我が家の次男は小さい頃から何処かに行って帰ってきた時に、上気した顔で 「あー楽しかった!!!」 を連発した。

生徒から不平不満しか出ない、厳しい部活の合宿から帰っても、面白くないイベントに一緒に出かけて帰った時も、それは変わらなかった。

 

こいつは 「幸せな人生を送る天才だ!」 と確信した。

元々自分自身がそうだったからよく分かる。

 

どんなにつまらない場面でも、厳しい境遇でも、他人だったら悲嘆に暮れる状況でも、何かしらに興味を持って楽しいと感じられる。

客観的に見れば面白くとも何とも無い、むしろ苦行と言うべき理不尽な状況で、他人が如何につまらなそう不平不満を口にしていても、楽しみを見つけられる。

これは幸せに生きるための才能だ。

 

彼が家庭を持った今も、予想通りとても楽しそうに毎日を生きていて、感想を聞くたびに 「むっちゃ楽しい!!!」 と返ってくることは言うまでもない。

 

同じ時を過ごすのに、文句や不満たらたら過ごすのと、楽しく過ごすのとでは大違い。

不平不満の垂れ流しは人生の無駄遣いだ。

 

ここからは私の話。

 

神経難病になって、悲嘆に暮れることは簡単だ。

周囲も初めの内は同情もしてくれるかも知れない。

だが、嘆いたり、同情されたからと言って事態は何も変わらない。

 

それなら、その状況の中で楽しみを見つけて、それを積み重ねていけば良い。

 

そのためには待っていては駄目で、自分から興味を作り出す事が重要だ。

その方法論は人それぞれだし、時によって違う方法が有効になる。その方法を沢山持っていれば、どんなときでも楽しみを見つけられるから、人生はより楽しい。

 

私の場合は、病気を患う前から、数ある方法の一つが 「物欲」 を利用することだった。

やたらと買い物をするという意味ではない。

買う前の研究、如何に安く手に入れるか、買った後にどうしたらそれを最大限に活用出来るか、それを想像し考えるプロセスが楽しいのである。

だから、その楽しみがない買い物には興味が無い。

 

典型例が、PC関連製品、最先端家電製品、車、不動産などがあるが、最近は福祉用具もその仲間入りをした。

マンション選びから購入、その後のリフォームはほぼ1年がかりで楽しんだ。

電動車椅子選びやそれを運ぶための福祉車両選びでも散々楽しんだ。

スマホ選びや新しいPCの導入プロセス、それらの設定作業も楽しくて仕方がなかった。

 

それを今の単調なリハビリ生活にも活かしている。

歩行器での歩行訓練は、天候に影響されず床がフラットなショッピングセンターと決めているが、そのバリエーションを増やした。

 

家電量販店とマンションの販売センターである。

 

ただのショッピングセンターでは店員との会話は成り立たない。

構音障害の酷いこちらの言うことを聞き取ってもらえない無力感に苛まされるのが落ちだし、元々自分の興味のある商品とは限らないから、それを覚悟で話しかける動機もない。

 

その点、家電量販店とマンションの販売センターは、興味と実益を兼ねている。


販売員との会話は家内とのものより緊張感があるし、内容は興味津々、更に向こうは必死でこちらの言うことを聞き取ろうとしてくれるから、とても良い会話の練習になると共に良い情報収集のチャンスにもなる。
モデルルームは大概2階にあるので、調子の良い日は販売員の手を借りて階段を登って普段はできない運動を試みたり、やりたい放題。
家電量販店も同様。階段下の歩行器を上階まで運んでくれたり至れり尽くせり。

 

お返しは、他の量販店やマンションギャラリーで仕入れた情報や消費者の生の声などの提供。

時にはスマホ乗り換えキャンペーンに捕まったりもするが、使用状況や現状のプランを説明すると、 「それより安くて良いのプランはどの携帯会社にもありません」 とお墨付きをもらた日にはしてやったりである。

 

正に、趣味(情報収集)と実益(歩行のみならずSTとしか出来ない会話の練習も)を兼ねて、かつ楽しいリハビリになる。

 

時には大金が出て行ったりするのが玉に瑕。

 

 

 

 

 

 


『特別展 ミイラ ~「永遠の命」を求めて』

 

少し寒さが緩んだ隙を狙って、久々の上野は国立科学博物館。

ミイラ展を見てきた。

 

上のポスターに写っているのは、皮だけのミイラ2体(どちらも男性)と筆者。

酸性が強い土壌に放置された自然ミイラ(人工的な加工を施していないミイラ)は、骨が溶けて皮だけに、アルカリ性の強い土壌のものは逆に皮が溶けて骨だけになるのだとか。

 

家内はミイラが大好きで、幼い子供らを連れてミイラを見に行ったりしていた影響で、長女もミイラ好き。

今は国外持ち出し禁止になっている『楼蘭(ろうらん)の美女』との再会のためにウルムチまで行くほど。

どんな家族だ??

