話題にならない日が無い「高齢ドライバーによる事故」。

前回の免許更新時に、アクセルとブレーキのペダル踏み替え速度判定シミュレーターの前に辛酸をなめた経験を持つ私にとって、他人事では無い。(「運転免許証更新の壁(試験場編その1)」参照)

 

このシミュレーターを、認知度検査と共に高齢者の免許更新の際の必須検査科目とするだけで、大半の事故は防げたのでは?と思うが、シミュレーターの数に限りが有るし、厳格にやると多くの高齢者が免許更新を出来ないことになってしまいかねない。

そんなことを考えるのは本末転倒だと分かってはいても、生活必需品だと言われれば矛先が鈍る。

 

そこで、既存の技術を元に実現可能な提案をしたい。

これなら神経難病の同志も、また安全に車を運転することが可能になるかも知れない。

 

整理してみよう。

 

高齢者ドライバー問題は、
•    アクセルとブレーキの操作が同じ (どちらも踏み込むことで作動する)
•    アクセルとブレーキを踏み換えなければならない (しかも、通常の車はアクセルよりブレーキの方が高い位置にある)
•    運転手に異常が生じた際でも、助手席からコントロールが効かない


等によって生じている。

 

ならば、アクセルとブレーキの操作性を完全分離 (アクセルは踏み込む、ブレーキはアクセルを緩めるだけ)すれば良い。

これならペダルの踏み替え動作も不要だから、踏み替え間違いも起こらない。

 

既に日産のリーフという車で実用化されている、e-Pedalhttps://www3.nissan.co.jp/vehicles/new/leaf/performance.html#e_Pedal)と言う技術が使える。

 

 

アクセルペダルを緩めると、瞬時にモーターが発電機に入れ替わり、バッテリーを充電してくれる仕組みだ。その負荷がブレーキとなるから、エネルギー損失は通常のブレーキと比べて遙かに少ない。

 

実際のユーザーの使用感は、(https://ev1.nissan.co.jp/LEAF/RORA/QUESTIONS/DETAIL/1010)にある通りで、通常の運転ではブレーキを踏む必要は無い。

 

リーフには念の為ブレーキペダルが装備されているが、高齢者用移動手段(Senior Transporter, STR)として考えれば、ブレーキペダルが有ると誤ってアクセルを踏み込むことが起こりうるので、無い方が好ましい。

 

更に、STRには専用の速度設定装置が必要だろう。

例えば、

後退(バック)は、最高速度7~8km/h程度も出れば十分(それでも制御できない高齢者は多いと思われる)。

前進は、「始動モード(最高速度 20km/h程度)」、「走行モード1(最高速度 40km/h程度)」、「走行モード2(最高速度 60km/h~80km/h程度まで)」、程度を切り替えて使う。

 

更に、この速度設定装置を助手席からも操作できるところに配備すれば、運転者の体調急変時にも助手席から速度を下げたり、ブレーキをかけたりすることが出来る。

 

制度的には、75~80才(?)での免許更新時には、STR限定免許しか取得できないようにして、STRの限定を外すには、免許取得時と同様(最低でも前出のシミュレーター)の実技試験を課す。

STRに乗り換える際には国や自治体が相応の負担(半額ぐらい?)をする。

当然、消費税や自動車取得税、自動車税などの減免も必要になる。

など、大胆なものになるが、今後益々高齢化が進む中、国民を守るためには抜本的な改革が必要だろう。

 

問題は、車両価格だ。

 

最新型のリーフは、定価ベースで言うと最低でも3百万円を超える。

但し、STRとしては、一般車のような豪華な仕様は不要なので、① 短距離、② 知った道の走行が主、③ 高速道走行はしない、と言う高齢ドライバーの生活ニーズを満たすための最低限仕様とすること、および制度の徹底化による大量生産体制確立で、コスト削減は十分に可能と思われる。

 

1.車体は軽四輪ワンボックスタイプとする

2.標準装備は必要最低限とし、販売価格を抑え、オプションについては補助金の対象外とする


標準仕様車は、例えば、


-    モーターの出力は車体重量に合わせた、高速走行不要の低出力タイプ

–    電池容量は、低出力モーターと連続航続距離は100km程度を前提とした低容量タイプ
–    エアコン・カーナビ・オーディオ・リアモニター、などはオプション
–    リーフのプロパイロット機能プロパイロットパーキング機能などの安全装備はオプションとする
–    メーター類も、速度・電池容量表示(残存走行距離)・総走行距離、程度に抑える

