治になるという根拠は無く、
民主制でも国民の大半がポンコツなら、
パフォーマンスだけの政治家しか出てこない。
ただ、民主制ならどこかで選挙による変革は齎せるという話で、
それでもポンコツがトップに立ち続ける状態を維持してしまうなら、
それはそれで崩壊します。
万民に千里眼を持つ教育が施せない限り、
どんなシステムで社会を動かしても、
結局は同じ結果を生む。
まあ、千里眼を持つのは難しい話なので、
アウグストゥスの様な独裁者(ディクタートル)が
圧倒的な力で
世界を一度支配する方が賢明なのかなとも感じます。