竹井さんのセミナーを拝見して…

持ってるお金の投資ポートフォリオを全く見直してなかったことに気がつき…

引退(ってまだ先だけど)後悠々とくらすための青写真もないよなぁ、と言うことに気がつき…

私はMBAでFinanceとAccountingの専攻であったことを思い出し…

知識があるのに、漫然とお金の管理してたらダメっしょ

ということを深く恥じたのでした。

ちゃんとファイナンシャルプラニングしようっと。
これを思っただけでも、無料のセミナー見た甲斐がありました。
テーマを「ビジネス」ではなくて「生き方」にしてみました。

正確にタイトルを書くと

たった1度の人生を大爆笑しながら大成功するための"お金の授業"オンラインライブ
http://daifugo.jp/fx/lesson/lesson1/

と言うセミナーが無料でオンラインで公開されています。31歳でFXのトレーダーであり、社会投資家である竹井さんが講師のセミナーですが、おそらくこのセミナーのお願いは、「大富豪を目指す志のある人に、原資を作るために1月にFXで10万稼ぐにはどうしたらいいか?」という物であったろうと想像します。

けれど、セミナーの内容はFXの技術論に走るのではなくて、「成功する人」に共通する、思考の枠の外し方から入っていきます。そして、このセミナーの根底にあるものは
「お金を稼ぐだけではなくて、そのお金で何をするか…」ということを考えてお金を稼いでほしいという願いだというのも明快です。

むしろ「引き寄せの法則」や「ライフスタイル」のセミナーと読んだ方が良いかもしれません。

若干31歳ですが、行動力と根気よくやりきるという規律に裏打ちされた知性で非常に多様な経験と洞察をもたれた方です。とても面白いセミナーですので、是非ご覧になることをお勧めします。




面接三昧の一日を終えて、私は久しぶりにKさんと会いました。

会う場所は渋谷のとある和食店です。このお店には2011年の年末にたまたま私が選んで二人で出かけました。そのお料理が美味しいのと店長の接客が非常に気持ちよいので、二人ともファンになったのです。だから二人で会おうという時は、どちらから切り出さなくても

「あそこにしますか」

という暗黙の了解がありました。今回も「あそこにしますか」と言うことで、でかけたのです。

Kさんは、他のビジネスの海外推進部に異動して、4ヶ月が経っていました。彼の元々の希望だった「海外と繋がる仕事」ということで、楽しく仕事としているだろうと思っていました。すると、Kさんはこんなことを言ったのです。

案件ベースで動いているばかりで、どういう戦略でどういう方向に動いて行きたいのかビジョンがないんだ…と。

そのグループ自体には販売責任金額がないので、控えめなビジョンでそのグループを運営するとしたら、「日本と海外を繋ぐお手伝いをする」という案件ベースで手を結ぶのを手伝ってニコニコしていればいい…というグループになってしまいます。

けれど、Kさんはそんな控えめなビジョンで動くグループに満足出来なかったのでした。
「海外の現地の様子を見ていたら、海外の責任者とどういう戦略で仕事をしていくか」という相談をして、その戦略を実行するための計画を持つべきだろう…と。

Kさんは言いました。
「ここではじめて、えびのりに心から感謝出来る様になったよ」 
と。

私たちが一緒に仕事をした最後は、ビジネスプランの作成でした。それを実行に移すことなく私が去って行ってしまい、彼一人でそのプランの実行を上司のサポートもなしに突き進んで行ったことで、彼の悲劇と苦痛が続いた訳です。

それに、ビジネスプランの作成自体も、時間が足りなかったので、
「ごめん、振り回したくないんだけど、時間がない。丁寧に説明出来ないけど、私が全速力で走る。これに振り落とされない様について来て!」
という乱暴なものだったのです。大枠のプランを徹夜で何日も缶詰状態で作り、海外とのタッチポイントを駆け抜けて、Kさんを主要な人達に売り込む、そして現地に居る間にアクションプランをまとめていく…という、今自分で振り返っても「無茶したよなぁ(苦笑)」という様なものだったのですね。

