20190428Gミーヴで東京往復49_首都高1号羽田線から見えた景色2 | エコノミライ研究所のブログ

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を探求して行きます。

いつもエコノミライ研究所のブログをご覧下さり、誠にありがとうございます。

 

平成最後のGミーヴドライブも、とうとう目的地東京に入りました。

 

初日は平成31年4月28日(日)のことでした。

 

午前5時に倉敷を出発し、同日午後8時過ぎに1泊目の宿泊地ルートイン御殿場に無事到着。

 

2日目は、いよいよ首都圏並びに東京都内ドライブシーンにシフトしています。

 

午前11時、東京スカイツリータウンに到着。

 

Gミーヴドライブ最重要目的地への到達に成功し、正午前、次の目的地へ向けて、ドライブを再開

 

電池残量が半分に減ってきましたので、

 

三菱EVユーザーの聖地、三菱自動車本社ショールーム前充電器にて通算14回目の充電を実施したのでありました。

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・以下、旅行記本文・・・・・

 

<三菱i-MiEV「Gミーヴ」号で東京往復_滞在先編>

 

第2章 滞在先ドライブの様子

 

 第4節 三菱自動車本社ショールームからのドライブ3_首都高速道路1号羽田線から見える風景2

 

(先回の終盤からおさらい)

 

三菱自動車が世界で初めて量産型EVとしてリリースした

 

i-MiEV(G)による倉敷東京往復の旅

 

 

平成最後の大型連休である

 

平成31年4月28日(日)午前5時から出発して、御殿場エリアで1泊目までの紹介まで進み

 

平成31年4月29日(月)、2日目のドライブ紹介をしています。

 

首都高速道路3号渋谷線、C2中央環状線、B湾岸線、10晴海線を経て東京中心地をドライブ。

 

午前10時10分、朝潮運河に架かる黎明橋(れいめいばし)を渡り

 

勝どき駅前交差点より、清澄通りを北上して、一路、スカイツリータウン方面へ向けて北上。

 

吾妻橋一丁目交差点を右折し浅草通りに入った瞬間に見えた塔の高さ634メートル、

 

東京スカイツリータウン訪問が、今回の最重要目的地でありました。

 

平成31年4月29日(月)正午前

 

スカイツリータウンから、次の目的地へ向かうため出発。

 

北十軒川の流れる北岸エリアから東京スカイツリー西交差点に出て来まして

 

浅草、上野、御徒町へと向かうため、業平1丁目交差点を右折し

 

浅草通りを西行しまして、

 

墨田川を渡す駒形橋を渡り、

 

上野、御徒町、秋葉原、神田、日本橋、京橋、銀座、新橋、浜松町、芝へと

 

都心の大変有名な場所を一気に駆け抜け、芝五丁目交差点を通過しますと

 

12時16分

 

14箇所目の充電ポイント

 

東京都港区芝浦3丁目1番1号にあるところの

 

三菱自動車株式会社本社ショールーム前充電器に到着しました。

それにしましても、先回もお伝えしましたように、

 

大変驚愕する事実が判明

 

何と!この場所は、建て替えのため、既存建物は、すっかり取り壊されているではありませんか!

 

三菱地所設計様、清水建設様が中心となって

 

再開発プロジェクトが進行中とのことです。

 

 

いずれにしましても

 

先回をもちまして

 

東京都内一般道ドライブがほぼ終わり

 

先回より

 

芝浦ICから首都高速道路1号羽田線に乗り、神奈川方面へと進むルートの紹介へと「シフト」しています。

 

先回紹介の模様を、手短に再掲致します。

スタート地点である三菱自動車本社ショールーム前充電器から

 

JR山手線の田町駅を通過しながら

 

国道15号線を300m程南下しまして、

 

「札の辻」交差点を芝浦方面に向けて左折

 

都道409号線を東へ進み「八千代橋」交差点を右折

 

程なく「芝浦四丁目」交差点を左折、再び東進

 

東京モノレール羽田空港線のレール下を潜(くぐ)り、更に進みますと

 

「港栄橋」交差点に差し掛かり

 

