ショーエイのアタックまんがーワン

ショーエイのアタックまんがーワン

タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

どうも…ショーエイです。

まず最初に、

力を持った時の信長たまは滅茶苦茶強いです。

ミッチーの様に謀叛でも起こして、

寝首を掻かない限り倒せません。

では、こうした相手とどう交渉すれば良いのか…

 

大抵の人は相手を弱体化させることで、

少しでも有利な交渉をという考えに陥ります。

ところが信長たまの様な人物だと、

弱体化させようと試みるだけで察してきます。

 

【一般的にクレイジーに該当する人物】

日本人には馴染み深い、織田信長という人物ですが、

本質的にはクレイジーの部類です。

これはアレクサンダー大王もチンギス・ハーンも、

この部類に入ります。

下手したら諸葛孔明もクレイジーの部類です。

クレイジーな部類の人は、

一般的に負けず嫌いとも言いますが、

普通の人の負けず嫌いと違い、

人に屈する事が嫌いというのがその違いです。

これは勝負事の話では無く、

寧ろ理であり利の無い話には屈しないという点で、

普通の人には理解しにくいポイントにも成ります。

逆に勝負事に関しては理を追求するゆえに、

誠実に考えます。

この誠実に考えると言う話だけでも、

一般の人には理解できない部分でもあると思います。

クレイジーな部類が誠実に勝負を挑むという事は、

実はどんんあ相手も一応のリスペクトを以て挑む姿勢で、

決して馬鹿にして挑まないという事です。

その上であまりにも不甲斐ない相手だった場合、

逆にその無謀な挑戦に激怒することもあり、

反対に自分を苦戦させる相手には敬意を持ちます。

その分、クレイジーな人は引き際も早く判断できるわけです。

 

クレイジーな人は理を追求する為、

負けた勝負に対してもなぜ負けたのか冷静に分析し、

むしろそれを素直に受け止めます。

なので大局に於いては絶大な強さを示すのです。

 

更にクレイジーな人は

自分の死に対して冷静に受け止めます。

いわばいつ死んでも可笑しくはないという考え方です。

死が怖いというのは当然ですが、

死の瞬間が迫った時は避けられない事も知り、

それは相手に屈する位なら死を選ぶという事にも繋がります。

 

その反面、人の死に関しても冷酷です。

ある意味敵の死に関してはという感じですが…

 

【クレイジーな人はチョロいです…しかしそう感じた瞬間が・・・】

実はクレイジーな人は意外とチョロいです。

ところがこれはマフィア映画などにもよく見る光景ですが、

チョロいと思った瞬間、その人は敵に成ります。

クレイジーな人が敵と見なした相手には容赦はしません。

いわば…チョロく騙せても騙した後は地獄行きです。

むしろそれだけ報復できる力が有るから、

最初に信用して遊ばせてみるわけです。

 

【現代ビジネスの交渉術は相手の弱みに付け込む方法】

相手の弱みに付け込んで、交渉を有利に進める。

これは交渉術の一つとしては有りですが、

実はこれには条件があって、

自分が力量的に有利な場合にのみ通用する話です。

その為にビジネスでは

いわばパトロンいった存在を後ろ盾にしたり、

国同士の外交では同盟国を募るなどの形で形成します。

 

これをクレイジーな相手に対して行うと、

冒頭で述べた様に、

弱体化を狙う行為を察する為、

逆鱗に触れて一触即発の問題が生じるわけです。

 

さて…ここまで話すとどの問題に該当するかは

読み手の方がたも察するところでしょう。

そうですロシアとウクライナの話です。

 

【理と利の話】

日本人側であり、西側の視点で思考すると、

西側の支配が浸透する方が

世の中が安定するという考えに成ります。

確かに我々の民主社会はかなりの自由が保証されてます。

なのでロシアであり中国の影響力の低下を

望ましく考えます。

 

ところが・・・西側の政治家の質は最悪です。

理が通らないダブルスタンダードを平気で正当化します。

そんなダブルスタンダードを

力のごり押しで正当化する話では、

西側の正義や正当性は理不尽なものでしかないわけです。

 

いわば西側以外の思考では、

理不尽な正義や正当性を強要する為に、

反対派を抑圧する行為でしかないため、

これに徹底的に抗う思考が成立する訳です。

 

世界規模の政治として考えるなら、

現状西側の主張は与党です。

ロシア、中国などの新興国とする方は野党とします。

西側が民主的な主張を正当化して考えるなら、

与野党の意見の対立も民主的に受け入れるべきです。

ただし世界規模の政治、

いわば国連はまだ選挙制を用いていないため、

票決という決着は難しいです。

と、いうか…イスラエルのガザ侵攻問題が発生して、

この部分もダブルスタンダード化してしまいましたよね。

 

ウクライナ問題であれだけ民主的な形で

ロシア批判を展開しておきながら、

イスラエル問題に成るとアメリカは拒否権を行使して、

民主的な評決を反故にする。

こんな程度の低い話で、

国際社会に西側の理が通じるとは成らない訳です。

 

こうした理不尽な作用で与野党の攻防に決着をつけるには、

結局は戦争と言う選択肢しか無くなるわけです。

その上でNATOなどの軍事同盟の強化・・・

更に戦争をチラつかせているだけの行為に成ります。

 

【クレイジーは核兵器の使用も平気】

クレイジーな部類の人は、

通常の人間と思考が違います。

通常の人は道徳だとか人間性だとかを気にするが、

クレイジーな人は

社会に何を植え付けて死ぬかが大事なのです。

キレイごとだけで理を理解しない世界なら、

破滅の危機を植え付けて思考の改善を促すことも、

社会の軌道修正に必要と考える。

 

まず…平和という概念で理を考えるなら、

何故NATOの様な軍事同盟が今だに必要なのか?

またそんなものを拡大してどこを敵視するのか?

敵視する以上、それは戦争を挑発している話で、

全く平和ではない。

西側諸国が自分たちの安全を確保するだけで、

敵視する側に対しては脅威を植え付ける。

その脅威は逆らえば滅ぼすというメッセージな訳です。

 

これを通常の人は

「そんなつもりはない」

と言葉で否定します。

否定したところで、

国連内でも外交上でも、制裁など用いてて敵視側を脅かして

要求を理不尽に正当化して強要している訳です。

この時点で理の話として平和的とは言いません。

 

クレイジーな人からすれば、

こんな理が成立しない程度の世界なら、

核兵器で破壊する方が良いと考えます。

 

いわば馬鹿な屁理屈と理不尽な力で

支配が及ぶ世界にしたから

世界は一度壊滅の危機に瀕したという歴史を作った方が、

人類はもっと反省して

平和を再認識するだろうという発想に成ります。

逆にこのまま馬鹿な屁理屈と

理不尽な力で推し進めれば、

強者と弱者の格差が広がり、

テロと反乱が横行する世界しか望めないとなります。

 

通常の人は核兵器を用いるなんて

非人道的と主張するだけですが、

結局はどれだけ非難を展開しても、

広島や長崎の被爆地が訴えても、

使うと決めたら全く関係ないのも事実です。

 

反対に核兵器を使わせないようにするには、

道徳的な話より、

クレイジーな人が世界に絶望しないように、

本当の平和とは何であるかを訴えるべきなのです。

いわば、核兵器の使用を批難するより、

広島や長崎でNATOなどの軍事同盟拡大を批難する方が、

実は核使用の抑止力の効果として

成立するという話なのです。

 

ローマ法王がウクライナに

「白旗を掲げる勇気」の話をしました。

通常の人は戦争の勝敗に捉われて、

もっと大事な事を見失っているから

その真意が理解できないでしょう。

 

戦争第三者として何を大事に考えるべきか?

 

ウクライナの人々の命で考えるなら、

国としてのプライドか、

それとも人命かという話です。

領土を失った事は国としての損失です。

しかしその損失を補填する為、

戦争を続けて人命を失う状態を継続させる方が、

そこに住む人々にとって良いのか・・・

そういう問いかけです。

勿論、ウクライナの人々にとっても

勇気が必要な選択ということです。

ロシアを許せないという人も居るわけですから・・・

 

【結局はWINWINな関係が一番の交渉術】

理と利を説くという事は、

最終的にはWINWINな関係で纏まるという事です。

これは仏教の哲学ですが、

「欲を捨てる」

という事がポイントで、

「無欲」に成るというのは間違いです。

無駄な欲を捨てて、最低限の利を喜ぶ。

こういう言い方が哲学上適切かもしれません。

 

実はクレイジーな部類の人は、

理と利が合致するポイントを交渉前に定めているため、

それ以上に理と利が合致する話以外は、

妥協は決してないと言っておきます。

なので弱点を突いて譲歩を引き出す交渉術は、

寧ろ逆鱗に触れることに成ります。

 

勿論、通常の人に

クレイジーな人かどうかを見極めるのは難しいですが、

理と利を理解せず、自分の利益だけを求める人は、

ハッキリ言ってクレイジーではなく、

単なる強欲な人間でしかないです。

まあ、クレイジーでない人間なら

命の危険に敏感なので、

クレイジーな人ほど無茶は出来ないと言えますが、

クレイジーな人だった場合は、

平気で無茶な決断もするゆえに、

理を語れずになめて掛るととんでもない行動に出ます。

 

ロシアが核兵器を用いるか否か…

西側がNATOがロシアを敵視している軍事同盟でないと

方便を使うのと一緒で、

使うつもりはないは方便という形で考えておくのも大事です。

現状、「核兵器を使うつもりはない」=

「現状まだ世界に失望する状況にない」

という話で…

どういう流れであってもロシアが「世界に失望した」と成れば、

核兵器が容赦なく使われることは

覚悟して考えた方がいいということです。

 

うつけの兵法の新作は現在書いている最中です。

近々アップします。

 

因みに今回書いた「理」とはどういう事か?

と、いう話ですが・・・

通常の人は人の見解と意見は其々と考えがちです。

実はそれは「理」ではないのです。

「理」とは腑に落ちるポイントなので、

もっと深い議論の所に存在するものです。

科学的には仮説の段階は意見で、

定説となって「理に適う」話に成るわけです。

 

平和の理を語るに、多くの人は自身の安全を語ります。

最終的に平和になれば安全は担保されますが、

安全だけを考えても平和に成りません。

平和とは社会全体の信頼です。

日本でも絶対の平和は難しいですが、

基本的に自分を害する人が居なければ平和なのです。

自分を害する=窃盗や殺人を例に、

そういう存在が有る中で安全を考えると、

セキュリティーの話に成ります。

逆にそこから平和を考えて、

窃盗や殺人に関わる人を排除と考えるのか、

それとも社会生活の質の向上で、

窃盗や殺人に走る環境を改善させるのか、

こうした議論に成るわけです。

これが国内の秩序として考えれば、

暴対法などで法的な解決策もありますが、

国同士の場合、現状では戦争に発展する訳です。

ならば自ずと社会生活の向上こそ望ましいと成るわけで、

世界全体の経済底上げという手段が功を奏しました。

 

イスラエルとガザの問題も、

ガザというよりパレスティナの人々の暮らしが

全く向上しない状態にしていたから、

ハマスに加担する人も多く出るわけで、

彼らの主張の正当性も

パレスティナの人々が感じるところと合致する訳です。

逆にイスラエル政府がパレスティナの人々を迫害せず、

寧ろ彼らの生活向上に力を注ぐ形で支援していたなら、

ハマスに加担する人は減らせるという話でもあります。

 

単純な話、家族と平穏無事に生活できる状態なら、

あえて危険な戦闘状態を望む心理も緩和されてくる訳で、

寧ろ過激な思想でハマスがその生活を脅かせば、

パレスティナの人々は逆にその主張を正当化しなくなります。

 

イスラエル政府が主張する様に

ハマスを危険視するのなら、

先ずはパレスティナの人々を味方に付ける事を考えるべきで、

ヨルダン川西岸への入植行為など止めて、

更にはガザ地区の閉鎖なども緩和し、

彼らの生活を支援する形にするべきなのです。

 

結局はこれと逆行する形で、

パレスティナの人々を迫害し、

追い出す政策をするがゆえに、

パレスティナ人は

イスラエル政府を許せない感情に支配されるわけで、

今回のガザ、ラファ侵攻で

それがより強まっただけの話に成るわけです。

仮にハマスの支配がその地区から縮小したとしても、

イスラエルへの怨恨が強まった以上、

ハマス以外にも

更に反イスラエル組織が構成される流れで、

イスラエルはよりテロに脅かされる、

またはアンダーグラウンド化して

発見しにくい状態に成るだけでもあるわけです。

 

もっとイスラエルの人々はパレスティナの人々と、

WINWINな関係を築く政治に転換するべきという話です。

どうも…ショーエイです。

ゲームが好きだけどゲームが何だか面白くない…

そう感じる人も多く居ると思いまう。

基本的にはゲームの消耗期間は3か月です。

それ以上長く遊ぶのには

マンネリ化した作業を延々とこなして、

自己満足の高みを目指すだけの話なるのです。

 

ゲームを制作する側もそこをターゲットに商品化して行きます。

 

他人よりも優位性のある状況を目指すという、

いわば競争心を煽ってゲームに執着させる訳ですが、

 

そろそろ気付いた方が良いです・・・

こういうゲームの構成に皆飽きてきたという事に。

これは漫画の世界に共通している点で言えます。

漫画も且つては修行編の様なもので、

読者を引っ張る感じで構成してました。

とにかく修業期間が長い。

いつまでも次の展開へ進まずに、

それを期待して待つ人を

無駄に引っ張るだけだったわけです。

 

勿論、ゲームが新しい展開を挿入するには、

漫画以上に時間が掛かります。

最低でも1年位。

しかし、その間にプレイヤーを維持するのに、

マンネリした遊びで延々と繋ぎ止める発想は既に古く、

実は次のコンテンツを待つより、

他のゲームを遊ぶ感じに成るのです。

 

これだけ多くのゲームが存在し

似たようなものばかりが横行すると、

ただ単にそれらが分散するだけの話にしかならず、

結果として1製品の収益も平均的に減るだけなのです。

 

【ゲームでは命が軽すぎる部分を是正して見るべき】

ここではMMORPGを中心に話を進めます。

基本的にゲーム内では命が軽すぎる。

死んでも復活出来るからなのですが…

ところが昔のアクションゲームの様に

ゲームとして死んだらそこで終わりだと、

ゲーム内で積み重ねて育てる楽しみは無く成ります。

まあ、普通はこの相反する作用がネックとなって、

思考が停止してしまう所なのですが・・・

 

先ずその前に、RPGを楽しめている部分を考えてみます。

RPGはレベリングがサクサクと進む、

いわば簡単にレベルが上がっていく状態の時は、

一番楽し部分です。

それは成果が直ぐに反映されるからです。

更には武器や装備が手に入るところも楽しい部分です。

しかし、高レベルになると、

低レベルで手にした物は用済みに成って行きます。

それでもそれらが何らかの収入源として活用できるなら、

敵を倒して手に入る物はそれなりに価値を与えます。

 

ある意味、解り切った部分で

色々なゲーム制作者がこの辺を

試行錯誤して取り入れている訳ですが、

結局は高レベルに達すると、

レベル上げに長いマンネリした時間が必要と成り、

欲しい武器も素材を手に入れるだけで

レア度が上がって中々手に入らなく成ります。

それでも頑張って遊ぶ人も多いわけですが・・・

 

実は殆どの人が気付いていない心理的な部分ですが、

時間を費やして頑張れば何とかなる遊びでしかない訳です。

頑張ったという達成感を求める人も居ますが、

むしろそこまで遊ぶ人は

全体の1割しかいない事も製作者は気づくべきです。

 

Steamなどで、発売当初は10万人居たとしても、

結局1年後には1万人以下のプレイヤー数に減ってしまう。

これで良い方な訳ですが、

この数値を見てもコアに遊ぶ割合が

1割という話は理解できると思います。

 

〈難易度は命の重さが生じて、より緊張感を増す!!〉

頑張れば手に入るという世界は、

時間を掛けて運だめしをしているだけなのです。

また時間を掛ければレベルが上がる。

それこそマンネリ作業をただこなして達成しているだけなのです。

1割の自己満足で頑張る達成感を求める人は別として、

ゲームとしての楽しみが感じられないのは当然と言えます。

 

では、ゲームとして楽しめる形とは…

 

欲しい素材が有る場所に入るには、

強敵を倒さなければ成らないという条件を用意します。

多くのゲームではそういう形を取りこんでいますが、

命が軽いゆえにそこを突破するのが簡単なのです。

また、命が軽いゆえに、

一部の装備を揃えたプレイヤーだと、

それらの条件も簡単に成ってしまします。

 

命を重くするとは…蘇生できない状態な訳です。

勿論、そんな状態は無理ゲーと思いがちですが、

実は構成次第ではゲームとして成立させる事が出来るのです。

 

死んだらレベル1からやり直しという意味ですが、

ゲームとしてプレイヤーにドラマを持たせる構成にするなら、

子孫を作って攻略する形で考えます。

最初のプレイヤーキャラクターが、

弟子でも子供でも構わないが、

後継者を作るシステムにして、

最初のプレイヤーキャラクターが死んだら、

後継者にバトンタッチする仕組みです。

勿論、ここを固定せずに家族または組織として、

キャラクターをいくつか予め用意する形も有りです。

 

とにかくミッションなどで死んだら

そのキャラは死ぬ形で進めます。

 

そこでRPGの要素としてプレイヤーが何を育てていくのか…

それが遺産という意味で、

今まで獲得した装備品は継承されるという仕組みです。

高位装備を手にすればレベリングは楽に成ります。

設定上はLv50まではサクサク上がる感じで、

その時間が高位装備を手にすればより早くなるという形です。

逆にLv50からは命の重さが生じる分、

慎重にレベリングして行く形に成ります。

 

命の軽い状態で相手にする難敵も、

命が重い状態で相手にすると

より難易度が向上するのは当然です。

なぜなら精神的に緊張感が増すわけですし、

死んだらそこで攻略が終わる分、

無茶な攻略も通用しなく成るわけです。

 

これは集団戦で戦う場合も同じで、

味方を蘇生すれば戦力が回復するという事にも成らないのです。

その分、ある程度の犠牲も視野に攻略する形にもなるが、

犠牲を伴ういい加減な戦い方を指揮する人は、

多分他のプレイヤーから嫌われるリアリティも生じます。

いわば自分だけが生き残って

美味しい所を取ろうと考える人間性も、

そういう所でモロに出てくる状態でなるのです。

 

まるでアニメや漫画のようなドラマがゲームに出てくるわけで、

死に対する細やかなエピソードが

プレイヤー其々の中で生じる形にも成ります。

 

〈上手いメンバーを揃えて組むケースに対して〉

ゲーム攻略でよくあるケースとして、

上手いメンバーを揃えて攻略する形です。

その場合、下手なプレイヤーは粗末に扱われてしまいます。

ただし、これはハッキリと言っておきます。

パターン化された状態で、

ギミックといういわば敵の攻撃の特性を理解して攻略できる、

現代主流の場合では通用する話だという事です。

 

何回も攻撃を加えて体力を削っていく形がゲームの主流でもあり、

これがギミックというものを付随させて

攻略パターンを複雑にすることで

難易度を上げているだけなのです。

ただし!!現実的な戦闘とはまた異なります。

たしかにスポーツでも

ボクシングは相手に何発もパンチを当てて、

体力を削っていく感じの戦略が多いのも事実です。

しかし、真剣勝負で真剣で戦う場合、

一撃でほぼ致命傷に成ります。

そういう意味でアクション部分も進化して考えて行く方が、

より違った戦いを演出できるのです。

いわば体力を削るのではなく、防御の隙を上手くつく。

ダメージが体力を減らす意味はリアリティがないので、

体力はあくまでスタミナ。

スタミナを消費すれば攻撃速度も徐々に鈍る。

それはプレイヤーも同じで、

そのスタミナは一定時間休むことでしか回復しない。

いわば、30分から1時間継続で

戦闘できるスタミナを持っているが、

15分分のスタミナを回復するのに、

食事など併用して5分でフルに回復できる様な形にする。

条件は敵のMOB(モンスター)もほぼ同じ。

命の重さが有る分、強力なMOB一匹を相手するのに、

交代制で戦う手法も一つの作戦と成るわけです。

逆の場合、多数のMOB相手だと

逆に休む暇が無くなるケースも設けられます。

ここで体力的な速度低下で生じる隙が敵への致命傷となる。

 

また、強力な攻撃に対して、

防御はノックバックなどの隙が生じたり、

逆にそれを避ける事で相手の隙を付けるなどの効果を設ける。

これは最近のアクションで見られる部分ですが、

決してスキルでノックバックしないなどの効果を設けないのも

新しい形として大事なのです。

 

スキルとして許されるのは強攻撃をはじき返す形で、

いわばカウンターブロックの様なもの、

しかし、そのスキルを通常攻撃に使うと

前のめりによろけてしまうリスクを盛り込む必要が有ります。

それによって敵のMOBのフェイントに引っ掛ると、

前のめりによろけた事で、

次の攻撃が致命傷のダメージを被るようになります。

ある意味、一撃で死ぬまでだとちょっと難しすぎるので、

もう一撃食える余裕はゲーム性としてありですが、

それ以上は逆に必要ない状態の構成が望ましいと言えます。

 

そして通常攻撃の構成は、

通常攻撃の直後、

相手が通常攻撃を出せる隙が生じるパターンで構成し、

お互いが防御、または回避を順番に発動させて戦う形を設けます。

ある意味攻撃は当たらない状態に成りますが、

そこで強攻撃をどう盛り込んで相手の防御を崩していくのかの

駆け引きを設けて行くわけです。

強攻撃に対しては

カウンター防御というのが有効的と述べましたが、

強攻撃もモーションでフェイントが掛けられるようにします。

いわば強攻撃のモーション中に防御や回避をすると、

強攻撃をせずに相手がカウンター防御で前のめりになるという

作用を引き起こします。

このカウンター防御はこのタイミングで押したらダメという形で、

そのスキルはキャンセルできないものとします。

 

さらに防御は正面のみ有効で、

相手が回避で自分の横に回った際は、

防御した体制のままでは防御出来ないものとします。

また防御したまま向きを変えられないものとします。

リアリティとしては向きを変えれますが、

防御したまま横を向いても、

逆に横に回った相手が自分の後ろから回して来る攻撃、

いわばボクシングで自分の右に回った相手が、

左手で背中向けに発するボディブローを防御しようとしても、

そのボディーブローは

寧ろもろに右脇腹を直撃する状態になるのと同じで、

実は防ぎきれないリアリティがあるからです。

 

なのでこういう場合は防御から回避の動きで

相手の攻撃をかわす動作が求められる駆け引きを生じさせます。

 

プレイヤー同士の戦闘いわばPvPと成りますが、

上手い人同士に成ると、

お互いに中々攻撃が当たらない状態が続きます。

因みにこの仕様だと、

ゲーマーより、プロのスポーツ選手が

強くなる感じになるかも知れません。

 

更には防御より回避の方がスタミナを消耗さる量が多い。

強攻撃に対しては強攻撃を繰り出すより、

それを防御する方がスタミナの消費が多いという形で構成します。

 

ただ単調なアクションではゲームとして面白くないので、

通常攻撃のスキルとして連続技を設けて、

2連撃、3連撃といった隙を生じさせないで

発動できるものは用意します。

勿論、1撃目と2撃目の間で

スキルをキャンセルするフェイントも有効にして

相手が正面を防御した体制のまま

フェイントをかける形で横に回れる事を可能にします。

逆に強攻撃では武器をぶん回すなどの動きも設けて、

回避動作に対して足払いや直撃を与えるスキルを盛り込みます。

勿論、回避の際に瞬発的に防御反応出来ることも大事ですが、

バランスを崩しやすい回避運動で防御した場合は

強攻撃の強い衝撃に対してよれてしまうのが現実的です。

ただし、よれた場合でも衝撃波の方向を受け流す、

いわばよれた方向に防御直後に回避する事だけは可能とし、

ある意味物理法則に基づいて操作を瞬発的に繰り出せば、

致命傷は防げる形にします。

 

恐らくこれらは現状でも

UnrealEngine5で構成すれば出来るレベルです。

現状近接アクションの説明ですが、

このアクションで上手い人同士のプレイに成ると、

かなり見ごたえのある状態に成ります。

 

最終的には防御と回避が繰り返される中で、

スタミナ勝負と言う形に成ります。

いわばよりスタミナを温存した方が終盤有利という戦闘で、

スタミナ消費で攻撃速度も徐々に鈍るわけです。

そしてスタミナが全て切れた時点で

動作はほぼ動かなくなる状態で、

そこでスタミナを少しでも残していた方が止めを刺せます。

逆に両者スタミナ切れで倒れるというのもドラマチックです。

 

問題は近接vs遠距離です。

まずはバランスとして遠距離では

何発も当てないと致命傷には成らないという形で調整します。

近接は2撃でも当てれば致命傷に出来る状態で、

遠距離だとその10倍の20回の攻撃が必要となる。

あくまでそれは装備の品質と耐性で調整するものとします。

勿論、そんな状態で近接型に迫られたら、

遠距離のプレイヤーはたまりません。

その分、近接距離に成った場合は、

遠距離の威力は1,2撃で仕留められる威力にします。

いわば相手との距離で威力が変化する形です。

遠距離は距離を取って有利になる分、

防御不能の装備になるのも有りですが、

装備は重装、中装、軽装と分ける仕様にするなら、

軽装以外は遠距離命中率が

極めて下がるようにする感じで調整します。

 

また魔法などの攻撃が当たると

それだけスタミナが消費される形も有りだと言えます。

 

さてこれらはPvPでの話ですが、

これはPvEでもほぼ同じ形で調整する訳です。

最近のゲームではPvEでも1対1なら勝てるが、

集団を相手にすると勝てない形が多く見受けられます。

いわば集団が待ち構える場所を攻略するのに、

極力1対1に成るように上手く侵入して攻略していく形です。

なのでその流れで十分と言えます。

ただしボスキャラの場合、理不尽なほどギミックを使用して、

ある意味ソロでの攻略は困難な状態にしている場合も多いです。

 

〈負けて得るものが多い遊び〉

現状、勝って得るものを求めるゲームが主流です。

それらは戦利品という意味での攻略報酬な訳です。

攻略した際の戦利品は大事ですが、

結局はその戦利品がある程度手に入る事が前提で、

プレイヤーが攻略できる形を構成する訳です。

寧ろ倒せない事は許されない。

勿論、倒せないは無理ゲーに成るので問題ですが、

現状倒すまでの過程が挑戦し続けるだけに成っているのです。

 

倒すまでの何度も挑戦する仮定で、

徐々に何かが得られる形は、

ここで言葉で伝えても誰も想像だにできないことでしょう。

 

実はMOBが使うスキルはプレイヤーも使える。

現状はこれを勝った後の戦利品として得られる形の

ゲームは有りますが、

攻略出来なかったとしても得られる過程はないです。

 

MOBが強すぎて攻略出来なかったとしても、

相手が繰り出した技を習得できれば、

それなりに攻略するまでの過程が楽しめるのです。

いわば自分の知らないスキルを相手が繰り出してくれれば、

習得できるという条件で進めるわけです。

その習得できるのに何度かスキルを食らったらとするか、

一度見れたら習得できるとするかは

調整次第と言っても良いですが、

命の重さを活用して、死んだらダメという形だと、

スキルを見た時点で生きて持ち帰らないと取得できないとすれば、

攻略に対してかなり慎重な挑戦に成ってきます。

先ず最初に

そのスキルが発動されるまで敵を追いやらねば成らないのと、

そのスキルが発動されてそれで死んでは意味がない。

またそのスキルを見たあと、

とりあえず生きて逃げなければ成らない訳です。

スキルの取得=攻略の糸口とする上では、

スキルを取得することでその攻撃に対する耐性が付く話で、

その耐性が無いと防御しても

スタミナがフル状態の半分以上削られるとか、

当たれば一撃で即死するとかいった条件にします。

攻略出来る条件は見えていても、

死ねばレベルは初期状態に戻るわけで、

Lv50までは直ぐ上がるとしても、

攻略するのにLv55でないと厳しいと言った条件だと、

色々と慎重に成るわけです。

 

ここで大事なのは攻略できる目途が有るか無いかです。

現状ではこの攻略できる目途がギミックなどの

攻略方法しかないわけで、

なのである程度の装備を揃えて、

攻略パターンを研究すれば、

攻略できなければ成らなくなるのです。

 

ところがスキルの取得だとか、色々な条件が必要だと、

それを揃えるまでの過程が楽しめるわけです。

 

ある意味、初期のドラクエでロトの剣など揃えないと、

竜王を倒せないとした形に似ている訳で、

それを揃えれば戦えるとなれば

それを揃える過程も攻略に成ります。

ただし、これがクエストの様な形にすると、

逆に面倒くさい過程にしか成らなくなることを

忘れてはいけないのです。

何が違うのか?

クエストではゲームで用意されたパターンを、

誰もと同じ様にこなすだけに成るわけです。

条件を自分で揃えるのは、

その過程までの順序であり、

道筋は自分のストーリーですすめられるわけです。

中二病の話を全壊した訳ですが、

結局はゲームをやる以上、自分の世界観が大事なのです。

 

クエストでは用意されたNPCに指示に沿って、

話の流れに進んでいけば条件は揃うという形ですが、

ボスに挑んでスキルを取得する過程では、

自分の意思でそのボスと戦い、

ボスがスキルを発動してくれるまでを先ず攻略、

そして発動した後、その情報をどう持ち帰るか…

自分で糸口をつかむ楽しみが存在する訳です。

これが攻略情報に従った場合としても、

クエストでは何も考えずに

ただ情報に従って処理するだけで、

いわばゲームの物語をアニメや漫画の様に

見るだけに成るなのに対して、

もう一方では情報通りに体現しても、

自分なりにその情報を元に

そのやり方を考える余地が残されているという違いです。

 

好みは其々ですが、

ゲームをやる以上、自分の思考が反映される方が、

充実するのではと思うのです。

 

【命の重さは死んだらすべてが無くなる仕様ではない】

改めて言えば、ゲームで死んだらそのキャラは死ぬから、

全て最初からと言う訳では無いのです。

祖父や親が残した遺産を相続するように、

ゲーム進行上で残した痕跡は、

次の自分のキャラクターに遺産として引き継がれる。

高位の装備を揃えたり、商売で金を残したりと、

次の世代に引き継がせる要素を盛り込む

MMORPGという事です。

その反面、キャラクターが死ねばレベルは初期化。

ただし覚えたスキルは秘伝書として継承されていく形で、

レベル向上によって

秘伝書のスキルが解放される仕様になる訳です。

なので折角ある程度まで上げたキャラクターを

無駄死にさせるのは勿体ないという部分も残します。

ただ、どれだけ高レベルに達しても、

死ねば無意味な訳で、

楽な狩場でコツコツレベル上げしても、

高難度の敵を倒せなかったらそれも無駄に成るわけです。

 

こうすると構造上、

何時間も費やした人が有利というゲームにも成りません。

勿論、人より頑張ってゲームをやり続けた人は、

資産やそれなりに装備品は良いものが揃うという事ですが、

高難度の敵を倒せないと結局は上位の物に手が届かない。

勿論上位の装備を誰かかから買う事も有りですが、

それを揃えても攻略できるとは限らない訳です。

 

かなりリアルな世界が醸し出されるゲームに成って、

資産を持っててもボンボンのまま生き続けるか、

何度も死を体現して、頂きに挑戦し続けるか、

その人の個性がもろに出るわけです。

PvPというプレイヤー同士の戦いにしても、

命欲しさに逃げ出す者も出る流れが強まるとも言え、

高レベルに達して無謀な暴れ方をするプレイヤーも、

そうとうな勇気を必要とする場面と成るわけです。

 

また命の重さが有る故に、

防御と回避中心で中々攻撃を当てられないのが良いわけで、

その反面、一瞬の油断で致命傷になると言う

駆け引きゆえの緊張感が生み出されるのです。

 

多分、こんなゲーム出たら

世界的に大ヒットすると思うのですが…

さてさて出てくるのだろうか…

 

ちなみに最近ゲームではフィードバックと称して、

プレイヤーからの意見を聞く傾向に有りますが…

フィードバックする姿勢は大事です。

でも、ゲームをやる人たちの意見の殆どが、

実際に何が問題なのかを実はよく解っていないのも事実です。

 

どういう事かというと…

「貴方は今の人生に何が不満ですか?」

と、聞くのと同じだからです。

これが政治的な話に成ると分かりやすく、

社会の不満をフィードバック

なんて話に成ると、色々な不満や意見が出てきます。

 

誰もがあれが欲しい、これが欲しい、

もっとお金が欲しいなんて言います。

まあ、お金が有れば何でもできるのですが…

結局はそれで満足することは有りません。

 

では、家族と充実した暮らしをしている人は?

寧ろあまり不満らしい不満を言わなかったりもします。

 

戦争のない世界を…というフィードバックで

NATOみたいな軍事同盟の強化を

みたいな意見もあって、

そういう方向で調整したら、

結局はウクライナでの戦争が始まったわけです。

ロシアの様な国を排除するべき…

こんな意見も出てくる訳です。

でも…それで平和な社会が出来るのかな?

 

フィードバックはあくまで大雑把な感想を聞く場です。

実際に欲を語りだしたらキリがないわけで、

また自分が満足しない根本的な理由を

全く深く考えないで浅い所で言っているのです。

 

平和を望むと言いながら、

NATOなどの軍事同盟強化を求める話も、

それは平和では無く、自分の安全を求めているだけなのです。

自分を守ってくれる側が強くあって欲しいと願う話で、

結局は反対側の勢力を抑圧すれば安全と言う発想なのです。

現実的に反対側に立つ方も同じ考えに成るわけで、

最終的にはお互いが

武器をチラつかせて睨み合っている状態を

構築しているだけなのです。

逆に安全かつ平和なのは、

そんな緊張感無く、

双方が友好的に交易している状態なのですが…

 

ゲームのフィードバックにしても、

バグが多いとか、コンテンツが薄いとか言う。

そういう議論の中で世界観を壊すだとか、

其々で意見を述べます。

でも、寧ろフィードバックしないでそのまま立ち去る人は

何も言わない訳です。

実は一番怖いのはこの何も言わないで立ち去る人の

失望感の方で、

フィードバックの中からその理由を探らなければ成らないのです。

意外と小さなところにこういう部分が有ったりもするので、

必ずしも大きな議論だけに目を当てててもダメなのが現実です。

大きな議論は寧ろ賛否両論呼ぶ話で、

賛否で意見が分かれるから

大きなフィードバックの様に残るとも言えます。

Steamなどのスレッドの傾向だと、

議論が白熱していれば新規コメントとして最新であり、

上位コメント欄として残ります。

いいねの数も結局はその閲覧数によって変わります。

実際に荒れれば荒れるほど閲覧数が伸びるのは、

以前に他のスレッドでも経験しているので間違いないデータです。

 

白熱する議論は賛否両論を呼ぶ話ですが、

賛否両論故に、運営者にとっても最終的な判断が難しい所です。

 

では何も言わない人たちは何が不満だったのでしょうか?