もちろんきれいなプランとプレゼンテーションを作るだけで終わるのであれば、そんなに時間が押さなかったのですが、Kさんが実行しやすい様に私の人脈を全て彼に共有することも、プランを作るのと同じかそれ以上に重要なミッションでした。もう最後はふらふらで、Kさんも随分と文句たらたらだったのです。

プランの作成から実行…私の後任からは全くサポートされなかったけれど、本社や現地からは一枚岩のサポートで乗り越えていった…Kさんの道のりは、トライアスロンも真っ青な険しいものでした。そもそも、彼がこの道を…私と一緒に仕事をするという選択肢を…選ばなかったら、彼はそんなに大変な思いをせずに、小さなグループのマネージャーとしてそれなりに楽しい日々を送っていた筈だったのです。

「大変だったし、そもそも異動しなかったら、昔のところで楽しく仕事してただろうし、その方が給料も高かったんじゃないか…って思う。でもね、今海外推進部に来て、あの時の筋トレが並のトレーニングじゃなかったんだって、あれで成長できたんだって、本当によくわかる。だから、初めて心から感謝出来る様になったよ」

Kさんはそういいました。

私のことを常に想っていてくれて、恨みがましいこともほとんど言わなかったけれど、ここでやっと、その辛かったことを正直に打ち明けられる位、そのことが良かったといえる様になった…と、言うことだったのです。私は感謝されたこと自体よりも、彼がそうやって辛い経験を乗り越えて消化することが出来たことをうれしく感じました。

私はその日の面接三昧の話をしました。彼は
「面白そうだねえ」
と、前向きです。

お互い20年以上同じ会社に居るのですから、今の会社への愛着やそこで築いて来た有形無形の財産を後に残して新しい場所へ移るのは当然大きな決断となります。

私は今の仕事に関しては内容はとても楽しいので、「文句たらたらだから他を探す」という心理状態にありません。だから、「ここでそれを全部後ろに置いて行くのかぁ…」というのは、自分で動いていてなんですが、「え、そうなの?今?」みたいな、戸惑いも否めないのです。

そんな私より、Kさんの方がそういう新しいところへ移って行くことに対して、むしろハードルは低い様でした。

「家族もあるし、この会社での20余年の財産もあるし、移るってこと自体オプションなの?」
私は正直に尋ねました。この質問は実は初めてではもちろんないのですけれど…。

「あと10年だろ?」
Kさんはいいました。「その後は引退迄はその10年の勢いで走りきるんだよね?」

そうなのです。私は彼より2つ年上ですから、「あと7~8年」と思っていました。Kさんと仕事をする時期を先延ばしにすればする程、一緒に出来ることは減って行くのです。

「やりたいことやればいいじゃん…。人生いつ終わるかわからないんだよ」

私の主体意識ではない別の私が心の中でつぶやきました。

「じゃぁ私が転職したとして、Kさんが仮に転職しないって言う決断を下したとしても、私は文句言わないから。」
私がそういうと、Kさんは
「入ったはいいけど、使えない奴になったらどうする?」
とにんまりと笑いました。

「そうならない様に筋トレさせるから、その可能性はないな」
私もにんまりと笑い、杯を合わせました。





お久しぶりです。1週間程日本に出張に出かけていました。ちょうど出張中にアメリカではMemorial Dayという戦没者記念日のおやすみが入っていました。アメリカでは祭日はほとんどありません(公共機関はもっとあるんですけどね)。私の勤める会社の場合、元旦のおやすみの次がメモリアル・デーで、実に5ヶ月位祭日がない訳なのです。
ですから、メモリアルデーの祭日の週には1週間おやすみをとってバケーションをする人も多いんですね。

出張が理由でその貴重なおやすみを休めなかった私は、日本で一日プライベートの時間を取ることに決めました。今年に入ってから海外出張ばっかりで、週末も仕事の延長線上で休まる日が少なかったので、「のんびりする」ことを体もココロも欲しているのが判っていたからです。

