ジージの小流儀

ジージの小流儀

ジージのボケ防止のため 
ちょっとだけ「私の流儀」にこだわった(と思っている)
日々の読んだこと、聴いたことなどの記録です。
ありがとうございます!!

しかし、著者は、ハウツー的な答えを用意はしていないが、考えるヒントは盛り沢山に示している。

例えば、「人工知能」は無限ともいえる現実社会の情報に対しては、その処理の仕方が分からず機能停止するという。

「ビックデータ」と言われる情報も結局は人間が処理の仕方「フレーム」(枠組)は作っている。

「人工知能」は、この「フレーム」作りが苦手であり、人間こそができる役割だという。

「フレーム」作りには、人の「身体能力」「好み」「価値観」などが重要とされる。

そうであれば、「AIに負けない教育」も人としての「夢や目標」を育み、その具体的なフレームを作ればよい。

これなら私にも理解できる話だと胸をなでおろした。

従来通りの「心身を健康に育てること」や「本人の主体性を大切にした良い習慣」を継続することこそが良い「フレーム」作りに貢献できることになる。

人間と「人工知能」との対比で、重度の自閉症児・晋平君の治療・成長記録は、人間の能力の本質を明らかにしている。

「人工知能」はフレーム問題で躓いたが、晋平君は言葉さえ理解できなかったのに今では作業所のハイキングを企画実行し、フレーム問題を乗り越え成長している姿は感動的だ。 

日本の伝統芸能と人工知能の学び方の共通性も面白い。

どちらも答えを示してやり方は考えさせる。

技(答え)は見て(やり方は)盗めである。

伝統芸能の教え方が現代科学の最先端と結びついている。

まことに痛快だ。

そもそも「人工知能」に「勝とう」と著者は言ってはいない。

本の表題からして「負けない」であり、「人工知能」をよく理解し共生することを示唆している。

これまでの「産業革命」においても「機械」の進歩を敵視したのではなく「共存」「活用」して社会を発展させてきたのが現実の歴史だ。

将棋の藤井七段も「人工知能」の成果を積極的に自己の研究に取り込んでいると聞く。

これも共生を実現している一つの姿ではあるまいか。

本書は、主に学校教育のために執筆されたものだと思うが「人工知能」の「最新の知見ができる限りわかりやすく紹介」されており、「人工知能」の入門書としてもお薦めだ。

孫の教育に役立てればと読み始めたが、「生涯現役」を目指している自分自身の方が「自分のフレーム」を持つ大切さなど今後の生き方へのヒントを数多く得ることになった。

また、「人工知能」問題を契機として自らの人間性や人間力とは何かを考えさせられた。

そして、人間も「人工知能」も自然の一部であり続ける限り、日本人が古来より大切にしてきたような、その共生にしか未来はないとの思いを抱きつつ本を閉じた。

(2019年8月)

 

・・・・

 

AIに負けない「教育」(認知科学のフロンテイア)

2018年7月

著:渡辺信一

出版社:大修館書店

 

いったんは折り合い(分かったつもりになる)をつけたテーマだが

最近の生成AIの急速な展開

とくに利用方法をめぐっては

AIは

所詮、人間の作った大量のデータを

統計処理してるだけ

というだけでは済まない世界が近づいているかしら

真の愛情など人間的感情をも理解し表現できるAIができるとしたら

世界はどうなるのだろうか

 

残り少ない寿命というのに

再び心安らがない日々が続くことになった

ま~ボケ防止にはなりそう(笑い)

 

それにつけても5年前に比べて頭の回転はますます鈍くなってきたな(笑っておれないな)

 

 


 

AIのことが話題になっていた数年前

イクジジとして、

孫世代に大きな影響を持つ

AIのことが気になってしかたがない

自分の中で

どう折り合い(分かったつもりになる)をつけてよいか分からない

で、AI関係の本を図書館で20冊近く借りて読んでみた。

ボケ防止のためにも読書は有効

 

その時の読書感想文

少し長文ですが興味のある方は、ドウゾ!!