 

これに関してはむしろ自分で自分のコンテンツを見直して、

足りない所を見出すしかないとも言えます。

それは些細なフィードバックのコメントに

実は残っているとも言えます。

 

アマゾン・ゲームズのNew Worldの場合、

世界観が暗い。

街に没入感が無い。

金策のコンテンツが薄い。

 

ザックリとしたコメントだと、実は他の人も反応しにくいです。

でも、僕からするとこれ的得ている。

かといってそのコメントに態々反応はしないが、

共感してスルーする感じに成るのです。

 

そして逆に以前、意外とよく目にするコメントが…

 

「開発者たちはゲームをちゃんと遊んでいない」

 

と、いうコメントでした。

これに対して開発者たちはゲームをやってますとい反応で、

動画を出すなどして反応しましたが、

結局は没頭してゲームを遊んでいない事は明白です。

上辺だけでゲームをやっているから、

毎日がっつりゲームをしている人の物足りなさが理解できていない。

それ故に飽きられてしまう点に気づけていないのです。

更には他のゲームの良さを

開発者が研究していない部分も見受けられる点も、

この指摘には見られる部分で、

結局はロードマップという、

将来的にどういうコンテンツを入れて行くか、

1年後にはどういうコンテンツが登場するか、

そういう期待感を持たせる宣伝の大事さも

理解していないのが大問題な訳です。

これではどれだけフィードバックを活用したとしても、

クレームばかりで

自分たちの殻に閉じこもってしまうだけの状態なのかなと…

 

フィードバックの問題は

Manor Loadという最近出たゲームにも言えます。

5月初めに開発者が1人で始めたゲームとして話題になった、

中世の都市開発ゲームです。

都市開発ゲームなのに戦争まで出来るという点で、

今までにない新しさを醸し出したものです。

MicrosoftゲームのAge of Empiresにも似た雰囲気ですが、

もっとシンプルで流れもゆったりして、

都市開発を楽しみつつ、戦争もという感じが新鮮だったのですが…

根本的に開発者自体、

現状何がゲームの売りとして興味をそそったのかを、

忘れている状態です。

寧ろプレイヤーもそこに気づかず、

ただ飽きたで去る状態に成っている。

現状、早期アクセスという状態で試験的な状態ですが、

試験的な状態にも関わらず、20万人近くの人が、

同時に遊んでいる状態でした。

それが5月末の時点で1万人までに減ったわけです。

確かに1か月でやりつくすコンテンツしか現状無いです。

開発者は難易度を調整する感じで2度アップデートを行ってます。

勿論、もっと都市開発に於ける

建物のバラエティが欲しいといった感じで、

ユーザーの要望もそこが多いかも知れません。

ただフィードバックに上がるのは

都市開発の難易度の方ばかりなのでしょう。

確かに都市が上手く回らずに破産する難易度もあって、

その試行錯誤が楽しいという部分も有りましたが、

結局は僕自身も飽きちゃった…

では、僕自身は何が不満だったのか…

 

実は都市開発という点でAge Of Empires(AOE)と比較して、

AOEは寧ろ戦争がベースで進行します。

なのでAOEでは

都市開発を楽しむより戦争する展開の方が早く、

都市開発は思うように進行しません。

しかし、Manor Loadは現状

AOEよりも都市開発に対する建物の種類が

貧弱なのも事実です。

それでも都市運営の難しさが興味をそそった部分ですが、

それ以上に大きな違いは、

Manor Loadでは英雄部隊の様な従者という

育成可能な部隊を作れることなのです。

実はもしAoEにこの要素が有ったら

かなり面白いゲームとして嵌ったであろう部分です。

早期アクセスという部分もあって、

現状「従者」という部隊はレベリングの要素は含みで存在するも、

全く機能していない状態です。

 

何かを強化してレベリングして育てるのをRPG要素とも言いますが、

意外とこのRPG要素がゲームを長く遊ぶ上では大事なのです。

というか…多くの人がMMORPGなどを

このRPG要素が元で、

何か月も何年も同じゲームを続けている訳です。

いわばその部隊を育てる為に戦争をするわけで、

意外と戦争をして領土を拡大していく遊びより、

ダラダラと遊べるわけです。

実は領土を拡大していくだけなら、

一つの都市が上手く機能したら、

全てを制圧するのは意外と簡単なゲームでもあるのです。

ゲームに対する満足感で言えば、

RPG要素で従者を育て上げ、

少数精鋭で他国を圧倒する・・・

そういう感じで遊ぶ方が戦闘は簡単だけど、

育てる時間の楽しみが、

他国を制圧せずに楽しむ部分と噛み合って、

都市開発とは別な要素でゲームを長く遊べるのです。

 

都市開発のコンテンツも薄く、

それらの開発には少し時間を要する点も考慮して言うなれば、

今、優先してアップデートに加えるべきは、

このRPG的な要素の部分とハッキリ言っておきます。

既に含みでその要素を加える点を設けているなら、

RPG要素を組み込む事は

コンテンツを作るより簡単だと言える部分で、

ゲームバランスとして従者部隊が

強く成り過ぎる点を気にする必要もないと言っておきます。

寧ろ強く成り過ぎるくらいの設定で、

早期アクセスでは遊ばせておくほうが良い。

その上でそのバランスをフィードバックしながら調整して、

完成時に最終調整で製品化する感じで良いのです。

 

とにかくフィードバック、フィードバックと色々言ってはいるが、

このフィードバックももっと進化させないと、

フィードバックを気にしすぎて間違った方向に進んで、

折角の良さを潰しかねないという事です。

 

フィードバックを進化させるとは、

技術的にはフィードバックに対する議題を、

制作側が提供する事なんだけど…

結局はフィードバックの意見を真に受けて聞くのではなく、

そこから生まれる発想を見つけることが大事なのかな?

 

因みにオッサン先生のYoutubeチャンネル…

まあ、フィードバックみたいな感じで言わせてもらうと、

CGやらゲーム中継やら何やらと色々あって、

何がしたいのか解からんと言うと…

オッサン先生は

 

本来コントを作りたいが、

色々な事情で頓挫しているから、

ついでに実験で遊んでいるだけだ!!

 

という事です。

まあ、こんなコンテンツ作った方が良いのでは

みたいな事を言う人も居るが…

オッサン先生は

 

ありきたりなコンテンツなら俺の作品じゃない!!

 

と、言い切るそうです。

まあ、ゲーム中継とかはありきたりなんだけど…

あれは寧ろTwitchでやってた延長だそうです。

ただ、コントを作るキャストなどが見つかり次第、

Youtubeの方はTamatime Show以外は

全部消してコント向けに戻すそうです。

どうも・・・ショーエイです。

基本的には

人は恥じらいを持つ生き物だというのは理解します。

人前で歌ったり踊ったり。

歌うのもカラオケボックスではなく

大衆を前にしたステージの話ですが・・・

大半の人は恥ずかしがりますよね。

 

ある意味、芸能人というのは

そういう恥じらいを通り越して活動をしているものなのです。

 

海外では人前で踊るのが当たり前な国もあります。

南米なんてそういう風潮ありますよね。

 

逆に日本では

人前で格好よくクールにする人って多いです。

感情を出さないタイプですね。

喜怒哀楽でいうなれば、

喜怒を出さないタイプです。

かつてハリウッドでもそんな感じのが人気があったのですが、

2000年を境に風潮が変化したのです。

 

人前で自分をさらけ出せないタイプは、

寧ろシャイいわば恥ずかしがり屋でダサいという感じです。

でも日本人は未だこの手の人が多いです。

トランプの様に感情をさらけ出すタイプでも、

ある一定の人気を得て大統領に成れてしまう。

まあ…いろいろ問題はありますが…

もう一方のバイデンは寧ろ自分を曝け出せない

恥ずかしいタイプの人間です。

なので歴代大統領としてトランプ同様に支持率が低い。

 

まあ、バイデンvsトランプの構図は、

偽善者vs傲慢なので、

どちらも相応しくないという感じなのに…

どうにもこの両候補以外が表に出られないようです。

 

さて、本題に戻して…

自分を曝け出せないタイプは、

偽善者に見えてしまうのです。

ただし、人へのリスペクトを

ちゃんと持っている人は言葉に限らず、

私生活の態度や姿勢で表現されます。

「中二病」とも「厨二病」とも言うそうですが、

ある意味、ちょっと幼稚な表現をする人を

そういう括りしてます、

最近見かけた記事では、

織田信長は厨二病だったという内容もあるわけですが、

ぶっちゃけた話、そうです。

ところが…一般的に勘違いされているというより、

日本だけなのかな…

思春期特有の幼稚な発想としているのは。

ただし、実はこれ

エンターテインメント的には天才肌なのです。

 

よく考えてみてください…

ファンタジー小説、

「ロード・オブ・ザ・リング」にしても

「指輪物語」にしても、

「スターウォーズ」から「ガンダム」に至っても、

そういう妄想が小説や映画となっているわけです。

そしてこれらが世の中に出回っているわけで、

これらに多くの人が虜にわけです。

アニメや漫画の作家なんて、

こういう妄想をフルに活用して作品を作っているのです、

作品が認知された人は「厨二病」じゃないという話も、

ちょっと精神学としての論理では破綻した意味になります。

逆に作家がファンタジー作品の登場人物として、

「タピオカ大好き」さんや、「N347RFT」さんみたいな

登場人物で作品を書く方がいいのか?

まあ、ある意味そういうあだ名として使うのは、

ちょっと面白いとも言えますが…

 

日本人が馬鹿にしている「厨二病」は、

むしろアニメや漫画の虜になっている

日本人そのものを馬鹿にしている表現でもあるのです。

そして自分が寧ろそういう幼稚な妄想癖が好きな

「厨二病」ではないと割り切るために、

それを否定する行動に出ているだけなのです。

逆に本当に

こういうファンタジーや妄想に興味のない人も居ます。

でもこういう人たちで適正なリスペクトを持っていて、

尚且つ自由社会の構造を理解している人は、

ここに「表現の自由」という形で尊重を与えます。

反対に興味のない人で「幼稚」と本当に馬鹿にする人は、

遊び心のない「馬鹿」と言っておきます。

まあ、「馬鹿」というのは彼らに解りやすいようにいえば、

その故事の通り、「馬と鹿」で、

長いものに巻かれて生きているだけの

人間といっておきます。

下手したら金と性欲にまみれた動物といってもいいかもです。

 

遊び心とは心の余裕です。

例えるならロボットアニメに興味はないけど、

人気のあるロボットアニメに対して、

そういうのが好きな人も居るんだという感じで理解します。

研究が好きな人は、その研究に没頭します。

その没頭する部分や、気晴らしでやる趣味、

そういう事が人それぞれで異なることも理解し、

それに対して尊重します。

 

【恥ずかしいネットゲーム上で】

恥ずかしいネットゲーム上でとは、

趣味で割り切れる人には恥ずかしいことはありません。

しかし、自己顕示欲で

誰かを見下すことで保とうとする人には、

ネットゲームはその人が見下す恥ずかしい遊びです。

なぜならその世界に入り込んでいる時点で、

その人は妄想の世界に浸りたい人間なのだから。

その中で同じように

妄想の世界で自分を曝け出して遊ぶ人を見て、

恥ずかしい人と考えてしまう人の方が

寧ろ恥ずかしい人なのです。

 

ネットゲームのネーミングで、

「タピオカ大好き」だとか、

アカウントのメールアドレスみたいな、

「N3569fD」などという感じでプレイする人が居ます。

まあ、名前を決めるのが面倒な人も居るし、

人に覚えられやすいようにと考えている人も多いですが、

「ルーカス・スレイダー」とか

何だか雰囲気のある名前にすると

恥ずかしいという人も居ます。

これは日本に限った話ではないです。

でも、世界観の雰囲気的には、

みんなが「厨二病」っぽい感じで

名前を付けてもいいのにとも思うのです。

まあ、あまり気にはしないですが。

 

ある意味、オッサン先生は、

「織田信長」と付けるより、

「De Arca」=デアルカと付ける感じで妄想してますが。

そう大河ドラマでの信長のセリフ、

「で、あるか」

から文字って、

魔王De Arcaって格好良くない的なノリで使ってます。

ただ…ネット上では、

没入感的に女の子のキャラの方が雰囲気出るので、

メインは自由の女神から文字って「Liba」にしてたりもするのです。

 

女の子のキャラを使っているから

ネカマ=ネットオカマではないのです。

また、単に没入感という意味で、

女の子のキャラを使って

小説の主人公の様に遊ぶ意味でないのです。

男女両方で遊んでいた感じで、

一切ネット上で恋愛的な思考を排除した場合、

女性キャラで女子トークできる方が楽なのです。

ネカマではないので

男性キャラに甘えるような仕草もしません。

男性キャラではないので、

女性キャラ相手に格好つけるような感じにも成らないです。

 

小説的な思考が先行してキャラを演じると、

男性キャラをメインにすると、

ある程度威厳的な部分を持たせたくなってしまいます。

逆に女性キャラなら

猫の様に自由気ままな感じで演じられる。

別に男性キャラでもそういう感じにもと思うのですが、

大事にしていた猫が気丈なメス猫だったこともあってか、

自己の深層心理の中に、

自由気ままな猫の様な姿に、

その猫を投影しているのかもと思うのです。

 

まあ、いろいろな事情があるのだろうが、

あまり深く考えず、女性キャラで遊んでいる方が、

何だか気楽という感じです。

そういう事情もあって配信中はネコキャラに徹する意味で、

ヴォイス・チェンジャーを使ってやっているのです。

 

実は配信中などは

もっと厨二病っぽいキャラを演じたいのですが、

中々いい感じで演じるのは難しいのです。

どこかにまだ恥じらいを感じている部分があるせいか、

まだまだ未熟といった感じで、

現在修行中です。

 

こうして厨二病を演出で考える側からすると、

厨二病に限らずそういう個性的なキャラクターを

台本無しに演じきれる人がうらやましいです。

逆に特にネットゲーマーに多いのですが、

こういうキャラを見かけて

人を楽しませるまたは興味を惹かせる演出と知らず、

本気で馬鹿にしている人を見ると、

寧ろその人が哀れに見えてきます。

実際に厨二病を演じている人の精神年齢が

中二レベルなのではなく

それを見て馬鹿にしている人の精神年齢が、

中二で止まっているという事に、

そろそろ社会も気づいた方がいいのではないでしょうか。

 

まあ、ゲームにハマること事態が幼稚なことなので、

そこで遊んでいる時点で大人や子供は関係なく、

寧ろ割り切って

子供になったつもりで遊ぶ方がいいとも言えます。

と、は言え、何にせよゲームの遊び方次第なんです。

 

ネトゲやビデオゲームの話に限らず、

現実的にはビジネスもゲームであり、

政治もゲームとも言います。

ただ単に仮想現実を動かしているのか、

現実を動かしているのかの違いなだけです。

スポーツも試合をゲームと言いますよね。

 

まあビジネスの世界はともかく、

もう戦国時代の様な群雄割拠の時代ではないだから、

政治ゲームだけは止めてほしいですね。

ウクライナの問題なんてその煽りで発生したようなもの。

NATOという軍事同盟の拡大なんて不要なものなのに。

いわば結果としてNATO関係なく日本なども含めて、

ウクライナに支援しているわけです。

寧ろNATOという軍事同盟の拡大を問題視して、

ロシア側が戦争仕掛ける大義にできているわけで、

その大義が無ければ戦争の意義はないというのが現実です。

 

一部の戦略ゲーム感覚の幼稚な政治家が、

ゲームの支配者になるのを目指して

遊んでいるような状態なわけで、

それで上辺だけで民主制を唱えている。

 

民主制=対話であるべきで、

賛成票を稼ぐためのゲームではないのです。

ちゃんと社会的な問題を議論して、

平和的かつ安定的な解決策を決定するのではなく、

研究していくものなのです。

科学の世界では、定説を導き出すまでに、

仮説を用意して何度も反論と検証を繰り返し、

新たな仮説へすすんだり実証を経ることで、

やっと結論に至るのです。

政治で語られる法案のほとんどが、

科学的には仮説レベルでしかないのに、

その仮説レベルの案件を評決で決めているだけなのです。

幼稚なゲームに没頭する政治家は、

この評決を稼ぐゲームをしているだけなのです。

 

オランダのハーグ国際裁判所は何をしたのか?

ロシアは敵国だから簡単に戦争犯罪で処理したにも関わらず、

イスラエルに対しては何もしていない。

明らかにゲーム上の都合で、

公平性は全くないわけです。

 

こんな理不尽なゲームに憤りを感じる人も多いわけで、

ではこの理不尽なゲームに終止符を打つには?

平和的に抗う事が許されないのだから、

ここで破壊的なゲームで挑むしかなくなるのです。

いわばゲームの連鎖がゲームを呼び起こすだけなのです。

 

戦略ゲームと言うフィールドを断ち切るために、

経済ゲームと言うフィールドが台頭し始めたのに、

そのフィールドで不利になりかけると、

再び戦略ゲームを用いて相手を脅かす。

正直な話、神様目線で言うつもりはないけど、

傍から地球を見ると、

人類ってアホなのかと思う感じです。

いや寧ろ科学的な思考で考えられない幼稚なゲーマーを

権力の中枢に居座らせていることが問題なのかもしれない。

ただ…科学的な思考を持つ人たちは、

権力にしがみつくゲーマーとでは話が合わないので、

彼らと仕事をする気にもならない為、

そういう世界には入らないのも事実なのでしょう。

 

こんな腐敗した理不尽な政治が続く中では、

この腐敗をすべて消し去る

独裁的な英雄が求められる時代が来るのかもしれないです。

 

どうも…ショーエイです。

最近はすべての事をさぼってる感じで、

ブログの更新も久しぶりです。

Youtubeの配信用にゲームを探しているのですが、

どれも今一パッとしないです。

 

まあ、本来は人気のあるゲームに乗っかるのが

一番無難なのですが、

どれも新鮮味を感じないので、

気分が乗らないといったところです。

 

まずゲーム制作は

大変な作業だということは伝えておきます。

当ブログでもCG制作したりしてるので、

その面倒くささは十分にわかります。

ある意味、「もうこれで勘弁して」という部分で

疲れ果ててしまうようなものです。

 

とは言え企業で何十人、

何百人が作業に従事する作品は

そこを乗り越えられる

英知の集まりだという事は言っておきます

むしろそれで個人作業で抱える弱音を吐くなら、

脆弱すぎる会社でしかないと言えます。

 

さて今回の発想の転換の話は、

寧ろ日々苦労しているプログラマーさんたちの話ではなく、

ゲームプランナーでありプロデゥーサーの話です。

彼らの葛藤は「売れるもの」を作ることです。

逆にどれだけ有能なプログラマーを擁していても、

その上のここの人間がダメだと、

いい作品は生まれないです。

 

【発想の転換の難しさ】

発想の転換は誰もが望むが、

実はアイデアを出すより、

それを実行に移す際が一番難しいのです。

なぜならオーソドックスから外れるから…

さらには人は優先順位を

中々整理して考えられないのも難しくしているところです。

 

ここ最近、僕は

アマゾンが作ったNew Worldというゲームに

再びハマっているわけですが、

皮肉な話、実は過疎っているから面白いのです。

いわば人が遊ばなくなった状態だから楽しいという事です。

 

MMORPGというオンライン接続で

ほかのプレイヤーと

同じフィールドでRPGゲームをする作品としては、

過疎る=人が居なくなる事は致命的な状態です。

しかしアニメの作品でも題材になるRPGの世界では、

高価な武具を作るのには

素材となる物を収集しなければなりません。

特にNew Worldの世界では

この素材集めが一番楽しい部分で、

もう一つ武具制作に必要な制作系のレベリングには、

素材を大量に使って無駄に武具を作ることで

上昇させていく必要があるのです。

MMORPGという他のプレイヤーも存在する世界では、

通常この素材は誰かが取れば消えてしまい、

復旧するのに暫くの時間を待たされます。

そういう中でプレイヤー同士は

素材の取り合い合戦が生じるのです。

 

オーソドックスな思考では、

この素材の奪い合いがMMOの醍醐味と考えます。

またゲームを運営する思考としても、

その素材が簡単に手に入らないから、

それに費やすプレーヤーの時間も伸びて、

長期的な運営に寄与するという形で考えます。

 

こうした中、素材集めに必死なプレイヤーは、

取った素材が復旧する場所に張り込んで、

ずっと同じ場所で

目的の素材をとり続けるという行動にでます。

正直、僕も以前はよくやりました。

脇でテレビや動画を見ながら、

素材が復活するのを待つわけですが…

 

傍から見て…そんな遊び方のなにが楽しいのか?

 

という事も必死なので考えずに没頭します。

いわばここではMMO特有の競争心理を煽って、

ゲームに没頭させる状態に嵌め込まれているのです。

 

一見これで

上手くゲームが成り立つようにみえる論理ですが、

実は大きな見落としがあるのです。

それは摩耗心理です。

必死になって競争心理の中でやってきた

いわばゲームとして楽しくもない作業、

ある程度の目標に達すると

一気に疲労感に変わるという現象です。

これ勉強と一緒ですね。

 

受験勉強で必死になって頑張って、

有名大学に入って就職したら、

勉強なんてやる気なくすのと同じです。

 

しかも楽しいはずのゲームの中で、

こんな世界観を与えていたら

プレイヤーは嫌気が差すのも当然です。

 

とは言うものの・・・

オーソドックスな思考の

「競争心を煽る」

部分を排除するという事になると…

果たしてそれが正しいのかどうか…

何気に問題点は理解できても

そういう心理が働くわけです。

 

これをごく一般的に、

有能無能に限らずのはなしですが、

ネガティブな情報に対して、

 

「そういう矛盾は分かっているが、

そんなに簡単な話ではない。」

 

として実は何も思考せずに

オーソドックな流れにしがみつくのです。

そして摩耗心理は無視して、

さらなる競争心理を与える発想で、

より達成が難しくなる

更に上位の目標を設定するという流れに向かうわけです。

 

これが一般的なのは・・・

どのゲームも同じ方向で処理しているわけで、

結局は全てが似たり寄ったりになるわけです。

いわばプレイヤーの大半が飽きてしまう要素を

排除できない状態となるのです。

 

まあ、「何も考えていない」

とまで言い切りますが、

結局はこういう程度で思考が止まるため、

こうしたオーソドックスな流れは排除できないものと、

割り切ってしまうのがオチでもあるわけです。

 

もちろんそうした中でも、

世界観を広げること、

いわば新しい地域など

コンテンツを増やしていくことで、

プレイヤーの興味を維持する努力も

惜しまないで頑張ってますが、

その成功例はごく一部でしかないのも事実です。

 

ある意味、韓国の会社Pearl Abysseが生み出した、

「黒い砂漠」というMMORPGがありますが、

馬に乗って騎馬戦もdきるし、船にも乗れる、

海にも潜れる。

貿易もできるし、農業生産もできる。

それだけ充実したコンテンツなら、

飽きても偶に戻って遊んでみたくもなりますが、

そこには他のゲームにはない特別感があるからなのです。

もし他にこの「黒い砂漠」と

同レベルのコンテンツで遊べるものが存在するなら、

恐らくは「黒い砂漠」には二度と戻らなくなくなることも言えます。

 

【オーソドックスは安易で凡夫の思考】

ここではスポーツゲーム、サッカーを題材に話します。

サッカーゲームでよくある葛藤、

メッシ選手やネイマール選手の様に、

機敏に動ける攻撃型選手を作ると、

ゲーム的にその動きを

ディフェンスが止められない現象が発生します。

ゲーム会社はこれをバランス調整という

オーソドックスな方法で対処するわけです。

いわばその選手の動きをんすこし鈍くしたり、

ドリブルのスピードを落としたりして、

ディフェンス側が守れるようにバランスで調整するわけです。

ところがプレイヤー側からすると動きが鈍くなったり、

スピードが落ちると操作性が変化してしまい、

ゲームとしての面白みが薄れるのです。

 

では実際のスポーツではと考えてみましょう。

実際のスポーツでは

選手の体調によって変化することはありますが、

基本、メッシ選手のドリブルは切れ切れです。

ディフェンス陣はその切れ切れに対して、

ゲームのような調整で鈍らせることはできません。

無論マラドーナの時代の様に

相手選手に下剤入りの飲み物を親切な感じで手渡したり、

昔のブラジルサッカーの様に晴れているのに、

フィールドをあえて水浸しにしてプレーしたりといった

今でこそ反則扱いされそうな状態を用いれば別です。

しかし、基本的にはゲームの様にバランス調整できません。

そうした中でディフェンス側は

試行錯誤してメッシ選手のドリブルに対応するのです。

 

まずAI的な要素に近い部分では、

一人で守るのではなく、チームで守る形を作る。

いわばメッシ選手のフェイントに引っかかるのではなく、

予め見方がカバーできる方へルートを開けるなど。

 

そして個人技術的な要素では、

身体バランスの練習でフェイントに引っかかっても、

すぐにカバーに動けるようにディフェンス動作を鍛えるとか、

自分からフェイントを仕掛けて

意図的に相手が切り返す方向へ誘導するなど、

いわば駆引きの中で対処するのです。

 

バランス調整という手法では、駆引きに関係なく、

ただ単にプレイしにくい状態となり、

基本的はドリブルが使えないゲームになります。

しかし駆け引きが成立するレベルなら、

実際のサッカー同様に

ドリブルもまだ活きるゲームに留まるのです。

 

メッシ選手の実際の動きをみると、

ボールを取られないように体を反転させたり、

後ろに動いたりといった感じの動きをします。

しかし、相手ディフェンスとの駆け引きで

ゴールに向かって切り込むドリブルは

中々させてもらえない。

 

これをゲームではバランス調整で行うため、

ボールキープという駆引きすら

ドリブル側の動きを鈍らせるため、

簡単にとられてしまうような現象も発生するのです。

こうなると切れ切れのドリブルが有効な攻撃的ゲームか、

ディフェンスが強い守備的なゲームかだけになるのです。

まあ、一般的な人は

メッシ選手クラスの駆け引きができるわけでもないので

ドリブルがしやすいか、

やりにくいかしか感じないかもしれませんが、

動きが鈍くなったという感覚は共有できます。

 

コナミ社のサッカーゲームは

動きを鈍くすることでゲーム難易度を守備的に調整して、

むしろゲームの機敏性がもたらす爽快感を

喪失させてしまったわけです。

 

オーソドックスな思考のだと、

それで難易度上げて何か問題でも?

と言うでしょう。

寧ろプレイヤーは難易度の高さを求めるのでは?

とも言って、その調整の仕方を肯定するでしょうが…

 

どのゲームプレイヤーも

機敏性の爽快感を優先する思考は無視してはならないのです。

FPS(フレーム/セカンド)…

シューティングゲームのFPSではないほうですが、

このFPSを気にする人は多いわけで、

この数値=1秒間に発生するフレーム数が多ければ多いほど、

ゲーム上の機敏性は向上するわけです。

誰もが快適な機敏性の元で遊びたいという感じです。

その機敏性を落として難易度を上げているのなら、

それは寧ろ制作側の理不尽な調整とも言えます。

 

これがどういう理不尽かというと、

本来20代の身体能力で動けた状態が、

調整によって突然老化して

スポーツ選手としては引退前の40代

下手したら突然70代の反応に

変化した感じになると説明すればいいかと思います。

 

こういう例えで言えば、

この機敏性を鈍らせる調整が

いかに腹立たしいと感じるかがわかると思います。

 

いままでこうした調整は「難易度調整」という形で、

一般的には気にされなかったところですが、

「老化調整」という形で伝えたなら、

いかに下らない調整かご理解いただけるかと思います。

 

【発想の転換は優先順位の整理】

ここまで発想の転換の支障である

オーソドックス思考を打開するには、

実は優先順位を適切に整理する事なのです。

 

まずゲーム運営の中で危惧する点は、

プレイヤー数の減少です。

 

オーソドックス思考では

プレイヤー数の減少は「ゲームへの飽き」を

優先順位のトップとして片づけてしまいます。

なので簡単に「飽きさせない」ために、

新しいコンテンツを用いるという思考で進みます。

オーソドックスの優先順位は

飽きさせないために新しいコンテンツを作っていくなのです。

 

勿論、新しいコンテンツを作っていくことは大事なことです。

しかし新しいコンテンツを作っても

飽きられてしまう要素を排除できなければ、

そのコンテンツの消化は早まります。

MMORPGでは1年単位で

新しいコンテンツを出す感じが主流です。

確かに充実したコンテンツを作るのに

時間を要するのは仕方ないことです。

しかし、この1年かけて作ったコンテンツは

早くて1っか月、長くて3か月程度で消化されてしまいます。

飽きられる要素が排除できていないと、

この時点で残りの9か月以上は戦えないのです。

また延命のために達成に時間を要するコンテンツにしても、

結果、飽きられる状態では

逆に消化というより摩耗が早まります。

現状の「黒い砂漠」は充実したコンテンツにも限らず、

寧ろプレイヤーが疲れて摩耗する要素が

多すぎるのが実情です。

 

なので優先順位の最上位は、

飽きる要素の排除です。

 

逆にこの飽きる要素を上手く考慮して構成しているのが、

ESOことベセスダ社のエルダーズ・スクロール・オンラインです。

まあ、最近は全くやっていないですが…

ゲームを離れても

戻って遊びやすい形で構成されている点です。

そしてそういうプレイヤーがお金を上手く落とすように、

ビジネス的にも上手い手法です。

ただしゲーム性としては古く限界に達して、

新コンテンツの魅力が薄れる状態にあります。

 

ここからは過疎ったNew Worldを題材に説明します。

 

ゲームに飽きる要素の一つは没入感の欠落です。

この没入感は今後のメタヴァース構築の中でも

重大なポイントになってきます。

ただ単にゲームに没頭できる要素とは異なります。

今までの没入感はここを考えられてきたわけですが、

没入する心理を発想転換して、

現実社会で生きる要素を参考に考えるのです。

人間が何かに没頭する要素は、衣食住に関わるところで、

良い服を着て、良いもの食べて、素敵な家に住む。

そしてその総括がそれを満たすためのお金です。

まあ、娯楽だとか愛だとかそれ以外にもありますが、

先ずは衣食住です。

娯楽は寧ろ暇を潰す要素で、

ゲームを遊んでいる状態で満たされます。

愛は人間関係なので、

寧ろMMOならば基本チャットなどで構築していくものです。

勿論ゲームのコンテンツとしてストーリーラインであり、

ゲーム構成で愛を感じさせる内容にすることはできますが、

意外と人によっては孤独に生きたい人も居るので、

さほど重要視するところではないと言えます。

 

そういう意味で没入感の要素は衣食住が基本です。

ただ衣食住が存在しても、

生きる意味での機能を伴わないと

没入感を齎さないのも事実です。

食事をする必要性がないのに食べる作業をするのは

むしろ無意味で邪魔でしかないものです。

MMORPGなどのゲームでは

基本「バフ」という一定時間のパワーアップ要素を用いて

食事の意義を与えてます。

サバイバル要素が加わると空腹が発生する感じになります。

モンスターハンターというゲームなどには

空腹状態が存在する感じだと思います。

ただし、基本同じ食べ物に同じバフがあるため、

食事は偏る感じになるわけですが…

まあ、その辺まで拘ってプログラミングすると、

メタヴァースのベース世界になれそうなレベルです。

またポーションを作るなども食の分野に該当します。

それでもこうした「食」としての消耗品を必要とする中では、

それを作る工程も生まれ、

それを販売するというビジネスも生まれるわけです。

この作業で食を満たす、

または商売するというゲーム性が、

生活的な没入感を生むわけです。

 

衣服に関してはMMORPGなどだと、きほん装備品。

武具やアクセサリーの生産となります。

更にはスタイルやファッションに寄与する意味として、

ゲームのデザインであり、アクションの動作まで、

実はここに該当するのです。

 

住に関しての家の部分は飾りが多いのですが、

町全体の機能であり構成も含まれます。

New Worldでは家の機能として

町の倉庫の重量が増えたり、

生産の際にバフがつくなどの効果で意義を持たせています。

しかし、町の機能としては工場としての機能しかなく、

そこで生活を営む充実感や活気は全くないため、

その世界で生活している没入感は全くありません。

 

実はこうした衣食住の環境で最上位の物を目指して、

技術を上げ、材料を揃えて生産していく過程が、

ゲームに没入していける醍醐味なのです。

マインクラフトが人気なのは

こういう要素が濃いからかも知れません。

New Worldではサバイバル要素は薄いものの、

まだ衣と食に関する没入感はあるわけですが、

「黒い砂漠」では「衣」の根幹であるコンテンツに

装備品を生産する要素が全くないため

その部分で没入感が薄れるゲームといってもいいです。

逆に住の部分の欠落が

New Worldの没入感がそがれる部分です。

没入感という部分で

この住の項目は不要な感じで扱われがちです。

確かにモンスターを狩りに行くことが

ゲームの趣旨として考えると、

町の機能は物を作れて売れればいいだけに感じます。

ただ、それだとモンスターハンターと一緒で、

別に町は要らないとも言えます。

ただし、モンスターハンターにはそういう部分がないので、

僕の様にプレイしないという人も居ます。

ただ単にモンスターを狩って武器を生産するだけでも、

楽しめるといえば楽しめますが、

もっと充実した世界観の中で

そういう楽しみを享受したいというのが、

願望の果てにあるわけです。

 

没入感とはその世界に住んでいるという錯覚です。

町に対する没入感は、旅行をする感覚であり、

生活する場としての充実感です。

田舎風の町が好きな人、海に面した港町が好きな人、

活気ある大都市が好きな人。

機能とは別に自分の好きな場所で生活しているという没入感が、

最終的にそのゲームの思い出に残るのです。

その思い出の地に戻るという感覚が、

意外とゲームに戻る要素にもつながる部分で、

こうした切っ掛けがコンテンツに多く存在するか否かで、

最終的にはプレイ人口に反映されるわけです。

 

まずこうして衣食住の充実性に欠落がないかを見直さなければ、

より充実感であり没入感のある他のゲームに

人は流れていくのです。

これらは寧ろメタヴァースを構築する上では欠かせない要素で、

メタヴァースの世界観で言うと

全てが完全に補えて初めて成功するものなのです。

 

作品に没入感があるかで見ようとするのではなく、

発想の転換では没入感がそがれる部分を見出して、

そこを補填していく発想になるのです。

そしてこの没入感の部分だけでも改善されると、

人はいつでも戻りたくなる世界になると言えます。

 

ゲームのデザイン性も含めた「衣」の部分が満たされると、

人はまた遊んでみたくなる。

※コンテンツとしては装備品の獲得性、

ゲーム性としてキャラクターデザインでありアクションの構成

を「衣」の部分とします。

 

コンテンツの量ともいうべき「食」の部分が満たされると、

いつでも遊べる要素を感じられる。

※コンテンツとしては食べ物やポーションの必要性。

ゲーム性としてはコンテンツの充実度。

 

風情の「住」が満たされた世界なら、

人はまた訪れたくなる。

※コンテンツとしては町や家、宿屋などの機能性。

ゲーム性としてはゲーム風景の美観や活気など。

 

コンテンツ部分とゲーム性で分類した6項目の衣食住が、

全て満たされる状態が理想であることは

誰もが解ることだと思います。

この誰もが解る理想を制作側は最優先で考えないから、

どこか欠落させてプレイヤーを飽きさせるのです。

 

 

次の優先順位は快適感です。

ゲームは娯楽です。

MMOという他のプレイヤーと競合する世界では、

素材などのアイテムは取り合いになります。

寧ろそれが嫌ならMMOではない、

いわばソロゲーム(一人で遊ぶゲーム)の

RPGをやれという発想になります。

正直なところゲームとしては

MMOではない方が没頭して遊べます。

しかし、ほかのプレイヤーと共同で遊ぶコンテンツであり、

またはPvPコンテンツがないから物足りなく感じるのも事実です。

現状、NewWorldはMMOですが過疎っている状態で、

むしろ素材は取り放題状態です。

自分のペースで遊べて、

ほぼほしい素材は確実に手に入ります。

偶にマップ上をいろいろと歩き回って、

新しい素材の場所を偶然発見したりという楽しみもあります。

ソロゲームの要素として充実している感じです。

実はこれが一番快適に遊べる状態なのだから、

素材取得を競合しないほうが良いのではと感じるわけです。

競合状態にあっては、

逆にプレイ人口が増えるとこの快適さはなくなります。

単純に考えると、

素材取り放題な状態だとすぐに満足してしまうのでは、

と考えてしまいがちです。

ところが人数の多い時期で素材が取りにくい状態だと、

寧ろレベル上げるの面倒くさいとなるだけだったのです。

 

それでゲームを離れてしまう。

反対に人数が増えても快適な状態で遊べるようにしたほうが、

プレイヤーが離れが少ない状態になると言えます。

 

現状のMMOの環境は原始時代と同じで、

限られた自然を奪い合う形。

人間はそこから農業という栽培を取得して、

共存社会へと発展した。

MMOの発想も栽培の発展同様に、

奪い合う形から安定して収穫できる状態に

転換して考える方がいいと言えます。

 

人間の心理としていつでも集められると思うと、

安心感が生まれて他のコンテンツもストレスなく遊べます。

しかし、中々集められないストレスで、

仕方なしに他のコンテンツに手を付けると、

一方のストレスから快適感は半減します。

没入感という意味と同様に、

人間は集中して作業できる方が快適なのです。

邪魔が入る状態より、

その存在がj間にならない状態の方がいいという点を

考えて構成するべきなのです。

黒い砂漠でも狩りの際に

他のプレイヤーと競合しない空間までコンテンツとして

作ったわけです。

こうした快適性を考えることはプレイヤーを維持する意味では

大事といってもいいのです。

 

3番目に来るのがゲームの特徴と目的の把握です。

本来一番大事なところの様ですが、

実はこれを一番目に持ってくるから、

飽きる要素の排除であり、快適性の構築に支障を来すのです。

いわばエンドコンテンツを定めるという話ですが…

MMORPGのエンドコンテンツとしては

最上位武具の獲得がほぼ主流になります。

そしてその優位性からPvPでブイブイ言わせたい。

まあ、こんなところがプレイヤーが望むエンドなのです。

 

ところが最上位武器を素材集めで作る場合、

制作側はどうしても素材が集めにくい状態が望ましいと

考えてしまうのです。

そうなると自然快適性の部分は相反する要素となります。

いわば最上位武器を簡単に作らせないようにした方が、

プレイヤーは長くプレイするだろうと…

では、これを3番目、いわば快適性の下に持ってきた場合、

考え方は少し変わってきます。

快適性で必要な基本素材は集めやすい状態で、

最上位武器への道のりをどう構築するか?

