小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」 -40ページ目

小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」

「ガード下学会」「横丁・小径学会」活動の報告および、予定などをお知らせします。

東京芸大相撲部卒!?
昨日、東京新聞を見ていたら、貝原浩さんの写真が大きく掲載されていました。瞬間、今度の展覧会の紹介記事だろうな、とは思いましたが、その貝原の顔がプックリ! もう何年前に他界したのか、数えていませんが、逝ってしまったあとの写真はみな、アトリエで机の前に座って作業をしている写真。ガンに冒され、病院と自宅、アトリエとを行ったり来たりしていた頃の写真ですが、こんなに太っていた? たしかに、逝く一時期前、プックリと太ったことがあったので、そうだったのかも。まさか、新聞社が写真に平体を掛けるわけはないんだけど。
ということで、事務所に貼ってある、最後のアトリエの写真をまじまじと見ました。そしたら、太ってた! 人間の印象と記憶って変わったものに置き換えられちゃうんですね。
こんな話をしていたら、当社の同僚、若い頃はかっこよかったのよ! とのこと。
貝原浩さんのイラストは「ダカーポ」などでも連載されていたので、絵自体は見たことがある方が多くいらっしゃると思いますが、貝原は東京芸大相撲部卒。学生時代何専攻したの? と聞くと、相撲! のみ。同級生の敏也さん(宮沢賢治賞を受賞してます)は真面目に勉学に励んだんでしょうが……。ちなみに、相撲道場は道路を渡った音楽部のほうにあった、とのこと。
今日から開催される展覧会は
「風しもの村」福島を思う-貝原浩・チェルノブイリスケッチ展、森住卓・福島第一原発写真展
新宿展 2013年2月14日(木)~2月20日(水) 東京・新宿区区民ギャラリー
だそうです。
貝原画伯(周囲には画伯と呼んでくれといっていました。なので飲み屋の席では“画伯!”)の生涯のテーマとなった、チェルノブイリの作品が展示されるそうです。
貝原浩『春の子どもたち / 色とりどりのスカーフ』、貝原浩『夏の村人達 / 耕す馬 / 食卓』、貝原浩『4号炉』、森住卓『自慢の果樹園』
来週は、“エンデとベックマンのドイツバロック建築・法務省赤煉瓦棟”と“F.L.ライトと一緒に来日したA.レーモンドの聖路加病院・チャペル”を見に行きます!
来週20日(水)には朝日カルチャーセンター千葉主催で「重要文化財 法務省赤煉瓦棟」(043-2270-131)、23日(土)には淑徳大学池袋エクステンションセンター主催で「A.レーモンド・聖路加病院と築地居留地建築」(TEL 03-5979-7061 ext@ccb.shukutoku.ac.jp)の講師を務めます。いずれも、フィールド・ワークです。ご興味のある方、問い合わせてみてください。
う~ん、4月発売の単行本の原稿間にあうかな~、と危機感はありますが、キチンと講師を務めさせていただきます。
東京のまち歩きイベント『東京てくてく』に講師として参加します
来月発足する「NPO法人東京まち歩き倶楽部」のまち歩き「東京てくてく」に講師として参加することになりました。
この東京まち歩き倶楽部は、若者が夢をもって立ちあげた団体。ボクも、若い方に最大限協力させていただきます。
このまち歩きは、有料となりますが、ご興味のある方、ぜひ、東京てくてく(http://www.tokyo-teqteq.com/)をご覧なってください。
ボクの担当するのは、
建築評論家・小林一郎と楽しむ、丸の内の近代建築 ~三菱ヶ原が一丁倫敦・一丁ニューヨークとなった、明治から昭和初期の建築を追って~
3月16日(土) 14:00~16:30
集 合: 東京駅・丸の内南口
参加費:2,000円
です。

