小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」 -50ページ目

小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」

「ガード下学会」「横丁・小径学会」活動の報告および、予定などをお知らせします。

JR吉祥寺駅の駅舎とその繋がりのガード下空間が再整備され、オシャレなショッピングセンターになっています。食料品からブティックまで揃い、生活のすべてがそこで賄えるようになっています。駅ビル再整備の成功例ともいえるでしょう。

ところが、このちょいとゲタ履きで買い物に、なっんてできなくなってしまった敷居の高いショッピングセンターとは裏腹に、目の前のヤミ市あがりの、迷路のような細い蜘蛛の巣状の横丁が大にぎわい。まちには「山手」をイメージさせるエリアと「下町」をイメージさせるエリアがあるもの。それが道路一本を隔ててある、というのが興味深い!


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-ハーモニカ横丁

東武線五反野駅付近で、ライオン看板を発見しました。 これは、立派! しかも、袖看板まで付いていた、なんとも豪華版です。


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-五反野ライオン看板01

  ライオン看板奥(左手)に袖看板が付いています。しかもこれは、行灯看板?


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-五反野ライオン看板02

東京・葛飾小菅の銭座跡を散策していたところ、立派なライオン看板と赤煉瓦倉庫に出会いました。

煉瓦倉庫は現役のよう。ただ、残念なことに、ライオン看板は現在使われておらず、過去の遺物になっていました。


西小菅小学校の近くです。


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-小菅ライオン看板


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-小菅赤煉瓦倉庫

「横丁・小径学会」の遊歩を行いたいと思います。
日時:9月8日(土)

時間:午後2時~

集合:京成本線「千住大橋駅」改札口前

コース予定:千住大橋→旧日光街道→千住駅前のラビリンス→江戸商家(出桁造りや看板建築も見られます)等。

参加できる方、ご連絡ください。

久々に小菅の拘置所の周辺を歩いてみました。すると、そこは郊外の広々とした広場公園のよう。三方を川に囲まれ、さらに周囲を高い高い年代物のコンクリートの壁に囲まれた拘置所の壁が取り払われ、低層の網フェンスのみ。と同時に、周囲の道路も整備され、開放感と見通し抜群!
これまで、塀の中で暮らしていた子どもたち(身柄を拘束されている子どもではなく、拘置所職員の子どもたちです)も塀が取り払われ開放感そのもの。さらに、網フェンスの外にも官舎が出現し、休日の職員が集まってひとときを過ごしたり……、と別世界になっていました。

塀の中の拘置所が郊外の公園のようになっていました。


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-小菅拘置所01

塀が取り払われたお陰で、いままで目にすることができなかった貴重な近代建築も観賞できるようになりました。

小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-小菅拘置所02


日射しをめいっぱい浴びることができ清々しい気分!
広々とした気持ちのいい散策道路が誕生しました。

小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-小菅拘置所03



JR錦糸町駅の駅ビルが誕生したのは1961から62(昭和36・37)年にかけて。全国30番代目の民衆駅です。
戦後、国鉄(JRの前身)は線路・車両を優先して復興。そのため、多くの駅が仮駅舎のままでの営業を強いられることになりました。そこで、駅舎建設に関して地元の有力者たちの資金を仰ぎ、その代わりに商業施設を駅舎内に設けさせることを許可しよう、というのが民衆駅で、いわば民間活力の導入編。
一般的に出資者は「自治体」のほか、鉄道弘済会などの「国鉄関連会社」。あと足らない分を「銀行」や「地元企業」が出資しました。
いかにも民衆駅らしい民衆駅(質素。派手でなく、消費行動を刺激しない)としては、帯広駅の駅ビルがありましたが、現在は近代的な駅ビルに建て変わってしまっています。
東京で有名なのが秋葉原デパート。ところが、これも近年取り壊され、アトレ秋葉原という駅ビルに変わってしまいました。
現在使用されているJR錦糸町駅の駅ビルは正に、民衆駅。この駅には、「地の塩の箱」という善意の助け合いの箱が設置されていました。この地の塩の箱については、またの機会に紹介いたします。

小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-JR錦糸町駅

神田錦町にあった博報堂旧本社屋。

設計は、様式建築の才人といわれた岡田信一郎。近代建築を散策していると最も多く登場する設計者です。

写真の博報堂は数年前のもの。画像がぼやけているのは、外壁が剥落する危険があるため、網で覆っているため。現在、綺麗サッパリ、解体されてしまいました。


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-博報堂旧本社ビル03


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-博報堂旧本社ビル02


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-博報堂旧本社ビル01

千住柳町を訪ねると、いたるところに寿司店に出会います。これは、もともと色街だったため?

この寿司店の中で、ライオン看板を見つけました。


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-千住柳町ライオン看板

江戸時代の絵図を見ると、都電三ノ輪橋停留所付近は武家地になっています。武家地と言えば、大名なら、一街区に一軒ないし、数軒。旗本だと、街区を二つに背割りし、短冊状に並びます。ただ、この地は下屋敷なので、大きな割り方となっており、その敷地割りを引き継いだのなら、現在でも大きな街区のまま、と考えるのが人情。ところが、路地の中に町がある、という状態です。なぜ、こうした町が誕生したのか判りませんが、路地も三ノ輪の魅力の一つになっているのは間違いなさそうです。

小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-都電・三ノ輪橋停留所

三ノ輪橋停留所のすぐ隣には、屋敷稲荷! と思って近づくと、いやいや、これはお稲荷さんではありませんでした。でも、どういう神様かは不明!

小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-三ノ輪駅前神社

三ノ輪の幹線道路。ジョイフル三ノ輪。アーケードの屋根が取り払われる中、ここは健在。

このアーケード隣の駅近くまで続き、幹線とともに町の人々の大きな動線となっています。

このアーケードに差し込むようにさまざまな路地が入り込んでいます。

小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-三ノ輪アーケード


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-三ノ輪路地