ここで発想の転換です。

色々な素材が集めにくい状態の心理と、

あと2つか3つ手に入ればという状態の心理。

いわば色々な素材を苦労して集めなければいけに状態は、

かなり疲れます。

でも、あと2つか3つだと何とか頑張る気になるものです。

意外とこれ一般的に共通した感覚だと思うのです。

 

そしてその素材を手に入れるにはという難易度で、

ゲームの構成を考えていくと、

ランダムな確率の運任せだと快適性が削がれる事にも気づきます。

なので難易度の高いグループダンジョンの

達成報酬にしたらという形に考えるか、

なにか達成感のある形がいいという発想に切り替えられる。

 

プレイヤーの快適性を優先順位上位に持ってくると、

例えばレアな素材を採取するのに

その素材が競合しない状態なら

何人かのグループで取りに行く発想も考え付くわけで、

ただ単にレアな武器を求めてダンジョンを攻略しに行くより、

より意義のある形の攻略にも結び付けられるのです。

 

オーソドックスな形で固執して考えるから、

よりプレイヤーが楽しめる新しい環境が生まれないわけで、

結果としてマンネリした同じ類似品が

市場に横行するだけなのです。

 

さてこの発想の転換の話。

ゲーム制作と運営の話で解説しましたが、

実は兵法でも同じなのです。

 

オーソドックス思考では

作戦としての目的と目標を優先して考えます。

ところが没入感という部分を最優先に持っていくと、

兵士が集中して作戦に従事するための環境が

まず第一にとなります。

十分な装備であり、十分な弾薬の補充です。

 

そしてその次が快適性という部分で、

補給路であり兵士たちの安全退路の確保、

そして安全退路への援護の整備。

 

そしてここから作戦を考えるのです。

こういう順序で考えると、

場合によっては安全退路の援軍を伏兵にして、

偽装退却と誘因などという配置も見えてきます。

 

しかも作戦を優先してないから、

むしろ状況に応じた臨機応変な配置に成ってくるのです。

「兵は詭道なり」

という言葉を最大限に考慮した形にもできるのです。

また兵の損失を少々減にする点から、

次にも繋げる形が自然と生じるのです。

 

企業経営としても

Googleの経営スタイルは

こうした優先順位の順序に近いかもしれません。

社員が集中して働ける環境の整備、

そして快適性の整備。

そしてそうした中で生まれてくるアイデアの活用。

 

優先順位を適切に整理することで

発想を臨機応変に転換できる環境になるという事です。

 

馬鹿と天才は紙一重

という言葉がありますが、

実はその通りなのです。

殆ど計算も計画も立てていない。

勝負の世界で普通の人は

作戦を立てて挑むことこそ大事と考えますが、

兵は詭道なり

勝負に於いて騙しあいが当たり前の中で、

臨機応変こそ大事と知るならば、

相手の動きを見極めてから

動くのが最良の策なのです。

ところが天才は

常にあらゆる状況に対応する形を研究し続けている。

スポーツの世界でも同じで、

相手の動きを見極めて

自分の動きを瞬発的に反応できるように鍛錬する。

サッカーでいうなれば相手がボールを奪いに足を出したら、

どこにボールを逃がせば取られないかを知っている。

それらが体で反応できるように鍛錬するのです。

メッシ選手のドリブルなんてそういう領域の話ですよね。

だから考えて動く人は、その思考が読めないのです。

 

考えながらフェイントを掛けて相手を騙そうとしても、

相手がフェイントに騙されなかったら何の効果もない。

ならば相手の動きに反応して

そこで生じる隙をつく方が確実だと悟のです。

ある意味チートっぽい思考なんですが、

これも発想の転換の賜物なのです。

 

ゲーム制作の話で理想といいましたが、

その理想とは究極の世界で

メッシ選手のドリブルの様に、

絶対の領域なのです。

その絶対の領域は発想を転換することで見えてくるもので

その領域への鍛錬であり挑戦こそ、

到達可能なところなのです。

理想で終わってしまうのは、

先ずはその世界が見えていないこと、

そしてそこへの道筋が見えないで終わること。

寧ろそこへの道筋を探っても見えないわけで、

その道筋へ向かうには

何が必要かを探るべきなのかもしれません。

大航海時代の新大陸発見同様に、

地球は円いという理論を信じて

必要なものを揃えて確実に到達できるように出航すれば、

新大陸に知らないうちに到達してしまうのと同じなのかも。

 

とりあえず現状過疎っているゲームの

さらに過疎っているサーバーで遊んでいますが、

何とも実に楽しい。

本来ならばもっと人気が出て、

多くのプレイヤーが参加してほしいと願うのですが、

ゲームの内容がないようなだけに、

皮肉にも人がいない方がいいのです。

 

これだけ人が居ないで素材取り放題なんですが、

何とも全く満足いくほど素材は溜まってこない。

ある意味、クラフトなどのレベル上げに

必要量が多すぎると思うのです。

これで人が多くいる状態だと、

逆に気が遠くなって萎えるはなしでもあります。

 

多分、制作しているアマゾン・ゲームズのスタッフ

誰一人気づいていないことだけど、

実はこのゲームの構成上

素材の貯蓄心理を煽る内容になっているのです。

いわば上位素材と上位素材を掛け合わせることで、

更に上の最上位素材に転換できるわけで、

それが一日に限定数しか作れないようにしている点。

ゲーム制作者としてはその最上位素材で作る

武器防具の制作難易度を上げる目的で考えたのだろうけど

寧ろプレイヤーとしては、

安定的に毎日

最上位素材を作れるストックが欲しいという心理が働くわけです。

別段、そこまで

その最上位素材が必要というわけではないかも知れませんが、

お金と一緒であればあるだけ確保しておきたい。

 

ゲーム制作者の思考では、

エンドコンテンツとしてダンジョンやらPvPを考えているようですが、

実はそんなものより素材を集めて貯蓄するのが

エンドコンテンツに感じているのです。

また、上位の素材集めの効率を求めて

高難度のエリアにも行きますが、

ソロで行くような場所でないので、

コソコソしながら素材を採るのがまた楽しい。

よく敵に見つかって戦闘にもなりますが、

殆ど死にます。または上手く走って逃げるか。

ただ、過疎ってて誰かが先に素材を採ってしまうことはないから、

無駄足にならないので、

死にながらも何度も挑む楽しみが成立するのです。

場所によっては敵を何とか倒せる場所もありますが、

下手に3人以上を相手に戦うと厳しくなります。

まあほとんど死にます。

ただ、そういう一対一でも戦闘がスポーツ的で楽しいので、

その駆引きや、

他のMOBを巻き込まないように立ち回るところなど

かなり戦闘要素は面白いと言えます。

 

素材集めが安全な場所であることもありますが、

危険な場所にあえて取りに行く醍醐味がある分、

その素材集めだけで十分に遊べるのです。

そして過疎っているから

その危険の先にも確実に素材が手に入るわけで

寧ろ誰かに取られている状態だと、

逆に達成感がなくなって面白みは薄れると言えます。

 

こうした楽しみを本来ならもっと多くの人と共有したいのですが

ゲーム制作者がゲームプレイとして

こうした素材が誰もが確実に手に入るという

環境の重要性に気づかなければ、

皮肉な話のまま過疎っているから

楽しめるゲームでしかなくなります。

 

New Worldというゲームの特徴的な部分に気づき、

そこを上手く強調してゲームを構成していけば、

より良いゲームとして再度売り出せるのですが、

あくまでMMOという部分に拘り続けるなら、

それまでという所だと思います。

 

過疎った状態が楽しいという事を活かすか殺すかの、

発想の転換になる話です。

どうも…ショーエイです。

大谷選手の最初の記者会見前に一度書こうと思ったけど、

止めて今書きます。

偶々NetflixでSuitsという弁護士のドラマを

9シーズン網羅した後の出来事だったので、

アメリカ式の裁判手法は何気に意識するところにあります。

 

日本でのニュース記事を見ると、

大谷選手を擁護する記事ばかりが目立ちます。

全ては通訳の水原氏が悪いという内容で。

先ず言っておくのは、

水原氏の窃盗という形に変わったのは

「借金の肩代わり」とした場合、

MLB規定の違法なブックメーカーへ手を貸す、

いわば資金提供に大谷選手が関与したという事に

なってしまうからが要因と言っておきます。

 

その上で前回の記者会見では、

大谷選手は騙されたという形で挑んだみたいです。

 

正直な感想は…悪手です。

 

まだ真実は解りませんが、

日本の報道とは言わず、米国の報道でも、

大谷選手の承諾なしに

どうやって口座から資金を抜き出したのか?

が焦点となって報じられてます。

 

さてなぜ悪手であったかと言うと…

水原氏の証言が一変したところです。

勿論、最初の供述で水原氏が嘘を言った可能性は有ります。

しかし大谷選手の性格をある程度考えるなら、

水原氏の借金を肩代わりした可能性は高いわけで、

寧ろ最初の供述の方が信ぴょう性があると思えます。

 

この借金肩代わりを大谷選手の責任問題で考えてみましょう。

実は大谷選手が

その送金先が「違法」なブックメーカーで有った事を知らなかった

という事は立証できます。

大谷選手の語学能力は英会話は可能な程度という点でも、

英語による情報収取能力は極めて困難で、

それ故に通訳を必要としていた点です。

その為送金時にブックメーカーのサイトを見ても、

その違法性は認知することが出来ず、

またそのブックメーカーの運営先が

違法賭博となるカリフォルニア州の物であるかを

確認する事も困難であった。

よって水原氏の中途半端な説明を信じて、

友人救済と言う善意の行動で行ったと出来ます。

これで大谷選手の違法性に対する「責任問題」は、

回避できたのです。

またこの場合の方が

水原氏が今後どの様な供述をしようとも、

大谷選手が違法性を知らなかったとする事を

一貫して主張すれば裁判上の信用は得られると言えます。

 

また米国の報道としても周知の事として、

大谷選手と水原氏との関係も、

かなり親密という点でも理解されており、

大谷選手が違法性を認知せずに、

水原氏の説明を鵜呑みにして「救済の手を差し伸べた」

という行為は十分に理解が得られる点です。

 

ところが犯罪で疑惑を掛けられると

善良を装っている人物として、

疑惑の対象者の人間性も疑われるという点は、

米国の裁判で当たり前です。

 

いわば大谷選手が如何に知らなかったと言っても、

口座からそのブックメーカーへの送金が有ったという事実。

また通訳として、また親しい友人としての水原氏が、

その賭博に関与していた事実。

ここから大谷選手の人間性を

あえて悪質な人物として疑うのなら、

自分の賭け事を水原氏に代理でやらせたという点は

疑われます。

 

日本人の感覚では

大谷選手の誠実さを信じる傾向に有ります。

ギャンブルに興味はないという事であり、

違法な事はしないという事。

恐らく殆どの人が信じるでしょう。

勿論、僕もその辺は信じている上でこの話をしています。

 

ところが人間の心理として

疑い始めると全てを疑って見えてしまうという点は

知っておくべきで、

大谷選手に魔が差した可能性で見ることもできます。

100億稼ぐ人からすれば

6億はさほどの大金ではないように見えます。

大金で無いから

スポーツ観戦を少しエキサイトして見る意味で、

遊びの一環として水原氏の誘いで賭けた可能性は

否定できません。

勿論その賭博の違法性を知らなかったのなら、

こうした疑惑は自然と生じます。

水原氏の最初の証言は

寧ろその事を庇ったという形で考えられるのも事実です。

いわば

「自分が勝手に博打に手を出して借金した。」

という形で。

弁護士団はこの大谷選手が

遊びの一環として関与する可能性を消す為に、

水原氏の証言を変えさせた、

または水原氏の証言を否定して虚偽とした事は考えられます。

そして水原氏が盗んだという形にしたのです。

 

反対に水原氏のギャンブル依存症による行為だった場合、

負け分を取り返す意味で借金が膨らんだという事も、

彼の証言通り当たり前の様に考えられます。

その場合でも盗んだ方が解りやすいと言えます。

 

ただし!!

現状では双方の可能性を否定できない状態にあるのです。

ある意味、6億円は大谷選手にとって

さほどの大金ではないという意味で伝えるなら、

水原氏が盗んだとするより、

水原氏の借金を肩代わりしたという方が、

魔が差して遊んだ6億円という可能性より、

真実味がある主張に聞こえたという事に成るのです。

結局今アメリカのメディアが騒いでいる様に、

焦点がどうやって盗んだという話題に成るだけだからです。

 

大谷選手かドジャースの弁護団か知りませんが、

恐らくは大谷選手が賭博をしたという疑義で

水原氏が大谷選手を庇って証言しているのでは

という形で追及される点を恐れて、

あえて水原氏が窃盗した形で話を変えたと言えます。

 

では…何故これが悪手に成るのか…

 

いわば大谷選手の人間性を証明する意味で、

前回のインタビューで話した内容は、

大谷選手は逆に保身の為に

話を変えられるという人物に映ったからです。

その意味は、都合で嘘を言えるという事です。

なので逆に印象的な可能性として、

大谷選手が魔が差して6億円を遊びに投じた

と感じる部分が残存した訳です。

またマウンド度胸があるせいか、

堂々とした態度でインタビューに挑んだ点も、

寧ろ印象としてマイナスに働きます。

いわば疑ってみる人からは、

堂々と嘘を言える人物に映るからです。

 

水原氏に裏切られたという事に対する憤りが

表情に見えなかった、

反対に借金返済に手を貸したとして

水原氏を未だ気遣っているいるなら、

何等か言葉が詰まる、

または気おくれする表情を出せたはずだが、

堂々とし過ぎた点は、

ポーカーフェイスであっても悪い印象に映るのです。

ある意味、動じない精神力が仇と成って、

冷たく嘘を平気で語れる役者として映るのです。

 

(追加)

と、大谷選手のインタビューを

再度精査する前のもので伝えましたが…

実は大谷選手はこう伝えてます。

「僕の口座からブックメーカーに対して誰かに送金を依頼した事も勿論ありません」

彼は正直に伝えようと努力している様に感じるのです。

いわば、

「僕がブックメーカーに送金していない」

とは言わなかったのです。

そして

「彼が僕の口座からお金を盗んで、なおかつ、みんなにうそをついていたというのが結論です」

ここであえて

「事実」と言わずに「結論」という言葉を用いたのは

事実という事とは別に、

最終的な形としてそういう状況になったと

濁した意味で感じるのです。

なので大谷選手が日本語で伝えた意味は、

嘘を伝えてはいないと考えて良いと言えます。

 

【報道は情報を知らなさすぎる】

報道では前述の通り、

水原氏がどうやって大谷選手の口座から

抜き取ったかを議論しています。

やり方は色々と有るでしょうが…

 

では、携帯電話などに口座照合として送られる

ワンタイムパスワードを誰が管理していたのか?

 

もしこれが水原氏の携帯で管理されていたのなら、

窃盗にあったという表現で事は収まります。

しかしそれなら既に問題も解決する形で

情報が出ているはずと言えます。

いわば前回のインタビューで

その点は説明できた可能性が高いのです。

ところがその点の説明が無かった。

 

仮にこの口座のワンタイムパスワードが

大谷選手の携帯電話に送られる、

または大谷選手の所持物に送信されるものだった場合、

窃盗にあったという部分の証明が難しく成り、

寧ろ共謀の方が疑われます。

もしそうなら寧ろ借金返済を肩代わりした方で進める方が

無難に成ります。

 

勿論、仮に大谷選手の管理下にあっても

窃盗と言うストーリーはまだ作る事は可能ですが…

その場合、水原氏の供述内容と

その手法の説明が合致する必要性があり、

現状水原氏の身柄がどこに有るかで

色々と難易度も上がってきます。

FBIなどは既に水原氏の供述を取っているはずなので、

二転三転する形に成ると色々厄介にも成ります。

 

更には今回の賭博発覚の件で、

違法なブックメーカーも逮捕に至ったわけで、

その違法なブックメーカーの証言次第で、

色々と辻褄の合わない状況になる可能性も有ります。

 

危惧されるポイントは、

水原氏の通訳としての収入源で、

違法なブックメーカーが

6億もの大金を借金として認める担保として

成立したかどうか?

年収1億以下の収入では、

寧ろ6億の借金は返済に6年以上掛るわけです。

仮に合法な借金だった場合、

この規模になると自己破産の可能性も有ります。

逆に大谷選手の口座が担保なら、

回収という意味では十分なものです。

こうした不都合な部分が有る為、

窃盗という形にした可能性は有ります。

 

大谷選手の口座の送金を水原氏の裁量で出来た場合なら、

その口座の情報を以て

ブックメーカーにアカウントを作る事は可能である。

仮に水原氏の裁量で出来なかったとしても、

ブックメーカーにアカウントを作る際に金銭の支払いや

送金を行う必要がない場合は、

口座情報のみでアカウントを作ることは可能とも言える。

違法なブックメーカーで有った点を考えると、

マネーロンダリングや不正口座の使用も

出来た可能性は有る為、

水原氏が大谷選手の口座で

ブックメーカーのアカウントを作れたとも考えられます。

一方で、そのアカウントへの入金は

どの口座からでも出来るものならば、

大谷選手の口座を用いる必要もなくなるが、

その場合、水原氏の借金分の担保を

どういう形で保証できたのか不明に成ります。

 

前者として水原氏の裁量で全てが出来た状態

いわば口座の送金に使われるワンタイムパスワードが

水原氏の管理下にあるならば、

既にその点は隠す必要性の無い情報となり、

事件の詳細は既に説明されて

大谷選手の関与は解決に至っている。

しかし、後者のケースとして

送金等の過程で大谷選手が関与する形が残るなら、

水原氏だけで借金を解決できる問題では無く成る為、

疑惑としての大谷選手の教唆という意味での

関与の可能性は残存するのです。

勿論事実と言うより疑いが残るという意味です。

 

本日までの情報の中では、

後者の可能性が高いと感じます。

この辺は

違法ブックメーカーの登録過程を精査すれば

ほぼ明らかになる情報と言えます。

 

では後者の形で水原氏を窃盗とした場合…

 

大谷選手との信頼関係を悪用して、

大谷選手の口座情報を違法賭博の口座開設に使った。

口座の連絡先は水原氏の連絡先としていた事も考えられ、

借金の取り立てで水原氏は脅迫を受けた。

恐らく大谷選手が賭博で

6億の借金を作ったという情報を、

メディアにリークするという形だったと思われる。

無論違法性は隠して脅しとして。

それでも大谷選手のイメージに傷がつく意味に成る為、

水原氏はその借金を何とか返済しなければ成らなかった。

 

ここからは水原氏の証言次第。

 

大谷選手の携帯または所持品で

ワンタイムパスワードが管理されている場合。

それを窃盗という形で処理するなら…

大谷選手が練習等で携帯電話を手放すだろうタイミングで、

携帯電話を預かって

その際にワンタイムパスワードを取得して送金した。

信頼関係または操作する状態を監視できる状態ならば、

携帯電話の暗唱コードを入れる事は可能だが、

仮に大谷選手の携帯電話のコード解除が

指紋によるもので有った場合、

送金時の大谷選手の関与は残存してしまう。

解除した状態で預かっていたとしても、

指紋認証の場合だと証拠不十分になる。

また、犯罪隠ぺい工作の常套手段として

事後に設定を変えて暗証番号式に変更する場合もあり、

携帯電話の機能に指紋認証が有った場合は、

指紋認証を設定していなかったと証言しても、

証拠としては設定日時の証明が出来ない限り不十分となる。

大谷選手ほどの人が持つ携帯電話が

セキュリティーの甘い状態にあるとも考えにくい。

 

ある意味、水原氏の最初の証言、

「大谷選手が肩代わりするために送金をした。」

という言葉が残ってしまう意味としては、

むしろ水原氏の裁量では

送金が出来ない状態であったと考えた方が良さそうである。

自分の裁量で出来る口座なら、

むしろそんな嘘で大谷選手を庇う必要は無く、

「大谷選手から任せられていた口座を使って自分で送金した」

と、正直に答えても問題はない。

どの道、大谷選手に嘘ならばれてしまうのだから。

ただし、水原氏が大谷選手を庇う形は残り、

疑ってみる人にとっては

実際は大谷選手が関与していたのではという

疑惑は残存します。

 

ただし…違法ブックメーカーが記録しているだろう、

そこで賭けられたゲームの詳細を分析すれば、

ギャンブル依存症による賭け方か、

魔が差して遊んだ賭け方かは、

比較して説明することは可能であり、

米国の陪審制裁判なら十分に通用するレベルで伝えられる。

 

簡単に説明すると、

いわば、賭け方が大きなオッズを中心に賭けられたものなら、

ギャンブル依存症の賭け方と見なすことができ、

むしろオッズにバラつきがあり、

同一チームへ賭けるケースが多い場合は

遊びとしての賭け方で見受けられるのだ。

正直賭け方の詳細が見えないと

何とも分析できないわけですが、

賭け方の癖を見ることで

その辺の違いを説明することは可能なのです。

 

とは言え…水原氏が下手を打ったか、

騙したのかは別として、

大谷選手の選手生命であり評判を守るために

最初の証言をした点は考慮されるため、

 

「大谷選手が水原氏の借金を肩代わりするために送金をした。」

 

という事が寧ろ事実だと考えられる。

ある意味、これが嘘であった場合、

むしろそんな嘘はFBIや米国の国家機関には

直ぐバレるわけです。

逆算して考えるなら、

FBIであり米国の国家機関が

水原氏の裁量でその口座の送金が出来ない事を知った上で、

水原氏から供述を取ったのなら、

水原氏の最初の証言が一番適切と成るのです。

まあ、あの国家レベルの調査が

その辺を調べられないと思う方が逆に不思議な訳で、

仮に水原氏の裁量で送金できた場合、

最初の供述はすぐに嘘だとバレるわけで、

水原氏は寧ろ窃盗容疑または詐欺容疑で

捜査を受けている状態にあったと言えます。

 

現時点で疑問として残る点を挙げておきます。

 

先ず違法賭博への借金の返済で

何故大谷選手の口座からの送金で

有る必要性が有ったのか?

関節的に水原氏の口座に資金を移して、

賭博用の口座に送金する形も取れた。

この辺を踏まえて行動心理で分析するなら、

水原氏が大谷選手に事情を説明した時点で

大谷選手は水原氏の行動に不信感を感じ、

本当に借金の返済であるかをちゃんと確認するために

自分の口座からあえて返済して事実を確認した。

いわば水原氏の口座に借金分の金額を

間接的に振り込んだ場合、

借金返済以外の目的である可能性を疑った心情は

考えられます。

これを踏まえると大谷選手の送金行為は

水原氏の最初の供述通り誠実な「肩代わり」が成立する。

この場合は違法賭博のアカウントへの入金は

どの口座からでも出来た事になる。

逆に違法賭博のアカウントからの出金口座が

大谷選手の口座で無く水原氏への口座なら、

大谷選手の関与は水原氏の最初の供述で

十分に否定できる根拠となる。

ただしこの場合、前述にも記した様に

どうやらMLB規定の

違法ブックメーカーに手を貸したという意味で、

資金提供した行為に取られるため、

大谷選手を守る意味で

弁護士の通達に水原氏が協力したことは十分に考えられる。

ただし…MLBのコミッショナーの裁量で処分を決める

という意味で考えるなら、

借金の肩代わりにたいする大谷選手の行為が

責任能力のない形で行われたとすれば良いだけで、

違法なブックメーカーであった認識もなく、

善意の過失で済ませる所であり、

寧ろこんな内容で処分を下すなら、

間抜けも当然と言っても良い話である。

実際に大谷選手が肩代わりしたなら、

水原氏が犯した借金の事実は知っていた訳で、

その上で違法性がないものだと思っていたから、

水原氏を2024年3月に至るまで解雇しなかった。

解雇は3月になってドジャース側が

違法性のある賭博であった事実に基づいてのもので、

前述の通りその借金の返済に関して、

大谷選手は違法行為に加担した認識すらなかったと言えます。

過失という意味で考えるなら、

違法性が無いと信じて「賭博を行ったなら」そうなるが、

それは水原氏の過失であって、

大谷選手の行為は友人の過失に対する救済に成るわけです。

いわば友人をトラブルから救うための

手切れ金を援助した行為になるのです。

なので大谷選手には過失すらないわけで、

これは例え水原氏が違法性を認知していたとしても、

大谷選手が友人の行為を止めさせる目的での救済であって、

大谷選手が違法性を認知していなかった場合、

通報義務は生じないため、

その行為はやはり友人の過失に対する救済と同じになります。

 

なのでやっぱり「肩代わりした」という方面で

弁護する方が良かったと言えます。

逆に水原氏の窃盗という形にしたら、

一見、MLBの規定はクリアできるように見えても、

他の事実を隠蔽している形で映る為、

水原氏の手で送金は不可能という形に成った場合、

大谷選手への疑惑は強まるものと成ります。

その時に成って大谷選手の誠実さをアピールしても、

寧ろ友人のはずの水原氏に

全ての罪を背負わせた形に映る分、

大谷選手の賭博遊戯を水原氏が代理でやったという

証明し難い疑いが向けられる可能性もあるのです。

 

いわば水原氏を介して賭博をしていた可能性は、

大谷選手の誠実さのみで否定できる部分で、

その誠実さが疑われれば寧ろ2人の共謀が

その関係性から強まるのです。

 

ただし、借金分を送金する際に

大谷選手の口座からである必然性が無い場合は、

何故あえてその口座から送金して足がつく行為をしたのか?

水原氏が窃盗して行った場合、

なぜ大谷選手の口座から直接送ったのか?

ある意味なぜ関節的な送金をしなかったのか?

違法性を認知していなかったからそういう形で解決したのか?

追求する側、弁護する側で答弁する余地は残りますが、

共謀を覆すのは難しくなると思えます。

 

ここまで考慮すると…

水原氏の最初の証言を覆した形は悪手という話です。

勿論…事実はまた違う可能性もありますが…

 

違法賭博に関与していたことは法的な罪としては

運営した方は重く、賭博に参加した側は軽いです。

むしろ大谷選手の場合は

MLBの規定に底触するかどうかが重要にも見えます。

いわばMLBの規定違反に成らなければ、

法的な追及はほぼ無いという感じなのかも知れません。

水原氏を窃盗で訴えた場合、

水原氏がすんなり罪を受け入れて服役すれば、

大谷選手に問題は降りかかりません。

 

勿論、弁護団の手口として、

水原氏を窃盗容疑で訴えて、

あえて罪を認めさせたうえで、

MLB規定に対する調査をクリアにした後、

大谷選手の温情で

訴えの取り下げを行うという形で

進めている可能性も有ります。

ただMLBの調査は、国家機関と違い、

社会の目を気にして進められる可能性もあり、

社会的に大谷選手の誠実さが疑われると、

事実とは違った形で結論が出される可能性も有ります。

 

今回摘発を受けたブックメーカーは、

マネーロンダリング可能性もあって、

様々な機関が捜査に乗り出すことも報じられてます。

今後の調査で色々と辻褄が合わない流れに成ると、

もっと大変な騒ぎになる可能性も潜んでいるので、

水原氏の窃盗とした事が良かったのかどうかも不明です。

 

まあ、アメリカのテレビドラマのSuits(スーツ)を見ると、

FBIを含む米国の捜査機関はちょっと雑かなとも見えますが、

実際は銀行口座の情報開示請求を弁護士が出来るなら、

捜査機関も出来るわけで、

その中で口座の管理者が

誰であるかは特定できるはずなのです。

ワンタイムパスワードの受け取り手が

どの携帯番号で登録されているか?

犯罪捜査の情報開示請求で

銀行側が提示しないとする可能性も低く、

先ずその上での話として考えるべきなのです。

 

水原氏の最初の証言が、

ドジャースから解雇を受けた時の物なのか、

違法賭博に関する捜査機関の事情徴収で

証言したときの内容を

そのまま伝えたものなのかで変わりますが…

 

違法賭博と発覚して解雇に至った話なのだから、

捜査機関に事情聴取を受けた流れは察せられます。

 

 

先ず違法賭博のアカウントの連絡先が水原氏であった点で、

水原氏に捜査の手が及び、

口座の情報を捜査機関から見せられて、

送金の際の管理者は

大谷選手の管理下であった事を提示されて事情を聴かれた。

裁判所は口座の情報と連絡先などの情報で

違法賭博に関与していた証拠が有れば

情報開示請求に承諾を与えます。

捜査機関の手順としてはこうなります。

この時点では本命は大谷選手ですが、

政治家や大物資産家の捜査と一緒で、

先ずはその秘書から攻めます。

仮に違法賭博のアカウントの連絡先が

大谷選手に成っていた場合、

最初の捜査は大谷選手に成っていたと言えるでしょう。

 

その上で送金した口座の詳細が提示されて、

寧ろ水原氏は「自分が勝手にやった」

と言えない状態だったと考えた方が良いわけです。

そうなると送金の操作は

大谷選手しか出来ない可能性の方が高まって考えた方が良く、

今後の流れとしては

水原氏が勝手にできたという根拠が難しくなる気がします。

 

捜査機関はむしろ情報を泳がせて、

大谷選手側が何かボロを出すことを狙っているのかも。

 

仮にそういう流れなら…

大谷選手以外に送金する手段が無いのに、

どうして水原氏の窃盗が成立するのかを追及され、

寧ろ遊びのギャンブルとして

その賭博に関与した方向に持って行かれる可能性が高まります。

 

こうなると…

2023年の大谷選手の途中リタイアの件まで危ぶまれます。

たしかリタイアする直前までは、

MLB全体のMVP候補で、

オッズは圧倒的だったわけです。

肘の故障が理由でリタイアして、

アメリカンリーグのホームラン王は維持しましたが、

結局MLB全体のMVPには成れませんでした。

病院での検査も断った様なニュースもあります。

 

正直本当に故障でリタイアしたと信じます。

まあ、あれだけ投打で奮闘したシーズンなので、

逆に不正を疑うのは失礼な話ですが…

しかし、仮にこの水原氏の問題で

大谷選手の関与が疑われると、

2023年の途中リタイアが不正に関与した意味で

用いられる可能性は有るわけです。

 

違法賭博が2023年の出来事で、

賭博に関わった事で脅しを受けていたという流れに成ると、

途中リタイアの件の関連性もこじ付けでも繋がります。

 

一番怖いケースは、

大谷選手の状態を水原氏は知っていた事で、

脅迫から水原氏が情報を流したケースはあります。

いわばMLB全体のMVP競争に影響が出る意味で、

大谷選手が何時リタイアするかを・・・

その際のオッズは大穴で逆転する訳です。

ただ、水原氏が借金完済をいつしたかでも変わってきますが、

大谷選手の口座で賭博を行ったことで脅されてたら、

その限りでもなくなるとも言えます。

 

色々と事件の関連性を考えてみると…

最悪な場合結構ヤバそうという感じです。

 

なのでやっぱり最初の水原氏の証言を採用して、

誠実なイメージのまま大谷選手を切り離してあげた方が、

最終的には無難に収まったのではという事です。

 

こうした国家機関の捜査情報は今後出てくる訳で・・・

現状の大谷選手の安心感は、

すぐに崩れ去りそうで怖いという状態です。

どうも…ショーエイです。

日本の司法が壊れている話をします。

今回、解釈として面白いとおもえるのが、

松本人志さんの件で話題になっている名誉棄損です。

 

日本の司法では名誉棄損を

名誉を棄損してはいけないとだけ理解してます。

 

では、なんで名誉を棄損してはいけないのか?

 

こういう質問に対して弁護士を含む司法関係者が

どれだけ合理的に説明できるか?

 

個人の名誉は適切に守られるべきだから…

まあ、こういう答えを出すのがほぼ主流でしょう。

いわば適切に守られるという意味で、

文春の記事の様にその内容が「虚偽」か「事実」か

そこを焦点に宛てて考えてしまうのです。

 

正直、法解釈としては程度が低いですが、

日本ではこの程度の低い法解釈として

合理性の無い内容が主流で止まってます。

なので報道やゴシップに対しても、

またはSNSに対しても、

言論の自由とのダブルスタンダードが発生して

困惑して考えてしまうのです。

逆に合理的な解釈で反論すると、

勝手な独自解釈扱いで異端とされますが…

 

では、合理的な解釈は?

 

いわばプライバシーの侵害に該当する法律で、

本来の保護法益はプライバシーの保護に有るのです。

名誉では無く個人の自由は公の場で

棄損または侮辱されては成らないというのが前提です。

反対に棄損するまたは侮辱する目的で無い、

いわば相手を馬鹿にする目的でない場合は、

この法律は該当しない訳です。

ここが重要な解釈のポイントです。

 

事件を扱うニュースやSNS上の発言はどうか?