芝浦入口の「羽田 横浜」方面へと進むため

 

右折します。

 

この上を走るのは

 

首都高速道路1号羽田線

 

です。

 

JR上野駅辺りより並走したC1都心環状線から浜崎橋(はまざきばし)JCTを経ての合流

 

また、11号台場線芝浦JCTを経ての合流の後、最初に設定されている出入口こそ

 

芝浦出入口

 

となっています。

 

 

 

 

 

 

 

東京都内での一般道ドライブも、もう、これにて終了します。

 

滞在時間は、たったの3時間弱でありました。

 

三菱自動車本社ショールーム前充電器での充電の結果、83%まで回復していましたから、

 

これから、高速道ドライブでは60km程度は安全圏内です。

 

行く先は、神奈川県横浜市方面であります。

ゲートイン!さらば東京!!またの機会に!!!

 

首都高速道路1号羽田線に合流して行きます。

「歴史
1962年(昭和37年)12月20日 : 浜崎橋JCT - 芝浦出入口開通。
1963年(昭和38年)12月21日 : 芝浦出入口 - 鈴ヶ森出入口開通。
1964年(昭和39年)8月2日 : 鈴ヶ森出入口 - 空港西出入口開通。
1966年(昭和41年)12月21日 : 空港西出入口 - 羽田出入口開通、全線開通。
1989年(平成元年)12月16日 : 大井JCT新設。
1990年(平成2年)4月16日 : 羽田可動橋完成。
2017年(平成29年)9月14日 : 東品川桟橋・鮫洲埋立部更新事業に伴う造り替え工事のため、上り線・東品川付近をう回路に切り替え。
2018年(平成30年)
5月14日 : 羽田入口(上り線)が長期間閉鎖(料金所設置工事のため)。
5月20日 : 平和島本線料金所廃止。
2019年(令和元年)
5月31日 : 羽田入口(上り線)の閉鎖解除。
11月30日 : 平和島本線料金所の解体工事のため平和島PAの閉鎖(11月30日20時 - 12月22日6時)、平和島入口の乗継措置の終了と、平和島入口新料金所への切り替えに伴う平和島入口の閉鎖を実施。
12月1日 : 平和島新入口料金所供用開始。
12月22日 : 平和島PAの再供用開始。
2020年(令和2年)6月16日 : 下り線・東品川付近を更新線に切り替え(将来の上り線を暫定的に下り線として使用)。」

(出典:ウィキペディア「首都高速1号羽田線」首都高速1号羽田線 - Wikipedia

芝浦入り口から1号羽田線へと、合流して行きます。

 

地図にて場所確認しましたところ、

 

この辺りは

 

江戸時代に干拓が始まった港区海岸から

 

新橋横浜間の鉄道敷設のため埋め立てられた高輪突堤を起源とする港区港南に差し掛かるエリアとのことです。

いわゆる2階部分を走る1号羽田線の

 

更に上のいわゆる3階部分を、モノレールが交差して行き

 

この後、羽田空港エリアに差し掛かるまで、

 

首都高速道路とモノレールとが平行して伸びていくこととなります。

この辺りの地理感を養うため、

 

周辺の鉄道最寄り駅などを確認していましたが、

 

この辺りは、品川駅だけが最寄り駅となるようです。

 

そこそこ、広いエリアであるようですが、

 

埋め立て地

 

という関係もあるのでしょうか

 

品川駅よりも東にある港南エリアには

 

地下鉄や私鉄が存在しないことは、意外でした。

 

だからこそ

 

次に紹介する鉄道路線が、今後、重要性が増すのではなかろうか、と勝手に予測する次第です。

モノレール線と平行するような状況になり、

 

程なく、また別の高架状の構造物が迫ってくる、鉄道高架橋のことです。

 

 