アジテーションする建物
アーバンスケールの建築物は、社会、つまり世の中に対して、あるいは通行人に対して、メッセージを送り続けています。
その一つが、銀行建築。これは広い意味で金融機関と読み替えられます。
金融機関とは、基本、われわれから原資となる資金を調達して、資金繰りに困っている人たちに金を貸す――これが商売。
ということで、信頼できる企業でなければなりません。これは、安心感。
そして、昨日今日誕生した浮き世の企業では、今いいとしても、決して信頼できません。そこで、古くからやっている、つまり歴史性を兼ね備えていなければなりません。
と同時に、こうした、歴史性、安心性のうえに現代の資金力、豊かさ、厳かさなども求められ、また、そうしたメッセージを発したい、と考えるものです。
そこで、登場するのが銀行建築。実際に、そんな規定の建物があるわけではないのですが、おしなべて、共通するフォルムが形づくられています。
まず、歴史性、これはギリシャ、ローマの列柱、しかも数階をぶち抜いたジャイアントオーダーとよばれる大理石の柱の並べます(西洋ではルネサンス後期・1520年以降登場)。これが基本。なかには、現代風のふうのものでは、御影石をつかったり、円柱ではなくて、角柱を使ったりという設計者もいらっしゃいますが、基本構成となる列柱は銀行建築の第一義。
次ぎに欲しいのが荘厳さ。ということで、列柱のキャピタル、つまり頭柱飾りですが、ギリシャの国花・アカンサス(日本でいえばアザミです)を装飾性豊かにあしらいます。旧財閥の本社や生保本社などではこのアカンサスが飾られています。まあ、どこのものもみな同じアカンサス、と見えるかも知れませんが、これがなんと、結構仕上げが違うんです。いいかげんなものあり、芸術性をもったものもあり、といった具合です。
それに、建物自体のボリューム。通常われわれが過ごすヒューマンスケールの建築の範囲内では、「スゲーなァ、この建物」なん思いませんが、江戸の町割り(120m)いっぱいに建てた建築物はまさに巨塔。このボリュームが安心感を生みださせます。
と、こんなことを考えてまち歩きをしてみたらいかがでしょう。プロバガンダ、アジテーションする建物とそれを受ける市民。まあ、実際にはそれほど意識的にアジテーションを受けるわけではないんですが、人の潜在意識のなかに深く入り込みます。
ただ、このアジテーションする建築物、メインテナンスを怠ると、自滅します。われわれヒューマンスケールの建物と同じ、なんて考えると、ちょっぴり溜飲が下がる!?

 

“コバヤシ・イチロウ”はペンネーム?!
先日、うちの事務所で知人と話している際、なんの脈絡もなく
「小林一郎さんて、ペンネーム?」と話を振られました。
うん? “小林一郎”も“山田太郎”もどこにでもありそうだけど、結構ない名前。子どもが生まれた際には、どこの親もそれなりに子どもの将来を願って考えるもの。ということで、ありそうでない名前だよね、なんてことはよく言われいます。でもペンネーム?というのは初めて。
「以前、この近くの学校にお世話になっていたとき、小林一郎という国文学の方がいて、学長になった方なんですが……」と話だしました。ああ、彼はもともとは国文学だったんだ、と思い起こしながら、国文学の小林一郎なら名前だけ知っていますが、もともとボクは文学なんてまったく判らぬ無粋な人間。
彼は30数年間、コバヤシイチロウというのは自分が使っていたのと同じようにペンネームと考えていたようでした(彼はペンネームで書籍を書いていた頃もあります。いまは本名で書いていますが)。
ボクの場合、生まれてしまってしょうがない、名前ぐらい付けなきゃ、ってんで、とりあえず最初の男の子だからイチロウとでもしときゃいいんじゃない、という流れでつけられた、と伝え聞いています。
でも、これからは、本名“コバヤシイチロウ”、ペンネーム“コバヤシイチロウ”なんてことにしようかな。ペンネームっていったほうがカッコイイ?

仕事をするときは上機嫌でやろう!
仕事に追われて、ブログを見ることができません。
何てときに、ふと、

我思う、ゆえにそこが仕事場。
仕事をするときは上機嫌でやろう!

