今働いているところは潮時だと本当に結論したのですが、ではさて、何をするか…です。

「志を同じくする仲間をつくって、どこ迄いけるかみてみたい」

というのは今まで通りのゴールですが、これでは具体性に欠けるのです。これを今の仕事の延長線上で考えるのなら、このままでも行けるのですが、新しく考えようとすると、これでは不十分です。なので、マインドマップの手法を使って考えてみました。

まず、ゴールを

「志」と「仲間」「師匠」「リソース」に分解しました。

ここで言う志とは何なのか
仲間とは誰なのか
師匠には何をしてもらうのか
リソースとして何が必要なのか…

順番にこのブログで考えて行きたいのですが、まずこの志から言うと、

「生きていてよかった」と思える社会を作る

それを実現する様な活動をしていきたいというのが見えてきました。
「何故?」と聞かれても説明出来ないのですが、実はこの志、ずっと前から持っていた気がするのです。


本当にそろそろ潮時になったなぁ…と感じています。
出世することにエネルギーをいよいよ使えなくなって来ているからです。
「何のために仕事をしているのか?」
ビジネスを大きくするため…とか、一生懸命やったらどこまで行けるか見てみたい…とか、そういうのが目的だと、今の環境では行き詰まってしまうのです。

というのも、自分が頑張って仕事をしても、結局販売の責任を持っている人達へ「影響を及ぼす」というのが出来る限りのことだからです。もちろん、そういうマーケティングの役割がなくて、販売だけでは物は売れませんが、やはりこの手応えのなさがどうにも手に負えなくなってしまったのでした。

そして、もうひとつ、このままやっていて、次のポジション…と、考えた時に、それに対して魅力を感じなくなってしまったのです。タイトルがかわり、給料があがります。でも、そのために寝ている時間以外のほとんどの時間と熱意を注ぎ込む…それに魅力を感じなくなってしまったんです。

これはFXを勉強し始めたことと大きく関連して来ている様に思います。
竹井佑介さんの言うところの「富保有意識」の影響と考えます。

これは彼の造語ですが、「人間の器」といったところでしょうか。人は自分の器のサイズを自分で規定してしまうのです。

例えば、東京大学に入学する…ことを考えた時、全ての高校生に受験資格はあるんですね。でも、ほとんどの人はそもそも「東大を受けよう」と考えて受験勉強をしません。たまたま受験勉強をしていて、「成績いいから東大受けてみるかな~」と言って受かる人はほとんど居ない筈です(いることはいますけどね)。ほとんどの人は、「東大受けてみよう」と思って頑張った人が、受験をしている筈なのです。

お金に関してもそうです。自分の年収…どれ位って考えるか?500万円ですか?それとも1000万円ですか?1億円?10億円? 誰も、「あなたは100億円を夢見ることは禁じられてます」って人はいないのです。誰でも等しく100億円の年収を夢見る権利はある筈です。

結局のところ、可能性を狭めているのは自分なんです。

そこで、仕事の話に戻るんですが…
一番トップCEOと私の間には3段階(3人)います。彼らは上司の言うことに本当に一途です。昨日迄「左に行こう…」とCEOが言っていたとして、今日「やっぱり右だ」と言ったら、昨日迄「左にいこう」と言っていたことはすっかり忘れて、右に行けるだけのフレキシビリティを持っているんですね。ここから上は「上司に従順」であること…に力を注がないと、先はないってことです。

私の一段上の人に関しても、「どうしてこうも、易々と手のひらを返せるんだろう?」と思うことが多々あったのですよね。今日本当に「だからこそ、彼らは私と違って、更に一歩出世できたんだよな~」と、ハラオチしたのでした。

そこで自分の流儀を曲げて、自分らしさを殺して上の言いなりになることで、昇進出来るとしましょう…。で、得られるものは何か?