 

日本の司法ではダブルスタンダードで分別して

留まっているから混乱するのです。

いわばニュースや報道なら良いというレベルです。

ここがそもそも解釈が可笑しい所に成ります。

何故、ニュースや報道なら良いのかの説明が

出来ない人が多すぎるのも事実です。

 

実はポイントは侮辱または棄損する目的が有るか否かを

考えるべきところなのです。

ニュースなどの報道では、

例えば殺人罪を疑われた人物を

「容疑者」という形で報道します。

これは警察機関などが公に公表した内容に沿って、

あくまで殺人者ではなく、

容疑を掛けられている人物として報道している訳です。

 

ここで憲法13条の項目

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 

いわば個人の権利保護の範疇は

公共の福祉に反しない限りなので、

警察機関が公表する情報に沿って報道するのは、

公共の福祉に則ったものです。

寧ろ犯罪容疑に対する報道は

容疑者の行為が

公共の福祉に反した可能性の中でのものと扱えます。

ただしポイントは「容疑者」として扱っている点で、

いわば受刑者という

犯罪行為が裁判上で確定した人の意味ではなく

あくまで疑いのある人物としている事です。

いわばこの容疑者を

侮辱するまたは名誉を棄損する意味では扱っていないのです。

彼らに犯罪者のレッテルを貼っているのは、

報道の読み手の程度が低いからなだけと成ります。

いわば大衆が勝手に勘違いしているだけなのです。

 

適切な報道のルールでは、

こうした名誉棄損や侮辱罪に成らないためのものが、

存在しているのです。

報道機関の関係者もここまで理解している人は少なく、

特に現代社会ではただ単にルールだからで、

従っている人が多いのも事実です。

 

一方で文春などのゴシップ記事は、

基本的には「公共の福祉に則った」とは断定できないものです。

ただし内容によっては公共の福祉に反する行為、

いわば犯罪に当たる行為も含まれるのが事実です。

 

そうした中でBBCが行ったジャニーズの事件の報道を例に

考えてみましょう。

ジャニーズ事務所の故人であるジャニー氏の事に関して

ジャニー氏を性加害者として報道したら、

これは名誉棄損及び侮辱罪に成ります。

なのでゴシップ誌の様な下手な報道の仕方はしません。

NHKなどでも、また池上彰氏も使う手法ですが、

「事実かどうかは解りません」を前提に報道する訳です。

その上で被害者として名乗りを上げた人の

声を伝えるに留めます。

いわば、こうした被害を受けたという声が存在しますが、

この辺の事実はどうなのでしょうか?

という疑問を投げつけるだけの報道に止めます。

これによって報道の対象となるジャニー氏の名誉を

意図的に棄損または侮辱する形では無い事を

証明するわけです。

 

いわば報道上の疑問に対して「事実無根」とするのか、

それとも「事実として承認」するのかは、

故人ジャニー氏に関わる

ジャニーズ事務所が判断する所として

渡して終わる形にしているのです。

あとは一般大衆の勝手な思い込みに対して、

報道された対象者がどう反応するかで、

その名誉を守るか否かが決まるという流れです。

勝手な思い込みとするのは、

事実は犯罪または不法行為として裁きが下されない以上、

確定できないという事です。

 

逆に文春記事の様に「芸能界の性の上納システム」として、

松本人志氏を対象に報じた内容だと、

明らかに意図的に報道対象者の名誉を

棄損する行為と成ります。

確かに見出しとしてはインパクトあります。

「芸能界の性の上納システムか?」

と疑問符を付けた場合、微妙な表現ですが、

記事の内容がその印象へ誘導するものであるなら、

これは名誉棄損になります。

まあ、本来は「なります」ですが…

日本の場合は名誉棄損するべきといた方が良いでしょう。

何故ならBBCなどの報道と、

ゴシップ記事の報道の違いが判らないから…

BBCの記事も読み方によっては誘導にも成ります。

ただしBBCなどでは証言は証言であって、

その証言が正確に断定できるものかどうかの検証まで行って、

検証結果として裏付け確認が出来ないものは

「現状確認は出来なかった」と伝えます。

ただし推理小説同様に、

複数の裏付け証言に

被害状況の類似した点が見受けられるなら

可能性は高まるとういう表現は可能です。

 

ゴシップ記事にこうした検証内容が適切に有ったか?

本当に記事の内容の状態で状況回避不可であったかどうか?

こうした内容の記載があるか否かで、

意図的な棄損に成るかが変わるのです。

 

SNSなどで

平気で他人のプライバシーを馬鹿にする行為が横行してます。

結局は司法が間抜けで

ゴシップ記事の様な物を擁護してしまうから問題なのです。

実際に裁判所は文春を含めたゴシップ記事に

民事的な不法行為の判断を下しています。

ただし、その損害賠償はスズメの涙程度で、

ある意味社会的な意味では棄損された側の敗訴です。

棄損を受けた賠償に対して、

寧ろ記事記載で得た収益の方が

遥かに利益が大きいという事実です。

 

故に一般人にたいしても

名誉棄損に対する個人的な配慮も浸透しません。

日本の裁判所は

裁判で利益を上げようとする人間を道徳的に否定します。

裁判結果が齎す影響を全く考えていない場所です。

司法は犯罪性を裁く、または判断する場所で、

犯罪を抑止する場所は

行政だけの管轄と考えているのでしょう。

実際は判例によって

犯罪抑止効果を与えるのが司法の機能です。

これを日本の司法では

判例は司法の判断基準としてしか扱いません。

むしろそちらは意味有りません。

裁判では状況によって

判例関係なく審議するべき場所だからです。

判決に対する研究は

判例が及ぼす社会抑止効果を考慮して、

寧ろ不法行為に対する賠償は

徹底的にやるべきなのです。

どれだけ行政で取り締まっても、

裁判が緩いケースは

寧ろ犯罪行為または不法行為が横行して、

取り締まる側は手つかずに成ります。

また、裁判上で違法行為の判断が為されないケースでは、

行政は立件することすらしません。

 

実は最高裁も含めて、

日本の司法はポンコツな故に、

日本国民の品質すらポンコツにしているとい事です。

 

特に企業に対しては

厳しい判決と厳しい賠償j金がある故に、

徹底したコンプライアンスの意識が社会に浸透する訳で、

これが最終的にはサービス向上にも繋がり、

その上で日本製品の品質と信頼に結びつくのです。

今の日本にはここが弱い事を理解せずに、

輸出が伸びない、

日本製品が売れない事を勘違いしているだけなのです。

 

製品の品質はどの国もほぼ同等に成ったら、

最終的にはサービスの品質で差異が生じる時代なのを、

全く理解できていないのも恥ずかしい話です。

 

半導体の6ナノか7ナノか?

そんなレベルの製品が

一般的な売り上げの製品の品質では無いのだから・・・

一般的に手に入る商品は最先端技術では有りません。

商品の売れいきは適正機能と適正価格の中で、

最終的にはサービスの品質で変わるのです。

 

こうした流れを産むのも、

社会教育として司法が適正に機能しないと、

その国民はダメなままで終わるのです。

 

さて…ジャニー氏の問題ですが…

どこまでの被害が有ったかは

個人的に確認できないので

弁護する感じは有りませんが…

 

ただし水商売も芸能界も一緒で、

売れる人間にはある共通点があります。

 

人間関係がどうして切り離せない世界で、

社交術とも言うべきところがどれだけあるかで決まります。

ミュージシャンは寧ろ売れる曲を出せばいいので、

その辺はちょっと変わりますが、

最終的には売ってくれる人を

味方に付けられるかで変わる点は否めません。

 

美男美女が集まる世界で、

最終的にはどこで勝負が決まるか…

製品を選ぶ際にどれを選んでも一緒なのと似ています。

製品なら気の利いたオプションだったり、

アフターサービスの充実性で決まります。

人の場合はその人のキャラクター性だったりもします。

芸人さんなら寧ろそこの勝負が前面に出る話ですが…

 

こうした売れる人の共通点は、

人から如何に愛されるかです。

まあ、逆に売れてしまえば何でもありな感じに成りますけど…

 

売れるまでの過程で

如何に人から愛されるか?

ただ単に媚売ってるだけではダメなのです。

結局は使う側も

「この子は売れる」

という要素は何気に感じ取れます。

 

ではその要素とは…

「断り上手」です。

ある意味人たらしな人は断り上手なところが有ります。

勿論、媚びるまたは付き従う相手を

見極める上手さも大事です。

ただ断り上手でなけば臨機応変に

色々な人間関係を繋ぎとめることは難しいのも事実です。

媚びている人だけに従っても他からのサポート無しでは、

結局は小さく埋もれるだけですから。

 

断り上手とは断り方に「嫌味を感じさせない」わけで、

例えるなら飲みに誘われたり、

それ以上の要求に対して、

上手く受け流せるか否かでその人の印象は変わってきます。

 

簡単な話、こいつを二度と誘いたくない。

またはもう誘えないかな。

断る相手を傷つける人はここで脱落します。

 

ジャニー氏の様なケースで

あくまで小説的な構成に成りますが、

ある種性的な要求を受けた場合、

「ジャニーさんの事は人間として尊敬しているけど…」

先ずここはある程度のひとなら言えます。

そして、

「そういう関係は無理です」

と言ったらアウトです。

この人は出世しないです。

むしろ言うべき話術は、

「ちょっとまだそういう道に進む覚悟は無いかな…」

勿論、相手がそこで止まる感じは無いかも知れませんが、

相手が男の側であったら、

「自分が女の子なら考えれるけど…

まだ男としての自分を捨てられないので・・・

そこは我慢してもらえませんか?」

という言い方だと、

最初の「人間として尊敬している」という言葉に

嘘を感じさせなく成ります。

 

こういう対応だとこの子は売れるという印象は持ちます。

迫った側も自分の立場を維持するために、

「あなた売れるわ!!」

と言って寧ろ状況を切り抜ける感じに成りやすいと言えます。

 

これが女性と男性の関係だった場合、

「何かこういう迫られ方は嫌だな…

また今度別なアプローチでという事で…」

と、思わせぶりで逃げる。

大抵の男性ならここで格好つけて

また次回にとなる心理も働きます。

 

それでも強引な事をしようものなら、

相手を警察に突き出す覚悟もありですが、

同時に日本では問題児として

その世界いわば芸能界では終わりを迎える可能性もあります。

 

勿論その時は逃げれても

別なアプローチで誘てくるでしょう。

その都度断るのも有りですが、

そう成ると相手はあの時は逃げただけと察し、

むしろ気分を害します。

あえて友達と飲んでいる中に誘ってみるのも

上手い処世術になります。

その際に相手に支払いはさせず、

むしろ御馳走する位の姿勢で、

如何に相手と対等な関係を築けるかも大事になります。

 

大手の事務所ならそういう対外的な意味では守られますが、

所属する子の様々な反応を見極めるのに、

食事に誘ったりすることはあると思います。

 

人間関係がものいう世界で、

悪い言い方をするなら如何に人をたらし込むかなのです。

キャバクラなどの水商売の世界では、

より性的な要求に直面するケースがあると思います。

そういう中で太客を捕まえるのも手ですが、

むしろ自分を魅了するテクニックが

最強の防衛手段でも有るのです。

 

本気で落としたい

 

男性がそういう気持ちになると、

寧ろ紳士的に接してきます。

更に他の男の影をチラつかせないのも

テクニックの一つです。

いわば誰のものでもない故に

自分に振り向かせたい心理が働くのです。

 

最終的には恋愛感情とは別に

応援したい気持ちにさせるのは、

むしろアイドルの世界にも通じるもので、

そこへ達するには恋愛とは別の

相手が大事に思ってくれる気持ちに、

大事に応えれる姿勢がポイントに成ります。

 

テイラー・スウィフトのファンは女性が主流ですが、

ファンと接する姿勢はその典型的姿だと思えます。

恋愛対象的なイメージより、

人間的なイメージが受け入れられると、

異性の存在は気に成らなくなる事もありますが、

人気を落とさずにそこまで達するのは、

男女ともに簡単ではないとも言えます。

 

芸能界とはそういう世界なのです。

華やかな反面、ドロドロした世界でも有る故に、

様々な問題を解決するのは難しいです。

 

 

 

【第三十七話 吉乃と帰蝶 後編②】

桶狭間へのカウントダウン 残り12年
〔ドラフト版〕

 信長の女性関係は謎に満ちていると言われる。

 一つには織田家公式の書物の殆どが、本能寺の変で消失した為、様々な詳細は謎と成っている点にある。

 これは実は断定してそう言っても良い話で、信長が公文書をどこに保管したかを推測し逆算して考えれば明確にできるところに成る。

 信長が文官として信頼を置いていたのは村井貞勝である事は、歴史家の方がたも承知の話で、主だった公文書はその村井貞勝に管理させていたと考える方が当然と言えるのだ。

 貞勝の屋敷は京の本能寺の側であったと伝えられ、本能寺の変同様にそれらは消失している。

 また、その流れから貞勝が文書を京の二条城に保管していた可能性も高い。

 その二条城も1579年に誠仁親王に献上した流れから、信長は別の城または御所を立てる予定だったと思われ、その際に二条城の公文書は貞勝の屋敷に保管されていた可能性も高い。

 いずれにしても貞勝の屋敷であり二条城も本能寺の変で焼失した事も有り、主だった公文書はそこで灰と化したと思われる。

 信長の実態に謎が多いのはこれが理由で、明智光秀が意図して全てを消し去ったのか、それとも単なる戦闘での事故だったのかは定かとする部分ではない。

 

 織田家の正式な家系図も帰蝶こと濃姫に関する記録もそうした焼失した記録の中にあったと思われ、それ以外の現存する書物に記されていないのは、信長の女性たちが公の場に登場しなかった事実としては察せられても良いと言えよう。

 秀吉の妻・ねねが信長に文を充てた点でもそれは察しが付く。

 本来、信長の妻に当たる人物が公または女中同士の宴などの場に出る状態だったならば、女性同士の相談事は信長の正妻に宛てる流れが妥当に思える。

 しかし ねね が直接信長に相談したという事は、信長自身で家臣ら女中の話にも耳を貸したという事が伺えるのだ。

 なぜそんなことを信長本人がやっていたのか?

 

 殆どの人間には理解できないかもしれないが、悪い意味でこう語れば納得するだろう…

 女中からの会話から家臣の動向を探る為。

 

 信長は女中たちの他愛もない会話から、家臣たちがどういう心情にあるかまで推察できた。そしてその推察を現状の行動やその他の情報と照らし合わせて把握する術を知っていたと言っても良い。

 それ故に信長にとって女中の陳情を聞くことは重要な公務でもあるのだ。

 勿論、その女中の心労や悩みを真摯に受け止めるゆえに、女中たちんも信長を信頼する訳で、いい形の意味で伝えるなら、女房衆も含めて家族ぐるみの絆で家臣団を纏めていたと言える。

 信長の側室を含めた妻側にこの役割を担えるものが居たのなら、信長の歴史上にその存在が記されていた事は言うまでもないが、実際には存在せず信長がその役割を兼任したという形で考える方が良さそうである。

 これは信長が自分の妻たちを蔑視していたおいう訳では無い。

 寧ろ…ここに記る吉乃と帰蝶が、その役割を担える状態になかったからだと伝えておこう。

 吉乃に限っては信長のそういう期待に応えられる存在であった事は何話かを通じて伝えてきたところだが、その吉乃は1566年の岐阜攻略前に他界している。

 そして濃姫こと帰蝶に関しては、以前にも伝えた様に子宝に恵まれず父・道三は兄・義龍に打たれ、その義龍は夫・信長と敵対した事で、精神的に辛い局面に遭遇した。

 気狂いを起こしたような事は無いが、それが下でうつ病状態が目立ち、信長にとっては女中を纏めるには厳しいという判断は有ったと言える。もしその様な状態でなければ、吉乃同様に帰蝶にもそれらを纏める器は有ったと言っておこう。

 信長の性格上、その帰蝶を通り越して公の場に他の女性を引き上げてしまう事は、寧ろ帰蝶のうつを悪化させることにも成りかねないため、寧ろ彼女を気遣って他の女性を公の場に出さなかったと考えてもいいだろう。

 ましてや…吉乃が生きていた際に、信忠の母と言う事で信長が正妻同様の扱いを考えた事実が有るのなら、信長もその浅はかな吉乃に対する情で帰蝶を最終的に追い詰めた事は、後に察した事であると言えるのだ。

 

 傾城の美女…ある意味ここでの吉乃の運命はそういう危うさを秘めているのかもしれない。

 しかし彼女自身が惑わして傾けた話では無く、全ては信長が望んだことで傾く話なのだ。

 

 土田弥平次を招集して野盗討伐を行う事となった信長らは、土田(つちだ)氏の居城(尾張)土田城へと向かった。

 予め滝川一益にはその土田城から盗賊団の拠点に襲撃を行う旨を伝え、盗賊団に対して一益の手柄と成る形とした。

 

 信長の部隊は那古野から清須を通ってそのまま西進するわけには行かず、前日に生駒屋敷のある小折に入ってそこから西へ清須を迂回して土田に向かった。

 その土田は現在の名古屋第三環状自動車道の清洲西インターチェンジがある場所周辺と成っている。

 そこから更に西に向かって7、8km行った場所に勝幡が有り、その勝幡から西南2キロ先に津島がある。

 

 小説的にこの事件を構成するなら、予期せぬ出来事とは信長の祖父にあたる土田政久がしゃしゃり出てくることだろう。

 政久からするとこの作戦は孫同士の共演になる。

 そしてまだ若い弥平次を補佐する意味で先陣を切って野盗団に突入するのだ。

 野党団はそれに備えて構えていた為、政久と弥平次はあえなく討ち死にする流れになる。

 更には作戦前に合流した信長は寧ろ弥平次の協力的な姿勢にほだされ好感を抱いた流れで、結果として祖父とその弥平次を謀計に嵌めて殺してしまった事を後悔する流れとなる。

 作者が小説的に構成を考えると以上の様な流れをまず思い浮かべた。

 しかし…真実は小説より奇なり。

 この言葉を踏まえて改めて状況を整理して考えると…

 

 前もって一益より信長と土田連合隊が襲撃を行う旨を知った野盗団はその拠点を見す見す手放すか、それとも交戦するかの選択肢を迫られる。

 彼らの拠点には盗品が積載されている状況も有り、拠点を捨て去ることはそれらを同時に放棄することにも成る。

 当時の野党団の状況を考えるなら金品と言うより、兵糧を保管している事が一番大きな問題として考えられる。

 いわばこの兵糧は彼ら賊徒を食わせる為の大事な生活源になるからだ。

 生活源でありその生活源を確保するための収入源となる盗品を放棄してしまう事は、ある意味彼ら組織の存続に係わる事態となるのだ。

 故に野党団は徹底抗戦を選択する事となるだろう。

 信長らの兵力は100程度、土田氏の拠点で集められたとしても300人か多くて500人。

 寧ろ300人の兵力を集めるのも大変だと考えた方が良い。

 その人数での戦いに成るゆえに、野党団は周辺賊徒の協力を仰いでそれに対抗できる兵力を揃えこれに備える形を取る。

 信長らはそういう流れに成る事はある程度想定できた訳で、それ故に先陣を切ることは寧ろ死地に突入する意味を知っていた。

 ところが…一益が報告した時期が作戦の前日と言うより、情報伝達に時間のかかる当時としては数日または1週間前に成ると考えると、野党団がそれなりに準備する時間もあったと言える。

 勿論土田側も信長から要請を受けた上で、自領の領民から兵を募らねば成らない。

 土田政久からすると小説論同様に孫の共演という喜ばしい事態ゆえに、寧ろ弥平次よりも政久が進んで募兵に努めたであろう。

 逆に弥平次と吉乃の婚姻で信長が嫉妬を抱いているなどとは考えもしなかったと言える。

 いわば時は戦国、仮に吉乃が信長の寵愛を受けていた女性だと知っていても、現代の様に恋愛感情の存在を理解する事は無く、むしろ妾の一人として扱いに留まるものとして考えたであろう。

 その反面、信長が野盗狩りをしている雄姿は耳にしていた事も有ってそれに協力する方が祖父の存在として当然と感じていた。

 それ故に土田政久自ら進んで徴兵に励んでいた。

 この動きは一益が野党団に伝えた報告と、土田氏の動きが別の密偵により合致する状況で確認できたと言える。

 

 土田政久の集める兵力がどれほどに成るかは測りかねないが、野党団は400名位の部隊を揃えた上で逆に土田城を急襲する作戦を考えた。

 いわば土田側は野党団がその計画を察していることを知らない訳で、野党狩りに慣れた信長の部隊と合流する前に叩いておくべきと考えるのが定石となるわけだ。

 

 これは信長側としても敵が先に動くことは想定外であった。

 

 さて…こちらが真実という形で伝えるのは、いわばこの土田政久であり信長の母方の土田の家系が歴史上から消えてしまうことにある。

 美濃土田(どた)氏と違い尾張土田(つちだ)氏はその地名こそ残存するも政久の名前以後の記録は一切存在していない状態なのだ。

 そこから逆算し、前野家文書の憶測部分など検証すると、尾張土田氏がどこかで断絶した事件が生じても不思議ではない。

 ある意味、天下統一目前までの大功を得た織田信長の母方の家系の記録が残っていないこと自体不思議と考えるべきである。

 本来ならば吉乃の家系となる生駒家同様に何らかの形で残っているべき家柄に成るのだ。

 そういう意味で弥平次と政久が野党団討伐の先陣を切って討ち死にしたとしても、政久の息子で弥平次の父親と成る存在は残ってしまう事になる場合、この流れとして辻褄が合わなくなるのだ。

 

 土田政久は野党団拠点襲撃の為、300名程度の人員を集めることに成功した。とは言っても300名を前もって土田城に招集しておく必要性はない。いわばこれは籠城戦では無いのだから。

 信長の部隊と合流する前に招集した兵が準備を整えていれば良いだけの話なのだ。

 故に政久はその合流当日の早朝に、土田城外の広い場所に集結させる発令を出したのみである。

 これは当時の形としては当然と考えるべきで、本来平時に城に常駐する兵力は殆ど居ないに等しい。

 本能寺の変で信長の近習であり信忠の近習の人数を参考に考えると、平時その周りの警護や雑務として招集された人数は50名から100名程度になる。

 そこから土田城の常駐兵を考えると30名から50名と考えてもいいだろう。

 そこに翌日の作戦に備えた兵糧用の炊き出しは寧ろ兵員とは別の女性たちの仕事に成ると考えても良いだろう。

 現実的な計算で戦国初期の城であり領主の屋敷の面積は100メートル四方もあれば十分で、そこにどれだけの世帯数が住み込みで居住を構えられるかで考えると自然と合点のいく人数となる。

 

 野党団はそういう状況を狙っての奇襲という事に成る。

 勿論、野党団がこうした襲撃を行えば、大名家は総力を挙げて彼らの討伐に動くことは十分に考えられる。

 なので本来は相手がどれだけ手薄でもこうした襲撃は考えないとも言える。

 しかし今回は信長が討伐の部隊を差し向けている状況なのだ。

 故に野党団は拠点を見す見す失うよりも兵糧や品物を他へ移す時間稼ぎを考えるのだ。

 土田氏を奇襲することで出鼻をくじく流れは成立する。

 いわば領民から兵を招集した者が突如居なく成れば、招集された兵は何も出来ない形で解散するしか無くなる。

 その上で信長の部隊が合流しても兵力差で野党団は守り切る事は適うという算段だ。

 その後に再度討伐隊を編成するにしても暫くの時は稼げる話で、その間に別の場所へ逃げて雲隠れすれば問題ないという事に成るのだ。

 ここまで考慮して野党団が寧ろ容赦の無い犯罪集団である事を考えると、彼らの土田城奇襲は皆殺しが作戦目標になるだろう。

 こうして土田城は奇襲を受け、その一族はあえなく皆殺しと成った。

 信長は一応の責任を感じるところもあって、土田城が奇襲を受けた知らせを聞くや、すぐさま土田城へ向かった。

 しかし時既に遅しで土田城は陥落し野党団は自分らの拠点に逃げ去った状態であった。

 信長の行動故に迅速な対応であった事は考えられ、政久が招集した兵を信長は吸収して自軍に加えた。

 そして襲撃を受けた土田城付近に陣を構え、そのまま予定通り野党団の拠点を襲撃する形を取った。

 

 元を正せば信長の謀計による事件である。

 無論、吉乃を手放したくない一心で弥平次を邪魔者として見ていたのも事実だが、信長自身その感情的な思考で謀計に嵌めて弥平次を死なせることに抵抗も感じていた。

 人間の心情にこうした状況下で心の天秤を掛ける時がある。

 ただ弥平次を騙して見殺しにするより、弥平次の器量を計ってその武運を見極めようとも考えていた。

 信長は暫くの時を得て、一益を使って謀計に嵌めている自分を恥じる部分もあって、弥平次に敵が備えを構えて挑む事は伝えるべきと思っていた矢先の話なのだ。

 勿論、その旨を信盛ではなく河尻秀隆に伝えたであろう。

 秀隆はそういう信長の心の変化に好感し、自分が上手く弥平次を補佐する形をも考えていたのだ。

 信長という人物は感情的な人間で、その感情が表に出ている時はかなり残忍な思考が先行してしまう。

 信長にとっては秀貞らが吉乃との関係を謀略によって妨害してきた事がそもそも許せず、故に謀略によってその妨害に対抗しようとしたのだ。

 しかし、よく考えてみれば弥平次は単に巻き込まれただけの存在でしかない。

 それゆえに弥平次を殺す理由が見つからない事に気づいたのだ。

 信長は弥平次という人物を見極めてから考えるという意味で自身の心に天秤を掛けるのだった。

 弥平次が仮に兵の招集をろくにせず、信長の作戦に支障を来たす状態を齎すのなら、そこで見殺しにしても構わないと考えていただろうし、臆病風に吹かれた将であるならそれはそれで吉乃を託すに値しないとして殺してしまう方向で考えた。

 寧ろ弥平次と言う人物がそういう程度である事を期待したという形にもなる。

 反対に信長に協力的で勇猛果敢な人物で有るのなら吉乃を諦めても彼を配下として大事にするべきと自分に言い聞かせていたのも事実だ。

 どの道弥平次を殺す理由としては明確には成らないが、信長としては最愛の吉乃を諦める理由を弥平次に求めていたと言ってもよいだろう。

 そういう覚悟もあってか、むしろそれを見極めることなく弥平次が死んでしまったこの事態は逆に自分自身を恥じるままの状態で結末したことになったわけになるのだ。

 確かに傍から見れば信長が土田城に赴いた時点で、信長が弥平次を謀計に嵌めた上、母方の実家を断絶させた形に映る。

 そういう世間体を意識して信長が土田城の弔い合戦に挑んだとも考えてもいいだろう。

 しかし、信長の性格とその後の本能寺の変までの行動を考えると、寧ろ世間体を気にして行動を考える人物ではない事は伝えられるだろう。

 いわば信長がこの弔い合戦に挑む理由は、自分自身の恥ずべき結末へのけじめでしか無かったのだ。

 

 この弔い合戦にあたって兵力的には土田の兵を合わせて互角であるが、本来敵の拠点を攻めるには少ないとも言える。

 寧ろ無駄な犠牲を生じさせること嫌う信長にとっては危い戦いとなる。

 作戦を練るにあたって佐久間信盛は那古野から援軍を募るべきと進言した。

 これに対して河尻秀隆は寧ろ現存の兵力で戦うべきと唱えた。

 その理由の一つは信長の今回の作戦がそもそも無謀なものであったと評価されることは、見す見す土田弥平次を謀計に嵌めるだけの行動に映るという点を危惧してのものである。

 その上でこの兵力で敵を殲滅できることを証明するべきという考えだ。

 そしてもう一つの理由は今まで積み重ねてきた実戦から、作戦次第では野盗団程度なら楽勝できるという算段である。

 いわばこれまでの集大成をここで実践すれば勝てると言う自信だ。

 

 歴史的な意味として仮にこの作戦で那古野から援軍を求めたとしたら寧ろ織田弾正忠家の正規軍の弔い合戦として史実に記録が残ってしまうだろう。

 逆に史実の記録として残らない話で、後に隠蔽されるような事実として考えるなら信長の悪ふざけの範疇でなければ成らない。

 ある意味、ここで寧ろ野盗団に臆して弔い合戦をせずに逃げかえることも可能だ。それならそれでより信長のうくけっぷりが証明される。

 しかしそれでは信長のその後は暗愚のまま終わってしまう事にも成りかねない。

 考えなければ成らないのが、この後に発生するお家騒動で、誰が信長を信用するかという話にもなる。

 いわば恋路にのぼせて恋敵を謀計に嵌めただけの人間に終わり感情任せの無能な人物でしかなくなってしまうのだ。

 

 もう一つ考えるべきは、信長初期時代の戦い方が少数精鋭であった点である。

 少数精鋭で戦う場合、その兵力でも勝てると言う自信がかなり備わっていないと軍の統率すら危うくなるのだ。

 勿論、一朝一夕でこの少数精鋭の自信を齎せるとは考えにくく、かなりの実績が伴ってものだという事を知っておかねば成らない。

 いわば指揮官にいくら自信があってもそれに従う精鋭が同じ様に自信を持てない場合、彼らは臆して戦えなくなってしまうのだ。 

 

 そして秀隆同様に信長にもその自信が備わりつつあった。

 ある意味、兵力差の互角状態ならその集大成を試してみる機会ととしては申し分のないことという自信である。

 先にも述べた様に信長は寧ろ世間体は気にしない。

 むしろ信長にとっての興味は戦国の世で絶対なる勝利の法則を見出す事だった。

 

 ここまでの野盗団、いわば野伏とも野武士ともいう敵を相手に経験を積んできた。

 勿論、それらの構成人数は30名から50名、多くて100名程度なので100名前後の部隊を編成する信長からすれば十分に勝算がある中での経験である。

 そこには基本的には沢彦の指導もあって、徹底した現代風にいうフォーメーションであり陣容編成を用いた戦い方で味方に被害を出さない形の演習でもあった。

 いわば無暗な乱戦になる形が被害を大きくする要因でそれを避け、前衛の盾持ち隊が敵の攻撃を受け流しつつ、前衛の隙間に割り込む敵を後衛が長槍を振り下ろしたり、弓で射止めたりする形を徹底する編成で守りながら戦う練習でもあった。

 仮に陣容が崩れてしまった場合は、河尻、佐久間、森らの大人衆が割り込んで補佐する形を取りその分数的有利な状況で部隊に被害が出ないように配慮してのものでもあった。

 演習の当初はこうした流れで進んでいった。

 そしてこうした実戦形式の演習を繰り返す中で、信長の戦術眼とも言うべき洞察力は敵の反応を様々な形で見極めて行ったのだ。

 敵が弓を撃ってくる距離感であり、おおよそその弓が届く範囲。

 更には乱戦を仕掛ける、いわば敵が突撃してくるタイミングなど。

 この様に色々な反応が見え始めると、信長はもっと別の反応を探りたくなり、敵が突撃してきたタイミングで全力で逃げてみたり、時には四散するように逃げてみたりしてその都度敵の反応を観察した。

 基本的にはこちらが構えてる状態に突進してくる場合は横一列に歩調を合わせて近づいてくる。

 ところが全力で逃げるとその追撃は自然と縦長に成ってしまう。

 いわば人それぞれで走る速度が変わり、足の速い者は前に、そして遅い者は後ろに成ってしまうのだ。

 また四散して逃げる場合、敵は同じ様に四散して追って来る。

 普通に考えれば当然の反応である。

 勿論、逃げる相手をあえて追わないケースもある。

 その場合は陰湿なほど何度も同じことを繰り返して敵を挑発してみたりもするのだ。ここでも色々な反応を探りつつ、また色々な手立てで相手を挑発して行く。

 こうした実験と検証を繰り返す話を信長は河尻秀隆や森可成と語り合った。勿論そこには信長の悪友たちも混じってのものだ。

 逆に佐久間信盛はさほど興味を抱かなかったが結果が出れば納得した感じだ。

 後に信長が秀隆や可成を大事にしたのはこうした科学的な話が通じる相手だったとも言える。

 いわば信長がこの演習を通じてやっていた事は戦術という科学の実験だったのである。

 そしてこの科学実験の集大成が少数精鋭で戦う術を可能にするのだ。

 殆どの人は上記の反応で何が出来るか…

 恐らくまだ解らないと思う。

 佐久間信盛からすれば、全力で逃げる敵を追えば自然と隊列が長くなるのはある意味当たり前な事で終わるのだ。

 ところがここで数的有利を生み出す作用が生まれるのだ。

 いわば縦長となって追ってきた先頭に居る人数は、密集した状態の数より自然と少なくなる。

 そこへ追われる側が一斉に切り返してその先頭を数的有利な状態で叩くと、敵の先頭集団は容易く崩れる。

 そこへ後ろから追加で敵が追いついてきたとしても、先頭集団が崩れた状態では同じ形勢のままに成るのだ。

 解かりやすい形にすると、極端に20人対100人の戦いで乱戦に成ればそこは1対5の戦場になるが、100人が縦長になってしまいその先頭集団が5人程度の状態で追って来るなら、20対5の状態で敵を叩ける。勿論、追撃の距離にもよるがその時間は一瞬と言っても良い。ただその一瞬でも20人でその5人を叩ければ十分なのだ。

 この20人は少数でも精鋭故にそれだけ選りすぐりの人間な訳で、20対5の状態なら楽勝と言っても良い。仮に20対10の状態でも十分だろう。いわば敵は縦長に追って来るため、同じ乱戦でも数的有利な状態を維持しながら次々と仕留めて行けば最終的には100名全員を圧倒できるという事だ。

 単純にはこういう事だが、この状況を引いては戦い引いては戦いを繰り返して上手く敵を削っていく形で用いるのだ。

 また四散して逃げる場合は、寧ろ視界の悪い森林地帯が効果的でもある。

 いわば四散して逃げた状態で敵を四散させるのだ。

 ただし四散しても3人から5人組で行動していれば、視界の悪い状態で分散した敵を少しづつ叩く場合は数的有利を得られる。

 ある意味精鋭であれば一人づつがゲリラ戦術で戦う事も可能といえる。

 これは宮本武蔵が吉岡道場相手に用いた方法とほぼ同じだ。

 こうした形勢を条件で有利に持ち込む研究の成果が信長と秀隆が抱く自信でもあるのだ。

 

 信長らが弔い合戦に備えるころ、この時期既に古渡から末森城に移った信秀の居城では大事件として扱われていた。

 そもそも弥平次と吉乃の話は、林秀貞の懸案である。

 故に実家を失った土田御前は先ずはその秀貞を責め立てた。

 普通に考えれば悲しみと怒りをどこへぶつけたら良いかで困惑するような事件で感情的に成ってしまう事は理解できる。

 しかしこの土田御前は織田信長の母親である事を忘れては成らない。いわば遺伝子的な意味で信長同様に精神的な強かさを持ち合わせているのだ。

 更にこうした強かさを持つ女性は悲しみを憎しみに変化させて考え始めるのだ。

 いわば人間故に実家を失ったことを一時的に悲しむが、現実主義的な思考で考えると結局は元には戻らないことを理解する。

 その上で悲しみを怒りに変えてその矛先を誰に向けるかを考え始めるのだ。

 

 次回は強かな母子(おやこ)に続く…

 

どうも…ショーエイです。

吉乃と帰蝶の話…前・中・後①②

と4回に分けて進めてきましたが、

まだまだこの流れは続きます。

と、言うのも帰蝶こと濃姫が嫁ぐ話までを想定しながら、

その話にまだ到達できなかったという感じです。

ですが、とりあえず吉乃の前夫がどう死んだのか、

そしてその事が織田家のお家騒動に発展する所で〆ておきます。

 

さて、今回はここで生兵法の話をします。

現代社会に於いて古の兵法書の知識は

十分なほどに浸透している言っても良いです。

それらに書かれた文言に関しては

僕より遥かに知っている人が多いのも事実です。。

しかし、それらの9割は初歩の理解しか得ていないと言っても良いです。

残りの1割の大半は、中級レベルで留まっている感じなのかな?