-    内装は最低限

 

などなど。

 

これなら、生活必需品としての最低限の仕様は備えており、いきなり免許証返上、後は6km/hが最高速度のいわゆるセニアカーに乗り換えろ、と言われるよりは遙かにマシだし、家族も安心だ。

 

 

自治体は支援策として、公共施設に充電装置を配備し、充電中の高齢者に憩いの場を提供する事によって、薄れがちな高齢者とのコミュニケーション促進を期待できるし、ショッピングセンターは充電器を設置することで、集客を期待できる。

災害時には車のバッテリーを非常用電源としても活用できる。

 

ハイブリッドで出遅れ、電気自動車で巻き返しを図りたい日産にしてみれば、千載一遇のチャンス。

リーフの技術と、定価で百万円ちょっとの軽自動車「デイズ」の生産ラインを有効活用すれば良いのですから。

車両価格の目標は、80万円/台程度か?

 

 

決して夢物語では無いと思うのですが。

 

 

 

 

 

これは、今年の3月16日にアメンバー限定で投稿した記事です。

その後、弊ブログでも再三紹介した

『NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」』

が放送され、それとも通じるところがあったため、

多少の加筆と共に、一般公開するものです。

 

 

『「公立福生病院」で昨年8月、腎臓病患者の女性=当時(44)=が人工透析治療中止を選び1週間後に死亡した問題』

 

が世間を騒がしている。

 

マスコミの筋書き通りの偏った内容の、たまたま耳目に触れた情報しか知り得ないので、この問題そのものには意見できる立場には無いのだが、マスコミが一丸となってここぞとばかり病院や関係した医師らを「悪」と決めつけて攻撃しているのが気になる。

 

ワイドショーのコメンテーター然り、

 

1.「生命維持が極めて困難な状態である事が延命治療中止提案の条件」

2.「延命治療中止には倫理委員会などの第三者の判断が必要」

3.「延命治療は医師および医療機関の使命」

 

というステレオタイプのコメントに終始する。

 

まあ、尊厳死や安楽死を肯定しようものならSNSなどで叩かれるのは必至だし、死というものと真剣に向き合ったことの無い人達の言う事だから、これ以外に言えることは無いのだろう。

 

そもそも、マスコミは誰かを「悪」と決めつけて攻撃することで、言い方を変えると、誰にも分かり易い形で話題性を作り出すものだ。

善悪が付けやすい有名人の不祥事や不倫、薬物使用問題ばかりが、いつまでも飽きずに報道される一方で、マスコミですら善悪を付けがたいと分かっている話題は、一時的には誰かを攻撃して話題作りをしても、いつの間にか報道しなくなる(勿論攻撃した対象の名誉回復など考えてもいない)。

だから、新たな「悪」の決めつけのためのネタが出てこない限り、この話題も短期間で報道されなくなるだろう。

(筆者の予想通りになったのは周知の通りで、その後議論が進むでも無く、大半の方は「そんな事件有ったかな」程度の認識だと思う。)

 

残念ながら、視聴者/読者が、面倒な話題を避けることが負のスパイラルを生み出しているのだが・・・・。

 

ステレオタイプのコメントで気になる一点目は、「生命維持が極めて困難な状態」というのが、医学的、もしくは生物学的なことだけを指しているように思われる点だ。

 

私は常々自分の生死観に於いて、人生観的生死(自分の意図した生き方を出来るだけの、身体的能力を有しているかどうかが判断基準)が最重要であり、生物学的生死は副次的なものと考えているからだ。

 

とは言え、人生観的生死のみを判断基準としてしまうと、何らかの理由で人生に絶望した自殺志願者が病院に殺到してしまうので、副次的にしろ客観的な判断は必要だろうとは思う。

 

ただし、「生命維持が極めて困難な状態」と極端な限定をするのでは無く、その瞬間はその状態ではなくても「現代医学では治療方法は無い、とされていて一定期間の後に死亡が予見される患者」も、その条件に加えて欲しい。

 

気になる二点目は、「倫理委員会などの第三者の判断」が延命治療中止の条件と言われてしまうと、患者自身の希望が第三者によって阻止されかねない事になってしまう点だ。

 

尊厳死の問題は一般論では語れず、個別に諸事情を考慮した上でなければ議論にもならないことは間違いない。

しかし一番重要なのが患者自身の意思であり、患者自身の「延命しない選択」を第三者が犯すことがあってはならない。


そして三点目は、病気を完治できない事が分かっているのに、悪戯に患者の延命をするのが、果たして医療機関の使命なのか、と言う点だ。

 

患者の置かれた状態を勘案して、個人の狭い了見や倫理観、固定観念の枠を越えて、その時点で考え得る全ての選択肢を示すことこそが、医師および医療機関の使命なのではないか?