 

それにしても車椅子での外出は寒い。

 

 

 

 

 

昨年11月、二人の素敵なブロ友さんが相次いで亡くなりました。

千代さん(https://ameblo.jp/wasinannbyounannsuka/)と、紺美さん(小島ミナさんhttps://ameblo.jp/mugikate/)です。

 

もう1年経ったのですね。

 

お目にかかることは叶いませんでしたが、お二人には含蓄に富んだ色々なアドバイスを頂きましたし、個人的な会話もさせて頂き、それぞれの生き方に「この人達には敵わない」と心底思ったものでした。

 

千代さんの情報収集力、人間力、段取り力、身体能力を奪われながらなお最後まで衰えない実行力、揺るぎない家族への想い、・・・・・。

今は物理的な身体の拘束から解き放たれて、思う存分自閉症の息子さんと向き合われていることでしょう。

 

紺美さんは、昨年11月下旬に「ライフサークル(スイスの合法的安楽死幇助団体)に登録できた!」と嬉しそうに連絡をくれましたが、そんなに直ぐに行動を起こすとは思っても見ませんでした。

その辺の経緯は「安楽死を遂げた日本人」を読んで理解しました。

 

「NHKスペシャル(彼女は安楽死を選んだ)」で、一瞬も躊躇することなく往かれた潔い姿には圧倒されました。

「私の人生の支配者は、私自身」という信念を貫かれた方でした。

 

 

残された私はというと、「進行性の神経難病で治療方法は無く、進行速度は人に依るが、早ければ5年程度で死亡に至る事もありうる。」と宣告されて以来、これを絶好の機会と捉えて与えられた死までの執行猶予期間、5年間をいかに有効に使うかのみを考えて生きています。

 

日々失われていく身体能力を駆使して、

 

① 力の限りやりたいことをやる

② 後に面倒を残さない

③ 家族が路頭に迷うことのないようにする

 

と言う目標を掲げて、悔いのないように精一杯生きて来ました。

 

自分の意志で行動出来なくなったら、それが人生の終着点と言う考え方は、紺美さんのそれとも通じるものがあり、紺美さんとは人生の終わらせ方も相談していました。

 

気付けば、いつの間にか5年が10年となり、当初の予想を超えて生き恥をさらしています。

お陰様で予想より多くのことをさせてもらえましたが、ほとんど準備を終えた終活は、執行猶予期間の延長による状況変化で見直しを余儀なくされています。

 

この間、要介護度は3になり一人では何処にも行けなくなりました。

ネットで完結するもの以外は、家内の手を借りなければ何も出来ません。

ネットで買物をしても、荷物を受け取りに出ることすらままならず、開梱から設置作業まで家内や家族の手を煩わせる始末。

 

当初考えていた終着点が見えて来た・・・・・、

 

はずでした。

 

ところが、出来ないこと、即ち人に頼ること、に慣れ始めている自分が居ることに気づきました。

当初考えていたほど居心地の悪さも覚えず。

 

この10年間、諦めることの連続だったもので、諦めることに鈍感になったのかもしれません。

 

これが私の新境地です。

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は他人事では無さそう。

ワイドスパンの巨大な窓ガラスに養生テープを貼ったけど、それだけでは不安。

普段の風通しの良さが、徒になるか?

 

pacoさん、いつもタイムリーな情報 有り難う!

 

 

 

普段は電動車椅子(サルサM2ミニ)を、スロープ付きの福祉車両で運んで何処ででも快適に使っているのだが、車椅子が載せられない公共交通機関(バスやタクシー)を使わざるを得ない場面に遭遇しないように気を遣っている。

 

サルサM2ミニは、自重が100kg以上あり、とても持ち上げられないし、仮に数人がかりで持ち上げたとしても折りたためるわけでは無いので、サイズ的に入らないのだ。

 

それ故、これまでは予めエレベーター付きの駅などを経由して電車などに乗り継げる事が分かっているところ(例えば、空港に直接地下鉄が乗り入れていて、その沿線駅から電動車椅子の行動範囲内に宿泊施設や観光地などがある福岡など)にしか行けなかった。

 