ところが、結果的にはその一日のプライベートの時間はとても忙しい一日になってしまいました。

出張に出向く直前に、あるリクルート会社からコンタクトがあったのです。その会社とは1年以上前に「まだこれからって言うポジションも発表になってない案件なんだけどね…」みたいな、あるんだかないんだかよくわからない案件でアプローチされ、それが進んでるんだか進んでないんだか判らないまま音信不通になっていました。なので、久しぶりにコンタクトがあって、

「あれ、これって誰だっけ?(汗)」

と、過去のメールを探してみて、読んでみないと判らない位記憶からさっぱり消えていたのでした。

「たまたまだけど日本に出張に出かけるんだけど、少し時間が自由になる日があるんだけど」
という連絡をして、とりあえずそのリクルーターに会うことにしたのでした。

タイミング…というのはあると思うのです。

リクルーターの仕事というのは、クライアント(採用する会社)との関係をしっかりと作り、競合よりも一早く新規採用の情報をゲットするのが生命線です。そして、その案件に合いそうな人をどれだけ迅速に選んでマッチングをするかが仕事です。ですから、私が「日本に居て時間があるよ」と伝えてから、リクルーターの行動は迅速でした。

2社の面接をアレンジしてしまったのです。

こうして、私はリクルート会社の面談の他に本当の会社との面談も2社行うことになってしまいました。全て都内ですが、並んでいる訳ではもちろんありませんから都内を右往左往することになりました。


一次面接は、人事の担当者か、そのポジションの直属の上司のどちらかが普通です。私が話をしているポジションはいずれも部門長ですから、その上の人となると、会社の取締役だったりあるいは社長、人事担当者と言っても人事部長相当の人が一次面接になります。

1社はいきなりの面接が社長との一騎打ちでした。
結果的に話が非常に弾み、1時間程度と思っていた面接が1時間半になり、人事部の部長にも会ってほしいということで、翌日の朝にも面接を設定することになったのです。

今の仕事内容は楽しいのです。けれど、上司やそのレベルの人達の機能不全で、本来だったらしなくて良い苦労まで背負い込み、更には後ろから刺される可能性を常に心の中に抱えておくというのが、正直負担になってきています。そして、しっかりとした組織を作ってどこまで行けるのか試してみたいという希望はやはりセールスがしっかり居て実行に移せる部隊が自分の配下にないと達成出来ません。

こうして、たまたま日本での一日を開けておいたことで、私はどうやら新しい流れを作ってしまった様です。そうして、自ら動きながら更に新しい流れを作って行く…どこにたどり着くかはまだ判りません。



今日は一日長期的な戦略を部下の皆さんと考えました。濃密なディスカッションだったので、帰って来てから食事をしたら疲労感でばったり倒れる位だったのですが、本当に本当に

自分の世界は自分にしか見えないんだなぁ…

あるいは

話が通じない人には、どうやっても話が通じないなぁ…

という実感をしました。


部下の一人はとても自己顕示欲の強い人です。大学時代(ってもうもの凄く前の話ですが)に非常によい大学を出て、奨学金をもらってアメリカに留学し、そのままアメリカで仕事をしているという人です。頭の回転はすなわち早いのですが、スポットライトに当たっていたい…と、余りに思考の中心が「自分」なため、周りからなかなか受け入れてもらえません。
結局どういう風になるか…というと、

スポットライトが当たるセミナーの講師の役を、社外の講師を立てる程のイベントでない時に、お願いされてその講師をする…だけしかやらせてもらえないんですね。

やらせてもらえない役回りは具体的に言うと、
そのセミナーに至る迄の企画や、そのセミナーの後のフォローアップに対する戦略やプログラムを作ること、実際にメンバーとして参画すること

そういうことには参加させてもらえないのです。

講師しかやらせてもらえない本人から見たら、
「○○さん達は、自分のやりたい様にしか企画しない。自分の意見を言ったって無視されるだけだ」
という風になってしまうのです。

そして、小さなプログラムでもスポットライトを浴びる役回りをもらえるので、
「自分のやっていることはスゴイ価値のあることで、お客さんも喜んでいる!」
ってなるんですよね。

