地獄のような睡魔との戦いは終わったが、相変わらず睡眠不足が続く。


立て続けの事件のしめ?が、塾講師による小六殺害だ。

この殺人の発生現場は相当こたえた。


巨大掲示板その他に、かなり書き込んだ。

いつもは何があってもROMしてるのが、今度ばかりは書き込まずにはいられなかった。


睡魔と闘って、小さな嘘をつかざるを得なかった件は、大過なく終えた。

考えすぎだったと思えるほど、信用を失うことにもなっていない。

ありがたいことだ。


しかし、また酒量が増えた。

おかげで、餅代はかろうじて出るものの、心細いかぎり、という状態。


とにかく、お金を残そうなどと考えないほうがいい。

人によるだろうが、自分の場合はどうも合っていないようだ。


幸田露伴の『努力論』を思い出した。

幸田 露伴
努力論

飲みたくば飲むがよかろう。

それでのびのびと勢いよく生きることができるのであれば。



2005年 12月 12日 月曜日 10:13 JST
 [東京 12日 ロイター] 京進<4735.OS>がストップ安売り気配となっている。京都府で発生した小6女児殺害事件で同社のアルバイト講師が容疑者として逮捕されたことを嫌気した。市場では、今後の入退塾者数の動向にも影響を与えると懸念している。


「市場では、今後の入退塾者数の動向にも影響を与えると懸念している」。
大学は学校法人ゆえ株価の動向などはないわけだが、
同志社大学にも「嫌気」の影響は出るだろうか?
格付け評価にも影響するのだろうか?


自動車メーカーの欠陥車が事故を起こした、というのとはわけが違う。
「手堅い」となるに違いないと予測するがどうだろうか。


携帯とPDAの合いの子のようなシャープW-ZERO3が瞬く間に在庫切れ。
当分、購入希望者は抽選で購入権を得て、出荷を待つのだとか。
価格は39,800円。

携帯電話+PDA


チャートなど見るには、PCと同等のブラウザが搭載されていても、携帯ではやはり、
画面が小さすぎるとよく聞くのだが。
ただディスプレイ大きくなっても、あのキーボードじゃ歩きながらというわけには行かないだろうし。


思案橋。



坂村 健
大人のための「情報」教科書

教科「情報」というのは、2003年から新学習指導要領に基づいて高校で教えられるようになった。新課程で勉強した高3生が来年は受験年だ。

教科「情報」はA・B・Cの3科目構成で、どうも全部教えているところは少なく、Aが圧倒的に多いそうだ。

Aはまあ言ってみれば、アビバみたいなもので、実習が5割を占める。で、マーク式のペーパーテストには適さないということで、大学入試センターは来年以降当分の間、出題しないことに決めている。

おかしな話だと思うけど。じゃなぜわざわざ新しく「情報」なんて教科を作ったのか?


大人の世界でもネットトレーダーとか、デイトレーダー(この言葉については注意が必要だが)とか、パソコンとインターネットを使って株式売買をする個人投資家(この言葉も注意が必要)が増えているらしい。


何が言いたいかというと、株式投資の授業をやれば、ごたごた言わずにA・B・C全科目を自ずと「履修」せずにはおけなくなるはずということ。


詳細は追って。


地獄のような睡魔には、ガムと飴だ。顎を動かし続けるのが効奏するようだ。


なのでガムならとりあえず何でもいいはずだが、クロレッツHYPER。飴はサクマの、パインみるく。

これもどれがいいという理由は特にないはずだが、パインの香りが刺激的。
で、これを立て続けに4個も5個も食っていく。


脳は糖分を求める、というのは本当だ。

パインみるくのかわり
普通だったら食えないよ、こんな甘いもの立て続けにってものを、5、6個またたくまにくってしまう。
それでも少しはシャきっとしたと思うのも束の間、懐かしいものが蘇ってくる。
地獄のような睡魔である

そこですかさずガムである。


この繰り返しでは、ただ起きているだけで何も実は進んでいない。

結局、寒気、冷気がいちばんということになるが、
ますます手は動かなくなる。


そのうち寒さによる睡魔が忍び寄ってくるだろう…

検索した番号は 111-2345-5678910(EXPACK)です


状態
発生日
郵便局名 状態 備考 郵便番号 県名等
12月6日 杉並 引受 166-8799 東京 
12月6日 杉並 到着 配達予定日:12月6日 166-8799 東京 

2005/12/06 16:38


もうだめかもしれない。

地獄のように眠い。


校了のあと、深夜から朝まで6時間もつのか?




天井裏から降ってきたり、壁を通りぬけたり、床下からガバッ!と出たりするわけではない.。


検索した番号は 123-456-78910(EXPACK)です


状態
発生日
郵便局名 状態 備考 郵便番号 県名等
12月6日 杉並 引受 166-8799 東京 

なんとか間にあいそうだ。だが、やはり気持ちがグズグズする。

実は、昨夜の突貫間に合わず、積み残しを出してしまったのである。


今朝の電話連絡で、「一個は投函し忘れ、遅れて今日投函、明日着」という話ができあがった。

これはよくない。ほんとに嘘つきができあがってしまいそうだ。


小さな嘘より、大きな嘘を!

