3週間の南半球出張シリーズの最後は南アフリカでした。
南アフリカの「ヨハネスブルグ」で、インターネットを探すと「凶悪都市」という雰囲気がひしひしと伝わってきます。実際のところ、普通の現地人も、
Central Business District
(CBD)と呼ばれる中心街には足を運ばないし、外務省の海外安全情報によれば、CBDには「行くな」と勧めています。
さて、どんなところなんだろう?と、恐る恐る向かったヨハネスブルグ。実際のところ、CBDには一歩も近づかず出張が終わりました。
CBDにあった、ビジネスは郊外にほとんど引っ越してしまっていたのです。現地の人に聞いてみると、残っているのは「政府関連だけ」と言われました。アメ
リカは郊外に会社をど~んと建てるのがかなり普通なので、アメリカの郊外のビジネス団地と、ヨハネスブルグの郊外のビジネス団地ではたたずまいはあまり変
わりません。実際私が訪れたオフィスの窓の外にはきれいな緑の広がるゴルフコースが見渡せ、家々が散在していて、その部分の写真を撮ってアメリカの中西部
の郊外です…と言われたら信じてしまいそうな景色でした。
そして、人々のライフスタイルもアメリカの郊外と変わらないのです。ショッピングモールに出かけてお買い物。ヨーロッパやアメリカのブランド品のお店が並
び、その一角にはスーパーも併設されていて、人々は車でお買い物を楽しみにやってくると言う訳です。モールを歩いている人の人種は千差万別。南アフリカが
コスモポリタンな街であることを改めて知らしめてくれました。
アパルトヘイトが撤廃されたのが1994年。そこから20年近くが経ちます。街中には様々な色の人達が混じり合っています。けれども、実際のところ「経済
力」という見えない壁が厳然と立ちはだかっているという気がしました。私が見たのは、おそらく昔で言うところの白人社会です。もちろんいろいろな肌の色の
人達が入り交じってはいますが、経済力のある人の社会です。そして、そういうところには低所得層は入り込みません。それなりの移動手段がないと来られない
場所であり、その玄関にはセキュリティが幾重にも目を光らせているからです。
同僚が高速道路を通っているときに、くぼんだところにひしめいて家の建っている場所を指差しました。
「あそこのタウンシップはとても悪いところ。絶対行かない」と。
それに、飛行機の滑走路の本当にすぐ隣り、飛行機がタッチダウンする寸前のもの凄い爆音のするであろう場所に、マッチ箱の様な建物が暗く沈んでひしめいていたのも目にしました。
肌の色による差別はなくなったけれど、富の再配分は起きていないし、貧しい人はそのまま貧しく貧しい地域にひしめいているのです。
どうして、CBDが勢いを失ってしまったのか…それは、裕福な人と貧しい人が混じり合う場所だったからだと思います。虐げられて来た人が「仕返し」を正当
化し、それを嫌った富裕層が逃げ出した…そういうシナリオだと思います。富の再配分が暴力と略奪というカタチで行われてしまった残念な結末です。
そして、この富の再配分…あるいは低所得者層を中流に押し上げる力が働きにくい背景は二つある様に思いました。
一つは教育、一つはHIVです。
人口の7割方が残りの白人に比べて教育の機会も投資も得られずに育って来てしまっています。それなりのビジネスポジションがあったとしても、その仕事に就
けるだけの教育が備わっていないのです。そして、いざ教育…となっても、非常に高いHIVの感染率が仕事の幅を狭めます。例えば看護学校の入学にしても、
応募者の3割がHIVポジティブで入学することが出来ない…そんな現実があるのです。
南アフリカはHIVの感染率が世界で一番高いところです。おそらく低所得者層の感染率は高所得者層より高いでしょう。
失業率が3割、HIVポジティブの人が2割程度いると考えられていて、教育がある人が少数派という現実…ここから中流層を作って行く経済力と教育のための投資と仕組みを作り出すのは容易なことではないと…1週間程度滞在しただけの私でも想像がつきます。
結局のところ、「無知な人々を作ってしまった」というアパルトヘイトの政策のツケを今利息付きで払っているのだろう…と、思います。
それでも、人々はポジティブでこれから国が栄えて行くであろううきうきした気分がありました。日本が直面している問題とは種類が違うので、もちろん比較は
出来ないことは十分承知ではありますが、南アフリカが乗り越えなければならない問題に比べれば日本の問題は小さい様に思うのでした。
「どうせ」としらけている場合ではない…
私はそう思いますし、世界にもっと目を向けてもらいたいなと思うのでした。