経済力で言うならば、今の年収の倍、頑張って3倍です。(CEOの1段下まで上り詰めると、10倍位にはなりますがね)
経験値があがる…とは、そんなに思えないです。結構好き勝手に仕事しちゃったので、経験値で言うなら今から新たに増える分って…2倍にはならないな、少なくとも。
労働時間とストレスで言うならば、確実に増えますね。上の言うことに従う…その方向が自分の考えるところを合っていないと尚更です。

ということで、やっぱり自分のやりたいことがここにはない…そういう結論に、今日もの凄く突然ですが、さっぱりと思い至ったのでした。


じゃぁ何に力を注ぎたいのか?
家族との時間はやっぱり増やしたいですね。
そして、やっぱり「生きていてよかった」と思える人生を一人でも多くの人に歩んでもらえるお手伝いを思いっきりしたいと感じます。
それと、やりかけたFX、極めない訳には参りません。

会社員の生活は、リスク0でレバレッジ無限大の投資をしている様なものです。組織に安住出来れば絶対らくちんです。有給休暇もありますしね。
でも、自分の器を大きくしたい、富保有意識を大きくしたい…と考えてきた、この4ヶ月で、今居る世界の限界が見えちゃったんですね。努力の方向性が合っていない…と。

そろそろ潮時…そういうふうに自分の結論がつきました。
やっぱりとりあえず動くと、時が満ちた時にいろんなことがぱたぱたと動くんですよね。さぁ次のステップに向けての作戦を練ることに、注力することにいたします。


新たなステップにあがって行く時、その道のりで「こうした方がいいんじゃないか?」と思うポイントがいくつかあります。

ー 選択肢を必要以上に狭めない
ー 必死にならない

あらたな方向へ行くと決めたら、それに全力投球した方が成功率があがる…そう考えると、上記の2点って「え?」って感じですよね。でも、私はこの2点は次の段階にちゃんと進むためにかなり重要なことだと思っています。

転職を例にとってみます。
「もうこの会社嫌、次探す!」と決めたとして、次の会社を探す…というフェーズに自分が入ったとしましょう。その時、それに集中するため…といって、次のあてもないのに今の仕事を辞めてしまう人がいます。

これ、辞めてしまう必然は全くないんですよね。次の仕事がいつ見つかるかなんて、判らない訳です。生活基盤を壊さないためにも今の会社を辞めない方がいいのです。

辞めてしまった場合、「短期で次の仕事を探さなきゃ!」と必死になります。すると、案外面接でうまく行かないんです。なぜなら面接官に、

「どこでもいいから見つけなきゃ!」

という必死さが見えてしまい、逆に「この人仕事見つかればどこでもいいんじゃないの?案外出来ない奴だったりして?」という疑念を持たせてしまうのです。

また、「直ぐに見つけなきゃ!」と必死になっていると、仮に「これって、今ひとつじゃないの?」と自分の直感が囁いていても、それを無視してしまうことになりかねません。そして入った後「こんな筈じゃ!」ということになっちゃうんですね。


次のステップに行くために、エネルギーは注がないと動けませんが、自分を追いつめる形でエネルギーを注ぐのは、うまい方法とは言えないのです。必死にならない様に、今持っている基盤や選択肢は、次のステージに動くまでキープしておく…

今、次のステージに動く準備段階に入ったので、それは重要なことだと改めて肝に銘じます。







今週はハワイに休暇に来ています。最終日の今日は、飛行場に向かう前にパールハーバーメモリアルに出かけることにしました。

パールハーバーといえば、日本軍が奇襲作戦を成功させ、それがきっかけとなってアメリカが戦争に参戦した一大事件です。パールハーバーは今でもアメリカ軍の基地になっていて、慰霊公園のすぐとなりには現役の基地が広がっています。

一緒に展示されている潜水艦等に入るのは有料ですが、奇襲作戦により沈没させられた軍艦の跡地を訪ねるのは無料です。まず、15分程度のビデオを見ます。何故日本が戦争を始めたのか…。論調は非常に中立的でした。

