イイコな女社長 ~半歩先の食探し~ -14ページ目

能動的

弊社が運営する店舗は

基本的に看板を出さない方針です。



その理由として4年半前に書いた記事がこちらです。


「I LOVE 能動」

http://ameblo.jp/e-e-co/entry-10203895489.html



ポイントは


「人間は受動的ではなく能動的に行動を起こした場合、

自分の行動に責任を持つし、その行動の意味を考える。」


ということです。





その後、私は「能動的」ということをテーマに

ずっと考え続けてきました。




辞書で調べると『能動とは・・・』


「他からの働きかけを待たずにみずから活動すること。

受け身ではない活動。」


とあります。




そして反意語は『受動』


「他からの動作、活用を受けること。

他からの働きかけを受けること。」


です。





一見、看板を出さないという活動は受動的であり、

お客様の能動的な活動を待っているかのように感じます。



でもそれこそが

能動的な活動であることを忘れてはいけません。



能動的な活動を待つのは

かなり時間のかかることです。



待ち切れずに

ついつい宣伝費にお金をかけたり

看板を出したくなってしまいます。





今までの経験で言うと

売上が上がらない理由を

看板を出していないこと、

宣伝が足りないことを挙げてくるのは

現場で仕事をしている社員です。



本気でお客様にいらしていただきたいと思っている

社員にとって当然の意見です。



本気で仕事に臨んでいるからこそ

こういった意見が出てくるのです。





そんなとき私は

半分譲ることにしています。



宣伝費にお金をかけてみたり

看板まで出さなくても

少しだけ店だということをわかりやすくしたり・・・



でも100%といって良いくらい

そうしたことによって

売上が上がったことはありません。



一時的に来客数が増えるということはあっても

リピート率が高くなったり

客単価が高くなったりすることには

絶対に結びつかなかったのです。



そのことを肌で感じて欲しかったので

無駄なことだとわかっていても

意見は意見として受け止めることにしています。





このことは人間関係にも

深く通じる部分があると私は思っています。



私は基本的に優柔不断で

決断力がない人間です。



独立した頃は

そのことがコンプレックスで

社員に馬鹿にされないように

必要に迫られて

無理やり決断していたこともありました。



一見それは経営者として

能動的な活動に感じられますが

それがすべてではないことに気づきます。



無理やり決断したことは

周りを完全に納得させることができないので

結局は尻つぼみ状態になってしまうことが多いのです。





その次に試したことは

結果は自分の中でイメージできているのに

敢えて相手に決断させたり行動させるように

仕向ける作戦でした。



この作戦も

一瞬はうまくいったように思えても

長続きはしません。



結局は自身が気づいて行動しないことには

本気で行動しないし

行動に責任を持たないし

行動の意味を考えようとしないのではないかという

結論に行き着きました。





ほとんどの場合

弊社のような零細企業は

経営者が急いで決断をしなくてはいけない出来事は

そんなにないような気がします。



少し待ってみる。


気づいてもらう。


人を信じてみる。



これらは何よりも能動的な行動なのでは

ないでしょうか?