南アフリカの「ヨハネスブルグ」で、インターネットを探すと「凶悪都市」という雰囲気がひしひしと伝わってきます。実際のところ、普通の現地人も、
Central Business District
(CBD)と呼ばれる中心街には足を運ばないし、外務省の海外安全情報によれば、CBDには「行くな」と勧めています。
さて、どんなところなんだろう?と、恐る恐る向かったヨハネスブルグ。実際のところ、CBDには一歩も近づかず出張が終わりました。
CBDにあった、ビジネスは郊外にほとんど引っ越してしまっていたのです。現地の人に聞いてみると、残っているのは「政府関連だけ」と言われました。アメ
リカは郊外に会社をど~んと建てるのがかなり普通なので、アメリカの郊外のビジネス団地と、ヨハネスブルグの郊外のビジネス団地ではたたずまいはあまり変
わりません。実際私が訪れたオフィスの窓の外にはきれいな緑の広がるゴルフコースが見渡せ、家々が散在していて、その部分の写真を撮ってアメリカの中西部
の郊外です…と言われたら信じてしまいそうな景色でした。
そして、人々のライフスタイルもアメリカの郊外と変わらないのです。ショッピングモールに出かけてお買い物。ヨーロッパやアメリカのブランド品のお店が並
び、その一角にはスーパーも併設されていて、人々は車でお買い物を楽しみにやってくると言う訳です。モールを歩いている人の人種は千差万別。南アフリカが
コスモポリタンな街であることを改めて知らしめてくれました。
アパルトヘイトが撤廃されたのが1994年。そこから20年近くが経ちます。街中には様々な色の人達が混じり合っています。けれども、実際のところ「経済
力」という見えない壁が厳然と立ちはだかっているという気がしました。私が見たのは、おそらく昔で言うところの白人社会です。もちろんいろいろな肌の色の
人達が入り交じってはいますが、経済力のある人の社会です。そして、そういうところには低所得層は入り込みません。それなりの移動手段がないと来られない
場所であり、その玄関にはセキュリティが幾重にも目を光らせているからです。
同僚が高速道路を通っているときに、くぼんだところにひしめいて家の建っている場所を指差しました。
「あそこのタウンシップはとても悪いところ。絶対行かない」と。
それに、飛行機の滑走路の本当にすぐ隣り、飛行機がタッチダウンする寸前のもの凄い爆音のするであろう場所に、マッチ箱の様な建物が暗く沈んでひしめいていたのも目にしました。
肌の色による差別はなくなったけれど、富の再配分は起きていないし、貧しい人はそのまま貧しく貧しい地域にひしめいているのです。
どうして、CBDが勢いを失ってしまったのか…それは、裕福な人と貧しい人が混じり合う場所だったからだと思います。虐げられて来た人が「仕返し」を正当
化し、それを嫌った富裕層が逃げ出した…そういうシナリオだと思います。富の再配分が暴力と略奪というカタチで行われてしまった残念な結末です。
そして、この富の再配分…あるいは低所得者層を中流に押し上げる力が働きにくい背景は二つある様に思いました。
一つは教育、一つはHIVです。
人口の7割方が残りの白人に比べて教育の機会も投資も得られずに育って来てしまっています。それなりのビジネスポジションがあったとしても、その仕事に就
けるだけの教育が備わっていないのです。そして、いざ教育…となっても、非常に高いHIVの感染率が仕事の幅を狭めます。例えば看護学校の入学にしても、
応募者の3割がHIVポジティブで入学することが出来ない…そんな現実があるのです。
南アフリカはHIVの感染率が世界で一番高いところです。おそらく低所得者層の感染率は高所得者層より高いでしょう。
失業率が3割、HIVポジティブの人が2割程度いると考えられていて、教育がある人が少数派という現実…ここから中流層を作って行く経済力と教育のための投資と仕組みを作り出すのは容易なことではないと…1週間程度滞在しただけの私でも想像がつきます。
結局のところ、「無知な人々を作ってしまった」というアパルトヘイトの政策のツケを今利息付きで払っているのだろう…と、思います。
それでも、人々はポジティブでこれから国が栄えて行くであろううきうきした気分がありました。日本が直面している問題とは種類が違うので、もちろん比較は
出来ないことは十分承知ではありますが、南アフリカが乗り越えなければならない問題に比べれば日本の問題は小さい様に思うのでした。
「どうせ」としらけている場合ではない…
私はそう思いますし、世界にもっと目を向けてもらいたいなと思うのでした。