彼と一緒に働いている企画している人からしたら、
「社外の講師を立てる程大きなマーケットでもないから、彼に講師をしてもらって、後の関係構築とか戦略的な部分は自分たちでやろうぜ」というとことが、本音なのです。

という部下を持つ私は、彼のリミッターを外す必要があります。なので、戦略的なプログラムのディスカッションをしよう…と試みたのですが、全て

「あなたの言っていることは全てもう自分はやっている!一緒にセミナーに来てくれれば判る筈だ!」

の一点張りで、過去のそういう小さなセミナーの写真の羅列を見せるばかり。自分が何をやっているのか、何がセミナーのポイントなのか説明も出来なければ、それを普遍的なプログラムに落とし込むことも、「自分は良くやっている!」の壁が阻んでしまって出来ないんですねぇ。

因果応報なのかなぁ…

と、心底思いました。そして、

彼の見る世界と私の世界の接点はほとんど無さそうだ…

とも。

この関係が変わるためには周りが彼に合わせてあげるのか彼が変わるのか…しかない訳ですが、観察していると、そもそもが彼の「自分が自分が」という自己顕示欲にある様に思えるので、彼の方がある意味自分を一旦横に置いてくれないと始まらない様に思うのです。

このままだと、私自身も彼の今迄の使われ方位しか、彼を活用する方法が思いつけません。 頭痛いです。

本当にThe more you give, the more you get (多くを与える程、より多くの物を得ることが出来る)だよなぁと思う次第です。


それと同時に、きっと彼の様な「スポットライトに当たりたい」という部分は私にもあって、それが譲れなくて摩擦を起こす場面もあるんだろうなぁ…と、謙虚になってみたり。

そいう「問題児」がそばに居ると、これは我が身へのメッセージでもあるぞ…と思うのでした。

まぁそんな学びのステージを経ているというお話でした。


久しぶりに仕事でイライラすることがあって、最近感じたことのなかった疲労感…それに、ストレスからか急に太ってしまいました。この変化は余りに劇的だったので、自分自身も驚いてしまった位です。

さて、どんなことでイライラしたのか書いてみたいと思います。

先週は世界中からエリアの責任者が集まってきて、ビジネスの戦略を練る会議の週でした。会議は5月ですが、毎年行われているものですし、この週に会議をする…というのはもう随分前から決まっていたのでした。

その会議の2週間前の金曜日のことです。上司が
「会議のアジェンダ作らなきゃ」と言い出しました。

私に言わせれば、遅すぎです。わざわざ世界中から招集するのですから、しっかりと準備をしておく、宿題が必要ならそれを伝えておくべきだと思うのです。ですから、上司が言い出さないのをいぶかしく、そして半ば諦めつつ、「どうするのかなぁ」と思ってたんですよね。

金曜日は私は他の会議等で終日忙しく、他の人達とまとまりのない会議のアジェンダを作って終わりになりました。何がしたいのか、どんな戦略なのか全く判らない会議の項目がただただ並んでいました。

結局何がしたいのか判らず、翌週に。本番の1週間前です。

なんと、上司は休暇を取り海外旅行に出かけてしまいました。

これだけでまず、ぶち切れましたよ。私。

世界中から人集めておいて、何をしたいのか相談せず、ぎりぎりに適当に相談して、何にもしないで海外旅行に出かける………

私のプロとしての価値観からは、どう考えても「あり得ない」訳です。それも、下っ端じゃぁないんですよ。もの凄い給料もらってる責任者です。余りの責任感のなさに愕然としました。

そして、なんとか意味のある様に、自分で仕切る部分をアジェンダに押し込んだ私ですが、今度は
「全体との整合性が必要だから中身を教えろ」
とうるさくメールしてきます。そもそも、全体にテーマが全くないのですから、整合性も何もあった物ではありません。

そして、ぎりぎりまでどうなるか判らなかったので、私の仕事も押され、ぎりぎりまで仕事をしてプレゼンテーションを間に合わせました。

更には、中身を理解出来ないので、部門毎の発表の際に私に発表させる…というのです。

ここまで来たら、仕事しないにも程がある…と、思いませんか?