少し古い話が多いですが(笑い)

シニアに免じてご容赦を

 

・・・・

 

最近、「人工知能」(AI)の未来予想が大きな話題の一つだ。

IT大企業の経営者や著名な科学者も参加して一種の狂騒状態を呈している。

私たちの世代では知能のあるロボット鉄腕アトムや映画「2001年宇宙の旅」のハルを思い浮かべる。

日本生まれのアトムは、人類と共生する愛すべきロボットだ。

西洋文化の中で創られたハルは、人間を襲う存在として描かれている。

人工知能」のような問題は所詮マンガかSFの世界のことと思っていた。

しかし、10年後生き残る仕事は何か、など人生設計をも左右する記事が近頃数多く週刊誌を賑わしている。

子供や孫世代、ひいては人類の未来との関係はどうなるのだろうかと思い始めていたとき、●●市図書館で一冊の本に出合った。書名は、「AIに負けない『教育』」。

自身の幼い孫の存在とダブり、「教育」という文字に引かれた。

孫の成長に役立つようなヒントが得たいという思いからだ。

著者は、「10年後『人工知能』は日常生活の中で空気のような存在」になり、「『人間にしかできないこと』とされてきた認知能力や知的能力を必要とする幅広い仕事まで奪い取られてしまう可能性がある」というアメリカでの研究も紹介される。

もはやSFの世界の話ではなく、科学的な知見の裏付けをもった近未来予測には、驚くばかりである。

とくに「人工知能」が教師を付けないで「自律的に学習」(デイープラーニング)できるようになって飛躍的に能力が向上。

最近次々と最年少記録を塗り替える将棋界の藤井七段。

その将棋界でも「人工知能」が人間を負かすようになった。

これも「自律的に学習する」「人工知能」の成果だという。

将来、人間のあらゆる知的能力が「人工知能」に置き換えられる可能性も否定はできない。

しかし、機械が「人知を凌ぐ超越的な知性」へ到達し世界を変えるというシンギュラリティ(技術的特異点)が2045年には来るかもしれないと言われても、「1999年7の月人類滅亡の日」のノストラダムスの予言騒動を思い出し、俄かには信じがたい。

さて、「AIに負けない」ためには、どうすれば良いのか。

孫のために一番知りたいところだ。

 

・・・

 

下に続く

 

 

 

 

 

家族連れで小旅行だ。

自家用車での移動だから手荷物も増える。

運転手の娘婿は、大変だが、家族は楽チンだ。

つい余分なものまで持ち出す。

自分で荷物を持って運ぶのであれば、もっと厳密に選別するだろうに、と思いながらも、グランパも甘くなっている。

後から見ても思わず笑ってしまう、グランパ特有のアイテムを紹介しよう。

まずは、スマホ等のケーブル類の多さだ。確かに、グランパだけでも、 スマホ、タブレット、イヤホン、 ウオッチと4種類。 だいたい1日でバッテリー残量が無くなるので、夜一斉に充電。 で、充電器とケーブルが4つ必要。しかし実際は6本持っていた。 全てUSBのCになったから種類は同じで良いのは楽にはなったが。

次に読み物。

タブレットでも読めるがグランパは紙の本。これが3冊。結構重い。しかしたいてい読み切ることはない。車の中で読むためだが、トンネルや睡眠欲に妨げられて、なかなか続かない。その点では、タブレットは明るさに関係なく読むことが出来るのだが。

 

トンネルも続くし、しばし車窓の風景に見入っていた。 そこへ、車窓への空想をぶち破ったのが、ドジャースの連覇の知らせ。

MLB、Wシリーズ第7戦。

凄い試合だった。

大のドジャース、大谷選手フアンのグランマとしては、喜び爆発。

試合はずットリードされて最後延長戦で逆転勝利。

ストーリーの無いドラマが最後まで展開された。

山本投手のまさに激闘、投のお陰であった。

当然のシリーズMVPであろう。

グランパ的には、シリーズ自体は最後までブルージェイズが優勢だっと思う。

それが何故?

