キム・チョヒ監督、カン・マルグム、ペ・ユラム、ユン・ヨジョン、ユン・スンア、キム・ヨンミン、チョ・ファジョン、ソ・ソンウォンほか出演の『チャンシルさんには福が多いね』。2019年作品。

 

 

韓国のソウル。一緒に仕事をしてきたヴェテランの映画監督が急死して失職した映画プロデューサーのイ・チャンシル(カン・マルグム)は、下宿に移り住んで若手俳優のソフィ(ユン・スンア)の家政婦として働き始める。ソフィのフランス語の家庭教師ヨン(ペ・ユラム)と知り合い、短篇映画の監督でもあるという彼に次第に好意を抱くようになったチャンシルの前に“レスリー・チャン”を名乗る男(キム・ヨンミン)が現われる。

 

内容について触れますので、まだご覧になっていないかたはご注意ください。

 

2月の初めに鑑賞。

 

たまたま某映画サイトでタイトルを目にして、映画プロデューサーの女性の話、ということだけ知って観ました。

 

僕はこれまでそんなに韓国映画を数多く観ているわけじゃないですが、ヴァイオレンスやグロ、エロ、といった要素がまったくなくて、しかも極端にデフォルメされたような設定や役者の演技もない、かといって去年観た『はちどり』のようにひたすら淡々と日常を描いているだけではなくて、全体的に飄々としたユーモアが漂っていてファンタスティックな要素も(ごくわずかだけど)ある、こういうタイプの韓国映画って記憶になくて(たとえば『猟奇的な彼女』みたいな、わりとベタなのしか知らないので)、結構新鮮でした。僕が知らないだけで、似たような感じの映画はいっぱいあるのかもしれませんが。

 

号泣するようなことはなかったんだけど、なんだか心地よい時間を過ごすことができたのでした。

 

とはいっても、四十路の女性が自分の生活を振り返ったり恋をしたりする要素は(僕は男性ですが)身につまされるところもあるから、ある種の「切なさ」を伴う映画であることは確かで。

 

このまま舞台を日本にして登場人物を日本人に置き換えても成り立ちそうな話。

 

映画って必ずしも深刻だったり劇的である必要もないし、高校生とか若者の恋とかもほんとどーでもいいから、こういう内容の邦画を観たいんだよなー、って思いましたねぇ。

 

主人公チャンシル役のカン・マルグムさんが、どこにでもいそうな顔というか、普通に綺麗な人なんだけど特別美人というほどでもない、絶妙な外見をしていて可愛いんですよね(^o^)

 

これまでバリバリ仕事をしてきて、年上で経験も長い立場から若いスタッフにあれこれ言ったりもする頼れる姉さんなんだけど、だからって別に肩肘張って生きてる、というような堅苦しさもないしユーモアもある。彼女がふと洩らす一言一言がいちいち面白い。年を重ねるとだんだん独り言増えますよねw

 

仕事ばかりで恋愛をおろそかにしてきたことを若手女優のソフィにたしなめられると、素直にそのアドヴァイスに耳を傾けるし。

 

映画の仕事がこなくなって、今ではソフィの家政婦をやってることはメイクアップのスタッフの子たちには内緒にするけど、プライドが高過ぎるようなこともない。

 

 

 

 

だから、映画を観てるうちにチャンシルさんのことが好きになっていくし、彼女の恋路も応援したくなる。

 

同じ監督とずっと組んできて小規模な映画を作り続けてきたのが、そのヴェテラン監督さんがチャンシルたちスタッフと呑んでる最中に急死して、ほかで雇ってくれる人もおらずそのまま彼女は放り出される。

 

頼みにしていた製作会社の女性社長からは、これまで現場で雑用ばかりしてきたことを咎められる。

 

小さな現場(スタッフたちもみんな若くて、年配の人は1人もいない)だからこそなんでもこなさなければならないので雑用で走り回ってきたのだろうけれど、それを社長にはまるでプロデューサーとして無能のように見做される。

 

新しく住み始めた下宿の大家さん(ユン・ヨジョン)からは、「…で、PD(プロデューサー)ってどんな仕事?」と問われて、いくら説明しても理解してもらえない。

 

