さよなら桜木町HIPHOPグラフィティー(その7):流浪の民との交信、世界の秘密

探偵のところに仕事を持ってくるのは、妖怪や亡霊だけではない。
中区一帯に影のように棲息しているホームレスも(「いや、彼らのことは、“流浪の民”と呼んでいるんだ」と探偵はいつも言っているのだが)、仕事を持ちかけてきたり、情報提供者となってくれたりする。
いずれにしても、お金はあてにできない。

流浪の民たちは昼間、ガードレールや金網に、所持品一式を入れた箱や袋を縛り付けてねぐらを離れる。
だから、関内一帯には、謎めいたオブジェのように宙ぶらりんになった「箱」や「袋」が無数に現れる。

彼らは、一見幸福なサラリーマンから見れば、「繁栄する日本」という美しい絵にできた、黒い破れ目だろう。だから、路上ですれ違うと、できるだけ目を逸らして意識に浮き上がってこないようにする。
奈落の闇を覗き込んで、暗い気分になるのが怖いから。はずみで足を踏み外して、転落するのは、案外簡単なことだと誰もが無意識でわかっているから。
ところが、虚実皮膜の間を生きる探偵にとって、彼ら“流浪の民”は、ただの弱者、「社会の犠牲者」ではない。すべての妖怪がそれぞれ、世の中に向けてなにか問いかけをしているのと同じように、なにかを探偵に問いかけ、気づかせようとしている重要な存在なのだ。
「そもそも“世界”って、なんなのか?あるのか、ないのか?ウソなのか、ホントなのか?」
探偵のなかで、虚と実とがチカチカと点滅し、世界が崩壊してしまう恐怖を感じる。

流浪の民のなかには、恐喝も辞さない犯罪者もいるが、それは少数者であり、無力で生活を立てる術を失った者たちが大部分を占め、精神障害を病んでいる者も多い。
帆船日本丸の近くにあるミュージアムの軒下で、10人くらいの集団が、きれいにまっすぐ布団を並べて就寝しているのを目にしたこともある。
探偵は、それを目撃して、旧約聖書の『脱エジプト』のように“約束の地”を目指す者たちの宗教的な印象を得たが、もちろんそこにはモーゼはいないのだった。
目指す地すらない。

※撮影は、カールツァイス PLANAR 85㎜ F1.4
そういえば家族でディズニーランド行ってきました:リコーGR21

そういえば、10月後半の水曜日にディズニーランドに行きました。
私は高校の修学旅行以来。こどもは初めて。ママは久しぶりだけど何度も行った経験あり。

個人的には敬遠していたTDLですが、思ってたより素朴で、期待していたよりもスタッフのカスタマーサービスがいい加減だったので、少し見方が変わった。
「ディズニーランドって意外に、ぜんぜん完璧じゃないな、良い意味だけど‥」

長男がはしゃいで、まわるコーヒーカップを回転させすぎて、途中で顔色を失いフラフラ倒れてしまったのにはびっくりしたし、空中をぐるぐるまわるロケットも意外と怖かったり、単純なものが特に楽しめた。

それでも、あの意味不明なハイテンションのパレードは苦手でした。
トムソーヤー島だって、貧弱な感じが‥
原作の『トムソーヤーの冒険』を読み聞かせた方が、どんなにイマジネーションを豊かに掻き立てることか‥(ブツブツ‥)

でもまあ、家族で楽しめたからいいか。
最後に、今は亡きフランスの思想家ボードリヤールの『シミュラークルとシミュレーション』から引用しておきます。(坪内祐三さんの引用の引用ですが)
ディズニーランドとは<<実在する>>国、<<実在する>>アメリカすべてがディズニーランドなんだということを隠すために、そこにあるのだ。
(それはまさに平凡で言われふるされたことだが、社会全体こそ束縛だということを隠すために監獄があると言うのと少々似ている)。
ディズニーランドは、それ以外の場こそすべて実在だと思わせるための空想として設置された。
にもかかわらず、ロサンゼルス全体と、それを取り囲むアメリカは、もはや実在ではなく、ハイパーリアルとシミュレーションの段階にある。
坪内祐三さんは、TDLが1983年に浦安にできた頃より、「それから25年経った今の方が、このディズニーランドの比喩は我々日本人にまさにリアルだろう」と言っていた、そのことが妙に思い出された一日でした。
TDL以外のふつうの日本の日常が、もはやハイパーリアルとシミュレーションの段階にあるのだ。
康芳夫という天才ホラ吹き『虚人のすすめ』
虚人のすすめ―無秩序(カオス)を生き抜け (集英社新書)/康 芳夫

