黒沢清監督、柴咲コウ、ダミアン・ボナール、マチュー・アマルリック、グレゴワール・コラン、スリマヌ・ダジ、西島秀俊、ヴィマラ・ポンス、青木崇高ほか出演の『蛇の道』。

 

8歳の愛娘を何者かに惨殺された父親アルベール・バシュレ(ダミアン・ボナール)は、偶然知り合った精神科医・新島小夜子(柴咲コウ)の助けを借りながら、犯人を突き止めて復讐を果たすべく殺意を燃やしていた。やがて2人はとある財団の関係者たちを拉致し、次第に真相が明らかになっていく。(映画.comより転載)

 

ネタバレ要注意です。

 

2020年の『スパイの妻<劇場版>』の黒沢清監督が、1998年の自作をリメイク。

 

 

僕は黒沢清監督の映画をこれまでにそんなに数多く観ているわけではなくて、多分、劇場公開時に最初に観たのは1997年の役所広司主演の『CURE』で(それも映画館でだったかDVDでだったのかも、もはや記憶がさだかではないのだが)。

 

その前に伊丹十三がプロデュースして、演出に関していろいろ揉めたという『スウィートホーム』(1989) はTV放送で視聴。松重豊が元力士の警備員を演じた『地獄の警備員』(1992) は、映画の存在は知ってたけど観ていない。ちょうどその頃、塚本晋也監督の『ヒルコ/妖怪ハンター』(1991) や原口智生監督の『ミカドロイド』(同年)  、雨宮慶太監督の『未来忍者』(1988)と『ゼイラム』(1991) なども作られていたから、『地獄の警備員』はその辺の似たジャンルの1本としてタイトルやヴィジュアルは知っていた。あいにく上に挙げたどれもちゃんと観ていないんだけど。

 

1998年に哀川翔主演で公開された『蛇の道』(最近問題起こした人が共演)は、同じくのちにVシネのような形でヴィデオ化された『蜘蛛の瞳』とともにタイトルは記憶しているけれど(「修羅の極道」とか「修羅の狼」というタイトルが付け加えられていたから、レンタルショップでソフトを目にしたんだと思うが)、こちらも観たのかどうかも覚えていない。

 

 

 

黒沢清監督の作品って海外の映画祭で上映されることが多いし、一定のファン層があるようなんだけど、僕は『回路』(2000) と『ドッペルゲンガー』(2003) のあとはかなり長い間ご無沙汰で、10数年ぶりに観た『スパイの妻』はユニークな内容だったし観てよかったんですが、すみません、個人的にはこの監督の映画をぜひ観たい、というタイプの人ではないんですよね。

 

ただ、映画館でこのリメイク版『蛇の道』の予告を観て、主演が柴咲コウ、そして共演がラジ・リ監督の『レ・ミゼラブル』やドミニク・モル監督の『悪なき殺人』に出演していたダミアン・ボナールということで、また幼い娘を殺された男の復讐譚という物語にも興味をそそられたのだった。

 

オリジナル版を観返すこともなく、内容もほぼ知らないまま鑑賞。

 

最初から明るく楽しい作品ではないことはよくわかっていたし、1本のクライム・サスペンスとして満足感がありました。

 

ただし、誰にでもお薦め、という作品ではないし、映画レヴューサイトによってはかなりの低評価が目立ったりもしていて、もともと日本が舞台で日本人の俳優たちが演じていたオリジナル版と、フランスを舞台に(主演を除いて)ほとんどをフランス人の俳優たちが演じた本作品とではいろいろと異なるところは多いのだろうし、監督ご自身も「オリジナル版が好きな人はリメイク版は気に入らないかもしれない」というようなことを仰っているので、オリジナル版を知らずに観たのは幸運だったのかもしれない。

 

ホン・ウォンチャン監督、ファン・ジョンミン主演の『ただ悪より救いたまえ』でも描かれていた子どもの人身売買や臓器売買というものがどれほど現実にある問題なのか知らないので、この題材が社会問題を扱ったものなのか、それとも単なるフィクションの中の小道具のような役割として用いられているだけなのかわからないんですが、ただ幼い子どもが無残に殺される事件はたまに報道されるわけで、そのあたりでなんとなく現実社会と繋がりがあるように感じられなくもない。

 

もっとも、柴咲コウ演じる主人公の心療内科医・小夜子は劇中で「蛇の目」と表現される、感情が見えない眼をしたちょっと現実から遊離したような存在として描かれていて、だからそもそも現実味のあるストーリーではないんですが。

 

 

 

フランス人の男性・アルベールの幼い娘が森の中で惨殺死体として発見されて、その真犯人に復讐することを決意した彼は病院で声をかけてきた日本人医師・小夜子の協力で犯人と疑わしき男・ラヴァル(マチュー・アマルリック)を拉致するが、鎖で繋がれて用も足せず、食事も足下に落とされて這いつくばって動物のように口で直接摂取するしかないような状態で放置され続けた挙げ句に彼が語り出した人身売買の“サークル”の話から、やがてそのリーダー格の男性・ゲラン(グレゴワール・コラン)も同じように囚われの身となる。

