この1週間休暇で遊んで回ってるのですが、夜になると「人生の後半戦でやりたいこと」をいろいろ考えながら眠りにつく日が続いています。
休暇でエネルギーが満ちてきて、思索をしているので、脳みそが
「行動せよ」
ってうるさいです。「考えているだけじゃ限界がある」って。
本当にその通りだと思うんです。このところ出張続き&休暇でボランティアもしていませんし体がうずうずしてきてるんですね。
ただ、ここに居ても走り出せないので(笑、思索の中での気づきを書こうと思います。
このブログで書いたかどうか、記憶が定かではないのです、かつてから漠然と「良い最期を迎えるお手伝い」というのをやりたいと思っています。レイキでボランティアをしたいというのと、その願望が重なってホスピスのボランティアとなっているというのも、ひとつの具現化です。
実はそれ以前にビジネスオーナーとなって健康食品や化粧品の流通業の仕事をしようかと思ったことがあったのですが、そのときですら
「老人ホーム建てたいよね」と口走っていたのも思い出しました。
私はずっと顕在・潜在に関わらず人生の最終章にこだわりがあるみたいなのです。
そこで、この「思索タイム」に、どんなお手伝いをしたいのか。。。つらつらと書き出していたという次第です。
「私の人生ってなんだったの?」
という人を一人でも減らしたいんです。
高校生のころ、おそらく母は更年期障害だったと思うのですが、感情の起伏がかなり激しい状態でした。その頃、激昂してはそのせりふを家族に対して浴びせていたのでした。
こどもからしたら、
「自分の生活を犠牲にしてまで私に尽くしてくれなんて、そもそもお願いしたことないし~」
と、ある意味愛情の押し売り(条件付の愛)で、「支払いを請求されている」理不尽な時期を過ごしたのでした。
父は、そういう荒れる母をどうすることも出来ず、毎日終電まで飲んでは泥酔して帰ってくるという具合でした。
今ならわかります。どこが根本的に掛け違っていたのか。。。
「幸せは自分で幸せと感じるもの」なのです。他社との関係で、幸せは何十倍にも増大しますし、その逆も真なりです。けれど、根本的に「自分で折り合いをつける」以外に自分が幸せになる方法はないんです。
そんな体験から、「私の人生なんだったの」という人が一人でも減ってほしいんですね。
また、うつ病から自殺をする人も多いです。「私なんていなくても大丈夫でしょ」という、関心が他人にある状態ではなくて、「私が居たいからいる」と自分が生きていることを自分の主体に取り戻すことさえ出来ればすごく楽になるはずだと思うのです。
まぁそういうことを考えると、いろんなサポートが考えられます。そして、それにプライオリティをつけるのは今この時点の状態では出来ません。
これこそ、動いてみて人に会い、話を聞かない限り動けない。。。
それだけは確信として私の中に存在し続けています。
どこから動き始めますかねぇ。
休暇でエネルギーが満ちてきて、思索をしているので、脳みそが
「行動せよ」
ってうるさいです。「考えているだけじゃ限界がある」って。
本当にその通りだと思うんです。このところ出張続き&休暇でボランティアもしていませんし体がうずうずしてきてるんですね。
ただ、ここに居ても走り出せないので(笑、思索の中での気づきを書こうと思います。
このブログで書いたかどうか、記憶が定かではないのです、かつてから漠然と「良い最期を迎えるお手伝い」というのをやりたいと思っています。レイキでボランティアをしたいというのと、その願望が重なってホスピスのボランティアとなっているというのも、ひとつの具現化です。
実はそれ以前にビジネスオーナーとなって健康食品や化粧品の流通業の仕事をしようかと思ったことがあったのですが、そのときですら
「老人ホーム建てたいよね」と口走っていたのも思い出しました。
私はずっと顕在・潜在に関わらず人生の最終章にこだわりがあるみたいなのです。
そこで、この「思索タイム」に、どんなお手伝いをしたいのか。。。つらつらと書き出していたという次第です。
「私の人生ってなんだったの?」
という人を一人でも減らしたいんです。
高校生のころ、おそらく母は更年期障害だったと思うのですが、感情の起伏がかなり激しい状態でした。その頃、激昂してはそのせりふを家族に対して浴びせていたのでした。
こどもからしたら、
「自分の生活を犠牲にしてまで私に尽くしてくれなんて、そもそもお願いしたことないし~」
と、ある意味愛情の押し売り(条件付の愛)で、「支払いを請求されている」理不尽な時期を過ごしたのでした。
父は、そういう荒れる母をどうすることも出来ず、毎日終電まで飲んでは泥酔して帰ってくるという具合でした。
今ならわかります。どこが根本的に掛け違っていたのか。。。
「幸せは自分で幸せと感じるもの」なのです。他社との関係で、幸せは何十倍にも増大しますし、その逆も真なりです。けれど、根本的に「自分で折り合いをつける」以外に自分が幸せになる方法はないんです。
そんな体験から、「私の人生なんだったの」という人が一人でも減ってほしいんですね。
また、うつ病から自殺をする人も多いです。「私なんていなくても大丈夫でしょ」という、関心が他人にある状態ではなくて、「私が居たいからいる」と自分が生きていることを自分の主体に取り戻すことさえ出来ればすごく楽になるはずだと思うのです。
まぁそういうことを考えると、いろんなサポートが考えられます。そして、それにプライオリティをつけるのは今この時点の状態では出来ません。
これこそ、動いてみて人に会い、話を聞かない限り動けない。。。
それだけは確信として私の中に存在し続けています。
どこから動き始めますかねぇ。