初歩レベルで留まっているかは、

実際にその内容をどれだけの実体験の中で理解できたかで変わってきます。

 

これは曹操の中訳の内容とした上での話にしますが、

風林火山という言葉を知りながら

使いどころすら解からないでいる人が多いという事です。

 

疾きこと風の如し、侵略すること火の如し、静かなること林の如し、動かざること山の如し。

 

大抵の人が生兵法で終わっているのは、

この言葉を自分の行動を裏付ける為だけに使っている点です。

特に、今は動かずにじっとして居ようと決断した事に対して、

周囲に「動かざること山の如し」と言うだろうと

自分の決断を力説するために用いる場合がこれに値します。

政治家にもこんなの多いですよね。

もし「動かざるごと山の如し」を適切に理解しているなら、

その自分の行動に対して、

「今、自分が先に動けば相手はこちらの意図を察する可能性があるため、ここは相手が動くまで待つ」

という明確な説明が出来るはずなのです。

寧ろ後者のように明確な説明をしてもらう方が、

聞き手も解かりやすいだろうと思います。

似たような意味で「静かなること林の如く」が有りますが、

こちらは寧ろ「沈黙」の心理効果を意味する。

これらを交渉術に応用して考えると、

相手が沈黙してしまうと色々と

こちらは動揺して色々な方向で考えてしまうケースは

多くの方がたは経験されていると思います。

 

交渉術のなかでこうした心理効果を用いて

沈黙の林の如くの効果と、

山の如しの効果を併用すると、

相手はこちらの考えを探りたくなって

ついつい口を開いてしまうという状態には導けます。

ただし、相手が口を開いても

その時点で相手の意図を読み取れなければ

所詮は単なる自身のパフォーマンスでしかない訳です。。

ここで場数を踏んだ経験者は

ある程度相手の意図を察して

次の対応を考えるところまで繋げられるわけです。

ここで中級レベルとして「風林火山」使い方を

体現していることに成るわけです。

いわば林に当たる「沈黙」と

山に当たる「不動」を用いることで

どういう反応を引き出せるかを理解していることになるのです。

 

ただし、これがまだ中級レベルとしているのは

相手が素人…いわば動揺しやすい相手であったり、

交渉弱者という立場で

寧ろ自分に逆らえない人を相手にした場合の話だからで、

元請けが下請けに注文を付けるような場合の話で

通用するレベルと言っておきます。

 

では上級者はというと…

同等の交渉、または交渉強者相手に

風林火山をどう用いるかを心得ていると言っても良いでしょう。

 

説明する時は烈火の如く話し、

聞くときは林の如く静かに耳を貸す。

動かしてはいけないポイントを山の如く定め、

引き際は速やかに行う。

 

そもそもの解釈を風林火山のイメージで考えるのではなく、

寧ろネゴシエーションの基本を

風林火山に当てはめて理解する感じです。

 

そもそもが曹操の中訳だとして説明している点で、

この表現には「穴」が有るわけで、

むしろ当たり前の事を言っているに過ぎないのも事実です。

ある意味、風林火山を知らない泥棒でも、

侵入する際は林の如く息をひそめて活動をする。

彼らは寧ろどうやって

息をひそめて侵入するかの術を知っているわけです。

そして難しいのは山の如く動かない形を作る事で、

これは敵に翻弄される事のない布陣を

築いた上で成立する話に成るわけです。

いわば山の如く動かなければ良いのではなく、

敵が迂闊に踏み込めない布陣ゆえに

それが動かぬ山の様に見えて

初めて山の効果を得られるのです。

 

殆どの人間は風林火山の言葉上の意味で

実践する所で留まるわけですが、

実は風林火山を実践する前段階で

どう機能させるかを考えねば

全く意味がないという事を知らないわけです。

 

兵法に限らず万の書物を読むことは大事ですが、

ただ単にその文字を記憶するのではなく、

またその内容通りに記憶するのではなく、

自分なりに内容を検証して考えながら読まなければ、

何も吸収していないのと同じなのです。

 

【第三十六話 吉乃と帰蝶 後編】

桶狭間へのカウントダウン 残り12年
〔ドラフト版〕

 

 恋は盲目。

 吉乃との恋は信長にとって初恋である。

 特に思春期真っただ中の時期は病にでも侵されたかのように、危い行動にも走りがちなのだ。

 いい意味で恋に純粋であればあるほど、その恋路の邪魔だては許せなくなる。

 時にこうした病は傾城ともいうべき出来事にも発展する。

 

 ここでは先ず吉乃こと九庵桂昌の夫だったとされる土田弥平次に関する話をしておこう。

 生駒家古文書に記された系譜上では、「何某弥平次」という形で姓は伏せてある。これはこの系譜上では異例中の異例で、何か理由があってのものと考えられる。

 様々な推測が立てられているが…ここは間違いなく「土田」であったとする。

 土田が尾張土田「つちだ」なのか美濃「どた」なのかは、事件性によって変わってくる。

 推測の中で登場する「三宅弥平次」が明智秀満という明智光秀の腹心に当たる為、織田家に配慮して消したのでは、というものもあるが、その場合、生駒家系譜は本能寺の変後に書かれたものとして、それ以前の系譜は自称にしかならない。信ぴょう性の意味でかなり怪しくなってしまう。

 土田弥平次という名前で「つちだ」であり「どた」という意味で「土田」が登場するのは、「武功夜話」という書物に由来する。

 武功夜話は「前野家文書」とされる前野長康とその父・宗康が記した日記および談話の記録を編纂したものと言われているが、原本不在という扱いで信ぴょう性が低いとされている。

 特に年表を照らし合わせてみるとデタラメ感が生じるのも事実だ。

 土田弥平次に関しては、1556年に明智城で戦死したと記されていたり、1553年に土田城で死んだとも、1551年に死んだとも記されている。

 代筆と編纂が繰り返されているのも事実らしい。

 基本現存する当時の手紙など外交上の記録以外は歴史を研究する上では一次資料として扱わないとされている。

 太田牛一の「信長公記」に関しても、準一次資料の扱いで、実際に1567年に信長が美濃攻略する以前の話は全てが伝聞及び談話から得た記録として見られる。

 武功夜話の原本に当たる「前野家文書」が日記として記載されていたのなら、一次資料扱いにも成るが、伝聞や談話が混ざっているため全てが正確に記されているとは成らないのも事実だ。

 勿論、原本の存在と科学的分析で執筆時期が明確になればその信ぴょう性はまた変わってくる。

 しかし、伝聞や談話、後日談をベースに記された怪しげな話でも、科学的に心理学と併用して見れば大いに参考にすることはできる。

 

 では、科学的な話とは何であるのか…

 現代でこそニュースなどをネットで調べる技術が存在する訳で、近代までは新聞などがその記録物として残ってきた。

 それ以前の中世では、そうした記録物らしいものは無い。

 日記として事件と同時期に記録したものなら参考に成るが、信長公記の様な伝記ものと成ると、伝聞、談話が混ざっているため、時間軸にズレが生じる可能性は高い。

 

 現代までのニュースで読者の方がたは何も調べずにどこまで覚えているか?

 これを用いて記事に関する記憶の実験をしてみよう。

 9.11として記憶されているアメリカでの同時多発テロ、筆者も流石に調べずとも2001年の出来事だと覚えている。

 では、安倍内閣が安保法制を成立させた時期は?

 日本女子サッカーがW杯を優勝した年は?

 イチロー選手が引退した年は?

 筆者は既に何年の出来事だったかと言われると覚えていないのだ。勿論何年の事か覚えている人も居るだろうが、殆どの人は何時の出来事なのかという点ではかなり曖昧になる。

 しかし、こうしたニュースは衝撃的な出来事としてで記憶している人は多いだろう。

 逆に上記のニュースの発生した順番位は並び替えることは出来るが、ある意味イチロー選手の引退と安保法制成立の時期が曖昧にもなる。

 人の記憶とは実はこうい現象を引き起こすのだ。

 自分にとって衝撃的な出来事だった場合は、その出来事を何気に忘れない。個人の功績などをハッキリと覚えているのもそれに該当する。

 しかし、何時、自分が何歳の時の話と言われると徐々に曖昧さが生じてくる。

 歴史上の記録が伝聞や談話で構成された場合、こうした曖昧さは必ず生じると考えても良い。

 なので他の資料と照らし合わせて年表がデタラメに成っているからその話が嘘と決めつけるのは間違っているとも言える。

 

 武功夜話の様に編纂が繰り返されたもので時間軸の修正などが行われている点は仕方のない事だが、それらは其々の制作者がその話の真実性を持たせるための葛藤であったと理解してもいいだろう。

 寧ろ年表の話より、事件の発生順序から伝聞性や推測性、または憶測による創作が有るのかを紐解いて実態を見極めて行くほうがよい。

 更には他の資料と照らし合わせて矛盾が生じるものか、話の筋立てとして合致するところが有るのか、推理小説で事件を暴くように考えて行かなければ成らない。

 

 先ず記憶に与える衝撃という点で、前野長康が自身の功績としてハッキリと覚えているだろう点で言うなれば、美濃墨俣の一夜城の話などは多少盛っている可能性は有るが、事実として考えても良いと判断する。

 ある意味、原本不在なので事後創作された可能性は否定できないので、歴史的な根拠という意味ではどうしても不足するが、心理的な根拠で言うなれば前野長康を主体にした創作物をあえて強調するかという地味すぎる点が逆に考えられる。

 むしろ前野長康が自己の功績を残しておきたいという一心で記した方の心情を優先して考えるべきだ。

 それゆえ墨俣の一夜城の話は単なる創作と断定するべきではないと言える。

 そういう中で彼の中での衝撃的な発見であり、衝撃を受けた事件として吉乃と土田弥平次の件が存在すると考える。

 実は前野長康および宗康が信長に拝謁出来たのは、1558年頃とされている。

 いわば、それ以前に生じた生駒家の話は全て伝聞になるのだ。

 その中で、吉乃が信長と関係を持っていたのは、濃姫が輿入れする前という情報。

 吉乃の最初の夫と成るべき相手は土田弥平次という人物で、どこかで戦死したとうい情報。ある意味、信長の最愛の女性が後家であったということを知った意味で、その筆者にとっては衝撃が残る話だ。

 そしてここで更なる衝撃的な情報として、実はその土田弥平次は信長の母方の出自の家系であったという事。

 これらは1558年以降、生駒屋敷となった小折城とも言われる中で、従者や侍女などからの談話で聞き知ったものと言える。

 勿論、こんな噂を聞きつけたら誰もが真実を知りたくなるのは当然であろう。

 長康または宗康自身も織田家中の人から、この件を聞き出そうとした。ある意味、当時で言うゴシップを探る記者の様な感じだろう。

 ここで、登場するのが生駒家古文書に記された「何某弥平次」という姓を伏せた事実。

 寧ろ生駒家が信長の母方の出自の人間であることを隠したい事情として参照する。

 そうなると生駒家同様に織田家中の者たちも決して口には出さない話に成ってくる。

 閉ざされた情報をこじ開けようとする心理はゴシップを暴きたい心理として作用し、憶測も含めて調べる流れになる。

 生駒家の従者たちの噂話からは、「つちだ」の姓の名前で土田御前と土田弥平次を聞き取っていた。伝聞での話ゆえに、「つちだ」と「どた」を聞き間違える事は無いと言える。

 武功夜話に土田御前の父親は土田政久ではなく、土田秀久だという形で記されている。

 あえて土田政久を否定し、秀久と記したのだ。

 長康であり宗康は寧ろ土田御前の父親は秀久の方では無く土田政久という人物として伝え聞いただろうと推測した上での流れで推理を進めて行くものとする。

 土田政久という名前でほとんどが統一して伝えているわけだが、既に「つちだ」と名乗る尾張土田氏が見当たらなくなっている。清州西部に土田とい地名は現存するが、尾張土田に関する資料はほぼ見かけない。資料を探る中で、尾張土田氏は近江六角氏の庶流で尾張斯波氏の所へ外交官的な意味で出向していた豪族である点は見えたが、それ以外の情報は調べられなかったわけだ。

 そこでここからは前野長康の行動とするが、長康の中で様々な憶測が考えられた。

 現代でもネット上で飛び交うフェイクニュースや陰謀論は憶測によって構成される部分が大きい。勿論、根拠を示しながら推測するのは推理に成るが、根拠もなく怪しむのは憶測でしかない。

 長康の憶測は、土田政久と生駒親重が同一人物であるところから始まった。長康らは自身の書物にもそう記したわけだ。

 確かに生駒親重は土田(どた)甚助とも言い、美濃土田(どた)氏が出自で、吉乃の祖父に当たる生駒豊政の養子に成って生駒姓を名乗る事と成った。

 この美濃土田氏と生駒家の関係を系譜の一部を参考にすると、生駒豊政の妹が美濃の土田秀久に嫁いでいる。

 生駒親重はその間に生まれた甚助であると生駒方は主張している。この同じ「土田」と記される家柄を長康の憶測で混沌して考えたために史書として意味不明な状態を齎したと言っても良い。

 いわば生駒家と織田家が隠蔽しようとした事実は、美濃土田家を含めた近親相姦という話なのだ。

 土田秀久の系図を見ると良く解る。

 この秀久の妹は「いぬゐ」という名で信長の祖父・織田信定に嫁いでいる。父・信秀の母は含笑院という名に成っているが、一部資料では「いぬゐ」という名であったとされている。

 因みにこの含笑院を弔うための含笑寺は清州の土田に建立されたという事で、ある意味尾張土田との関係性が伺える部分として一応は伝えておこう。

 勿論、長康が突き止めた話は、土田秀久が信定に妹を嫁がせたという話のみで、実際は信定の妾、いわば側室であったといえる。それを信定の正妻で信秀の生母が「いぬゐ」という名であったと主張する意味は、長康がこの近親相姦の憶測を成立させる為だったと言える。

 そしてこの長康の話では、土田秀久の子供に土田泰久、土田政久、土田久通、そして土田御前が居たとされ、信長はいわば従妹同士の間で生まれた子という意味で成立させている。

 史書を参考にすると、生駒親重の子、生駒親正は信長より8歳年上で、親重は信秀と同年代か多少年が上程度だったと考えられる。

 そうなると長康の憶測として、生駒親重と土田政久が同一人物に成る場合、土田御前が土田政久の娘となると年齢的に可笑しな存在に成る。

 故に親重の父である土田秀久が土田御前の父として、土田政久の妹として嫁いだのではと考えた。

 更には生駒家を通じて信長と吉乃の間にも親戚関係が成立する形で、信忠、信雄、五徳は近親相姦で生まれた信長に加えて更に近親相姦が重なった子という形で憶測を強めたのだ。

 故に、生駒家と織田家が隠そうとしていた話の裏側と結論付けた。

 武功夜話であり、前野家文書が門外不出なものとして扱われていた事実も、こうしたとんでもないゴシップを記したためとも考えられる。

 ある意味、こんな話が織田家に漏れたら一族断絶では済まされないような話なのだから。

 ただし、これらは長康が勝手に憶測で考えたものでしかない点は断言しよう。

 いわば、ここまでの憶測を成立させておいて、結局のところでは何故、吉乃の前夫である土田弥平次の名前が隠蔽されるのかに成るからだ。

 ある意味、仮に美濃土田の弥平次だったとすると、吉乃の初婚が従妹同士のものという関係が問題なだけで、信長との婚姻に関しては生駒家があえてその弥平次の姓を伏せる必要性はないのだ。

 吉乃が後家であった事実が問題なら寧ろ初婚の話すら抹消するだけのものと成る。前夫との血のつながりを問題視したとしても、後家と成った事が記されているなら、既にその婚姻自体は問題視して考える必要性も無い。

 そうではなく「何某弥平次」としなければ成らない、吉乃の初婚相手に別の何かがあると考えるべきなのだ。

 

 そうするともっと大きな事件と成りうる話で、後の信長の弟・信勝との確執に土田御前が関わっていた事実に照らし合わせて考えるべきと見た方が良さそうである。

 更に筆頭家老である林秀貞らはじめ、主だった織田家の人間が信勝側に付いた根拠にも結び付く大事件として見るべきなのだ。

 史実として明確な流れは、この信長の母親を介して織田家中が分裂したという事である。

 この信長と信勝の争いは他のケースとはまた違う。

 まずは生母が同じ兄弟同士。

 そして筆頭家老である林秀貞は信長付であった事。

 いわば通常起こるお家騒動は、生母が異なり女中の実権が元で起こるケース。

 または家中の重臣の権力争いで起こるケースが一般的だが、林秀貞の立場上、信長に反旗を翻す必要性はない。

 これらを踏まえて嫡子として地位が確定した状態でこのお家騒動が発生したことを考えると、信長の資質に問題が有ったと見なされたとすることに成るわけだ。

 史実であり信長公記に記される流れで実際にお家騒動に発展するほど資質を疑う事が書かれているかというと、寧ろ辻褄が合わなくなる。

 唯一は父信秀の葬儀で焼香をぶちまけたくらいの事。

 しかし…誰もが疑問に思わねば成らない事は、なぜ信長がその様な暴挙に出たのかという事。

 いずれの資料にしても信長が大うつけとされていた事は記されてても、なぜ大うつけという形で資質を疑われるほどに見られたかの理由は全くないと言っても良いだろう。

 寧ろそこに記された信長の奇行を見て、戦国の世にあってそれほど酷いかと思うものばかりと言っても良いだろう。

 

 これらを紐解いて考察した上で、長康、宗康親子の情報を推理する話に成るのだ。

 実際の記録として2人が信長に拝謁したのは信勝との争いも含めて全てが終わった1558年というう流れから、その中で先ず前野長康が事実として知り得た点と生駒家が何を隠したかったのかを挙げて考えてみるものとしよう。

 

 吉乃と信長の関係は濃姫こと帰蝶が嫁ぐ前であった。

 生駒家が馬借を生業とした商家であった。

 濃姫が嫁ぐ前に吉乃は身ごもっていた。

 そして、吉乃の前夫または初婚に成るはずの相手は土田弥平次という人物だった。ここでは「どた」か「つちだ」かは伏せておく。

 

 更には生駒家歴代が否定しようとしてきた事実。

 

 生駒家が馬借を生業とした商家ではなく、武家であったという事。

 吉乃の初婚相手は「土田弥平次」という名を伏せて「何某弥平次」とした事。

 

 先ずは生駒家の心情から推察して行く。

 吉乃と信長の関係が濃姫の嫁ぐ前だったとするなら、本来なら吉乃は正室として弾正忠家に嫁いでも可笑しくはない。

 しかし、吉乃は正室として嫁げなかった。

 いわばそこには生駒家と弾正忠家の家柄の格差が有ったからだ。

 その意味で美濃の土田(どた)氏を見ると、美濃土田氏は生駒家の娘を迎えて嫡男を産ませている形に成るわけで、ある意味生駒家の子女を正室として受け入れれた家柄に成る。

 いわば、生駒家と美濃土田氏は同格なのだ。

 ならば美濃土田氏が織田弾正忠家に正室として土田御前を嫁がせられたなら、生駒家も吉乃を正室として嫁がせることは出来たとも考えられる。

 勿論、同じ土豪であっても、美濃土田氏は武家で生駒家は商家という違いが生じる。

 生駒家が商家であったと断定できる事実は、寧ろ生駒豊政が土田甚助を養子として家督を継がせた点にあると言える。

 いわば土田甚助は美濃土田氏の血を引き継ぐ士族で、吉乃の父・家宗は豊政の嫡男であるにも関わらず、商家の血筋にすぎないという点だ。

 そして、その血筋ゆえに娘の吉乃は信長の正室に成れなかったという負い目もあり、それでもそこから信長の嫡男として信忠が成長した経緯を以てあえて商家であったという身分を隠ぺいし武家であることに拘った。全ては信忠の為とも言っておこう。

 無論、そこには信長からの気遣いや生駒家から信忠への気遣いが生じてのものと言っても良く、単なる見栄での話では無い。

 寧ろ見栄での話なら、土田甚助を生駒宗家という嫡男にしたことがそれに成ると言えよう。

 一次資料として残る信長から戦功の報奨として渡された手紙の内容は、寧ろ馬借という配達業で自由に商売してよいという内容に成る為、実際に商家である事を否定は出来ない。

 

 こうして家の格で流れを進めると、信長の母・土田御前の出自として美濃土田氏も危ぶまれる。

 信秀の最初の正室は、織田達勝の娘で尾張守護代の家柄になる。それと離縁して土田御前を継室として迎えたなら、寧ろそれ相応の家柄が保証されなければ成らない。

 美濃土田氏ももとは佐々木六角氏の末裔と称している。

 尾張土田氏も同じだが、問題は当時の家柄として関係性だ。

 美濃土田氏は明智傘下の土豪に過ぎず、当時の婚姻で使われる名目上の養子縁組は明智氏が精一杯だ。六角氏の末裔を名乗った所で宗家の六角氏が美濃の土豪の土田氏を相手にするとは考えにくい。

 現代でこそ明智光秀の威光で明智家は名門の様に扱われるが、当時の美濃での地位は、守護代斎藤氏、その下に長井氏と、明智はその下の存在にしか成らないのだ。

 仮に織田弾正忠家との外交上の政略結婚で家の格式の保証が必要なら、最低でも長井氏と養子縁組できるくらいの家柄が必要と成るのだ。

 寧ろそれ以外の家柄の娘なら正室という待遇ではなく側室で十分という話になる。いわば美濃土田氏と縁組しても美濃との外交上の影響力は全く機能しないのだ。

 逆に、美濃土田氏を織田方に懐柔するとするなら、弾正忠家から娘を差し出す形が考えられ、明智の傘下でしかない美濃土田氏を立てて正室という形で人質を取る流れは殆ど意味がないのだ。そういう意味でなら側室で十分に成る。

 一方の尾張土田氏なら同じ六角の末裔でも六角氏との繋がりは深い。いわば尾張斯波氏との外交上の仲介役で出向した家系だというからだ。

 美濃国諸旧記という史書の中には、信秀の正室は六角高頼の娘だと記されている。美濃国諸旧記も原本不在で記録形式も判明しておらず、一部後世に記されたものも存在する為、作成時期も不明で怪しいが、寧ろそこに伝聞としてそう残される意味で考えるなら、土田御前の出自は六角氏に近いと言える。

 ただし、六角高頼は1520年に死んでいる為、信秀は9歳の時に土田御前と婚姻を結んだ話になるため真に受けて考えると信ぴょう性は薄くなるが、高頼ではなく定頼の聞き違いならある意味話は成立する。

 伝聞による間違いは当然のものとして考える必要性は有る。

 もう一つは信長の生母が小嶋信房の娘だったする説。

 これも小嶋信房がどれほどの人物だったのか殆ど知られていないほどの家柄で、正室という扱いではなく単なる側室の一人であった可能性が高い。

 寧ろここで小嶋信房の娘が信長の生母として考えられたのは、土田御前との関係が親子とは思えないほどに確執が有ったため、織田家内縁の事情として憶測で記したと考えることでもある。

 仮に、土田御前が信長の生母で無い場合、先ずは信勝と共に土田御前は排除されていただろうし、後に信長の次男である信雄が彼女の面倒を見るような配慮までしなかったと考えられる。

 仮に小鳩信房の出自で尾張土田家を通して養子縁組のもと嫁がせた可能性もあるが、そこまで考える必要性も無く、どの道現状では単なる憶測でしかなくなってしまう。

 当時も今も、フェイクニュースは横行する訳で歴史の場合分別するのはかなり難しいと言える。

 そうした中で情報を統計上で結び付けて考えるなら、土田御前と近江六角氏の結びつきで考える方が資料上濃厚となり、その上で一番有力な家柄は自然と尾張土田(つちだ)氏に成る。

 たまたま土田御前の父親が土田政久という人物で、美濃土田氏も秀久という形で「久」を名前の継承に使っていた可能性もある。

 実際に、土田政久は土田御前の父としてしか登場せず、武功夜話が主張する生駒親重とは全く関係ないと考えてもよいだろう。

 

 そして、最後にようやく土田弥平次の話に戻るが…

 土田「つちだ」なのか「どた」なのか…

 本来は彼の出自はどうでもいいと考える。

 しかし…「何某」と記された人物である以上、そこに大きな事件性を感じるのだ。

 本来信長と土田御前の関係性において、生母が同じ兄弟なら、その母親としては兄弟が手を取り合って進むことを望む。

 多少の愛情に差はあるといえど、兄弟がいがみ合う形を望むことは考えにくいのだ。

 しかし、土田御前は弟の信勝を支持し、家老である林秀貞や柴田勝家まで取り込んで信長に対抗した訳だ。

 土田御前が野心家で、自分の傀儡にしやすい信勝を利用した可能性もあるが、それでは現実問題として多くの家老を取り込むことは難しい。ある意味実直な性格で知られる柴田勝家がそれに与する事も些か疑問が残る。

 これを土田弥平次の出自が信長の母方の実家「つちだ」だとし、信長が吉乃を取られた腹いせでその弥平次を謀略に嵌めて殺したなら…

 これは大問題に発展する。

 そこから土田御前と信長の間で確執が生じる流れも繋がり、信長の行為は「大うつけ」として織田家中にも映る話に成る。

 いわば…この事件があってこそ信長のその後の流れと合致するのだ。

 

 では、信長はどやって弥平次を嵌めたのか・・・

 

 信長と吉乃は仲睦まじい間柄なのは、近習に使える者誰もが目にしていた。かと言って吉乃は周りにも気配りを忘れず、面倒見も良かった。そういう意味で誰もが認める存在だったのだ。

 吉乃と土田弥平次の婚姻の話は、信長にこうして仕えていた者たちの耳にも届いていた。

 河尻秀隆にも佐久間信盛にも、また森可成にもである。

 思春期を既に過ぎた彼らからは寧ろ信長の恋路を一過性のものと見ていたのだろうか。

 傍から見ればそう見えても可笑しくは無いだろう。

 仮に信長の恋路の相手がただ美しいだけの女性であったのなら、近習の者たちも諫めるべき話として受け取った言える。

 しかし信長の側で吉乃の器量を目にした彼らは、この婚姻が政略的な意図をはらむことを理解し、逆に信長に同情したと言っても良い。

 

 前話で「前に出る者」と「一歩引ける者」の話をしたが、傾城はいわば「前に出る者」が要因と成る場合が多い。

 この「前に出る者」の特徴は自らの存在感をアピールするものである。

 こうした傾向はごく一般的でありふれた存在でもあるのだ。

 反対に「一歩引ける者」は寧ろ稀な存在であり、そういう姿勢は逆に人の目を引くと居ても良い。

 現代でも「神対応」と言われる行動が称賛を浴びるわけだが、こうした行動には周囲に気を配って円満な解決を模索できる能力が必要となる。

 誰もが理想とする解決力で有る故に目立つわけだが、中々誰もが思いつく方法とは成らないのも事実だ。

 前に出る者はむしろ自分の格好良さをアピールすることに務め、対象者を無駄に傷つけてしまう。

 勿論質の悪いのも居る為、一概に評価するのは難しいが、相手の意図を汲み取らずに一方的に自分の正義や論理で押し通すのだ。

 傍から見るとむしろ逆に勘違いしている様にも見えるケースである。

 一歩引ける者は相手の意図も汲み取った上でお互いが妥協できる所に落としどころ見出す。簡単に言えば、一方の主張も立てた上で、もう一方の権利を守るという形に成る。

 それ故にそれを目にした人々はその器量に惚れこむ意味で称賛を与えるのだ。

 

 信長の側仕えであり近習の者たちにとって吉乃の存在は寧ろそれに近いかそれそのものに映ったと言える。

 いわば信長の恋路の相手として信長にべったり付きそうだけの存在ではなく、分け隔てなく皆と接して気を配る女性であったと言える。

 これは信ぴょう性は些か欠けると言われるが前野家文書の内容を読み解くと見えてくるものでもある。

 秀吉の様な人物を適正に評価して信長に紹介したというエピソードなどがその代表例と言っても良い。

 いわば伝説の様な存在にも成りかねない話であるが、歴史上の記録の一部としてその存在を残しておきたいと思わせるほどの人物であったという評価は、寧ろ史実として認識する方が話の筋立てが見えやすくなると言っても良い。

 例えるなら「三国志演技」の中の諸葛孔明の神掛ったエピソードの数々、全てが伝説的な話であるが、いわばそのエピソードに信ぴょう性を置くのではなく、寧ろ諸葛孔明という存在が神掛った人物であるという点のみを史実として読み解くという事を意味するのだ。

 いわばその神掛りな手法は史実としては「謎」であっていい。

 しかし諸葛孔明がやった事の多くは普通では理解を通り越したものであった点は理解されるべきで、最終的に伝説として表現するには魔法にでも掛けたかのようにするしか術がない様な話だったという事に成る。

 普通の人がマジックのトリックを知らずにマジックを見せられたときに、まるで魔法に掛ったように見えてしまうのと同じで、伝説の中ではその魔法に掛った話のみが言い伝えまたは文書の中で独り歩きした状態で記されている感じなのだ。

 こうした流れは史書を読み解くうえで参考にされるべき点と言っても良い。

 現代の歴史家たちは信ぴょう性の欠ける話として無視しがちなのだが、伝説がなぜ伝説として存在したのか、又は後世に伝説として残った経緯を探求し、正式な史書と照らし合わせて研究することで新たな発見に結びつけるべきだと言っておこう。

 

 吉乃の存在はいわば伝説に成りうるほどの存在であった。

 いわば吉乃を知る信長の近習たち誰もが、彼女を信長の正妻になるに相応しい存在と認めていたほどだったと言っても良い。

 故に信長の恋路は一過性の病という認識ではなく、寧ろ天命または運命とも考えるほどのものとして彼らも感じていたという事に成る。

 それゆえに土田弥平次との政略結婚は、天命への障害であり、運命に反するものにも感じても可笑しくはないのだ。

 

 反対に吉乃の存在を知らない者、いわば織田弾正忠家家中の平手政秀であり林秀貞らは、一過性の恋としてこの問題を考えていたと言える。

 故にこの問題は信長の母方の家との政略結婚という方法で、容易に解決できると思っていたのだ。

 

 「まさかこの婚姻をあえて妨害するなんて事は無いだろう…」

 

 秀貞に至ってはそう考えていたのだろう。

 

 時は戦国、人の命は時として軽く見えてしまう。

 家中の意向での話ゆえに、信長の威圧であり脅しは相手に通じるとは考えにくい。

 かといってこの恋が信長のみならず信長の近習にも運命として絶対に成就させるべきものと意識されたのなら、2人の恋路の障害は七夕などのおとぎ話の悲運のようにも映ったであろう。

 ゆえに手段を選ばず成就させたいと考えても可笑しくはない。

 かといって暗殺というあからさまな手段を用いる話には成らないのも事実である。

 勿論、信長としては暗殺でも構わないと思うほど憤りを感じていた訳だが、ここに佐久間信盛が一案を講じた。

 年長者である信盛も河尻秀隆もそれだけ吉乃の存在を認めていた訳である。

 

 「家中の意向であるゆえに、あからさまに彼のものを排除する訳には行きませぬ。かと言って彼のものにこの婚儀を諦めさせるのも難しいでしょう。」

 

 いわば信長が弥平次に婚儀の破棄を要請しても、結局は家中からの圧力でその要請に応じない事は想定できるのだ。

 勿論、暗殺という手段で下手に排除すれば、信長の罪となり嫡男としての資質が問われる話にもなりかねない。

 多くの者たちはこの点を危惧していた。

 寧ろ諦めるしかないという状況でもあったわけだが…

 信長は全てを捨ててでも構わないという程、病に掛っていた。

 

 「では…その土田弥平次なるものを戦の先陣として使ってみるのは如何でしょう。先陣は些か危険が多いものでその器量を計る意味では打ってつけと言っても良いでしょう。」

 

 佐久間信盛は後に「逃げの佐久間」と言われる殿の名人の異名を取るが、それとは別に謀略によって私欲を肥やすことにも長けていた。

 信長は後にこの信盛の姿勢を糾弾し追放する話に成るわけだが、ここではその信盛の知恵に頼る話と成るのだ。

 

 「清須の西、土田領内付近には野盗どもの巣窟が有ります。その野盗掃討に土田弥平次を招き先陣を申し付ければ如何かと…」

 

 実直な河尻秀隆はここまで聞くと全てが理解できた。無論、彼はこういう謀に共感は出来ないが…あえてまだ黙っていた。

 

 「今、その野盗には滝川(滝川一益)なるものが潜伏しておりますゆえ、こちらの意向通りの手はずも可能です。一益には野盗の中枢でもっと探りを入れてもらわねば成らないため、その手土産程度に弥平次殿に働いてもらえればと・・・」

 

 かつて滝川一益が既に織田家に仕官した話は記しており、その際に野盗らに潜伏する任を受けていた点は伝えてある通りだ。

 いわば信盛は皆まで言わず、あえて土田弥平次の器量を計る意味で先陣を切らせる話をしたとするところで止めたのだ。

 信長からすればここまで聞くと、土田弥平次を戦死に追い込む算段として理解できるが、信盛は手はずが整っているゆえに先陣を切っても安全という意味を含めて提言したのだ。

 

 秀隆はこの謀略に不快感を覚えたものの、いわば戦場にて運命(さだめ)に委ねるという形で妥協した。

 ある意味、土田弥平次なるものの武運が有るのなら、その先陣の任を上手くこなすだろうという意味での妥協だ。

 

 恋の病に陥った信長からすれば戦場なら如何なる事故も有りうる話で、下手したら背後から暗殺という事まで考えた。

 勿論、信長の正義に反する話ではあるが、恋の病とはそれをも覆すほどに恐ろしいものだ。

 冷静な信長ならその様な謀計は決して許すことはなかったと言っておこう。

 思春期の子供を抱える親たちはそういう事を理解しておくのも大事だと伝えておこう。

 

 野盗狩りとは実戦の演習を兼ねたものである。

 敵対勢力となる国人衆を含めて野盗とすると、それは寧ろ政治的な意味での「野党」とした方が良いだろう。

 ここで言う野党とは政治の中での政党関係の話とは違い、領内に於ける権力外勢力を差す。

 かといって野党の拠点を簡単に潰していくという話でもない。

 寧ろ簡単に潰していける話なら、戦国時代の治安はもっと安全に統治できた話に成る。

 野党とは反勢力組織であり野武士とも、一部は国人とも言われる組織で、現代風に言うなれば反社会勢力、暴力団的な組織である。

 その組織が点在し仮に連携を組んで反乱を起こせば、いわば一揆が発生する事態に相当する。

 または一揆などを扇動して領内を脅かす存在でもあったと考えられる。

 国人と別に地下組織的なものに成るとゲリラ的に拠点を転々とする形であった為、発見も難しいと言える。

 史書などには詳しくこうした手法は記されていないと思われるが、現代の反社会勢力の手法がその当時にもあったと考えるなら、そこを参考にその部分は研究されるべきと言っておこう。

 いわば商人の移送を襲撃してその都度ショバ代を取ったり、農村を襲撃してみかじめ料を取ったりという形で生き延びた勢力である。

 逆にドラマや映画の様に、農村を襲撃して略奪するのは彼らにみかじめ料を納めない所への見せしめであり、寧ろ殆どの農村がこうした組織にみかじめ料を払う形で難を治めていたとも言える。

 その大きな勢力が国人衆という形で記されており、こうした農村との関係から一揆の扇動などを用いて領主を脅かす存在として位置したと考えられる。

 ある意味国人衆となれば領主から独立した形で知行を得ていた場合も多い。

 故に領主たちも野党勢力と上手く付き合って、揉め事の解決を任せる形で黙認していたとも言えるだろう。

 現代でこそ反社勢力撲滅の動きが当たり前の状態に成っているが、近代までは政治と反社勢力と持ちつ持たれつの関係があった為、寧ろ戦国時代の様な社会ではそれが当たり前だったと考えても良い。

 故に野党狩りはある意味異例中の異例であると言える。

 寧ろこの野党狩りを軍事演習として用いたのは信長の発想なのか、それとも信秀の方針だったのかは不明であるが、後の信長の秩序を参考に考えるなら合理的な手法として実践していたと考えた方が賢明であると言えよう。

 勿論、合理的な手法であっても簡単に彼らを壊滅出来るのなら、どこの領主も実践している訳だが、そういう訳にも行かない故に誰もが放置していたと考えたほうが妥当でもあるのだ。

 寧ろ戦が頻繁に発生する時代ゆえに、味方勢力として懐柔しておきたい事情もそこには有ったと言えよう。

 