 

 

アイデンティティ・クライシスに陥るチャンシルさん。

 

とりあえず、ソフィの家政婦としてひたすら掃除や食事の世話をこなす毎日。

 

そんな中で、ソフィのフランス語の家庭教師のヨンと知り合う。

 

チャンシルよりも5歳年下のヨンは短篇映画の監督なのだそうだが、生活のために家庭教師や公営施設での講師のアルバイトをしている。

 

 

 

 

時間があるとPCでシナリオを書いているようだけど、彼がどんな映画を撮ろうとしているのか、またこれまでどんな作品を撮ってきたのか説明されることはない。

 

この人、チャンシルとは映画の話を全然しないし、映画への強い関心とかこだわりみたいなものもちっとも感じさせないんですが。

 

このヨンさんが、ちょうどお笑いコンビ「ハライチ」の坊主頭の方みたいな顔をしていて、イケメンではないんだけど、真面目そうであまりオスっぽさを感じさせない癒やし系の人なんですよね。威張らないし親切で礼儀正しい。

 

で、何度も顔を合わせてるうちにチャンシルは彼に好意を持ち始める。

 

居酒屋に誘って二人で呑んで、チャンシルが「小津安二郎の映画が好き」と言うと、ヨンは小津監督の『東京物語』を「ちょっと退屈」と評する。

 

チャンシルが憮然として好きな映画監督を尋ねると、なんと「クリストファー・ノーラン」という答え。

 

この時のチャンシルさんの表情に笑ってしまった(^o^)

 

クリストファー・ノーラン!?と呆れたような反応を示すチャンシル(僕もノーランの映画わりと好きですが、それが何か?^_^;)に、ヨンは穏やかに「どんな映画が好きなのかは人それぞれでしょう」と言う。…大人だなぁw

 

映画の趣味が違っても人は人を愛せるし、映画が人生のすべてではない。映画以外の生き方もあるかも。

 

そんなふうに考え始めた頃、チャンシルの前に白いランニングシャツに白の短パン姿の“レスリー・チャン”を自称する男が現われるようになる。

 

 

 

 

男前だし身体も引き締まってるけど、レスリー・チャンには似ていない。

 

ランニング姿は『欲望の翼』での彼を意識してるっぽいんだけど、日曜日のお父さんみたいw

 

この人、チャンシルにしか見えないんだけど、“幽霊”といえば『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』ってことか。幽霊なのに寒そうなのがまた可笑しいんですが。

 

なんでレスリー・チャンなのかというと、キム・チョヒ監督が子どもの頃に好きだったからなのだとか。チャンシルはキム監督の分身のような主人公だから、彼女が映画を「娯楽」として楽しんで観ていた頃の象徴としての香港映画=レスリー・チャン、ということらしい。

 

出てきたのが『東京物語』の笠智衆じゃなくてレスリー・チャンの幽霊でよかったですねw

 

大学時代にシネフィル(映画狂)に憧れたというキム監督は、今では自分が面白いと思える映画を楽しめばいい、という気持ちになっているそうですが、僕も似たような心境だなぁ。

 

ちなみに、僕も80年代後半には多分レスリー・チャンのことは知ってたと思うけど、でも彼をちゃんと認識したのは先ほどのウォン・カーウァイ監督の『欲望の翼』やチャン・イーモウ監督の『さらば、わが愛~覇王別姫』などに出演したあとのことだから、その頃はすでに香港映画にもアート系の映画があることはわかってたんで、レスリー・チャンをことさらエンタメ系の俳優とは思っていなかった。

 

僕の場合は、ウォン・カーウァイの『恋する惑星』(1994年作品。日本公開95年)ぐらいかなぁ、アートっぽい香港映画に初めて触れたのは。

 

それ以前はジャッキー・チェンとか霊幻道士とかのイメージだったもんな。

 

じゃあ、もしも俺の前に幽霊が現われるなら、それは『霊幻道士』の道士様ラム・チェンインか(ジャッキーはまだご存命なので…)。

 

こうして、自称“レスリー・チャン”の男は、たびたびチャンシルの前に出没しては「本当に映画を諦められる?」と彼女に問いかけ続ける。

 

実は、自分自身の中の欠落感を埋めるためにヨンにもたれかかっているのではないか?

