バイクと自転車と本と -57ページ目
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年齢×モトクロス

週末はいつものコースへ。
何やらイベント前らしく、学生が沢山。

気付いたら20代も終わりに近づいてきた今、
ああいう若い人達を見ると、急に自分の年齢を思い知らされる気分だ。
モトクロス始めたのが3年前で、既に25歳だったから、
今思うとホントにギリギリなタイミングだった。
これ以上遅かったら、色んな壁とかやらない言い訳を自分で作り易くなるだろうから。


トレーニングもしてるんで体力的な衰えはそれほど感じないものの、
笑った時に目尻のしわができることを、
同期の連中を見ていて、あ、そういや俺も、、って感じで気が付いた。

こんなん言ったら失礼ですが、
会社で年上だと思ってた女子社員(主に容姿にて判断)が、
実は同い年だったときとか、
ああ、なるほど、俺の年齢とはつまりそういう年齢なのだと悟った。

いやー、歳とった。
しみじみと感じる。


まだ、心理的なブレーキは掛けてないつもり。
とはいえ、
この歳になって肘に擦り傷、ってのは何とも格好が悪い。
ちょうど夏服で半袖になる時期なのに、
フープスでやってしまった。

スピードをもっと上げよう、とアクセルを開けていく途中だった。
このミスの仕方は実は3回目。

いつも後半でリアが振られて吹っ飛ぶ。
しかも、決まってスピードを上げていこうという調子が上向きのとき。
なぜ、調子良い時にこういうミスをするのかと考えていたけど、
やっと分かったのは、
確かにフォームの問題もあるんだけど、
自分は最初から最後まで同じ感覚でバイクをホールドしていた。
後半に向けて速度を上げていっているのにも関わらずだ。

これが間違いだと思った。
後半の方が、スピードが出ている分ちょっとしたことで振られ易いはず。
そのことを今まで考えもしなかった。

フープスは前半と後半では、リアタイヤに当る衝撃力は変わってくる。
その事実を意識の中にいつも留めておかないから、
ちょっとホールドが甘かったりした時にクラッシュ、となってしまう。
感覚だけで対処するのと、言葉として意識しておくのではかなり違う。
自分のセンスなんて信じない方がいい。


まぁでも、3回も転倒して気付くとは我ながらバカだ。
大きな怪我をしないのは運が良い。
ほんとに運が良いと思うのは、
フープスの転倒は、転倒する!と分かる瞬間はほんとに一瞬で、受身すらまともに取れないから。

気をつけよう。


俺の年齢の怪我ってのは、
10代の子達のとは訳が違う。


ほんと、
年齢を意識させられるスポーツだなぁと思います。

フープスあれこれ

$モトクロスとDUKEと自転車と本のこと

モトクロスの昼休み中にラジコン。
ラジコンやってから、モトクロッサー見ると不思議な感覚。
途轍もないパワー感というか、迫力というか。
小学生の頃の自分に戻って、大人の今の自分の視点で改めてモッサーを見ると、

なんだ、ラジコンと変わらない、でっかいオモチャだ。
ほんと、変わらない。
ラジコンやってた頃の自分と。モトクロスやってる自分と。

子供の頃はラジコンに自分の気持ちが乗ってた。だから楽しかった。
さすがに、今は乗せられない。

代わりにバイクに乗ると。

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モトクロスやってるときに足先にステップを載せる、
って行為は不安定になるし、普通はやらない。やらないはず。
リアブレーキを使わない場合のブレーキングギャップの対処とか、かなり限定されるはず。
ただし、フープスを除いて。