なんて、フレーズが蘇ってきました。
どこででもできる仕事ってのもやくざな商売かも知れませんが。

蔵には“石蔵”なんてのも。おっぱい付きです!
普通、蔵というと土蔵や漆喰で塗り固めたものを思い浮かべますが、横丁・小径学会でであったように板蔵、それに室内にしつらえた内蔵なんてのもあります。それに加えて、石で築いた石蔵なんてのもあるんです。
写真は、重文指定された旧朝倉邸(東京渋谷区代官山)の石蔵です。
まあ、この建物自体に重文の価値があるかどうかは別として、石蔵というのも珍しい部類です。
おっぱい(通称です。正式名称は……、さて何て言ったっけ。まあ、いいでしょ)の上にL字状の折れクギも付いています。これは、火災の際、もらい火をさけるため、藁や布を濡らして書けるためのものです。

朝倉邸タテ

朝倉邸石

朝倉邸おっぱい


振り向くと、否、顔を上げると、みな著名人になってた!
先週、まだA大の先生をしている文学者の知人と二人でまちを歩く、という出版企画を立て硬派な某社に投げかけたところ、基本OKがでました。ちょっと大上段に構えた構想のため、自分自身収集がつくかどうかちょっぴり不安。そこで、参考としてamazonで書籍を購入。ところが、これがまったく得るところなし。こちらの構想が大きすぎたのか。そこで、思い浮かんだのがかつて書評で扱った某書。それなら多少、構成の参考になるのでは。ところがこれが見つからない。引っ越したばかり、ということもありますが、もともと、わが社で本を探すのは至難の業。欲しいときでなければいくらでも出会えるのに、いざあの本、と名指すとまったく登場しません。ということで、整理方々本探しをはじめました。そこで、知人が書いたものは、この書棚に入れて、なんて、突拍子もなく優れた発想が浮かび、ちょこまかと入れはじめたら、出てくるわ出てくるわ。送ってくれたものも、持参してくれたものも。なかには、このタレントさん(スミマセン、劇作家・演出家でした)、知り合いといえる? でも取材の際は……、てことは知り合いにしておこ、なんていうのもありましたが、もともと著名な文芸評論家もいらっしゃいますが、まあ、なんとも皆さん本を書いたこと書いたこと。「ボクだけだよ、マスコミに出ていないのは」なんて嘆いていた知人だって、積み重ねれば、何冊書いたんでしょう。しかも、皆さん本当に有名になられました。デザイン評論の草分け、文芸賞の審査委員……、一番若いボクが還暦なので、みなそれなりの年齢ですが、いまさらながら、すごいなーッてのが本棚見てわかりました。まあ、ボクは生涯一(いち)編集者ですけど。
もいちど、社会科見学ならず、もいちど都市論、勉強し直しです。来週火曜日までに資料揃えなくっちゃ! いいだしっぺは、ボクなので。
蔵といえば家の中に設けた「内蔵(うちぐら)」なんてのもあるんですよ
写真は、東京・世田谷の旧小坂邸。衆議院議員を務めた小坂順造の別荘です。建物自体は田舎趣味。かつては、田園趣味というのが流行った時代があります。
この小坂邸は和室と洋室をもうたいわゆる“文化住宅”で、雁行型。これは、文京区・千駄木の「旧安田楠雄邸」の雁行型と違って、両翼を備えた綺麗な雁行。その母屋の中に「内蔵」があります。
蔵にもいろいろあるでしょうー。
ちなみに、1940年3月9日の東京大空襲(一般的には陸軍記念日の3月10日といわれますが、9日の夜から空襲がはじまりました)の際、都内には記念日に合わせて大空襲が来るとのうわさが立ち、上野・池之端の横山大観は急遽、世田谷(当時は郡部)のこの小坂氏の別荘に逃げ難を逃れたという曰く付き(?)の家です。


小坂邸内蔵

 

「横丁・小径学会」で板蔵発見!
先週の土曜日に行われた「横丁・小径学会」三田遊歩で板蔵に出会いました!
これはとにかく貴重。先ず滅多に出会えません。
蔵というのは構造としては木造なんですが、通常は大壁にして壁土や漆喰で塗り固めます。でも、土で覆わないものもあるんです。それが板蔵です。大きな収穫でした!
出会った板蔵は、出入り口のところに植木鉢などが並べられ、出入りできないようになっていたので、現在住んではいないようですが、出会えただけでも嬉しい!

板蔵全体01

板蔵全体02

 

板蔵窓