小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」 -51ページ目

小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」

「ガード下学会」「横丁・小径学会」活動の報告および、予定などをお知らせします。

路地というと家と家の間をすり抜け、というイメージですが、家の中を通り抜ける、という路地もあります。もちろん、これは一般住宅、一般建築。そのため、他人の通行禁止を掲げているところもある一方、通行自由、というところも。


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-南千住01


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-南千住02


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-千住通り抜け


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-三ノ輪旧王電01


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-三ノ輪旧王電02

横丁を調べていくと、横丁というのは横丁として単独に成立しているのではなく、あくまで、オモテ道路の街路があって、それに対して、(基本的に)直角に入るのが横丁、ということが判りました。

南に真砂台地、北に本郷台地を見ながら、その谷となる本郷菊坂は、江戸時代の絵図を見ると、明地(空き地)。菊の栽培でもしていたのでしょうか。明地の部分は明治期開発され、長屋が整備されました。その一つが頭痛肩こり樋口一葉。一葉が菊坂に越してきた後、彼女が慕っていた半井桃水も隣町の西片(お屋敷町)に転居してきました。
とはいえ、一葉は、この崖下の長屋から3年で転居。竜泉(台東区)に引っ越し、雑貨屋を営んだそうです。再び、この地に帰ってきた際には、西片側で暮らし、短い生涯の終の棲家としています。


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-菊坂05


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-菊坂04


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-菊坂03


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-菊坂02


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-菊坂01

浅草の河童橋の巨大コック。浅草通り(仏壇通り)沿いの河童橋商店街の入口脇のビル。業務用洋食器屋さんです。

やっぱり、コックさんは外国人がよく似合う?


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-河童橋02


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-河童橋01

写真を整理していたら、建物にブローチのように付着し、通行人にビルの存在とともにメッセージを伝えるアーキ・ブローチが出てきました。何年も前のことですが、あの頃は、必至に追っていたな~、なんぞの感慨も含めてご紹介します。

写真は、巨大なゴリラが手のひらに載せた少女を屋上から降ろそうとしている

世田谷区太子堂・茶沢通りのゴリラビル。


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-ゴリラビル01


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-ゴリラビル02

関東大震災後、靖国神社の脇、東京の東西を横断する幅員15間~20間(27~36m)もの幹線道路・大正道路(現・靖国通り)が新設されました。

この幹線道路の新設とともに都心で進められたのが、区画整理。何軒もの家が集まり、堅牢な鉄筋コンクリート製のビルが造られました。その旗振り役となったのが「九段下ビル」。俎橋の隣りに建てられました。しかし、昨年末、惜しまれながらも取り壊されてしまいました!


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-九段下ビル05


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-九段下ビル04


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-九段下ビル02


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-九段下ビル03


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-九段下ビル01

先週末、足立区の柳町と関原という町を訪ね、ライオン建築を撮影してきました。

今日ご紹介するのは、関原の呉服店。

都内最大といわれる、ライオン建築です。


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-関原のライオン看板01


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-関原のライオン看板02


先日、「ライオン看板」を撮りに行っていたとき、ふと隣の建物路地に眼が吸い寄せられました。

ななな~んと、家の中から樹の幹が飛び出し、空に向かって伸びているではありませんか。これは巨大な柳! 通常、こういった場合、両手で抱えて、大人が二人がかりで抱えて……、と表現しますが、このケースでは、かなりの部分、家の中に入り込んでいて、実測不能!

写真は、千住桜木町辺り。



小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-千住桜木町:柳が飛び出す家01


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-千住桜木町:柳が飛び出す家02

「ガード下学会」のいでたちです。

ちょっと、ものものしい姿ですが、迷路のような路地に入っていたり、町の人に話しかけたりする際、“不審者”として見られないようにするためです。この腕章をしているため、逆に話しかけられることもしばしばです。

次は、「横丁・小径学会」の腕章をつくらなければ!


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-ガード下学会腕章左


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-ガード下学会腕章右

ライオン看板とは、通常、引き戸の妻入りの(稀に平入り、という大きな店もありました)上部に掲げたトタン製の看板のことです。オモテはライオンのタテガミのように立派ですが、ひとたび裏にまわると何の造作もありません。掲げられていたのは昭和30年代。「カドヤ」とか「アタラシヤ」など白地に黒ペンキで書かれただけのシンプルなのが特徴でした。これは絶大な宣伝力をもっていました。とはいえ、虚勢を張っているようにも見え、“ライオン看板”というのは、シャレと自嘲が同居した言いまわし、ともいえます。

この戦後復興の証しとなるライオン看板が消えていっています。

この写真は、3.11の東日本大震災の影響を受け、惜しくも取り壊されてしまったライオン看板建築です。(旧日光街道、荒川近く)


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-千住のライオン看板/槍かけ

テレビやラジオの番組にゲストとして呼ばれた際、ガード下の現状のほか、ガード下の今後について訪ねられます。そんなときにこたえるのが「保育園から墓場まで」。現状も、これからもあらゆる可能性を秘めているのがガード下とこたえさせていただいています。


一枚目の写真は、小田急線ガード下の保育園。二枚目は赤羽の葬儀屋さん、三枚目はガード下の墓場です。


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-小田急線/ガード下の保育園


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-赤羽/ガード下のセレモニーセンター


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-京浜急行線/ガード下の墓場