ードイツと同盟関係にあったこと
ーイギリス等の植民地主義がどんどんと押し寄せて来ていて、日本はどこかで線をひかなければ自分たちの独立を保てなかったこと
ー植民地化された所からは資源が来なくなり、このままでは日本は兵糧攻めの様になってしまうこと
ードイツに合意する立場を批判したアメリカは、日本への原油の輸出をストップし、いよいよエネルギー源が断たれて来ていたこと

そういう背景をしっかりと説明し、山本五十六はこの真珠湾攻撃に対しては、本当はやりたくなかったのだ…というところまで説明がなされていました。

けれど、戦争に対して前向きな東条内閣が成立し、日本も戦争への道を歩み始めた…と説明がありました。

続いて、日本軍がどのように作戦をたて、ハワイを攻撃したのか、詳細な当時のビデオとともに説明が続きます。

ビデオは淡々と事実を中立的に並べて行きます。それが逆に、「未来」を気がつかないうちに失った若者達の無念さを引き立てます。あっという間のことで、びっくりしている間に死んでしまっていた…そんな若者達が沢山居た筈なのです。

彼らを忘れないこと、それが我々に課された課題であり、彼らの命を無駄にしないこと…そうビデオは伝えていました。

ビデオが終わると順番にボートに乗せてもらい、戦艦アリゾナの上に建てられたメモリアルの建物に連れて行ってもらえます。60余年たった今でも、アリゾナの心臓部に残っている油が海水の表面にうっすらと広がります。そして、遺体を集められなかった100余名の遺体がまだ船体の中に残っていると言われています。
沈められた戦艦の上には一つ一つその場所を指し示すコンクリートの建物が建っています。

カメハメハ大王が一番最初に移民協定を結んだ国…日本。そして多くの日系人がアメリカ人として暮らし、日本軍の攻撃により、二つの国の間で引き裂かれていきました。

そんな歴史はそんなに大昔のことでもないのですよね。


ワイキキビーチに行けば、そんなことを全く心の隅にすら入れずに日本からの観光客が楽しく日光浴をしています。

平和そのものという景色です。

こうしていろいろな辛い時間を乗り越えて、本当に良い時代になった…とも考えられますし、でも、そういう辛い歴史を忘れないでいること、そして繰り返さない位賢くなること…これも後の世代に生まれた我々の責務の様にも思うのでした。


投資の勉強をしていて、「ほとんどの人が行く方向と逆の動きを、成功者はする」ということを良く聞きます。

これ、別に投資じゃなくてもそうだよなぁ…という例って結構あるんですよね。

たとえば、会社の経営が逼迫して来ていてパフォーマンスの低い社員と高い社員の給与にもっと差をつけよう…。余りに低い場合は退職してもらおうと、会社が提案してきたとします。その会社にもしも労働組合があったら、どうなるでしょうか?

「社員に差を付けるなんてもってのほか!はんた~い」

と、叫ぶのが関の山ですよね。そして、普段労働組合活動なんてどうでもいい、と思っている社員達も
「辞めさせられるなんてかわいそう」といって、労働組合の活動に同情的になったりします。こうして、延々と労使交渉が繰り返されてどっちにも今ひとつ…なところで結論するのが…まぁ、良くある姿です。

この例をもう少し深堀してみましょう。

組合は、そもそも「会社は我々を搾取している」という対立的視点から物事を考えます。本来ならば、貢献してない社員を貢献している社員と給与を同等に扱おうというのですから、ある意味逆差別ですよね。

そして、流される一般の社員は、自分が「パフォーマンスが低いって言われたらどうしよう?」って、失う方を心配しちゃう上に、労働組合の「悲劇のヒーロー」的価値観に流されてしまうのです。

さて、この流されちゃう動きが何故いけないんでしょう?

