ショーエイのアタックまんがーワン

ショーエイのアタックまんがーワン

タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

どうも…ショーエイです。

日本の政治家で誰が良いか・・・

石破君が一番真面だった。

 

メディアはこぞって高市早苗を押しているが、

アホ政治を継承する時点で、

日本を任没させる存在でしかない。

 

死んでも許したくないのでアホと呼びます!!

 

日本人の怖さといううか・・・

日本人の愚かさは、

負けるとsyぐ謝るところ。

どれだけ強気な態度でも、

結果ヤバくなるとすぐに謝罪して許しを請う人間が、

今の日本はとにかく多すぎるのです。

戦争する前は強気でも、

いざ結果的に勝てなく成れば、直ぐに降参してしまう。

戦前の日本人は、今のウクライナの様に、

負ける事を許せないところがあり、

むしろ政治家たちは自分の身を守らせるために、

国民を盾にする有様だった感じです。

ゼレンスキーを評価する人も居るが、

ゼレンスキーに責任感は責任感では無く、

我が身恋しさに戦争にしがみつくしかない状態で、

東條ら戦時中日本の政治家にそっくりなのです。

仮に弱気に交渉が纏まれば、

ゼレンスキーはウクライナに

居られなくなる可能性が高いからです。、

 

【どれだけ軍備を備えても、戦争になれば最前線の日本】

軍備が抑止力になると勘違いする人も多いですが、

日本が軍備を増強すれば、

日本が敵対意識を表明する中国やロシアも、

それに備えて構えるだけ。

米軍の存在が抑止力になると考えているのは、

それこそ平和ボケの発想です。

 

戦争が始まる時は、どちらか一方がキレた時で、

ロシアは欧米に対してキレたから、

ウクライナ戦争に踏み切った。

これは中国も台湾問題でキレたら、

いつでも戦争に踏み切ると言う事でも有ります。

ロシアはキレた時点で、

NATOを含めて相手にする覚悟が有ったわけで、

中国も同様に覚悟を以て挑む訳です。

この場合、勝てない可能性は関係なく、

意地で戦ってくるので、

核兵器の使用も辞さない戦争になると言えます。

いわば国際法は既に関係の無い状態に成るわけですから。

 

【米中双方お互いのキレどころは既に把握し合っている】

米国のキレどころは、台湾の自治喪失です。

中国の切れどころは,台湾の独立です。

一見パレスティナ問題に似てますが、

実は全く異なり、

中国は台湾の自治を容認することで、

台湾の人々は保証された生活が営めている訳です。

その反面、パレスティナの人々は、

不当な侵害を受けるなど、

人権問題で見れば違いは明白です。

 

ただし、中国は台湾を懐柔して、

中国本土の影響力を強めようとしている訳で、

米国はそれを台湾自治の危機と警戒している訳です。

中国の懐柔策は基本的には問題ない行為ですが、

国際法上、民意の要請が米軍を動かす大義となる意味では、

台湾人が中国に懐柔されて中国よりにシフトした場合、

台湾での米国の影響力が失われて

手出しできなくなる可能性が生じるのです。

 

中国政府が台湾の市民に働きかけるのは、

むしろ国際法上なんの問題も有りません。

米国や日本も、台湾の市民が自治を維持するように

働きかけるのは問題無いです。

ただし、政治に対してのロビー活動は、

米国がロシアや中国に対して内政干渉と訴える限り、

本来は中国が内政干渉として指摘するのは、

国際法上の「道理」に成ります。

米国や日本が出来る事は、自治政府との、

貿易に関する話で、

これを以て台湾の自治意義を伝えなければ成らないのです。

 

これが本来、紛争を抑える中での

双方の許容境界線とも言うべき、

中間軸と成ります。

それを越えて、日本や米国が

台湾の独立運動などを支持したり、

支援したりすると、

中国政府にとっては、

国際法上の敵対行為に成るわけです。

いわば台湾の独立は台湾を米国が侵略した意味に成るわけです。

 

武力行使するだけが侵略ではない。

戦争の侵略には、調略も含まれることは、

歴史を多少でも知っている人なら理解できる話です。

NATOという組織が、ロシアを敵視する状態である以上、

ウクライナを勧誘する行為は、

NATOという組織による、中立治天の侵害に成るわけです。

更にはロシアへの不信感を煽る形で、

反ロシアへの活動を支援した形が露呈し、

ロシアはこれを問題視した訳です。

そしてロシアはNATOのこの行為に対して、

こうした活動を止めるように要請しましたが、

NATO側欧米諸国は、民意が求めるならという理由で、

それを盾に突っぱねる姿勢を示したわけです。

 

ウクライナの中立状態を覆すだけでなく、

反ロシアという運動を支援した行為は、

明らかにロシア敵視の範囲を広げる行為で、

これをあたかも平和的な意味で主張すれば、

ロシアがブチ切れて当然の流れに成ります。

 

同じ様に台湾問題にも当てはまる訳で、

国際平和とは反対の敵対行為を正当化する話に成れば、

この問題でも中国がキレる事も考えられるわけです。

 

【ロックスターがヤクザを切れさせて地獄を見る】

格好やパフォーマンスだけのロックスターが、

犯罪で捕まる事も辞さない任侠者相手にに、

フザケタ態度で挑めば、

どこかでブチ切れさせてしまうのは、

実は昔からよくある話です。

ロックスターではないが、

歌舞伎役者がそれで痛い目に会った事件も有りました。

 

その昔は、プロレスラーの力道山の話も有名です。

 

戦争をするのは犯罪行為と同じですが、

それを承知で決断をする人も居る事を、

知っておかなければ成らないのです。

平和ボケしている人は、

抑止力で何とでもなると思っている。

格闘家の様に鍛え上げた肉体があれば、

任侠者やヤクザ、マフィアも怖くないと勘違いする人もいる。

でも、そういう任侠者は相手を「倒す」では無く、

「殺す」の意味で意地を張ってくるのです。

中には半端者も混ざる任侠の世界故に、

覚悟を持つ人に遭遇する方が珍しいかも知れませんが、

一国の頂点に立つ者は、

軍隊と言う兵隊を抱えている分、

寧ろ覚悟を決めてキレやすくなるものです。

勿論、それは高市早苗も同じですが、

戦争を熟知して考えられるかはまた別物です。

 

実は修羅場を理解している人ほど、

我慢強さがあり、キレどころ

いわば引けない境界線を越えたときには、

徹底した態度で挑むのです。

ロックスターと表現しましたが、

パフォーマンスで意地張ってるだけの人間は、

寧ろキレやすいが修羅場を知らな過ぎて、

いざという時に優柔不断になるケースが多いのです。

 

まあ、人間性の話で難しくは成りますが、

簡単にいえば、

最高司令官が優柔不断な場合、

劣勢に成ると直ぐに他人に責任を押し付けて、

組織の指揮を乱してしまう訳です。

これが大きく作戦遂行や、

局地戦での指揮に影響してくる事は、

良く知られる話ですし、

実際の会社組織でも明暗の分かれるぶぶんで理解できます。

逆に覚悟を以て挑む最高指揮官だと、

全ては自らの決断による所で、

責任を持ち、更には組織の諸問題に対して、

事後ではなく事前に対処する形で処理します。

明確に伝えるなら、

事後の問題は自分の監督ミス、

事前の問題は、事前に問題が発生する部分を把握し、

何らかの処置を施します。

 

結局のところ人間性の部分が大きく出る部分でもある為、

その人間の「覚悟」という部分が影響する訳です。

 

舞台の意味も含む「度胸」が有れば、

喧嘩や戦争を吹っかける事は出来ますが、

「覚悟」が無ければ逆境に直面した際の冷静さが、

保てなくなる感じです。

いわば度胸を以て舞台に立っても、

ノリが悪いとか反応が薄い場合、

どう対処して良いか困惑してします訳です。

 

最近見られた例が、

トランプが米軍の指揮官を招集した時の場面が、

面白い例になります。

トランプの演説中、一堂に集まった米軍指揮官たちは、

一切何の反応もせずにただ黙って聞くに手敷いたわけです。

舞台読経のあるトランプでも

流石にたじろいだ雰囲気だったわけで、

むしろトランプの煽りに動じず、

その姿勢を貫いた指揮官たちの覚悟の方が、

むしろ勝ったという出来事だったのです。

 

【高市早苗は安部同様に、覚悟がない!!】

軍事を語る人間は、

口では無く、その姿勢で覚悟を示さねば成らないのです。

口ではいくらでも「国民の命を預かる」と言えますが、

覚悟が無ければその「国民の命を預かる」姿勢に、

あやふやな論理で行動する訳です。

先ず、台湾有事も含めて、

極東情勢で米国の戦争に関与する時、

日本と韓国は最前線に成ります。

だれもこの事を国民に伝えません。

米軍が守ってくれるから、

日本本土は安全だと国民に勘違いさせている訳です。

覚悟の無い政治y杖に、

実際に戦争になって本土にミサイル被害が出始めたら、

日本国内ですぐに厭戦モードの議論が生じる訳で、

米国本土は安全で、日本国内は被害多発な面を以て、

日米安保は不平等などという事も言われ始めます。

こうなる前に、

戦争に成った場合の覚悟を国民にも伝えた上で、

外交をどうするか議論することの方が大事なのです。

 

【国民民主の玉木は安保法制は意見でないと言っているが・・・】

当ブログでは、以前、

安保条約の英文内容まで解釈して、

「お互いの憲法、法理に准じた上で」

という条件的記述が盛り込まれているため、

安保条約自体は違憲ではない事は触れました。

しかし、日本政府が安保条約の下で制定した

安保法制に台湾有事や領海外での活動を許容した内容が

盛り込まれている場合は、

明らかに違憲になります。

 

憲法解釈で多重解釈、最大許容の中で

行動範囲を求めるという話もしましたが、

法案に関しても同じで、

法案の許容範囲が、

憲法上の許容範囲を越えてしまう内容の場合、

それを越えた活動は違憲と成ります。

日本人の場合、と言うよりも、

アホ元首相の様なやり方では、

その許容を守る自主的な規制をできない、

またはしない訳です。

故にあえて政府に明文化させない限り、

その法案自体は違憲内容を含むものとして

扱って当然に成ります。

日本語文でも、国際紛争を解決する手段としては、

如何なる武力の行使、威嚇も禁ずる(放棄する)

と、書かれている訳で、

台湾有事も領海外の活動も全て違憲です。

安保法制には台湾有事はまだ記されていなかったですが、

領海外の活動は記されていたため、

違憲という判断です。

その後、アホ元首相は違憲を通り越して、

台湾有事を日本の有事として扱う様な

無責任な発言をしたわけです。

 

【靖国問題に関して・・・ロックスター気取りほど行きたがる】

靖国参拝は、ロックスターのパフォーマンスと同じです。

ただ格好良さを見せつけたいだけ。

逆に、本当に信念ある人間なら、

寧ろ負け犬東條らが合祀された場所に行きません。

戦争の功労者というより、戦争の犠牲者の多くが、

東條ら加害者と同じ場所に祀られている状態は、

未だ戦時中の政治的洗脳と束縛から

魂が解放されていない状態ゆえに、

寧ろ本当のソウルを謳うロックスターなら、

その理不尽な状況を不可思議に感じるべき状態なのです。

またそんなクソみたいに残酷な状態で祀られた

靖国参拝に拘る状態は、正に彼ら被害者の英霊同様に、

未だあのクソ帝国政治の洗脳から解放されていない

日本人の象徴でもあって、逆に恥ずかしい連中でも有るのです。

そしてこの洗脳されたままの保守を名乗る日本人が、

意味不明な中国などへの敵視政策を繰り広げて、

古くさびれた大艦巨砲主義的な軍事に埋葬するのです。

戦闘機や空母、原子力潜水艦より、

ドローン戦術に切り替えろという話でもあるわけです。

 

【馬鹿丸出しのの小泉防衛相】

ロシアの爆撃機が飛来して大騒ぎ・・・

馬鹿ですか?

ウクライナ問題を通じて、

日本は経済制裁に参加した時点で、

基本的にはロシアからすれば敵国です。

スクランブルに発達したのは当然です。

爆撃されないだけまだマシですね。

で・・・防衛大臣としてロシアの動向が怖いですね

と今更言いたいのでしょうか?

 

むしろ外務大臣を通じて、

ロシアの動向に注文を付けましたとか、

領海侵犯には断固として自衛権発動に関わる事態として、

対処するし、その旨をロシア側に伝えた。

と、いう事を示すべきなのではないでしょうか?

 

核兵器も搭載できる爆撃機が飛来してきました・・・

なんて情報発信する程度なら、

防衛大臣じゃなくYoutuberで良いんじゃないのかな・・・

 

【維新の吉村の発想には中身がない・・・そろそろ気付いてくれ】

維新の吉村は、副首都構想やら議員定数削減やら、

真新しい発想や、聞こえの良いことを言っているが、

全く中身が無い。

いわば必要性に関してなにも無い。

議員定数削減は、議員経費削減の意味で聞こえはいいが、

寧ろ国会議員という代議士一人に対する

国民の票の割合がそれだけ減る事を意味する。

まあ、国民権利に無知な日本人は

気付かないかもか知れませんが、

議員数が減れば減るほど、法案は通りやすくなる。

少数政党は淘汰されやすく成るわけで、

少数意見は届きにくく成る。

民主主義は独裁制や一党独裁の政治と違って、

法案を寧ろ簡単に決めにくくして、

極力必要最低限で安定社会を維持する為の制度です。

法案を決めやすくすると、

アホ政権時代の様に議論をおろそかにして、

政権主導で推し進められるため、

ほぼ独裁と同じ状態に成るのです。

 

議員定数を削減すれば

それだけ政治資金を選挙区にばら撒く場所も減るわけですが、

寧ろ少数政党が一極集中で勝負を掛ける駆け引きで、

資金豊富な大政党が有利になるだけの話に成ってきそうです。

 

ただ、大政党有利とか、

もっと2大政党であらそえるようにとか、

賛否両論ある話だけど・・・

ハッキリ言って別に減らして減らさなくても、

ポンコツが選ばれる状態に変化は生じないという事です。

 

【これは世界規模で言えることだけど・・・必要な情報とは・・・】

国家情報局という戦争に焦点をあてた情報より、

もっと大事な情報収取が有るのではと言っておきます。

それは生活物価情報局です。

どの国も戦争や犯罪への情報局は扱っているけど、

生活面の情報局は全く考慮すらしていない。

なのでこうしたインフレ問題が発生するのです。

先ず、経済学者ですら何故現在のインフレが発生するか、

明確に伝えきれていないのが事実です。

 

最近、企業では最低賃金ではなく、

生活賃金という言葉を給与保証に加える所が

多々見えます。

この生活賃金の水準を先ず情報として

調査するべきなのです。

この生活賃金が一応は中間所得の最低層と規定し、

そこから最低賃金を少しづつ引き上げて行くわけです。

その最低賃金上昇で必ず生じる

人件費からのインフレ状況を情報として把握し、

生活賃金のラインを算出して国が情報を後悔するわけです。

 

過度なインフレは、この最低賃金上昇と共に、

生活水準を満たしている中間所得升の

賃上げにまで反応して、

過度な価格上昇を余儀なくされる状態で、

現在のインフレが発生している訳です。

本来の理想は、最低賃金上昇のみで、

最低賃金以上を稼いでいる労働者は保留とし、

その上で物価の上昇状況を見極めたうえで、

生活賃金の目安を引き上げて、

調整する必要が有ります。

概算ですが、最低賃金20%=時給1000円が

1200円に上がる状態で、

物価は恐らくパートの人のみの上昇分で、

2%程度上昇する位と見込みます。

この正確な数値を算出するのに、

国を挙げた国家生活物価情報局が調査するべきなのです。

例えば現状1杯1000円のラーメン屋で、

一日50杯売れる(少ない方だが)場合、

1日の売り上げが5万円、

人件費を除く原価率を40%(ちょっと高目)とすると、

売り上げは3万円。

8時間営業で50杯のお店なら店員1名と

店主で十分と見なし・・・

時給1000円の場合、店員には日当で8000円です。

店主は残り22,000円が手取りと成ります。

※ラーメン店としては最低ラインの条件です

そこでこの店員の時給を20%の1200に上げます。

すると日当では9600円になり、

店主の手取りは20,400円に減ります。

店主が一人でラーメンのスープを作る時間まで考えれば、

+6時間は欲しい所で、店主の時給としては20,400で、

時給1457円位と成ります。

店主としては本来ならもっと欲しいですよね。

※ただし、この売り上げではギリギリのラーメン店です。

ここでインフレ作用の心理が働き、

自分の日当を元の22,000円にしておきたいわけです。

すると自然と売り上げを32,000円に成るように調整します。

本来なら他の要因にもインフレが発生する為、

原価率40%のまま32,000円の売り上げにするには、

50杯=54,000円とすることに成り、

1杯の単価は1080円と80円UPに成ります。

すると8%の価格上昇と成るわけです。

 

ところが…本来社会構造的に考えるなら・・・

14時間労働の日当20400円で時給1457円を、

8時間労働に換算して25日計算でみると、

29万1400円の月収に成ります。

(6時間分の残業代は差し引いて)

22,000の場合は、時給1571円で、

8時間労働としての月収は31万4000円です。

 

生活賃金に現在明確な指標は無い状態ですが、

日本で暮らす場合、東京都内でも、

月30万円(税込み)は必要として、

29万1400円では8600円不足すると考えます。

人件費上昇で収入が減った分は

本来自助努力で回復させるのが望ましく考えるべきなのです。

いわば、50杯しか売れないのを55杯売れるようにして、

一杯1000円のまま一日55000円にすれば、

店主の給与も上がるわけです。

本来、最低賃金を上げる社会的作用は、

貧しい層の収入が増えた分、需要が増加する意味で、

ここでいう5杯分の需要が増える形で考えるべきなのです。

 

ただ、5杯というと10%の需要増を意味するので、

市場全体では作用が大きすぎる感じもある為、

生活賃金のラインでの価格調整は考慮して良いとします。

そこで8400円/25日/8時間=42円を1457円に加え、

ザックリ時給1500円として、14時間で21000円。

一日50杯の売り上げから

600円上乗せすれば良い計算に成ると、

実は丁度一杯1020円の計算で成り立ち、

丁度2%の上昇で成立するのです。

あとの残り1000円分は頑張って1~2杯多く売れれば、

何とかなる話で、

売り上げ2~4%の増加を達成する努力に成ります。

まあ、全てが2%で上手く行くとは限りませんが、

最低賃金上昇と経営的自助努力に

生活賃金を用いたフルタイムの月収水準で、

インフレを調整することは本来可能なのです。

 