 

何人も、いずれ訪れるのが分かっているにも拘わらず、普段は想像することすら避けて通っている「死」と言うものを、もう少し実感を持って考えるところから始めなければならないと思う。

 

大半の人が、「自分が死ぬなんて」、「自分が死病にかかるなんて」と考えているのが普通だし、「死」を身近に意識しすぎると息苦しくなるのもわかる。

 

自分だってこの状況に置かれていなければ同じだっただろう。

たまたまこの状況に置かれてしまった自分に出来ることは、「死」を具体的にイメージすること、それはとりもなおさず「生」と真剣に対峙すること、の大切さを訴えることぐらいだろうか。

 

 

 

 

 

本日のNHKスペシャルhttp://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20190602

紺美さんの物語が放映されました

 

(画像はNHKのHPから無断借用しました。ご免なさい!)

 

紺美さんのぶれない意志の強さと、お姉様方の優しさの中の葛藤の日々が強烈に印象に残りました。

 

私がブログを始めた当初、紺美さんのブログを参考にさせて頂きながら、日々を過ごしていたことを改めて思い出しました。

私も、何か少しでも参考になる情報を発信したいと思ったキッカケでもありました。

 

『(当初のブログのニックネームが)長くて面倒だから「イージー」と呼ばして貰います』と言われて、「イージー」と改名したのも、最初に紺美さんからメッセージを頂いた時でした。

それから、お互いに本音をぶつけ合ってきたと思っています。(片思いかも知れませんが)

 

遅くなりましたが、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

再生医療(もしくは遺伝子治療)が活発になっている。

それも治験段階ではなく健康保険対象医療としてだ。

 

最近、その高額な薬価(3,349万円)ゆえに新聞紙面を賑わせたのが、白血病の患者で抗がん剤が効かなかった人などを対象とした、免疫細胞に遺伝子操作を加えがんへの攻撃力を高めるキムリア

 

ほぼ同時に保険対象として認可されたのが、重症の動脈硬化で血管がつまった足に、新たな血管を作る遺伝子を注射して治療するコラテジェン

 

私が特に関心を持ったのは、自身の骨髄から抽出した間葉系幹細胞を培養した後に体内に戻すという治療。

NHKスペシャルによるとその効果は絶大で、損傷を受けた脊髄内の神経細胞だけではなく、脳細胞までもが再生するらしい。

 

「間葉系幹細胞は、骨芽細胞、脂肪細胞、筋細胞、軟骨細胞など、間葉系に属する細胞への分化能をもつとされる細胞」だそうなので、脊髄損傷のみならず神経難病とされている病も治るのでは無いかと期待してしまうが、現在は骨髄損傷のみが対象で、損傷から30日以内の患者限定とされていて、治療を受けられる医療機関も限られる。

 

現段階では間葉系幹細胞の培養施設の容量がネックになっている様だが、儲かるとなれば製薬会社は直ぐにでも設備投資をするだろう。

また、iPS細胞は、血液や骨、皮膚、脳など体の中のすべての組織や臓器になることができる胚性幹細胞を人工的に作り出す多能性幹細胞なので、その培養に成功すれば更に広範囲での効果が期待できそうである。

 

一方で、今は治療を目的として開発されている再生治療の技術が、いつ他の目的に流用されるかに懸念が残る。

 

当初は世のために開発された技術が、邪な目的に転用されるのが世の常なのは、ダイナマイトの例を出すまでも無い。

 

人の体内では、30~40兆個と言われる細胞が日々分裂を繰り返して順次入れ替わっていて、分裂の度に徐々に老化が進むと言われているが、それらが文字通り再生できるのであれば、不老・不死は夢では無い(事故による即死などの再生の時間的余裕が無い死は例外)。

 