というほどの事態でもない。グズグズする。


しかもうまい具合に、遅れた順にデッドラインである(本当の)〆切も一日ずつずれていた。

だが、さすがに昨日の作業は疲れた。目が見えない。


2時間ほど仮眠して起きあがり、またしばらくした仮眠と、いうより腰を伸ばしたくて横になるのだが、どうしたって睡魔に吸い込まれそうになる。その時、お化けが。脳内から出る!
夢のなかで見ていた虫のようなものが、ふらふらしながら机に向かう頭の周りを飛んでいる感じなのだ。

それも、今夜の6時間で終わる。


小さな開放がやってくる。

お化けともしばらくお別れだ。


ブログはキリスト教徒が懺悔(confession)する告解室(いわゆる懺悔部屋)のようなものである、という話をどこかで読んだか、聞いたかした記憶がある。

この話は、だからブロガーというのは、けっこう暗いやつで、話し相手になる友達がいなかったりするんだ、と続いていたような気がする。

キリスト教のことはよく分からないが、なんとなくブログに書きこむと、懺悔するような気分になる、というその気分は分かるような気がする。

特定の相手に読んでもらうために書いているわけではなく(メンバーズアカウントを作った特定の仲間だけ読める、書けるという仕組みも備えることはできるが)、この「誰にともなく」、というのが懺悔室の環境に近いように感じられるのだ(告解室では生身の牧師?神父?が、もろ聞いちゃっているわけだが、秘密は漏れないことになっている。同時に神さま、キリスト?にもコンフェッションを聞いてもらっていることになるだろう。映画などでよく見るように、映画館のモギリのように、相手の顔は見えないようになっているし)。


というわけで、懺悔したい。
ひとつウソをついてしまった。先のエントリの居直りほどではないが、つい投函が遅れた納品物。
さっそく、まだ届きませんけどという、確認の電話が朝一で来た。
「すみません、投函が遅い夜というか、朝に近かったもので」
「そうですか、発送していただいていればいいんです」
「はい。今日着くかも、ですが、とにかく明日中には必ず届くと思います」
「わかりました」
今日が必着の〆切であることに、こちらは冷や冷やものだったのだが、そこはなんとすんなりクリアできてしまった(直接の担当者はどう思っているか分からない)。
予備日が取ってあったのだろう。
とりあえず、遅れによる迷惑はかけずに済んだ(と思える。一安心して良いだろう。ウソを除いて)。
 今夜から朝にかけて、また突貫である。
本当は、明日の朝一出して、明日中に届けようという腹だ。「投函した」というのはウソである。なんとくなく間に合う、予備日(業界ではアローワンスなどという)はあると踏んだ。踏めるか踏めないかで結構で事態は大きく変わる。ま、最近なかったギリギリではある。

引き受け時間は局に記録されるが、一々確認することはない。局と局の間でスタックがあったことにしよう。
などと考えている。
 いいのだ、大事に至らず、間に合うのだから。
結果オーライである。
 でもごめんなさい。すみません。
ま、後で何かあって、意外なトラブルに発展して、もう仕事は来ないという事態にならないとは言えない。
 だが、そうなったら仕方がない。
しばらく謹慎するだけである。
 そのうち、またお声がかかることもあるだろう。

と、確かに、これは告解室効果ありかも知れない。

すみません。ウソを言ってしまいました。
神様、なんとか大きな迷惑がかからないようにお願いします。悔い改めます。反省して、今後はもっとしっかりスケジュール管理をします。明日は死んでも投函しますので、どうか許し下さい。今夜は酒は一滴たりとも口にしませんから。
 申し訳ありませんでした。


小さな谷にはまって思い悩むよりも、少しでも風のあるほうへ向かって走れ。同じ明日は来ない。明けない夜はない。陽はまた昇る。


天の下では、何事にも定まった時期があり、
すべての営みには時がある。(
伝道者の書 3章1節)


明日は別の仕事の校了日。終電近くになる。

もう一日ずれていたら、と思うと、やはりぞっとしないでもない。



「居直り」の効用と書いて、ちょっと待てと辞書で調べてみた。へえ、何、名詞で言うと居直り「強盗」の略にもなるのだった。うかつにも知らなんだ。しかし、まあつまりはそういうことだな(?)


居直り強盗:

盗みに入った者が家人に見とがめられ、急に態度を変えて強盗になること。また、その盗人。居直り

と辞書にある。

で、「居直り」そのものには、


(1)急に

態度を荒々しいものに変える。
「押し売りが―・る」
(2)逃れられない立場を悟り、強い態度に変わって相手に向かう。
「―・ってふてぶてしくなる」
(3)座り直して姿勢を正す。
「宗清―・り畏つて申けるは/平家 10」
[可能] いなおれる
の3つの意味があった。