ただ資本主義社会では、

店主が自分の取り分をそのまま維持する為に、

価格を8%の1080にしようとしたように、

価格が必要以上に上昇してしまうため、

結果として最低ラインの上昇で生じるはずの需要増が、

価格上昇で相殺して圧迫してしまい、

純粋と言うより理想的な収益増加ではなく、

需要数に変化が生じない

価格上昇分だけの収益増に陥り、

徐々に生活バランスを崩すスパイラルに向かうのです。

いわば…最低賃金を一気に100%上げたとして、

収益上20%の人件費上昇で

8%の価格上昇を欲しがるとした場合、

物価は一気に40%も上昇します。

ここで問題なのは、40%も上昇してしまうと、

生活賃金の最低ラインも一気に上昇します。

貧困層にプラス中間層の人件費高騰まで生じると、

貧困層の収入が倍に増えても、

今度は貧困層の収益はそのまま置き去りにされて、

価格上昇は40%から中間層の生活賃金上昇で、

更に80%、更なる利益維持の経営心理が作用して、

物価は100%を超える現象が発生します。

この中間層の上昇分は、

建築労働者の賃金も含まれ、

建築費の増加に伴う家賃の高騰、

更には輸送業に於いては運転手の賃金上昇で、

輸送費の高騰を招き生活費はどんどん圧迫されていきます。

すると最低賃金は上昇せず、

価格は徐々に以前の120%を超える状態に成ると、

既にせっかく増やした需要は

徐々に失速して行く状態に陥るわけです。

 

米国では既に制御不能な状態になっている感じで、

かなり危い状況です。

それ故に、こうした物価と生活のバランスを調査して、

適正な基準を国が与えて、

極力制御不能なインフレに陥らないようにするための、

情報機関が必要と言えるのです。

価格上昇が制御不能で8%上昇するのと、

制御の中で2%に抑え込むのでは、

最低賃金を現行の100%上昇させた状態で考えると、

一方は40%、もう一方は10%で

明らかに大きく違いが出るわけです。

 

まあ、日本も資本主義なので、

調整は難しいですが、

底辺の需要を増やして企業の収益を上げ、

その増収益を元に

中間層の賃金を緩やかに上げるのです。

上手くこれをコントロールすることで、

貧富の差は、現状底辺60度の三角形が、

30度の緩やかな三角形を描くように向かうのを

理想とするわけです。

ある意味、CIAなどの様な頭脳を、

寧ろ経済調整する機関として活用すれば、

これが理想ではなく現実に出来るという事です。

 

どの国も軍事の事ばかりに頭脳を用いて、

あれだけの情報収集能力を、

逆に経済政策の方面に活用したら、

全然違って来るんじゃないのかな・・・

 

まあ、日本の政治家には

こういう発想は無理なのかも知れないけど・・・

 

因みに・・・日本は今、

中国にドンドン押されている訳ですが、

中国優位のEV市場、

アメリカと手を組めば、

ガソリン自動車メーカーが返り咲く手立ては

実はまだ有るんです。

しかもEVの市場で・・・

 

アメリカのテスラも困る話です。

ただし!!アメリカの大手石油会社を巻き込んだ事業にするのが

前提です。

 

EVの弱点は、実はプラグイン方式にあるのです。

現状ではバッテリーの寿命と

一回の充電で走行できる距離が勝負どころなのですが、

実は自分で充電しなければいけない部分は、

少し面倒くさいように感じるのです。

また仮に充電が切れた場合は・・・

仮に充電できる場合でも充電に時間が掛かってしまいます。

その点、ガソリン車またはハイブリット車は、

給油で賄える分、その辺に.安心感があるお言えます。

この安心感を寧ろEVにも転用すればいいのです。

 

バッテリーを内蔵式では無く、

交換しやすい形のチョービッグサイズの電池式にするのです。

この電池を大手の石油会社が共同で同一規格で開発する。

走行距離は最低の200kmでも良いのですが、

バッテリーの交換費用と充電の費用が、

同一走行距離のガソリン価格と同等か

それ以下に成る技術が必要です。

交換式のバッテリーを全てのガソリンスタンドが

同一規格で提供できれば、

先ずはガソリンスタンドがEV普及で無く成る事は避けれます。

EV利用者は電池切れをガソリン車の感覚で気にするだけで、

充電を自宅でする必要も無く、

遠出する際も、ガソリンスタンドで交換できるから、

何百キロ離れた場所への旅行でも安心できるわけです。

各自動車メーカーはバッテリーの品質自体で

頭を悩ます必要なく如何にエネルギー効率上手く活用して、

そのバッテリーでの走行距離を伸ばすかが、

技術的な競争部分と成るわけです。

むしろ日本車ゆうりにも成りえる形です。

そこで車本来の足回り、乗り心地といった部分が、

市場へのアピールポイントとして戻ると思われ、

ガソリン車を作っていた自動車会社が巻き戻す

市場に成りえるわけです。

 

まあ、電池式といっても

かなり大きなサイズになると思いますが、

バッテリー本隊に当たる電池の規格が

統一の物であれば、

高いコストで生産されるバッテリーを

交換するごとに再利用する感覚で、

各車体には一回分のバッテリーを

価格に乗せて販売する形で、

採算をとるように切開するのです。

 

現状、BYDやテスラからEV市場を奪うには、

この方法でガソリン自動車メーカーと、

ガソリン販売の石油会社が手を組んで、

立ち向かうしかない訳です。

まあ、テスラはアメリカの企業なので、

また別ですが、

対中国対策のビジネスとして動く場合、

結束しやすい話には成ります。

ただし、日本だけが先行してやろうとすれば、

米国がまた別に規格を設けて、

日米で統一性なくなる形と成り、

市場の大きい方が自然と優位に成るだけなので、

ガラパコス化する前に、

先に米国の企業を巻き込んで、

対中国EV車で立ち上げる方が賢明と言う話です。

 

まあ、発想の転換と戦略性、

そして勝てない部分の勝負は避けて、

勝てる土俵に持って行く。

政治家にこういう才覚があるなら、

軍事の話もまた別物になるとおもうのですが・・・

 

と、は言え・・・ 

大量の予備バッテリー生産に

中国のレアアースが必要に成るところで

色々難しい局面もあるのかな・・・

まあ、一部の中国企業を巻き込んで、

政治的な駆け引きを活用する柔軟さも、

更に必要になるのかも知れないです。

どうも…ショーエイです。

新しい女性首相が誕生したとか、

本来なら盛り上がりそうな話なのに、

全く盛り上がらないですね。

メディアは頑張ってそこを盛り立てようとしてますが、

庶民は些か冷ややかに反応している感じです。

 

【そもそもが自民党にとって外れクジ】

石破さんは元々外れクジの中で、

総理大臣を務めてたわけで、

その認識を持ったうえで政権運営をしていたのです。

最終的には中道的なスタンスで、

悪い評価はありませんでしたが、

所詮は古臭い民主制の中でしか出来ない事なので、

寧ろ目新しさもありませんでした。

 

高市さんは現状全くその辺が理解できていないようで、

ねじれた政権運営の中で、

古臭い民主制の「政策調整」

なんて発想しか持てない状態に見えます。

 

【古臭し民主制】

代議士民主制は既に崩壊状態にあります。

代議士民主制とは、

選挙区で議員を選出するだけで、

あとはその政治家に丸投げ状態というシステムです。

政党同士で議員のかずだけ競って、

あとは単に国家運営のゲームに没頭するだけ、

と、言うのが実態です。

 

一般庶民も庶民で、

これが民主制なんだと勘違いしている訳です。

ある意味、制度的には、

代理民主制という言い方が適切で、

民が主導の完全民主制には至っていないのです。

 

まず、政治家が掲げる各々の政策が、

国民や国、そして国家運営上、

適正なものだと主張するのなら、

それに対する反論も含めて議論されるべきなのです。

現状、アメリカ合衆国も同じですか、

一つの法案書…これを「ビル」と言いますが、

この中に全く関係の無い法案を含めて、

与党と野盗が妥協する形で、

最終議決という形で、

行政承認…米国なら大統領のサイン、

日本なら総理大臣かな…

を求めます。

 

本来は、政治の駆け引きで使うものでは無く、

ある法案を国家運営上の都合も含めて

制度化する中で、

その法案を妨害する規制の緩和や、

捻出するべき予算的問題など、

あくまでその法案に関わる範疇で、

作成されなければ成らないのです。

しかし、この条件を法文化して規制するのは困難故に、

本趣旨の法案とは関係の無い法案も織り交ぜて、

政治的な駆け引きに利用する流れが、

常態化して行ったのです。

 

完全民主制の話は

また後日機会が有れば記すものとして

現状日本の国会はねじれ状態にあるわけで、

新総理を迎えた自民党は

この状況で政権運営を

どうするかが問われるところなのです。

そういう意味では石破さんは良かったのだが・・・

 

【議員定数削減の必要性は無い!!むしろ・・・】

本来なら色々な見識を国会内で引き出すには、

より多くの人間が意見を出せる形が望ましいわけで、

議員定数を減らしても、

国家予算的にはさほど大きな節約には成りません。

寧ろ以前民主党が行った、

事業仕分けの方が大事で、

国の無駄な機関を閉鎖して行く方が、

断然効果的と言っておきます。

これら機関が天下り先として

現状も税金を蝕んでいる訳です。

 

何かを研究する機関であるとしても、

その研究費捻出の審査はもっと的確にされるべきで、

成果の見えない研究はその都度閉鎖されるべきなのです。

 

【保守はチキンの集まり】

まあ、保守の人に喧嘩をうる意味になりますが、

保守は臆病なチキンが多く、

臆病ゆえに国を危うくします。

防衛に関しても見識がいつも古く、

戦闘機やら空母やら,と、

やたら古いおもちゃを欲しがります。

ウクライナ戦争で、

あれだけドローン兵器が主戦となっている状況を、

全く理解できないのもこの保守の連中です。

 

航空戦力は寧ろ対空ミサイルを警戒して、

あまり活躍できなくなっているのも、

こうした分析で的確に把握しなければ成らないのです。

戦闘機の空母なんかよりも、

ドローン発信用の空母を作るべきというのが、

本来相応しい見識なのですが、

そんなもの見たことないから解からないのが、

これまた保守の連中の発想なのです。

 

今、ミサイル防衛もを突破する戦略が研究されている。

 

日本に国家情報局を設けたところで、

殆ど機能しません!!

マスメディアの質もありますが、

政治家の見識はその政策に現れるわけで、

そこから逆算すれば、

日本の情報力がどれだけ未熟かも見出せます。

この程度のプロファイリングすら出来ない日本では、

どのみち何をやっても無駄なのです。

 

プロファイリングのプロからすれば、

日本の政治家がどれだけ機密を守っても、

国家が行う動向、政策に関する知識や、

防衛を何に使うかなど、

まあ、色々見える所は有りますが、

それらを分析すれば、

簡単に見透かされてしまうのです。

 

更には、実は科学技術にも精通してないと、

近未来に何が起こるかすら見えない訳で、

日本にはそういう才能を上手く振り分けたり、

活用する能力が全く足りない訳です。

 

例えるならパトリオットミサイルの迎撃システムが、

現状の科学技術の範疇でどのように作用しているか、

そういう事を理解しなければ、

最近ウクライナで起こっている

ミサイル防衛網の突破率の変化にすら気付けない訳です。

ウクライナがドローンを先行させ、

ミサイルを後発でドローン膜といえる

その上空を通過する戦術で

ロシアの防空網を掻い潜る戦術を用いました。

同じ様にロシアもその方法でミサイルを発射する故に、

最近になってミサイルの発射数が減ってきた訳です。

分析上、ロシアのミサイル数が

枯渇したとしているのは大きな間違いで、

逆に少ないミサイル数で

依然とほぼ同じ様な被害を与えている

現状を適切に分析するべきなのです。・

 

実は科学技術の限界点を見極めると、

更に防空網を突破する兵器が

寧ろ優位性を帯びる事も理解できるわけです。

 

保守の人たちでは、こうした事を理解するのに、

実は遅すぎるわけです。

彼らは今、見えている現状しか理解できない訳で、

革新的な思考の現状を打開する力に、

常に後手を取るのが常に成ります。

 

保守の人たちは確かに知識は豊富です。

でも、その知識は全て過去のもので、

それが故に未だ無駄な第二次大戦の話に拘り続けている。

しかも、負けた戦争を態々引きずって、

意味も無く正当化しようとしている訳です。

正直、国が亡ぶわ!!

 

石破さんが最後に表明したように、

何故戦争に負けたかを適切に考えなければ成らない訳で、

結局、保守の間抜け連中は、

そういう事すら考えたくも無く、

ただ何故勝てなかったという、

負けた理由とは反対の方向で思考するのです。

 

高市さんの話戻りますが、

彼女は保守を自認している人なので、

ほぼ彼女の思考になんの期待も持てないのが

当方の見識です。

また、彼女ではねじれた国会運営を

上手くこなす力は無さそうと判断します。

見解はずれに上手くやってもらえれば、

それはそれで構いませんが、

むしろそれを乗り越えるには、

男性では無く、

女性が持つ本来の柔軟性を

活かさねば成らないのですが、

彼女からはその柔軟性より、

女性が柔軟性の副作用で生じさせる、

順応性が生じて、

男社会の頑固な思考に浸ってしまうだろう点です。

 

さて・・・維新の吉村くん、

国民主の玉木くん、

総裁選前に色々と目立ってましたが、

所詮は古い政治の中でしか生きれない、

3流という感じでしたね。

 

完全民主制という話をしましたが、

本来ならこのねじれた状態を活かして、

更にはネット社会を上手く活用して、

議論の中で戦える政治システムを、

彼らが模索して提案するべきだったんですよ。

立憲の野田さんはどの道古い人なので、

無理な話なのですが、

吉村くんにしても、

玉木くんにしても、

所詮は同程度という事なのですね。

 

自分たちの政策に自信があるなら、

論理で国民に説明した中で、

財源の捻出などをその議題の中で、

どうするか議論する政治を提言するほうが、

より存在感を示せたと思うんだけど・・・

 

いわば、議論して採決に入る前に、

ネット上で国民の意見を聞けばいいのだよ。

その上で選挙区別の意見として、

議員と国民が参照できる状態にして、

譲司記名投票という形で、

誰がその法案に賛成したかを解かるようにするのです。

国会議員は選挙区の意見を参照するだけで、

従う義務は有りませんが、

選挙区の意見を裏切る結果が、

次の選挙にどう影響を及ぼすかの覚悟は必要に成ります。

こういうシステムにすると、

党派の主張を優先するか、

選挙民の意見を優先するかの選択肢が生じ、

より説得力のある法案が通りやすくなるわけです。

 

こんなシステムの発想位、

よりよい政治を求めるなら出来そうな程度で、

ましてや少数政党の2人が、

こういうシステムで自身の政策アピールできる場を、

考え突こうとすらしないなんて、

全く残念にも程が有ります。

 

所詮は議員の数だけを当てにするだけの

選挙屋さんたちで、

国を考える政治家では無いという事ですよね。

どうも…ショーエイです。

最近ネットフリックスで

「アトムの童」というドラマを見て、

ふと思ったのですが、

どうして他のスポーツと違って、

eスポーツは今一盛り上がらないのか。

 

ゲームの競技人口は全世界で30億人以上いるわけで、

本来ならどのスポーツよりも盛り上がりそうな感じですが、

問題は競技と成るゲーム単体の人口は、

有名どころのLOLこと「League Of Legend」で、

大体1億5000万人だそうです。

ある意味、ゲームで遊ぶ人口は30億人でも、

競技種目別といった感じのゲーム単体では、

かなり目減りする点が実態です。

ただ、サッカーなどの様に観戦する面白さが伝われば、

その辺も全く変わっては来るのですが、

そもそもその観戦するという意味で考えた場合、

サッカーなどのスポーツは

試合の結果や選手の成績など

応援する形のエンターテインメント性が有りますが、

実はeスポーツの場合、その辺の構成がほぼ皆無です。

勿論、eスポーツの観戦を楽しんでいる人もいるので、

全く無いとは言いませんが、

ほぼ大半の人にとっては、

誰が勝とうがあまり興味の無い世界です。

 

ゲーム観戦の主だった目的は、

Youtubeなどで見られるように、

ゲームの攻略法であったり、

ゲームの遊び方や面白さを知る意味で

見られるのが主流です。

あとはチャットして楽しむとかなのかな・・・

 

【eスポーツにはスター選手が存在しない!!】

同じ競技に参加する人にとっては、

その競技で強い人をスターと見なすと思いますが、

一般的なエンターテインメントとして見た場合、

その人が誰かなんて認知すらされません。

野球の大谷選手やジャッジ選手、

サッカーのメッシ選手やロナウド選手

などと比較すれば可哀想な感じですが、

エンターテインメントとしては、

こうしたスターは必須なのです。

 

では、スター選手を生み出すには・・・

という話に成ると、

先ずは競技を魅了するプレーが必要と成ります。

いわば誰もが見て「凄い」と感じる要素です。

ただしゲームが上手いだけでは

エンターテインメントとして

この要素を満たすことは適いません。

実はそのゲームそのものに

観戦用の構成が必要でもあるのです。

 

【現状のゲームはプレイ用であって観戦用ではない問題点】

チェスや将棋、囲碁などは、

競技人口はそこまで圧倒的ではないが、

上手く観戦用に構成が為されています。

勿論、eスポーツ同様に、

上手い人を手本とする意味で見られるものですが、

勝負の駆け引きなどは、

ある程度ルールを把握していれば

解かりやすく伝わります。

 