もっと行動範囲を広げようと、必要に応じて軽量で折り畳みの出来る電動車椅子を借りてみることにした。

早速福祉用具店が用意してくれたデモ機は、ヤマハのJWアクティブ PLUS+。

本体重量約30kg。折り畳むと790x774x350になる。

 

最寄り駅のタクシー乗り場まで自分で運転して、先ずはセダン型のタクシーに挑戦。

中肉中背の女性運転手だったので、持ち上げられるかどうかが心配だったが、難なくトランクに収納。

残念ながらトランクの蓋が閉まらずゴムバンドで固定。

手際の良さは、お母様の介護をされていたからとのこと。

 

帰路は、車椅子に乗ったまま乗車出来るのが売りで、以前から気になって居た、いわゆるジャパン・タクシー(JPT)に挑戦。

オリンピックに向けて大量に導入され、最近は街中でもよく見かけるようになった。(下の写真参照)

 

 

ロンドンのタクシーを一回り大きくしたようなデザインで、高い車高が寄与して車内スペースはかなりゆったり。

市販車で言うと、トヨタのポルテ・スペイドと同じような居住性。

下の写真の様に乗り込んで、

 

 

下の写真の様に収まる予定だったのだが、

 

 

そうは問屋が卸さなかった。

 

最初の関門は、タクシー乗り場のシステム。

車椅子マークのスペースがあったので、そこで待っていればJPTや介護系のタクシーが来るのだろうと思っていたら、その手の車両も全て通常の乗り場の方に行ってしまい、次々と少人数の健常者が乗車していく。ワンボックスのスロープ付き車両と思われるタクシーまで。

 

たまたま、車椅子マークのスペースで障害者を降ろしたJPTに乗ろうとしたら、乗せられないと言う。

諦めて通常の乗り場に行って、漸く自分の順番になったにもかかわらず、それまでは5台に1台は来ていたJPTが全く来ず、後から来た人に譲り続けること小一時間。

 

漸く待ちに待ったJPTが来た。

車椅子スペースの方に誘導して、すんなり乗れると思いきや、運転手が渋る。

その理由は、スロープが横に出るため、降車場所で降車ドア横に6mほどのスペースを、他の交通の邪魔にならないように確保出来無いと降ろせないから乗せられない、と言うもの。

 

 

確かに、住宅街の道路幅は6m程度の所は多いし、降りるのにも時間が掛かるだろうから、そう言う問題は有るのは理解出来る。

しかし、拙宅はマンションでエントランスまでのアプローチが十分に有るので、全く問題無い。

そう言っているのに、他に乗せられない無い理由を探そうとする。

前・後部座席を倒して重たいスロープを出して広げ、安全に設置する作業が面倒だったのは容易に想像が付く。

ひょっとすると、設置方法も分からなかったのかも知れない。

 

もう散々待った後なので、それ以上交渉する気にも慣れず、本人は座席に移乗して、折り畳んだ電動車椅子をハッチバックを開けたところに積むことで折り合いを付けたが、男性ドライバーが車椅子を持ち上げられない。

やっとの事で積み込ませて帰宅する羽目になった。

 

どうもこの手の問題は頻発しているようで(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59184)、製造元のトヨタも対応しているようだが(https://www.webcartop.jp/2019/02/329312/https://kuruma-news.jp/photo/128293#photo2)、タクシー乗り場のシステムは何も変わらないし、スロープ設置に必要なスペースも変わらないので、改善につながるとは思えない。(運転手の非力問題は論外)

 

今回の試行錯誤の結果、本末転倒だが、当分はそのためのJPTには期待せず、セダン型のタクシーでトランクに積んで貰うのが現実的という結論になった。

移乗出来なければ介護タクシーを呼ぶのが無難だろう。

何の為のユニバーサル・デザイン・タクシーなのだか。

ため息が出る。

パラリンピックで日本は大恥をかくことにはなるまいか?