最近までフープスで足先に集中する、ってことを避けてきた。
だって、
普通にやったらホールドし難いし、かえって安定を崩す。

でもそれは限界。
ここのところ、イチから、の気持ちで足先ステップを意識。

レベルが一段階は下がったところから改めて練習して、
そして、やっと芽が出始めた。
きのうの練習はけっこう掴めた気がする。
この感覚をセーブしたい。


フープスについて思ってることをまとめたい。

よく雑誌などで紹介されてるフープスのテクニックは、
いつもフォームの説明が重視されている。

でも、自分が一番大事だと考えているのは、
進入スピードと、いかに序盤で加速していけるか、そのタイミング。
今の自分のレベルにおいて、どこでどのぐらいアクセルを開けて、どの山にリアを当てるのか、きっかり決まっているはず。
決めておくべき。

スピードが適正で、はじめてフォームの重要さが分かってくる。
基本的に、
スピードが乗らない=山の頂点にフロントとリアを繋げられない状態で、
腰を引き気味の例のフォームをやっても、マシンの上下運動が激しすぎて付いていけない。
絶対にあのフォームは維持できないはずなのだ。
速度が遅い人のフォームは、総じて重心がバイクのセンター付近にあって、ぱっと身は棒立ちに近い。
だけど、谷に一回一回ホイールが落ちてピッチングが激しい状態では、あれは適正だと思うのだ。
あの位置に体がないと、おそらくハンドルを握っていられないからだ。


スピードが適正で、山の頂点に当てていけるようになってくると、
マシンのピッチングが減ってきて、
例のフォームを取ることが出来るようになる。
その瞬間に、例のフォームが正しい、って知識があるとないとでは全然違う。
知らないままスピードアップをしたら吹っ飛ぶから。

だけど、順序としては、まず適正な速度の調整。だと思う。

そして、
その状態が自然だと感じられ、更なるスピードアップを目指したい場合に、
もっと細かいフォームの重点的な要素、
前述のステップに足先や、くるぶしやニーグリップ、上体の角度など、
マシンを安定させるための雑誌に載ってるテクが有効となるような気がする。


じゃあどうやってスピードを乗せるか。
フープスの形状や間隔に依るけど、
リアは次の山、フロントは次の次の山を狙う、というのが王道だと思う。
それがバババと行くための最初の動き。
だから、最初はフロントアップ気味で小さく飛ぶような動きになる。

問題はその後。
きのうは感覚を掴んだけど、
どうやって加速していってるか、言葉で表現できない。
感覚的には、
思った以上に開け続ける、ということ。
そしてフロントを頂点に当てるより、乗り越えるイメージの方が結果的にはちょうど良い気がする。
そのぐらい勢いを付けていく気持ちで開けていくのでなくては、バババといけない。

巧い人のフープスは、
平地でフルアクセルしてるときの加速とほとんど変わらないぐらい速い。
要するに、それぐらいアクセルを開けてるということだ。




と、長々と書いたけど、
週末にまた動きが再現できるか自信ない。

寝る前のイメージ繰り返し、日課にしよう。


初メッセンジャーバッグ

バックパックは3個も持ってて、場合によって使い分けてはいるんだけど、
どうもなんかこう、野暮ったいというか何と言うか。

ということで、
初めて(ちゃんとした)メッセンジャーバッグを購入した。


CHROMEのMini Metro(ミニメトロ)というモデルで、
CHROMEの中では最も小さいサイズのS。

定価だと16000円ちょいもする、見た目の割には高いバッグ。
ネットで評判が良いし、デザインがカッコいいのが購入理由。

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サイズはけっこう迷いました。
上記写真だと、Sサイズのくせに大きく見える。


メッセンジャーバッグを初で、しかもネットで買おうとしている人のために書いておく。
迷ったら、大きめで良いと思う。メーカーにもよるけど。

Sで良さそうなんだけど、、、⇒Mにすべし。って感じで。

なぜなら、
写真での見た目よりも、収納能力は意外と低いです。
自分は、ドイターのレースXというロードバイク用のバックパックを持っているのだけど、
これよりちょっと入るかな、ぐらいしかない。
上記のバックパックは軽量でかなり小型だ。見た目もちっさい。
それに対し今回購入したミニメトロは、
外観は大きいんだけど、思った以上に収納は大きくなかった。
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ただ、写真のように雑誌や書類はバックパックより入れ易いし、量も入りそう。
その点はメッセンジャーバッグならでは。