 信長らは家中の名目上は治安維持で、生駒家が生業とする馬借の警護を通じて野党勢力との接触を試みた。

 いわば馬借という配送業が一番狙われやすい所で、偶々生駒家がそれを生業としていたから、それを活用したという形に成るのだ。

 傭兵を装って警護をしつつ、襲撃してきた野党を追い払い、密偵を放って逃げていく連中の後を付けさせて彼らの拠点を暴くところから始める。そして、後日その拠点を襲撃する。

 この際の襲撃は壊滅というものではなく、寧ろ敵を削る意味で行うのだ。

 いわば信長の部隊は100人程度で、相手も相応に拠点を守っている。軍事演習である以上、信長の部隊に死傷者を出すのでは意味がない。

 掃討作戦としてはリスクが高すぎるわけで、寧ろその様な作戦の場合は家中の協力を仰ぎ、下手すれば国人衆との戦になることを覚悟したものと成る。

 故に攻城戦を想定しつつ、犠牲が出ない程度に襲撃し、戦闘慣れさせるところで留めるのだ。

 無理に敵の殲滅を考えるなら、演習目的で訓練した兵士を無駄に死なせる事にも成るわけだ。

 勿論、こうした指導は河尻秀隆ら大人衆を通じて、政秀や沢彦から与えられていた。

 そしてこの演習を通じて、信長は犠牲の少ない攻め手の方法であり、引き際、更には殿(しんがり)の方法、そして殿を以て伏兵を配置するなどの兵法というべきか兵術の基礎を学ぶ程度のものだった。

 また、度々襲撃を加える事で敵は兵力を徐々に損耗し、自軍は消耗せず維持できれば少しづつ確実に攻略して行ける道筋も学べた。

 こうした演習で培った戦い方は後に実は美濃攻略に時間を掛けたところでも生きてくるのだ。

 

 実は信長の戦い方を研究するに、その強さは引き際の上手さと防御しながら戦う手法にあると見受けられる。

 長篠および設楽原の戦いで顕著に見られる点だが、浅井長政の突然の裏切りなどでの切り返して引いた判断、美濃攻略までの過程などでもこうした戦術・戦略眼は活きてくる。

 美濃攻略に於いてはある意味桶狭間から7年の時を要するものと成るが、信長が無理な形で一気に攻略に挑めば、良くて父信秀と同じ所で頓挫した可能性もあり、最悪尾張の弱体化が進んで破滅した可能性もあったのだ。

 こうした慎重な戦い方の基礎は寧ろこうした野党狩りの経験によって培われる必要性があり、経験なくして天性で習得するにはもっと時間を要したとも言える。

 いわば信長は若くして時間を要して敵を削る事が完全な攻略法であること実感していた故に、戦国の世で大成できたという事である。

 ある意味、この野党狩りまたは野盗狩りは治安維持が目的では無く、あくまでそれらを相手にした模擬戦なのだ。

 その上で敵の兵力を徐々に削って勢力を弱める作用と成るに過ぎなかった。

 後に、こうして野党狩りを進める中で、度重なる信長の襲撃に屈して投降する勢力も出てきた。

 蜂須賀小六(正勝)であり、前野長康らは当時20歳か18歳くらいであり、出自の国人衆の勢力としてではなく、近隣を荒らす今でいう愚連隊や暴走族の様な形で賊徒を率いて暴れまわっていた。

 いわば野武士集団の川並衆がこれに当たる。

 武功夜話などには川並衆と長康の出自の国人衆勢力は別物として記されていることから読み取れる流れである。

 いわば国人衆の方は父・宗康が率いており、長康は小六とともに別の川並衆として活動していた様だ。

 実際に信長に投降した時期は不明だが、史書としての記録では1558年に長康・宗康親子は信長に拝謁できたとされている。

 後の秀吉との関係性を考えると、1554年以降の話として、密偵として入り込んだ秀吉が彼らに投降を促して織田家に使えさせ、その際に秀吉の余力となった流れなら、武功夜話に記されたものとかなり合致する内容になるとも考えられる。

 特に1556年頃の話だと、丁度信長の後ろ盾であった斎藤道三が撃たれた時期で、更に弟・信勝との稲生の戦いがあった。

 この時期信長は自軍に味方する勢力を求めていたとも思われ、こうしたタイミングで秀吉が川並衆を引き連れてきたのならそれは大手柄になるとも考える。

 勿論、詳細は後程この時期のエピソードに合わせて書くものとする。

 

 勿論、こうした野党と一括りに言っても、様々である。

 小六らの様な若者の愚連隊として悪さを仕掛ける組織、更には彼らの出自とされる国人衆、また盗賊と呼ばれる窃盗団であり、一般的に忍びの様に扱われる暗殺団などもある。

 国人衆は寧ろ知行の様な場所も有り、現代で言う指定暴力団組織に近いとも言える。寧ろ下手に領主であり他勢力と揉めるような行動はせず、秩序だった独自のルールで生業を守ることに専念する。

 若者の愚連隊は、今でもヤンチャをする形で存在感をアピールする訳で、戦国の世ではよりむしろ秩序に反する行動をしたと思われる。

 現代の彼らとは違い、殺傷といった行為は当然の時代ゆえに単なるヤンチャでは済ませれないレベルであった事は理解しても良いと言えよう。

 盗賊であり忍びの様な集団は、今でも地下組織であり、表には見えにくい。その分、質が悪いが国人衆の一部が関わる場合も想定できる。これは現代でも同じかそれ以上に巧妙に出来た時代と言っても良い。

 史書としてこうした組織の話は「謎」に成ってくるのは当然で、仮に盗品目や暗殺リストのような文書記していたとしても、摘発される前に証拠隠滅で燃やすといった形に成る為、史書として残るケースは稀と言っても良いい。

 勿論、摘発する側も裁判所から逮捕状を取るような手続きは無いため、証拠も関係なく疑わしきだけでも襲撃する。

 それ故にそうした出来事が歴史上の出来事として残るのは稀である。

 寧ろ倭寇という海賊の話であり、石川五右衛門の様に伝説として残るくらいが関の山である。

 

 信長らが相手にした組織は寧ろ若者で構成される愚連隊の様な連中か盗賊の様な地下組織である、寧ろ領国経営に影響する国人衆は対象としていない。

 逆にそこを対象にした場合、領国問題に発展しかねないと言える。

 寧ろ国人衆の場合、荷馬を襲撃するような事はしないだろう。

 そういう襲撃をするのは盗賊の方で、国人衆が直接手を下す様なことはしない。

 勿論、犯罪組織の構図で言うなれば、盗賊が徴収した商品は国人衆を介して商人に売りさばかれる形が想像できるが、この時代では罪は実行犯の盗賊でそれをほう助した者までは裁けなったと言えるし、その証拠を掴むのはまた難しい時代であったとも言える。

 言い方によっては、「知り合いから商品を譲り受けただけ」で済まされると言っても良い。

 一部の国人衆は愚連隊や盗賊を実行犯として利用していた事も想定されて考えても良いと言える。

 

 と、は言え、証拠があっても中々国人衆という大きな組織に手出しをすることは出来なかったと言えよう。

 

 信盛が進言した野党勢力は、尾張一体を組織する盗賊団である。

 場所も尾張西の津島と清須の間に位置するとすれば、現実的に存在した可能性は十分にある。

 寧ろ盗賊団とするのも、津島の商港から清須に運ばれるルートに成るゆえにそうした組織が一番存在しやすいのだ。

 また丁度、土田が「とだ」ではなく「つちだ」だとするなら、その所領はこの辺りに位置する。

 

 更に大和守家が管轄の清須付近ではなく、弾正忠家の勝幡城に近い場所であれば、弾正忠家の管轄内にも成る。

 土田が信長の生母の出自であれば、この賊徒討伐に助力するのは当然という形も成立する。

 先にも話した様に、信長たち本来の作戦はあくまで模擬戦であり、掃討する作戦としては部隊の規模が少ないと言っても良い。

 また掃討作戦という相手を壊滅させる目的の場合は、それだけ人的損失も覚悟せねば成らないのだ。

 勿論土田側が信長の要請に応じて、300から400の兵を出してくれればそれ相応に戦えるという話にはなる。

 こうして…先ず信盛が土田弥平次に盗賊団討伐要請の文を記した。

 信盛は文の中で、

 

 「津島と清須を結ぶ街道沿いに度々出没する野党団の拠点が、御領内の西南に存在し、これを討伐する為の軍を差し向ける。

 よって土田方に道案内および先陣としての援軍を要請したい。敵数は数百程度と推定。

 当家は弾正忠家嫡男 織田信長公を含め100余名にて討伐に向かうものである。」

 

 この様に記して土田弥平次に宛てた。

 当時、土田弥平次は土田家当主では無いものの、恐らくその嫡男という立場であったと考えても良い。

 弥平次の父が誰であるか不明だが、その祖父は土田政久で信長の祖父に当たる。

 寧ろ信長の我がままを制止する意味での政略結婚で、それ相応の相手で無ければ、逆に効果は薄く、むしろ信長の威圧に屈する可能性も有る。

 また、信盛が書状を送る意味で、土田家当主に宛てるのは身分不相応なものと成る。当主に宛てる場合、少なくとも家老の平手政秀くらいの身分に頼らねば無視される可能性も有るのだ。

 逆にその嫡男に宛てるのなら話は別で、当時の信盛程度の身分でも問題はないと言えよう。

 勿論、ここで弥平次が兵を率いて援軍を出してくれるかは不明であるが、弾正忠家嫡男の信長が向かうという話に成れば、その弥平次自ら率いて援軍するのが寧ろ当然であろうという流れにも成る。

 

 そして信盛からの要請を受けた弥平次はその話を当時の当主である父に伝え、自ら部隊を率いて援軍することにした。

 ところが…ここで想定外の出来事が起こったのだ。

 

最近あまり長く書きすぎると、

ブログとしてアップできない現象が発生するので、

今回は分割して記すようにします。

 

まあ、この吉乃姉さんの話は本当に複雑でややこしいです。

色々な史書にある内容と照らし合わせると、

凄い滅茶苦茶に成ってくる。

信長たまの母・土田御前の出自に関しても、

かなり意味不明だし、

「つちだ」なの「どた」なの

と言ったところも

史書を参考に読み解くと全く確定しない。
 

でも最終的に母と子の確執があった事実に

照らし合わせて構成して行くと、

大きな事件がここに潜んでいることが、

プンプン匂ってくる。

 

今まで書かれてきた信長たまの若い頃の話では、

正直家中が割れるほどのうつけっぷりは有りませんでした。

唯一の決定打は

父親の葬儀で焼香をぶちまけた異常な行動くらいです。 

母性で見るならある意味この行動だけで

息子を見限るとは考えにくい。

 

故に、母親との確執は

それ以前に生じていたと考えるのが妥当なわけです。

 

これが歴史的な真実と断言するいみでは、

この推理を裏付ける文章が

一次資料として発見されなければ成らない訳ですが、

先ずもってそういう発見は無いだろうと思われます。

 

そうした実情も踏まえて

現存する史書の中で推理を構成し、

これ以上ないほどに

前後の事件、

ある意味、織田家の確執に結びつける形は

他に無いと断言します。

 

野党狩りの話にしても、

実は根拠があるのです。

先ず、江戸時代に

武功夜話の作者の一人が生駒家の人に、

「もし商売をしていた場合、どんなことをしていたか?」

と、聞いた際に、

生駒家の人は、

「馬借の傭兵」

という事を言っていたという記事がありました。

ここから察するに馬借は盗賊に狙われやすい流れで

用心棒を必要とした事が伺えます。

 

初陣した後の信長たまは暫く戦に参加した形跡が有りません。

もし信長たまがその後も戦下手だったのなら、

単にその間遊んでいたという事も考えられます。

しかし、実際には父・信秀が無くなった後、

ほぼ連戦連勝で勝ち進む訳です。

しかも数的不利をも覆す戦い方で。

 

では…どうしたらそんな屈強な部隊を構成できるのか?

 

いわば現実的な話、

信長たまの才覚だけで連戦連勝できるほど

戦は簡単ではない。

そこには他を圧倒するだけの

戦慣れした屈強な兵士たちが揃っていなければ

これだけの戦歴を築けない。

 

これは単なる鍛錬だけで到達できるものでもない。

 

実戦慣れさせるために

その都度、戦を起こすわけにもいかない中で、

生駒家との出会いで、

こうした野党狩りを思いついたのです。

 

実際に信長たまは頻繁に生駒屋敷を訪れているわけで、

更には小折城ともいわれる形で、

この生駒屋敷を築かせているのです。

生駒家に残る資料では、

その規模は清須城より大きかったとされているのです。

 

最終的にこうした野党狩りを頻繁に実施する中で、

兵の鍛錬と治安向上の両面での効果が

生まれたと考えられます。

 

これらは信長たまの治世にまつわる部分で、

紐づけできる話ともなるわけです。

そういう意味では単なる推測ではなく、

むしろ史実に存在する話を成立させる意味では、

これらが政策として機能していなければ

成らないという科学的な根拠になるのです。

 

更にはこうした治安と演習を用い、

生駒家の様な商人から傭兵という名目で徴収することで、

兵農分離とも言われる

職業軍人化を構成することも出来たのです。

最近の歴史家は発想力が無く、

織田軍団は職業軍人化は出来ていなかったとしているが、

それは信長直属とその他配下が用いる領民兵とで、

明らかに分別されいたと考える方が良いです。

 

信長たま直属いわば馬周り衆を含めた部隊は、

完全に職業軍人となっており、

元々は傭兵代という形で受け取っていた制度を

こうした治安維持活動を実施することで、

商人からの徴税という形に変化したと考えれば、

史書に残る流れと合致するのです。

堺の商人たちに求めた部分も、

こうした活動で領内安全に運搬できる保証を担保に、

要請したから

関係を拗らせることなく纏まったとも考えられます。

 

うつけの兵法はただ単に

創作や推測で構成しているのではなく、

史書の中で詳細に書かれない部分を、

科学的に解析して

合理的に成立する部分を研究して

記しているものだとご理解いただければ幸いです。

 

これは信長たまの成長部分に関しても同じで、

その戦術性、戦略性を取得する過程、

政治的な発想の根幹など、

史実上に残る話を

逆算によってエピソード化しているものです。

そうした経験を得ることで、

奇想天外な発想に結びつくという、

これも科学的な話で構成されています。

【第三十五話 吉乃と帰蝶 中編】

桶狭間へのカウントダウン 残り12年
〔ドラフト版〕

 

 ここまでの信長の成長を眺める上で、多くの読者は些か疑問に感じる点が生じてくるだろう。

 果たして…この信長は家中が分裂するほどの「うつけ」なのか?

 ある意味、勇猛果敢で戦国時代の将としては申し分ないように見えるだろう。

 先に記した様に教育問題で林秀貞との確執は理解できる内容と成ったが、信秀の死後、家中が二分するほど信長のうつけっぷりは酷いものかといえば、そうでもない。

 古今の歴史家たちが推測するように林秀貞であり、または信長の母親土田御前が野心的に仕掛けた出来事として考える事は可能であるが、その動向は寧ろ小説的で現実的な思考から成立するとは考えにくいのだ。

 いわば林秀貞がかなりの暗愚な将だった場合は、周囲の状況を精査せずに自身の権力基盤を構成する為、この反乱を起こすことになる。

 暗愚とは北に斎藤道三、東に今川、内には織田大和守家という状況下で、安易に家中が二分する流れを産めば周囲から瞬く間に滅ぼされる事は明白だからだ。

 もう一つは虚偽によって信長が「うつけ」とされた流れなら、寧ろ勝てば官軍の信長側がその様な話を歴史上に残すわけがない。

 しかし、家中全般に説得力を持つ意味で信長排斥が成立するのなら別な話となる。

 いわば信長が「うつけ」であった事は、成人した信長本人も認める事だった故に歴史として残ったという事に成る。

 では…その「大うつけ」となる話とは…

 

 恋は盲目、吉乃との大恋愛に信長が無茶をしたことが要因と推察するのだ。

 先ず、歴史的な資料上に、特に吉乃の存在を記した「前野家文書」には、吉乃の前夫は土田弥平次という人物であったとされている。

 他の資料には何某弥平次と記されている事もあり、実際の姓は不明という扱いにもされている。

 この土田弥平次は1556年に没したとしているが、 「前野家文書」にはこの頃の年代が曖昧に記されている事に成る為、年数に関しては無視できる。なぜなら濃姫の輿入れが同じ1556年と記されているからだ。実際は1549年が有力な訳でかなり微妙過ぎる。

 ただし…これらが薄い記憶を辿って後年に記されたとする事もできるわけで、時系列を考えずにその内容だけを汲み取る事は十分参考にできる。

 

 そして問題は…他では「何某」と不明なものとして表記されていたのが「前野家文書」では土田姓で記されていたという点である。

 いわばこの「土田」は、信長の母方の姓と同一…

故に土田御前な訳だが…最終的には他の文書では記されないほどの意味を持つ姓と推測できる。

 いわば信長としても隠蔽したい内容であった可能性が有るのだ。

 

 特に恋は盲目という流れで発生した出来事、または失態なら、ある意味誰も隠したい事実として残る事は予想できる。

 そしてこの土田弥平次の死が、濃姫輿入れ前後の出来事であったと「前野家文書」の作成者が記憶していた場合、恐らく1548年ぐらいと考える。

 

 信長が犬山を訪問し吉乃に一目ぼれした話は、仲間内でも話題に成った。心知れた仲間故に信長も堂々と打ち明けた。

 しかし、何の口実も無く自領から離れた場所に赴くことは容易ではない。

 ましてや生駒家との繋がりを持つのも不自然である。

 こうした話を沢彦に相談すると、その店が馬借であり生駒家が運営するものであると、いうことは解った。

 馬借(ばしゃく)とは現代で言う宅急便の様な馬を使った輸送業のことに成る。

 沢彦としても、

 

  「まあ、思春期の出来事ゆえに頼もしい事かな…」

 

 と、別段大事には成らないだろうと考えていた。

 そして信長は、

 

  「何とか生駒家と繋がりを持つ事は出来ぬか…」

 

 と、沢彦に知恵を拝借するのであった。

 沢彦としても小生意気な信長が恋事になるとどうもそわそわしている雰囲気がたまらなく愉快でもあった。

 

  (まあ、将たるもの妾の一人や二人当たり前じゃからの…)

 

 沢彦はそういう意味で信長の恋事を支援することにしたのだ。

 また初陣を迎えた後で石合戦の戦ごっこでは鍛錬として不十分であることも感じていた事もあって、何かいい方法は無いかと思案していた流れでもあった。

 そこに馬借の警護という話は面白いと考えたのだ。

 

 この流れは史実としても少し面白い意味で辻褄が有ってくる。

 信長の治世に於いて、領内は安全であったという点で考えると、軍事演習として織田軍では野盗狩りを推奨していた可能性が有るからだ。

 どれだけ治安を整えたとして、野に潜む野盗が蔓延る状態では、この治世は成立しない。しかし、織田軍がこぞって野盗を狩っていたとするなら、野盗は織田領内では活動しなくなる。

 他の領主も野盗をしばしば退治した可能性もあるが、同じ頃の治世の比較を考えると織田軍ほど頻繁に行ったとは考えにくく成るのだ。

 では、織田軍が野盗狩りを頻繁に行ったとして、その革新的な発想がどう生じたのかを逆算すると、こうした馬貸の護衛が起点と成る可能性も出てくるのだ。

 そして、史実上、生駒家が馬借であったという点、そして吉乃の存在、更にはこの時期信長が戦に参戦した形跡がない点が根拠として挙げられる。

 

 勿論、沢彦は初陣を迎えたばかりの信長の近習だけでこの警護を構成するには危なすぎる事も理解していた。

 そしてこの旨を政秀に信長の演習の意味で相談するや、

 

  「ならば、河尻秀隆と佐久間信盛ら若手を100名程度を従えさせましょう。」

 

 と、了承した。

 この隊に信長の武術師範役となった森可行に代わって、その息子で20代前半の森可成が指導役として参軍することにも成る。

 森可成は、後の信長最愛の小姓と言われる森乱(森蘭丸)の父親である。

 

 後の織田軍の編成で考えれば、この部隊はそうそうたるメンバーに成るのだ。

 この馬貸の警護を名目とした野盗狩り部隊は数年後まで続くと考え、後に2歳年下に成る池田恒興、佐々成政、5つ年下になる前田利家などが加わるのである。

 実はむしろこうした信長との繋がりがあったがゆえに、家中が分裂した際、彼らは「大うつけ」とされる信長側に付いたとも考えられるのだ。

 

 信長からすれば単に恋を成就させるための手段であったのだが、政秀からすれば野盗退治は尾張の治安を担うものとして考えていた。

 いわば治水の話同様に信長のワガママから再び信長の評判を向上させる流れになったという事である。

 

 勿論、これは清州の了承も得ての活動故に、無事信長は生駒家への出入りが自由に出来るように成ったわけだ。

 ある意味、生駒家が所属する犬山城は信秀の弟信康の息子の領地ではあるが織田伊勢守家の所領と成るため、信長の織田弾正忠家が不用意に近づくことは色々と問題が発生するのだ。

 

 那古野城主である信長と吉乃が恋仲になるのにさほど時間は掛からなかった。

 寧ろ吉乃も信長に一目ぼれしたようなものだ。

 無論、信長は恋事に長けていた訳では無い。

 そういう意味では不器用な感じに成るのだが、吉乃にとっては寧ろその不器用さに好感を持てたのかもしれない。

 それゆえに信長は率直に吉乃に告げるのであった。

 

  「お主をいずれわしの正室として迎えるから、待っておれ。」

 

 こんな感じで言うのである。

 これに対して吉乃は、

 

  「はいはい 楽しみにしてお待ち申し上げます。」

 

 と、笑顔で答えるのだ。

 勿論、吉乃の父である生駒家宗は、2人の仲を察した上で吉乃に、

 

  「当家の様な身分では信長殿の正室に成る事は叶わん、そなたは妾として扱われる事を覚悟せねばならん。」

 

 とも、伝えていた。

 吉乃もその事を十分に承知した上で、信長の言葉を有難く受け止めていたのである。

 一般的に恋愛上手な男なら、特にこの時代ではそういう方便で物を言える方が良かったとも言える。いわば最終的には側室扱いには成るが、正室とする気持ちは変わらないという感じで…

 しかし、信長のその言葉は本気そのものだった。

 むしろ恋の病に掛って盲目になったとも言えるだろうが、信長にとって正室は吉乃でなければ成らないという確信を得ての話だったのだ。

 それは恋愛が齎す錯覚とも言えるかも知れないが、信長は自分の世継ぎは吉乃との子で有る事が絶対とまで考えていた。

 ある意味これは錯覚ではない。

 寧ろ恋愛の摂理そのものなのだ。

 最愛の女性との子であるからよりその子を愛せると考えるのは当然で、寧ろ両親から愛されて育つ方が子供にとっても有難い話なのだ。恋愛と子孫を残す自然界の摂理は本来こういうものであると考えても良い。

 勿論、多くの人は巡り合わせによって色々な恋愛を経験して行く中で直感的な判断ではなく、寧ろ伴侶を見極めて決めて行くだろう。

 中にはこの時代の様に決められた定めを受け入れる者もいるだろう。

 結果として生まれてきた子供は子供として愛せるのが当然だ。

 言うまでもなく信長もそうであるのだが…

 信長が吉乃に拘ったのはそれだけではない。

 先にも述べた様に吉乃の気遣い、器量、全てが信長にとって最良だったのだ。

 いわば吉乃の女性としての品性は軍師がもつ王佐の才に匹敵する意味で、女性の立場で王を補佐する最良の才覚が見えたとでも言っておこう。単なる内助の功とは些か異なってくる。

 いわば信長の決断に助言や口を挟むものでは無く、典型的な内助の功であり男尊女卑の様なイメージになるが、夫の生活面をささえたり、夫の部下を労うなどの気遣いが出来る女房を意味する部分は一般的だろう。

 しかし、その中で「一歩引いて」が理解されているかいないかで違ってくるのだ。

 現代の女性観では、前に出ることを躊躇しない。

 前に出て力を発揮できるのならそれでも良いのだが、女性に限らず男性でも一歩引いての補佐が出来れば、それは諸葛孔明に匹敵する価値を生み出すのだ。

 「一歩引いて」とは自分の考えよりも主君の思惑を尊重して、その思惑の補佐をするという意味なのだ。

 男尊女卑の中では女性に求められた姿勢ゆえに、本来の意味が適切に伝わっていなかったのだろう。

 また、「一歩引いて」の中には客観視できる能力も大事に成る。

 逆に「一歩引いて見ろ」という言葉に成れば、こういう意味でも伝わるかもしれない。

 そういう客観視できる能力の下で、仮に主君が誤った決断に走るのなら、客観的な方法でその感情をなだめる、または事を収める様に働くのだ。

 多くの場合、直接的にものを言ってしまう。

 または主君の行動を辱めるような言動を用いる。

 例えるなら…信長が誰かに激怒し、罵声を浴びせるように怒鳴り散らした場合…

 その折檻を受けた相手に対して、

 

 「殿が感情的になって申し訳ない…」

 

 なんて労い方をしたら、信長はその時点でその言葉を発した者を処分するかもしれないのだ。

 一見、折檻された相手を労う様に見えるが、相手に何故信長が起ったのかが伝わらず、ある意味信長が怒った事が悪いという表現に成ってしまう。

 いわばその言葉は信長よりも前に出てモノをいう事に成るのだ。

 一歩引いてとは信長が怒った理由を当然と理解して、その上で折檻を受けた相手を労うのだ。

 ここで大事な事は誰にも恥を掻かせない言葉を選ぶことにある。

 この辺が気遣いの精神がものをいう部分と成る。

 

 まず最初に、

 

 「私には殿がお怒りに成った理由は良く存じ上げませんが…」

 

 と、客観的に中立であることを伝えるのだ。

 その上で、

 

 「貴殿のご活躍は殿より時折耳にしております。今後も是非変わらずご健闘を楽しみにしております。」

 

 と、伝え相手の恨みを緩和する。

 その上で、

 

 「もしよろしければ事の経緯お話しいただけますか?」

 

 と言う形で相手がそれを受け入れれば、うっぷんを聞くことで吐き出してもらう機会と出来る。

 そうして話を聞いたうえで、相手には相手の意図があっての事だった…大体はこうした意図が存在するため、

 

 「なるほど…そういう心意気もあの場面では殿に上手く伝わっていないかも知れません。もし、宜しければ私からそういうお話を殿にしておきます故、今後ともよろしく頼みます。」

 

 と、伝える。

 その上で言葉通りに信長にも伝えるのだ。

 そうする中で信長としても相手に対する怒りと、更には裏切りを疑う疑念も些か晴れるため、双方の関係も完全とは言わずとも、ある程度中和されるのだ。

 

 前に出ようとする人間は、相手と主君の間に入って相手を自分の方へ引き込もうとする。いわば主君との間の仲裁を働くのではなく、自分はその人の考えを理解できる人物としてアピールするのだ。

 いわば派閥を産む働きをするのである。

 一歩引く人間と比較すると、どう考えても一歩引く人間の方が信頼できるのだが、その一歩引く人間が存在しない場合、比較の対象も無いため賢く強かに前に出る人間をある意味信頼してしまう事にも成る。

 

 信長はそういう「一歩引いて考えれる」人間を良く知っている。

 平手政秀もそうであり、沢彦もそういう人物だ。

 彼らが信長の我がままを信長の手柄に変える様に働きかける事が正にそれそのものと言っても良い。

 勿論、自分の役割として手柄にしたとも考えられるが、主の気持ちを上手く形にしようとと言う気遣いが無ければ、発想に結びつくことすら無かったと言える。

 師に恵まれていたからか、信長自身もそういう才を持っている。

 故に吉乃を見て吉乃という人物を知る事で、その才を見極めたのだ。

 そういう意味で信長にとって吉乃が正妻に成る事は絶対なのだ。

 

 無論、吉乃に諸葛孔明の様な軍師の才を見た訳では無い。

 ただ自分のみならず、周りへの気遣いが王の妻としての片鱗を見せるのだ。

 誰もが夢見る王妃の姿…民からも将兵からも慕われる存在。

 そういう資質が吉乃にはあったと言える。

 

 そして信長は吉乃を正妻に迎えるべく、沢彦にも政秀にも伝えたのだ。

 勿論、二人は正妻ではなく妾という扱いでならと伝えるのだが、信長はそれを受け入れない。

 女性に対する考え方が違っていたと言えよう。

 沢彦も政秀も恋愛は理解するが、それでも女は子供を産む存在と言う認識が先行したのだろう。

 信長にとっては…寧ろ真剣に恋愛をしている当人にとっては、遊びの様な感覚では済まされないのだ。

 信長からすれば自分の嫡子と成るのは正妻の子ゆえに、吉乃との子を嫡子にする意味では吉乃が正妻でなければ成らないのだ。

 ある意味、自分が弾正忠家の正妻の長子で嫡子である意味と、異母兄の信弘が嫡子で無い事も踏まえての我がままでもある。

 また最愛の相手にこそその地位が与えられるべきで、生まれた子供に対する思い入れもそこで異なると信長は感じていた。

 大人二人からすると、嫡子は血筋や才能を含めて優秀な子を選別するのが戦国の世の常識と考えている訳だが、まだ若い信長にとっては愛情こそが重要と考えてしまう。

 さすがの2人もこればかりはどう知恵を絞っても上手くは行かない。

 他の家臣団の手前もある。

 故に吉乃が正妻として迎え入れられるのは無理だとしか言えないのだ。

 

 吉乃の方も、

 

 「私は別段信長さまの側に居れれば十分です。」

 

 と、妾でも良いという旨を伝えている。

 ある意味、それが恋を上手く成就するならばという形なのかもしれない。

 

 この信長の恋話は信秀の耳にも、林秀貞の耳にも遠からず伝わった。

 信長が既に元服を終えたこともあって、一層の事何処からか信長の正妻を迎える話が出てきても可笑しくは無かった。

 勿論、史実の資料にはその様な動きは濃姫以外に見当たらない。

 この濃姫との政略結婚は当時の情勢を考えると異例中の異例で、寧ろ守護職に匹敵する斎藤道三が、尾張の守護職の斯波氏でもなく、守護代の織田大和守家でもない、その下に位置する弾正忠家に姫を嫁がせる決断をするわけだ。 道三の方が姫を迎え入れる話では無く、自分より下位の家に人質を渡すような話に成る。

 そういう意味で現実的に考えると、道三が信長によほどの興味を持たなければ成立しない話に成る。

 信秀も秀貞もこの時点では美濃との政略結婚という事は発想だにしなかったと言えよう。

 

 その上で、信長に吉乃の正妻の件を諦めさせるために林秀貞らが色々と働きかけるのであった。

 最初の内は、正妻として迎える候補を公家などから募り信長に薦めるものだった。

 勿論、信長の我がままっぷりはそれらを全て拒否した。

 信長は秀貞に、

 

 「吉乃以外の女とでは子供も作らん!!」

 

 と、まで言い放つ。

 ある意味、秀貞が無理に婚姻を進めても意味がないという言葉にも成る。

 いわば子作りを強要する事は出来ない為、子が生まれないなら正妻の意味すらなくなる。 また、子宝に恵まれずそうして正妻の座を追われる流れに成れば、相手方に申し訳が立たなくもなる。

 秀貞も信長の強情っぷりは重々承知しているところで、無理に事を推し進めても上手く行かない事は予測できた。

 そこで逆に吉乃の方へ嫁ぎ先を見つける方へ転換したのだ。

 生駒家にとっても良縁となる相手で、しかも信長が迂闊に手出しできない相手…いわば母方の土田氏である。

 

 信長の生母である土田御前は「どた」とも「つちだ」とも呼び名に様々な説があり、その父とされる土田政久という人物の出自も定かではない。

 先に記した加納口の戦いに於いて、美濃可児郡の豪族に土田「どた」というものが居たことは記している。

 土田政久がこの豪族であったという説もあるわけだが、織田弾正忠の正室として迎える意味としては、寧ろ生駒家と大差ない存在になってしまう。

 他の有力説は、尾張海東郡…いわば津島であり、弾正忠家発祥の地とも言われる勝幡城の地域に成るが、そこの豪族土田「つちだ」氏が出自であるというものだ。

 この土田氏は近江の六角氏の支族庶流にあたる家柄で、「美濃国諸旧記」には土田御前は六角高頼の娘という記述もある為、六角氏との政略結婚の意味合いを考えると、その土田「つちだ」氏で有る可能性の方が現実的である。

 近江の守護職の六角家と弾正忠家では当時としてつり合いが取れない為、六角氏の支族庶流であれば六角高頼の娘という体裁で十分とも言えることと、いわば尾張海東郡は山を隔てれば当時は六角氏の領土と成ったため政略結婚として十分な根拠ともなる。

 その後、尾張で力を持った弾正忠家がこの土田氏をどう取り込んだかは不明であるが、愛知県清須市土田という地名が名古屋環状2号線の清洲西インターチェンジの場所に有り、その場所がこの土田氏の所領であったとするなら寧ろ斯波氏に所属する豪族と考えても良い。

 六角氏いわば六角高頼の時代、応仁の乱の関係で斯波氏と連携していた事もあり、その流れで土田氏が斯波氏との連絡役で尾張に派遣され、その流れで土着した可能性も十分に考えられる。

 そういう家柄の土田氏であれば弾正忠家信秀の正妻が土田(つちだ)御前と呼ばれるのも納得がいく話に成る。

 

 ここではこの六角氏支族庶流の土田(つちだ)氏として採用するものとする。

 いわば吉乃の嫁ぎ先は、この土田氏の弥平次という人物になるのだ。

 この土田氏は元の主君である六角氏とは1548年時点で見ると、高頼の死から20年、六角と斯波氏が連携した応仁の乱のころからは70年以上も経っているため、既に疎遠と成っている事もありうる状態で、土田御前が嫁いだことで寧ろ弾正忠家との繋がりの方が強く成っていた事も考えられる。

 その為、吉乃の縁談を秀貞がまとめるのはさほど難しい事でもなく、寧ろ信秀の奥方土田御前の了承が有れば事は上手く進む手はずに成る。

 信長の母親の息が掛った政略結婚故に、これを妨害する事は母親に歯向かうことを意味する為、秀貞もこれで吉乃の件は終息したものと考えた。

 こうして記すと…様々な史書に記された内容の辻褄が少しづつ合わさってくるだろう。

 

 ところが恋路を邪魔された信長の怒りは、恐ろしい方の思考を働かせるのだった。

 

 (土田弥平次をどうやって殺そうか…)

 

 これが織田家を2分するほどの信長の「大うつけ」な出来事であり、ある意味、450年経った今でこそ伝えられる信長の恥部という出来事なのだ。

 信長の恥部であるが故にあらゆる史書の中に伝えられなかったと言っても良い。

 

 因みに前野家文書の前野長康であり蜂須賀小六などが生駒家に出入りするのは1558年頃からに成るとの事で、それ以前の生駒家に関する記述は生駒の人間からまた聞きとして伺ったものでしかないとも言える。

 故に土田弥平次の名は出ても、戦死したとしか知らされていないとする事も推測できる。

 

 果たして・・・信長の大うつけな出来事とは・・・

 

どうも…ショーエイです。

「どうする家康」

結局、ひどい作品に成っちゃいましたね。

 

うつけの兵法でもフィクションに成る部分は多々あります。

ただし…そこは資料が無くて

解明できない部分に限る訳ですが、

歴史的な背景は崩さないように作ってます。

 

信長たま周辺の情報に限らず、

日本全体を取り巻く情勢も参考にして、

戦略性などを分析した上で、

資料が存在するもの、逸話として残るもの、

これらの内容を吟味した上で、

どういう結果を最終的に引き起こしたのかに

目標を定める形で構成する感じにしてます。

 

うつけの兵法が他の作品と明らかに違う点は、

織田信長という人物の記憶を

そのまま呼び起こしているかのように

錯覚できるようにしている点です。

 

いわば信長たま本人が日記を記したかのように、

構成しているわです。

 

まあ、神秘的な話にも感じるでしょうが、

実は科学的な流れで構成してます。

 

例えば…人間の心理。

大事な人間や

友人関係にある人間を側に置きたい、

そういう気持ちは誰でもあるもの。

そうした人物たちと、

部隊を統率して活躍する勝家、秀吉そして光秀らと、

ある種分別して考えるのも、

人の上に立つ人間の心理なのです。

そうした中で、

リーダーシップのある人間には、

積極的に任せるというのが信長流なのです。

 

資料に残る生き様、そして功績、

治世面も戦略面も、さらには戦術面も解析して、

織田信長という思考の根幹を、

解明していくわけです。

細かく説明するとトンデモなく長い文章になるので、

簡単に例だけを言うと、

人には負けず嫌いな要素が多々あります。

其々の人物のこの負けず嫌いな気質を

パラメーターの様に解析して行くわけです。

歴史上では、

アレクサンダーがMAXとして見て行く感じです。

曹操もナポレオンもかなり高いです。

実は寧ろ諸葛孔明や織田信長、またチンギスハンは、

逆に中間値より低く成ります。

この負けず嫌いというパラメーターで

戦術の特徴が変わってくるとも言えます。

 

これをサッカーの戦術で説明すると、

負けず嫌いの度合いが高いほど、

失点する事に神経質になります。

いわば防御も固めて慎重にゲームの流れを組み、

相手の隙を確実に捉えて勝利へ結びつける。

ある意味、普通に考えれば

かなり頼りがいのある方に見えます。

 

逆に負けず嫌いの度合いが低いと、

失点することには寛容です。

ここはアレクサンダーと比較する意味で、

チンギスハンを例に言うと、

チンギスハンは負けず嫌いのパラメーターは低いが、

勝負事を意識するパラメーターは寧ろアレクサンダーより高い。

勝負事を意識するパラメーターとは

相手との駆け引きを楽しむ要素に成ります。

 

いわば相手が自分よりも上手だった場合、

失点するのは当然と考えるのです。

負けず嫌いは失点することに神経質に成る為、

防御に絶対を求めます。

しかし、相手が上手ならと寛容に考える人は、

実は勝負の駆け引きで決まる部分を見極めて、

その上で効率よく守る方法を模索するのです。

逆に攻める場合も、

いかに駆け引きを用いて相手を崩すかを考えるのです。

 

なので負けず嫌いからすると…

実はこちらの方が奇想天外な相手と成るわけです。

一見、負けず嫌いの方が堅実に見えますが、

勝負師と表現しますが、勝負師からすると、

負けず嫌いは崩れやすいのです。

勿論、ここで勝負師とまで言うレベルは、

その他のパラメーターも高く成るわけですが、

洞察力などパラメーターがより高いと、

勝負事に対する修正力などが備わるわけです。

 

堅実に守る側は、特殊な駆け引きが生じると、

それに対応する修正力を求められます。

サッカーで言うなればドリブルが一つの要素です。

メッシ選手の様なドリブラーが突撃してきたら、

本来堅実な守備として構成していた部分も、

そのドリブル突破一つで崩れます。

ここで負けず嫌いのパラメーターだけで考えると…

最悪、メッシを潰せ!!