何が勝敗を分けたのだろうか。

運だろうか。

故野村監督の名言の一つで、

勝ちに不思議な勝ちあり、

負けに不思議な負け無し、

と聞いたことがある。

ではブルージェイズ側からの 敗因は何だろうか。

解説田口氏の第6戦9回裏の飛び出しダブルプレーだろうか。

だとすると一瞬の判断ミス 。

一瞬の判断ミスはどうすれば防げるのか。 ドジャースが負けていれば、第7戦の3回の大谷選手の続投を判断した監督のミスであろう。

敗因は、素人にも割と論評出来る。

欠点の方が見やすいという人生、仕事、対人関係でもよくある話かもしれない。

正直ドジャースの勝因はよくわからない。 すぐ思い当たるのは山本投手の驚異的な連投勝利。 選手全員の総力戦の勝利。それを引き出した監督の手腕。

ロバーツ監督の采配には散々批判をしたグランパだが、結果、Wシリーズ球団史上初の連覇の功績は監督によるところが大であることを認めざるをえない。

それにしてもMLBは、バント戦法は取らないね!

それがアメリカの野球の歴史、文化なのだ、と改めて感じ入った最終戦の幕切れであった。

ロバーツ監督試合後のシャンペンファイトの時の言葉。

野球の神様があなたたちに味方した。

という言葉が全てだと思う。

途中で、誤訳というテロップが流れた。

でもグランパは、最初の方が正しいと思う(笑い)。

でも何があったのだろう。

この訂正の顛末が余程面白い。

グランパ的には、このシリーズの勝因の本質に関わるので。(笑い)

インタビューでは、野球が選手に敬意を払う、と表現されていたのも同様の思いと理解した。

ここでも「筋書きの無いドラマが展開される」。

さて、神様を味方に付けた(野球が敬意を払った)のは、ロバーツ監督の人徳だったと確信する。

そこにしか、グランパ的には、勝因を見出せない。

あえて言えば、日本人にルーツを持つ日本の伝統的な価値観を感じる。

選手への信頼、信頼謙虚、相手をたてる、奥ゆかしさ、手柄を譲る、‥‥ とにかくオレがオレがではない。事実の裏付けは無いが。 あくまでもグランパの主観だ。

グランマに影響されてにわかフアンとなったグランパとしても、しばし茫然自失。本当の喜びを感じるには、チョット時間が必要だ。

 

旅行先で夜のニュースを見て、やっとドジャースの連覇の実感を得た。

ドジャース連覇おめでとう🎉

 

 

書名:「普通」につけるくすり

著者:岸見一郎

出版:SUNMARK(サンマーク出版)

 

感想

 

ベストセラーになった「嫌われる勇気」の著者、岸見先生のことも今回の本で初めて知りました。

また、先生の考え方のベースになっているアドラー心理学の話は、どこかで多少は聞いたことがあるくらいでした。

もっと早く勉強しておれば、もっと「生きやすい人生だった」だろうな(笑い)、というのが一番の感想です。

多くの人がすでにご存じの話なのだろうが、まだの方は、ぜひ一読されることをお薦めしたい一冊です。

 

本書の執筆の動機が「学業や仕事で”できる人間”だと思っていたのに、そうでもないかこしれない」というある青年の悩みと向き合う中で生まれたとあります。

グランパ自身も、仕事現役時代は、「特別に仕事のできる人でありたい」「人と競争して良い成績をあげたい」と汲々とした人生を送っていましたから、この青年の「悩み」は多少理解できます。

それが「他者と競わず、幸福に生きる方法」を示している一冊ということで、

今さらながら(笑い)、とは思いつつ読み進めました。

 