「東海道貨物線とは、

東海道本線の浜松町駅 - 東京貨物ターミナル駅 - 浜川崎駅間の貨物支線、

南武線の浜川崎駅 - 八丁畷駅間の支線(南武支線)、

東海道本線の鶴見駅 - 八丁畷駅間、鶴見駅 - 横浜羽沢駅 - 東戸塚駅間の各貨物支線、

および東海道本線の東戸塚駅 - 小田原駅間の本線で旅客線と並走する複線

から成る貨物線の通称である。

同じく東海道本線の貨物支線である

品川駅 - 新鶴見信号場 - 鶴見駅間(以下:品鶴線)、

鶴見駅 - 東高島駅 - 桜木町駅間(以下:高島線)

を含めることもある。

このうち、

浜松町駅 - 鶴見駅間には「東京貨物ターミナル支線」、

鶴見駅 - 東戸塚駅間には「羽沢線」という通称があり、

さらに、東京貨物ターミナル支線のうち浜松町駅 - 東京貨物ターミナル駅間には「大汐線」(おおしおせん)、

川崎貨物駅(旧・塩浜操車場) - 鶴見駅間には「鶴塩線」(かくえんせん)という通称もあった。

浜松町駅 - 東京貨物ターミナル駅間は1998年より休止状態となっている。

東京貨物ターミナル駅から田町駅付近までは東海道新幹線回送線に併設された複線や橋梁などが維持されているものの、浜松町駅 - 田町駅間では単線が新幹線の脇で放置されており、浜松町駅近辺においては線路や高架橋が撤去された状態である。

撤去部分については浜松町ビルディングの敷地と合わせてJR東日本・野村不動産・NREG東芝不動産が共同で再開発する計画が発表されており、再開発地区と浜松町駅とを結ぶ歩行者専用道路として整備される予定である。」

(出典:ウィキペディア「東海道貨物線」東海道貨物線 - Wikipedia

要するに、現在は休止中の通称「大汐線」を潜(くぐ)っている、ということになるようです。

 

調べて観なければ、このような実態を理解することはできませんでした。

 

てっきり、東海道新幹線の真下を潜って居たと勘違いしていましたから。

大大大都会東京砂漠とその周辺の物流を支えるため、貨物列車輸送は欠かせませんから、

 

このような貨物専用路線の存在は、当たり前のような存在で「あった」のでしょう。

 

それにしましても、現在休止中というのは、甚(はなは)だ、勿体ないことですから、

 

羽田空港と都心とを結ぶ「羽田空港アクセス線」構想が存在し、現在、工事中なのだそうです。

 

 

そうこう(走行)謂うておりますうち、

 

港区港南エリアを過ぎまして

 

人口約42万人の品川区に入ってきました。

 

 

品川区内の東品川エリアに入ってきました。

 

東品川といいましても、可成り広いエリアのようでして

 

只今、我がGミーヴが走っている、京浜運河沿いの人工島は

 

東品川二丁目エリア、通称

 

天王洲アイル

 

と呼ばれています。

「天王洲アイル(てんのうずアイル)は、東京都品川区の臨海部、現行行政地名では東品川二丁目にある再開発街区の通称。郵便番号は140-0002。

東京都品川区北東部の京浜運河、天王洲運河に面した沿岸に位置する。

総面積は約22ヘクタールであり全域が埋立地である。

天王洲運河、京浜運河を挟んで、北側は港区港南4丁目、南側は東品川三丁目、西側は東品川一丁目、東側は東品川五丁目の品川埠頭と隣接する。

複数のオフィス商業複合ビル、商業店舗、飲食店、アートギャラリー、イベントスペースなどからなる再開発街区である。

2010年代以降は芸術文化の発信地をコンセプトとして、地域内に音楽・絵画・フォトグラフ、現代建築など芸術に関連したコンテンツを集積している。

また、同地域のほぼ全域は東京都港湾局によって、東京の水辺の魅力の向上や観光振興に資するため、運河などの水域利用とその周辺におけるまちづくりが一体となり、地域の賑わいや魅力を創出することを目的として地元が主体となった取組みを推進すべき地区として運河ルネサンス推進区域に指定されている。

また、水辺景観に優れているため1990年初頭の完成当時より現在まで、テレビドラマや映画、TVコマーシャルの撮影に頻繁に使われるロケーション撮影の名所になっている。」

