小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」 -36ページ目

小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」

「ガード下学会」「横丁・小径学会」活動の報告および、予定などをお知らせします。

地味な菖蒲いいもんだ~
三枚花の江戸系、豪華な八重の肥後系、華麗な伊勢系――の中で、江戸は貧弱と思っていましたが、還暦を迎えた歳になって、地味な江戸系の良さがやっと解ってきたような気がします。

(写真を載せたかったんですが、どうしてもタテ位置の写真がヨコになってしまって、修正できなかったため、断念!)

「橫丁・小径学会」噺家橫丁と同潤会上野下アパート
セセッションの稲荷町駅をさっと見ながら、道路一本北側へ。このあたりは、浅草の演芸場に行くにも上野の寄席に行くにもどちらも歩いて10~15分程度。そのため、かつては芸人さんが多く住み、噺家橫丁と呼ばれた地域。清洲橋通りの東側には漫才師が多く、西側は噺家さんが多かったようで、西側(目の前が同潤会上野下アパート)には彦六師匠などが住み、彦六さんは通称稲荷町のお師匠さん。
残念ながら、上野下アパートは仮囲いでしっかりと覆われ、上部しか見られませんでした。ということもあって、みんなで裏(北側)へ。
同潤会は関東大震災後、それ以降のわが国での理想的な建物、生活環境を提示した役目も果たしており、当時ではまれな水洗便所やダスターシュートなども備えていましたが、基本的に部屋内部に風呂は併設せず。代官山の同潤会には敷地内に銭湯を設けていましたが、こちら上野下アパートにはすぐ裏に御殿づくり(それほどでもない? でも立派です)のすてきな銭湯が健在。その銭湯を見学して、一同酒宴の席へ。いや~、飲むまですっごく時間がかかったおかず橫丁遊歩でした。(コース設定した小生が悪いんですが……)
これからは、もっと早くのどを潤したい! 

“遊歩”って聞き慣れない言葉?

ボクは普段、普通に“遊歩”という言葉を使っていますが、どうもあまり一般的には使わない、ということに気づかされました。
なんで一般的と考えていたかというと、川(実はほとんどがどぶ川でした)を暗渠にしたあと、整備したところには「遊歩道」と名付けることが多いですよね。土木的な発想から一般的に普及していると思っていました。この言葉、「散歩道」でも「散策道」でもなんでもいいんですが、意味合いとしては、意味なく、というか目的なくふらつける道、ということです。
ところが、この遊歩道以外あまり“遊歩”は使われず、もっぱら“散歩”ないし“散策”が使われているようですね。
ただ、この言葉、いずれも元はflaneur(フラヌール:仏語)。20世紀初頭、W.ベンヤミン[1892・明治25―1940・昭和15]。フランクフルト学派の評論家です。最後はナチスに追われて自殺してしまいました)がパリの街を歩く際、flaneurという言葉を使った訳語です。「遊歩、散歩、散策」どんな言葉がぴったりするかです。
日本で振り返ってみれば街を目的なくふらつくことは江戸時代にも明治時代にも、ほとんどなかったといわれています。ほとんどというのは、「歌舞伎者」(遊び人?)は理由なくふらついていたかも知れませんが、そのほかではご隠居さんぐらい。時間と金をもてあましてあてもなくショッピングする、ということはなかったんですね。
これは、ヨーロッパでも同様。街をふらつくようになったのは、産業革命によって人々が都市に集まるようになってから。時間と金に余裕が出て、人々は街をさまよい歩くようになりました。これを受けて、都市は消費都市へと変わっていきました。ベンヤミンはパリのパサージュを遊歩しながら「都市」をしかりと捉え、丹念に見つめ、克明に書き留めました。これが近代都市分析の出発点、なんていうと話が難しくなりますが、とにかく、“遊歩”って特殊な言葉じゃないですよ。ボクの造語でもない、一般的な言葉です。皆さんも使ってください。そして、都市を遊歩してください! そしてそして、ボクたちの生活基盤である、都市、街をもう一度見つめ直しましょう! 何か新たな世界が生まれてくるかも知れませんよ~!