内容は、興味のある人には読んでもらうことにして(笑い)、

グランパが心の残った「言葉」を紹介します。

 

このままの自分で価値があると思える。何が与えれているかではなく、与えれているものをどう使うか、だ。

生きていても価値がないではなく、生きていることこそ価値がある。一角の人物になる。角は少なくとも一つはのこしておく。個性を受け入れありのままの自分を受け入れること。

組織を変えるのは、競争ではなく、協力だ。他者に貢献していると感じることができれば、他者との競争に勝とうという必要性がなくなる。人生で大切なことは、競争、成功でもなく、端的にいえば、幸福。

今こうして生きている瞬間、リラックスし、日々丁寧に生きていくしかない。健全な自信を持っている人は、背伸びをせず、自分をよく見せようとせず、今の自分から始め、必要な努力を重ねながら、自分の人生の課題に向き合う。

 

などなど。


COPILOTより

アドラー心理学は、オーストリアの精神科医アルフレッド・アドラーによって創始された「個人心理学」であり、人間の行動を目的論的・全体論的に捉える実践的な心理学です。現代では人間関係や自己成長の分野で広く活用されています。

🧠 アドラー心理学の基本概念

アドラー心理学は以下の5つの理論を柱としています:

  1. 自己決定性:人は自分の人生を自分で選び、責任を持つ存在である。
  2. 目的論:行動にはすべて目的がある。過去ではなく未来に向かって動く。
  3. 全体論:心と身体、意識と無意識は分割できない一つの存在として捉える。
  4. 認知論:人は主観的な意味づけによって世界を理解する。
  5. 対人関係論:すべての悩みは対人関係に起因する。

これらの理論に基づき、アドラー心理学は「人は誰でも幸せになれる」という前提で構築されています。

🌍 歴史的背景と広まり

  • アドラーはフロイトと共同研究をしていたが、原因論中心のフロイトと決別し、目的論を提唱。
  • 日本では岸見一郎・古賀史健による『嫌われる勇気』(2013年)がベストセラーとなり、広く知られるようになりました。
  • 現代のSNS社会や承認欲求に疲れた人々にとって、アドラー心理学の「自分の人生を自分で選ぶ」という思想が共感を呼んでいます。

🛠 実践技法と応用

アドラー心理学は理論だけでなく、日常生活に活かせる技法も豊富です:

  • 課題の分離:自分と他者の課題を明確に分けることで、ストレスを軽減。
  • 勇気づけ:相手を対等な立場で支援し、自己肯定感を高める。
  • 共同体感覚:他者とのつながりを意識し、社会の一員としての自分を認識する。

これらの技法は、職場・家庭・教育現場など幅広い場面で活用されています。

フインランドの教育はなぜ世界一なのか

著:岩竹 美加子

発行:新潮社

 

 

2019年6月刊行

 

感想

 

 「フインランドは、人口550万の小国だが、PISA(15歳児童の学習到達度国際比較)の多分野で一位を獲得、近年は幸福度も世界一になった」という。その秘密を、氏はご自身の子息の実際の体験も含めて丁寧に解き明かされる。

 

「はじめに」の中で、

 「世界一の教育はシンプルだった」として、「受験は無く、受験のための勉強もない」。全国的な試験は、高校卒業時のみ行われると説明される。

 「学習の義務はあるが、学校に行く義務はない」

 また社会の概念として「ウエルビーイング」が「教育の柱」「日常生活と社会、国家のあり方の柱」であると言われる。

 

 まず最初の感想は、こうした社会全体の歴史、文化、背景、制度、法律などあらゆることを網羅して研究しみないと「秘密」は分からないと思うし、その「良いところ」を見て、日本でも真似ようと思うのは早計であろうと思ったことだ。

 

 ただ、それでもせめて各家庭でもできる範囲での「良いところ」はないかと見たときに、一番興味を持ったのは、第6章の「こうして考える力を育てている」というところだった。

 

