仕事のペースを今の半分にしたとしても、おそらく文句を言われる様なパフォーマンスにはならず、プライベートの時間もしっかりとれて、お給料も申し分なくもらえる…どう考えても楽が出来る状況が目の前に広がっているのに、その生活を選んだら後で絶対に後悔すると感じてしまう…

これ以上贅沢な悩みってあるでしょうか。

「じゃぁ何をしたいんだ?」
というと、「思いっきり志が同じチームを作ってどこまで行けるか見てみたい」んです。

これについても散々検証しました。2年前には部下0でプレーイングマネージャーとして始め、今は4人。志的にはかなり近い人達が集まって来ています。

「どこか他でグループを始めるのじゃなくて、今居る人達で始めればいいじゃない…?」

まさにその通りなんですよね。

「えびのり、ないものねだりはいけません。今あるチームを強くするのが貴方の責任じゃないですか?」
それも、その通りなんです。

その観点から、まぁ散々検証しまくりました。…でも、
「やっぱりそうだよね~。彼らの人生において私も少し責任ある訳だし…。」
という得心がいかないのです。

どうしてなのか…

結論はここなのです。

私の志とその上の人達の志が一つにならないから

ここに結局いきついてしまうのでした。


以前別のビジネスから今のビジネスに意識的に動いた時のことを思い出しました。
当時、そのビジネスは飛ぶ鳥を落とす勢いで成長していました。基本の特許をしっかり押さえて、独占販売に近い形でビジネスをしていたのです。しかし、基本となる特許の一部が切れて粗悪な品質だけれど価格の安いイミテーションが出回り始めてきていました。

それまでは、他社にビジネスを取られることはほとんどありませんでした。顧客も多くの国でオペレーションをしていたので、日本での販売減は台湾や韓国に注文が動くだけだったのです。けれど、その粗悪だけれど安い製品が出まわるようになり、よく見ると、自社品の販売額と市場のサイズにだんだんと乖離が見られるようになって来ていたのです。けれど、その動きは丁寧に解析しないと見過ごされてしまうものでした。なぜなら、仮に日本でロストしたとしても日本の人は以前の様に「台湾に取られたんだろう」と思います。それが本当に台湾に移ったのかどうか、台湾に確認しないと「なくなってしまったのか」どうかは判らないからです。本社がそれを気がつくことが出来る唯一の場所であったのです。

私は、それぞれの国の人達の「また取られたよ~」という声を聞いて、「おかしい!」と思いました。
誰かが取られたら、誰かがもらっている筈なのです。全部の国が「取られた」と言っているということは、我々ではない「誰か」が取っていることになるのです。

それに気がついた私は更に詳しく解析を進め、自分たちが思っている様な市場占有率はもはやないこと、根本的にビジネスモデルを考え直さないと取り返しのつかないことになる。このシナリオを回避するためには今ならいくつかオプションがある…

そう提案しました。

さて、何が起きたでしょう。


上の人達の私への批判の嵐が吹いたのです。

データを基にしっかりと考察しても、「データが悪い」「自分に注意を向けたいために騒いでるんだろう」と非難されたのでした。

「このまま流されたら滝が前にあって、落ちますよ」
「オオカミが来るよ」
と言った私に、「嘘つき!」とののしったのでした。

ビジネスが沈んで行くのを見て見ぬ振りが出来ません。見ている距離が違う、志が根本的に違う人が上にいて、その権力(ポジション)に固執する時、見えている距離が違うから、私が「嘘つき」になってしまうのです。

多いに落胆し、その場所を去ったのですが、やはり私が去った後3年後、そのビジネスは滝壺に落ちていきました。予言した通りのシナリオで。その時の権力を持っていた人達の上に、新しいセットのリーダーが次々とやって来て、組織の粛正と人きりを行っていきました。私を嘘つきとののしった人達は、降格させられてもそこに残り、あるいは違う場所で更に降格をされながら働いています。

私が出て行った後、その粛正中に残っていた人達が私に言いました。
「いい時に出て行ったよね~。」
それを聞く度に苦く哀しい思いをしたのは言うまでもありません。それを回避する手段があったのに、その機会を与えられなかったばかりか嘘つき呼ばわりされ、去らざるを得なかったのだ…と。