パフォーマンスの低い人達を開き直らせちゃう上に、会社の経営が逼迫しているという根本的な問題からは何も解決してないからです。もちろん、そこまで逼迫させちゃった経営陣が「冴えてない」のが根本的な問題ですから、そういう意味からすると、労働組合の言っていることは正しいんです。しかしながら、そこから後、対立の構図に持ち込んでしまうところで自らの首を絞め始めていますよね? このまま行くと、完全に自殺行為です。

そして、「仕事がなくなって押し出されちゃうと可哀想」といって流される社員も、流されることによって、自分のポジションが危うくなることにも気がついてないですね。倒産しちゃったら、パフォーマンスの低い人がどうのこうの以前の問題で、私も失業…です。

さて、こういう状況になったら、成功者なら何をするべきでしょう?もちろん立場が違えばとるオプションは違ってきます。

もしも、経営陣にいるのだとしたら…リストラに行く前にやるべきことはいくらでもある筈です。それに本当に権限があるポジションにいるのだとしたら、経営が逼迫する前にいろいろ手を打ってるでしょうね。

では成功者が労働組合に居たのならどうでしょうか。対立の構図ではなくて、経営を好転させるべく労働者のスキルアップのための投資等を勝ち取ろうとするのではないでしょうか。万が一会社が倒れても、組合員の労働の質がよければ、次の就職口も見つけやすいというものです。

では最後に、一般の社員だったらどうでしょう?労働組合に身を投じて方向転換を強いるかもしれません。あるいは、見切って次の会社に出て行く決断をするでしょうね。

マジョリティに流されて、それに安心すればする程、実は危険な賭けに出ている…私は最近その思いをますます強めています。「これはいい!」と言われるものが本当にいいのか、「本物を見抜く目」を養い続けないといけないと思います。



大学時代、そして会社に入ってから「天才」と呼べる人に会ったことがあります。
たとえば、大学時代の数学の授業で、何をどう勉強しても概念として入ってこない「n次元」での論議をすいすいと理解して、更に展開して行く人…新しい製品を開発するのに、どうやったらそういう発想がうまれるのか…逆立ちしたって自分には出来ない創造をいとも容易くする人達。

こういう人達に出会うと、少しの苦みと共に「彼らの背中には羽が生えている」と思います。そういう人達は共通項があります。大体無邪気で、普通の人達が彼らの様に易々とある地点に到達出来ないことが理解出来ないのです。

初めてその現実を目の当たりにしたのは大学1年生の夏でした。圧倒的な「格の違い」を見せつけられて、挫折感とともに「どんなに努力してもあぁ言う風にはなれないなぁ」と結論したのでした。

でも、そこで「以上」としてしまうには余りに人生は長過ぎます。苦い思いとともに、「彼らの様に羽はないけど、私には足がある。歩いて行くさ」と決意したのでした。

大学を出て働き始め、技術者としてしばらく働いていましたが、本社には自分なんて足下にも及ばないとんでもないイノベーターがゴロゴロしていることに気がつきました。彼らの鮮やかな思考法に触れる度に、感動もし、自分もそうありたいと願いました。けれど、自分の実力と彼らの違いはやはり「格が違う」と結論せざるを得なかったのです。

彼らにもやはり羽が生えていたからです。

けれど、そういう羽の生えている人達でも創造的なアイディアを実際に世の中に出して行くのは一人では出来ません。マーケティングやビジネスといった人達が一緒に力をあわせることで初めて形になって世に出流のです。私は、創造的な役割は彼らに任せて、彼らのアイディアをちゃんと世の中に出せる様にするという役割を自分に課すことにしました。この決断は間違っていませんでした。

「天才」という人達は、世の中に確実に存在します。その割合は非常に小さいです。どうして彼らが天才であることが出来たのか…生まれた環境も大きいと思いますが、やっぱり天賦の才能と考える方が良い様な気がします。

では残りの人達はどうしたらいいか?そういう天才にはなれなくても、「努力を続ける」ことで成功は出来るんですよね。ついでに言うと、仮に天才であったとしても、天才であるが故に成功出来るとは限らないです。天才もひとりぼっちだと、きっと成功出来ません。

外国語の習得は簡単な例ですね。天才はなぜかすいすいと多くの言語を大人になってからでも会得していきます。ほとんどの人は「しゃべれる様になりたいなぁ」と思っても、努力をしない限りは絶対にしゃべれる様にはなりません。