(出典:ウィキペディア「天王洲アイル」天王洲アイル - Wikipedia

「江戸時代末期に江戸防衛のため築造された第四台場をベースとして埋め立てが進んだことにより造成された。

1980年代以前は企業各社が倉庫や物流センターを保有する地域であったが、1985年に天王洲の再開発を推進する地権者22社による「天王洲総合開発協議会」が発足した。

協議会による「東品川2丁目(天王洲アイル)マスタープラン」策定、浜松町と羽田を結ぶ東京モノレールとの新駅設置覚書の締結を経て、1988年から段階を追ってオフィス商業複合ビル7棟の建設が進められ、1996年に現在の姿となった。

2015年現在の就業人口は約12,000人であり、2000年代以降は本地域内や周辺地域にもオフィスビルや高層マンションなどが建設され、昼間人口、夜間人口ともに急増した。

また、本地域の水辺にはボードウォークが整備されており、水辺に沿って商業店舗や飲食店も増加、地域フェスティバルである年4回の天王洲キャナルフェスやマルシェなどの地域イベントの定期開催、1992年にオープンした天王洲銀河劇場で行なわれるさまざまな公演などもあり、地域内のオフィスビルに勤務するビジネスマンの他に東京都内や地方からの訪問客も増えて賑わいを見せている。」

(出典:同上)

「1751年(宝暦元年):海中から牛頭天王の面が引き上げられる。これを由来に海域が「天王洲」と呼ばれるようになる。
1853年(嘉永6年):黒船来航に脅威を感じた江戸幕府が急遽品川沖に台場の築造を決定する。天王洲は第四台場を築造する予定地であったが、資金不足のため未完成に終わる。この未完成の第四台場を「崩れ台場」とも呼ぶ。シーフォートスクエア周辺の護岸に当時の第四台場の石垣が残っている
1873年(大正元年):第四台場は緒明(おあき)菊次郎に払い下げられ造船所となる。この頃の台場を「緒明台場」とも呼ぶ。
1925年(大正14年):埋立が始まり、1939年(昭和14年)に完成。第四台場は埋もれ品川と陸続きとなり、埋立地は工場や倉庫の用地として利用が始まる。
1985年7月:地域地権者22社の合意によって天王洲総合開発協議会が発足
1986年10月:東品川二丁目(天王洲アイル)の開発マスタープランを策定。
1991年7月:天王洲ファーストタワー竣工、天王洲エリアサービスの地域冷暖房プラント竣工、供給開始
1992年6月:三菱商事、第一ホテル(現・阪急阪神ホテルズ)、宇部興産による再開発事業、“シーフォート・スクウェア”のオープン。東京モノレールの天王洲アイル駅が竣工、営業開始。
1993年
3月:スフィアタワー天王洲竣工
12月:天王洲セントラルタワー竣工
1994年11月:天王洲オーシャンスクエア竣工
1995年1月:天王洲パークサイドビル竣工
1996年7月:JALビルディング竣工(日本航空の自社ビルとして建設)
1996年10月:ふれあい橋竣工
2001年3月:東京臨海高速鉄道りんかい線の天王洲アイル駅が営業開始。2002年12月より、りんかい線は埼京線との直通運転を開始し、渋谷・新宿・池袋に直通し、交通利便性・知名度が一段と高まった。
2006年2月:東京都の「運河ルネサンス構想」第1号店として寺田倉庫が水上ラウンジwaterline(ウォーターライン)をオープン。
2010年:JALビルディングが日本航空から野村不動産に売却され、「野村不動産天王洲ビル」に改称(JAL本社は引き続きテナントとして入居)。
2012年3月:東横INN品川駅港南口天王洲(現:東横INN品川港南口天王洲アイル)オープン。」

今回は、この辺りの景色から紹介を始めます。

東京モノレールの天王洲アイル駅が、間近に迫りました。

モノレール列車とすれ違ったりもしました。

首都高速でも、最も歴史が深い路線の一つでもある1号羽田線

モノレール路線と平行したり

 

様々な形をした建物を目にしながら

 

