路地というと家と家の間をすり抜け、というイメージですが、家の中を通り抜ける、という路地もあります。もちろん、これは一般住宅、一般建築。そのため、他人の通行禁止を掲げているところもある一方、通行自由、というところも。
横丁を調べていくと、横丁というのは横丁として単独に成立しているのではなく、あくまで、オモテ道路の街路があって、それに対して、(基本的に)直角に入るのが横丁、ということが判りました。
南に真砂台地、北に本郷台地を見ながら、その谷となる本郷菊坂は、江戸時代の絵図を見ると、明地(空き地)。菊の栽培でもしていたのでしょうか。明地の部分は明治期開発され、長屋が整備されました。その一つが頭痛肩こり樋口一葉。一葉が菊坂に越してきた後、彼女が慕っていた半井桃水も隣町の西片(お屋敷町)に転居してきました。
とはいえ、一葉は、この崖下の長屋から3年で転居。竜泉(台東区)に引っ越し、雑貨屋を営んだそうです。再び、この地に帰ってきた際には、西片側で暮らし、短い生涯の終の棲家としています。
ライオン看板とは、通常、引き戸の妻入りの(稀に平入り、という大きな店もありました)上部に掲げたトタン製の看板のことです。オモテはライオンのタテガミのように立派ですが、ひとたび裏にまわると何の造作もありません。掲げられていたのは昭和30年代。「カドヤ」とか「アタラシヤ」など白地に黒ペンキで書かれただけのシンプルなのが特徴でした。これは絶大な宣伝力をもっていました。とはいえ、虚勢を張っているようにも見え、“ライオン看板”というのは、シャレと自嘲が同居した言いまわし、ともいえます。
この戦後復興の証しとなるライオン看板が消えていっています。
この写真は、3.11の東日本大震災の影響を受け、惜しくも取り壊されてしまったライオン看板建築です。(旧日光街道、荒川近く)