勿論、LOLというゲームもルールは解りやすいのですが、

ゲームの操作テクニックが先行する感じが強く、

逆に勝負の駆け引きという部分では、

それほど伝わらない状態と言えます。

いわばビルドという装備やスキルの様なものですが、

lこれをどちらが先に揃えるかで

大きく勝敗が決まるところが有り、

LOLのプレイヤーたちが唱える駆け引きは、

あくまでそこまでの部分に成るわけです。

敵を倒せばたしかポイントがゲット出来て、

そのポイントでビルドを鍛えていく感じだったと思いますが、

5対5の対戦の中で、

一匹一匹の敵をどう倒していくかが

ゲームの駆け引きに成るわけです。

ところが…ゲームの勝敗は

敵の本拠地を制圧すれば良いだけのフラッグゲームなのです。

 

いわば…LOLでは、

フラッグゲームとしての駆け引きではなく、

寧ろ個々のキャラクターの強さを競う駆け引きが先行して、

むしろチェスや将棋の様な

解かりやすい勝負では無く成ってくる訳です。

勿論、単純にフラッグゲームの要素だけだと、

むしろプレイするゲームとしては面白くないものに成るので、

LOLはLOLとして成立していると言っておきますが、

エンターテインメントとして

観戦スポーツ用のゲームとしては

成立しにくいものと伝えておきます。

 

また、これは他のゲームにも言える事ですが、

野球やサッカー選手が見せるプレイは、

その人の持つ技術で表現されます。

ところがゲームでは

ストリートファイターという格闘ゲームにしても、

繰り出す技のテクニックはそのプレイヤーの技術ですが、

映し出される映像はゲーム内構成の物でしかない訳です。

勝負に勝てば上手いとか強いは伝わるけど、

そこにプレイヤーの個性とも言うべき、

その人が魅了するべき

個性的なパフォーマンスという部分では、

ゲームのキャラクターの方が先行して見えてしまう分、

エンターテインメント性の没入感の部分で、

どうしても物足りなさを与えてしまうのです。

これはLOLでも一緒です。

更に言うなれば、eスポーツで表現されるスポーツゲーム。

ある意味選手カードの要素が邪魔をして、

結局、誰がプレイしても同じような選手がチームに居る。

Aチームのスター選手がメッシ選手、

Bチームのスター選手が同じメッシ選手。

サッカーゲームとして観戦しても、

全く没入感の得られない状態に成るわけです。

 

【スポーツゲームをeスポーツとして成立させっるには…】

ゲーム本来の構成を、

誰もが活躍できる構成から、

その道のプロが圧倒的に力を発揮する構成に

しなければ成らないのです。

解かりにくいと思いますが、

プロゲーマーでは無く、

サッカーゲームでプロのサッカー選手がプレイしたら、

手が付けtられなくゲームという事です。

寧ろ操作性は極力単純にして、

サッカー選手がインスピレーションだけで

自分の思い描く試合展開であったり、操作ができる状態です。

複雑な捜査が絡むと、

ゲームに慣れているプロゲーマーの方が

上手く成ってしまいます。

しかし…最近よく表現される

「サッカーIQ」を競うゲームであれば、

引退したサッカー選手がそのゲームで実績を上げるだけで

それだけでもエンターテインメント性の意味で

話題性を呼びます。

また、そうしたフィールド故に、

実は足に障害があってサッカー選手には成れなかった人も、

「サッカーIQ」という部分では

実際のプロに引けを取らないという可能性も、

上手く表現される世界に成るのです。

これは野球でも他のスポーツでも同じで、

如何にプロの選手が

プレイしやすいゲームにするかを研究していくべきなのです。

その上でビジネスとしては

選手カードの様な物に変わって、

テクニック(スキル)カードを

いわば、ルーレットやエラシコというスキルをカードにする感じで

引かせるのも手です。

ただし、あくまで何のカードも無くても

全然力が発揮できる仕様である事は、

大前提です。

いわばスキルはあくまで見せかけでいい

という感じでなくては成らない訳で

これを崩すとeスポーツのフェアさに支障を来たして、

観戦用としての面白みや没入感を減衰させる訳です。

 

【インスピレーションプレイと複雑操作の違い】

プロゲーマーの方がたは、

寧ろ複雑操作の中に、

それを繰り出す上手さへの鍛錬こそが

プロとしてのプライドにあると思われます。

ストリートファイターなどの格闘ゲームなどは、

特にそうした部分は大きいと思います。

野球ゲームも、バットのアイコンを動かして、

正確にボールを当てるようなプレイの方が、

プロゲーマーの上手さと表現できます。

しかし…ゲームではなく、

本来の野球で鍛錬を培った選手であり、

実際のボクシングや総合格闘技の選手は、

むしろそういう操作ではプロゲーマーには勝てません。

 

エンターテインメントとして考えた場合、

視聴者は何に一番興味を惹かれるか?

 

ここでは「IQ」という形で表現しますが、

いわばその競技本来の感性では

誰が一番凄いのかという部分だと思うのです。

格闘ゲームであり、アクションゲームで言うなれば、

感性の勝負はどこにあるのかが、

現状の探りどころに成りますが、

防御と回避の反応速度であり、

攻撃を狙う際のタイミング的な駆け引きに成ると思います。

駆け引きをする上では、

多少のフェイントの様な動作も必要と成りますが、

逆に複雑な捜査は感性の勝負には不要です。

ボタンはPS5のコントローラーで押すだけで十分として、

その中で、上段パンチ(フェイス)△、下段パンチ(ボディ)□、

上段蹴り○、下段蹴り×として、

L1ジャンプ、R1回避、LT1上段防御、RT1下段防御、

という動作なら少しの練習でも

ある程度操作には慣れると思われます。

この条件でモーション=スキルに成りますが、

上段パンチはどういうモーションを設定するか

カスタマイズできる方にした上で、

感覚的な勝負が出来る中で、

実際のプロの格闘家とゲーマーが競うなら、

勝負を見る意味でも興味が持てると思われます。

逆にプロゲーマー有利な条件では、

真剣勝負が成立しない単なるイベントで終わるので、

eスポーツではなく

テレビ番組のショーに終わってしまうという事を

理解してもらいたいです。

 

なぜインスピレーションプレイこそ勝負に相応しいのか・・・

 

実はプロのスポーツ選手ほど、

必要な動作を条件反射できるレベルまで

鍛錬しているわけです。

勿論、実際には格闘選手ならパワーの部分も含まれ、

素人とでは桁違いの強さを体に宿してます。

勿論、プロゲーマーも同じ様に操作を鍛えるわけですが、

その両者が五分の条件で勝負する意味では、

両者が条件反射で反応できるレベルで

格闘選手なら実際のパワーを差し引いて、

プロゲーマーなら複雑な操作技術を差し引いて、

競えるのが理想と考えるからです。

その上で格闘センスだけなら誰が強いか、

いわば格闘家としての「IQ」で競わせるなら、

勝負の面白みは理解しやすく伝わると言えます。

 

他に例えるなら…

実際のサッカーでは無理だったけど…

引退したあとで、

メッシ選手とクリロナ選手が同じチームでプレイしたら、

どんなチームに成るだろうか…

ジーコ選手を含む引退した元ブラジル代表のチーム。

こうした試合で、其々の選手が現役そのままプレイを、

サッカーゲームという場所で表現出来たら、

その試合はどんな試合に成るだろうか…

実はeスポーツにはこうした可能性も有るわけです。

 

ところが…現状のスポーツゲームは

寧ろ操作性が少し複雑な点と、

ゲームバランスやチーム差が生じる点。

引退選手はカードでしか登場せず、

彼らに寧ろ選手という形で

プレイしてもらう状態にないことなど、

いろいろ及第点が多いのも事実です。

 

引退したスター選手がプレイするゲームの中で、

そこでスター選手に匹敵する存在感を示せば、

そのプレイヤーはスタートとして

認知されやすくなるのも事実で、

こうした認知されるプレイヤーが増える事で、

観戦する側もより興味をもてる状態に成るわけです。

因みにこうしたスポーツゲームは、

メタヴァースを構成する上で大きな意味を持つわけで、

大きな市場を持つメタヴァース上なら、

仮想都市を複数設けてユーザーを分散させ、

その仮想都市ごとにeスポーツチームを構成して、

地域意識を高める作用に用いると、

より没入感のある空間が生じる訳です。

 

【FPSなどの戦場ゲームのeスポーツ化】

現状、eスポーツとしては、

PUBGというゲームが一番理想的なシステムですが、

これも結局はエンターテインメントの意味での

観戦用では有りません。

ほぼ、ゲームを知らない人は興味を持たないです。

誰もが認知するスター選手が居ればという所ですが、

スター選手を産み出す前に、

どう一般視聴者に興味を持たせるかです。

 

恐らくプロの軍隊のナショナルチーム同士対戦なら、

一般視聴者も興味が持てると思います。

ただし、これもインスピレーションの問題です。

僕もゲームセンターに置いてあった銃を手に持って、

シューティングするゲームなら

結構狙いは上手くできるのですが、

マウスやコントローラーだと実は上手く狙いが定められないのです。

練習すればという話なのですが、

どうもそこまで頑張る気にも成らないので、

こういうゲームはやらない方向で考えてます。

実際の銃を手にしたプロの軍人さんたちも、

中にはこういう人も多いかかと思います。

 

プロの軍人さんたちがその実力を発揮できるFPSゲームで、

実際の戦争では無く仮想の戦争で勝負できるフィールドで、

国同士の代表が戦う状態なら、

ある意味、観戦用としては面白くなると言えます。

 

ただし、現状どのゲームもそうですが、

観戦用のカメラワークが装備されていません。

プレイヤーのゲーム視点に頼る形だと、

サッカーの試合をフィールドプレイヤーと同じ視点で

観戦している様なもので、

試合全体を見る上では何気に見にくい状態と言えます。

 

実はFPSのゲームに限らず、スポーツゲーム以外は、

どう視聴者に見せるかの

客観的カメラワークが全く存在しますん。

 

【eスポーツとしての課題は見せるを意識したゲーム作り】

カメラワークもそうですが、

ゲームのどういう部分を

見せたいのかを意識したゲーム作りです。

現状では楽しんでもらうを意識したゲーム作りは豊富です。

まあ、実際に面白いかは別としてですが・・・

MMORPGなどのエンドコンテンツとして、

PvPフィールドを設けたものが良くあります。

ただ、各社、現状も試行錯誤中な状態ばかりで、

ゲームプレイの延長戦という形です。

 

どういう構成ならプレイヤーが楽しめるか…

 

たしかにクリエイターは

どうしてもそこに焦点を当てたくなる部分ですが、

どういう勝負を見せたいかで考えると、

PvPという対戦ゲームの構成に変化が生じると思います。

現状どのゲームも大体同じで、

大きな戦略性もなく、一向一揆のように、

適当に塊になって殴り合っているだけです。

 

中世時代の戦争をモチーフに、

ファンタジー世界のRPGで構成する場合、

盾、攻撃、ヒーラーの構成で単純に編成します。

見せたい戦いが20人編成のグループの場合、

盾8人、アタッカー8人、ヒーラー4人を

理想的なフォーメーションとして

盾の裏側を取れば有利となる戦いに設定します。

ここで盾の裏側を取る勝負と位置付けた場合、

どういう設定で盾の壁を崩すかを考えるのです。

盾同士がぶつかり合うと、

お互いに少しづつ動いて隙間が生じる仕様にします。

その中で隙間が出来ないように動く場合は、

盾の構えを外して動かなければ成らないとします。

盾を構えている間は、

PvPでは正面からのダメージは受けないとして、

盾を外して移動する時はダメージを受けるとします。

また、背後からの攻撃を受けた場合は、

更に大きなダメージを受ける形にします。

盾の壁で隙間が無い状態では、

誰も通り抜けは出来ないが、

隙間が生じるとそこを通り抜けられます。

こういう攻勢の中で、盾の裏をアタッカーがどう取るか、

または通り抜けてこようとする敵を迎え撃つか、

さらには縦の壁の外側から回りこんで仕掛けるか、

単純なスポーツ的な駆け引きが生じる形に成ります。

ここでアタッカー16人対盾16人のケースを想定して、

更に設定を考えます。

そうすると盾兵は盾を構えたまま攻撃できるとする方が、

設定上良くなると考え、

アタッカー16人で盾兵が

円陣=○く固まる陣形で構えたところに

攻撃を仕掛けた場合、、

アタッカーが絶対不利になる条件にします。

ただし、盾を構えた状態では

方向転換もできない条件を更に加えて、

アタッカーと盾の一対一の場合は、

ほぼ互角という形にします。

 

こうした単純な設定で構成することで、

実はどう攻めるか、どう守るかの中で、

色々なフォーメーションなど

試行錯誤できるゲームに成りうるのです。

 

そこに最終的な勝利条件をどうするかを盛り込んで、

ただ敵を倒せばいい

という形では無い部分を盛り込んでいきます。

 

更にはアクション性の部分で、

どういうパフォーマンスを魅せるほうがいいかを考えます。

通常、こういうゲームではどれだけキル、

いわば敵を倒したかで競わせるのですが、

実はスポーツ観戦的にはあまり面白みが無いのです。

サッカーで言うなれば、

ディフェンダーがどれだけアタッカーを潰したか、

またはボールを奪ったかを見せているのと同じなのです。

アメフトでもそれは同じです。

寧ろ、見せる意味ではマラドーナ選手の様な

5人抜きのパフォーマンスだったりするわけで、

むしろ敵の攻撃をかわしてゴールを奪う姿だと考えます。

そうなるとフラッグゲーム(旗取りゲーム)の様な、

サッカーでいうゴールを設ける方が良いわけです。

LOLにはこの辺が有りますが、

勝利条件が完全破壊である分、

逆にゴールに近づくより、

完全制圧が有利条件と成ります。

 

そういう意味では寧ろゴールと成る旗…

戦争という名目上、兵糧庫として、

敵の兵糧庫にある兵糧をどれだけ破壊したかのポイントで、

勝敗を決める形で考えて見ます。

そうすると敵の防衛網をすり抜けて敵陣に入り込んで、

より多くのポイントを取った人がMVPに成るわけです。

その兵糧庫に一回攻撃を当てれば1ポイントで、

制限時間内にどちらが何ポイントゲットするかで、

勝敗が決まるゲームにするのです。

 

とはいえ面白そうなゲームかも知れませんが、

結局のところメジャースポーツに匹敵する

eスポーツには中々難しいです。

ある意味、大衆が興味を惹くeスポーツは、

恐らくリアルでは表現できない、

各国の軍人が集うFPS対戦ゲームで、

恐らく実際の銃をシミュレートした

シューティング用コントローラーで挑めるゲームか、

エアフォースのドッグファイトを見せるゲームかで、

何れにしても訓練されたその道の現役プロが、

国の威信を賭けて戦うものと成ります。

 

ある意味、ゲーマーがどれだけ成績を残しても、

本来の競技に該当するプロより、

「IQ」という感性的な部分で結果を証明できなければ、

身体的な鍛錬を差し引いた才能という部分でも、

見劣りしてしまうのが当然で、

更にはゲーム設定上

または操作上の優位性がある状態では、

その才能は別物と見なされるだけなのです。

 

プロゲーマーの方々の日々の努力は理解しますが、

大衆目線では誰がその種目で優勝しようが、

全く興味の無い分野ではあります。

 

もし本気で彼らが大衆に興味を持たせたいなら、

競馬や競輪、競艇の様な

公営ギャンブルにする道を模索するのも有りだと思います。

公営ギャンブルとしてのeスポーツなら、

勝敗の行方や選手たちの情報など、

研究する対象に成ってくるので、

その中でのスターも一段と際立つと思います。

 

ギャンブル化は不純なイメージを持つ人が多いですが、

逆にギャンブル性の無い競馬で、

ディープインパクトの様なスターホース、

武豊騎手の様なスターが認知されたかどうか?

 

ギャンブル行為は不純とは言え、

人に興味の入り口を与えるには、

ギャンブルにするのが一番手っ取り早いのです。

IRの計画も有るわけで、

そうした中でeスポーツのギャンブル化は、

ドンドン進めて行くべきだと思うのです。

オリンピックなどの正式種目を目指すより、

寧ろそういう形でeスポーツを盛り上げていく方が、

選手たちの収益向上にも繋がると思います。

 

勿論、ゲームの種類も豊富なので、

何でもかんでもという形に成ると、

興味も散乱します。

なのでどのゲームにするかは

厳選されるべきとは言っておきます。

 

LOLやストリートファイター、PUBGといった感じは

有だと思いますが、

実際のスポーツをゲーム化したものは、

寧ろ省く方が良いとも言えます。

ある意味、メタヴァースの世界で

そちらは活用する道を模索するべきと言っておきます。

 

どうも…ショーエイです。

世の中には大きく2つに分けて、

文系と理系という分類で語られます。

一般的には数学が得意な人が理系、

数学が苦手な人が文系の様な意味で考えられがちです。

 

実はこれ…根本的に間違っているのです。

 

オブラートに包んだ言い方をすれば…

理系は合理的な理解を求めて思考するタイプで、

文系は手早く解決を吸収したいタイプ。

いわば理系は自分であらゆることを合理的に解釈して

初めて理解するタイプで、

文系は合理性より手順を学んで自分の技術と出来るタイプです。

 

まあ、文系の人の方がせっかちで、

いわば「考えるな!!覚えろ!!」

と、機械的に動く人間を生み出す…

いい形の表現で言うなれば育てるなのですが、

そういう人間を作る事は早いわけです。

 

ある意味、合理的な考えとして社会を見れば、

一から自分で思考して最良の手順を考えるより、

既にある最良の手順を学ぶ方が、

時間的には大きく短縮されるわけです。

 

簡単な例で伝えるなら、

IKEAで買った家具を組み立てるのに、

組み立て図いわばマニュアルを読んで、

その手順の通り組み立てる方が間違いなく

手早く組み立てられるわけで、

それを読まずに組み立てようとする方が

遥かに効率悪いわけです。

と!!まあ文系を少し立てた意味で伝えてますが、

さすがに合理的思考で考える人なら、

臨機応変に対応する訳で、

態々パズルを楽しむような時間を省く方法位は気付きます。

 

文系の人の自尊心を傷つけないレベルで伝えるなら、

覚える、学ぶ方が生活の知恵を身に着ける意味では、

効率が良いと言えますが、

現代社会の民主制という政治システムでは、

誰かに従うだけの従順な忠犬では、

その飼い主のためにただ吠えるだけのペットを

育てているだけの社会に成るのです。

勿論、文系の人たちも色々思考してます。

しかし彼らの思考は合理的な思考では無く、

より良いものを選別する思考なのです。

 

携帯電話を例に言えば、

アップル社のアイフォン(i Phone)を選ぶ人が多く居ます。

何故アイフォンが良いのか?