 

これで彼女が別の道に進もうと決意するなら、そういう人生だってアリだろう。

 

けれども、意を決してヨンに想いを伝えたところ、彼はチャンシルのことを「姉」のように感じていた、と話す。「誤解を与えたのならごめんなさい」と謝るヨン。

 

そんなぁ~(>_<)その気にさせといて~(T_T)って感じですが、端からチャンシルに対して恋愛感情がなかったヨンからすれば、年上の友人みたいな感覚だったのかな。男女を逆にしてみると、こういうことはあるもんね(経験者)。最初からまったくの対象外だったことを相手から告げられた時のショックと情けなさ。

 

でも、チャンシルさんは思いっきり泣けただけカタルシスを得られたんじゃないか。それでふんぎりつけられるでしょうから。

 

とてもたわいない話ではある。

 

ただ、これが40代になったばかりの女性だからこその切なさというのはある。いや、男だって切ないですが。40代を越えると、それ以前とは違う哀しさやみじめさがあるんだよな。

 

恋愛に年齢など関係ない!と言ってみたところで、本気でコクってフラれた時のダメージは年齢を重ねるほどデカい。

 

劇場パンフレットでキム・チョヒ監督と日本の大九明子監督が対談されていて、僕は大九監督の新作『私をくいとめて』はあいにく観ていませんが、その前の『勝手にふるえてろ』は観ました。

 

『勝手にふるえてろ』は、20代女子が同世代の2人の男性の間であーでもないこーでもないと右往左往する映画でしたが、あれがもし40代女子だったら、イタさは倍増していたでしょう。

 

僕は誰が誰を好きになったとか、付き合うだの別れるだの、その手の話にキョーミがなくて、だから恋愛モノって普段まったく観ないんですが、この『チャンシルさん』は恋愛の行方やその過程の描写で観客を惹きつけるようなタイプの映画ではないし、チャンシルも別に恋に浮かれまくるのでもなく、まわりが見えなくなるほど突っ走るわけでもなくて、これまでの自分の人生に虚しさを感じたり、将来への不安に駆られる中で誰かのことを好きになるふとしたきっかけと、その結果──そんないつでもどこででも起こるようなささやかな事柄を、わざとらしいハイテンションなノリでもなく、ところどころクスッとさせつつ描いているので、こんな僕でもジ~ンときたんですよね。

 

チャンシルさんの笑顔、そして涙に共感している自分がいた。

 

劇場パンフでは、『はちどり』や僕は未見ですが『82年生まれ、キム・ジヨン』と絡めて語られていました(3本とも監督は女性で、しかも長篇デビュー作)。

 

祖母のような世代の大家さんとの交流。戦争の時代を生きてきて文盲だったためにハングルを覚えようとしている大家さん。そんな彼女に字を教えながら、生きていくうえでのコツを教わる。

 

習い事を掛け持ちしていて女優の仕事も順風満帆のように見えたソフィも、映画の出演場面をゴッソリとカットされて落ち込んで呑み過ぎる。誰もがどこかに不安を抱えている。

 

『東京物語』では世代の断絶を微笑みと静かな諦念とともに描いていたけれど、『チャンシルさん』では世代を越えた繋がりによる痛みからの回復が描かれる。

 

人も花のようになれたらどんなにいいでしょう。間近で見たら美しい。ずっと見ていれば愛おしい。君も同じだ。

 

 

若い映画スタッフたちに「また映画を撮りましょうよ」と言われて、自分の「居場所」に還っていくチャンシル。

 

彼女が見上げていた月は、多分ずっと彼女を見守り、帰る場所を示していたんだろう。

 

優しい映画でした。

 

 

関連記事

『ミナリ』

『ブエノスアイレス』

 

 

 

↑もう一つのブログでも映画の感想等を書いていますので、そちらもどうぞよろしくお願いいたします♪

 

にほんブログ村 映画ブログへ にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