もちろん、努力の「仕方」で効率の善し悪しは生まれますが、基本的に「諦めないで続けることが出来るかどうか」がしゃべれる様になるかどうかの80%以上を決める気がします。

止めないこと、諦めないこと…それが出来るかどうか…成功の鍵って案外単純だと思います。そして、「何をしたら良いのか」は、歩く距離を短くするためのガイドでしかなくて、何をしたら良いのか仮に判っていても一歩も進まなかったら、絶対成功しないんですよね。

Keep walking 一歩一歩前に進むこと…大学1年の夏に羽の生えた人達に会えて良かったと思います。苦い挫折感と共に、人生で成功する鍵を得ることができたのですから。



今日はちょっと辛口のことを書きます。

過去のブログにもちょっと書きましたが、3ヶ月程前からFXの勉強をしています。もちろん実資金は1ドルもトレードしておらず、まだ修行の身です。

同じ時期に約1000人が学びをスタートし、その多くの人達が私と同じくFXには全く触れたことのなかった人達です。そこで、ひとつ忘れかけていたことを久しぶりに思い出しました。

自分を紹介する時の物のいい方です。

「はじめまして」の部分は誰でも一緒ですよね。でも、そこから後

超々初心者です
本当の初心者です

と言う風に、自分が初心者であることを強調する人達が居て違和感を覚えたのです。
これが、例えばスタートして1週間とか2週間ならまだ判るんですが、2ヶ月3ヶ月経った状態で、初心者を強調する…。

この奥にある心理ってどいう状態なのでしょう………?

そこに集っている人達はほとんどがFXを学び始めてまだ日が浅い、いわば御同輩なんですよね。なのに、何故初心者を強調しないといけないのか…?

私には、自分へのいい訳と他人にそれを突っ込むなという威嚇の様に受け取れるのです。

「勉強が思う様に進まない」 あるいは 「そもそも勉強してない」
      ↓ だから
「聞かれてもわからない」  「触れてほしくない」
      ↓
「初心者とアピール」

もしもこういうパターンに無意識に陥っているのだとしたら、 本当にキツイ言葉を使っちゃいますが…、始める前から負けてます。

まず、「勉強してない」というのは論外として、「勉強が思う様に進まない」場合、
a) 現実に勉強しないといけない量と自分が想像している勉強量に乖離がある
b) 勉強に時間は割いているけれど方法がわからず効率がすごく悪い
のどちらかだと思うのです。b)の効率が悪い場合は、「どうやってる?」ともっと具体的に仲間に方法論を質問出来るのですね。初心者と名乗る人達はおそらくは a)の場合です。

外国語の勉強を思い出してください。いろんな単語を地道に覚えていかないといけません。発音も違うから聞き取れないし、長い時間リスニングが必要です。それ無しに、例えば寝ている間に外国語が脳みそに注入出来たらいいのになぁ…と思ったりしたことありませんか? そんな感じでFXは簡単に習得出来ると思ってしまっているのではないかと思うのです。

そして、次の段階「触れてほしくない」の部分はかなり厄介です。

自分の進行状態と他の人を比較している筈なのです。他の人も自分並みだと思えば、「御同輩」と懐を開くことも可能なのでしょう。けれど、ここには絶対自分より頑張っていて知識も蓄えている人達がいる…と思うと、劣等感が生まれてきます。自分の状態を知られたくない、触れないでほしい…そう考えが流れていきます。

そして、最終的に、自分で予防線を張る

超初心者ですから   …と。


こうやって解析してしまうと、「始める前から負けてしまっている」というのが判ると思います。
そして、そうやって名乗るということは、「誰か助け舟を出してくれる人はいないかなぁ」という甘えが見え隠れします。

でもね、厳しい言い方しちゃいますが、(だから辛口って言ったでしょ?)