 

 

 

 

 

 

 

これが、思春期を迎え生きる喜びに満ちあふれた女性に使われる表現、だと言う事は言われるまでも無い。

 

しかし、60代の先の知れたむさいオッサンでしかない自分の状態を表すのに、ピッタリだというのは皮肉だ。

余りにも女性に失礼で、穴にも入りたい気持ちになる。

 

笑栓(笑いを制御する栓。筆者の造語)の緩みは止まることを知らず、自分でも何が可笑しくて笑っているのか分からないほどだ。

 

以前は、家内に「何故笑っているのか」と聞かれて、答えようとすると益々笑いに拍車が掛かって、笑いの無間地獄に落ちたものだった。

最近は、家内も聞いても答えは期待できないし、仮に答えが帰ってきたとしても常人には理解できない理由でしか無いこと、を理解したため、無駄な質問をしなくなり、無間地獄からは開放されつつある。

 

事ほど左様に、最近は家内による私の症状の理解がかなり追いついてきて、楽になった。

以前は、ある程度理解が進んだ頃には症状が進んでいて、理解が追いつかずに、お互いにフラストレーションが溜まることが少なくなかったが、ここまで症状が進むと、更に進むと言っても想像(もしくは誤差)の範囲内になって来たのだろう。

 

例えば、普通の人なら1秒もかからずに出来ることが、1.5秒かかるようになったとする。

それが病気のせいと理解するまでは、「何をもたもたしているのだ」と感じるだろう。

それが病気のせいと理解した頃には、2秒かかるようになっていて、わざとゆっくりしているのでは無いか、と感じる。

それが症状が進行したためと理解する頃には、3秒かかるようになっている。

本人は、症状の進行を認めたくなくて一生懸命やっているのだから、双方にフラストレーションが溜まり続ける。

 

しかし、それが5秒となると、その先6秒や7秒になっても、「遅い」の誤差範囲になる。

 

事ほど左様に、一事が万事、出来無いことへの理解が進み、症状の進行が誤差の範囲にまでなると、お互いにフラストレーションが溜まりにくくなって、「自分のことを自分で出来無い生活」への苦痛が軽減されてくる。

 

「出来無い」ことを、苦痛と感じてもがいていた頃には想像出来なかった、ある種の境地だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、以前したためていた記事なのだが、ことさら韓国のことを持ち出すことに嫌気がさして、公開せずに居たもの。

しかしながら、一向に関係改善の兆しが見えない上に、韓国がGSOMIA破棄という愚行にまで及ぶに至って、一言言わずにはいられなくなった。

と言うわけで、少々旧い記載もあるが、一部、斜文字(イタリック)部分を追記して公開する。

 

これまでも韓国のことは話題にしてきた。

私自身、過去に韓国に住んだことがあって、友人も居たので、韓国の置かれている状況を憂えていたからである。

 

朝鮮半島情勢を理解するための本3冊

Korea Fatigue (韓国にはもう うんざり!)

 

いずれの記事も、今回の対自衛隊機レーダー照射問題や徴用工問題、以前のことである。

 

事態はどんどん危惧していた悪い方向に向かい(櫻井 よしこ氏や、元駐韓大使の武藤 正敏氏の慧眼には感服する次第)、日本人の感情は「嫌韓」のレベルを遙かに超えて、「呆韓(ほうかん。韓国にあきれること)」、「拒韓」、「哀韓(韓国をあわれむこと)」と移り変わり、昨今は「嗤韓(しかん。韓国をあざける、韓国を馬鹿にしてわらう、と言う意味)」、にまで行き着き、痛くも痒くも無い反日の状況に、「もはや娯楽の域」、と揶揄するマスコミまである。(https://www.news-postseven.com/archives/20190819_1433412.html/2

 

韓国には韓国の理屈が有るのかも知れないが、『日本側が、いわゆる「元徴用工」などの個人補償は個別にしたいと提案したのに、韓国側が個人への補償を強硬に拒否し、韓国政府への一括支払いに固執した「1965年締結の日韓基本条約や日韓請求権協定」』を反故にする理屈は、客観的に見てもどうしても見当たらないし、レーダー照射問題の際の韓国側の対応は全く信憑性が無い。

文在寅が金正恩の傀儡政権なのも、その言動から間違いないと思われる。

GSOMIA破棄に至って、いよいよ文政権は北朝鮮の傀儡である事を、全世界に向けて表明した。

 

前出の記事は、「韓国関連の話題が盛り上がり過ぎて、軒並みPVが上がっているウェブメディアが勝者」と結論づけているが、暫くは収まりそうも無い。

 

そんな中で、注意しなければならないことがある。

それぞれのメディアの立ち位置を理解していないと、知らず知らずの内に、とんでもない誤解や曲解を押しつけられて仕舞いかねない、と言う事である。

 

TBS系「ひるおび!」に出演した八代英輝弁護士が「ハンギョレ新聞と中央日報と朝日新聞は、反日三羽烏」と発言し、話題となった。

的を射た発言である。

ハンギョレ新聞と中央日報は、中国の共産党御用達メディアである人民日報の韓国版であり、韓国政府の意向のみを文字にする新聞なのは常識として、「朝日新聞は日本の新聞なのに反日?」 と思ったあなたは要注意だ。