良くてもメッシにボールを持たせるな!!

という思考に流れます。

ある意味メッシが居なければ勝てるという思考です。

日本の中継を見ていると

良くいい選手が居ないと喜ぶ内容を耳にする部分です。

 

一方勝負師からすると

メッシ選手の居ない相手は面白くないと考えるのです。

いわばメッシ選手を止められなくて負けるのは、

勝負として相手が上手だったからと割り切れるのです。

その上でメッシ選手をどう封じるか…

この勝負に執念を燃やすのです。

 

さて…ここで大きな違いも生じます。

いわば勝負師は駆け引きを優先する思考な訳で、

メッシ選手のドリブルと同じような戦術を自らにも用います。

なのでその特徴であり弱点も知るわけです。

現代サッカーは一応はこのレベルにあります。

まあ、多くの分析官とも言うべきスコアラーなどが、

そういう弱点を試行錯誤した結果といえるのですが、

対応戦術としては

如何にシュートを撃ちにくい場所に誘導するか、

そしてパスコースも上手く塞ぐかなのです。

その為にはワザとコースに隙を作って誘導して行くのです。

ドリブラーは相手ディフェンスが基本ボールを取りに来なければ、

突破するのは難しく成ります。

ディフェンス陣はとにかくボールを奪う思考より、

味方と連携して如何に相手をそこへ誘い込むか、

そういう思考が求められます。

 

こう説明すると…諸葛孔明の伏兵術にも見えてくると思います。

 

なのでそういう場合は味方へのパスで、

そのディフェンスラインを崩していく判断に成るのですが、

現代サッカーの駆け引きはここで成立すると言っておきます。

 

まあ、ワールドカップで

メッシ選手が圧倒的なドリブルで崩すシーンが

見られなかったのはこうした戦術の影響もあると言っておきます。

しかし…今度はエムバペ選手の様な

スピードのある相手への対応という時代もあって、

勝負の駆け引きの中では

新たな手段が常に生み出されるわけです。

 

他にも発想力という部分。

ナポレオンなどはここが高いです。

勿論、諸葛孔明でり信長たまも高い部分です。

発想力とは新たな手段を生み出す能力です。

敵が対応を講じるまでは

ある意味奇襲戦術的な効果を与えます。

ナポレオンは勝負師としては能力が低い分、

洞察力が足りないと言え、

自身の発想力が相手に見切られる瞬間の対応が

遅れるわけです。

なので結果戦争に負けて捕まったわけですが、

諸葛孔明と信長たまは勝負師としての能力が高いゆえに、

自身の発想力に依存せず、

相手が見極めて対応する瞬間まで見逃しません。

また負けず嫌いでは無いので、引き際も早いわけです。

 

まあ、何気に長くなってしまいましたが…

人物の心理解析というのは

こうした細かい要素を含み、

ほぼCIAやFBIといった特殊機関が

用いるようなレベルと言っておきます。

 

最初に歴史学者さんたちの功績を称えておきます。

彼らの功績で現存する歴史的な資料の発掘や、

現代にも伝わるように解説して下さった事で、

我々はどういう歴史の流れかを知る事が出来たわけです。

正直、これなくして当時の情勢などを知る事は出来ません。

しかし…その中で

資料と資料の合間という表現にしますが、

見えない部分の分析は正直素人です。

いわばCIAやFBIという特殊機関が用いるような分析で、

その人物の戦術性や政治的な思考を

読み取らねばならないのですが、

ハッキリ言って普通の人では難し過ぎます。

 

歴史学者がどれだけ頑張って議論したところで、

所詮見えているのは現代での常識の範囲でしかない。

天才と呼ばれる人たちがその歴史を生み出している訳で、

その天才の発想に追いついていないというのが実情です。

 

その典型的なのが、桶狭間の戦いの奇襲攻撃説、迂回攻撃説、正面攻撃説という議論です。

 

ハッキリ言っておきます。

うつけの兵法ではこの桶狭間の戦いの流れは既に完成してます。

そしてその構成は

上記の何れにも当てはまる方法に成ると言っておきます。

 

また三段撃ちに関しても…

450年間、誰もこの撃ち方に気づかなかったのかという内容で、

 

 

動画を作りました。

ブログで内容は以前に語った通りです。

解かりやすく動画にしました。

 

ついでにチャンネル登録とイイねくれると嬉しいです。

 

まあ、とりあえず…

フィクションであってもフィクションに見えないようにするには、

大変な作業であるという事で…

資料で見えないからフィクションに出来るが、

資料との辻褄を上手く合わせないと、

それは単なる想像の物語でしかなくなるという事です。

【第三十四話 吉乃と帰蝶 前編】

桶狭間へのカウントダウン 残り12年
〔ドラフト版〕



 信長の正妻という立ち位置を巡っては、2人の女性の名前がよく挙がる。一人は道三の娘で知られている濃姫こと帰蝶である。
 帰蝶に関しては少ない情報であれ、信長公記という史書にも記されているため、ほぼ存在として間違いは無いだろう。
 しかし、映画やドラマ、またはゲームなどで信長の妻として活躍する姿は実はどこにも記されてはいない。
 むしろ斎藤道三の娘としてのイメージから創作されたものが多いと言える。
 ただし帰蝶以外に信長の正妻として登場する人間は居ない。

 一方の吉乃に関しては、信長の嫡男である信忠の母として知られているが、実は信忠の生母は不明という記述も多く、その実態は不明である。
 信忠の後の子、五徳姫や信雄の生母としてはほぼ認められた存在であり、これらを精査して考えると吉乃は帰蝶の後妻として正妻の座に就く存在ではない事は明白なのだ。
 一方で織田家家臣団の妻、ある意味秀吉の妻 ねねや前田利家の妻 松などは良妻として登場する。

 信長が男尊女卑であったかという点で考えるなら、その史書に女性の活躍がない点を考えるとそう見えても可笑しくは無いのだ。
 ただし、既にこの小説の中でも語ったように、信長の軌跡を精神分析すると信長の本性は女性的であると言っていい。

 昨今の信長のモデルはかなり男性的なイメージで作られているため、実は史実の信長イメージとは些か合わないように見えてくる。
 何が合わないのか…多くの人は寧ろ怪しむ点で錯覚するだろうが、根本的に男性的イメージの象徴として作り出された信長像を見て頼りなさを本来感じるか?

 という点を一度見直してみた方が良い。

 いわばうつけと呼ばれた若い頃から男性的なイメージのままで活動していたのなら、戦国の世を生き抜く意味では寧ろ期待される感じで映る。こうした小説やドラマを見る読者や視聴者も、寧ろ期待はずれなイメージは感じないであろう。
 素行の悪さなどを強調して、不良少年ぽいからバカなイメージがあったと感じる点で強調している部分もあるが、父・信秀の戦ざんまいの織田弾正忠家で考えるなら、寧ろその荒々しさは期待を持つ方に感じると言える。



 では…女性的な信長とは…
 言っておくが信長が女性という話では無い。
 イメージとしては宝塚劇団の女性が演じた男性という感じだ。

  大きくこの違いを述べるなら、男性的イメージでは威圧的な雰囲気で周りを従える感じになり、女性的イメージだと自由奔放で気が優しい。言い方を変えるなら男性好みのイメージと女性好みのイメージとも言っておこう。
 まあ、女性も好みは其々で、ヤンキーぽい人が好きという人も多いだろう。

 しかし、仕事をする上司で考えた場合、女性はヤンキーぽい威圧的な男性をあまり好まない。逆に男性同士ならそういう姿は頼りに感じるとも言えるだろう。
 これは逆の場合でも同じである。
 女性同士なら威圧的な女性上司は頼りに感じるが、寧ろ男性はそういう女性上司を嫌うだろう。
 女性の社会進出の話で女性が不満に感じている部分はこうしたイメージの逆転が影響している点とも言ってよいだろう。

 女性が男性を従える場合、男性を威圧するように演じるのは実は逆効果で、これは男性から足元をすくわれる要因、いわば男性が反逆心を抱く要素であることを知っておいた方が良いのである。
 まあ、近年では女性的な男性も増えてきたので、イメージは徐々に変わりつつある点は付け加えておこう。

 では…信長が女性的という点を説明しよう。

 単純に言えば男性が嫉妬するほど女性にモテるという感じだ。
 威圧的で強さを象徴する形の男性的なモテかたなら、むしろ男性は嫉妬するより憧れを抱くだろう。

 もし信長がそうであったら、光秀は寧ろ謀叛に走らなかったかもしれないとも付け加えておこう。

 昨今の役者が演じる信長というのは後者に近いのだ。

 かといってナヨナヨした感じであり、優しいだけのイメージとも実は違うのだ。
 寧ろ芯の強い女性が母性の気配りを以て制する感じで、父性とは違う包み込むオーラを発するという形で表現するしかない。
 父性のオーラは寧ろ厳しさの中に人生の教訓を与え、子供たちにチャレンジ精神を植え込む。
 母性のオーラは優しさの中に支える者が居ることを伝え、子供たちを鼓舞する。

 これが戦いの中で従える者をどう魅了するかというと、
 父性は前線に立って自らが側線して兵を奮い立たせる。
 母性は後方にて兵を鼓舞して、後方の患いを断つ。
 ある意味、父性は関羽の様な将軍で、母性は諸葛孔明の様な軍師と言えば解かりやすいかも知れない。
 信長は寧ろ自ら前に出て戦う事が多いとも考えられ、関羽の様なイメージも先行するだろうが、本質は孔明と同じ軍師型である。

 これは実は史書の中に証明されている。

 一つ付け足しておく事は、信長流は少し異質として見た方が現代人には解りやすいかも知れない。

 まず、関羽の様な将軍だと自らの手柄として敵将を自らが討ち取った記録が存在する。
 一方の信長にはそういう記録は皆無といっていい。
 今川義元の首を取った記録も、結果として義元に組み入ったのが服部小平太で、首を取ったのが毛利新介と成っている。

 ただし信長自身もその場面に居た点は十分に考慮される。
 もしこれが関羽の様な武将なら、恐らくその手柄を他の者に譲る事はしなかったと言える。いわば自らの手で首を取りに行っただろう。

 逆に…曹操ならば、将軍として自らの直属部隊の手柄であった場合、軍全体の士気を考慮して自らが討ち取った形でアピールするのだ。
 その方が曹操自身の神格化が強まり、自身が率いるイメージが軍全体を支配する意味で強固な信頼として構築されるからである。

 この時点で信長の思考が些か父性的な思考と異なる点を理解して欲しい。
 いわば信長の近習は軍としては信長の一部で、それを信長の手柄として伝えても申し分ない。これは多くの戦国武将であり、三国時代に限らず中世ヨーロッパの世界でも同じなのだ。

 そしてその報奨は寧ろ部隊の中の手柄として与えれば良いのだ。
 これは現代の企業でも同じと言えよう。

 ところが信長は一介の将であっても、その手柄は手柄として大いに称賛し自らの手柄とする事はしなかった。
 むしろ信長は自身の神格化や体裁の為、手柄を利用するよりも、どんな身分でもどんな手柄でも公正に評価を与える事を寧ろアピールして個々の兵士たちの活動に鼓舞を与える形を取ったのだ。

 ここで父性的な方法だと、自らに付き従えば勝利は確実に得られるというアピールとなり、目標を達成する為に力を合わせて行こうという団結力に結びつく効果が得られる。

 一方で母性的、あるいみ信長的な方法だと、個々で手柄を求めて奮闘すればそれだけ個々の手柄として賞賛されるという、いわば兵士一人一人に遣り甲斐を与える意味で鼓舞するのだ。

 現代でこそ母性的な方法の方が当たり前の時代に感じるだろうが、これがネット上の評価として騒がれると・・・他力本願の様な弱弱しいイメージで伝わる点でも理解して欲しい。
 いわばその人は何の才能も無く、優秀な人に支えられているだけというイメージにも成りかねないのだ。
 

 人間の葛藤はこういう部分で生じ、これは男性に限らず、女性でも同じで、結果として両方が父性的な強いイメージを求めようとするのも自然心理であると言える。
 弱いイメージに対して、他人は「頼りない」とか、「利用されているだけ」という心理が働く点を危惧してしまうことを痛感するゆえにどうしても強く見せたいと考えるのである。

 ゆえにそうした概念を払拭する意味で、芯の強さが必要と成るのだ。
 芯の強さが母性的または女性的な要素である点は、女性が男性よりも力が弱くなることを理解しているからと言っていい。

 いわば決して勝てない部分を認知することで、その勝てない領域で勝負せず勝てる所を見極めて挑む事が求められる点に特化した意味で考える所と成る。

 男性の思考では全てに於いて自らが最強と成れる可能性を感じられる。いわば一番を目指して努力する要素がそこに有るのだ。
 ところが女性は男性を意識して最強を目指そうにも生物学的な壁がどうしても立ちはだからる為、徐々に最良で我慢するしか無くなる。我慢するという表現はある意味その女性が女性であることに悔しさを感じるという意味で表現しておこう。

 ただし、一つ付け足して言っておくことは・・・これは一般的な心理で、単純に強さを求める意識が先行する場合のケースだ。

 寧ろ本当に優秀な人間は…
 ここでも再度、孫子の言葉を用いるなら、

 「己を知り、敵を知らば、百戦危うからず」

 である。
 いわば女性的な概念の「最良」で有る事を目指すのだ。
 先ず少し悪い表現の仕方でこれを説明しよう。
 男性的な概念で「最強」を目指すうえでは、自然勝てない相手に屈するという従属心理が働く。
 なので最強であるものが弱い者を従える構図も人間社会で意外と成立する。ただし…これは猿を含め動物的な心理とも言っておこう。
 因みに日本ではこうした心理が強く働きやすい。

 ただし格闘技という意味で最強を決めた場合で、どれだけその人物が強くても、銃弾一発食らわせれば殺せる。
 むしろ海外の世界ではこういう思考が先行するといえる。

 日本人ならば、

 「素手の相手に銃を使うのは卑怯だ!!」

 そういう思考で軽蔑を与えるだろう。
 なので日本ではボスザル崇拝の思考が生じやすいのだ。

 それでも動物的な意味で崇められるボスザル的な状態が人間社会を統べる意味では邪魔であり不要だと考えるなら、そんな評価を気にもしなでこのボスザルを屈服させる。
 それが金という手段なのか、組織的な暴力なのかは人間社会として手段は色々とある。
 この論理と思考が「芯の強さ」という部分に成って来る。
 いわば他人がどう考え、どのように評価しようが気にもせず、自分の選択が最良に成ると信じる姿勢だ。

 前述の様に悪い表現の仕方だが、こういう事である。

 実際にその最良に成る意味で、現代では学歴であり権力を握る方面で人間は努力をしているのだ。
 ただし、自ら身体的な最強では無く、権力的な最強を目指す意味で考えるならこれも寧ろ「男性的」要素として言えることに成る。

 では、最良=芯の強さとは…
 軍師の意味で最良という部分を言うなれば、それは指揮官としての能力だろう。
 スポーツの世界、サッカーを概念にするなら、フィールドでプレイする人間は身体的な努力を究極までに鍛錬した人たちである。
 それらを統べて最大限に活用し勝利へ導く者が指揮官である。

 いわばプレイヤーとしては身体的に最強のレベルに成れずとも、指揮官としてなら最良に組織を動かせるという意識がここに成る。

 ところが…身体的な最強を極めた人間たちが、身体的な最強を放棄した指揮官を馬鹿にして見ることは多々ある事で、その上で指揮官として最良に組織を動かすことの重要性を説き、その上で従わせるには「自身の負い目」を省みずに、寧ろ身体的な労力とは別の世界であるという信念で、「芯の強さ」を示さねば上手く機能しない部分でも有るのだ。

 勿論の事、いわばフィールドでプレイする現場の心理や駆け引きを経験すらした事ない人間に、その部分が理解できないだろう。
 そういう事も含めて「自身の負い目」として圧し掛かるのだ。
 言葉で伝えるより遥かにこのプレッシャーは重いのも事実である。
 ゆえに普通の人には中々耐えられるものでは無いし、それを払拭するには指揮官としての実力を証明するしかないのも事実だ。
 有名な話で言うなれば、モウリーニョという有名な監督がその成功の一例と言っていいだろう。

 女性の中からこうした人物が登場しないのは、女性には更に男性と女性の違いが双方の意識の衝突面として付け足される分、それを上手く緩和させる表現であり説得術が中々見つけられない点にあると言っても良い。

 寧ろその女性に男性指揮官を凌駕するほどの才能があっても、組織がその才能を信頼して従順に従ってくれなければ、その才能通りのイメージで機能せず、結果に中々結びつかない状態で終わるという事だ。
 これは男性同士の間でも「負い目」の中で発生する点は前述の通りで、男性で有っても難しい部分であるのだ。
 まあ、女性が苦戦しているのはこの部分になるだろうし、女性が主張する壁はここがネックとも言っておこう。
 ただ、身体的な努力面でどうして勝てないという意識の中で、そこを敢えて努力して克服するのか、それとも早々と勝てるフィールドを見出すのかのは人それぞれであるが、自己のベストを目指して強さを求めるか、強さを放棄して最強を統べる道を選ぶのかの違いと言っておこう。

 その選択肢の意味で見ても、諦めずに努力を積み重ねる方が「男性的」に好意を持たれるイメージで、寧ろ無理な勝負を避けて勝てる所で勝つ道を選ぶのは好意的にとは言わずとも、賞賛される選択として「女性的」イメージになると言えよう。

 長い説明に成ったが、信長が女性的であるというのはこういう部分である。
 軍師という存在は極めて女性的と言っても良いが、いわばそれは体裁を気にせずに手段を選ばないという事にも成るだろう。
 ところが信長のそれは、宝塚劇団の男役としての女性を魅了する男性的な部分が付与されるため、人間として恰好つけの部分を残す違いが有るのだ。勿論、信長に限らず良才として名の通った軍師という人たちにも言える事ではあるが、これが公正明大な采配という部分で寄与するのだ。
 ある意味この部分が信長と近しい所で接する男性を魅了した部分に成ったのかも知れず、逆に遠目で見る男性を嫉妬させた部分であるとも言える。

 そして曹操の様な人物であり、明智光秀の様に男性的な魅力を追求する人間にとっては許せなかったのかも知れないと言っておこう。
 男同士の世界では、万能としての強さを強調したがる。
 ある意味、槍に特化した試合では勝てなくとも、異種格闘の意味で自分がその人物に勝てれば自分が強いとアピールできる。
 ボクシングという上半身だけの試合では勝てなくても、蹴りも含め、寝技を含めた勝負なら、ボクシングの世界チャンピオンを倒せるという主張もその一環である。
 ところが信長からすればそこで競い合って強さを求める事にすら価値を感じないのだ。

 寧ろ・・・槍裁きでは勝てない、剣裁きでは勝てない、石投げでは勝てないで、言い方を悪くすれば諦めてしまう、というより勝負しない人に感じられるかも知れない。

 いわばプロのサッカー選手の様に巧みにボールさばきをする人間以上に巧みにボールを操ろうと努力はしないのだ。
 むしろそういう才能に対しては、その人物が他の相手に負けることが無いように鼓舞して応援するのだ。
 こうして自分の部隊全体がそれらを結集させて総合的に強く成る事を求めていくという感じに成る。

 その中で総合的に部隊全体として足りないと感じる部分で自身を特化させるのだ。

 この時の信長の悪童メンバーで新介と吉法師の頃の信長がやりあったエピソードを盛り込んでいるが、剣術では信長の方がまだ上手である。しかし、いざ相撲となると信長は新介に勝てないのだ。
 史実にはない事だが、そういう事にしておくとする。

 普通の男の子なら、臣下である新介に相撲で勝てないとういう状態はナメられる気がして許せないと感じるだろう。
 ゆえに何度も挑み、下手したら主従の威圧を以て相手が負けるまで挑み続けても可笑しくはない。

 ところが信長はそういう評価に対しては公正で、寧ろ相手が本気を出さずに自分が勝たせてもらう事の方が気に入らないのだ。

 それは剣術に関しても、槍術に関しても一緒と言っていい。
 ゆえに信長との勝負では手を抜いてはダメなのだ。

 逆に本気でやりあって仮に信長が勝てたとしても、相手が自分より弱かっただけか…と寧ろ喜びを感じないのだ。
 これが信長が持つ女性的本質である。
 いわば信長は全ての勝負に於いて自分が最強に成れるとはおもっておらず、世界全体を見つめた場合、自分より優れた人間は山ほど居るだろうことを認めてしまっているのだ。

 いわば新介との相撲で、新介を倒す為に試行錯誤してみたが、中々敵わないし寧ろ新介以上にパワーを着ける意味では追いつかない。しかし、いざ木刀を手にして戦えば新介より自分の方が強い。

 ならばその相撲という土壌で頑張っても意味がないと感じるのだ。

 しかし、自分を負かすほど、ある意味自分が認めた人間が最強として居てくれれば、自分の兵力としては満足と考えるのだ。
 見ようによっては負け犬の様にも見える発想で、一歩間違えば負け犬に成ってしまう。

 これは剣術に於いても、岩室の方が上手いと感じる部分でも同じなのだ。
 逆に言えば、信長の悪童の中で最強となったものは決して他で負けては成らないというプレッシャーを与えるのだった。
 これも女性が寧ろ男性に求める所に似ているのだ。
 いわば自分を守る意味で強い男性を求める部分と言っても良い。

 ただし信長は全てに於いて勝てないと諦めている訳では無い。逆に邪道、いわば剣道の流儀から離れた自由な発想の世界でなら勝つ方法は見いだせるし、相撲に於いてもいざ首を取るという勝負なら勝てる自信はあった。

 これは戦の世界でも同じで、古来からの戦の流儀で勝負するなら信長は勝てないかも知れないが、その流儀から外れて新しい発想を盛り込んで確実に勝つ為の勝負なら絶対的になれたのと同じだ。その極みが長篠の戦いだったのかも知れない。

 そして…これが「うつけの兵法」の神髄なのである。

  ある意味、こうした発想の根源は庄内川で年長の八郎たちを相手に戦ごっこしていた事でも培われた。
 身体的に上の相手に挑んで試行錯誤して行くうち、強いだけが武器では無い事を学んだ結果としても伝えられると言えよう。

 現代の男性であり女性からすると、こうした思考で柔軟に生きていく事は当然と考えるだろう。

 しかし、信長の違いは負けを受け入れても決して屈服しないことにある。ある意味他の手段で相手を凌駕するつもりで常に居るのだ。

 部分的に突出した才ある人間からすると、寧ろ信長のその強気とも言える姿勢は腹立たしくも感じるだろうが、信長はそれを証明できるゆえにそうした相手に嫉妬を与える。そしてまるでその部分的な才であり努力を馬鹿にしているかのように見えるのだ。

 才ある女性が男性から妬まれる思考的要素として信長の考え方は寧ろ多くの裏切りを招く要因であったのかも知れない。

 さて・・・話を戻して・・・

 信長の本質が女性的であったがゆえに、寧ろ女性が活躍する場がなかったのだ。
 秀吉の浮気話でその妻のねねが信長に相談に行った逸話がある。
 普通に考えるならこの相談は信長の正妻が受けるべき話で、逸話として残す場合でも同じで、寧ろ信長が正妻の濃姫辺りから睨みつけられた様な雰囲気の方が話としては面白く映る。
 しかし、逸話として残る意味でも、ねねが相談した相手が信長であったという事だ。ある意味、逸話で考えるより実話として考えても良い内容に成る。
 それだけ女房衆であり女性からしても、信長の見識は信頼されていたと思われる。

 また文官として村井貞勝といった優秀な人物が居るが、実は信長には軍師らしい軍師が全くいない。
 信秀来からの林秀貞にしても、秀吉の竹中半兵衛にしても、黒田官兵衛にしても信長の軍師という立ち位置には居ない。
 または明智光秀もそういう立ち位置になれた人物だろうが、普通の将として活躍しているに過ぎないのだ。

 いわば信長は軍師要らずの君主なのだ。
 そういう意味では賢妻女房の存在があっても良いように見える。
 そこで濃姫の存在を思い描いてしまうのも有りだろう。

 しかし、本当にそうであるならば確実に史書のどこかに記されているはずで、信長があえてそこを隠すことは性格的に考えられないのだ。
 そういう事も踏まえて帰蝶こと濃姫の存在があまり記されていない点を考えなければ成らない。

 先ず、濃姫以外に信長の正妻の記録がない点で考えると、信長は濃姫を正妻という立場維持していた。
 様々な説があるが、濃姫が仮にどこかで早世した場合でも、信長は正妻を変えることはしなかったと言える。
 見方によっては美濃衆を従える意味で、濃姫の存在を利用したとも言える話成るが、寧ろ斎藤道三の遺言を元に美濃攻略を進めて稲葉一鉄らを調略したのなら、天下布武はその道三と信長の共作であること徹底する方が良いのだ。
 その意味では濃姫が正妻で有り続けることが大事であり、信忠が濃姫の子として嫡男になった点も大事に成るのだ。

 仮にこうした心情を利用するなら、信忠に家督を譲った時点で濃姫を避けても良い話にもなる。
 これは足利義昭との関係でも同じで、信長は家臣団の心を利用するという意味でこうした政略的な公約を利用したのではなく、寧ろ公約した事を忠実に守らねば彼らの公約に対する忠義に背くことに成る点を常に意識していたと言っても良い。
 ある意味、キレイごとに見えるかもしれないが、これをキレイごとと考えているのは逆に愚かと言っても良いほどの話に成る。
 信長は心の嘘は、その行動で暴かれる事を知っており、信長が人を見る上では公約と行動または行為、別な言い方をすれば姿勢が合致しないものは信用しないのだ。
 自分がそうであるように他人に対してもそこは常に誠実なのだ。
 計算で誠実を装っているか、本当に誠実なのか、本心は解らないが結果として見え方は同じなのだ。
 それ故に計算であっても本心でなければ成立しない話と言えよう。

 では、計算でこの誠実さを利用する場合、誠実に守っていく事でどういう不利益が生じるかだけが焦点と成っていく。
 いわば正妻の地位を濃姫から他に移す場合、気持ちが他の女性に移っていたとしても喜ぶのはその女性とその一族位。
 軍全体を統べる上では逆に不誠実さで家臣団の忠義が離れるより、その女性や家族が離れる方がマシと考える。

 計算で無く誠実な意味で考えた場合、むしろその地位をあえて求めるような女性では自分の側に置いておく価値は無いと考えてしまうのだ。
 また本心から道三を立てる意味においても、道三は既に死んでしまっているゆえに敵対する不利益は無い。ちゃんと立てた上で美濃衆の心をつなぎ留めておくほうが、自分だけの手柄にするよりも効果的。無論、尾張衆は新参者を良く感じないだろうが、彼らの関係を繋ぐ意味では道三あっての信長であり尾張の躍進と定めておくほうが寧ろ家臣団の団結としては効果的なのだ。

 結果…信長は本気で道三を立てている。
 本気で立てているから、どこにもボロが出ないのだ。

 秀吉の場合、本気で信長を立てていなかったから色々とボロを出す。彼の言葉の節々でも見れるように、行動でもハッキリと解る。

 それと比較して見れば、信長のそれには嘘が見えないのだ。
 嘘が見えないほど本気でやるゆえに、全てが計算であったのなら正に化け物に見えてくる。
 嘘を用いて人を欺く人間には正にそう映るわけで、秀吉は寧ろ信長のそういう所に恐怖を抱いていたと言えよう。光秀もそう感じたのかも知れない。

 いわば濃姫こと帰蝶を正妻として維持していたのは、濃姫に如何なる問題が発生していたとしても、信長が道三からの遺言を誠実に受け継ぐ意味としては決して外せない事だったと言っておこう。

 言い方を変えるなら、妻としての濃姫への愛よりも、道三への敬愛の方が強く、本気でその美濃衆が加わったことを感謝していたという事なのだ。

 また、この誠実に感謝を示す気持ちに勿論何の不利益が生じる事も無い。ゆえに本気で感謝するのだ。

 ある意味計算とういう部分で疑うのなら、自らを本気でそう演じるために本気に成るように自らに暗示を掛けたという話に成る。

 かの司馬遼太郎先生の国盗り物語の中でも、度々「本気」という表現で信長の行為が記されていたわけだが、様々な史書を研究して考えた人でも「本気」としか表現できないほどであった事は理解しても良いと言えよう。 
 

 斉の管仲であり、諸葛孔明の様に軍師であり王の補佐として存在する人間はこうした誠実さを王道の規範として助言するのだが、信長はその助言なく王道を示せたゆえに、政治的な意味では誰の助言も必要なかったと言ってもよい。

 では…帰蝶、ここからは濃姫をそう戻して話を進めるが、史実にも殆ど出てこない彼女は一体どうしたのか・・・

 帰蝶のこの部分は筆者にとっても長年の謎だった。
 と、いうよりも・・・帰蝶の事を本気で考えていなかった。
 イメージとして先行するのは、道三の娘として活発な性格の女性である。
 しかし、実態は…どうやら慎ましく静かな女性…と、言うよりもそうなってしまったという形が適切に伝わりやすいかも知れない。

 実は帰蝶の織田家での環境を分析すると、精神的な病を発症する条件がいくつか重なる点が見受けられる。
 これは精神科医の先生が見ればすぐに納得する内容だ。
 とは、言うものの狂人化した訳では無い。

 一つ目は帰蝶に子供が出来なかった点。
 史書には女子を産んだ可能性は有るのではという憶測は多々存在する。寧ろ女子でも産んでいたのなら、ここで生じる精神的打撃はいくらか緩和されていたと言えるだろう。
 逆に子宝に一向に恵まれないと成ると…正妻であっても嫡男どころか子供すら産めない存在と成り、一般的には正室としての存在価値すら危ぶまれる事態と成る。
 現代の女性でもこうしたプレッシャーを感じる人は多々いると言え、現代なら夫の愛情を意識した形で悩む話と成る。

 ただし、愛情の話とは別に、自分の正室としての立場を考えるなら父・道三の存在が美濃に有る限り安泰とも言え、仮に道三亡き後でも兄・義龍が尾張との関係を維持してくれれば問題無いとも言えた。
 こうした状況や噂話などは、この当時、帰蝶に仕えていた侍女が耳打ちするケースが一般的だった。
 女性のこうした耳打ち話は、現代でも悪い状況を想定したものが多い。
 耳打ちする方は相手を気遣って悪い状況になった時、聞き手があまりダメージを受けないようにと考えてのこととも理解できる。
 しかし耳打ちされる当人からすれば…憶測で様々な不安を駆り立てられるのだ。
 帰蝶が信長に嫁いでから4年も経って、子宝に恵まれないと、侍女も正室付きという立場から不安に駆られる。
 そういう流れで

 「他の大名家では子宝に恵まれない女はその地位を追われてしまうみたいですが…織田家は大丈夫なのでしょうか…」

 そう聞いてもこの時はまだ気丈に、

 「その点は心配は無いです。父(道三)と信長さまは同盟者としていい関係に有るのですから。」

 そう言い放つ。
 ここで実は
 道三と信長が顔合わせをする正徳寺の会見が丁度いい時期で発生するのだ。
 1549年に嫁いでから、4年目に当たる1553年。
 恐らく帰蝶が子宝に恵まれない点を危惧した事と、直前に平手政秀が自害した件で、同盟者としての信長を見極めたいと感じたことで道三が鎌をかける意味で提示している。
 後に詳しく書くが・・・道三はこの時会見の実現は寧ろ期待すらしておらず、何らかの代案が提示される事を期待し、その内容で相手の器量を見極めようとした。
 現実的に考えるならこういう事で、寧ろ信長が会見を受けた段階で道三は既に度肝を抜かれたというのが事実であろう。
 無論、こうした経緯も帰蝶の侍女からの報告などが絡んでの事だが、帰蝶の不安は正徳寺の会見後、道三からの文で和らぐ形と成ったと言える。

 その流れで次の不安事は…
 一向に子宝に恵まれないプレッシャーに加えて道三が兄・義龍に殺されたという事件だ。
 この時点で…美濃と尾張の関係は途絶えた。
 考えられる事は侍女の不安である。
 いわば戦国の習わしで同盟が切れた際に、正妻であっても人質の意味も含めて殺される可能性があるという事。その際にお付の侍女は言うまでもない。
 特に帰蝶は子宝にも恵まれなかったゆえに、こうした不安が過るのは仕方のない事である。
 侍女にこうした精神状態の人間が出ると、自然発生的に主である帰蝶にも伝播していくのだ。
 勿論、子を産めないという引け目まで感じる帰蝶は、徐々に明るさも失い、不安を感じる様子が表情や仕草そして何気ない態度にも表れてくる。
 そういう人の心を敏感に感じてしまう信長にとっては、些か気持ち悪いのだ。気持ち悪いというのは生理的ないみでは無く、寧ろ帰蝶の気持ちを汲み取って何とか心配ないように計らっても、全く改善せず依然とでは別人に見えてしまう点だ。