根本的に自分に甘えがあるから「思う様に勉強が進まない」んです。こうして、甘えで出口のないループに入ってしまうんです。仮に親切な人が手を差し伸べてくれたとしても、その甘えの気持ちを律しない限り、出口にたどり着くことはできないです。ひどいことになると、手を差し伸べてくれた人に悪態をつきさえするかもしれません。

日本語の中で最も嫌いな言葉は

うらやましい  です。

それを言われる度に、「やり方教えてあげるからやってみたら?」と言ってあげます。するとうらやましいと言う人は100%私の前から無言で去って行きます。

この「うらやましい」と「超初心者」根っこは同じです。ご自身でその甘えをやめようと思わない限り、誰も助けてくれることはできません。


ちょっとこちらのブログではご無沙汰しておりました。

ホスピスのボランティアを数ヶ月ぶりに再開しました。
患者さんはご主人に先立たれお子さんもいらっしゃらないというご婦人です。重度の認知症で、ものを覚えていない、会話もなかなか通じない、以前はののしる等の問題行為もあったが薬で現在は落ち着いている…そんな状態と、開始前のナースによるアセスメントレポートには書かれていました。そして、訪問者もほとんどいないから、訪問してつきあってあげてほしい…というのがボランティアへの希望です。

認知症の患者さんは実はホスピスのボランティアの中でも余り人気のないグループの患者さんだと聞きます。なぜなら、会話が成立しないので「どうしていいのか判らない」からです。

私はたまたま最初のお二人が認知症の患者さんであったこともあり、おしゃべりというよりは非言語でのつながりで十分、人が訪ねてくる効果があるのじゃないか…という仮説をたてています。なので、今回の患者さんはそれまでの患者さん達以上に認知症が進行していそうでしたが、訪問者がほとんどいない…というところに興味を持ってお受けすることにしたのです。

お子さんのいらっしゃらない方ですので、今迄の人達とお部屋の雰囲気が違いました。今迄は、患者さんの若い頃の写真や家族の写真等がコラージュされたり写真立てが並んでいたり…と、その人の元気だった頃の生活をそれとなく思わせるものが部屋に飾られていました。けれど、この患者さんの部屋にはそれらしいものといえば、ご主人と写した昔の小さな写真が写真立てに入れられて一つ…それも、写真立てのガラスが割れているものがあるだけでした。
そして、壁に掛けられた時計は全く違う時間をさしたまま止まっています。その時計を必要とする人がいないのでしょう。

患者さんは元気だった頃割としっかりした方だったのだろうなぁと思います。既に会話がほとんど成り立たない状態ですが、それでもちゃんと自己紹介をしてくれて、私の訪問の目的、そして私の父が元気かどうかを尋ねてくれたりしました。

そして私は彼女の手をとり、もう片方の手で肩を優しくぽんぽんとリズムをとりながら触りました。抱っこしている子どもにお母さんが背中をぽんぽんと軽く叩く様な感じで。患者さんは一生懸命手を握り返してきます。すごい量のレイキが流れていきます。これは最後の最後にさしかかっている患者さん一様にそういう傾向があります。

30分位それを続けて、帰りしな
「またくるね。」
というと、
「ありがとう。またね」
と笑い返してくれたのでした。

元気だった頃は、ばりばりと家庭の中を仕切る人だったのだろうと思います。とりとめのない文章ですが、時折口から漏れるその言葉が私にそう伝えていました。けれど、どんなにしっかりした人であったとしても、最期は人の助けを得なければならない状態に戻っていきます。家族がいないから気の毒だとは全く思いませんし、家族がいるからこそ孤独のうちに亡くなる方も沢山いるというのも承知しています。

結局、人間はこの世を去る時には何ももって行けないんだなぁ…と、本当に一人で旅立つんだなぁと、実感しました。そして同時に、濁った言語や記憶の中でも一時の温かい手は、その人に何らかの形で幸いするのではないか…という思いが仮説というよりも確信に近いものとして私の中に出来つつあります。