話を現在に戻します。

今は好調だからいいとして、これ以上続けて行くと、必ず声をあげなければ行けない場面が出てくるのです。既に「社内装飾」に血道を上げている事業部なのですから、おかしくならない方がおかしいです。その時に、本当のことを言わないでいられない筈なのです。

「このまま行くと滝壺があるよ」
「オオカミが来るよ」

と。

今の配役でそれを言ったら、確実に「嘘つき」呼ばわりされるのは、以前の時より更に確率は高いです。もう、100%間違いないと言っていいでしょう。密室でそれを言ったら確実に抹殺される…、それはそれなりに働いて来ているので、賢くなりました。だから、密室で言わず出来るだけ広く広く解放状態で言う様にするにはどうしたらいいのか?
それも、解析してみました。

結論は、「どうも同じ志の人は上には居そうもない」という残念な結論だったのです。

世界中でビジネス展開をしていて、9万人弱の社員のいる超大企業で、CEOから数えると私のポジションは4段下になります。私とCEOの間にいる人は斜めの関係を加えてもそんなに多くないのです。

結局「雇われ社員だしな~」と、覚めて納得もしますし、自分の信ずるところを曲げない限り、この環境では生きて行けない…そういう思いがあるから、どういう経緯で現実になるか判らないけれど「後悔する」と思ってしまうのです。



今回の出張中に、実にいろいろなことを考えました。
このブログのまさに巻頭にある通りに…

40代も半ば、日本人の平均寿命を90歳と考えるのなら、人生後半戦にさしかかるところです。
ここで今、いくつか人生大きく転換するオプションを考えています。
でも、それを一つ明確に選ぶという心が決まっている訳ではないのです。

その中の一つの要素として、「働くこと」があります。私はこの「働くことの意味」について、自分の答えを出さなければならないところに来てしまったのです。

世界中の同僚と知り合いになり、すっごく楽しく仕事が出来て、現在アメリカの本社の事業部の中で、間違いなく一番幸せなポジションにいると思うのです。どれ位幸せなポジションかと言うと…

- 世界中の同僚が、私の担当のビジネスに対して熱狂しており
- いろんな国でそのビジネスのために投資がおこなわれており
- どんどん売り上げが伸びていて
- 程よくトップからの突っ込みが入らない(業績がいいから)ところで
- 部下の中で人間関係の問題が全然ない(部下持ちの人の仕事なんて、はっきり言ってこれがほとんどのことが多いです)

もう、本当にあり得ない位幸せなポジションにいるんですよ。

ついでに言うなら、お給料も生活には全く困らないし、物を買う時に値札を見て悩む必要のない位です。


申し分ない…とはこのことですよね。





でも、現状に安住出来ない自分がいるんです。





凄いわがままです…。





ここであと5年位は安泰で働けるでしょうし、まだまだ新製品も出せるものがあるので、しばらくはいろいろ楽しく過ごせる筈なのです。でも、結局のところ「手応え」がどうも遠いと感じるのです。全世界にマーケティングプログラムを展開し、コーチングをして知識の受け渡しを行う…けれど、とうしても隔靴掻痒の感が拭えないのです。

では本社の仕事は…というと、売り上げに確実に「1銭も繋がらない」社内行事をうまくやると上からの評価があがるという感じで、社内を飾ったりするのにお金をがっつり使い、それを顧客向けに展開しようとしても「お金ないから」で終わってしまうのです。

自分の判断と権限の中で独創的にやりくりしても、どうしてもその上のポジションパワーが必要になることがあります。私の上司はその上の上司を喜ばせることが仕事だと思っているので、やってほしい仕事はさっぱりやってくれません。というか、そもそもそれをやらないと行けないということを理解していません。

でも、私の上司が3年経っても理解出来ないで、その上の上司に尽くしまくっているという状況があるということは、その上の事業部のトップも、自分に尽くしてくれる人を要所に配置しておきたい(取り巻かれたい)ということです。まぁ、それがあるから「室内装飾(社内でのイベントや文字通りオフィスを飾り立てること)」ばかりにお金を使う事業部文化が生まれるんですよね。