 

すると、小夜子はアルベールが目を離している間に、その二人に「誰か他に犯人をでっち上げてしまえば解放される」と囁く。

 

二人は口裏を合わせて共通の知り合いである警備主任の男(スリマヌ・ダジ)をアルベールに教えるが…というもので、一体真犯人は誰か、という謎とともに小夜子の不可解な行動も気になってくる。彼女の狙いはなんなのか。

 

オリジナル版の脚本は『女優霊』(1996) 『リング』(1998) の高橋洋。

 

リメイク版はオリジナル版とほとんど同じ部分と、変えてある部分とがあるそうですが、前述したようにオリジナル版を観ていないのでその辺はわからず。

 

すごくシンプルでお話の筋自体は難しくはないんだけれど、ところどころ「…ん?」とよくわかんないところがあって、でもどんどん先に進んでいってしまう。

 

最初に捕まえてきたラヴァルも、それから彼の証言によってそのあと山小屋から連れてこられたゲランもアルベールと仕事のうえでの知り合いだったが、彼らはアルベールの娘のことは知らないようだし、ラヴァルが口にした人身売買のサークルのことを問い詰められてもゲランはなんのことなのかわからない様子で、二人とも噓をついているようには見えない。

 

 

 

 

 

 

しかし、彼らが小夜子にそそのかされて適当に名前を挙げた(名前を失念)警備主任の男はやたらと屈強で、スタンガンで襲いかかったアルベールに反撃したり、鎖で繋がれたあとも隙あらばアルベールや小夜子を攻撃して逃げ出そうとする。

 

そして、すでに殺された先の二人の男たち(ラヴァルはゲランに撃ち殺され、ゲランはアルベールに撃ち殺される)と同様に、小夜子から「自分は標的の男とは別人である、と言い張れ」と言われてその通りにする。

 

なぜか、すべて小夜子の思い通りに誘導されていくんですよね。その結果、無関係のようにも思えた男性たちもどんどん殺されていく。

 

理詰めで考えるとおかしな展開だし、じゃあこれは現実ではないのだろうか?全部小夜子の妄想?

 

けれども、最後にアルベールはサークルにたどり着く。そして、小夜子もまたそのサークルによって娘を殺されていたことを知る。そこにはアルベールの妻がいた。先代のリーダーから子どもたちの世話を引き継いだ彼女は、夫を殺そうとして彼に撃ち殺される(このあたり、意味がよくわからなかったのだが…)。

 

アルベールはサークルの関係者だった。小夜子によってアルベールは鎖に繋がれる。「あなたが一番嫌い」と言われて。

 

つまり、最初から小夜子はサークルの存在も何もかも知っていて、アルベールを使って関係者を一人ずつ始末していた、ということ。アルベールは自分自身が娘の殺害の原因を作っていたことを認めたくなかったが、最後にそれを小夜子に暴露されて、自分の娘が「解体」される様子を撮った映像を見せつけられて、誰もいない建物の中に置き去りにされる。

 

警備主任の男の拉致の時のワチャワチャぶりとか(ジムの中なのになぜか誰も通りかからないし)、子どもの臓器を趣味で集めている金持ちの話とか、アルベールの妻のことなど、どうも現実味がなく都市伝説めいた感じで、映画全体が変な夢みたいな、リアルな世界とは別の論理で成り立っているような、なんとも奇妙な話。

 

そして復讐を遂げた小夜子は、今は日本に住む夫の宗一郎(青木崇高)とPCでヴィデオ通話をするが、小夜子は「…あなたが娘をサークルに連れていったのね」と夫に言う。えっ?という顔の夫を、「蛇の目」のような小夜子の瞳が見つめている。

 

 

 

「怖いお話」としてちゃんと最後にオチがあるし、だから僕は映画として面白かったですが、黒沢監督がこの映画のオリジナル版のシナリオの出来を高く評価していて、今回フランスの映画会社から過去作のセルフリメイクを打診されて『蛇の道』を選んだ理由はよくわかりませんでした^_^; 何がそんなに優れているのだろう。

 

映画の途中で西島秀俊演じる患者が出てきて小夜子の診察を受けているんだけど、彼との会話の中でプライヴェートなことを聞かれても「困った人ですね」と言って答えなかったり、夫と別居しながら一人でフランスに住み続けていることからも小夜子の家族に何かあったのでは、と想像できるし、先ほど「小夜子の妄想?」と述べたように、すべてが彼女の頭の中で起こっていることだと考えることもできなくはない。ほんとに彼女は医者なのだろうか、と。

 

 

 

夫の亡き娘に対する言葉に引っかかっている様子の小夜子からは、夫婦の間の子どもに対する考え方、感じ方の違いについての物語、とかなり飛躍した解釈もできなくはない。

 

小夜子の夫の宗一郎を演じる青木崇高さんは、少し前に彼が出演している『ミッシング』を観たばかりで、そこでは幼い娘が行方不明になった父親を演じていたので、そのあとにこの『蛇の道』を観たものだから『ミッシング』がまるで別の種類の映画になってしまったようで困った。

 

いや、もちろん冗談ですけどね。

 