効用というのは、(2)を実行し、(3)に至るということだな、と勝手に納得する。(3)に至らなければ、単に居直り。強盗と変わらないってことだ。


10年ほど前になるが、あまりに安すぎる単価で請け負った内職で、締切に間に合わず、ついに居直ったことがあった。

納品物を捨てたわけではないし、結局、その分請求もしなかった。だが、迷惑をかけたことには違いないので、少なくとも相手の時間を盗んだことにはなるだろう。


正面切って、単価安過ぎと交渉しても良かった。ガマンしてついに切れた恰好。公正取引委員会に相談しても良かったケースである。それでも半年以上はじっと耐えて貢献したのだから、文句はあるまい。

「約束は、約束でしょ」、とか、契約違反だとか相手からは言えるケース。しかし、居直ったほうがいいことがある。土台が、不釣り合いな約束。しかし、「約束は約束」という言葉には、まじめな人ほど敏感に反応して、自分を責めがちである。確かに大人げないかも知れないが、居直って正解ということはあるのである。

まあ、判断は慎重にすべきだが、やれるとこまでやった挙げ句、「ええい、煮るなり喰うなり勝手にしやがれ!」という土壇場での判断は、そこまでやったのだから、たいてい間違っていない。


そこで失うものは失う。切れるものは切れる。


相手はどうか知らない。しかし、そういう土壇場での「居直り」は、「(3)座り直して姿勢を正す」にきっと繋がるはずだ。


座り直すには勇気がいる。しかし、「約束は約束」という天下の正道(宝刀)に勇気を持って刃向かうには、それなりの土壇場が必要になるということだろう。火事場の馬鹿力にも近い。これは強い。


もともと何処かに無理があることを続けているということでもある。居直るしかないか? とそういう気持ちがちょっとでも生じたら、まずは自分に対して居直る。そして、筋を通して相手と交渉する。

これが正論だろうが、真面目過ぎて正直な人間ほど、これがなかなかできないのである。


それを弱い人間のすることと言い捨てることができる人は、今は昔の「成り上がり」者だけだろう。

昔の自分を忘れたか、居直り続けた結果にあぐらをかいていることに気づかないかのどちらかだ。


原稿の締切仕事なら「雲隠れ」という手もあった。しかしこれも諸刃の刃である。ついにいつまで経っても行方不明というのもあったりする。それくらいなら、やはり居直りのほうが、双方損害が小さくて済む。






毎月のギャランティの振り込みが近付くころに、口座にまだ10万も残っていると安心する。4,5万でも同じ安心感がある、と思う。


そこへ例えば税の還付があったりして、取りあえず手を付けずにおける残高が50万くらいになったとする。

しかし毎月の、「そうだ、まだ10万近く口座にあるんだ」という入金日前の安心感のほうが、50万、というより大きいように感じるのはなぜだろう?


金額の比較ではないだろう。50万円のほうが大きいに決まっている。しかし「安心感」、ほっとする気持ちは振込が近づく時期の残高10万円のほうが大きい。

貯蓄、と考えたとたんに、10万円の5倍の額が、小さく思えてきて、不満な気持ちが生まれてくる、ような気がする。100万でも不足だ。やはり300万あれば、「まあなんとかなってるな」と安堵できるような気がする。

300万未満ではいつまでも不足感が残る、ような気がする。


「10万繰り越せるほうが、50万の貯蓄より安定感があるのはなぜか?」

この10万は「貯金」ではない。

ちょっと本をたくさん買い込み過ぎたり、飲み歩いたりしても、つまりつい遣ってしまっても、なんとかなる、大丈夫、という気持ちの余裕であり、安心感としか言えない数字、金額なのだろう。


毎月、50万繰り越せる? そりゃ泥棒だ(笑)。事業が叩き出す「利潤」ではないのだから。

額は桁違いだが、この10万はつまり、「投資」意欲、先行投資でもなんでもいいが、あくまで事業になぞらえて言うなら、そういう意志を受けとめる額だからではないか。


50万はなんだかきっちりし過ぎている。「考えない」ほうがいい額だ。

「50万円の仕事」を受ける、ぜひやらせて下さい! なら前向きだが、50万貯めるというのは、意図しないほうがいい額のような気がする。いつの間にか残っていた、なら話は別だろうが。


まもなく部屋の更新料を支払う。約二ケ月、ああだこうだもせず、いや心理戦はあったが、いつの間にか、更新日を迎える。

借金はしていない。まだ税の還付もない。だが、なんとか更新をクリアできそうだ。

ぐだぐだ考えず、払ってしまうことにする。


無策の策、でもないが、途中酒量が多少増えることがあった程度の「損傷」に押さえることができた。


「何も考えんほうがええ」

というのは時に真理である、ような気がする。



犯人は日本人ではなかった。
しかし衣食住足りて礼節を知るかどうかは、世界共通の問いだろう。


ニュースソースが思い出せないのだが、ヤギは、月に20万円台後半の額の給料を得ていたという。

18歳から24歳の日本の若者の完全失業率は、約9%近くの高止まり状態のままなのだが。


犯行を認める自供を始めたとき、ヤギは「女児について祈り続け、1日朝になって悪魔が抜けた」と言ったそうだ。


そうだった。キリスト教圏には悪魔という便利な概念があった。

経済の「変調」は人の本性を変えつつある。

この人の本性の変容は、悪魔の仕業か?
それとも人が悪魔に近づきつつあるのか?