どうやったって、お金にならないことにお金を湯水の様に使って、室内装飾に精を出すことは、自分の信念が許しません。

すなわち、自分の信念と現在の居場所の方向性が合ってないのです。でも、本当に恵まれた環境なのです。隔靴掻痒だと思っても、それに目をつぶって自分の出来ることの範囲内で独創的に仕事をすればいい。室内装飾が下手でも、とりあえず今のポジションが楽しいんだからそれでいいと割り切る…

何度も何度も、そう思おうとしました。

だって、そうすることの方が絶対に楽なんですよ。
今働いているスピードの半分にしても、多分手を抜いているとばれません。まぁ平均の評価をもらい、5年位働いてまだ早期の定年には満たないけれど、老後の貯蓄は十分になったら後は仕事を辞めて楽しいことをして過ごす…

絶対その方がいいじゃない。楽じゃない。楽しいよ?


でも、考えれば考える程


「絶対後悔する」


って思うのです。絶対後悔するって。。。




じゃぁ何をしたら?
仕事でフィリピンのマニラに行きました。とある国際会議に出席するためでした。

会議場はマニラ湾に面するフィリピンで言うところの5つ星ホテル、フィリピンの資本のホテルでした。私の勤める会社は、外国からの訪問者が危ない目に合わない様に泊まるホテルを決めていて、その会議場に選ばれたホテルはそのリストから外れていました。そこで、我々は現地の人に余計な面倒をかけない様に、会社の選んだホテルに宿泊し、会議場のホテルと宿泊先とで往復することになりました。

そもそも、会議場のホテルがどうして宿泊リストから外れているかと言うと、その辺りがかつていわゆる赤線地域だったからです。フィリピン政府はその場所をキレイにして、他の場所に赤線地域を移しました。(なくしたのではなくて、移したんです)けれど、ホテルから一歩出れば、まだ猥雑な雰囲気は残っています。

そして、会議が終わってホテルに戻る道すがら、窓から見える景色は以前の名残を彷彿とさせるものに変わっていました。

建物の角にはビジネスの交渉をする女性がいて、シャッターが下ろされた店の前にはその日の労働を終えたホームレスがしゃがんでいる、そして、橋の下には子供達と母親達が肩を寄り添うようにして住んでいました。

そして、我々が泊まっているホテルのあるエリアはマカティと言う場所で、マニラで言うところの銀座にあたりました。海外資本のホテルが並び、ブランドショップが立ち並ぶショッピングモールがいくつも連なっているところです。ホテルに入る前にはもちろんマシンガンを持った警備の人がいて、持ち物検査を行います。そして、交差点の替わりに設置された地下通路には必ず警備員がいて、ホームレスが滞留しない様に、また追いはぎが現れない様に目を光らせているのでした。

娼婦が街角で交渉しているところから、その様にきらびやかで警護された場所に、ほんの車で20分程度で移動出来る…そんな両極端な一日を数日過ごしたのです。

フィリピンの最終日、予定されていた会議がなくなってしまったので、半日市中観光に出かけることにしました。そこで聞いたことは、そのマカティという街のほとんどが1家族の所有だと言うのです。そして、マカティの一角にはそういう大富豪達が幾重にも張り巡らされた警護と高い塀の中に住んでいました。

「ここにはサンミゲル(フィリピンの代表的なビール)の社長が住んでいます」
高い堀が続く高級住宅街の塀を指差しながらツアーの車が進むのでした。すなわち、マニラは数家族の所有物なのです。

圧倒的な数の極貧の国民と、ほんの人口にしたらおそらく0.1%もいないであろうとんでもない規模の富豪家族…そんな構図が見えました。

そして、会議でもこの社会の不平等を良く体験出来る出来事がありました。会議の開催に際して、フィリピン代表のオープニングスピーチが予定されていました。

ところが、そのスピーチの本人がやってこないのです。会議の開催をおくらせても現れないことから、会議は約1時間遅れてスタートになりました。その代表は3時間近く遅れてやってきて、会議もいいディスカッションになりそう…と言う時に、司会がいきなりそのオープニングスピーチをアジェンダの中に割り込ませたのです。

その司会の人が、スピーカーにおもねっているのは明らかで、本当にどうでもいいスピーチ、それも他の人が書いたことが明らかな、心の全くこもらない棒読みのスピーチを、もの凄くニコニコしながらおおきく頷いて聞いていました。