とにかく、
バックパックしか知らない人が、写真のイメージだけで判断すると、
欲しい容量よりワンランク小さいと感じる可能性がある。

大きいと漕いでて邪魔かも、
と思ってミニメトロを選んだけど、
ホールド感は良好なので、サイズが大きくなってもおそらく問題なさそう。


ただ、やはり見た目がスマートに見える、というデザイン上の優位点はあるし、
後悔するほどでもない。

ロードバイクに似合う。
ついでに、バイクでも合いそう。


もう一つメッセンジャーバッグの利点を。
それは、バッグをスッと前に持ってきて、財布やら小物を出すのが楽。
バイクから降りたら、ストラップを緩めてショルダーバッグちっくにしておくと、
すぐに物の出し入れが出来る。
で、こっからがポイント。

この動画の兄ちゃんのように、
華麗にバックルを操作して、シュッシュッとバイクに乗るモードにホールドさせる動作が何ともカッコいいのだ。

さて、行きますか!
と、バイクでスロットルを軽く煽る予備動作的な。

モタつかないように練習した。


バックパックをスマートに使いこなすのは難しい。
なんか遠足みたいに見える。のではないかと。

その点メッセンジャーバッグは、いかにもスポーティでスタイリッシュな感じがします。



高かったけど、
これを使って無駄に買い物に出かけたくなりました。

無感情モード

この雨量だと週末は乾ききらずにマディだなぁと思うと、
あと二日間を頑張る気力が湧きません。



今日は美容院へ行った。

髪の毛が伸びる速度が遅くなればいいのに、
と、
2ヶ月に1度散髪しなきゃならないのが面倒です。

もう一つ面倒なのが、美容師との会話。


ほとんど黙って切られるのが好きなんです。
ちょきちょきと、はさみの音を聴きながら、
仕事帰りで気だるい気持ちを落ち着かせるように。

それなのに、よく喋るんだ、俺の担当。
今更違う人にしてもらって髪形が変なことになるのもイヤだから、
毎回同じ人なんだけど。


俺の、「ちょっと黙って切ってくれる?」オーラが足りないのか、
たまに手を止めてまで会話してくる。

これで自分のことコミュニケーション力ある、とか思ってたらイタイ人ですよ。


言葉の少ないコミュニケーション力ってのもあると思う。
まぁ自分の場合は、単に友人以外と会話するのが面倒なだけだ。


最近、仕事も面倒になってきて、毎日が無感情モードだ。
無感情モードってのは、
しんどいとか辛いとか、そういう負の感情をいちいち抱いて過ごすのは体に毒なので、
楽しさを犠牲にする代わり、負の感情もなしにするモード。
これのスイッチのオンオフを巧くなることが、社会人には必要。と何となく思ってる。


この無感情モードが使えるのも、週末にバーンってバイク乗ってるからなんだ。
$モトクロスとDUKEと自転車と本のこと
だけど、週末はマディかと思うと、そのまま無感情モードが抜けないまま一週間を過ごしかねない。

それはさすがに不健康。
何か面白い本を探さないと。




きのうは、
ジョン スコルジー『老人と宇宙』を読了。
星2/5って感じの感想。

簡単に言うと、75歳で入隊し改造人間化されて宇宙のエイリアンと戦う、っていう話で、
1行で書くと、とても評価が高めの本とは思えない。

自分としては、
敢えて老人から始めたその理由が、物語の根幹に大きく関わってくるものだと楽しみにしていたのだけど、
まぁ、ぜんぜん活かしきれてない凡庸な話に感じた。