 

朝日新聞は、吉田清治氏の嘘の証言の十分な裏取りもせずに、「慰安婦」というものを作り上げた新聞なのだ。

新聞紙面にあたかも真実の如く掲載された、その証言を元に河野談話が発表されて、「慰安婦」が既成事実化してしまった。

慰安婦は朝日新聞の捏造物と言われる所以である。

その後、その証人自身が「証言は嘘だった」と証言したが、後の祭りである。

朝日新聞は訂正記事も謝罪記事も掲載せず、証拠も無く「慰安婦」という虚像を祭り上げて、韓国政府と共に慰安婦問題を声高に叫び続けて居る。

 

勿論、今回の問題でもいつもの通り、韓国応援に回っている。

新聞のみならず、テレビ朝日系列(関東地方では5チャンネル)では、他局が時間を割かなくなっている、韓国による反日デモの様子や不買運動が日本経済に及ぼす悪影響など、を延々と大袈裟に報道し続けていることがそれを示している(筆者の主観)が、GSOMIA破棄に対するアメリカ政府高官の辛辣な韓国批判や、文在寅大統領の側近・チョグク(曺国)氏のスキャンダルなど、韓国の不利益となる報道は他のメディアに比べて少ない(筆者の主観)。

 

一般の日本国民が、ハンギョレ新聞や中央日報を目にする機会は多くは無いと思うが、朝日新聞が反日なのは余り知られていない。

 

他のメディアは、日本応援記事に偏りがちなので、バランスを取る意味でこれらのメディアに接するのは意味が有るかも知れないが、この様な背景を認識していないと危険だ。

 

韓国が不買運動など、一連の「反日」に走る一方で、日本では、「嫌韓」、「呆韓」、「拒韓」、「哀韓」、「嗤韓(しかん)」、などの言葉は並べても、「反韓」という言葉が使われたり、韓国製スマホである「ギャラクシー」などが、不買運動の対象とされるようなことが無いのは、幸いなのかも知れない。

 

これは、日本人の寛容さの表れと捉えたいが、恐らくそうでは無く、単に韓国を下に見ていることの表れなのだと思う。

大した影響も無い韓国を相手にしても、仕方が無いし、面倒なだけ、と思っているからこそのことであろう。

 

逆に、韓国が「反日」を叫べば叫ぶほど、それが日本に対する劣等感の発露に他ならないことを、何故韓国人は恥だと気付かないのか、が不思議なところだ。

 

全世界に北朝鮮傾斜を表明してしまった文政権は、一層の北朝鮮寄りの政策を進めていくしか無くなった。

私が以前から危惧している、『「北朝鮮の武力(核)による朝鮮半島統一」 ⇒ 「資本主義経済の崩壊」 ⇒ 「大量の難民発生」』という図式が現実味を帯びてきた。

 

絶対に日本は朝鮮難民(100%反日教育を受けたテロリスト候補)を受け入れてはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

宮下洋一 著、「安楽死を遂げた日本人」を読んだ。

 

新書は重いし、指先に力が入らないので、上手くページをめくることが出来無い。

それでも、夢中で一気に読み切ってしまった。

首から肩にかけての痛みは、読後2~3日余りも続いた。

 

紺美さんのブログは、殆どリアルタイムで目を通し、直接メッセージやコメントで意見交換もしていた。

NHKスペシャルも見たし、関係者から直接話を聞くことも出来た。

 

十分に「紺美さんの物語」は理解したと思っていた。

この本を読むまでは。

 

どうやってあの衝撃的な番組が生まれたのか。

そこに至るまでの、関係者の葛藤、偶然やトラブルの数々、綱渡りの日々。

 

これは、著者の目から見た「紺美さんの物語~詳細編~」だ。

 

前半は、主として紺美さんのブログの抜粋と、その背景。

紺美さんの文章は、そのままで読み物になる。

家族や周辺の葛藤と、友人やNHKのディレクターとの行き違い、心の通い合い、に焦点が当たる。

後半は、紆余曲折の末のスイスへの旅と、TVクルーも冷静さを失う緊張の撮影現場。

そして、後日談へと続く。

 

私は、安楽死の是非を語る立場には無いが、この本を読んで、紺美さんのケースは、安楽死する要件が備わっていた、もしくは紺美さん自身が十分なお膳立てをしていた、と納得できた。

 

紺美さんに少しでも影響を受けた方なら、是非手にとって頂きたい一冊である。