自分の権威を見せつけるためにわざと時間に遅れて来て、会議の進行を妨げる…その傲慢さに寒気がしました。

そして、会議の終盤、参加者のディナーがありましたが、そこでも貴賓とされていたフィリピンの代表(違う人です)は遅れて到着したのです。

続けてそれが起こると、もうそれがこの国の人々権力の誇示の仕方なのだ…というのが判りました。

矮小な権力のひけらかし、確実に存在する特権階級、そして、国民は食べて行けないので海外に出稼ぎに出かけざるを得ない…私は正直その国のあり方を嫌悪しました。

ただ、世界的な規模で考えると、たまたま日本に生まれたというのは、フィリピンの特権階級に生まれて来たのと、実は余り変わらないかもしれません。日本で当然のことは世界標準ではないのです。

他人のことを尊重しないでひけらかす傲慢さ…それを我々も無意識で行っているかもしれません。

マシンガンで護られたホテルの玄関をくぐって、清潔で守られた場所に戻って来てほっとするということは、ある意味日本に住んでいることと同じ意味なんですよね。

すなわち、フィリピンではホテル規模あるいはマカティというマニラの一部でしか達成出来ない清潔感と安心を、日本は国単位で達成している、実はそんな感じかもしれない…と、思うのです。

自分の意志ではなくて選ばれて来たのだから、そこで与えられた力を賢く使って行きたい。特権階級の傲慢さを嫌悪する気持ち…それは自分も戒める学びだったと感じた次第です。


出張の嵐だったり、休暇をとったり…してたので、ホスピスのボランティアからは休暇を頂いていたのですが、

「してないなぁ」

って気になり出しました。
折しも、会社が「業績が悪くなりそうな感じなので、海外出張は縮小…

というおふれが出たので、しばらく家に居られそうな気がしてきました。
ということで、メールで「8月の半ばから復帰します」と連絡をいれました。

そのうちまたボランティアがはじまります
昨日の続きです。  Children International を通じて4人のチリの女の子をスポンサーしているのですが、月額一人あたり$25で、それに加えて誕生日だったりクリスマスだったりイースターとかだったりというイベント時にプラスアルファの貢献を期待されています。(最低限は毎月のスポンサー代だけです)

そこで、「スペシャルプログラム」というのがあることは知っていました。一回に$100以上だと、そのスポンサーしている子に向けてスペシャルなことが出来る…というシステムです。時折それを利用しては、日用品だの衣料だのをまとめてプレゼントしていたからです。

でも、そのシステムを使って、「学費を出す」というオプションがあることも、その掲示板で知ったのです。大人になった時に、しっかりした大人になってほしいし、出来ることなら大学に行ける位の学力と知性も持ち合わせていてほしい…まぁそんなことを考えたので、Children Internationalに問い合わせをしてみました。

その結果、4人中2人は成績が良いので、奨学金がついていて、半私学の学校に通っていることが判りました。その学校で引き続き教育を受けたいので、制服代とかの補助をしてくれれば助かる…と。そして、もうひとりは近くの公立の学校に通っているけれど本人も両親もそれで満足だといいます。通学のための靴や体操着等を送りました。そして最後の4人め…。今公立の学校に通っていますが、もしも機会が与えられるのなら半私学に通わせてみたいというのです。制服を着てスクールバスでの通学になります。

ご両親は、「有り難い話だけれど途中でスポンサーを打ち切られたら、子供が可哀想なので最後まで行かせてもらえるのだろうか?」というのを心配なさっているそうです。そりゃそうですよね。1年通って、私が「もう学費払わないし~」と言い出したら、その子はまた違う(元の)学校学校に戻らないといけません。それと、「新しい学校に変わったはいいけれど、慣れなくて戻りたいと言ったら戻れるのか?」というのも心配だそうです。こちらもごもっとも。

で、その1年間の学費+バス代+制服もろもろで、「いくら」なのかなんですが、大体$1200位なんです。今9歳ですから18歳まで9年間…この子がどう変わって行くかつきあってみましょうかねぇ(笑