『ミッシング』と『蛇の道』は、ジャンルも違うし作中のリアリティラインがまったく異なるので。

 

ただ、『ミッシング』については母親の失態ばかりが取り沙汰されていたけれど、では娘を預けてコンサートライヴに行くことさえなかなかできないような妻を、夫は日頃からどれだけ支えて一緒に娘の面倒を見ていたのか?ということに映画の中で一切触れられていないのを批判されてもいる。

 

『蛇の道』で娘が惨殺されたことについて(それがいつのことなのか言及されていたかどうか忘れましたが、当然、夫がフランスを去る前でしょう)劇中であまりに他人事のように語る夫への不信感というのは、実は夫婦間の意識のズレとしてはリアルなものなのかもしれない。ある種のたとえ話として見られる映画かも。

 

もともと哀川翔さんが演じていた役を柴咲コウさんが演じたということで、それは黒沢監督の判断だったそうですが、主人公を女性にしたことでのオリジナル版からの変化は確実にあったでしょうね。

 

僕は柴咲コウさんを初めて見たのは『バトル・ロワイアル』(2000) ですが、その後多くの映画やTVドラマに出演されていることは知っているし、それこそ大河ドラマに主演するほど有名で実力もある人だけれど、自分でも驚くほど彼女の出演した映画を観ていないんですよね。

 

少林少女』とか、キアヌ・リーヴス主演の『47RONIN』など、残念な印象の作品ばかりが思い出されて…(;^_^A

 

福山雅治主演の「ガリレオ」シリーズの劇場版1作目『容疑者Xの献身』(2008) は好きでしたが。彼女が唄ったあの映画の主題歌は今でもたまに聴きます。

 

『蛇の道』での柴咲さんは何を考えているのかわからない得体の知れなさ、生きた人間みたいでそうではないような不思議な存在感と、彼女のあのけっして大きく見開くことはない、どこを見ているのかわからない瞳が印象的だったし、だから柴咲さんの役者としての魅力を最高に引き出した作品だったと思います。

 

三ヵ月間学んで在仏10年の日本人が喋るフランス語を身につけたり、撮影現場でも現地のキャストやスタッフと打ち解けて馴染んでいたエピソードなど、彼女は黒沢監督と同じくワールドワイドな俳優さんなんだな。

 

黒沢清監督のフランスでの長篇映画の撮影は2016年の『ダゲレオタイプの女』に続いて2度目だそうですが、やはり映画のタイプは全然違うけれど、日本人の映画監督がフランスの俳優たちやスタッフと組んだ作品ということで、是枝裕和監督の『真実』を思い浮かべました。

 

確かにそれぞれの監督の個性の違いはあるんだけれど、でも「あちらの監督さんが撮った」と言われてもそれほど違和感のない作品に仕上がっている、ということで。ヴィム・ヴェンダース監督が役所広司さん主演で日本を舞台にして撮ったり、国を越えても不自然さや無理を感じさせない、そういう作品が増えていますね。

 

フランスではスタッフやキャストに現地の人たちを起用すると助成金が出るそうなので、監督と一部のキャスト以外フランス人、というのは現実的な理由でもあるんでしょうが、でも以前撮影を担当したあちらのキャメラマンのかたと再度組まれたりして、今回の出演者だって実力派だし、ストーリー自体は日本からフランスに置き換えたものでもちゃんとあちらで撮った意味のあるものになっている。ロケ場所は日本よりもかなり自由に希望の場所がみつけられるそうですね。

 

黒沢監督のインタヴュー記事によれば、出演されたフランスの俳優さんたちは普段自国の映画では会話劇ばかりなので飽き飽きしたのか、『蛇の道』で鎖に繋がれて水をぶっかけられたりピストルを奪い合ったり、全身を使う芝居が嬉しくてたまらない様子だった、とのこと。

 

ラヴァル役のマチュー・アマルリックさんなんて、きったない床に落ちた食べ物を口だけで食べたり、ウンコが出ちゃったらしい芝居とか、確かにあれは役者としては楽しそうだよなぁ。

 

彼は007映画に出ていたり、たまにハリウッド映画でも姿を見かけますね。

 

ラヴァルやゲランの死体が目を見開いたままで微動だにしてなくてスゴいな、と思ってたら、あれは死んでる演技をしている俳優たちをハイスピードで撮影していたんですね。なるほどー。

 

アルベール役のダミアン・ボナールさんは、『悪なき殺人』の時と似たような、ちょっとどこかおかしくなってる男を見事に演じていました。まぁ、アルベールはいくらなんでもボンヤリし過ぎだとは思ったが。作品が出演者の存在感に負けてなかった。

 

 

 

寝袋にゲランを入れて延々引きずって走る場面での鮮やかな緑が脳裏に蘇る。あれはオリジナル版にもあったイメージなんでしょうかね。

 

黒沢清監督の最新作『Cloud クラウド』(主演:菅田将暉)って、9月にはもう公開されるんですよね。めっちゃ働いてるなー。

 

最初に「この監督の映画をぜひ観たい、というタイプの人ではない」などと書いたけれど、でも気になっています(^o^)

 

 

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