色気
外食する意味ってどこにあるのだろう。
家で作れないプロの料理を食べる。
家で作るのが面倒だから外食する。
気の合った友人との会話を楽しみながら食事する。
何かの記念日に外食する。
・・・・・
時と場合によって
外食する意味っていろいろある。
では、店作りをする私たちは
どこに意味を持って店作りをすれば良いのだろう。
17年前に飲食業の経験が全くなく開業した私は
そんなことはこれっぽっちも考えていなかったような気がする。
ただ単純にお客の立場として
最低限なことを守っただけである。
「美味しくなきゃダメ!」
「ダサいのはダメ!」
たったこの2点だけ。
とっても簡単なことに思えるけれど
美味しいというのも
ダサいというのも
人によって基準値が違うのだ。
かと言って
美味しく見せるために
ダサく感じさせないために
ありきたりなテクニックを使うのも違うと思っていた。
最近気づいたことがある。
自分の店がどう評価されると嬉しいかどうか。
そこが私たちの求められるところでもあり
求めるところなのではないか。
色んなワードで評価されてきたが
一番嬉しかったのは
「色っぽい店」
という評価だ。
色っぽいというワードこそ
美味しいとか
ダサいよりも
人によって基準値が違うはずなのに
なぜか私はこの評価がとても気に入っている。
一番最初に作った恵比寿の「201号室」は
マンションの一室の入口を開けると
真っ赤なカウンターが目に飛び込んでくる。
何の店をやるか全く決まっていなかったのに
なぜかこの真っ赤なカウンターだけは決めていた。
何度か業態変更してきたが
この真っ赤なカウンターだけは譲れない。
このカウンターでプロポーズしたカップルも
何組かいらっしゃるらしい。
二番目に作った恵比寿の「続201号室」は
ビルの2階の入口を開けるとなぜか屋台。
屋台なのになぜかこの店は
「色っぽい」という評価だった。
今ではジンギスカン屋になったが
それでも「エロい」と言われる。
その後の中目黒の
「村上製作所」や「豚鍋研究室」は
ガード下でほとんどお金をかけずに作った店だったのに
なぜか色っぽいと言われていた。
ガード下なのに
色っぽいお客が集まった。
いま思えば
色気が全く感じられない店というのは
結果的に失敗していたことに最近気づいた。
色気というのは
自ら意識して作り上げるものではない。
自然に身につき
他人が評価するものだ。
たまに自ら意識して
色気をアピールしている人もいるが
薄っぺらくていずれボロが出る。
だから色気を意識して
店作りをするのではなく
「色っぽい」と評価されるような店にするために
一捻りも二捻りもする必要がある。
せっかくお金を払って外食するのであれば
非現実的な空間を味わいたい。
そこを突き詰めていたら
「色気」に行き着いたような気がする。
店も生き物なのだから
色気がなくなったら
次の対策を考えるべきですね。
命を「いただきます」
食の仕事を始めてから
17年めになりました。
最初は他にやることもなかったし
他のことは我慢できても
美味しいものを食べることだけは
絶対に我慢できなかったので、
この仕事を始めました。
17年もの間
飲食店とは? 外食とは?
お客様が求めていることとは?
食をビジネスにするってどういうこと?
食の流行って?
などなど
様々な問題にぶつかりながら
試行錯誤してきました。
テクニックやイメージで
飲食店を流行らせることはできる。
でも、私たち外食を仕事とする限り
私たちの仕事を支えている原点を
もう一度見直そうと思いました。
「半歩先の食探し」をテーマとしている私たちは
常に前を向いて食と向き合ってきました。
そして常に食の源には
「健康」と「美容」が欠かせないものであり
最近では発酵食をふんだんに取り入れている
中国少数民族料理に注目しています。
中国の楡林、重慶、貴陽、桂林など
そういった目的がなければ
絶対に行かないような土地に出向き
現地の料理や食材を肌で舌で脳で心で
感じてきました。
先日行った桂林の市場では
狗だけでなく猫やモルモットなどが
食用で売られている光景を見て
さすがに衝撃を受けました。
食べることに対して異常に貪欲な私でも
さすがに食べることはできませんでしたが、
命をいただくありがたさというものは
こういう仕事をしている私たちが
積極的に伝えていかねばならないのではないか?