こちらではホスピスのボランティアの話をしてきましたが、実はもっと長い間Children International という団体でチリの女の子達のスポンサーになっています。Children Internationalは日本では活動していませんが、似た様な団体でPlan InternationalとかSave the Childrenとかは日本で活動していますね。

毎月月々定額を支払うと、子供達の生活必要物資だのちょっとした病気に対する治療だったり、健康診断だったり…と、健やかに育ってもらえる様な手助けが出来る訳です。で、子供とスポンサーは1対1の関係なので、お手紙のやり取りをしたり、成長記録が来たり、写真が来たりするんですね。

さて、そこのフォーラムでちょっと興味深いスレッドがあがりました。中身をまとめるとこうです。

貧しい子供の手助けをする…って言うつもりでスポンサーになったのに、その子はちゃんとした家に住んでいてどうやら習い事もしてるみたい。だったら、その子のスポンサーをやめて、もっと貧しい子のスポンサーになりたいんだけどどう思う?

要は、貧しい子を助けようと思ったのに貧しそうじゃないから、もっと食べるのに困ってる子を助けたいんだけど、スポンサー先変えてもいい?

ってことだったのです。その投稿者は「2人もスポンサー出来ないから」という但し書きをつけていました。

こういう慈善団体のCMって確かに髪の毛がぼさぼさでみすぼらしい洋服を着て哀しそうな目で訴えている子供の映像使いますよね。それと、キラキラした笑顔をセットで…。

で、「一日○○ドルで救える命がある」

みたいな感じのタグラインが入る訳です。

そういうCMにほだされた人だったら、確かにスポンサーしている子供がちゃんとした学校に通っていてそれなりに幸せそうだったら、「スポンサーする必要あるの?」って思っちゃうのも仕方がないかもしれません。

私がスポンサーしている子供達(全部で4人)も、ちゃんと学校に行っているし、家もあるし、親の収入は不安定みたいですけれど、手紙から伺える様子だと、この投稿者の子供と似た境遇なのだと思います。でも、私はその投稿者とは全然違う考え方なんですね。なので、こういう意見を書きました。

私は、スポンサーしている理由は子供達の未来が自力で拓けるようにすることです。飢えているこどもを飢えなくさせることではなくて、ちゃんとした教育が受けられること、そして同時に子供時代に子供らしい時間を過ごしてもらうことなんです。考え方はいろいろあるけれど、私はそういう目的でサポートしているので、もっと楽しくそして一生懸命勉強出来る環境を作ってあげたいと思っています。

そして、他の人はこんな意見を書きました。

もしも、貴方が他の子供のスポンサーになってしまったら、今スポンサーされている子供は、スポンサーを打ち切られて
「私が何か悪いことをしたんだろうか?」とすごく悩む筈だ。
貴方がスポンサーを辞めたといっても、実際のところ団体はその子のサポートを打ち切ることはないから、その子の心の傷とスポンサーのない子が一人団体に支援されるという結果になるだけですよ。

結局この投稿者は今のスポンサーを続けながらもうひとり、もっと貧しい境遇の子供「も」スポンサーする決意をしました。


その場の飢えを満たすこともとても大事ですが、お金をあげることで飢えを満たすところで終わってしまっては、そのお金は一度しか生きない気がするのです。その子の未来に、自分で切り拓ける力をつけるように後押しする…私はそういうお金の使い方をしたいと思います。

そして、この投稿で改めて、スポンサーされている子供の気持ちというのにも思いを馳せました。縁もゆかりもない人が、あなたのことを大事に思ってくれている…そう実感しながら育つことが出来るって、経済的に余裕はないかもしれないけれど、それはそれで素敵な経験なんじゃないですかね?