手のぬくもりは本当に究極の場面では易々と言葉を越える  そう思います。
「この先に凄いワクワクする様なことが待っている気がして仕方がないんです」

これは前回の出張の際に一番感激した台詞です。

2008年、私が日本に派遣された頃、部門の秘書の仕事をしてくれていた女性がいました。彼女は派遣で我々の職場に来ていましたが、多くの派遣の人と同様に正社員の機会を探していました。残念ながら、我が社は事務職と言われる人達を正社員として採用しておらず、我々の会社で働いていても、正社員へのアップグレードの可能性はなかったのです。

非常に有能な人だったので、我々も彼女を失うのは忍びなかったのですが、どうしようもありません。彼女は正社員のポジションを得て、涙涙で我々の職場から去っていきました。

けれど、その正社員の生活もそれほど長く続きませんでした。友達の紹介で入った会社は、小さな資本も不安定な会社だったからです。

その後、彼女について「どうやら旦那を置いてハワイに語学留学に出かけたらしい」という風の噂が伝わってきました。まだ新婚と呼ぶにふさわしい年月しか結婚生活は過ぎていませんでしたが、正社員をやめた時に周りの環境を変えたかったのか…はたまた、結婚生活が息苦しくてハワイに逃げ出したのかは本人のみが知るところです。

そして、1年が過ぎ、彼女は私たちの会社に派遣として戻ってきました。私はもうアメリカに戻っていましたから、その時のことは知りません。けれど、出張で日本のオフィスを訪ねると彼女がまるで時間が全く経っていない様に元気ににっこりと働いていたのでした。

「彼女またハワイ行くらしいんです。」

そんな話を聞いたのはこの月初のことでした。どうやら結婚生活にピリオドを打ち、ハワイに留学するというのです。そのためにお金を貯めないといけないので、昼間のオフィスの派遣の仕事に加えて、後2つバイトをしているというのです。そして、シェアハウスに住んでいる…と。

私は出張で日本に出かけた時に彼女にほんとうかどうか質問してみました。

「もう40にも近いって言うのに、離婚して留学ってないですよね~」
と、彼女は生来の明るさでからっと笑いました。
「親もカンカンです。いつまでふらふらしてるんだって…。でも、この先に凄いワクワクする様なことが待っている気がして仕方がないんです

そういって彼女は3つの仕事を掛け持ちし、一生懸命貯金して来るべき留学生活の準備をしているのでした。

年齢なんて関係ないんです。そして、一昔前だったら、「我がままな女。旦那が可哀想」と周囲から散々悪口を言われ、あるいは言われることを恐れて行動は起こさなかったでしょう。

けれど彼女はあっけらかんと、自分の人生だから、これから凄いワクワクすることが待っていると思うから…と笑ったのでした。

私は彼女を応援したくなりました。そして、「お金がなくて、勉強を諦めないといけないかもしれない…ってもしもなったら、学校終わる位のお金は貸してあげるから言っておいで」と伝えたのです。

彼女は涙を流しました。
「その言葉だけで勇気百倍です。『やっぱり大それてるかなぁ』とか思うこともあるし、親は応援してくれないから」と。


「あの時ハワイに留学したかったなぁ」と後悔の思いを抱かず、「苦労したけどハワイで勉強して良かった」って思うことは間違いないのです。私は彼女に精一杯のエールを送りたいと思います。
今週ちょっと、「世の中変わっちゃったんだなぁ」という衝撃的な体験をしたのでシェアさせてもらおうと思います。

日本の支社から「若い子には旅をさせよ」ではないですが、3ヶ月間の期間限定で本社に仕事に来ている人達がいます。その人達を呼んで、日本出身でアメリカの事業部の経営を任されている人が食事会を開いたのです。

ちょっと判りにくいかと思うので、平たく言うと…
日本の支社出身で最も成功している人から、入社4~5年位の有望な社員に食事のお誘いがかかった
ということです。

私ともうひとり、本社採用の日本人の同僚もついでに誘ってもらいました。


もの凄く忙しい人です。世界を相手にトップを張っている訳ですから。
でも、会社のこれからを背負って行く人達へのエールを送る気持ちもあって、時間のやりくりをしてくれてごちそうしてくれるということだったんですね。