どうやらシリーズ物で、今後面白くなっていくのかもしれないけれど、
深夜にやってる二昔くらい前の海外SFドラマを見た気分だ。

どうせならラノベちっくにセリフとアクションに話の中心を持って来ればいいものを、
なんとも中途半端な印象でした。

覚えて忘れて

大学院のときからテレビはあまり見ていなかったので、
社会人になってからも特に買う気にならず、
気が付いたら3年が経っていた。


情報、という点で今ではネットがあれば事足りるが、
自分の興味のない情報や、意図しない有益な情報まで含めて、
不特定多数の情報が流れているテレビは、
使わなくなって思うと、不思議な家電だ。

ネットだけだと、自分の欲しい情報しか拾わなくなる。
各新聞サイトの一面と日経の社説春秋を基本にしているものの、
それでは、自分の視野が狭くはならないか。

と、
思いながら過ごしてきたが、
一方で、
人間は、毎日毎日、色々な事を見聞きして、同時にその大半を忘れていく。
とも考える。


子供の頃、
子供大百科、みたいなでかい本を買ってもらって、
何か知らない事がある度に、その本で調べた。
言葉に関しては、広辞苑が役に立ったし、知らない事を知るのは楽しくて、自分が充実する気分だった。

ただある時点から、
自分が記憶した情報の幾らかが、時間が経つと忘れていく事実に気付く。
「これは面白いから、絶対に覚えておこう」と強く思った事も。

勉強じゃなくて、自分自身が興味を感じて調べたことがだ。

テレビではトリビアに始まり、今でも色んな情報番組がやってるけど、
99%は忘れる情報だ。
それでも1%は、、、などというのはまぁ詭弁で、ほとんど全部忘れるってこと。



それは今でも感じる。
きのうの日記で書いた、「セーブして終了」もその内の一つだ。
何も知識だけじゃない、
運動の動作の感覚や精度も、すぐに忘れてしまうのだ。


まぁ、イヤな事があっても忘れられるんだから、
人間のこの機能も生きるうえでは必要なんだろうけど、
最近はその虚しさの方が強く感じる。

小説を読んでても、
その時知った新しい価値観や考え方とか、
忘れたくはないんだけど、忘れてしまう。



だから、
何度も繰返すと。好きな事、出来るようになりたいこと、忘れたくない事。

そうやって何十年も過ぎた後に残ってるモノってのは、
自分にとっては貴重な事なんだろうなぁと思う。



何が残るのか。何を残すのか。


連休最後の日に読んだ小説は、
川端裕人「今ここにいるぼくらは」
感想は後日。

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セーブして終了

今日は久しぶりにいつものチキンへ。
やっぱりこのコース好きだ。

モトクロスはフープスとジャンプがあってこそ。
このコースはこの二つがしっかり練習できる。


今日は色々と掴めた感触が残る一日だった。
フープスは、
・進入でステップに置いてる足の位置確認。母子球より前辺りを意識。
・最初のアクセルはしっかり開けて加速のきっかけをつくる。
・フロントとコブの当るタイミングと高さを常に意識。

特に足の位置と、フロントの高さはけっこう大事だと分かった。
理想は全てのコブでフロント、リアともに頂点をかすめれば良いけど、
最悪、フロントさえしっかり頂点を狙えていれば、後はアクセル開度とリアのホールドに神経を注いでいれば、
そのうちペースが上がると予想。


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あとは、
最近はジャンプで捻るのを意識してる。
写真は3速シッティングジャンプ。
座りながらの方が捻り易い。

リアを流す動作は、
雑誌で見てるときは、どうやって戻しているのか、なぜ戻るのかが分からなかったけど、
基本的に体の重心がステム付近にあって、前下がり気味の姿勢であれば、
自分の重心移動の動作がバイクの姿勢に反映出来る。
リアが流れて“しまった”時と自分で流した時の違いは、そこかなぁと考えてる。
初心者の頃のジャンプは、大抵が後ろ寄りに重心があるから、あまりコントロール出来ない。