怠けている訳じゃぁないんですよね。なんか一生懸命やっているのです。むしろ、本当に忙しくて…心が亡くなってるんです。

それもどうしてそうなるかというと、自分の上司のために何をすべきかしか考えてなくて、ビジネスの本質を理解しようとしないからなんですね。なので、お客様に対しても「それはどうよ?」と言う様なことを平気でやってしまう。上司が「あれはどうなったの?」と言えば、それが常に最重要項目になってしまう…。だからいつ迄経っても仕事を覚えられないんです。

まぁ不幸中の幸いは、それだけ自分を上司に捧げる人ですが、部下に同じことを求めないことです。まぁ取り柄はそれだけ…とも言えますが。


でも、今回は余りにあんまりでしょ!ということで、ぶち切れた訳ですね。

その騒動の1週間が終わり、少し落ち着く時間を持った後…思いました。状況に合わせての対応しか出来ない上司の生活は決して楽しいものではないと思います。部下のほとんどが、上司のリーダーシップに疑問を持っていて、「これってどうよ」と思っている状況ですから、そんなに遠くない日に何かの力が働いて、上司にとってももっと楽な場所に動いて行くのじゃないかと思います。

イライラするのは私の時間の無駄ですし、私がイライラしたって上司の態度や理解が変わる訳ではありません。まぁ、そう考えても、時々は

「信じられない!あり得ないでしょ!」

と、ぶち切れるのが人間というものでしょうかね(^^;;)
今週は来週いろいろミーティングがあるので、その準備やら何やらで超忙しい1週間でした。月曜日をおやすみしたにも関わらず、気持ちの上で余り休まらなかったです。

今日も朝から「さあ、どうする!」とせわしない状況でした。朝、月曜日のミーティングの打合せに会社に行き、昼前に別のオフィスに移動して会議、更にはラッシュアワーをすり抜けて家に帰り、着物に着替えてホスピスの資金集めのためのパーティに出かけるというせわしない予定だったからです。

さて、そわそわと午後のミーティングの準備をしていたところに、携帯電話が鳴りました。ホスピスのボランティアコーディネーターからでした。

「担当されていた患者さんが今朝息を引き取りましたよ」

ホスピスの担当者から電話…とくれば、次に来る言葉は「最期です」か「亡くなりました」のどちらかです。

「そうですか。」

「最期は非常に安らかだったとのことですよ。お悔やみのカードに名前書いておきますね」

「ありがとうございます。安らかだったと聞いて安心しました。」

それ迄の忙しなさが、一気に引いて、「明日何時頃行こうかなぁ」と、考えていた部分に小さな穴があいた気がしました。

今回の患者さんも平均の2週間でした。

「『次はいつ来るの?』って聞かれたから、『土曜日』って答えたのに、待ってくれなかったね」

小さな穴からそんな想いが漏れました。


でも、手をつなぐことで私のことを認識してくれた、そして「いつ来るの?」と、言ってくれたこと…これは私にとっての宝物になりました。

もう少しレイキのプラクティショナーとしてのボランティアを前面に押せる様な依頼があるか聞いてみようと思います。

素敵なプレゼントをありがとう。

今日は午後3時位まで冷たい雨が降り続くあいにくの天気でした。
その冷たい雨の中、ホスピスの組織の年会に出席し、お昼ご飯を頂いてから、患者さんを訪問しました。

情報によれば、寝ている時間が長いという認知症がかなり進んだ状態の患者さんなのですが、訪問したときは車いすに乗ってリビングルームに座っていました。

とりあえず「こんにちは」と声をかけてそばに腰掛けてみます。反応はありません。そして、何やら独り言を時折話すのでした。

今日は「起きていたら、手を握ってみよう」と決めていたので、ゆっくりと手を差し出して患者さんの右手を両手で包みました。流そうと思わなくてもレイキはスイッチオン!です。(長そうと思わなければ思わない程流れちゃいます)手がどんどんと温かくなっていきます。

片手で手を握りながらもう片方の手で、患者さんの手の上で子供を寝かしつけるときの様にゆっくりとリズムをとりました。時折不随運動で体がかくっとなるのですが、それが徐々に減っていきました。

