どうも…ショーエイです。
外交上問題は
基本的には政権が議会を通さずに決定できる話は
多くの人が知っている事と思います。
実際に外交問題の隠れた部分を含めて、
色々な交渉の詳細を考慮すれば民意や議会を通すより
スムーズに進むと思われます。
ただし平和的な話はですが・・・
逆に中国やロシアとの関係だと、
政権も危いですが、
寧ろ民意の方がもっと危い考えに走りそうなので、
民意に託した議論は好ましくないとも言えます。
ところがイスラエルの問題は
寧ろ政権側の関係上の問題にも成りかねない話で、
いわばロビー活動やら支援者、
更には米国との関係を含めた意味での
外交上の都合などで、
色々と国家采井やら政権維持に苦慮する話に成ってきます。
そうした政権が抱えるだろう問題に配慮して、
寧ろ純粋に判断できるようにする為に、
民意を利用するべきなのです。
勿論、ただ単に民意がイスラエルを許さないからとするのは、
逆に意味が有りません。
ではどうやって民意を利用するのかという話になると、
先ずはイスラエルの言い分も適正に聞ける形を取ります。
世界各国の民意がイスラエルの主張を聞いて
正当性有る内容と判断できるか?、
先ずはこの機会を与えることが大事なのです。
まあ、普通の人は双方の言い分を聞くのは当然と
理解するでしょうが、
この場合、寧ろイスラエルがどう説明できるかが焦点です。
ある意味、陪審員裁判の様な形です。
当方の見識としては、
イスラエルが明確にヨルダン川西岸への入植行為を
民衆視点で正当化するのは難しいと断定してます。
その上で幾分かでも正当性を示せる内容が含まれるなら、
それを聞く人は問題の根本を理解できる流れと成ります。
ただし、中国の南シナ海問題同様に、
歴史的な背景を理由にすることは、
現時点における権利者の人権が優先される話では、
全く正当性を帯びなく成ります。
例えるならイスラエルがパレスティナの領土も含めて、
イスラエルの一国家の領土と主張した場合、
パレスティナの人々もそのイスラエルで
同等の権利を持つ人々として扱われなければ成らない訳です。
最低でも国連憲章上ではこうなります。
その上で不当な行為で
パレスティナの人々の本来の所有権を奪う行為は、
国家として正当性が無くなります。
例えイスラエルがパレスティナ人が勝手に主張した土地で、
国家としての承認を与えた土地で無いと主張しても、
承認を与えず奪う行為は
国家権利と人権問題の狭間の議論と成ります。
この争点を盛り込んでイスラエルの主張は
、
パレスティナ人は難民であって国民では無い。
イスラエル国の土地はイスラエル国民の土地であって、
国民ではない難民に所有権は無い。
善意のみの解釈では、
イスラエルの主張に正当性は無いと感じるでしょうが、
歴史的な背景を理由に出来ないとした場合、
現状、パレスティナ人は戦争に負けた難民状態のままです。
ところが同じレベルで話を進めると、
パレスティナ人が所有する土地は、
かつてのその戦争の合意の下で得られた土地で、
イスラエルが国家として
パレスティナ人を難民という区別で扱うなら、
合意上保持した土地は
パレスティナ人の独立した国家の領土として
認められなければならない
という人権問題の話に成ります。
国連憲章に於いては人権問題が優先事項です。
内政不干渉も国連憲章に記載されてますが、
虐殺や迫害などに該当する人権問題は、
解決優先と成ります。
この場合、イスラエルが国家として
パレスティナ人の存在を国民として扱わず、
難民という形で留めている状態は、
パレスティナ人への迫害と見なされます。
これはイスラエルの根本のユダヤ人が
ヒトラー率いるナチスドイツから受けた扱いと同じです。
いわばその国家に存在していても、
国民として認められなかった状態です。
米国の合衆国憲法下では、
この人権定義が成立してます。
例え不法移民であっても、米国でそれらの子が生まれた場合、
それらの子は米国民として認められる。
米国憲法上の人権的な価値観で扱うなら、
現時点のパレスティナ人の大多数は、
イスラエルがパレスティナ自治区も含めて
国家と主張する場合、
そこで生まれたパレスティナ人は
イスラエル国民として対等な権利を有さねば成らない。
という意味で成立します。
それ故にイスラエルの入植行為は
国民への人権侵害である。
ここで米国憲法の話を持ち出すのは、
イスラエルを説得する為の話では無く、
米国がイスラエルの主張を人権問題として
支持するべきではないという主張です。
いわば国連として、
公開陪審員裁判の体で、
各国国民に人権問題の適性を考えてもらう機会として、
その民意の勢いと表現しますが、
その勢いでどちらの主張を支持するべきか、
政権に圧力を掛けるべきなのです。
米国以外では各国で難民や不法移民などへの定義は
変化しますが、
人権問題に対して善意で向き合う意識が強ければ、
自然とどちらの主張が優先されるべきか理解できます。
その上で、パレスティナ国家の
承認が必要か否かが議論されなければ成らないのです。