機能性、操作性、PCを含むアップル社製品との連動制など、

色々と利便性の面で伝わる話も多くありますが、

殆どの人は感覚的に宣伝された話を理解しているだけで、

実際の技術的な所は、高度な技術知識が無い限り、

全く理解していません。

アンドロイド・フォンとどれほど差があるか、

一般仕様上では解らないレベルで、

アイフォンが良いものだと決めつけているに過ぎないのです。

企業的裏知識の話をすれば、

グラフィックボードで有名なNVIDIAの方が、

アップル社より既に技術的な評価が高いわけで、

半導体の話では、TSMC無しでは語れないのが、

現時点の主流です。

これらはアップル独占の企業では無いです。

なので…別段、アップル製だからという部分に

技術的説得力は有りません。

利便性の面でも、ソフトウェアはWindows OSと、

アップルOSの両方で共有されるのが当然で、

それに携帯OSのアンドロイドも加わった話に成ります。

 

合理的に思考する人は、

技術的な差異で語る事を寧ろ恥ずかしいと考えます。

その上でアイフォンを使っている人は、

デザイン性とか、長年使ってきた理由から

OSのUIいわば操作性にそっちの方が慣れているから、

アイフォンを使い続けているという訳です。

僕の場合、アンドロイドを使っていますが、

同じソニー製のエクスペリアにする理由は、

UIの操作性が慣れ親しんだ形だからで、

アイフォンに興味が無いのは、

何かあった際、壊れたときに

面倒なアイフォンショップに予約を入れて

対応して貰わなければ成らない部分で、

携帯ショップに気軽に足を運んで対応してもらうサービスとは

違う面が有るからです。

まあ、電話対応などで

どちらも処理できるサービスは有るのでしょうが、

最悪、数少ないアイフォンショップより、

駅前に行けば大体存在する携帯キャリアーのショップの方が、

遥かに利便性がいいという判断です。

 

さて、文系の思考を馬鹿と蔑む形で表現しましたが、

実はコレ、暴言でも何でもない事実なのです。

この「馬鹿」と英語のSTUPIDの意味で理解すれば、

文系の人は言葉通り馬鹿にされたという感じに成りますが、

中国の故事の「馬鹿」の意味で伝えるなら、

本当に「馬鹿」な話なのです。

 

馬鹿の故事は、中国の秦王朝の時代の話で、

漫画キングダムで有名な政が死んだ直後の話から来ています。

政こと始皇帝が死んで、

その側役として仕えた宦官趙高が実権を握り

自らの影響力を秦の臣下に試すため、

馬を用いて鹿だと言い、

誰もにそれを鹿と認めさせた話から来ています。

ある意味、パワハラの話なのですが、

そういう部分で「馬鹿」の故事を理解するなら、

パワハラに屈して社畜になる事を

「馬鹿」というか形でも表現できます。

ただし、現代までに理解されている「馬鹿」の表現、

いわば人として見下す意味を、

寧ろ哲学的に考えると、

 

動物学的に認識された

馬(サラブレッド)と鹿(二ホンジカ)の区別は、

さすがに誰でも区別できるので例えにするのは難しいが、

科学的にはウマ科として認識されるべき新種を、

著名な動物学者がこれはシカ科であると言ったら、

一般の人はシカ科だと認識してしまうという話で伝えられます。

ある意味、見た目は魚と大差のないシャチやイルカが、

魚類では無く哺乳類である事は誰もが知っているところでしょうが、

新種のイルカを見せられて科学的な解説無く、

これはサメだと伝えられたら

それをサメだと信じてしまう感じの話です。

 

こういう意味で文系は馬鹿なのです。

動物の様にまだ見た目や生態で判別できるならともかく、

政治や宗教、哲学、または定説でない学説も含む話ですが、

可視化できない表現上のものは、

合理的な解釈はハードルが高すぎて、

個々の価値観の選別に依存されてしまうわけです。

この有名な話が、「天動説と地動説」です。

 

こういう意味で特に日本人に馬鹿が多いのは、

実は天動説と地動説の教訓を

日本では全く伝えていないからなのです。

天動説と地動説の歴史的な話は、

日本人の多くが知識として知っているところでしょう。

でも、これが科学の教訓として伝えられる部分は

全く理解されてません。

まあ、最近ではもしかしたら欧米でも

習ってない可能性があるのですが、

定説か仮説かを見極める事の大切さが伝わらなければ、

天動説と地動説の話を知っていても

意味が無いと言う事です。

屁理屈こねて今は天動説も地動説も正しいなんて話は、

本来の趣旨から外れた話なのでどうでもいいことして

一応は伝えておきます。

 

いわば文系の人が陥りがちな著名な本を読んで、

それが正しいと信じてしまうのは、

中国の故事に伝わる「馬鹿」と同じで、

天動説と信じていた時代の大衆と同程度という事です。

 

馬鹿の故事の元ネタの宦官趙高の話ですら、

史記などから伝わる宦官趙高として、

僕自身も勝手に馬鹿な感じでイメージしていた訳ですが、

WIKIで調べると宦官では無かったという説や、

実際は「馬鹿」の故事に有る出来事0は作り話だという説や、

趙高は宦官じゃなく臣下だったとか、

仙人の様な賢人だったとか、

色々な説があるのも事実ですが、

どの説も「仮説」でしかない事と、

哲学として「馬鹿」の故事は、

現代社会にも残しておくべき話と言う観点で、

伝えておくべきと考えるわけです。

 

まあ、自分の駒として使う場合、

余計な事を考えずに言いつけ通り守ってくれる人の方が、

扱いやすいと考えるのは当然でしょうが、

馬鹿ほど自分に心地よい言葉に流されがちで、

現実的な本質を理解することなく、

ただ心惹かれたその人物の為に吠える犬に成ってしまうのです。

これが民主制を悪い形に導いてしまう作用でも有ります。

多くの人は

ヒトラーみたいな奴に投票するなんて考えられない

と、考えるでしょう。

でもヒトラーは民主主義の中から誕生しているのです。

そういう危機感すら無いのが殆どで、

いわば大衆の殆どが、

騙されやすいのではなく、

根拠のない心地よい言葉に流されやすい馬鹿だと言う

自覚が全くないのです。

平和という言葉、安全保障という言葉、

結局はどういう形が平和で安全なのかを知る事も無く、

敵を産み出して敵対関係を増幅させる流れに、

心地よさを抱いてしまい、

結局は取り返しのつかない形で、

その心地よく聞こえた言葉とは逆の現実に直面する訳です。

心地よく聞こえる言葉を発している人間は、

心地よく聞こえる言葉を使いこなしているだけで、

本当は何も理解していない「無知」であることを、

「馬鹿」に陥る人見抜けないのです。

 

これらは「考えるな!!覚えろ!!」

という教育と言うより調教の効率化から生まれる弊害で、

例えるなら

ゲームで遊ぶ姿勢すら攻略法に依存する

達成感だけで満足する人間を作り出しているのと同じなのです。

寧ろ考えるだけ時間の無駄という、

一見効率的な社会風潮が蔓延している状態です。

教育を考えるべき政治や政府の機関が、

こうした思考で汚染されているため、

ほぼ末期症状で手の施しようがないのが日本です。

 

さて・・・ここまで話しても、

共感する意味で理解された方は居るとは思いますが、

まだその人にとって

心地よく聞こえる程度の領域を抜けてはいません。

確かに日本の教育は間違っている、

確かに文系は考えていない人が多いと、

共感を与える程度の話です。

 

では考える事の大切さとどういう教育であるべきかを伝えねば、

本来、何の説得力も無いわけです。

考えない人が多い中での会議では、

独自のアイデアは基本的に認められません。

また前例のない話は、

どれだけ言葉を尽くして説明しても、

論理的な理解力の無い相手の中では、

全く理解できない領域に成るのです。

その為、新しい発想が生まれにくい社会に成ってしまうのです。

心地よい言葉で「イノベーション」なんて文言が飛び交っていますが、

日本ではイノベーションに前例を用いて説得するような話で、

結局、前例がある類似の発想でしか着手できないのです。

それ故にメタヴァースにしても、AIにしても、

結局は海外の失敗事を真似て、

的外れな方向で進むだけなのです。

そもそもAIの発想が

情報学習のデータ量とその正確な分別だけを競う発想自体、

既に海外の技術を模倣しているだけで、

思考するAIではなく便利な百科事典化するだけの話なのです。

日本の教育弊害同様に、

知能と知識の分別が出来ていない時点で、

全く呆れる話で、

寧ろ自動運転技術の研究の方が、

実はAI研究に近いのです。

 

科学的に考える世界の中では、

前例は失敗例を分析する為のものです。

成功例は既に研究対象から外すものです。

また文系は仮説と定説の分別なく、

全てを定説だと思い込む。

先ず教育として最低でもこの違いは教えなければ成りません。

園主率が3か3.14かはどうでも良い話で、

むしろ円周率がどういう計算またはどういう形で、

その定数が求められるのかを一応教えるべきです。

いわば数学を知識で教える前に、

数学をする楽しさを教えて興味を惹かなければ、

数学を学ぶ意義を感じない訳です。

円周率を適切に考える形で学ぶと、

実は3.14と言う定数には成らない事も知ります。

3.07であったり3.22であったりと

直径の長さによって変化します。

こうした変化する園主率をグラフ化して、

より安定した計算式として求められるように

研究されたのが、

関数を用いた計算に成るのですが…

そもそもが数式化できないほど

実測と円周率が噛み合わない為、

sin,cos,tanというチート文字を用いた計算で

省く方法を取るように成ったとまで学ぶべきです。

こうすると…

数学が馬鹿馬鹿しいという感じにも成るわけですが、

だから今でも円周率の謎の解明は

研究されていると伝えれば、

ある意味思考する挑戦心に火が付く場合も有ります。

そもそもが…

円周/直径で定数を求める試み自体が間違ってないのか?

例えるなら半径を求めて、

半径と同じ円周での長さが何度に成るかを計測して

グラフ化して別な計算方法で円周率を求めるのです。

円周=360/x × 半径で、

xが円周に沿って半径分移動した角度とした場合でも、

実は円周の数値は割り出せます。

この計算を馬鹿はsin,cos,tanを用いて計算するでしょうが、

そもそもが計算のコンセプトが違う事を理解できなければ、

挑戦する意味すら理解できない話です。

いわば前例の円周率=円周/直径で求めるのと

完全に異なるやり方という事です。

既存の円周率3.14で計算すれば、

xの値は直径1センチとしても。57.32度に成るわけですが、

円周率の数値に安定性が無い場合、

実際の角度を測定すると

60度から55度の間で計算とは異なる数値が生じるはずです。

そもそも円周率の計算法を見て、

実は昔から違和感を感じていた訳ですが、

直径または半径の長さと、

円周の長さには数字的な関係性が今一感じられなかった訳です。

寧ろ広がる距離に比例して

円の膨張率に変化が生じると考える方が合理的で、

xの数値をグラフ化することで、

x=膨張率×半径の式が当てはめられる訳です。

この場合、360/x×1/2=(ニアリーイコール)現行の円周率

と、成るだろうと思われますが、

どちらが実際の円周に近づくかは、

実測結果を見なければ解かりません。

まあ、当方はそこまで頑張る気は無いので、

興味ある方は試して見て下さい。

恐らくですが、

現行の円周計算より正確に出せる方程式なはずです。

 

ついつい円周率に興味を持って、

ついつい疑問が生じたので、

別の計算式を割り出してみたわけですが、

現行の円周率が不安定であるという事実を知ると、

円周率が正確な計算を出していないものと判明します。

そこで何故を感じる事は大事な事です。

ところが…馬鹿に侵された世界では、

逆に何故、誰もが認める円周率に疑問を抱くの?

と、いう目を向けてきます。

先ほど記した円周の計算方法は、

適切に計算を理解できれば、

確実に円周が割り出せます。

寧ろそれが理解できれば

あなたはまだ馬鹿に侵されていない人と言っても良いでしょう。

ある意味、円周率4000年近い歴史を

根本から覆す行為です。

なので私がここに出す以前に誰かが発見していた可能性は有ります。

また、円周を求める計算として、

合理的に考えた場合、

円周から直径を割っただけの数値と、

半径と同じ長さの角度を割り出して、

1週分の360度で割った円周率、

どちらが計算上合理的であるかを考えてみるのも、

面白いかも知れません。

 

実は教育で大事な事は、

考える楽しさを教える事であり、

実は正解は無いと教えるのではなく、

正解が存在するものと、

正解がまだ存在しないものとを区別して

伝える事なのです。

1+1=2

これは寧ろ想像力の答えなど必要のない、

不変の正解なのです。

しかし、円周率3.14は

まだ正解が解からないものと伝えて良いものです。

正解の解からないものは、

自分で正解を探してもいいという事で、

その正解が空想で終わらないように、

説得力をもたせる努力をしなさいというのが、

本来教えるべき事です。

 

まあ、小学生の子供にこんな話は中々難しいです。

子供たちにはもっと

遊びから学びなさいと伝えて、

その中で将来成りたいものを見つけなさい

と教える方が大事です。

別にスーパーヒーローに成りたいでも良いのです。

現実を学ぶ中で、

役者として子供たちのヒーローを演じる道に進むの有りだし、

ヒーローの様に人を助ける道を選らび、

消防隊や警察官、または自衛隊なども有ります。

純粋な心でそういう世界を目指してくれる方が、

調教教育で脱落し、

生活する為に仕方なくそういう世界に進んだ人より、

遥かに頼れる存在に成るのですが…

まあ、そういう純粋な気持ちも今の社会では、

逆にキレイごと扱いされて、

踏みにじられてしまう訳です。

末期症状は本当にどうしようもないです。

 

せめて多くの人が今の知識に満足せず、

より深い探求心をもって、

世の中の真理を考えてもらいたいものです。

 

今回は馬鹿馬鹿と連発してぶちまけたので、

何となくすっきりした感じです。

 

人生は反省して生きる方が成長するわけで、

僕も反省の毎日です。

別に暴言を吐いた事は反省しないけど、

まだまだ文章が未熟だとか、

あの方程式で間違いなく円周は出せるけど、

3.14からのバラつきを考えると、

どの道安定した数式は出無いかもと、

満足する事はありません。

ただ・・・数学者じゃないので、

別にそこまで挑戦しなくても良いかなと…

適当に切り上げちゃうわけですが…

それに正直簡単に割り出せそうな方法だから、

昔誰かが試して、

3.14の円周率に勝てるほどの

説得力が無かった可能性も考えるわけです。

 

こうして再び円周率に戻って、

何故数値の上下に関わらず、

円周率の値が0.7単位くらいで前後するのか

その構図を考えつぃまう訳です。

 

ある意味思考力とは諦めの悪さだとも言える話です。

とは言え、

興味のない事は馬鹿なままで、

人の話をチョロいほど鵜呑みにしちゃいます。

知り合いの自慢話とか、

全く疑いもせずに信じちゃうし・・・

まあ、自分に害のない事なので、

疑っても意味無いですからね・・・

 

人は興味を抱けば何でもできる。

実は本来誰でも可能性を秘めているのです。

好きなアニメや漫画を深く知りたいと思う気持ちから、、

マニアックにそれを探究する人もいるわけで、

興味が齎すパワーは計り知れないです。

 

興味を持てるかどうかはその人次第なのですが、

浅い興味のまま浅い知識で

興味の薄い人々を馬鹿にする…

ここでは馬鹿に侵食するという意味で、

まあ洗脳するといった感じに成りますが、

そういう行為は本当に迷惑千万です。

本当に興味の薄い事だと、

人間はチョロいほど直ぐに共感してしまうので、

特に政治の世界の話では恐ろしい事にも成るわけです。

 

ある意味北川景子さんの旦那であるDAIGOさんの様に、

ふざけてか本気か知らないけど、

「WINWIN]とポジティヴな言葉を連発してくれてる人の方が、

寧ろ本質を語っている感じに思えるのです。

 

 

 

 

 

 

どうも…ショーエイです。

外交上問題は

基本的には政権が議会を通さずに決定できる話は

多くの人が知っている事と思います。

実際に外交問題の隠れた部分を含めて、

色々な交渉の詳細を考慮すれば民意や議会を通すより

スムーズに進むと思われます。

ただし平和的な話はですが・・・

 

逆に中国やロシアとの関係だと、

政権も危いですが、

寧ろ民意の方がもっと危い考えに走りそうなので、

民意に託した議論は好ましくないとも言えます。

 

ところがイスラエルの問題は

寧ろ政権側の関係上の問題にも成りかねない話で、

いわばロビー活動やら支援者、

更には米国との関係を含めた意味での

外交上の都合などで、

色々と国家采井やら政権維持に苦慮する話に成ってきます。

そうした政権が抱えるだろう問題に配慮して、

寧ろ純粋に判断できるようにする為に、

民意を利用するべきなのです。

 

勿論、ただ単に民意がイスラエルを許さないからとするのは、

逆に意味が有りません。

ではどうやって民意を利用するのかという話になると、

先ずはイスラエルの言い分も適正に聞ける形を取ります。

 

世界各国の民意がイスラエルの主張を聞いて

正当性有る内容と判断できるか?、

 

先ずはこの機会を与えることが大事なのです。

まあ、普通の人は双方の言い分を聞くのは当然と

理解するでしょうが、

この場合、寧ろイスラエルがどう説明できるかが焦点です。

ある意味、陪審員裁判の様な形です。

 

当方の見識としては、

イスラエルが明確にヨルダン川西岸への入植行為を

民衆視点で正当化するのは難しいと断定してます。

その上で幾分かでも正当性を示せる内容が含まれるなら、

それを聞く人は問題の根本を理解できる流れと成ります。

 

ただし、中国の南シナ海問題同様に、

歴史的な背景を理由にすることは、

現時点における権利者の人権が優先される話では、

全く正当性を帯びなく成ります。

 