¥735
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日々、チマチマした仕事でウジウジしていると、だんだんと人間もちっちゃくなってしまう。
そんな自分に本能的にSOSを出している感覚あり!!
ではどうする?
(1)午後、仕事を休んで映画みました。
イエジー・スコリモスキ監督
『アンナと過ごした4日間』
(2)『虚人のすすめ』を読みました。
康芳夫さんという常識を超えたイベントプロデューサーが語るノールールの世界。
人間とチンパンジーの混血「オリバー君」や、モハメド・アリを日本に連れてきたり、ネッシー国際探検隊を結成したり、とんでもない企画をやってきたひと。
普通に悩むのがバカらしくなります。
以下、ちょっと引用します。
「虚人」とは、まさに現実をフィクションのように生きていく人のことである。
虚と実というのは同じコインの表裏の関係にあるものだ。コインを立ててクルクル回してみれば、表と裏。すなわち虚と実とがクルクルとかわるがわる見える。
フィクションの感覚で生きると世の中がこんな感じで見えてくる。

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フィクションの感覚で生きると世の中がこんな感じで見えてくる。
これが妖怪「豆狸(まめだぬき)」ですっ。
これが、妖怪「豆狸(まめだぬき)」
ふうっと、息を吹きかければ、自慢の金玉が風呂敷のように広がり、傘代わりに頭からかぶったり、座敷に見せかけて、人をだまくらかしたりする。

水木しげる先生の『妖怪画談』、素敵だなぁ。こどもの教育にもぴったり。
愛蔵版 妖怪画談/水木 しげる

¥2,940
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さよなら桜木町HIPHOPグラフィティー(その6):ミツバチの羽音のごとく囁く男

その男は、事務所に入ってくるなり、探偵のことを「伊深」と呼んだ。
正確には「イビュクワァ」というように聞こえたのだが、探偵はそのような名前を名乗ったことはない。
男は、手ぬぐいで頬かむりをして、動物のような眼差しでこちらを見つめている。探偵は思わず「豆狸(まめだぬき)‥」と呟く。
豆狸とはタヌキの妖怪で、じぶんの金玉に息を吹きかけると、八畳敷あまりに広がり、小雨の日などは、コート代わりに金玉を頭からかぶって酒の肴を買いにでかける。

男の声には、特殊なヴァイブレーションがかかっているらしい。
ミツバチのブーンという羽音の振動とか、古いウィスキー樽の中で、濃厚な液体がポチャンと落ちた時に生じる響きとかに類する、
なにやら懐かしくて親密な感情を抵抗もなく抱いてしまうような独特な特質をもっていた。
また、その声の響きは、日本人には捉えることのできない異国の発音で発声されているのか、
ロシアのきこりがウォトカを飲みながら、「アリョーシャ」とか「ペトローシュカ」とか呼びかけているような錯覚を生じさせた。

「俺の事務所には、イスラム教徒の亡霊やら、タヌキの妖怪やらしか来ねえのか‥」
男は、虚妄か現実かしゃべりはじめる。
「古いダチのミツぅの奴が、昔の仕事の分け前を持って今晩、M小学校の裏に現れる。あんた、アタシと一緒に行ってくれないか。もちろん、金は払う‥」

※撮影はコシナ SUPER WIDE-HELIAR 15㎜ F4ASPHERICAL
さよなら桜木町HIPHOPグラフィティー(その5):国際客船ターミナルに群がる黒い影