患者さんは時折、昔の話やら施設の話を口にします。こちらを見ることはありませんから、私じゃない誰かに話していたのかな…と思っていました。(ただ、今振り返ると私に説明していた気がします)

そんな感じで40分位静かに手をつないでいましたら、患者さんが話すのではなくて歌い始めた気がしました。どんな歌か判りませんから、私はなぜかとっさに「チューリップ(咲いた 咲いたチューリップの花が…)」ではもりました。

すると、「のどが乾いた」と私に言うのです。
そこで、スタッフの方にジュースを用意してもらい、ジュースを飲んでもらいました。更に「次はいつ来るの?」と私に尋ねるのです。
「来週ね」
「そう。本当によかった」
「ジュースが美味しくてよかったね」
「ありがとう。あなたはいい人ね」

それ迄のコミュニケーションが成り立たなかったことが嘘の様に話が通じたのでした。

びっくりしてしまいました。もちろん認知症の状態はよくわからないときと判るときが交互に来るらしいので、たまたまその状況が転換しただけかも知れません。過度な期待もすべきではないことも承知しています。

認知症の患者さんの世界は、我々がそれをかいま見ることが出来たとしたら摩訶不思議な世界かも知れません。だとしても、患者さんが見えている世界はある筈なのです。その患者さんの世界と私たちの世界の間のリンクが今迄の様にはいかなくなっている…そういう風に考えると何となく納得がいきます。

限られた方法でしか繋がることが出来ない人に、言葉ではない肌のぬくもりでも話しかけるのは、理屈じゃないけれど理に叶っている気がします。

また来週お会いしましょうね
ホスピスのボランティアで新しい患者さんの訪問を始めました。
前回の患者さんと同じ長期療養施設です。
97歳で認知症が進行中、ほとんどの時間を眠って過ごされている…そんな状況です。

前の患者さんも認知症の進行と眠っている時間が長いという人でした。そういう患者さんを訪問しても、大体の場合「眠っている」という場面になるだけです。

じゃぁ、そのときどうするか…。

私は静かに30分間ベッドサイドに座ってから辞去する自主ルールを作っています。その間、部屋の邪気切りをレイキでして、患者さんにも触らずにレイキも流します。

もちろん患者さんは眠っている訳ですから、私が来たこと等知りません。それに、起きていたとしても認知出来るかどうか、本人以外知ることは出来ないでしょう。

意味ないじゃん…

と、ここ迄読んで思った方もおられるかも知れません。

私は、こういう患者さんを訪問するのは、実は家族のためじゃないか…と思っています。

患者さんのお部屋にはノートが置いてあって、様々なホスピスの関係者が「メモ」を残していくことになっています。それを読むと、例え患者さんから反応がなかったとしても、訪問者が患者さんのことを思っているか…が伝わってくるのです。

大事な人の最後に、色んな人が気を配ってくれている…そう思うだけで、残される家族の心は多少は癒されるのではないかと思うのでした。

さて、昨日の訪問、たまたま患者さんのお嬢さんの訪問時間と重なってしまい、自己紹介をしただけで辞去しましたが、療養施設の訪問は普段家族と最初の自己紹介の電話以外で面識を持つことはほとんどないので、お会い出来て良かったと思っています。


ホスピスのボランティアをしているNPOが初めて、ホスピス専用の建物を作りました。そのこけら落としが今年のはじめに行われたのですが、その建物でお世話になるには一日$400ドルかかるそうです。

もちろんフル24時間サポートで、安らかに最後の時間を過ごすことが出来る訳ですが、全員がお金を払いきることが出来るとは限りません。

毎年このNPOの資金集めにディナーが行われるのですが、今回は特にそのホスピスの建物にいる人のための資金調達を目的に行われるそうです。

日程的に行けるので、出かけてみることにしました。一人$125ドルのところ、ボランティアは$90とのこと。食事代等を差し引いたものが団体への資金となります。
ドレスコードはカクテル。…ということで、着物着ていこうと思っています