 高校への進学では、40%が職業学校へ、60%が普通学校へ。

 高校の授業は、「高校の時間割は自分で作る」

 高校の卒業試験は、「唯一の全国的試験」「受験科目も数も全部自分で決める」「普通7科目くらい」「試験の評価は7段階」

 

 高校卒業後の進路は、「志望する大学はそれを元に選考を行う」「入学先は、高校卒業時試験の成績と本人の志望に基づいて決まる。ただし医学部入学は難しい」 職業学校卒業後は、「普通仕事に就く」。

 

 「高校卒業は一大イベント」で、人生の門出となる出来事。「全国の高校卒業者の名前は、ネット上にも掲載される。誇らしく嬉しいことで、親や祖父母、親戚などが、長く保存」している。

 

 「親の経済力に関係なく高等教育が受けられる」「授業料は無料。国が、学生に給付型奨学金と学習ローン、家賃補助を出す」

 

 「大学は基本的に修士をとる場所で、学士、修士、博士と並べれば学士は最低の学位」「博士号の取得は、高校卒業に次ぐ大きな」イベントであり、費用自分持ちで盛大なパーテイを開く。

 卒業後どうするかは、学生が自分で考える。一斉卒業、一斉就職はない。

 「職場は、年功序列制でなく、先輩後輩、同期の関係もない。何が専門かが重要。年齢に関係なく公募の応募し、職場を変えていくことが普通。非正規労働が多いことは問題だが、長時間労働や高度プロフェッショナル制度のようなものはありえない」

 

 「考える力」を育てているのは、家庭、学校、社会のすべてにおいて「自分で考え、決める」ことが徹底されているからだろう。当たり前なことであるが、実際、今の日本で実行しようとすれば、いろいろと難しさを考えてしまう。

 

 よくも悪くも日本の場合は、一定のモデルケースがあり、「一斉」で動く考え、仕組みがある(整っているともいえる)。これから外れるとそのまま人生から「ドロップアウト」してしまう危険性もある。「就職氷河期」世代がよい例だろう。これに抗して生きるためには、相当の覚悟と技量とが必要とされるように思う。

 

 ただ各家庭でも、今の日本社会や学校の仕組みをきちんと教えることができれば、「自分で考え、自分で決める」ことは、かなり部分で可能だろうと思った。

 

 氏が解き明かされることは、なるほど、さすが、すごい、とは思うのだが、結局、なぜ「フインランドの教育は、世界一」なのかは、グランパとしては、よく分からなかった。理解できず、消化不良に終わっている。

 

 一つだけ気のついたこと。日本やアメリカなどは過度な競争でできる人とできない人との差を激しくする。トップクラスのレベルは高いが平均はそれほどでもない。しかし「平等思想」の強いフインランドでは全体の底上げが行われ、結果として平均も上昇する面もあるのではないか、と思った。

 

 最後までお読みいただいた読者のみなさん、申し訳ありません。

君たちはどう生きるか 特別授業

読書の学校 100分de名著

著:池上昭

発行:NHK出版

 

 図書館で「君たちはどう生きるか」を検索した時に、【「君たちはどう生きるか」に異論あり】【「君たちはどう生きるか」集中講義】とともに同時にヒットした一冊でした。この四冊を合わせて読む機会を得られたことはグランパにとって大変貴重な読書体験をさせてもらったことに感謝したい。

 

感想

 

 氏は、「古典」として残っている「名著」は、「80年間も読み継がれてきたかといえば、いろいろな読み方ができ、読むたびに新しい発見があるから、それだけ深みがあるものだから」とされる。

 

 氏が、この本を読むにあたっては、氏の独自の視点で四章に整理されている。

 

第1講 「豊かさ」について

第2講 「友だち」について

第3講 「歴史」について

第4講 「どう生きるか」について

 

 なるほど、この視点で原文を読んでみるとまた「新しい発見」「深み」があるものだと思う(読み返しはしていないが)。

 