例えるならイスラエルがパレスティナの領土も含めて、

イスラエルの一国家の領土と主張した場合、

パレスティナの人々もそのイスラエルで

同等の権利を持つ人々として扱われなければ成らない訳です。

最低でも国連憲章上ではこうなります。

その上で不当な行為で

パレスティナの人々の本来の所有権を奪う行為は、

国家として正当性が無くなります。

例えイスラエルがパレスティナ人が勝手に主張した土地で、

国家としての承認を与えた土地で無いと主張しても、

承認を与えず奪う行為は

国家権利と人権問題の狭間の議論と成ります。

 

この争点を盛り込んでイスラエルの主張は

パレスティナ人は難民であって国民では無い。

イスラエル国の土地はイスラエル国民の土地であって、

国民ではない難民に所有権は無い。

 

善意のみの解釈では、

イスラエルの主張に正当性は無いと感じるでしょうが、

歴史的な背景を理由に出来ないとした場合、

現状、パレスティナ人は戦争に負けた難民状態のままです。

 

ところが同じレベルで話を進めると、

パレスティナ人が所有する土地は、

かつてのその戦争の合意の下で得られた土地で、

イスラエルが国家として

パレスティナ人を難民という区別で扱うなら、

合意上保持した土地は

パレスティナ人の独立した国家の領土として

認められなければならない

という人権問題の話に成ります。

 

国連憲章に於いては人権問題が優先事項です。

内政不干渉も国連憲章に記載されてますが、

虐殺や迫害などに該当する人権問題は、

解決優先と成ります。

 

この場合、イスラエルが国家として

パレスティナ人の存在を国民として扱わず、

難民という形で留めている状態は、

パレスティナ人への迫害と見なされます。

これはイスラエルの根本のユダヤ人が

ヒトラー率いるナチスドイツから受けた扱いと同じです。

いわばその国家に存在していても、

国民として認められなかった状態です。

 

米国の合衆国憲法下では、

この人権定義が成立してます。

例え不法移民であっても、米国でそれらの子が生まれた場合、

それらの子は米国民として認められる。

米国憲法上の人権的な価値観で扱うなら、

現時点のパレスティナ人の大多数は、

イスラエルがパレスティナ自治区も含めて

国家と主張する場合、

そこで生まれたパレスティナ人は

イスラエル国民として対等な権利を有さねば成らない。

という意味で成立します。

それ故にイスラエルの入植行為は

国民への人権侵害である。

 

ここで米国憲法の話を持ち出すのは、

イスラエルを説得する為の話では無く、

米国がイスラエルの主張を人権問題として

支持するべきではないという主張です。

 

いわば国連として、

公開陪審員裁判の体で、

各国国民に人権問題の適性を考えてもらう機会として、

その民意の勢いと表現しますが、

その勢いでどちらの主張を支持するべきか、

政権に圧力を掛けるべきなのです。

 

米国以外では各国で難民や不法移民などへの定義は

変化しますが、

人権問題に対して善意で向き合う意識が強ければ、

自然とどちらの主張が優先されるべきか理解できます。

その上で、パレスティナ国家の

承認が必要か否かが議論されなければ成らないのです。

イスラエルが承認しないと頑なに拒んだ場合でも、

いずれにせよパレスティナ人の人権を優先した議論と成れば、

入植行為は決して認められません。

いわば国家として認める認めなくとも、

入植行為が出来ないなら、

パレスティナの自治権の中で

不法行為に対処することは保証される条件と成るわけで、

独立を認める認めないは意味が無くなるのです。

 

いくらなんでもイスラエル以外の民意は、

パレスティナ人のイスラエルに対する怒りが、

ハマスのテロ行為を引き起こしたと気付いているわけです。

テロ行為なので誰も支持する意味で

中々口に出来ないだけで、

テロに関しては被害者でも、

根本の問題はイスラエルに有る点で理解している訳です。

 

よって一応はイスラエル側に弁明機会を与えつつ、

公開陪審員裁判の形で、

人権問題を議論して

民意の支持が得られない場合は、

それを理由としてイスラエルへの不支持を表明して行く形で、

イスラエルに人道的な圧力を掛けるべきなのです。

イスラエル政府がいくら各国の政権を批難したところで、

こういう流れに成った場合は、

その国々への民意を説得する必要性が生じる為、

パレスティナへの対応も人道に沿った形で

説明して行かなければ成らなく成ります。

 

現状各国政権への批判で対応できる形では、

反ユダヤ主義だとかいう被害者面した事も、

まかり通る形になるが、

各国の民意とした場合、

さすがに現状のイスラエルの態度では

反ユダヤ主義的なイスラエル政府への嫌悪感が、

民意レベルで広がって行く危機感を察知すると講じられます。

 

現状、国家の政権レベルでイスラエルを批難したところで、

 

「パレスティナ人は難民であって国民では無い。

イスラエル国の土地はイスラエル国民の土地であって、

国民ではない難民に所有権は無い。」

 

という論理が人道的にまかり通ると信じ切っている中では、

どれだけ頑張っても自己の主張を曲げないでしょう。

そのため人道的に理解されないという事を、

民意理解という形で明確に伝え

イスラエルのリクードの様な政権では、

イスラエルの国家存続自体が国際レベルで危ぶまれる点を、

寧ろ善良なイスラエル国民に託すべきなのです。

 

正直なところ反ユダヤ主義の蔓延は望ましくない。

しかし、イスラエル国民の善意が

現イスラエル政府リクードの非人道的主張を打ち消さねば、

世界の目がユダヤ人全体を受け入れられなくなるのは、

当然の流れに成ってしまう。

 

本当に全ての人類にとって円満な解決を望むなら、

こういう流れは必要と成るわけです。

 

トランプ…とりあえずまだ、大統領と付けておきますが・・・

死んだら天国へ行きたいとか、

ノーベル平和賞が欲しいとか言っています。

 

天国へ行けるかどうかは知りませんが・・・

キリスト教的な解釈で伝えるなら、

最終的には心の問題です。

ラクダを針の穴に通すより難しいほど、

自分の心に純粋に向き合って、

「自己満足」で終わっていないかを自問自答し続け、

その上で万民に公平であったか?

万民を平和に導けたか?

その達成感が本物なら、

少なくとも苦しまず安らかな眠りに付けるのでは…

と、現実的に伝えておきます。

 

ノーベル平和賞に関しては、

イスラエルのリクードみたいな連中の言い分に耳を貸して、

人権問題を考慮もせず、

イスラエルの国としての権利だけを尊重する姿勢では、

全くもって相応しいとは言えません。

ネタニヤフとの関係を切らん空ければ、

ネタニヤフの行動がそういう目標の足を引っ張る事は、

以前のブログで伝えた通りです。

まあ、所詮はノルウェーの政府が関わる賞なので、

ノルウェー政府に圧力でも掛ければ、

案外取れなくもない話なのですが、

今度はそれで満足したら、

むしろ天国へ行く話は

自ずと自問自答の中で消えていく事に成ります。

 

キリストの皮肉の話を哲学と心理学的に伝えるなら、

神を信じるのも、天国へ行くのも、

結局は心の問題。

ラクダも心の中、いわば想像力の中で針の穴を通してしまえば、

それで用は足りるという話で、

そんな方法で納得できるかどうかも、

心理学上単純すぎて難しいと言う事です。

 

これを現実主義的皮肉屋のキリスト的な解説で伝えると・・・

神への信仰を大事に信念を持って

その自信と共に死の淵に向かえば、

少なくとも死ぬ間際に天国への門が開かれる絶頂を

垣間見れるだろう。

そして…その門をくぐった先は・・・

 

知らん・・・

「お前はもう死んでいる」

 

と、いう仏教にも通じる話に成っります。

 

まあ、幻想的な形で伝えるなら、

物語もドラマも漫画も、

先を知っていれば楽しめない。

先を知らないから今の話を楽しめるわけです。

 

まあ、トランプ大統領に天国行きの話を伝えるなら…

貴方が天国へ行けたかどうかを誰もが知るのは、

後世にあなたの功績がどう語られるかで判明するだろう。

万民に愛され語り継げれる功績を残したなら、

貴方の名前は天に刻まれるだろうが、

万民から忌み嫌われ汚名を残したなら、

その名は地の果てへと追いやられる。

これを自らの基準として死地へ挑むべし・・・

 

どうも…ショーエイです。

世界がお互いに不信感を漂わせ、

どんどんと可笑しな方向に進みつつあります。

人は何か、または誰かを信じるか否かで、

選択肢を考えつつあります。

でも、信じるか信じないかなんてものは

実は何の意味も意味がない事を

人は理解していません。

 

「あなたは神を信じますか?」

 

神を信じようが、信じまいが

世界の理は変化しませんよね。

寧ろ「神に裏切られた」とか考える方が

世界の理に反した話に成ってきます。

これは人に対しても同じです。

特定の政治家を信じるとか、

期待するとかと言うのも意味が無いのです。

大事な事は「尊重の姿勢」なのです。

この「尊重の姿勢」が無いと、

信じない相手を自然と侮蔑して見ます。

侮蔑して見ていると、

その相手の言葉の真意も疑念だけで理解します。

いわばその相手が「嘘を付いている」という疑念です。

でも本音か嘘かは結果でしか判断できない訳です。

また本音であっても、

いわば期待はずれな結果となれば

その結果としては「嘘」になるし、

「嘘」と信じても結果次第では

いい意味で裏切られたという事にも成ります。

いわば信じる信じないは所詮は運命の予測でしかない訳です。

 

人を尊重して見ると、

嘘か本音はどうでも良く成ります。

いわばその人が何を言っているか、

何を目指そうとしているのかを見極めるだけなのです。

そして選挙で誰かを選ぶ際に、

誰の話が一番自分の考えに近いかで選ぶのです。

当然、多くの有権者はこうした見方で考えていると思います。

ところが…それ以前に見るべき、

その人が人を尊重して考える人間か否かは

全く考慮してません。

アメリカの選挙戦では当たり前ですが、

誰かをディスる事は尊重の無い行為です。

それは関係の悪い国家に対しても同じです。

勿論有権者に解かりやすく伝える為の意図も有りますが、

平和的な政治を望むなら、

こうした言葉は効果を生みません。

トランプの米国は平和を

強引な米国の権威で推し進めようとしているだけで、

相手を尊重しないから

権威の届かない相手には全く通用しなくなる。

 

当ブログではトランプに期待を寄せる感じで記してきましたが、

彼をを信じる信じないは殆ど関係ないわけで、

彼が他人を尊重する姿勢で挑めるなら

彼の望む平和的な世界は叶うという事を伝えてたまでです。

しかし彼の人を尊重する姿勢が徐々に欠落し始めた事で、

現状の結果に成っているという事です。

ただ、信じるとか信じないの話では無く、

人は日々変わるし成長するという概念で、

トランプが何かを悟れれば、

また別な結果を生み出す可能性は否定しません。

ここに期待も信用も不要なのは、

トランプが現状アメリカ大統領である事は不変の状態で、

そこに変化を与えるのは2026年の中間選挙で

米国民が選択するという流れなだけだからです。

 

では日本人有権者としてどう見るべきか…

トランプに変化を与えられるだけの

言葉を持つか否かだけなのですが、

それほどの人材は見当たらないという事実だけが、

現状の話と成ります。

あえて伝えるなら令和天皇が心がけておられるような姿勢で、

政治に向き合える人材が居るならという事で、

あそこまで丁寧な姿勢で無くとも、

偏見無く尊重を示す姿勢があればという事で、

実は最近では明石家さんまさんの様な考え方は

とても好感持てる印象を抱いていると言えるだけです。

 

実は信じる信じないより大事な事は、

相手を常に尊重する事です。

内心相手を信じて無くても、

その相手を人として尊重することで、

お互いに適切な会話が生まれてきます。

これが平和的な外交の糸口であり、

寧ろ日本の一般社会でも

ビジネスの基本として浸透している部分でもあるのです。

本来言わずとも理解されるべきところですが、

いち政治的な話に成ると、

多くが本心むき出しでパワーゲームに走ってしまうのです。

パワーゲーム感になると、

ビジネスの感覚とは異なり、

どうしても信用できるか否かが先行してしまいます。

戦争に成るか否かの話の前に、

相手が攻めてくるか否かの安全性を

考慮してしまう所も有るわけです。

信用できないから攻めてくるだろうという警戒も、

結果としては戦争になる前提の話な訳です。

逆に相手も同じと考えて尊重して考えれば、

お互いに共有できる利の部分が見えてくるはずなのに…

ビジネス的な思考で考えればと思うのですが、

力の弱い立場で見るビジネスと、

パワーゲームも可能な力の強いビジネスとでは、

また異なる所で

人はどうしても強さを求めて、

思考まで力の強い立場に進んでしまうのです。

お互いが弱い立場の姿勢で交渉に挑むと、

双方で尊重の姿勢が生まれて

そこに共有できる利を模索する対話が生まれます。

逆に強い立場の姿勢同士だと

威厳や権威的な競い合いが生じて、

どうしてもパワーゲーム化してしまうのです。

これはどちらかが強い立場でも同じで、

結果として弱い側が屈服を示さねば交渉の成立はしません。

外交上でパワーゲームのエスカレートは、

戦争を引き起こす流れに成るわけです。

 

お互いが対等である場合、

尊重の無い姿勢の相手とは交渉すらしません。

これは信用するしないの話ではなく、

尊重の無い相手にはこちらの意図が通じないからという事です。

逆にビジネスでも経験した方々も多いと思いますが、

尊重の有る姿勢の相手だと、

こちら側の意図を汲み取った上で、

相手側の意図を伝えてきて、

双方の会話は円滑に進みます。

最終的にはお互いが

妥協できるか否かの瀬戸際での交渉に成り、

妥協点が成立しない場合は不成立に成ります。

しかし、円滑な対話の中で

双方の関係性の悪化は避けられるのです。

 

実は信用するかしないかでは相手の本音を探る事は難しく、

お互いが腹の探り合いをするだけの、

タヌキの馬鹿しあいに成ります。

尊重ある会話か否かで判断すると、

所詮はタヌキと言う動物の態度は手に取るように解かります。

寧ろ尊重の無い相手は会話すら通じない相手として見なせます。

尊重のある相手だと交渉上の言葉のやり取りの中や、

妥協点を探る中で自然と本音が見えてくるのです。

ある意味、お互いが尊重し合う会話故に、

下手な馬鹿しあいは通じない事も

双方で理解されるのです。

 

タヌキの馬鹿しあい状態になる話は、

ロシアとウクライナと言うより、

ロシアとヨーロッパの関係でも言える話で、

ヨーロッパはロシアを信用していないから、

あからさまにロシアへの尊重の念が欠けてきます。

逆にトランプはロシアのプーチン氏を

友人として信用していたかもしれないが、

寧ろその友人を尊重していないから、

友人の怒りを理解できていない。

誰でも誰かが侮蔑を示せば気付くわけで、

その侮蔑の中では決してその怒りは拭えません。

 

この面白い話がウクライナ紛争発生直後に

米国議会でCIAがプーチン氏の精神鑑定をj報告した内容にあり、

米国の主だった人々は戦争に走ったプーチン氏を、

狂っていると想定していたが、

CIAの報告はただ単純に、

「プーチンはとても怒っている」

とだけ報告したのです。

この報告を聞いてCIAの分析が如何に正確であるか、

理解できた人は殆ど居なかったのも事実な話で、

まして「何に怒っているか?」という

質問すら発送できない有様だったわけです。

いわばたた「短気に走った」と理解したのでしょう。

CIA位に分析技術のある組織なら、

政治家や民衆の理解力を想定していたとも考えれる分、

それ以上の説明は現状無意味とも考えたかも知れません。

 

傍から見ると、「信用しない姿勢」と

「不遜な相手と交渉しない」は、

同じ態度に見えてしまいますが、

そう見えてしまうのは

自身の分析力の欠如だと理解した方が良いです。

適切な分析力は勿論、

すべてを尊重する姿勢から生まれるもので、

その中で尊厳ある態度と不遜な態度の分別から、

心的作用が絡み合う部分を見極めて

判断して行かなければ成らないのです。

 

まあ、不遜な態度に怒りを示せば、

普通の人にはそれは不遜な態度に見えてしまうのですが、

「怒ったら負け」みたいな平和ボケした哲学で考えると、

戦争をひきおこしてしまうという話です。

 

まあ、色々な話でネット理論みたいな感じが、、

社会で蔓延してるけど…

例えば商売の基本である

「お客様は神様」という言葉…

客が自分は神様だと主張するのは

明らかに不遜な態度です。

言葉の真意を考えずに、

言葉尻だけを捉えて理解する発想そのものが、

尊重の無い思考なのです。

 

「お客様は神様の様に接しろ」

この真意は接客の際の姿勢を示しただけの言葉で、

「お客様を神様と思え」

なんて意味で人間の権利を

奴隷化する表現で伝える訳が無いのです。

いわば

「お客様を神棚を扱うように丁寧に扱うように」

という意味なだけで、

接客態度に腹を立てた客が、

「お客様は神様だろ!!」

とクレームを付けるのは

逆に人間の権利を無視した不遜な言葉に成るのです。

最近ではこういう言葉は廃れつつ有り、

寧ろ「客は神様じゃない」

という感じが接客の中で蔓延し始めている。

いわば今度は接客する側のクレームに対する態度が、

寧ろ不遜な形に成って来ている訳です。

 

またキリスト教の教えで、

「右の頬を打たれたら左の頬をだせ」

殴った側がこれを要求する話になると、

本当に意味不明ですよね。

ほぼ言ってることはパワハラです。

まあ、左の頬を出して後で損害賠償請求しちゃえば、

逆に儲けものなんですが・・・

 

とにかく尊重のない思考が横行すると、

折角の名言も宙に浮くように軽く成っちゃうんです。

 

1974年のサッカーワールドカップに優勝した

ドイツの主将フランツ・ベッケンバウアー氏の言葉です。

「強い者が勝つのではない、勝った方が強いのだ」

 