最近、そんなことを考えています。
日本人も猫や狗を
積極的に食べようということではありません。
私たちがさり気なく食べている
肉や魚や野菜には
それぞれストーリーがあるということを
伝えていきたいのです。
桂林で食べた鴨の料理が忘れられなくて
帰国してから鴨の仕入先を探していました。
精肉業者や鴨農場等ではクリアできない条件があり
苦戦したのですが、
合鴨農法をやっている農家さんをご紹介いただき
私たちが求めている条件を受け入れてくださったのです。
合鴨農法とは
アイガモを田んぼに放すことによって
雑草や虫を食べてくれるので
化学肥料や農薬を使わず
自然環境を守り米を生産します。
稲の収穫後
アイガモは食用肉として処分されます。
この農家さんは
約半年間、一緒に頑張ってきたアイガモたちを
ご自身の手で命を絶ち
そうやって人間のために一生懸命働いてくれた
アイガモの命を人間がいただく。
まさに「いただきます」とは
そういうことなんだ。
そのことを子供たちにも
きちんと教えているそうです。
私はその話を聞いて
なんとも言えない不思議な気持ちになりました。
当たり前のように
毎日美味しいものを求める私たち。
そんなストーリー知らない方が
美味しく食べられるという人もいるでしょう。
そんな話きいたら
かわいそうで食べられないという人もいるでしょう。
それは人それぞれだと思います。
でも私たちは食を仕事とする限り
美味しいものを提供する義務がある限り
真実を伝えることも大切だと考えます。
もうすぐ弊社の店舗でも
この合鴨のお料理が提供できます。
LEAN IN (一歩踏み出せ)
フェイスブックのCOOが書いた話題作
「LEAN IN」
冒頭にはこう書いてある。
「新卒大卒者の50%が女性となってから
30年が経過したにもかかわらず、
いまだにアメリカの政府や企業のリーダーの大多数は男性です。
つまり、社会生活に大きな影響を与える決定において、
女性の声が平等に反映されにくい状況が続いているのです。
なぜ女性リーダーが生まれにくいのでしょう?
その原因はどこにあるのでしょう?」
私は仕事をしていく上で
男女平等を必要以上に掲げるつもりもないし、
もっと女性が仕事をしやすい環境にするべきだと
他力本願的なことを訴えるつもりも毛頭ない。
なぜなら
その原因は女性自身の性的や性格的な問題が
原因であって仕方のないことだと思っているから。
さらに
私はたまたま45歳まで結婚できなかったし、
出産した経験もないので
偉そうに言えることは何もない。
ただ
女性は男性に比べて人生において
選択肢の幅が広い。
一般論でいうと
結婚して妻の収入で十分贅沢できるので
夫が仕事を辞めるとかというのは
先進国では
まだまだあまりきかない話である。
でも逆はある。
それなのに
勝手な思い込みで
選択肢を狭めてしまって
まるで女性が仕事がしにくい環境のせいにし、
社会が悪いように訴える人もいる。
こんなことだから
いつまでたっても女性リーダーが生まれにくいのである。
出産や子育ての問題は
夫婦間の問題であり
社会や環境のせいにしていても
何も前に進まないような気がする。
専業主夫になってくれる夫を選ぶ選択肢も
あるわけだから。
でも私は出産していないので何も言えない。
だからこそ
二人の子供を産み育て
フェイスブックの最高執行責任者(COO)であり
取締役でもある著者の思いを
とても興味深く拝読した。
その中でも
特に賛同したのは下記の部分である。
「女性が直面する障害物はたくさんあるが、
その頂点に君臨するのが「恐れ」である。
みんなに嫌われる恐れ、まちがった選択をする恐れ、
世間のネガティブな関心を引く恐れ、
力量以外のことを引き受けてしまう恐れ、
非難される恐れ、失敗する恐れ・・・。
そして極めつけは、悪い母親、悪い妻、
悪い娘になる恐れである。」
この部分を読んだとき
背筋がぞっとした。
私は中学時代までは
悪い娘になるのが怖かった。
ところが
あることがきっかけで悪い娘になったことによって
人生が開けた。
そして今、私は間違いなく
世間一般に言う悪い妻だ。
だが、晩婚だったからか
夫が相手を尊重し、受け入れる能力、理解力が
優れているためなのか
夫婦間では心地良い関係が保たれている。
もし子供がいたら
間違いなく悪い母親だったと思う。
逆に言うと
理解のある夫の存在と
子供がいないという環境が「恐れ」を
遠ざけているだけの話かもしれない。
そのあとはこう続く。
「こうした恐れがなくなれば、
女性は仕事上の成功と家庭生活の充実を
ためらわずに追求できるだろう。
どちらかを自由に選んでもいいし、
もちろん両方を選ぶことだってできる。」
そしてフェイスブックのオフィスの壁には
以下のようなリスクテークを促す
ポスターが貼ってあるとのこと。
「運は勇気ある者に味方する」
「とりあえず始めよう、大胆に」
「怖がらなければ何ができる?」
会社のせいや
世の中のせいや
環境のせいや
家族のせいにすることは簡単です。
でもそうすることによって
自分に甘えていることにも
気づかなくてはなりません。
まだ見ぬ未来を恐れずに
一歩踏み出しましょう!