 本は、2017年7月7日、武蔵野高等学校中学校で行われた「池上彰 特別授業」を元に加筆・構成されたもの

 

 Special Thanksで紹介されている生徒さんがいるが、全員、中学生でした。したがって紹介されている生徒の感想文もおそらく中学1年から3年のものでしょう。

 

 心の残ったものを紹介

 

生徒A

・・一冊の本でもさまざまな楽しみ方があること・・異なる視点から読めば、一冊の本でも無限に楽しむことができることを知り、とても嬉しく思った。

 

生徒F

・・本の最後で筆者は「君たちはどう生きるのか」とズバリと問いかけます。「君たちはどう生きるべきか」と決まりきった答えを求めるものではありません。・・「どう生きるべきか」ならば、英語でいえばshould・・規範的、教訓的な感じ・・「どう生きるか」は、現在の事実や習慣を現わす現在形を使っていて、力強さがあります。

 

この二人の感想を紹介するだけで、中学生の視点にも遠く及ばないことに気づき、グランパは感想を書く「意欲」を失いました(笑い)。

 

  いずれにしても「池上特別授業」とともに生徒の感想文をセットで読むとまたいっそう「深み」がますことを実感した。

 

 

 

 

 

「君たちはどう生きるか」集中講義

こう読めば100倍おもしろい

著:浅羽 通明

出版幻冬舎新書

 

感想

 

 図書館で「君たちはどう生きるか」を検索した時に、【「君たちはどう生きるか」に異論あり】とともに同時にヒットした一冊でした。この三冊を合わせて読む機会を得られたことはグランパにとって大変貴重な読書体験をさせてもらったことに感謝したい。

 

 氏は、「あとがき」で、「名著とは、広場でありカフェであり読書会である」。続けて「読み方次第で、まるで意想外な顔を現わしてくる」「これを実践してみせようと考えた」とされる。

 

 なるほど、「ジェットコースター」に乗せられたように、古今東西の思想の知識を基にした縦横無断な評論が展開されたのはと納得。グランパの乏しい一般教養の知識では、消化不良のところも多い。しかし、氏は「評論とは物語が描けない者による二次創作である」とされており、それぞれの「読む力」に応じて、「創作」しながら読むというあり方を教えてもらったことは大きな収穫だった。

 

 「前編 美少女・ナポレオン・唯物史観」では、「一般教養」程度の知識ではあるが、「マルクス主義」と「実存哲学」という20世紀の代表的な思想的な流れをベースに、展開される評論は、非常にワクワクする。

 氏は、「君たちはどう生きるか」は、「マルクス主義」「資本論」の「入門書」(丸山真男)という位置付けを紹介される。ちょっと無理筋という感じもあったが、「村瀬評論」では考えもしなかった斬新な視点であった。

 とくに第五章の「ナポレオンと四人の少年」の「かつ子」さんの位置付けについては、まったく新しい新しい展開であった。「村瀬評論」でも(マンガ版では、割愛され描くことさえされていない)全く評価されていない点が正反対の真逆な評価が行われている点は非常に興味深い。

 思想的には、逆な立場であると思われる「唯物史観」と「実存哲学」の「対立」の場として展開されていると指摘される。多くの評論家思想家、戦後の神思想家とされた丸山真男させ「分からない」とされ、「池上特別授業」でも全く抜け落ちている視点であることを指摘される。

 

 この点も氏が指摘される「読み方次第で・・意想外の顔」を出してくる具体例だと思った。

 

 後編は「正義は有料であること」という表題で展開される。

 建前の道徳の教えよりも、もっと事態を「リアル」にとらえることを強調され、【「修身」と「社会科学」を統合した新しい道徳教科書を】と展開される内容は共感するところも多い。