さて、当日。。。

指定のレストランに一番に到着したのは私と現地採用の同僚くんでした。その次に到着したのは、そのエグゼクティブです。しばし遅れて、若者4人がちらほらと現れ始めました。

一人現れたあと、エグゼクティブが
「残りはどうした?」 と、聞くと

「一人は日本と電話会議してます」といいます。レストランの外で日本と電話で話していたのでした。そして、もうひとり、出席者が「私日本と電話会議があるので、早めに失礼します」と言うのです。

エグゼクティブは怒りませんでしたが
「ここへきたら日本のことなんて忘れちまえ」とアドバイスをしたのです。

どうせ、3ヶ月本社へ来ただけで自分の担当のプロジェクトが劇的に進展する…なんて、甘いことはあり得ないんですね。むしろ、その3ヶ月を使ってどれだけ自分の人脈を広げられるか、本社の人に自分のことを覚えてもらうか…その方がクリティカルなのです。

けれど、真面目な日本人の青少年は、自分のプロジェクトの進展だけを考え、毎日日本と電話会議をして、「自分が居なきゃ仕事まわんないし~」みたいな変な責務と優越感で、その日その日の仕事をこなし、目の前に拓けているいろんな可能性を見ようとしていないのでした。

本来、日本の支社出身で最も成功している人が食事をごちそうしてくれる…だとしたら、
「何をどうすれば成功出来るのか?」って聞いてみたいと思いませんか?
「忙しいのに自分たちに時間を使ってもらってありがとうございます」と思ったりしないでしょうか?

彼らからそういう質問や感謝の言葉は一切出ずに、ただ美味しく御飯を奢ってくれた…という一晩を過ごして彼らは家路につきました。

現地の同僚が私に尋ねました。

「えびのりさんは、誰かに教えてもらってアメリカに飛び出して来た訳じゃないですよねぇ?」
「違いますよ。アメリカのほうが可能性があると思ったから出たんです。」
「じゃあ、それを見抜ける力の有る無しって、トレーニングしたら身に付くものなんでしょうか?なんだか、僕はこれはトレーニングで身に付くものじゃない気がするんです。見えない人には見えないし、見える人にはどんなにチャンスの扉が開いている時間が短くても見える。そういう気がします」

そういう同僚も、日本の大学でPhDを取ったあと、日本の大学に居残って少ない准教授の席が空くのを待つ代わりに、アメリカに飛び出していった人なのです。

「あなただって、誰かに教えてもらってアメリカでポスドクした訳じゃないですよねぇ?」と私が尋ねると
「そうです。周りからは『バカなんじゃないの?無謀だよ。絶対失敗するからやめなよ』って散々言われましたけどね。でも、結局僕は失敗しなかった」

海外に出ることだけがやらないと行けないことではありません。でも、「既定路線」あるいは「このまま行ったら大体このあたりに落ち着く」という所に進んで行ってしまう人と、チャンスやピンチをピンと捉えるアンテナを持っている人というのが2種類居るのは事実なのです。

そのまんまチャンスを捉えられない人が「考えていない」とは言っていません。その人なりに一生懸命考えているんです。

でも、この食事会は自分の人生の肥やしにする良い機会であったはずで、それよりも上司との電話会議の方が大事だというプライオリティの付け方自体、実を言うと私の想像を絶するものであった…ということなのです。

もちろん私も忙しいんですよ(笑)。悪いけれど、彼らよりビジネスにインパクトを与えると言う意味では遥かにインパクトを与えられるポジションや経験・動き方をしています。でも、そのエグゼクティブが「食事を」と言った時、私はその気持ちが判ったからその日のスケジュールをちゃんと開けて準備をしたのでした。

彼らは、本社の社長に万が一食事やミーティングに呼ばれたとして…「上司との電話会議がありますから」と、断るのでしょうか。

余りに素直で保育器で育ってしまった危うく脆い子供達…

そんな印象を持ちました。