「橫丁・小径学会」佐竹商店街 鳥が帰れなくなっちゃった!?

佐竹商店街は、旧佐竹藩の藩邸跡。佐竹といえば、秋田ですが、元をただせば常陸源氏の流れをくむ茨城の出身。土地は豊かで、実質80万石以上あったともいわれています。とはいえ、関ヶ原の戦いを契機に家康に国替えさせられ、われわれにとっては秋田の佐竹、のイメージが定着していますが、このあたりの経緯を茨城の地元出身の参加者から丁寧に解説いただきました。

商店街に隣接する公園で、一休み。そこに、野鳥が一羽。参加者のひとりが「あれ、なんの鳥?」と不思議な顔。ちょっと、羽の色合いが違いますが、これは普通のムクドリでした。色合いの違いは個体差です。昔は農繁期になってまで江戸・東京にいのこる出稼ぎの方を「居残りムクドリ」といいましたが、もはや死語となりましたね。

そのムクドリ、エサを咥えながら地上を右往左往。「この鳥、帰るところが分からなくなっちゃったみたい!」と大騒ぎ。そこで、休憩中の鳥の先生(鳥類生態学の理学博士)に伺うと帰るところが分からなくなってしまったわけではなく、効率よくエサを持ち帰りヒナに与えるため、いくつものエサを捕獲してから巣に持ち帰るんですよ、とのこと。都市と鳥? と一見何の脈絡もなさそうですが、無料でご講義願いました。と~っても優しい先生です。この先生には、花の先生とともに、「都市の中の花と鳥」のまち歩きをお願いし、秋に遊歩を組ませていただく予定です。

この後、ふたたび商店街の中へ。そして、布団屋さんへ。カメラをもって写させていただこうとしたら、ご主人に店内に招かれ、お話を聞くことに、というパターン。ありがとうございました。

「橫丁・小径学会」ガード下からおかず橫丁へ

日本一のキャンティレバーのガード下を探訪し、やっと今回のコースのスタートへ。この浅草橋駅周辺だけで1時間を費やしてしまいました。というか、浅草橋周辺だけで半日過ごせます。それを1時間に圧縮! と考え、おかず横丁へ。

と、その途中、看板建築の家や出し桁造りの家。これらにも引っかかりながら、やっとおかず横丁のゲート看板の下に。左手の見事な看板建築の酒屋さんを見ながら、右手数軒先の和菓子店へ。この日、店内に用意されていたのは「石衣」とかき氷。かき氷はあらかじめつくっておくことはできませんので、買い求められるものはということ。

石衣は餡を砂糖衣で包んだ日常使いの半生菓子。かつては、どこにでもあった菓子ですが、手間がかかる割には見た目は決して美しいとはいえないしろもの。ということで、最近ではとんと見かけなくなった和菓子です。その石衣がここにはありました。懐かしい味、という人、初めて! という人、さまざまでしたが、これをみんなで堪能! 

「おかず横丁」というのは、厳密な意味での橫丁ではありません。いわゆる界隈性をもった橫丁です。この周辺、かつては居職が多かった地域です。家族総出で、ということもあったのかも知れませんが、食事の用意をする時間も惜しい。ということで、総菜が並んでいた、といわれています。店の方々に話をお聞きすると、4代目、5代目という方も。長い歴史をもった商店街です。

この商店街、もう一つの特徴は、銅葺き等の看板建築と、立派な出し桁造りの店、さらに、セセッション、あるいはアールデコといった店のオンパレード。ということは、震災に遭った地域。看板建築は震災後、耐火性をもった建物として建てられた建物だからです。