イスラエルが承認しないと頑なに拒んだ場合でも、
いずれにせよパレスティナ人の人権を優先した議論と成れば、
入植行為は決して認められません。
いわば国家として認める認めなくとも、
入植行為が出来ないなら、
パレスティナの自治権の中で
不法行為に対処することは保証される条件と成るわけで、
独立を認める認めないは意味が無くなるのです。
いくらなんでもイスラエル以外の民意は、
パレスティナ人のイスラエルに対する怒りが、
ハマスのテロ行為を引き起こしたと気付いているわけです。
テロ行為なので誰も支持する意味で
中々口に出来ないだけで、
テロに関しては被害者でも、
根本の問題はイスラエルに有る点で理解している訳です。
よって一応はイスラエル側に弁明機会を与えつつ、
公開陪審員裁判の形で、
人権問題を議論して
民意の支持が得られない場合は、
それを理由としてイスラエルへの不支持を表明して行く形で、
イスラエルに人道的な圧力を掛けるべきなのです。
イスラエル政府がいくら各国の政権を批難したところで、
こういう流れに成った場合は、
その国々への民意を説得する必要性が生じる為、
パレスティナへの対応も人道に沿った形で
説明して行かなければ成らなく成ります。
現状各国政権への批判で対応できる形では、
反ユダヤ主義だとかいう被害者面した事も、
まかり通る形になるが、
各国の民意とした場合、
さすがに現状のイスラエルの態度では
反ユダヤ主義的なイスラエル政府への嫌悪感が、
民意レベルで広がって行く危機感を察知すると講じられます。
現状、国家の政権レベルでイスラエルを批難したところで、
「パレスティナ人は難民であって国民では無い。
イスラエル国の土地はイスラエル国民の土地であって、
国民ではない難民に所有権は無い。」
という論理が人道的にまかり通ると信じ切っている中では、
どれだけ頑張っても自己の主張を曲げないでしょう。
そのため人道的に理解されないという事を、
民意理解という形で明確に伝え
イスラエルのリクードの様な政権では、
イスラエルの国家存続自体が国際レベルで危ぶまれる点を、
寧ろ善良なイスラエル国民に託すべきなのです。
正直なところ反ユダヤ主義の蔓延は望ましくない。
しかし、イスラエル国民の善意が
現イスラエル政府リクードの非人道的主張を打ち消さねば、
世界の目がユダヤ人全体を受け入れられなくなるのは、
当然の流れに成ってしまう。
本当に全ての人類にとって円満な解決を望むなら、
こういう流れは必要と成るわけです。
トランプ…とりあえずまだ、大統領と付けておきますが・・・
死んだら天国へ行きたいとか、
ノーベル平和賞が欲しいとか言っています。
天国へ行けるかどうかは知りませんが・・・
キリスト教的な解釈で伝えるなら、
最終的には心の問題です。
ラクダを針の穴に通すより難しいほど、
自分の心に純粋に向き合って、
「自己満足」で終わっていないかを自問自答し続け、
その上で万民に公平であったか?
万民を平和に導けたか?
その達成感が本物なら、
少なくとも苦しまず安らかな眠りに付けるのでは…
と、現実的に伝えておきます。
ノーベル平和賞に関しては、
イスラエルのリクードみたいな連中の言い分に耳を貸して、
人権問題を考慮もせず、
イスラエルの国としての権利だけを尊重する姿勢では、
全くもって相応しいとは言えません。
ネタニヤフとの関係を切らん空ければ、
ネタニヤフの行動がそういう目標の足を引っ張る事は、
以前のブログで伝えた通りです。
まあ、所詮はノルウェーの政府が関わる賞なので、
ノルウェー政府に圧力でも掛ければ、
案外取れなくもない話なのですが、
今度はそれで満足したら、
むしろ天国へ行く話は
自ずと自問自答の中で消えていく事に成ります。
キリストの皮肉の話を哲学と心理学的に伝えるなら、
神を信じるのも、天国へ行くのも、
結局は心の問題。
ラクダも心の中、いわば想像力の中で針の穴を通してしまえば、
それで用は足りるという話で、
そんな方法で納得できるかどうかも、
心理学上単純すぎて難しいと言う事です。
これを現実主義的皮肉屋のキリスト的な解説で伝えると・・・
神への信仰を大事に信念を持って
その自信と共に死の淵に向かえば、
少なくとも死ぬ間際に天国への門が開かれる絶頂を
垣間見れるだろう。
そして…その門をくぐった先は・・・
知らん・・・
「お前はもう死んでいる」
と、いう仏教にも通じる話に成っります。
まあ、幻想的な形で伝えるなら、
物語もドラマも漫画も、
先を知っていれば楽しめない。
先を知らないから今の話を楽しめるわけです。
まあ、トランプ大統領に天国行きの話を伝えるなら…
貴方が天国へ行けたかどうかを誰もが知るのは、
後世にあなたの功績がどう語られるかで判明するだろう。
万民に愛され語り継げれる功績を残したなら、
貴方の名前は天に刻まれるだろうが、
万民から忌み嫌われ汚名を残したなら、
その名は地の果てへと追いやられる。
これを自らの基準として死地へ挑むべし・・・