この1週間休暇で遊んで回ってるのですが、夜になると「人生の後半戦でやりたいこと」をいろいろ考えながら眠りにつく日が続いています。

休暇でエネルギーが満ちてきて、思索をしているので、脳みそが
「行動せよ」
ってうるさいです。「考えているだけじゃ限界がある」って。

本当にその通りだと思うんです。このところ出張続き&休暇でボランティアもしていませんし体がうずうずしてきてるんですね。

ただ、ここに居ても走り出せないので(笑、思索の中での気づきを書こうと思います。

このブログで書いたかどうか、記憶が定かではないのです、かつてから漠然と「良い最期を迎えるお手伝い」というのをやりたいと思っています。レイキでボランティアをしたいというのと、その願望が重なってホスピスのボランティアとなっているというのも、ひとつの具現化です。

実はそれ以前にビジネスオーナーとなって健康食品や化粧品の流通業の仕事をしようかと思ったことがあったのですが、そのときですら
「老人ホーム建てたいよね」と口走っていたのも思い出しました。

私はずっと顕在・潜在に関わらず人生の最終章にこだわりがあるみたいなのです。

そこで、この「思索タイム」に、どんなお手伝いをしたいのか。。。つらつらと書き出していたという次第です。

「私の人生ってなんだったの?」
という人を一人でも減らしたいんです。

高校生のころ、おそらく母は更年期障害だったと思うのですが、感情の起伏がかなり激しい状態でした。その頃、激昂してはそのせりふを家族に対して浴びせていたのでした。

こどもからしたら、
「自分の生活を犠牲にしてまで私に尽くしてくれなんて、そもそもお願いしたことないし~」
と、ある意味愛情の押し売り(条件付の愛)で、「支払いを請求されている」理不尽な時期を過ごしたのでした。

父は、そういう荒れる母をどうすることも出来ず、毎日終電まで飲んでは泥酔して帰ってくるという具合でした。


今ならわかります。どこが根本的に掛け違っていたのか。。。

「幸せは自分で幸せと感じるもの」なのです。他社との関係で、幸せは何十倍にも増大しますし、その逆も真なりです。けれど、根本的に「自分で折り合いをつける」以外に自分が幸せになる方法はないんです。

そんな体験から、「私の人生なんだったの」という人が一人でも減ってほしいんですね。

また、うつ病から自殺をする人も多いです。「私なんていなくても大丈夫でしょ」という、関心が他人にある状態ではなくて、「私が居たいからいる」と自分が生きていることを自分の主体に取り戻すことさえ出来ればすごく楽になるはずだと思うのです。

まぁそういうことを考えると、いろんなサポートが考えられます。そして、それにプライオリティをつけるのは今この時点の状態では出来ません。

これこそ、動いてみて人に会い、話を聞かない限り動けない。。。

それだけは確信として私の中に存在し続けています。

どこから動き始めますかねぇ。
今年は本当に出張が多くて全然休みが取れませんでした。
海外出張があると、週末を移動に使ってしまうことが多いので、日曜日に戻ってきて月曜日に出社、、、見たいな感じで、全く休みがないのです。

5月ごろから「これは疲れてきた」と感じだし、レイキでセルフヒーリングをしていても「リカバリーしきれない自分」を感ました。6月になり、目の前の仕事、その直後にしないといけない仕事。。。いろいろ頭から離れなくなり、

「リラックス」

と思っても、仕事が頭にへばりついてどうにもはがせないのです。そして、最悪なのは目の前の仕事以外のことが頭の中を占領するので、現場でも「上の空」っぽくなっちゃうんですよね。

ということで、この10日間の休暇は「待ちに待った」休暇でした。


場所は最初はメキシコのビーチにしようかと思っていたのですが、いろいろあってオレゴン州になりました。ポートランド空港からカスケード山脈を中心に時計回りでぐるっとまわってポートランドに戻ってきました。これからしばらくはポートランドに居ることになっています。

最初は休暇といっても、これまた仕事が頭からはがせないため夜中でも一生懸命夢の中で仕事のことを考えていたりしました。

「これじゃぁ休暇じゃない!」って夢で思いながら仕事のことを考えてる。。。なにやってるんんだか。。です。

休暇も中盤に差し掛かり、やっと脳みそがリラックスしてきたようで、ほかの事も考えられるようになってきました。

仕事が頭から離れない状態は仕事にとっても全くよいことがないので、やっぱり働きすぎは視野を狭くするのでだめですね。

ということで、人生の後半戦に想いをめぐらせる余裕がようやく出来てきました。ノートに散文を書き、考えをまとめています。それがどう展開するかはまだわかりませんが、自分でも楽しみです。
いくつか前の書き込みに竹井佑介さんの「お金の授業」というセミナーの話を書きました