その決勝の相手は当時最高の選手と評された、

ヨハン・クライフ率いるオランダでした。

ベッケンバウアー氏に尊重を示さずに

この言葉を理解すると、

「自分が勝ったから強いのだ」

なんて意味に感じます。

何だかただ勝利に浮かれているだけの人の言葉に感じます。

でも、ベッケンバウアー氏を

人間として尊重した上でこの言葉を理解すれば、、

「相手は本当に強かった、しかし今回の自分たちはそれ以上に強かったから勝てた」

という言葉で、相手に敬意をしめした言葉に捉えられます。

まあ、真意はどちらかは知らないとしても、

ベッケンバウアーという偉大な選手に敬意を示し、

彼の名言として伝えるなら、

後者の方で理解する方が

尊厳と重みが伝わる言葉に成るのではと思うのです。

まあ、一般的に伝わる解釈で

「強いから勝つのではない」

という事なら、寧ろこの言葉より、

「勝敗は時の運」と語る方が意味が伝わるわけで、

何の鍛錬もせずに強い相手に挑んで、

チートや反則かなんかで勝った挙句に

言える言葉にしないで訪しいですよね。

せめて哲学的な言葉で残すなら、

「強者を前にしても、それに挑む強さが勝るほうが勝利する」

という形で解釈したいものです。

 

実は人を信じるか信じないかというのは、

スポーツの予測と同じで、

当時のオランダが勝つか、

ドイツが勝つかを信じていたようなものなのです。

結果が出るまで解からない。

歴史的に見ても偉人たちが

信じてた人に裏切られたなんて話は

当たり前の様に起ってきた訳で、

カエサルはブルータスに、

信長たまなんて、浅井長政に荒木村重、

まあ、色々と裏切られたもので、

タイミング悪く本能寺の様な形に成ると、

さすがに死にますわな…

 

人間どれだけ相手を尊重しても、

相手の都合までコントロールすることは適わない訳で、

相手の都合が悪ければ、

意図せぬ事態を招いてしまう。

これは人間の嵯峨なのかな・・・

 

こうしてキリストの話を思い浮かべると・・・

キリストが十字架を背負う姿を教えとして残した意味は、

キリスト教徒たちにこういう人間の嵯峨として

常に十字架を背負って生きる定めを伝えたのかもしれない。

その上でキリスト教徒の人々は、

人を尊重する規範をしめしたキリストは、

偉大な教えを広めることで、

後世にも残る偉人として伝わっているのだと理解して欲しい。

まあ、今問題の欧米の人々に伝えるなら、

こういう言葉の方が説得力を持つのかなと…

 

尊重を以て接することで、

人の真意を感じる力は養える。

されど人の都合は其々で、

尊重を示しても覆せぬことも多々起こりうる。

都合というのは本人の意思のみならず、

生活や家族、友人関係など様々な要因で構成されるため、

個々の決断において容易では無いものである。

一方の尊重が多を示すものでは無く、

それは他人にとっては多の一部にみたいないものだと、

自然の摂理を尊重しなければ成らない。

日本人にも伝わるように、

森羅万象的な表現だとこんな感じです。

 

人を信じるとか信じないと言うのは、

神様を信じるか信じないかと同じ事。

結局は何の意味も無いのです。

神様を崇めてその教えを尊重する様に、

人を尊重し自然の摂理を尊重することで、

探求を極めて見識を広めるに役立つということです。

勿論、その見識をどう活かすか殺すかは、

その人次第という事です。

ただし、浅い見識では深い迷宮に心は迷い込んだままで、

自らの支離滅裂な思考を

他に晒している事すら気付かず、

尊厳の無いみすぼらしい生き様を

歩みつづけるだけなのです。

仮にそれで運よく力を得ても、

それは歴史という舞台で恥ずべき者としての宿命を

得ただけにすぎない存在になる。

それでも酒池肉林、

その生を謳歌したいだけの人生も、

それはその者の都合である

 

 

 

どうも…ショーエイです。

世界中がいよいよ怪しい状態に成りつつあります。

まず歴史を紐解いて

戦争に関して一般人が理解している部分は、

まあ…一般人に限らずの話なのですが…

最終的な結果だけなんです。

 

いわば勝ったか負けたかの結果です。

戦争する前段階では、

誰もが勝った結果だけを追い求めて考えるわけです、

 

2025年の現代、

太平洋戦争終戦直後の世代の1945年生まれの人で

80歳です。

太平洋戦争中の経験をハッキリと理解している人は、

当時の15歳くらいからだと考えても、既に95歳です。

中々お目に掛れる方がたでは無いと言えます。

それでも戦時中の苦悩を伺い聞いても、

ほぼ現世代の人々は全くしっくりこない話で、

テレビすら存在しない時代の昔話に聞こえるのも

仕方ない話です。

 

実は日本に限らず、

世界中がこの平和ボケした状態にある事を

先ず理解して欲しいです。

平和ボケという言葉は、

多くの人が危機感の無い人に向けて言う感じに成ってますが、

実はむしろその危機感を勘違いした人が、

結局は戦争を始めてしまうのです。

 

戦争を知る人の危機感は

戦争に成る事を警戒する方に意識が向きます。

故に外交で解決する努力を惜しまない訳ですが、

戦争を知らない人の危機感は、

反対に戦争に成った場合を想定して意識が向くわけです。

「備えあれば患いなし」という言葉を、

彼らは自身の説得力として用います。

ところがその程度の言葉は

相手も同じ様に考えて備えてくる原理を知らないのです。

 

とは言え・・・

戦争する話をいわば戦争無知な人たちにどう伝えても、

恐らくは真面に伝わらないとは思います。

ただ、戦争が始まる前の状態は、

スポーツ…日本人やアメリカ人に例えて伝えるなら

シーズン開始前の野球の優勝予測と同じ、

またはサッカーのシーズン開始前であり、

ワールドカップ開催前の予測と同じなのです。

いわば結果が出てない状態では、

誰もが応援するチームが最高と思っても良い状態です。

 

サッカーの日本代表だって、

ワールドカップで優勝するつもりで挑む訳で、

日本代表を真に応援する人たちは、

その結果を信じて応援する訳です。

 

スポーツの世界ならそれも楽しむ要素なので

問題は有りません。

ところが平和ボケした人たちは、

戦争も同じ様に考えてしまうのです。

 

サッカーや野球の話でシーズンが始まると、

最近では野球の方が

一試合一試合の勝敗の行方が難しいのですが、

アーロン・ジャッジ筆頭のヤンキースであり、

大谷選手筆頭のドジャースでも、

全勝する状態は無く、

7割も勝率保てれば凄いと言う結果です。

サッカーでも最強チームが負けなしで優勝することは稀で、

日本がドイツとスペインを破った

ジャイアントキリングも発生する訳です。

 

勿論、スポーツでは負けた試合は悔しいだけで済みます。

ところが戦争の場合…ウクライナ戦争を例に考えるなら、

スポーツの1試合単位で、1日1日の勝敗で観察すると、

ロシアが負けた状態は、

モスクワにドローン攻撃を受けたりという状態で、

ウクライナが負けた状態は、

ロシアのミサイルが何発か命中したという話で、

双方ともに相応の被害を被るわけです。

 

「備えあれば憂いなし」という人たちは、

どれだけ備えても戦争に成れば被害を伴いことを伝えません。

自衛隊員ならその辺は把握できる部分なはずですが、

間抜けな政治家はスポーツで全勝して勝つかの様な響きで、

国民に伝えるわけです。

これは今のヨーロッパでも同じ状態にあり、

むしろ現状ではヨーロッパの方が酷すぎる話にも成ります。

 

ここまでが戦争前段階の話です。

 

そして戦争が始まれば、

スポーツなら苦闘するのは選手のみですが、

戦争では全ての国民がその選手同様に苦闘状態に成ります。

いわば戦争が始まったら負けられない意識が生じるのです。

それは自分の国のみならず、相手の国も同じという事で、

そうなったら軍事的な圧倒力が明確に成らない限り、

中々終われない流れに成ります。

 

ロシアとウクライナの状態が正にそれで、

ロシアが寧ろ軍事的な圧倒力を示せない故に、

ウクライナは現状でもロシアに屈しないで戦い続けているのです。

これは中国と日本が戦っても同じと考えますが、

日本は寧ろウクライナ状態で戦う事を覚悟しなければ成りません。

いわば日本国内に相当の被害が生じるという事です。

 

ところがウクライナの状況とは異なり、

恐らく日本が今戦争に走ったら、

100%後悔する流れに成ると言えます。

ウクライナはそれでもゼレンスキーがカリスマ性を維持して、

国土を守り抜く意味でウクライナ国民の士気を維持してますが、

日本の場合、そういう形に出来るのか…という疑問です。

 

【戦国時代に例えて考えて見て欲しい】

今の日本を率いるのは織田信長や上杉謙信、武田信玄といった

カリスマ性のある政治家のか?

石破茂という首相なわけで、

戦国時代の大名や武将に例えると…

どの程度に該当するのか…

 

あくまで歴史上のイメージが先行する話ですが…

 

確かに織田信長や上杉謙信といった感じの人間が

日本を率いて戦うのなら

多少の苦闘は覚悟できるのかも知れません。

寧ろロシアのプーチン大統領はそういうカリスマ性が有る故に、

ロシア国民も指示しているところはあると言えるわけで、

欧州との戦争に成った場合でも

そこはある程度の強さに成ると考えられます。

寧ろ…欧州の方にカリスマ性のある政治家が居ないわけです。

 

ここは個人的な感情や好き嫌い関係なく

分析しなくては成らない部分です。

なので個人的には嫌いなゼレンスキーも

ウクライナでのカリスマ性は考慮して見ています。

 

石破茂は首相として…どの程度なのか…

世界的な人材を

戦国時代の人物レベルで参照して考えると、

下手したら良くて六角義賢程度で、

殆ど誰も知らないが一応名家の大名だった人という所です。

彼は安土城の前身観音寺城を本拠とした人物で、

結局は上洛する信長にひき殺されるような形で

領地の殆どを失った人物です。

 

信長、謙信、信玄とはいかずとも、

毛利元就クラスには見せたい所ですが・・・

世界全体の著名人を参考に、

石破茂という名前を誰が知っているかと考えると、

日本人以外は殆ど誰も知ら無いレベルに成ります。

 

日本の首相としても支持率はさほど上がらなかったわけです。

まあ、サッカー日本代表監督の森保さん同様に、

結果が伴えば評価も上がると言うのが歴史の評価なので、

何とも言えませんが、

その六角義賢に率いられて圧倒するはずの戦いで

北近江の若侍、信長の妹婿で有名な

浅井長政相手に大敗を食らうなんて事、

日本の総理大臣としてやられても

困る話でしか無く成るわけです。

 

勿論、彼だって無能な訳では無く、

本拠地を奪われからも

暫くは信長相手に奮闘するのですが、

所詮は何の結果も出せずに

歴史に埋没した人物に成ってしまったのです。

 

物事を強気で語る政治家は多く存在します。

反対に歴史上の人物で見るなら、

その程度はむしろ稀ではなくザラに居た訳です。

信長、謙信、信玄に挑んだ人物も、

負け戦に成る結果の以前は

勝てると思ってたから戦争した訳です。

実は戦争というのはこういう事です。

 

米国大統領のトランプは信長では無く

寧ろ細川晴元という管領で力を持っていながら、

三好長慶の下克上で追いやられた人物な感じですが、

米軍自体は織田軍団に匹敵する所と見なし、

その織田軍団に従っている状態の日本なら、

そうそう負ける事は考えにくいかも知れません。

それでも武田軍が攻めてきた三方ヶ原の戦いの様なケースで、

同盟国の家康は壊滅こそしなかったものの、

相当な被害を受けたわけです。

歴史で見ると家康が生き残った分、

大した損害に感じれない内容ですが、

日本の戦争で考えれば

主要都市が破壊されるような出来事です。

普通の人は寧ろこういう想像すら出来ないと思います。

 

【現代と戦国時代の違い】

戦国時代の話を例えに述べてきましたが、

戦国時代の様に領地こそ国益の時代とは違い、

グローバル化された世界では

寧ろ交易こそ国益の時代なのです。

ある意味、ロシアがどれだけウクライナで領土を確保しても、

現状の制裁状態で交易を損なった形は、

領土が増えても補える規模では有りません。

正しロシアの場合、戦争を現状止めても

欧米との交易が回復する訳でもないので、

ロシアに偏見を抱く

欧米との戦争を止める理由も無いのが事実です。

 

中国も台湾を強引に併合するより、

現状の交易状態が損なわれる方が不利益に成るのですが、

その中国の交易を損なう事態が先行すれば、

むしろ不利益だけが拡大する流れに成っていきます。

 

こうした抑圧を以てグローバル交易に不利益を齎し、

中露の勢いに歯止めを掛けようと欧米が必死になれば成るほど、

その非生産的かつ理不尽な形に対抗する意味で、

結果戦争を以て対抗するという選択肢しか無くなるのです。

 

適正に計算すれば解る話です。

 

【領土問題は寧ろ民主的な問題】

日本で例えるなら、北方領土問題であり、

韓国との竹島問題。

これらの領有権を放棄する話は、政治的にNGです。

これは韓国でも同じで、北方領土のロシアでも同じです。

尖閣諸島の話も、中国が領有権を放棄する話は、

寧ろ中国の政治的にNGなのです。

インドとパキスタンの話も同じで、

イスラエルとパレスティナ問題も同様の政治問題で拗れてます。

特に民主国家では政権支持率に関わる話に成るので、

領土問題の放棄は禁句にも成ります。

 

こうした実態を理解すると、

領土問題が如何に平和な社会構築に弊害を理解できます。

実は世界中でこの平和構築の弊害をもっと勉強して、

国連の中で議論し

現状の境界線を維持する形で話し合うべきと言えます。

いわば最終的に戦争で以て解決する様な状態なら、

その領土問題は語らずに治めるしか無いのです。

そうなると北方領土も竹島も日本は語らずで、

ある意味放棄する形に成るのですが、

恐らく日本人の多くはそれに反対するでしょう。

 

では…竹島問題であえて韓国と戦争する方が良いのか?

ここで考えた場合、日本が強引に戦争して、

世界各国との交易で何らかの制裁を受けるリスクを考えると、

先ずそんなアホな発想は無いと考えるのが当然です。

これは現状中国であっても同じなのです。

しかし、日本が強引な戦争に踏み切らずとも、

強固な軍事力を増大させる動きで

世界中から警戒される形で

不当に制裁を掛けられた場合、

日本人の心境としてはどうなるでしょうか?

戦争に踏み切らなくても制裁を課せられ、

戦争に踏み切っても現状はさほど変わらない…

ならばという議論が生じてくる流れに成ります。

 

経済制裁を課すというのは

実は平和的な交易依存の状態から、

その国の意識を断ち切らせるという効果しか無いのです。

寧ろ経済制裁を一時的に課すことは、

何らかの戒めの効果が生じますが、

どこかで経済制裁を解除する為の交渉と条件で対処しなければ、

結果として殺伐とした流れにしか発展しないという事です。

これが現代の戦争を引き起こす要素なのです。

 

こうした事を優秀な大学を出ているはずの

欧米の政治家の殆どが理解できていない訳です。

 

ある意味・・・この惑星の教育レベル低すぎという話です。

 

とは言え…

この程度の教育レベルでしか無いのなら、

まだまだ殺戮の時代を繰り返して

勉強を重ねて行くしか無いのかなと思う所でも有ります。

核戦争で地獄を見るのも有りかなという話です。

それが嫌なら嫌でもこのブログの話を勉強して欲しいです。

と、上から目線で言わせてもらいます。

 

正直、現状トランプマンが

どの様に迷走しようが構わないと言った所で、

どの道、欧州の政治家の質も悪いわけだし、

日本の政治家なんてゴミ以下な訳で、

呆れて最近ブログの更新すら面倒に感じる状態です。

 

日本人ファーストの参政党?

まあ、所詮はセールス用の言葉でしか無いのですが、

いつも日本の政治は日本人ファーストでしか無いのだから、

本当はアピールするほどの価値は無いというの実態です。

 

因みに日本人ファーストでない政治って何?

と、いう程日本人だけの話しかしてませんよね。

いつどこでグローバル政治な話をしてたんですが?

アメリカ追従も

日本企業が円滑にアメリカでセールス出来るようにとい話で、

世界平和の為にアメリカに逆らう議論を

堂々としたことすら無いわけで、

自民党ですら常に日本人ファーストしか考えてないですよね。

参政党の言葉の新鮮味ってなんにも無いですよね。

その上で日本人ファースト故に

世界で評価された政治家は誰一人として存在しません。

いわば…歴史に埋没するような人材ばかりのこの国に、

国家の命運を賭ける軍事的な決断は

させない方が賢明という話なのです。

 

因みに織田信長なら・・・

軍事に関係ない所で軍を秘かに育てて、

いざという時に転用できる形を考えるだろうと言っておきます。

空母や戦闘機?

不要不要

宇宙開発と量子研究に集中集中。

AI?