 「憲法とは悪質な詐欺であった」(もちろん戦前の大日本国憲法も同様であるが)というくだりは、憲法で保障している国見の諸権利は、「約束」だけで、実現しようとすると実際は「膨大なコスト」(有料)がかかり、実際は実現できないことがほとんどであること。これは支配者としての「イデオロギー」の一つであることなど。

 こうした「過激」な言い方が随所にでてくるが、氏独特の「リアリズム」に基づく展開であり、大いに興味をひいた。

 これも氏の言われる「二次創作」的な読み方の一つであろうと思った。

 

 今までの読書経験では得られない新たな読み方を体験できてグランパとしては大変面白い一冊だった。

 

 

 

CHatGPTより

 丸山 眞男(まるやま まさお)- 政治学者・思想史家

  • 略歴・人物像

  • 思想と業績

    • 『日本政治思想史研究』(1952年)や『現代政治の思想と行動』(1964年〈初版は1956–57年〉)などを通じて、西洋思想と東洋古典を融合させた深い学識と戦後民主主義への思想的貢献を行いました。コトバンクAmazonmsz.co.jp

    • 特に「私自身の選択として、大日本帝国の“実在”よりも戦後民主主義の“虚妄”に賭ける」という言葉が象徴的です。コトバンク

    • 軍隊経験や広島での被爆体験を背景に、「戦争と民主主義」「超国家主義」などのテーマで幅広く現実的かつ普遍的な視点を提起しました。hiroshimapeacemedia.jp神奈川県電子申請システムnote(ノート)

  • その後

    • 1971年に早期退職。

    • 晩年まで精力的に執筆・講演を行い、1996年8月15日(終戦の日)に逝去。ウィキペディアmsz.co.jp

 

 

 

 

 

 

「君たちはどう生きるか」に異論あり

著:村瀬 学

発行:言視舎

 

副題は【「人間分子観」について議論しましょう】

 

感想

 

 図書館で「君たちはどう生きるか」を検索した時に、同時にヒットした一冊でした。

 グランパも多少感じていた違和感を、氏は見事に解明されているように思った。

 

 氏は、コペル君の「人間分子観」が上から見る目となり、進歩に寄与しない人間を低く見る見方を誘導する人間観になる可能性。「【生産者】と【消費者】と二分する人間観の貧しさ」「赤ちゃんや老人や病人や障がい者など【労働】「【生産】の携われない人たちの存在の仕方を肯定する発想がでてこない」「社会問題と人間の価値観を混同させている物の見方」であることを指摘される。

 グランパも、どうしても「上から目線」で言われているような「違和感」はぬぐえないことの根本がこうした「人間観」からきているものだと思う。

 

 また氏は、「いじめ」問題の解決方法でも「【力】に訴える方法によっています」「【解決】に奔走したのは【権力】を持つ親たち」であり、「古臭い」方法で、現代では通用しないこととされます。

 グランパも戦中の「物語」の一つとして読むには「面白い」のだが、現代に置き換えた場合には、やはり違和感を禁じ得ないところだ。

 

 

 

 

 

君たちはどう生きるか

著:吉野源三郎

発行:マガジンハウス

 

1937年初版刊行

 

文中のpは、マガジンハウスの本のページ

 

読書感想

 

人生の処世訓として読んだ場合は、いろいろと示唆に富み、参考になることが多い。

グランパとしてメモした範囲を下記に紹介

 

まず「主体性の大切さ」

曰く「常に自分の体験から出発して正直に考えてゆけ」「君の魂で知ること」(p60)

 

次に「学ぶことの大切さ」

曰く「人類の発見、今日の学問の頂上に登り切ってしまう必要がること」(p104)

 

また「人間関係の大切さ、他者の尊厳の大切さ」

曰く「人間として自尊心を傷つけられるほどいやな思いをすることはない」(p139)

 

はたまた「人間の本来の性質への信頼」

曰く「人間が本来、人間同士調和して生きてゆくべきものでないならば、どうして人間は自分たちの不調和を苦しいものと感じることができようか」(p268)