個々人によって細胞には分裂できる回数が決まっており、それがいわゆる「寿命」を決めると言われている。

従って、ある程度の年月を生きてきた人の幹細胞を培養して体内に戻しても寿命は延びないのかも知れないが、それをリセットしたiPS細胞や、受精直後の未分化段階での幹細胞が使える様になれば、正に未使用の新品と交換するようなものだ。

不老どころか若返りも出来るかも知れない。

 

受精という神秘的な現象が、生命を誕生させるためでは無く、不老もしくは若返りの手段となる日が来るかも知れない。

 

老化した体で不死と言われても苦しいだけだが、不老、もしくは若返りがセットなら、望まない人は居ないだろう。

 

とは言っても万人にその機会が訪れるはずは無く、ほんの一部の為政者か超富豪のみがその恩恵に浴する事になるのだろう。

「憎まれっ子世にはばかる」の面目躍如だ。

 

始皇帝の夢を実現した習近平が不老不死の体を手に入れて、未来永劫国家権力を手中に収めたままになる。

 

想像したくは無いが、遺伝子操作を施した双子を誕生させる中国の倫理観を考慮すると、そんな日は遠くないかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

明日の関東南部は雨予報。

日曜日も余り天気は良く無さそう。

そうこうしている内に桜を見逃してしまうのでは、と不安になって近所でミニ花見をしました。

 

曇りで数日前とは打って変わってかなり肌寒く、車椅子の上で凍えながらで、しかも桜も6~7分咲きで今ひとつだったので駆け足です。

 

      

 

そんな中、上の写真の右下を拡大したのがこちら(⇓)。

老木が切られた脇に苗木が植えられています。

新旧交代です。

ソメイヨシノは50~60年が寿命と言われていますが、てんぐ巣病を代表とする伝染病にもかかりやすい品種です。

切り口が未だ瑞々しいこの老木が何故切られたのかは分かりませんが、桜並木も新旧交代があってこそ保たれるもの。

自分もそろそろかな。

 

新規開店した駅前の飲食店街にも桜のオブジェが。

 

こんなものも配られていました。

 

 

 

 

 

 

 

イチローの引退記者会見を未明までライブで見た。

マスコミの切り貼り報道では全体像が見えないから。

 

感慨深かった!

内容もさることながら、その振る舞いに。

 

いつもながらの真剣そのもののバッティング練習を見ているようだった。

記者の質問はバッティング投手の投げる球、それをギリギリまで引きつけておいて鋭くバット一閃、打球は鋭いライナーで外野スタンドに吸い込まれていく。

バッティング投手の球が悪いと遠慮容赦なく「それではいつまで経っても一軍には上がれないぞ」とばかり叱咤の声が飛ぶ。

でもそれすらも暖かい。

 

質問が尽きることはイチローに失礼とばかりに延々と続く質問。

それを察して「全ての質問に答えるつもりだったけど、お腹が空いて集中力が無くなったから、ここらで」と、急に決まったのに未明まで付き合ってくれたマスコミを労う一言。

ああ、これがイチロー。

 

最後は自分が打ち返すのも難しい最高の投球(質問)を要求する。

最後と言っておきながら、最高の球が来なければ何度でも投げさせる。

それを会心のスウィングで打ち返して会見終了。

ああ、これもイチロー。

 

こんなに愛に満ちて清々しい、そして一つ一つの言葉に重みの有る記者会見は見たことが無い。

延長12回で漸く決着の付いた試合が終わるのを待ち、記者会見の開始を(マスコミと共に)今か今かと待ちつつ深夜に始まった会見を、眠たい目をこすりつつ見たからこその感慨。

 

彼は、質問に即座に答えることはしない。

必ず質問を一旦咀嚼して、最適な、そして人を傷つける事の無い答えを整理してから、初めて口を開く。

最低でも5秒、長い時は15秒以上も沈黙の時間が流れる。

彼の言葉の重みを知っているから、誰もがまんじりともせずに待つ。

一旦口を開けば迷いのない適切な言葉が続く。

質問者が期待しているであろう回答は決してしない。

常にその上を行く。時には肩すかしも。

彼の野球と同じだ。

 

誰にでも出来ることでは無いけれど、学ぶことは多い。

 

奥さんに一言、と問われて「3000個のおにぎりを握らせてあげたかった」の言葉に、奥さんとの強い絆を感じて涙したのは私だけ?

 

今日は眠たい一日になるけど、良いものを見た。

 

会見の全文はこちらでどうぞ。 ⇓

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190322-00325131-fullcount-base&p=1