中東情勢が経済に与える影響と、それに対する投資戦略を考えてみる①
中東情勢の悪化を受けてここ2週間ほど原油が値を大きく上下させながらも明らかに100
ドルの大台を狙っています。この直接の原因は世界第8位の産油国リビアの政変により、原
油の安定供給に大きな疑念を持たれ、現実問題として原油供給に大きな支障をきたしている
ことです。先週北海ブレンドがWTIと大きくかい離し、マーケットの話題になりましたが、
これはリビアの原油が主として欧州に供給されていて、このルートが遮断されたことにより
地理的に近い北海ブレンドが注目されたことにあります。リビアの内戦状態は継続する可能
性があり、湾岸戦争時に見られた、油田攻撃などがあれば、リビアがこれまで供給を担って
きた欧州分を他の産油国が負担する事になり、結果として原油市場の需給関係を締め付ける
ことになり、原油上昇を支援する材料になります。明日は原油上昇が米国をはじめ世界経済
に与える影響を考えたいと思います。
Ken
中国ジャスミン革命-27日午後デモ開催予定、18都市に拡大(4)
中国で民主化などを求める「中国ジャスミン革命」集会の呼びかけ文が23日、再び反体制ニュースサイトに掲
載された。時間は27日午後2時、予定都市は前回20日の13都市に、チベット自治区ラサや新彊ウイグル自治区
ウルムチなどを加え18都市に拡大した。
同サイトでは、集会の組織者を名乗る人物は公開書簡も発表した。反腐敗や国民による政府監督、言論自
由、司法の独立を重ねて要求するとともに、暴力革命を支持せず、活動が政府転覆を狙うものではない点を強
調した。
デモの呼びかけに対して、応じる人数はどのくらいあるか統計されていませんが、当局は閉じ込め姿勢を強め
た。中国本土のウェブサイトでは、どこにも集会や、デモの記事が掲載されていない。ブログなどでこれらの記
事が掲載しても、すぐ削除され、“ジャスミン(茉莉花)”は既に敏感詞になって、検索したら、“関連する法律、政
策にも基づいて、検索結果が示されていない”との表示が出てきます。
中国の各地で行っている「ジャスミン革命」について、冷静的考えてみれば、中東各国とは違う背景がありま
す。それは中国の経済が安定していますし、多くの民衆は官僚の腐敗や福利厚生、法律などの不備の改善を
要求しているものの、社会の不安定は望んでいません。特にデモで暴力が行われた場合、警察あるいは軍によ
る取り締まる可能性も十分にある。今週週末にもデモを行う予定ですが、事態はどう発展するのを注目したい。
Robin
中東情勢を歴史から見た分析~「今回の反政府デモ」
月曜日から木曜日までの連続コラムの最終日である本日は、3日間のコラムを踏まえて現
在の中東情勢を考えてみたいと思います。
今回の反政府デモは過去の中東史の独立運動や列強からの経済的権益の奪還、精神や文化
面での宗教運動でもありません。ある意味ではそれらは既に達成しているためです。今回
の運動の矛先はそれぞれの国の為政者に対して向けられています。もともと現在の中東の
為政者たちの大半は列強によって選ばれ、便宜的に据えられたリーダーであるか、エジプ
トやリビアのようにクーデターで獲得した地位です。世界経済の中で欧米のプレゼンスが
全般的に低下する中で、中東の為政者達は石油権益の国有化と歴史の顛末の中で、その地
位が固定され、一種の貴族化をしています。この閉塞感が民主主義への渇望と共鳴し、今
回の原動力となっているため、これまでの中東の歴史に無い新たな動きであり、それが今
回中東で立て続けに起こっている民衆蜂起が注目されているゆえんと言えるでしょう。
ちなみに、バーレーンの場合は様相が異なる可能性が高いです。この国の為政者はイスラ
ム教スンニ派であるのに対して、国民の大多数はシーア派です。これは中東の文脈で考え
るとスンニ派が多数のサウジアラビアとシーア派のイランによる代理戦争とも言えます。
またサウジの背後には米国があり、米国にとってもバーレーンには別の戦略的な意味があ
ります。同国はホルムズ海峡という世界の原油の20%強の供給ルートの要所に近く米海軍
第五艦隊の基地があるためです。ホルムズ海峡の効果を最大限活用しプレゼンスを示すイ
ランに対抗するための米国外交の戦略的要がバーレーンです。つまり、バーレーンの騒乱
は米国・サウジ・イランなどの諜報員達がそれぞれの利害のために同国の国民や政府を扇
動している可能性が考えられ、これが事実ならば、バーレーンの騒乱は前近代的ですが中
東らしい内紛ともいえますし、エジプトの時と異なり、米国政府、特にヒラリークリントンの歯切
れが極端に悪くなる理由が明らかになると思います。
Ken
中東情勢を歴史から見た分析~「イランにおけるイスラム革命「精神・思想面での欧米文化圏からの独立」
イランは革命以前は中東で最も親米的な国家でした。石油権益国有化を行ったモサデク政
権を、米国の援助のもとに行われたクーデターでパーレビ王をイランに据え、米国の傀儡
政権に仕立てました。当時のテヘランは中東のロスアンジェルスと評されるほどでした。
しかしシャーは次第に独裁色を強め、その背後にいる米国も忌み嫌われる存在になります。
そして1979年にイラン革命でホメイニ師が宗教をベースにしてイラン国民を統合して王政
を打倒しました。これを機にイランは外交面で反米路線、思想面でイスラム教シーア派の
その中でも最も過激な原理主義に傾注していくことになります。ただ中東現代史において
はイラン革命は明確にイスラムを前面に打ち出し、欧米の思想を全面的に否定した点で精
神・思想面での独立を達成したといえます。
Ken