今日は走っていて楽しかった。
午前はダメダメだったフープスも感覚が掴めて来たので、
終わるのが惜しいと思った。

いつも思うんだけど、
ゲームみたいに、「セーブして終わる」ってのが出来ればいいなぁと。

今掴んだこの感覚を、そっくりそのまま保存して、
次の練習もこの状態からスタートしたい。

実際は、1週間も時間が経つと、
体に刻み込まれる前の感覚は微妙に忘れたりする。

特に今度の日曜はイナベ予定なので(フープスがなくジャンプが少ないコース)、
今日はバイクを洗車しながら、何とか今持ってる感覚を忘れないようにと考えてた。


ただ、
そんな風に練習を終われる日ってのはやっぱり少ないので、
今日は良い日だった。
転倒も1回もしなかった。

連休最後のモトクロスは楽しい気分で過ごせました。



モトクロス×仕事

今日はモトクロス。
三重県員弁(いなべ)にあるコースに行ってきた。

このコースに来たのは去年の夏以来で、かなり久しぶり。
来るたびに全日本上位のIAの人もいたりして、
若干気を遣う。


始めた頃は、雑誌に載ってるIAと実際に走れるなんて、凄い体験だ!
みたいにミーハーなところがあったけど、
今はそんなに思うことがない。

IAの凄さに憧れて、モトクロスに手を出したようなものなのに、
最近は見慣れてしまったというか何と言うか。

凄いのは間違いないんだけど、彼らの一部はそれが仕事なのだ。
仕事、
っていう観点で見るとなると、見方が最近変わってきた。



俺が彼らと同じラップで走れないのと同様、
彼らも俺がやってる技術の仕事は出来ないだろう。

俺が彼らのレベルにはもう決して届かないのと同様、
彼らも今から物理、数学といった基礎から応用まで勉強する素養はないだろう。


別にスポーツ選手をバカにしてるわけじゃなくて、
そこらにいる技術者ね、
大学、大学院出て、別に誰からも「カッコいい」という視点で見られることのない技術者たち、
たまの休みはぐーたらして、家族から尊敬されないお父さんとかね、
そういう人達も、人に魅せるという方向ではないにせよ、
積み重ねている、ってことなんかなぁと思う。

日本にはそんな人達が沢山いて、
一見平凡な彼らこそが、資源のない日本を支えていってる、
と言ったら言い過ぎだろうか。

でも、
資源のないこの国を、ここまで豊かにしていったメインの功労者は、
技術者と、現場の技能者達だろうと思う。
日本政府は頼りなくても、
世界レベルの企業はたくさんある。


もうちょっと自分たちの仕事に誇りを持てるんではないかと。

GWはじまったばかりなのに、
GW明けの仕事がいやでしょうがない自分への動機付け。です。

やっかいで面倒な仕事が待ってる


ただただ、
バイク乗ってたいのが本音だけど、
自分の生活の軸は、やっぱり仕事なんだよね。誰にとってもそうだろうけど。

魂の駆動体を読んで

神林長平の小説は、敵は海賊シリーズ以外はほとんど読んでる。
一番好きな作家。

最近は、その中で面白かったのを再読中。
今日は、魂の駆動体を読み終わった。

$モトクロスとDUKEと自転車と本のこと

~あらすじ~
人々が意識だけの存在として仮想空間へと移住しはじめた近未来。養老院に暮らす「私」は、確かな生の実感をとりもどすため、友人の子安とともに理想のクルマを設計する。いっぽう遙かな遠未来。太古に存在した人類の文化を研究する翼人のキリアは、遺跡で発掘された設計図をもとに、あるクルマの製作を開始するが…。機械と人間の関係を追究してきた著者が、“魂の駆動体”たるクルマと自由な精神の解放を謳う現代の寓話。


初めて読んだのは学生の時だったけど、
技術者4年目として改めて読むと違った印象を受ける。

ものづくり、
って何だろう、って考える。

例えば、クルマをつくりたくてホンダに入っても、
クルマと言ったって、その技術領域は広いし、部品も多い。製造工程もたくさん。外注だってあるだろう。

じゃあ、どの部署で何の仕事を担当したら、クルマをつくっている実感が得られるんだろう。

多くの要素技術の集合体。
世の中のほとんどの製品がそうだ。
自分の会社は電子部品メーカーだけど、
単なる部品一つですら、素材からつくれば、完成品までに色んな技術が必要になる。