探偵は、爆破予定地「クイーンの塔」の偵察した後、大桟橋の国際客船ターミナルを散策する。
ここでは、とてつもなく横に長いガラスの開口部が、海からの光を薄暗いドームに取り込んでいる。
変則的に傾きを変えるよう設計された複雑なデッキを歩きながら、探偵は夢想をする。

ドームのじめじめした暗がりを胎内回帰をするように下降していくよりも、
海の方へ光を浴びながら向かっていくほうが、逆光の中、人びとの影が黒く浮かび上がり、横長の巨大なスクリーンに映写されているように感じられて好きだ。

そして、この横長のスクリーンが落ち着くのは、桜木町の高架下の壁に横長に繁殖したあの落書きを思い出すからかもしれない。
人間たちの魂が、黒い影にされてガラスの壁に投射され、スプレーされたHIPHOPな落書きと同じように壁にへばりついている。

俺はもう、無名のなんの個性もない、黒い影のような存在にすぎない‥
落書きに覆われた高架下の事務所に住み込んでいるが、もはや壁の中に住んでいる生身の身体なのか、壁の上に描かれた落書きと同じく薄っぺらい染みのようなものなのかよくわからなくなってきた‥
探偵はひとりごちる。

※撮影はコシナ SUPER WIDE-HELIAR 15㎜ F4ASPHERICAL
銀座で、幽霊?:コシナ COLOR SKOPAR 25㎜F4
ガラス越しに、人の後ろ姿がうごめく
そんなホラー映画に震えたことがあったっけ、
ホラーの巨匠、黒沢清監督の『叫』という、葉月里緒菜が扮する幽霊が、あらん限りの声を張り上げて絶叫する怖ーい映画。
葉月里緒菜が知らないうちに、窓の外に逆さに浮遊しながら、部屋の中をのぞいていたりする。

銀座で幽霊に出会ったというより、
後から見ると、ちょっとホラー映画的かな?と思った次第。

銀座にあったこの中華料理屋、もうなくなってしまったと思う。

叫 プレミアム・エディション [DVD]

¥3,200
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『叫』のプログラムに掲載されていた黒沢清監督の言葉を引用しておく
人が直面することを最も恐れる過去、それが幽霊の正体だ。
我々は忘却という手段でこれに対抗し、すべてをなかったことにして、どうにか未来に進んでいこうとする。
しかし、過去がそれでもなお、消えさらず、夜ごとにすさまじい悲鳴を上げながら、固く塞がれた我々の耳をこじ開けてきたとしたら‥
こうして、人と幽霊との、現在と過去との奇妙な葛藤の物語ができ上がった。
これは紛れもなく“ゴースト・ストーリー”というジャンルの映画だが、同時に“償い”についての映画でもある。
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驚愕の写真集、石川直樹『NEW DIMENSION』に出会ってしまった!!!
夜、家に帰ったら、アマゾンから、石川直樹『NEW DIMENSION』が届いていた。
NEW DIMENSION/石川 直樹

¥5,250
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出会ってしまった。すげぇー写真集に。ひさしぶりに。
石川直樹さんは1977年生まれで、世界七大陸最高峰登頂の最年少記録を塗り替えた冒険家であり、写真家でもある人。
写真家の田中長徳さんが、雑誌en-TAXIで連載中の『カメラと歩く~東京大周遊日誌』で「あたしの人生で出会った数多くの写真集の中でトップ3に入るものだと思う」とコメントしていた。
田中長徳が、トップ3なんて言うのは尋常じゃない。どんな写真集なんだよ?と思うアナタ、見るしかありませんよ。
わたしも、いま、出会ったばかりのこの時点で、どうすごいのか言葉にできません‥まあ、だから写真なのですが‥
なので、言語化する努力は放棄して、写真集の帯にある石川氏の言葉を引用します。
わたしは壁画を前にして、原初の知覚の一端に触れる。
意識の内側にある未踏領域へ注意深く侵入しながら、同時にいまそこにある世界の皮膜の外に躍り出ること。
太古の壁画と、そこへゆっくりと近づいていく旅の過程は、
自分にとってそうした臨界点へ近づくために不可欠な経験そのものである。
いま生きているという冒険 (よりみちパン!セ)/石川 直樹

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