不要不要

高度な自動運転技術を研究すれば、

実はより高度なAI技術は伴って来る。

オープンAIは所詮は学習塾程度のAIで、

思考演算のAIとは全然違う分野なのです。

 

オープンAIは情報収取で何でも知ってる秀才を生み出すAIで、

本当の人工知能は天才に匹敵する判断力を

身に着ける物で無ければ成らないのです。

 

秀才と天才の違いというのは、

秀才は自分の知らない所では全く機能しなくなるが、

天才は常に未知の世界を探求する。

万民は天才を求めるが、

結局は秀才に寄り添ってしまう。

何故なら秀才の知識は万民のそれと共有できるところにあるが、

天才の発見は常に理解の及ばないところにあるからだ。

 

世の中って不思議な構成で出来ているんですよね…結局。

 

イーロン・マスクが

トランプから離れる可能性は予測しては居たけど、

意外と早かった感じかな…

他の人はどう見てようとも、

結局この結末は、

トランプがイーロン・マスクを

使いこなせなかっただけの話なのです。

寧ろイーロン・マスクを使いこなせるようなトランプなら、

本当に偉大な結果を出して、

残念なほどに評価を受けただろうが、

やっぱり相変わらずの迷走ぶりを発揮している。

とは言え、それでもバイデンよりマジなのは事実です。

 

まあ、今後は多くは期待しないが

弾劾裁判されないように奮闘してくれとトランプに言うだけです。

トランプがロシアとウクライナの和平を取りまとめるのは、

現状ほぼ無理と考えてます。

どうも…ショーエイです。

まず最初に人間の心理の話。

人に対する印象は掛け算ではなく、

ごく単純な足し算だと言う話から。

 

人に対する印象を掛け算の様に誤解する人が多いです。

マイナスイメージを持つ者同士が-10(自分)×-10(相手)で,

+100に成る関係性は先ず有りません。

例えば日本人と韓国人の関係を例に考えるなら、

韓国の人が-10のイメージで日本を見て、

日本人が韓流の影響も有って若干プラスに成る意味で、

+1のイメージを韓国に持っていたとします。

しかし、結局は韓国側の-10が強すぎて、

日本と韓国の心理的な関係性は-10+1で、

-9の関係に成ってしまいます。

逆に韓国人がもっと日本に好感を持ってくれた場合で考えると、

数値でいうなら-10が-1まで下がると、

自然と日本人と韓国人の関係性は+-0に成ります。

これは個人個人の関係も同じで、

自分が悪い印象を持っていた相手が

逆に自分に好感を持ってくれていたと知ったら、

自然と嫌悪感は緩和されます。

勿論、イメージが-100の相手だとして、

相手が自分に+50の好感を抱いていても、

-50と嫌いなままですが・・・

逆に相手も自分を-50で嫌っていた場合は、

お互いの関係性は-150という

より険悪な状態に成ります。

 

これは外交上の関係性も同じで、

欧州側が-20でロシアを嫌っていた結果、

+10の好感を欧州に抱いていたロシアは、

結局-10のイメージで欧州を見てしまう。

言語化して説明すると、

ロシアの人々は

欧州の人は自分たちを嫌っているという認識で、

マイナスに働くという事です。

これが時間軸でドンドン悪化すると、

欧州が持つ-20のイメージに、

結果としてロシアが抱く-10のイメージが加算されていきます。

すると前は-10だったイメージが、

時間が過ぎれば-30にまで膨らんでしまう。

相手が自分が嫌悪するより強く嫌悪し始めると、

-20だった欧州側もロシア側の態度を意識し始めます。

いわば関係性が-20+-30で-50に成ると、

今度はその数値が欧州側の嫌悪を引き上げるのです。

逆に言えば米露の関係性は改善されたのも、

バイデン政権時代は-100だったロシアに対するイメージも、

トランプが極端に+75でロシアに接した分、

ロシアの米国のトランプ政権に対する

第一印象のイメージも-100から、

一気に-25に緩和されたわけです。

ところが

米国民全体の印象は-100から

一気にトランプに合わせる形で+印象に成るわけではなく、

平均的に-25程度に緩和されたところで止まります。

ここで相互の数値が-25+-25で-50の不信感を残し、

徐々にトランプの+75を+25まで押し下げます。

トランプのウクライナ停戦での苦戦状態を見ると、

何気にこの作用は理解できると思います。

-50の部分を+25のトランプが引っ張っても、

-25で停滞する状態です。

これでトランプ自身がそのマイナス作用に取り込まれると、

今度は+-0となって、

米国民の抱えるロシアに対する不信感は-25のまま残存し、

再び-50の米露関係へと戻っていきます。

 

人が持つ印象というのは、

よく他人に引っ張られてしまうもので、

噂話やゴシップなどで引っ張られてしまう関係だと、

マイナス作用に引き込まれるのが常です。

逆に信頼関係が強固であれば、

そうした外部の情報に引っ張られる事は無いわけですが、

ここはその人の信念次第という

数学的なX(エックス)要素に寄るところに成ってきます。

いわばトランプの信念のXが強ければ、

+75で引っ張っていくロシアに対する印象は、

+75から落ち込むこと無く、

徐々に印象的な関係性の改善を促していけた訳ですが、

Xが弱い…いわばX=50%だと、+

75も50%づつマイナスに引っ張られるという感じです。

 

さてこの印象的な作用ですが、

現状ヨーロッパ側にトランプの様な人物は居ません。

その為、欧州とロシアの関係性は

マイナスに引っ張られるだけです。

少し前まで欧州に好感を抱いていたロシア人も、

徐々にこの作用に引き込まれて、

寧ろロシアのナショナリズムの方へ

意識が向かう状態と成ってます。

嫌悪の数値が高まれば高まるほど、

相手の存在を許せなく成るわけで、

同じ嫌悪の作用は欧州側に与する日本人にも影響を与えます。

そしてそうなると外交的な解決は難しく、

結果は戦争と成るわけです。

 

【焦り始めた欧州が戦争を望んでいるのが真実】

欧州の焦りと言うんは、

時代が進めば中国やロシアの技術が

欧州の技術を凌駕してしまうという危機感。

そうなると欧州側の権威や影響力は落ち込み、

欧州の価値観は伝わらなくなる。

欧州の人々は人権問題などの分野で

自分たちが最先端であると意識している分、

欧州の権威低下はその民主的コントロールを

失ってしまう事態とまで錯覚している。

 

ハッキリ言ってこれh欧州の勝手な錯覚と言っておきます。

 

現代の欧州にはマイノリティの保護が理解されていない。

いわば多数派の大衆先導でしか無いのです。

マイノリティという言葉を日本人も錯覚してますが、

少数派の人々だけをマイノリティというのは違います。

少数派の「意見」として

マイノリティは保護されなければ成ら2のです。

実はこの調整はかなり難しいです。

 

LGBTの問題に於いても、

LGBT自体は少数派の人々ですが、

現状彼tらへの権利付与は多数派の意見です。

逆にLGBTに反対する意見の方が少数派ですが、

科学的な根拠として生物学上異質な関係性、

また男女の結婚という文化的、伝統的な意味での異質性、

これらの意見は寧ろ人権というカテゴリーで無視されつつあります。

難しいのは双方の主張を下に、

如何にLGBTの人たちの権利も尊重した上で調整するかで、

これは多数決という簡単な方法で決めれるものでは無いのです。

 

日本の政治は戦前から同じですが、

基本多数決で決めているだけです。

なので且つてマッカーサーが日本人の民主制の理解力は、

12歳の小学生と同じだと言った言葉は的を得ているのです。

いわば適正にマイノリティ意見を尊重した

議論すらしない多数決は学級会とおなじという話です。

では欧州はというと・・・

寧ろ議論する気力すら無くした老人状態です。

いわば成熟期を過ぎて退化した状態で、

ここも「面倒なので多数決で・・・」という

老人集会と同じという表現で伝えます。

もしくは老害と呼ばれる老人程、

権力と権威ゴリ押しで物事を決めようとするわけで、

寧ろ学級会の多数決より質が悪いとも言えます。

 

欧州の政治家、特に英国などは、

老衰で力を無くす前に、

力でねじ伏せておきたいという焦りすら生じているのです。

故に実際はロシアと戦争をしたいのは、

欧州側という話に成る状態と言っておきます。

そこに日本やアメリカなども巻き込んで

第三次世界大戦に仕向けて

ロシア、中国を今のうちに抑え込みたいという目論見なのです。

 

まあ、恐らく日本人の多くは欧州側と同じ見解で、

その方が世界平和に良いと考えるでしょうが・・・

 

【現状のNATOとロシアの戦力差では・・・】

先ず、ロシアとNATOが核兵器無しに戦争をした場合、

NATOの方が明らかに有利と言っておきます。

なので戦争になれば勝てるという安易な発想は、

地獄を見ます。

「窮鼠猫を噛む」

こういう形の状態でロシアが猫に噛みつくには、

核兵器は必需品と成るわけです。

また、NATOとロシア、

仮にロシア側に中国も巻き込んだ場合、

暗黙の了解で敷かれた戦争のルールは存在しなく成ります。

ほぼルールは欧米の都合で制定された様なもので、

ルールを無視したら制裁を課すという話も、

既に効果の無い状態という事に成ります。

 

仮に核兵器が用いられる前の段階で、

戦力的に勝てそうでも、

ウクライナと同じような現象が逆に発生します。

ロシアがウクライナ相手に苦戦する様に、

NATOもロシア相手に有利に進むようでも苦戦します。

そして欧州の都市部はミサイルの標的になり、

時間が進むにつれて迎撃確率が

徐々に低下して行く現象が発生します。

いわば戦時下で様々なデータが集積されることで、

実は防衛兵器より攻撃兵器の方が進化が早いからです。

更には宇宙の平和利用という話も既に存在を無くすわけで、

衛星の破壊、衛星からの攻撃など、

ドローン兵器よりも最新鋭の兵器がバンバン登場します。

 

仮に中国が太平洋戦争の日本と同じ

真珠湾攻撃の奇襲に挑む場合、

恐らくはGPS衛星の破壊から始める可能性を予想します。

そうなると米国の最新鋭の兵器

に多大な影響を及ぼすことは明白だからです。

またそれは米国を含めて

日本でも生活面で様々な影響を及ぼす事にも成ります。

 

一般人やそこそこの軍事専門家であっても、

こうした予測は出来ていないのが現状で、

むしろそうした混乱に対処できるかも不安と言っておきます。

 

中国にそんな技術がある事を予想するのが当然と言っておきます。

中国がどのような宇宙開発の実権を行っているか、

そうした情報を分析し、

米国などの兵器の機能性を理解すれば、

どういう戦術を用いてくるかはある意味見えてくる話で、

スペースシャトルを諦めて

宇宙開発をスペースXなどの民間に頼りだした今の米国では、

寧ろ宇宙戦略でロシアや中国の

遅れを取っている可能性すらあるため、

GPSの破壊工作が成功した場合、

制空権ならぬ制宙権を握られる可能性も有ります。

制宙権を握られると制空権すら危うく成り、

更にはイスラエルのアイアンドームの様な防衛システムですら

真面に機能しなくなる訳です。

 

勿論、今の時点でこうした警告を与えても、

自衛隊、防衛省、米国の国防省ですら、

中国がそんな技術を開発した形跡は無いと言うかも知れません。

中国も軍事機密がバレるような事はしないでしょうが、

実はハッキリとそれが出来る根拠は

情報として入って来ているのです。

 

何度も言いますが、

孫子の兵法の神髄、

「己を知り、敵を知らば」

自分が敵ならどうするかを考えて情報を精査できなければ、

百戦危うからずからは程遠い訳です。

中国を敵とした場合、

敵が米国などの諜報機関の能力を警戒して、

こうした開発を秘密裏に進める場合は、

直接的に結びつく研究を避ける形で進めます。

いわば開発中の計画がバレれば

米国もそれに対応する研究をするからです。

なので研究を分野で区切って分散して行います。

ミサイルのエンジン部分は表面上衛星開発などで行う訳ですが、

これは諜報員もミサイル開発の一環として警戒する所です。

ここに寧ろ標的を的確に捉える精度の分野を外すことで、

逆に技術的な警戒感は薄らぎます。

では…制度を上げるには・・・

AIと赤外線など様々な光線を探知するセンサーの研究です。

これらは寧ろ平和的な開発部門で知られる

自動運転の技術で行う訳です。

自動運転の技術の研究故に

それをあえてミサイルに組み込まない内は、

それが兵器に応用されるとは気づきにくいですが、

光のどういう光線がどういうセンサーに反応するか、

こうした研究で障害物を感知する、

そして追撃する為の軌道のベースが築かれます。

更にAIはオープンAIなどで有名ですが、

結局は軌道計算をする上では、

センサーとAIによって的確に判断できる形に成るのです。

技術的な細かい内容はさておき、

自動運転技術で開発されたAIの応用は、

ほぼ健康な人間が運転する、

またはプロのドライバーが運転する注意力と同等に成れば、

AIという人間より正確かつ高速な演算力が加わると、

超音速またはそれ以上の速度でも運転できる事に成るわけで、

瞬発的な対応や軌道修正も可能に成ります。

いわば計算ミスで生じる所が

微調整によってミスを打ち消して

より正確な軌道へといざなえるという事に成ります。

ただここまではまだ超極端な未来の技術ですが、

中国の分野別に研究されているAIや、

日本でもおなじみの自動運転技術の研究を総計すると、

ある程度の制度のミサイルは作れる状態にあると判断できます。

 

そこで数年前に中国は

衛星を破壊するミサイル実験に成功したというニュースも

飛び込んできた訳です。

宇宙の平和利用が確約されている状態なら、

違反したら国際批判を浴びて

制裁発動で効果は有るかも知れませんが、

先にも述べた様に三次大戦という舞台に成れば、

そんなものは何の意味も無く成ります。

意味が無くなる前にやってしまえば、

いわば警戒する前に奇襲できる話で、

その奇襲で被るダメージは

恐らくは計り知れないレベルで実行するのが当然です。

 

【安易に戦争を考えてはならない】

基本的に相当な賢人で無い限り、

勝敗は決着が着かなければ解からないようで、

明らかな戦力差が無い限り、

双方が勝てる気で挑むのが常です。

そこはスポーツの試合前と同じです。

 

ところが戦争では大きな被害が生じます。

最終的には勝てると思っても、

被害の事まではほぼ想定していない。

当方がゼレンスキーを嫌う理由はそこに有るのです。

ウクライナは負けないからと戦争に挑む姿勢を見せた訳だが、

これだけ多くの被害が生じる事を当初は全く想定していなかった。

 

現状のNATOや英国も同じ感じで、

ロシアと戦争しても勝つ部分では自信満々です。

でも、どれだけの被害が生じるかこの辺を全く想定してないです。

日本の防衛省や自衛隊も同じ傾向にあり、

その影響で間抜けな政治家は強気で居られる。

勝から良いで、犠牲は全く想定していない話なのです。

一方で米軍とこれは中国軍に関しては、

逆に被害状況は想定して考える所が有り、

故にこの2つの軍の衝突は中々起らない。

仮に勝てるだろうで中国軍が考えていたなら、

ペロシ元下院議長が台湾に到着する前に撃ち落としていたでしょう。

 

2つの軍隊には其々の事情が有って、

被害状況を優先して考えているのです。

米国の場合、世界全体に展開する軍ゆえに、

各地で大きな被害を被る事はそれだけ脆弱な所を生み出し、

また別に発生する事案に対処できなく成る為で、

極力被害が生じない戦い方で

常に余力を残す必要性が有るからなのです。

実はここが米軍の弱点でも有るのですが、

それ故に同盟国に負担を強いる形にして、

極力温存しながら展開できる事を求めています。

しかし、ロシア、中国、北朝鮮に加えて、

アラブ諸国がイスラエルに一斉に向かった場合、

ほぼ対応できなく成ります。

更には中南米で何かが起こればほぼ詰みです。

 

中国の場合は国内の事情で、

被害増大で政府への信頼が揺らぐと、

何かと革命を起こそうとする組織に対応できなくなるからです。

戦争で苦戦するも、

挙国一致の状態で挑む戦いならば、

寧ろそうした心配は緩和されるため、

逆に第三次世界大戦という部隊なら挑んでくる事も考えられます。

いわば台湾問題で米国と開戦するのは、

むしろ小事で挑む戦いに捉えられる可能性が高く、

仮に大きな被害が本土に発生すれば、

太平洋戦争時の日本軍と同じ轍を踏む形に見られるわけで。

中国人が最も嫌う政府に映るわけです。

ところが新興国と先進国で主導権を掛けた戦いに位置づけられると、

小事ではなく大事となり、

寧ろ勝てないかもしれないけど戦うべき戦いに位置づけられます。

故に中国としても挙国一致で挑みやすい。

また、日本の報道でも見られるレベルで、

欧州がトランプ手動ウクライナ停戦を妨害する形は、

寧ろ欧州の横暴さを大義としてプロパガンダしやすく成る為、

中国が参戦する意味としては成り立ちやすいのです。

 

多くの日本人には欧州では無く

ロシアが妨害している様に映るでしょうが、

ロシアが受け入れられない形で欧州が要求しているのと、

さらなる制裁をチラつかせ半ば脅す姿勢は、

反対側の勢力の視点で見ると、

横暴にうつるという話です。

 

ともあれ・・・

ロシアを敵視するのは、それだけ戦争に近づくだけの話で、

抑止には成らないという事です。

まだ起こってないから抑止出来ていると勘違いしても、

忍耐が切れたときには遅いというのが常です。

ウクライナの戦争の前も同じだった様に、

バイデンやブリンケンは抑止出来ていると勘違いしてた。

結局、戦争を起こしたというより、

心理学的には「プーチンがブチ切れた」という状態です。

多分、今の腑抜けた欧州の姿勢に当方がブチ切れている様に、

ロシアもブチ切れるだろうと予想します。

 

人は善悪の話をよく正義感ぶってしますけど・・・

ヤクザをブチ切れさせてボコボコにされて、

ヤクザが悪いと言った所で、

ヤクザは何の罪悪感も持ちません。

 

逆に言えばそういう一般的には質の悪い人相手に、

家族も含めてボロボロにされる覚悟で、

そのヤクザをブチ切れさせているのかという所です。

 

ヤクザ相手ならまだ法律で何とか出来るかも知れませんが、

国家同士ではヤクザ国家に裁きを与えるには、

戦争で勝たなければ成らないのです。

戦争で勝てばいい…

その戦争中、ミサイルが飛んできたり、

また逆に敵が攻め込んでくる可能性を考慮しないのは、

後先考えず覚悟も無くヤクザに挑んで後悔する人と

同じに成ります。

 

歴史的に偉大なリーダーは結構ヤクザが多いのです。

漢の高祖の劉邦なんて…ヤクザだし、

織田信長だってどう考えてもヤクザです。

三国志演義では好青年の劉備玄徳も、史実ではヤクザです。

因みに諸葛孔明と太公望呂尚はどう考えてもニートだよね。

坂本龍馬の生き様も

何気に任侠の世界な訳で、

あれもヤクザで良いんじゃないのかな…

 

アレクサンダーにしてもヤクザだよあの負けず嫌いなところ、

多分、チンギス・ハーンもガッツリヤクザ。

徳川家康だって狸芝居で大阪城落すところなんてヤクザで、

豊臣秀吉だって成り上がりのヤクザ。

 

結局、多くの人が憧れる人物はヤクザが多いんです。

気合いとか度胸の良さに憧れるけど、

逆に敵に回したら何されるか怖い存在なんだと思う。

 

ヤクザだから信用できないという人も多いけど、

結局は信用できない人間はヤクザで無くても同じです。

最終的には信念を持って生きているか、

そして他人の信念を尊重できるか、

ここが理解できないと結局は、

「燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや」

という事に成るだけなので、

程度の低い人とは会話にすらならないという事です。

 

ハッキリって戦争はリスクです。

好んでリスクを背負う人は居ません。

でもリスクを背負わざるを得ないほど、

誰かがその信念を侮辱したなら、

ヤクザであればあるほどリスクを負います。

 

平和という言葉を信念としたなら、

自分の存在を脅かそうとする相手に安心感を抱けるか?