神奈川方面へと向けて南下して行きます。

動画でこの辺りの部分のみ、切り取るのも面白いかもしれません。

天王洲アイル駅から暫くの間、

 

この色のモノレール列車とは追いつ・抜かれつな状態となりました。

首都高速道路1号羽田線の制限速度は、時速60kmです。

そして、東京モノレールの運行速度は、時速80kmです。

ですので、駅を出た直後では後ろの方に居た列車が

徐々に我がGミーヴを追い越して行きます。

そうこう(走行)云うておりますうち、

 

向かって左側には海が見え

 

向かって右側には、建設中の高架道路が現れました。

意識して調べたのは、今回が初めてです。

 

どうやら

 

首都高速道路1号羽田線は「更新工事」を実施中のようです。

 

(知らなければ、何時までも、知らない「情報」でした。)

「羽田線 更新工事」とか「首都高 付け替え」とかで調べて戴きますと、色々な情報を目にすることができます。

向かて左手に見える「海」は

 

京浜運河

 

であります。

 

「京浜運河(けいひんうんが)とは、東京都港区田町付近より品川区、大田区、川崎市を経て横浜市鶴見区大黒埠頭まで続く運河の総称。

概要
大田区羽田空港多摩川河口を挟んで北側(東京都側)と南側(神奈川県側)に分かれている。北側はレインボーブリッジ付近から天王洲アイル大井競馬場昭和島付近を通り羽田空港へ続く。南側は川崎港から大師運河塩浜運河池上運河田辺運河との合流地点を通り、鶴見川河口の京浜港付近まで。途中、運河のすぐ脇に海芝浦駅がある。南側運河の方が北側運河より幅広である。南側運河の東側は、すべて人工島である。

歴史
関東大震災後東京-横浜間の海上輸送の重要性が高まり、内務省の臨時港湾調査会が1927年(昭和2年)10月に開削計画を決定。埋立地造成と共に運河を開削することとなった。計画では多摩川河口沖を経て1本の運河となる予定だった(現在は羽田空港などがある)。

橋梁
港南橋
品川埠頭橋
大井水管橋
大井北埠頭橋
八潮橋
かもめ橋
勝島橋
新平和橋
大和大橋」

(出典:ウィキペディア「京浜運河」京浜運河 - Wikipedia

 

 

首都高速道路1号羽田線と

 

東京モノレール羽田線と

 

京浜運河とは

 

南北方向に並行しているエリアが相当区間あります。

「1966年(昭和41年)12月21日 : 空港西出入口 - 羽田出入口開通、全線開通」

(出典:ウィキペディア「首都高速1号羽田線」首都高速1号羽田線 - Wikipedia

 

した1号羽田線は

 

供用開始以来、既に50年以上経過している、いわゆる老朽化路線です。

ウィキ記事にも記載されていますね。

 

「2020年(令和2年)6月16日 : 下り線・東品川付近を更新線に切り替え(将来の上り線を暫定的に下り線として使用)。」

(出典:ウィキペディア「首都高速1号羽田線」首都高速1号羽田線 - Wikipedia

平成最後の大型連休である、2019年4月末では、未だ、従前の下り車線を走行したことになりますが、

 

2020年6月以降、下り線は、完成した新線が供用されているワケですね。

「まち」も<ひと>が造り出したもの。

 

<とき>の経過と共に傷みが進み、同等な新しい「もの」と取り換えられる運命を辿ります。

1400万人の東京都と930万人の神奈川県とを結ぶ1号羽田線。

 

巨大都市が織り成す、壮大なスケールに、圧倒されました。

 

 

首都高速1号という、比較的長い歴史を持つ路線並びに周辺地域の事情を一つでも多く知るため、

 

ゆっくり・じっくり

 

お伝えしています。

 

楊田家Gミーヴ倉敷東京往復ドライブの旅、実質後半戦に突入致しています。

 

 

次回も引き続き、三菱i-MiEV「Gミーヴ」号での(高速)道路EVドライブの模様をお届けします。

 

 

次回もお楽しみに!!