 前述の通り、ここでより慎ましく静かな女性に成ってしまったのだ。
 それ以前の帰蝶は躾の行き届いた意味での慎ましさがあり、道三が「帰蝶」と名付けたのか、後世に「帰蝶」とされたのか、その名の通りどこか華やかさを持ち、気丈なまでも明るさを醸し出す素敵な女性だったと言えよう。寧ろそういう女性であったと考える。
 その帰蝶が不安を募らせ、むしろ妻としての責任感から子宝を授かれない事で、徐々に明るさを失っていく事は信長としても辛い事なのだ。
 それを払拭するために不安から解放する努力を試みるも、帰蝶の何かを媚びる感じの姿勢に、むしろ本来の愛らしさが色あせて見えてくるのだ。
 むしろその時の帰蝶を愛するゆえに、自分がその心を取り戻せて上げれない辛さを信長は感じていた。

 勿論、帰蝶も信長のその心は伝わるが・・・不安がどうしても付きまとい、やはり子宝に恵まれない事への自負も合わさり、気丈に振舞おうとする労力も不自然で何事も上手く行かない点で気を病んでいくのだ。
 これは夫婦生活で些細なことで生じる亀裂の原因でもあるが、信長と帰蝶の関係では理由が寧ろ解っている分、余計に辛いのだ。

 勿論、信長は帰蝶を正妻から外すことが無かった意味でも解るように、子宝に恵まれない帰蝶を攻める事は無かった。
 しかし、その優しさに寧ろどう答えて良いのか…それが帰蝶を苦しめた要因だったのかも知れない。
 現代なら夫の愛情を感じて夫婦間は良好に改善する様な流れだろうが、逆に戦国時代の常識の中では、体裁上の優しさに映ったとも言え、美濃衆を利用する為に大事にされているだけなどと、精神的に病んでくると素直に愛情として受け入れられなくなるのも当然なのだ。そして結局は自分が信長から何を欲しているのか…

 それが愛情なのか、地位の保証なのか、それすら混沌として心が満たされなくなるのだ。

 逆に精神的な病で無ければ、寧ろ地位の保証という部分で妥協して考える心の強さは保てたのかも知れない。

 後世になって物語として登場する帰蝶が信長の正室として輝きを放つ姿は、史実とは異なるものの、本来信長が帰蝶に求めていた姿、または本来そうあるべきだった姿と言っても良い。
 もし、帰蝶が子宝に恵まれ正室として毅然とした態度で振舞えたのなら、後世に描き出される濃姫であり帰蝶こそ、それそのもであったことは間違いないだろう。

 帰蝶の話があまり史実の中で大きく出てこないのは、彼女が寧ろ政治の表舞台に顔を出さない、慎ましく家庭を守ろうとした女性であったと考えてもらう方が良いのやもしれない。

 今は、帰蝶の話はここまでで留め置いておくとしよう。

 次に吉乃の話である。
 実は彼女も記録が殆ど皆無なのだ。
 本当に信忠の母なのかという点も危惧される。
 ただし…吉乃自身にこの事実を聞けたなら、
 彼女は

 「信忠は私が生んだ子供で、濃姫が育てた子」

 と言うだろう。
 信長が最愛とする女性はこういう女性だという事だ。
 ゆえに嫡男は信忠しか居ないのだとも伝えておこう。

 因みに蘭丸がここまでの文章を読んでいたら、
 こういう事を言うだろう…

 「折角、帰蝶さまを美しい形で〆たのに…結局は、二股ですか?」

 ある意味、蘭丸とはこういう事を信長に言える存在なのだと紹介した上で、現代人の視点からするとそう映っても可笑しくはない。
 ただしここは二股というより、二人の女性を愛さねば成らなかったという表現で弁護しておこう。

 ただその前に吉乃に関する史実と照らし合わせた話をしよう。

 吉乃の記述は、前野家文書の中の「武功夜話」に登場する。
 吉乃というのは本来の名では無いとされ、一説には類という名であったとされるが・・・帰蝶同様に名前の美しさとイメージから類でも吉野でも無く吉乃を採用するとした。

 前野家文書は色々と史実参照の有力資料としては疑問視されているもので、些か怪しい。
 しかし、吉乃の存在を探る意味では、吉乃が実在しないと寧ろ逸話として登場することすら無かったと考え、詳細は別として吉乃の存在を確定する意味で考えるものとする。
 そして吉乃の出自である生駒家を精査するいみでも参考にするものとする。

 父は生駒家宗とされ、小折城主だったらしい。

 小折城は犬山城主・織田信清に属していたとされ、この織田信清はこの小説で記した先の加納口の戦いで奮戦して死んだとした信秀の弟・織田信康の子である。
 ゆえにこの地は意外と信長が自由に立ち入れた場所とも考えられる。
 生駒家は商人として考えられるが、前野家文書では商人で無いと強調されている。その反面から読み解くと、生駒家は商人であり寧ろ出世した後にこの事実を否定したい何かが有ると推測する。
 大方の資料から総括して書かれているものは、灰や油の商いと馬借(ばしゃく)で財をなしたとされている。

 因みに馬借とは現在の宅急便の様なもので、馬を使って輸送を行っていた商売である。

 そして今度は信長が生駒家に気軽に出入りできる時期を探るとしよう。
 出入りが気軽に出来る時分は、先ず織田信康の時代と、信清と弾正忠家の関係が有効的だった時分に成る。
 そうなると信秀の死後、信清は犬山で独自勢力として活動し、信長とは距離を置くことと成る為、この間、信長は生駒屋敷への出入りはむしろ制限される。
 いわば吉乃との出会いは、1552年以前か、信清との間で和解が成立した後と成るが、その年数は現在不明。

 信清が浮野の戦いと岩倉城攻略で信長を支援したのは1558年の事でそれ以前に一度信長の姉を嫁がせて和解してる。
 因みに信忠の誕生は1557年が最有力で、1555年説もある。

  さて・・・吉乃に関してはフィクションになる部分が多くなるとした上で、帰蝶こと濃姫との政略結婚に結びつく過程までを分析し、史実として辻褄が有って来るより現実的な流れで話をすすめていくものとしよう。

 吉乃は生駒家宗の長女として生まれた。
 生年は信長より早く、1528年だったとされているが、享年39か29歳だったという説で分かれている事を考えると…何か年齢をサバよんで言ってそうな雰囲気の女性にも感じる。
 ただ何となく、その間を取って信長より一つ年上という感じが一番しっくりくると考える。

 いわば女性としてのイメージはそういう茶目っ気のある感じだ。

 実際生駒家は商人では無いと主張しているが、実は商人であるがゆえに二人の関係の問題と成ったと考えられる。
 そしてこの吉乃が原因で平手政秀はある意味無謀とも言える斎藤道三の娘、濃姫(ここでは濃姫とする)との政略結婚を結び付けるのだ。

 ここからは少しこの年代の出来事の流れを記しておく。


 1547年9月に信長は初陣を終えた。
 この時に信長の父・信秀は岡崎城を落としている。
 その年の11月には美濃で大きな動きが出た。
 その前年の1546年、加納口の戦いでの停戦から、道三と朝倉孝景らが囲う土岐頼芸、頼純の間で正式な和議が成立した。

 この時、頼芸は隠退、頼純は道三の娘を娶りその上で美濃守護職就任が約束されたという。この時、濃姫こと帰蝶は頼純に嫁ぐ予定だった。予定だったしておくのは、実際に嫁いだかまでは不明になるからである。
 ここには室町幕府の仲裁と、寧ろ近江の六角定頼を含めての和議であったため、道三としては強気に出られない内容と成った。
 いわば加納口の戦いの越前・尾張連合に加えて、南近江の六角まで加わる算段となるからだ。
 勿論、その六角定頼もこのころ将軍・足利義晴から管領代に任ぜられ京の覇権を巡っての戦いに備えなければ成らず、美濃の患いを断っておきたい腹であった。そういう探り合いの中で一応の和議が成立した形と成った。
 そこで信秀は安心して三河岡崎攻略へ準備を進める事が適ったのだったが…

  1547年11月、西暦で考えるなら信秀が岡崎城を落とした時期と一致するが、実はもう一つの加納口の戦いが勃発している記録がある。
 この時に道三は大桑城で土岐頼芸と頼純を蜂起させて、頼純は打って出て討ち死にしたとある。
 一方では頼純は同時期に急死したともあり、これは有名な道三の毒殺事件として語られている。
 いずれにしても道三にとっては悪名を轟かせる謀略による行為に成るのだが…濃姫を娶るはずだった土岐頼純が1547年11月か12月に死んだ形と成っている。
 戦略的な観点から察するに、大桑城急襲の話が妥当と考える。
 いわば信秀が岡崎攻略に向かった時期であり、六角定頼は畿内の情勢から目が離せない状況が続いていた。
 残るは越前の朝倉ぐらいだが、その当主孝景も翌年の1548年4月には急死しているが、この時期恐らく何らかの病に掛っていた可能性もあり、道三はその情報も掴んでいたかもしれない。
 いずれにしても近江の六角も、尾張の織田も動けない事を察し、敵は山岳地帯を越えて進まなければ成らない越前の朝倉のみ、そういう状況下を利用して一気に道三は美濃掌握に乗り出したと考えた方が良さそうである。

 第二次とする加納口の戦いの流れから逆算して、道三は帰蝶(改めて帰蝶に戻す)の嫁入りを反故する旨を土岐頼純に伝えた。
 ただし、和議の件には一切触れていない。
 いわば帰蝶はまだ13歳(実年12歳)ゆえにまだ若すぎるからという理由で嫁入りの期日を変更した形を取ったのだ。

 無論、何時という時期は記さずに。

 それに腹を立てた土岐頼純は、六角や朝倉、そして信秀に密書を送り、道三が和議を反故した事を記したのだ。
 道三はこれら密偵を予め配置した斥候に掴ませさせ、それを証拠に携えて大桑城を包囲した。
 包囲した上で頼純方の言い分とで舌戦を広げたのだ。

 無論、道三は、

 「当方は帰蝶が若すぎるので時期をずらすと提案しただけだ。」

 と、不義の意味では無かった事を強調した。
 すると頼純方は、

 「約束の期日を勝手に反故したうえで、次の期日も示さぬとはそれは和議事態を反故にする意味であろう。」

 と反論する。

 それに対して、

 「期日を記さなかった事はこちらの落ち度だが…和議を守る気持ちが有るのならその辺は改めて話し合うべきでは無かったのか?」

 道三はそう大声で伝えるや、

  「いずれにしても当方を勝手に不義理もの扱いにして、再び近江、越後、尾張の軍勢を招き入れ、安易な見識でこの美濃に戦乱を起こそうとしたことは許しがたい!!」

 そういって大桑城を囲んだのだった。
 そしてこの直前に隠居扱いと成っていた土岐頼芸の方は越前に逃れたのだ。
 頼純はまんまと嵌められたと憤るだけだったのだ。
 これは美濃国諸旧記に書かれた部分を参考にした内容と成る。

 この美濃国諸旧記は一次資料と一致しない部分が多いとされているが、加納口の戦いと戦略的に考える時系列がむしろ一致するため、これを採用した。
 いわば道三が美濃掌握と大垣城奪還などを目指すうえでは、ここに記された時期と内容が一番辻褄があうという事である。

 そし大桑城側を蜂起させたという意味から、道三がこの様なタヌキ芝居を演じて相手の出方を見極めた点は、十分にあり得る流れで、道三を信用していないだろう土岐頼純の行動は恐らく期待はずれの意味で想定されたと言える。
 ある意味、頼純が道三と上手く付き合う意思があったなら、恐らくは別の選択肢が存在し頼純は守護職の地位を守れたのかも知れない。勿論、道三は鼻っから頼純にそんな英断が出来る事を期待すらしていなかったわけだが・・・

 こうして大桑城を攻略した道三は、次に大垣城へと向かった。
 勿論、岡崎を攻略した信秀を出し抜く形で…
 更には織田大和守家と織田伊勢守家を信秀にけし掛ける策を以て。
 ある意味、道三にも見て取れるように、尾張の内情は危かった。
 先の第一次(1544年)加納口の戦いで、坂井大膳を主軸とした大和守家と伊勢守家は木曽川で大敗を喫したのみで、大垣城を得た信秀こと弾正忠家のみが一人勝ち状態となっていた。
 更にはここで信秀は岡崎攻略まで為したのだ。
 勢力的にも弾正忠家は大和守家を既に凌駕している。
 その中で一応の斯波氏を守護とした意味では、完全に力関係が逆転した状態に成っていると言っていい。
 弾正忠家の主家に当たる大和守家としては、台頭した信秀をそろそろ抑え込まねばという焦りが生じる。

 道三はこの心理を利用したのだった。
 尾張の守護代(守護職の下の地位)である大和守家としては、本来美濃に属する大垣などどうでも良かった。
 考えようによっては美濃にある弾正忠家の領地なのだから、尾張全体の問題として考える場所では無いのだ。
 そこで道三は坂井大膳の主人である織田信友に

 「尾張との和議は守るが大垣は美濃ゆえに返してもらう」

 という旨を斯波義統宛として送ったのだ。
 いわば信秀の大垣城を攻めるという意味で。
 勿論道三は素早く大垣攻略に動き出した。
 その状況で、岡崎攻略を終えた信秀はすぐさま大垣へと向かったのだ。この時、岡崎城には松平広忠が残り、安祥城には信長の兄にあたる織田信広が残って今川に備えた。
 この三河は吉良義安を守護とする勢力での布陣に成り、信秀は形式上その援軍でしかない。
 そういう意味で松平広忠も信秀の家臣としてはではなく、信秀方の勢力として三河吉良家に使えたという形に成る。

 坂井大膳は慌てる信秀をあえて見送るように大垣までの道のりを開き、信秀が大垣に到達する頃合いを見計らって、その信秀に要望書を出したのだった。

 「貴公の守護に対する功績は考慮するも、自領を広げるだけの振る舞いは主家に対する反逆を狙ってのものと疑わざるを得ない。もし貴公に叛意無しとするならば、熱田及び古渡を主家に献上するように」

 と、いう内容で、主家とは斯波家を意味するが、本当の所は大和守家が貰いうるという算段で、信秀もその事は承知の上だ。
 実際の所は大垣城は第一次加納口の戦いで、坂井大膳との約定を以て攻略したもので、知多半島に至っては水野信元を調略して尾張方に引き入れ、岡崎に至っては今川の勢いを食い止める意味で吉良義安を守護とした勢力で緩衝地帯をつくったに過ぎない。
 その援軍の拠点として安祥城に信広を置いているに過ぎないのだ。

 そういう意味では信秀の領地は大垣と安祥城を得たに過ぎない。
 水野信元ら知多半島の勢力に至っては、自らの配下に組み込んだ訳では無く、寧ろ斯波尾張の勢力として組み込んだというのが実態で有ろう。

 信秀はこうした弁明を以て、平手政秀を清州に遣わしたのだ。
 それまでの間に坂井大膳は古渡城を包囲した。
 そして大膳は信秀に向けた要望と同じ文言で城内に告げた。
 現状、明確な資料は見つからなかった為、この時古渡城に誰が残っていたのかは不明であるが、道三から大垣城を守る為の部隊が主力で小豆坂七本槍とされる織田信光、織田信房、岡田重能、佐々政次、佐々孫介、中野一安、下方貞清と言った面々は信秀と共にその前線に行ったと思われる。
 因みに後に七本槍は戦の手柄を賞した勇士七名に与えられる栄誉として受け継がれるようであるが、この小豆坂の七本槍が後世の創作で無ければ信秀による発想と言ってもよい。
 ただし、これを第一次小豆坂の戦いの功労者としているが、1542年に起きたとされるこの戦いはこの小説では不採用としている。

 寧ろこの時期の戦いで信秀と今川が大規模な衝突を起こす状況に無かった為、安祥側の松平と、岡崎側の松平の勢力争いとして扱う形とした。
 されど、第一次小豆坂の戦いと類似した規模の合戦として、岡崎城攻略が当てはまると考える。
 織田信光以外はあまり名の知られていない面々であるが、武勇面では柴田勝家らに引けを取らなかったとされる下方貞清の生年は1527だろうとされている。この人物は寧ろ享年が1606年で80歳と考えるなら、推定した生年は妥当と見なす流れで、結果その逆算によって1542年とした場合、若干15歳でしか無くなる。
 

 今の中学生に当たる少年が大人相手にどれだけ戦えるものなのか…
 確かにサッカーの王様ペレは若干17歳でワールドカップで結果を出しているのだから、その年齢で実力ある者が結果を残す可能性は否定できない。しかし、どう考えても稀で些か危ぶまれる。
 更には、佐々成政の兄二人、長兄の政次は推定生年は1522年で次兄の孫介の推定生年は1527年とされ、これも下方貞清と同じなのだ。更には岡田重能も同年齢とされ、15歳の少年3人がスーパールーキーとして手柄を立てた形で見ると、他の大人たちは何をやっているのかと疑問にも感じる。
 勿論、織田信光は1542年で26歳なのだから、その信光が引っ張って少年たちも手柄に貢献したとも考えても良いが、まだ成長期の15歳の少年3名という話と、この1542年の小豆坂の戦い事態が懐疑的に考えられる点を踏まえると年数としては怪しく感じるのだ。

 ところが信長の初陣と重なる1547年の岡崎城攻めならば、15歳の少年たちの年齢はほぼ20歳という所に成る。
 よってこの小豆坂の七本槍は丁度この岡崎攻めでの功績で賞された面々で、その勇み足で大垣へ向かった為、そのまま信秀に従ったと考えてもよい。

 こうした流れから…この時古渡城に残った人間を探ると、那古野に家老として残る林秀貞。ただし参謀として信秀と同行している可能性もある。
 平手政秀は交渉役として清州へ赴く為、外れるとして、更には信長の初陣に同行した内藤勝介や青山信昌が信長付の家老として残っている。
 25歳の柴田勝家、30代前後の佐久間盛重らは小豆坂の戦い等で名前が出てこないため、守備側の与力として残っている可能性が高い。
 

 史実の話の中で、この坂井大膳が古渡を急襲したという出来事はあまり大きな意味で記されてはいない。
 しかし、実際に状況を精査するならここで生じている緊張感は後の信長包囲網に匹敵する信秀包囲網だと言ってもいいだろう。
 岡崎を陥落させたものの、その岡崎には今川が報復を狙っている。
 そして大垣は斎藤道三、更に内側からは大和守家から反逆の疑義を掛けられているのだ。
 先の道三が土岐頼純を陥れた様に、迂闊な行動は命取りと成る。今、信秀の古渡城にはそういう緊張感が漂っているのだ。

 坂井大膳が古渡の速やかな開城を再び迫ると、城門越しに佐久間盛重が登場した。

 そして、

 「おお!!坂井殿、しばし待たれよ。今しがた平手殿がその辺の手はずを確認しに清州へ向かわれた故に、当方としても迂闊に従うわけには成らないので。」

 と、戦う意思は無いという体裁を盛り込んでそう答えた。
 とは言え、大膳はいつでも武力行使に移る構えを崩さない。
 さて坂井大膳は何かと言いがかりを付けて古渡を落とす算段であるが、弾正忠家が本気で大和守家に反旗を翻すことは望んではいない。いくら大膳でも弾正忠家との間で大きな戦に発展すれば、それは尾張を弱体化させ危うくすることは理解している。
 逆に、弾正忠家としてもその戦に成ればいわば信秀包囲網という状況下で苦戦を強いられ滅亡する危機すらある状況なのだ。
 ゆえに尾張国としての状況打開としては、大膳の要望に従わざるを得ないと考えてのものだ。

 大膳からすればこの包囲によって弾正忠家から最低でも何らかの譲歩を引き出せると見込んでの行動だろう。

 勿論、速やかに従わないのなら強硬策も有りうるという算段でも有るのだが、その際は後に信秀と和睦する意味で主家としての正当な理由が欲しいのだ。
 その正当な理由の為、明らかに古渡が攻撃を仕掛けてきたから応戦したという形を求めていたのだ。

 古渡に残った城兵に対して清州の部隊は2倍から3倍多い状態で包囲している。恐らく城兵500名程度に対して、坂井大膳は1500から2500位は従えている。

 無論、籠城戦という形にはなるが、緊迫した状況であり坂井大膳の腹立たしくも感じるこの行動に、城内は憤りを隠せないのも事実だ。
 更にそうした中で坂井大膳は城兵を腰抜けと罵る挑発を兵士たちに煽らせ相手が仕掛けてくる様にも仕向けている。

 そういう状況下で盛重らは城を上手く守らねば成らなかったのだ。
 そこで盛重はもう一人の勇将・柴田勝家と示し合わせて共に数名の兵士を従え城門から大膳の前に現れたのだ。

 盛重は古渡を囲む城兵と大膳に向って、

 「主家からのご下知といえ、暫くの時をお待たせしている事は申し訳ない。」

 と先ず口上を述べ、

 「その退屈な時を暫しの余興に於いて御持て成しとさせていただこうと存じ上げまする。」

 と伝えた。
 そして先ずは、盛重と勝家による剣舞とも言うべき組み手を披露した。
 二人は気迫に満ちた声を上げ、一刀一刀激しく打ち合って見る者を圧倒させた。

 鋼と鋼がぶつかり合う大きな音を響かせ、二人の気迫に満ちた声を周囲に響かせた。
 それまで城兵に「腰抜け」と煽っていた兵士たちも静まり返って、二人の剣舞を傍観し始めた。

 そして城内から剣舞のリズムに合わせて太鼓が鳴り響くや、盛重が一緒に連れてきた兵士たちも組み手をはじめ、その兵士たちの掛け声に合わせて門の内側に控えた城兵たちも掛け声を響かせた。

 規律に満ちた城兵の掛け声と気迫に満ちた剣舞を披露することで、大膳側の兵は完全に怖気づいた。
 勿論、大膳自身もその空気に飲み込まれるように静まり返った。
 先の土岐頼純の対応とは違い、盛重のその策は正に妙技であった。恐らく相手が斎藤道三であっても手出しは出来ないどころか、道三なら寧ろ盛重の対応を大いに称えただろう。
 
 一方の政秀は斯波義統と織田信友を前にして、弾正忠家に叛意が無い事を告げた、。
 政秀は寧ろ…

 「当家は尾張斯波家の為に注力を尽くしている次第で、他家に代わり義統公の剣と成り盾と成って転戦しております。」

 そしてここからが政秀の手腕の凄み意であり、政秀は一呼吸おいてからこう述べるのであった。

 「もしそれを叛意として扱われるのなら我々もお家断絶を覚悟の上で抵抗せざるを得なく成ります。勿論、その時、残念ながら尾張は斯波家の物でも、ましてや弾正忠家の物と成る事も無く、美濃と駿河の良いように切り取られてしまう事に成るでしょうが…」

 政秀は弾正忠家が自決覚悟で抵抗しても謀叛に成らず、寧ろ外敵を招くだけの流れでしかない事を伝え、弾正忠家がそれに対抗する盾で有る事を改めて意識させたのだ。
 大和守家の信友に対しては脅しである。
 脅しではあるが政秀の言葉は一考させるだけの力があった。
 坂井大膳にそそのかされて愚かしい決断をした信友でも窮地にあるとはいえ信秀と争う事の大事は理解できた。更にはその信秀と争った後に美濃や駿河が尾張を目指してきたなら、寧ろ防ぎきれる状態では無くなる事くらいは察しがつく。

 逆に斯波義統にとっては信秀の叛意は信友らからの耳打ちでしか聞いておらず、政秀の言葉は逆にその疑いを払拭するに充分であった。
 ある意味、尾張の為には織田弾正忠家信秀の存在は不可欠であることを改めて意識する内容となったのだ。
 こうして古渡を包囲した状況は何事も起らず、政秀の弁明も功を奏して信友は斯波義統の命をもって大膳に兵を引かせたのだ。
 尾張守護斯波義統の命は、岩倉の伊勢守家や犬山の織田信清の下へも告げられた。

 元々、尾張国内の問題として信秀に叛意ありとして伝えられ、守護の命に従って信秀包囲網に加わった岩倉の伊勢守家は何事も無く速やかに兵を引いた。
 犬山の織田信清も信秀の弟であり父の信康から受け継いで日も浅く、寧ろ主家の命に従って行動したに過ぎず、叔父である信秀を恨む根拠も無かったのも事実である。

 因みに岩倉城の伊勢守家当主の織田信安はその父とされる織田敏信から後を継いで当主と成っている。
 その敏信の死は1517年で有ったとされ、信安が幼少であったとしても当主に成ったのはその年であると考えられる。
 史書の中には信秀の弟、信康がその後見人と成ったとされているが、信秀の生年は1511年でその弟となると1517年時点では子供に過ぎない。
 寧ろ弾正忠家が信安の後見人としての地位を得ていたのなら、信秀の父であり信長の祖父である織田信定がその地位にあったと考えるのが妥当で、信秀とは違ってまだ従順な大和守家の家臣に過ぎなかった信定を伊勢守家の監視役として派遣したと考える流れでも不思議ではない。

 また、信定が弾正忠家を称したのも1516年に署名した記録が残っている事からも時期的な意味でも成立すると考える。
 そして信秀に家督を継がせたあと、信定は犬山城に入って隠居し信秀の弟に当たる信康にその城主の地位を譲ったとすれば、些か辻褄は有ってくる。
 その流れから1547年時点で織田信安は30歳を越えた成人で、寧ろ犬山城主の織田信清は信長と歳が近かったと考えられ、伊勢守家と犬山城の関係は寧ろ完全に主従という形に成っていたと言えよう。

 さて…吉乃の話に戻ろう。
 ここからはフィクション性が強く成ると言っておこう。
 ただし信長が吉乃っと出会うには、犬山城との関係が上手く機能せねば成らない。
 幼少期に出会う可能性も考慮できるが、寧ろ二人が恋愛感情を抱くほどと成るならば、初陣を終えてからの出会いが一番妥当であろう。
 尾張国内での騒動が無事に決着が着くと、信秀は大垣で道三との戦いに専念する事と成った。
 今川への備えである三河の情勢に関しては、寧ろ吉良義安の勢力に頼らざるを得なかったと言っても良い。

 信秀が美濃との争いに専念するに於いては、岩倉の伊勢守家であり犬山城の協力は必要不可欠と成る。
 初陣を終えてからの信長は暫く戦場に出る事は無かったようである。
 しかし、元服を終えた信長が何の活動もせずにいたのは寧ろ不自然とも言えるだろう。
 そこで信秀は嫡男である信長を名代として岩倉と犬山に遣わしたと考えるのだ。
 岩倉の織田信安は幼少の信長と猿楽(能)を楽しんんだという記録も存在しているらしい。
 そうした流れを踏まえるのならこの時期の信長の訪問は最適であると言えよう。

 信長は政秀ら家老と共に、先ずは岩倉城を訪れた。
 そこで家同士の外交上の辞令を済ませて、犬山城へと赴いた。
 その犬山城の城下を通った際に、一人の商人娘に目を引かれたのだ。 それが生駒家の娘、吉乃である。

 勿論、ただ単に美しい娘に目を奪われた訳では無い。
 寧ろ美しいだけの女性なら熱田で何人も目にしている。

 生駒家が馬貸し、いわば配達業務を行っていた商人として考えるなら、その商家は人の出入りが激しい活気のある場所だったと言えよう。
 その活気に満ちた場所に、世話焼きの良い活気に溢れた少女に目を奪われたのだ。
 そこに出入りする人々から慕われるように声を掛けられ、少女は愛想良く対応する。そして商家の主人の娘として上手く場を切り盛りする姿に信長は目を惹かれたのだ。

 信長は才女を愛する。女性に限らず才有るものを愛するのだ。
 寧ろ人の才を見抜こうとするゆえに、そこに才を見出した時、大事に考える。
 信長がそこを通りすがったのはほんの一瞬であるが、寧ろ吉乃の才を見逃さなかったのだ。

 吉乃にこうした世話焼きとしての才が有る事は「前野家文書」に書かれる中で見て取れるもので、それが逸話であるとしてもここに吉乃の存在が記されているだけで、彼女がそうした者たちから如何に慕われていた存在であるか想像はつく話だ。
 いわば信長が自身の妻に求める才能に家臣から愛される才を求めていたのは不思議では無いのだ。

 ある意味、誰もが望む王妃としての素質そのものが吉乃にはあったといえよう。
 勿論、濃姫にその才が足りなかったとは言わない。
 彼女には彼女らしき素質があったのだが、吉乃の場合、商家の娘で有るがゆえに親しみやすさと気遣いが別なものとして備わっていたと言える。
 言い方を変えれば、信長が最愛とした女性が商家の出身であった事は一番腑に落ちる話という事だ。
 

 とは言え、信秀の代理として犬山に訪れた信長は吉乃の事を気に止めながらもその場は素通りした。
 そして公用が終わった後に、信長は悪童たちを引き連れて再び犬山へ足を運ぶことと成る。 勿論、その目的は吉乃に会うためだ。


どうも…ショーエイです。
動画制作もやっと一作目が出来て、
これからショートを含めて更に更新していく中で、
中々、うつけの兵法の更新が出来なくて、
申し訳ありません。

ワガネコ タマタイム・ショー - YouTube

↑にリンク貼っておきます。
中々動画が見て貰える環境に無くて登録者数もまだ全然ですが、
笑えるコンテンツで
世界中の人に

世界の平和を考えてもらうことを目指しているので、
是非、このブログ見て下さる方々のご協力をお願いしたいです。

Youtubeの検索機能を考えると、
少しでも登録者数や視聴回数が増えてくれれば、
それだけ多くの人が見る切っ掛けになりますので、
是非お願いします。

さて… うつけの兵法の話に戻って。

ここでは吉乃という女性を実に
誰もから愛される王妃の様にしています。
勿論、後世の作品上で

魔王信長の理想の妻として描かれる濃姫も
王妃としての才は十分とも言えます。

では、信長たま自身が女性だったとして、
吉乃の様な女性に成れるかというと否です。
寧ろ魔王信長の理想の妻としての濃姫なら成れます。
ただし、夫が劉備玄徳の様な人物であるなら、
諸葛孔明を女性にしたような存在になれるが、
夫がダメ、または独身を通す女性ならば、
信長たまそのものが女性化しただけに成ります。

自由気ままでハチャメチャな性格という意味では、
ストーリーの主人公としては魅力的ですが、
誰もこんな女を妻にしようとは考えないような女性に成ります。

吉乃とはいわばその真逆であり、
願わくば誰もが妻にしたい理想の女性と言うことに成ります。
ただ人間そんな完璧な人は居ません。
吉乃は寧ろ信長たまの女性像に憧れ、
願わくば諸葛孔明が劉備玄徳に尽くすような存在を求めますが、
実はそういう部分では寧ろお節介になる感じです。

ただ、そういう吉乃の憧れ部分も理解できるゆえに、
信長たまは寧ろ彼女の愛嬌として受け入れられる訳です。



ところで最近の信長たまの評価では、
このブログで良く説明するように、
信長=諸葛孔明でも成立する雰囲気に成ってきました。
逆にこの関係性を、
漢の高祖 劉邦と=にすると、
不思議に感じるかも知れません。
いわば劉邦は無能に近い扱いで、
寧ろ韓信、張良、蕭何の三人に支えられたイメージです。
もし孔明先生や信長たまの様に才能あふれた人物なら、
そんな評価には成らないのでは…
寧ろ項羽の方がそれっぽいと思うと思います。

これを面白い形で解析すると…
実はどれだけ劉邦に才能が有ったとしても、
その才能に信用が無かった為、
寧ろその才能を周りが使わせなかったという感じで考えられます。

信用が無いというのは実績が無いという点です。
そして実績を作る上でも使わせてもらえないから、
実績が作れない訳です。

いわば農村の荒くれ者でしか無く、
軍も指揮した実績も無い人に、
軍の指揮を任せられるか?
という部分です。


勿論、劉邦が集めた軍であっても、
軍を指揮した経験のある人物が居る場合、
周りは寧ろそちらを頼ります。
指揮官として命を預けるなら、
そういう人物の方が安心と考えるのが当然だからです。
劉邦は寧ろ賢明な人物ゆえに、
そういう流れならそうした方が良いと判断します。

これはオッサン先生がMMORPGのゲームで
エルダーズ・スクロール・オンラインを
やっていて感じたことらしいのです。

ギルド運営して多くの人が集まったわけですが、
それまでは様々な難関ダンジョン(12人制の試練)を、
試行錯誤を駆使して独自のやり方を編み出しながら、
攻略していったわけです。
ある意味、この時点では信長たまの
美濃攻略までの様な雰囲気でした。

それから多くの人が更に加入して大所帯に成ると、
徐々に試行錯誤して攻略していく遊び方から、
誰かの攻略法を模倣する流れに成って行ったわけです。
オッサン先生の実績なら攻略法を
独自で見極める事は可能な訳ですが、
寧ろ先に攻略した人のやり方を知っている人たちは、
それを模倣してやるほうが早いという流れに成るわけです。
そうなると独自の方法を指示しても、
むしろ不満を抱く人が出てくる有様です。

まあ、そのギルドを解散した理由は、
そういう遊び方ならゲーム自体に面白みを感じない事と、
そういう事に毎日21時から0時まで時間を割くなら、
Youtubeの動画の方に時間を掛けた方が
良いと判断したからですが…

もし、その遊び方に天下や生活が掛っていたなら、
寧ろギルドに集まった人たちのやりたい方向で、
そのまま進めるのも問題なかった訳です。

劉邦は寧ろ、そういう状態にあったのではと推測します。
そして張良の様に軍師としての実力を認められた人物であり、
蕭何の様に政務の実績がある人に任せ、
自分はそれらの提案を適正に裁可するだけに努める。
韓信に対しては寧ろ才能を見抜き、
大所帯の長となって自分が出来なくなった実績作りを、
寧ろ後押しして活躍させた。

ただし…ここからが劉邦が優秀であった所で、

項羽との戦いに於いては、
諸将が提案したやり方では勝てない事を知っていた。
かと言って、自ら作戦を提示しても素直に従ってくれないので、
あえて負けると知りながらもそのまま戦い続けたのです。

ここで誰もが勘違いしているのは、
劉邦がその都度速やかに撤退できなければ、
劉邦自体が討ち取られてるか、
項羽に何度も挑まるだけの軍を維持できなかったであろうこと。

直感では無く、
ここが崩れたら勝てないという事を熟知してたから、
損失少なく軍を引かせられたという事です。

ある意味、自分が撤退するという命令だけは
誰もが従わざるを得なかった部分で、
そこだけを上手く活用して戦ったという感じです。

そして…これは推測ですが…

項羽を最後に追い詰めた指揮は
劉邦が自ら採った可能性があるという事です。
ある意味、それまでの敗戦は
自分のやり方に従わせる為の布石で、
最終的に誰がやっても同じなら、
俺の言うとおりにしてみろと見せつけた結果とも言えるのです。

勿論、孔明先生も信長たまも、
自分の功績をあえてアピールしない訳で、
天下を取った劉邦親分も、
項羽を追い詰めた最後の指揮を自分の手柄とすることなく、
韓信、張良、蕭何の存在を称えて、
彼らによって天下統一という偉業を
成し遂げたこととしたわけです。

才能を証明するというのは実に難しい事で、
後世ではその才能が評価された後ゆえに、

誰もがその才に惹き込まれるが、
現世では寧ろ結果が出ない内は、
その才能は中々信用されないものなのです。
寧ろ、才能よりも実績の方が見えやすく、
それ故に人々は何処か学歴や資格といったものを
充てにしてしまうのです。



そういう意味では、古今東西いずれも、
才能よりも努力が報われる世の中と言っても良いかも知れません。