その後考えたのですよね…。自分のやりたいことを。

私はがっちりと同じ志のグループを作ってどこ迄行けるかやってみたい…というのが、残りの仕事人生でやりたいことなのですが、この竹井さんは
「がっちりお金を稼いで世のためになることをしたい人を沢山作って繋がりたい」という強い想いを持ってらっしゃいます。

「やりたいこと似てるのかも」

そう思いました。

そして、更に考えました。

今の仕事で不満があるとするならば、目の前に大きなビジネス拡大のチャンスがあっても、「そのチャンスにまつわるリスクを取る位なら、何もしないでそこそこ伸びる方がいい」という部門長が少なからず居ることなのです。

一生懸命サポートをしても、彼らにとってみれば「うるさい奴」位にしかみえないんですよね。私はビジネスのリーダーたるもの、成長の機会は拾ってリスクをどれだけ小さくするかが勝負だろう…と思っているので、リスクに対する許容量が違うのです。

「折角機会があるのになぁ」
と、歯がゆい思いをすることが多いのでした。

で、竹井さんの「お金の授業」を拝見して…

「その人の稼ぐ金額は自分の意志にしばられている」、すなわちその人の「富保有意識」次第…といわれて

私がビジネスの場面で歯がゆい思いをしているところとふっと繋がったのです。

「彼らは意識的あるいは無意識的に『この程度伸びれば良いや』というリミッターをかけてるんだな」と。

私は「そこそこやることで自分の地位の安泰を確保する」より、思いっきりやれるところまでやってみたい…と思っています。

「富保有意識」に例えて言うなら、私は「500億円稼いでみたい」と思ってるんですよね。でも、「そこそこ稼げて地位が安泰ならいいじゃん」と思っている人は「2億円でいいです」と思ってる訳なのです。そこにリミッターを置いたのは、その人の意識以外の何物でもないんですね。

投資とビジネスのリーダーシップって似てるのかも…そう実感したのです。


それと同時に謙虚に思いました。
「私も自分のお金じゃないから、こんな風にリスクがとれるのかもしれないよ…。自分のお金になったら急に保身に入るかもしれないよ」と。


そこで、竹井佑介さんに師事して投資を学ぶことに決めました。自分が裸になった時にどこまでリスクを冷静にとれるか見極めたいと思ったからです。自分の身銭を切っても同じ様なリスクがとれるでしょうか?

仕事でドバイに来ています。
ドバイは「オイルマネー」で発展した。。。と、勘違いされる人が多いのですが、実はここには石油はありません。交易と投資で栄えた場所です。

ちなみにドバイは地名であり、国名でいうのなら「アラブ首長国連邦United Arab Emirates」となります。ご近所に首長さんのいらっしゃる領地がいくつかあって、それが合体して国になった。。。そんなところでしょうか。ですので、首長さんの「夢」や「希望」がいろいろな政策として実現している場所でもあります。

ドバイに来て何よりも感じるのは、イスラムの国ですが、本当に様々な人たちが行き交っているということです。UAEの現地人は外出時には男性は白い装束、女性は黒い装束を身にまとっていますが、そのアラブの正統的な装束に身を固めた人たちとすれ違うのはノースリーブ、ショートパンツのピカピカの女性だったりします。

働いている人たちの多くはUAEの人ではありません。圧倒的なのはインド・パキスタン系。そして、レバノンなど他のアラブ系の人々。それに続いて、他のアジア系やヨーロッパ系の人が続きます。彼らは労働のビザでドバイに住んでいますが、仮に彼らがドバイで子供をもうけてもUAEの国籍をとることは出来ませんし、UAEの人になることも出来ません。仕事がなくなったら国を去る。。。ルールは明快です。

すなわちUAEの経済と社会は、出稼ぎで成り立っています。

首長さんが「国民を幸せにしたい」と願って急成長したドバイ、そこに集って来た人たちも、自分や家族の幸せを願って出稼ぎにやってきたのです。

この経済のサイクルがうまく回らなくなったら、ここにそびえるビルの群れも世界各国から来ている出稼ぎ労働者も消えてなくなっていきます。そうなったらまさに砂上の楼閣。。。ですね。

ドバイに来ると、そんな「幸せのエネルギー」は形になる、そしてこの世に現れる。。。そう感じるのです。