 

<0>5:00倉敷本部0km、98%

<1>5:57山陽道福石PA上り63.5km、41%、6.4kWh消費、63.5km0h57m走行、電費9.92km/kWh、25分5.4kWh充電で82.5%まで回復

<2>7:26山陽道権現湖PA上り58.8(122.3)km、26%、7.2kWh消費、58.8km充電待ち含め1h04m走行、電費8.17km/kWh、25分充電で81%まで回復

<3>8:13山陽道淡河PA上り28.7(151)km、50%、4.2kWh消費、28.7km0h34m走行、電費6.83km/kWh、13分4kWh充電で81%まで回復

<4>8:44新名神宝塚北SA上り15.3(166.3)km、66.5%、1.2kWh消費、15.3km0h16m走行、電費12.75km/kWh、15分3kWh充電で90%まで回復

<5>10:40名神高速草津PA上り73(239.3)km、31%、8.1kWh消費、73km1h35m走行、電費9.01km/kWh、19分6.44kWh充電で80.5%まで回復

<->11:36新名神土山SA上り275.4km×ZE1リーフ2台待ち

<6>11:46新名神鈴鹿PA上り54.7(294)km、26%、草津から5.8kWh消費、0h36m走行、電費9.43km/kWh、30分7.7kWh充電で96%まで回復

<7>13:45伊勢湾岸道刈谷PA上り61.4(355.4)km、41.5%△ZE1リーフ1台待ち、8.6kWh消費、1h01m走行、電費7.14km/kWh、21分6.47kWh充電で89.5%まで回復

<8>14:56東名高速浜名湖SA上り66.4(421.8)km、26%、6.6kWh消費、0h46分走行、電費10.06km/kWh、25分8.31kWh充電で87%まで回復

<9>16:04東名高速牧之原SA上り53.5(475.3)km、33%、6.9kWh消費、0h30分走行、電費7.75km/kWh、25分6.3kWh充電で80%まで回復

<10>17:58東海三菱自動車販売㈱SBS通り中田店45.2(520.5)km、45.5%、4.5kWh消費、1h33分走行、電費10.04km/kWh、21分?kWh充電で90%まで回復

<11>18:52東名高速富士川SA上り36.3(556.8)km、56.5%、4.4kWh消費、0h30分走行、電費8.25km/kWh、24分5.7kWh充電で97%まで回復

☆ホテルルートイン御殿場47.7(604.5)km、60%、消費量不明、電費5.89km/kWh、273分充電で92.5%まで回復

<12>8:10東名高速海老名SA上り54.2(658.7)km、58.5%、4.7kWh消費、0h27分走行、電費7.96km/kWh、23分3.9kWh充電で88%まで回復

<13>8:52首都高用賀PA31.4(690.1)km、59%、3.7kWh消費、0h32分走行、電費8.49km/kWh、20分?kWh充電で88%まで回復

☆10:34東京スカイツリータウン駐車場31.9(722.0)km、66.5%、電費11.39km(!)

<14>12:16三菱自動車㈱本社ショールーム12.6(734.6)km、56.5%、1.3kWh消費、0h30分走行、電費9.7km/kWh、11分2.9kWh充電で83%まで回復

 

エコノミライ研究所

所長 楊田芳樹

 

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ジャパンEVラリー白馬2018の思い出1(2018.9.22)

 

ジャパンEVラリー白馬2019の思い出2_エコノミライ研究所メンバーそれぞれの旅立ち(2019.9.14)

 

 

<蛇足「えこの弐」とは>

エコノミライ研究所のブログを最初からお読み下さっている方々には、説明不要かもしれませんけれども

過去記事がありますので、リンクを貼っておきます。

 

ご参考になれば幸いです。

HハンドルNネーム、e-NV200について(2017-09-09)

 

<蛇足「Gミーヴ」とは>

エコノミライ研究所所長楊田が所有する2011年11月マイナーモデルチェンジタイプの三菱i-MiEVのGグレードのことを言います。楊田はこのクルマを2012年11月に購入選択権付きリースにて導入し、5年後の2017年10月末に残価を支払い、完全所有の形で2020年10月現在も所有し続けています。

我がGミーヴについて(2017.7.10)