 

さらに本書は、刊行が1937年という「第二次世界大戦戦争前夜」という時期に行われているので、歴史的な「制約」や「意味合い」を感じることも多い。

 

取り上げられる学校生活での出来事は、昨今でも大問題である「いじめ」であるが、登場人物の背景や問題解決の方法は、そのことを強く反映しているように思う。

 

時代は、日本がまさに他国へ侵略を戦争を拡大していっている時期であり、登場人物は退役軍人(大佐)や有力財閥子息など、それらを客観的には推進している人々である。例外的に、貧しい「豆腐屋」のせがれも登場するが、いささか不自然さは否めない。

 

こうした背景を含めて読んでいくと現代には通じない「古臭さ」と現代では否定される「価値観」とが透けてみえてくる部分もある。ただし、これは読み手の「価値観」にゆだねる点も多いとは思う。

 

そして、最後に

「すべての人がおたがいによい友だちであるような、そういう世の中が来なけれないけないと思います。人類は今まで進歩してきたのですから、きっと今にそういう世の中に行きつくだろうと思います。そして僕は、それに役立つような人間になりたいと思います」

と結んで主人公の生きる方向を指し示す。

そのうえで、

「君たちは、どう生きるか」

と問いかけて物語を終わる。

 

今まで題名のイメージから、青少年向けの啓蒙書くらいの認識でいたが、内容を読んでみて、ちょっと違うな、という感想を抱いた。

 

もちろん、今でも青少年が啓蒙書として読んでもお薦めではあるが、いろんな年齢層の人でも十分楽しめる、考えさせられる、一冊だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2006年アメリカ映画

原作:ジェームス・ブラッドリー、ロン・パワーズによる同名のノンフイクション小説「硫黄島の星条旗」

監督:クリント・イーストウッド

 

硫黄島2部作の一作目

 

個人的「おすすめ度

 

(◎強くおすすめ 〇ま~ △普通 ✕おすすめしない)

 

お薦め度  イーストウッドフアンとしては、

 

感想

 

「硫黄島からの手紙」の姉妹作ということで両方を一気に鑑賞。

「硫黄島からの手紙」が日本側から見た「硫黄島の戦い」。「父親たちの星条旗」がアメリカ側から描いたもの、ということだが、グランパは、そうは思わなかった。

 日本の映画として、アメリカの映画として、というのならば、まだ理解できる。

 

 というか、どちらも「独立」した映画として鑑賞した(できたというべきか)

 共通点があるとしたら、戦争の「残虐性」「むなしさ」「非人道性」などであろうか。

 それだけ、イーストウッドは、普遍的なテーマを両方の映画で描いていると思った。


 「戦い」事態は、太平洋戦争の最大の激戦と言われるアメリカ軍の勝利。摺鉢山に星条旗を立てた「普通」の兵士が、勝利の「英雄」として「可視化」される。兵士は、アメリカ国内事情として、膨大な戦費を調達する国債を売るためのキャンペーンの道具として扱われる。過程で様々な「ウソ」が覆い隠される。

 それに対してアメリカインディアン出身のアイラは耐えきれない。「本当の英雄は、仲間のために死んでいったものだ」と慟哭する姿はやりきれない。

 

 「英雄」を必要とするのは、国家のために死んでいくものを生み出したいため。しかし実際戦場で命を懸けて戦う理由は、「仲間」のため、残してきた「家族」のため。  

 

 戦時調達国債の販売がショービジネスのように扱われる。

 人種差別もアイラを通じて描かれる。

 戦争による精神的障害も随所でフラッシュバックを伴って描かれる。

 戦争における既存の「英雄」像を否定していく。

 米軍の高級将校の保身する姿。

 現代にも通じる社会の「病理」(情報操作の怖さ、戦争がビジネスなど)をきちんと描いている。

 などなど、上げればきりがないほどに、映画としても、いかにもアメリカらしい見どころ満載でした。