もしかして想像以上に時間がかかることかもしれかもしれませんが

その行動が決して受け身ではなく

能動的な行動だと考えれば

すべてはうまくいくはずです。



もちろん万人に当てはまることではないので

失敗も多々あります。



失敗したら失敗したで

また考えなおせば良いことです。




お金と優しさ

「お金」と「優しさ」って

凄く共通点があることに気づいた。



日本人ってお金のことを

オープンにするのってとっても苦手。



でもそれってとっても勿体ないことだと

私は思っている。



なぜならオープンにしないと情報は入ってこないし

預金が増えることを喜んでいるだけでは

社会貢献もできない。





私は20代の頃

お金というものは与えるものではなく

与えてもらうものだと思っていた。



そして自分のために使うものだと思っていた。



だから自分の努力や功績に対しての報酬に満足できないと

転職していたし

自分が求めているプレゼントを買ってくれなかったり

自分が求めているレストランに連れていってくれない

男性には興味がなかった。



今思えば、とてつもなく生意気な話だ。





ところが33歳で独立してから

お金は与えてもらうものではなく

与えるものだという考えに変わった。


というかそう考えざるを得なくなった。



お給料を支払わないとスタッフは働いてくれないし

家賃を払わなければ営業できないし

借金も返済しないと運営できないし

税金は払わないと催促されるし・・・



当然のことながら

自分が好きな人や好きな物以外にも

お金を支払わなくてはいけないこともあるし

納得いかなくても与え続けなければいけないこともある。



最初の頃はなんだか経営者って

わりに合わないな~なんて思うこともあった。






ところが、ある時凄いことに気づいたのだ。



とにかく与える、与え続ける。



見返りを求めない。



そう考えて投資を続けていると

その額は同額以上、もしくは2倍にも3倍にもなって

返ってくる。



ここで言う投資というのは

株や不動産や為替とかいう意味ではなく

自分や家族だけでなく

他人や社員やさまざまな物事にということ。



このお金の法則は

サラリーマン時代の20代の頃には

全く考えたこともなかった。



せいぜいお洒落して綺麗にしてると

お金持ちの男性が寄ってくるってことくらい。





そしてこのお金の法則が

「優しさ」と共通点があると気づいたのはごく最近だ。



人に対して優しさを求めるだけでは

いつまでたっても本当の優しさを手に入れることはできない。



裏切られても優しくし続けると

必ず返ってくる。



もっと凄いのは

お金も優しさも与え続けるコツさえ覚えてしまえば

それは足し算ではなく掛け算になって返ってくるということ。



与えられることを求める前に

与え続けよう。



そうすることによって心も豊かになり

幸せな人生が送れるはずだと

私は信じています。






50歳の決意

なんと!丸2ヶ月間

ブログをお休みしてしまっていました。


まめに更新するタイプではありませんが

こんなに間があいたのは初めてかもしれません。



その間に

私はめでたく50歳の誕生日を迎えました。



去年の49歳の誕生日に書いたブログは


「産んでくれてありがとう」

http://ameblo.jp/e-e-co/day-20120918.html




そして今年も誕生日の朝一番

「産んでくれてありがとう」

と母にメールを送ることができました。



そんな私は本当に幸せ者です。




誕生日となると

それなりに色々と考えるわけでして、


その中でも50歳という年齢は

かなり節目の年で

相当な覚悟がなくては

残りの人生を有意義に生きていけないのではないかと

私は思っています。





20歳のとき

「とにかく早く自立したい」

と思っていた。



30歳のとき

「何でもいいから起業したい」

と思っていた。



40歳のとき

「現場主義から経営者に転身したい」

と思っていた。




流れに逆らわずに行動してきたら

なんとなく実現されていました。



そう、

その時は流れに逆らわなかったから

実現できてきたのだと思っていました。



でも、

今思えばそのときそのときで

確固たる意志があったのだと

感じます。





この仕事を15年以上続けてきて

感じることがあります。



チャンスは皆平等にあるということ。



そのチャンスを生かすも殺すも自分次第。



私は流れに逆らわなかっただけではなく

チャンスに気づいて

上手に活用しただけだったのです。





ここ数年

そのことを意識して

人と接してきました。



同じような環境にあり

同じようにチャンスがあるのに

上手に活用できる人とできない人とでは

雲泥の差ができます。



目の前にチャンスが転がっているのに

それに気づけない人

気づいても口だけで生かせない人。



本当に勿体ない!



なぜなら、

それが後の人生に影響してくるからです。





人は何歳になっても

変わることはできると信じています。



でもそれは

歳をとればとるほど簡単ではないことなのです。



人生は続いているのです。





どんな状況におかれていても

必ずチャンスと考えられる案件は

転がっているはずなのです。



そのチャンスをどう捉えるかだけの

違いなのです。





50歳になった今

20歳のとき、30歳のとき、40歳のときと比べて

大きな変化がありました。



それは

「結婚した」ことです。



結婚したのは5年ほど前の出来事ですが

妻らしいことは何ひとつしていなかったことに

やっと気づくことができたのです。



人生においてこんなに大きなチャンスが目の前に

転がっていたのにもかかわらず

私はこのまま流れに逆らわず

50代を生きようとしていました。



このチャンスを活かすことができなければ

一生後悔するところでした。





だから私は50歳の誕生日に決意しました。


「妻として生きる」



仕事を辞めるという意味ではありません。



この年齢だからこそ

経営者として女性として

「妻として生きる」ことを意識することが

しなやかに幸せな人生を送ることだと

思ったからです。



50代の横山貴子

そして鈴木貴子(本名)を

今後ともよろしくお願いいたします。