一方は自分だけの安心感を得るために、

他人を気にせず価値観やルールを押し付けようとする。

 

ブログの序盤にマイノリティの保護の話をしました。

人には様々な権利や意見がそれぞれ存在します。

誰が正しいという事は明確には言えない。

そういう中で他人の権利は尊重し合う事で、

マジョリティもマイノリティも関係なく、

本当の自由が齎されるのです。

多数派だから正しいという姿勢なら、

少数派で権利を奪われた人たちはどうすれば良いのか…

人が命がけでリスクに向かう時は、

必ず信念に触れた理不尽が有るという事です。

 

ヤクザはリスクで人を殺せるように、

核兵器用いる時も同じという事で、

リスクで人を殺せない人には、

その怒りの根源すら理解できないという事。

その場合、本当に怖がった方が、

無難に終わるという事です。

どうも…ショーエイです。

最近米の話題が多いようで、

日本人がどういう風にするか眺めていましたが…

 

根本的に何か間違ってないかな…

 

米の値段が高騰して

確かに以前の倍に成っている訳ですが、

先ずその米のインフレで一番困ている層は誰なのかを

誰も伝えてません。

 

正直言うと、海外生活していた影響もあってか、

当方は米食わなくても平気なので、

日本の高級米を偶に楽しむ分には、

今の金額でもと思います。

それはあくまで自分がという観点での話ですが、

では、この金額で誰が困るのかと考えた場合、

恐らく家計のやりくりを

必死で生活している層だろうと感じました。

 

安い備蓄米とか輸入米の話も出てますが、

試しに食べるひとの手に渡っても本当は意味が無いのです。

ある程度、生活に余裕のある層が安い米を求めても…

 

先ずもって優先して提供されるべきは、

貧困層でもひとり親で子供の居る家庭が優先、

そして養育する子供の人数に応じて、

子供が多い家庭には優先して

備蓄米が手に渡るようにするべきなのです。

 

単身の人たちはある意味我慢しても、

外食やコンビニ弁当で何とか我慢する事は可能だが、

子育てを考える際はそういう形では負担が大きいと思えます。

 

小泉進次郎が備蓄米を放出すると言って、

周囲の一部も称賛してますが、

そもそも「誰に渡すべきか」が

結局ないので評価に値する政治では無いです。

備蓄米の数にも限界があるのなら、

貧困層の子育て支援の意味で

備蓄米放出をするべきが優先と誰も気づいていない所も、

この国が如何に残念な国であるかを物語ってます。

インフレ状態にある現状、生活がある程度出来る家庭に、

インフレ前の価格の米は

経済的に寧ろ不釣り合いと言いたいです。

逆に輸入米の関税を大幅に下げて、

そこで米離れでは無く、

日本米の価値感に変化を与えた方が良いのです。

いわば良い米食べたいなら

相応の価値で購入するで良いのです。

以下に色々伝えますが、

日本人にとってそれだけ日本米は

別物としての価値が意識される商品だという事です。

 

米に関しても色々言いたい事は多々あります。

用途によって米の相性は変わります。

米単体、いわばご飯をメインに考える場合、

おにぎりなどもそうですが、

確かに日本人には日本米が一番おいしいです。

ところが丼物の場合、

汁で米の美味しさが誤魔化される為、

日本の米である必要性は有りません。

おかずをメインにする弁当の場合は微妙ですが、

丼物や弁当系は実はカリフォルニア米(カルローズ米)でも

十分と言えます。

実際に米国の吉野家はそういう感じで違和感なかった。

カレーライスにした場合も、正直カレーの味が主体に成るので、

日本の米の味を感じるとかはほぼ意味不明です。

インドカレーの場合はタイ米でも問題無いですが、

日本風や欧風カレーだとタイ米では違和感が出ますが、

カルローズ米なら全然問題ありません。

 

中華料理で米を炒めるチャーハンなどの場合は、

既に日本米である必要性すら無いと言っておきます。

人生で一番美味しいと思ったチャーハンは、

寧ろタイ米で炒めたチャーハンで、

日本では無く米国に居たときに食べたのが最高と

個人的には感じてます。

中華圏は行く事が無かったので本場の味はまだ知りませんが…

ただチャーハンと言って実は調理法に種類が有って、

中華風に言うと日式チャーハン…

いわば日本のラーメン屋で出てくるチャーハンですが、

その場合はタイ米だと美味しさは半減します。

ただしここでもカルローズ米なら全く問題ないと言うより、

寧ろカルローズ米くらいの糖度が最適です。

 

特殊なのはインディカ米です。

個人的にはメキシコ料理のタコスに入れる

サルサライスを作る場合、

必ずインディカ米を使います。

他の米では味が悪くなるので…

また、日本人には馴染みの薄いバターライス。

いわば米にバターを載せて塩コショウで食べる感じですが、

こういう場合はインディカ米がベストです。

寧ろ日本の米だと甘すぎて気持ち悪く成ります。

ステーキと合わせて食べるガーリックライスも、

実はインディカ米で食べる方が遥かに美味しいです。

個人的には日本米のガーリックライスを食べるなら、

寧ろポテトにする方が良いと感じるくらいです。

 

僕からすると日本人は日本米に拘り過ぎて、

実は米オンチと思ってます。

何でも日本米じゃないと考える風潮があって、

寧ろ日本の米の美味さを逆に知らなさすぎる。

日本米の素晴らしさは、

米=ごはんそのものが美味しいわけで、

料理は寧ろ味気の薄いものと合わせて食べる方が、

米本来の美味しさは理解できると言えます。

 

正直、おかずと混ぜてしまうと、

米の味はどうでも良く成りますが、

それでもまだ米の味を堪能する所は出てきます。

なので定食に関しては日本米は有効です。

しかし、弁当のレベルに落ちると…

さすがに米の味はその時点で落ちるので、

日本米である必要性は有りませんが、

冷めた際の品質面で多少の差は感じるのかもというレベルです。

 

日本米はある程度高くても、

日本の食事には最適化された品種なので、

結局は多くの人が求めてしまうもの。

故に価格は5kg=5000円でも妥当とします。

寧ろ高級米扱いにするべきです。

その分、他の輸入米の価格を下げて、

カルローズ米5kg=2000円~3000円

タイ米=2000円前後、

インディカ米=1500円~2000円にして、

備蓄米は貧困扶養家族帯が2000円以下で仕入れられる

クーポン制にするのが最適と言っておきます。

 

ここでカルローズ米の問題です。

カルローズ米が出回ると

日本米が売れなくなるという意見ですが、

日本米を高級ブランド化するとまた異なります。

コンビニの弁当や巷の定食屋で食べているご飯・・・

おかずが基本メインなので

ご飯を美味しいと感じる事はほぼ有りません。

大量生産用の炊飯器で調理されている事もあって、

現代の家庭用の炊飯器に比べて味は常に落ちます。

多くの人が感じているだろう所ですが、

米を味わう意味で食べる場合、

基本的には最新の炊飯器で自炊する形で食べるのがベストです。

寧ろ大量生産炊飯器で調理した米に拘りを感じる人は、

本当の美味い米を食べたことが無いのだと言っておきます。

実態を知っている側からすれば、

炊飯器に拘ってない店の米は

カルローズ米でも同じと断言します。

店舗が日本米を売りにしても、

結局は炊飯器に拘りが無いのなら、

実は美味しいごはんには成らないと言う事です。

 

そういう意味で普通にお腹を満たす意味での米と、

本当に米の味を堪能したい意味での米とを、

一般人にも理解できるように市場を調整する方が、

日本米の価値を日本人に痛感させるきっかけに成ると言えます。

 

ここは政策として断言しても良い話ですが、

恐らく間抜けな老害政治家や、ビビりの官僚どもは、

まだ統計上で成果の見れない理論に着手する度胸は無く、

無難と言う見識で現状維持にしがみ付くことしか出来ない為、

輸入米の関税調整を怖がることは目に見えて解ります。

 

ただ…小泉進次郎の発想程度以上のアイデアや議論、

そして本当の意味での日本米の価値が

メディアやネット上で一切語られなかった事を考えると、

どの道、学級会レベルの議論しか出来ないだろうと感じてます。

 

正直、個人的にはインディカ米が安く手に入ると

有難いのですが…

日本ではインディカ米はほぼ高級米だったんです。

たしか日本米が5kg=2000円前後の時、

インディカ米を5kg=4000円位でネット通販で仕入れてたんです。

 

それでも拘りの料理はインディカ米が欲しかったのです、

塩コショウベースの肉料理やステーキと合わせて食べる際の、

ガーリックライスには絶対にインディカ米だったのです。

タコスというよりブリトーんんですが、

タコスで有名なタコベルやデルタコというファーストフード店では、

インディカ米のサルサライスで提供されてました。

ハワイに行った際に女の子らに教えたら評判も良かったです。

親戚の叔母さんたち…かなり年配だったんですが、

インディカ米で作ったサルサライスのタコスに

滅茶滅茶嵌った感じで炊飯器に残ったサルサライスを

炊き込みご飯としても食べれると喜んでくれてた。

逆にタコベルは日本にも店が有るけど…

日本のタコベルは本場と全く違い過ぎて

食えたもんじゃ無いです。

 

更に昔ロスのサンタモニカにある

サンタモニカ・モールのフードコートで食べたイラン料理。

物凄く嵌った味だったのでそれを思い起こしての流れですが、

簡単そうに思えるけど

何気に未だあそこまでの味が自分では出せていない。

当時アラブ系の人から食べ方教わって、

米にバターと塩コショウ掛けて食べたけど・・・

同じ米でもカルローズ米と日本米で試したら、

寧ろ気持ち悪い味に成った。

それだけインディカ米で食べたその食べ方と料理が、

すごくマッチングした話なのです。

 

インディカ米を日本の料理と食べると、

全く美味しさは感じません。

醤油ベースの日本の料理にバターライスは合わない訳です。

だからインディカ米は食べれたもんじゃないと決めつけてますが、

日本人は調理法を知らないだけと言っておきます。

 

逆にこうして多国籍な料理を知る機会を得ると、

寧ろ日本の料理にどれだけ日本米が合うのか、

それを理解することにも成るわけです。

寿司、天ぷら、などの和食と言われるもの、

それに家庭では肉じゃがや野菜炒めにしても、

日本の米に合わせた調理法には、

日本の米が一番に成るのは間違いない事で、

結局は最高の組み合わせを求める心理が成立する為、

日本の米が高級米であっても、

誰もがそれを求めます。

寧ろ高級米である事で、

その価格とその有難さをより痛感できるわけです。

それが安いから寧ろ有難味も薄れる訳で、

逆に安さの方に目がくらみ、

代用という形の味にしがみ付くのです。

 

心理的な作用で伝えるなら、

高くても日本の米を食べたときに、

やっぱり日本の米は最高と思わせる方が、

日本の米を求める心理はより強まるわけで、

今まで中途半端に価格を抑えて考えてきたため、

高いからという意味で米離れが加速して

危機感を煽るのです。

 

外国の米を安く提供することで、

日本の米の価値を高め、

農家に適正な価格で販売する形で問題ないと言っておきます。

 

昔はコシヒカリは高級米でした。

今でこそ当たり前の品種になり、

当たり前に口にし過ぎて、

むしろコシヒカリの良さすら解からない人が多く居ます。

故にコシヒカリと同等かでないと、

何となく味に不安を抱える人も多いと言えますが、

先ず…コシヒカリの上手さを引き出せる調理方法で無ければ、

コシヒカリ本来の上手さは提供できません。

ファーストフードや巷の定食店では、

昔コシヒカリと同等扱いのアキタコマチなどを使用して、

ご飯を提供している訳ですが、

コシヒカリなどベストな調理で食べるご飯とでは、

全く別物とハッキリ言っておきます。

あれで米の品種に拘るとかは寧ろ意味不明です。

勿論タイ米では無理が生じますが、

カルローズ米ならほぼ同等の味に成ります。

逆にベストな調理法で炊いた場合は、

カルローズ米ではコシヒカリに太刀打ちできません。

米の弾力が全然異なります。

 

日本の米は本来ここで勝負する所で、

大衆食堂で腹を満たす場で

勝負する所ではないとも言っておきます。

現状の米問題を期に、

そうした米意識改革に取り組んで、

日本の米の価値を先ず再認識するべきと言っておきます。

どうも…ショーエイです。

世界は馬鹿が蔓延るどうしようもない状態に成っている。

トランプが真面に見えるほど、他が酷すぎる。

 

【ウクライナの停戦は現状無理】

先ず、停戦、休戦、終戦の交渉を進める中で、

交渉相手に敵意を剥き出しにして挑んでも、

相手は安心感を得られないですね。

 

トランプはその辺、ロシアを敵視していないから、

ロシアも話を聞ける状態にあるわけだが、

一方の欧州の政治家はロシアに敵意を抱き続けてます。

 

日本人の視点も同じような形で、

ロシアを信用しないと言う見識が大多数な状態です。

 

信用しないという状態は、

常時敵対する意識を示しているのと同じです。

ロシアを信用するのが怖いなら、

このまま戦争状態を続けましょうという話なだけです。

経済制裁をチラつかせたりして交渉している時点で、

戦争継続のまま雌雄を決するまでやり合う方が

まだマジという形になるのは当然です。

 

和平を進めようとしているトランプを

誑かしているのはどちらか?

明らかに欧州側だと断定します。

 

またゼレンスキーでは、

ロシアと真面な交渉は出来ません。

何故ならゼレンスキーが失地を放棄することは、

彼あの求心力を低下させる話で、

こんな条件でロシアと停戦したら、

彼は本当の間抜けな大統領で終わるからです。

ウクライナが自力で失地を奪い返すか、

ロシアがゼレンスキーを捕まえるか、

何れかの結果でしか

決着が着かない状態でもあると言っておきます。

 

人間社会は十人十色で様々な意見が錯綜する。

我々の中でも、極端に「ロシアを潰そう」と考える側と、

ロシアと仲良くやろうと考える側との間で意見が散見します。

それはロシアも同じで、

「欧米を潰そう」と「欧米と仲良くやろう」

の間の意見が存在します。

こうした社会構成で双方が敵視し信用しない状態では、

自然と双方で相手に不信感を抱く意見が

説得力を帯びて行きます。

相互に不信作用が働く状態で相手を見ると、

当然の様に不信感抱く形が的を得て見える状態に成ります。

当たり前な状態で相手もこちらに不信感を抱いているので、

最終的に双方が戦う準備をする方が良く成ってきます。

 

最初に馬鹿だと揶揄したのは、

結局の根本的な部分がこういう社会作用に有るからです。

そして誰もこの問題に気付いてすらいない。

そしてこの無知で馬鹿な意見では、

戦争に成って「言った通り」と予想が的中した事を

強調する流れで終始する事です。

先ず、馬鹿が馬鹿な流れで考えて馬鹿な結末に陥る事は、

予測の以前に必然で考えられるレベルで、

結局はそれを回避できなかった馬鹿な失態でしか無いのです。

 

まあ、相手も馬鹿だからそういう結末が起ると主張するでしょうが、

それを言うのはもっと馬鹿です。

馬鹿だから相手も馬鹿で終わらせている話なだけで、

本当に馬鹿で無いなら適切に情報を精査して、

相手を上手く交渉のテーブルに着かせる事は出来るはずです。

いわばいくら馬鹿でも一定レベルの知識人なら、

馬鹿な結末は避けたいと考える訳で、

お互いに大馬鹿に成らないレベルで調整しようとします。

 

また、一方が馬鹿だと、

もう一方も社会作用による警戒心に合わせざるを得なく成り、

結局は馬鹿に合わせて馬鹿な方向に舵を取らざるを得なくなる。

そして双方が不信を抱く状態から、、

お互いに馬鹿にしあう形に陥り、

話が噛み合わなくなる。

それに合わせて社会全体も同じ形で同調する為、

このお馬鹿スパイラルから抜け出せなくなる。

現状がこの状態と言っておきます。

 

この状態を克服するには、

誰かが賢く調整して

お馬鹿スパイラルの緩和を図らなければ成らないが、

お馬鹿スパイラルに気づかない馬鹿相手だろ、

そうした調整すら無駄に成る。

 

さて…ロシアがそのお馬鹿なのか、

それとも欧州やウクライナがお馬鹿なのか、

現状敵視する側にその責任を押し付ける為、

結局は馬鹿な見識でしか考えられなくなるのです。

その為、最終的には戦争に負けた方が馬鹿という事に陥り、

馬鹿馬鹿しいほど馬鹿な結末に走っていくだけなのです。

 

賢いと考えるなら、

先ずはこの馬鹿な結末引き起こす要因を知り、

馬鹿な結末を避ける為、

双方が抱く不信感の緩和を少しづつ調整して行くはずなのです。

ある意味馬鹿であれば馬鹿なほど、

不信感を理由に相手にも不信感を増幅させる決断で、

より事態を馬鹿な方向へ向かわせてしまうのです。

 

さて…ロシアがその馬鹿だからと、

そういう事を言う人も多いと思います。

馬鹿に何を説いても無駄な訳で、

馬に念仏なので、

じゃあ、戦争継続という話に成らなくなるだけです。

 

その上で戦争の拡大は求めてないとか、

戦争を終結させるべきと言っている時点で、

相当重症な馬鹿だというしか有りません。

いわば彼らの程度では、

事態を悪化させるだけの事しか考えないからです。

 

欧米や日本も含めて、

学歴ある優秀であるはずの人間が、

社会の中枢を仕切っている訳ですが、

彼らの頭脳はAIと一緒で、

知識に無い事は理解すら出来ない様です。

 

このお馬鹿スパイラルの話も、

学術的には教わらない話なので、

自らの過ちにすら気付かないでしょう。

AI同様に過ちを経験して学習させるしか無いのなら、

人類は、第3次大戦、

そして第4次大戦を

経験するしか無いのかなという話に成ります。

 

誰もが馬鹿にするトランプでは

この調整は難しいかも知れませんが、

それでも何とか調整しようとしているトランプの方が、

ゼレンスキーやフォンデアライエンよりも

遥かにマシという感じに見えます。