で、これらの建物がしっかりのこっている、ということは、戦災には遭わなかった、ということ。それと、さらに大事なことは、皆さん家を大切にメインテナンスしながら保ってきた、ということです。建物は手を入れながら使うと、長い間気持ちよく使うことができますね~。

「橫丁・小径学会」おかず横丁遊歩開催しました

525日(土)午後2時、JR浅草橋駅東口改札前に集合。今回は、暗渠の専門家、鳥の先生、坂道の専門家、街道の専門家――の方々が初参加。賑やかなまち歩きになりました。

スタートは、浅草橋駅。遅れての途中参加者もいらしたので、駅前の神田川に出て、浅草橋御門の遺構(発掘された柱)を見学。そのあと、柳橋を散策。柳橋では、主婦に人気の掃き出し窓(ほとんどの参加者は掃き出しを見るのは初めてでした)を見ながらのある店を見ました。

そのあと、久々にガード下ツアーへ。

ガード下を両サイド通して一軒で借りている場合、どちらの側道側をオモテにすることも可能。両方オモテなら便利、と思いますが、人間というのは、どちらか一方をオモテ、その逆をウラにするようです。この浅草橋駅付近(柳橋)では、北側が駅舎側・西側から東に向かっての一方通行。逆に南の側道側では東から西に向かっての一方通行。この一通から、商品の出し入れをする事務所などは商品の出し入れを優先にオモテとウラをつくっていました。それとは無縁に、住宅は暖かい南側をオモテにする家、逆に北側をオモテにする家、とさまざま。

このオモテとウラの関係、大阪の環状線に行くと両側オモテという店、事務所となっていのが普通の光景。ところが、阪和線などで、一駅環状線から離れると、東京と同じようにどちらかをオモテに決めています。どちらもオモテ、というのは合理的で便利ですが、すべてパブリック、というのは人間にとって、息の抜けない、結構厳しいものなのかも知れませんね。

このあと、日本一のキャンティレバー(片持ち梁)の浅草橋高架下へ。

次の土曜日、「横丁・小径学会」遊歩で、最後の同潤会見学に行きます!

開催日:525日(土)

集合:JR「浅草橋駅」東口改札前 午後2

内容:噺家横丁、佐竹商店街、おかず横丁など。

「橫丁・小径学会」(http://yokochogakkai2012.jimdo.com/ )

*ご興味のあるかた、ご連絡ください。一緒に歩きましょう。

 もちろん、無料です。

“安田講堂”の中に入れるかもよ!


いよいよ明日、明後日は東大「五月祭」!

まあ、学園祭は学園祭なので、どこも同じでしょうが、普段入ることができない(これは在学生も同様)安田講堂に入れる(筈!)です。

ご興味のある方、一度訪ねてみてください。

もし、入れなかったらごめんなさい。今までの経験からすると、学生の演奏会が安田講堂内で開催されるので、誰でも入場OKとなっています。

明日、土曜日は晴天。残念ながら、小生の場合、明日は某大学の公開講座がらみで、本郷の事務所に戻ってこられませんが、日曜日には顔を出すつもり。ただし、日曜日は雨だって。予報は予報であって欲しいですが、どうも、五月祭は雨にたたられる!


  連帯を求めて孤立を恐れず
  力及ばずして倒(イにト)れることを辞さないが
  力を尽さずして挫けることを拒否する
なんちゃって……。もう、過去のこと? でも、これ、小生の座右の銘なんです。


う~ん、もう、仕事しなくっちゃ!


今日も同潤会・上野下アパート!
毎日の日課になってしまったみたい! 今朝も、最後の同潤会・上野下アパートに立ち寄ってから出社しました。
これまで、聞いていた話では、3月いっぱいで全世帯引っ越し、4月から解体という話もありましたが、それが4月いっぱいでの引っ越し、さらに5月いっぱい(?)の引っ越しへ。とはいえ、日にちは日にちとして、昨日も今日も住民の方の引っ越しは続き、解体へ一歩一歩進んでいます。


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」