その技術ひとつひとつを網羅し、自分のものにしなければ、
モノを創り上げている、という実感は得られないのだろうか。


自分は、生産設備の開発をやっているけど、
数ある工程の中の一つの操作を行う設備でしかない。
それでも、
扱う技術領域は多岐に渡り、自分ひとりでつくりあげることは出来ない。

自分はその設備の基礎設計を担当している。
一番の源流パート。
この設計がミスっていたら、完成した設備は要求仕様を満足しないだろう。というもの。
だから、
やりがい、というか責任はある。
ただ、
基礎設計は生産技術に渡してそこで詳細設計されるから、
なんとなく、
自分が最後まで設計した、って感慨が薄いのだ。



小説の中で、
「設計図が完成したにもかかわらず、その設計した物が実際に造られなかったとしても、その設計図自体は独立した創造物として認めていいとおれは思う」
と一人の老人が言う。

どうなるか分からないまま線を引く事は出来ない。
設計図を描くということは、試行錯誤を繰返しながら図面自体を創造する行為。だと。

普段の業務の士気を上げてくれるような本だ。
俺が決めた一つの仕様、そこから決まる一本の線の寸法、それも立派な創造だって。



街を走ってるクルマや、俺のバイクは、
技術者達がそうやって一本の線を引くのに色々な考えを戦わせ、検証してきた結晶だ。

なるほど、
飛ぶような感覚で走る、あの麻薬のような瞬間があるのは、
何もライダーの技術や感性だけがそうさせるのではないんだな。


当たり前に存在してるものなんて、何一つなくて、
そのモノが完成するために、
多くの人が悩み、汗を流して、膨大な試行錯誤がなされた上で、時間を掛けて今のカタチになっていった。
目の前のコーヒーカップ一つとっても、縄文時代から土器を創ってきた経緯を考えると、
ニトリでたったの100円なのに、随分と洗練されたんだなぁと感じる。


そうやって考えると、
人間って、ほんっとにモノを創るのが大好きな生き物だなって思う。

モノが物質的に溢れて飽和状態の現代社会、なんて揶揄されたりするけど、
モノを創る、って行為自体は純粋だ。


小説を読み終えると、
ふと、身の回りに溢れる沢山のモノの素性について考えてしまう。
自分はこれから何をつくっていけるだろうか、
って、
そんな読後感の小説。

老人二人が主人公っていうのが良いね。

子安(という名前)みたいな友人、いや、同僚が欲しいなぁと思った。



再読シリーズは、
膚の下
ライトジーンの遺産
死して咲く花、実のある夢
そして魂の駆動体と読んで来た。

この次に好きなのといったら、、、
雪風かな。

ジャンプを飛ばないからエンデューロ

自分のオフロード歴を書く。
大学生の頃は林道や山、いわゆるゲロ道などを走っていた。

最初は面白かった。
でも、あるときからつまらなくなった。

そのきっかけの一つになったのが、
生でモトクロスを初めて観たこと。

もちろん、それ以前ビデオで見たことは何度もあった。
だけど、「大ジャンプを飛ぶのは外人ライダーだから」だと漠然と思っていた。


そんな認識で、
チキンで毎年やっているレオタニカップのイベントレースにツーリング気分で見物したのが最初。
今から6年も昔、2005年のこと。


自分がコースに着いたときは、3時間エンデューロの最中だった。
当時はCRMでJNCCなどエンデューロを何回か経験していた。
だから別段なんの感慨も抱かずにレースを観ていた。

それが終わって、
モトクロスレースがはじまった。

最初はビギナークラス。
「なんだやっぱそこまで大したもんじゃないんだな、全然飛んでないし」と思った。

次に、中級クラス(忘れたけどNB、NAクラスか)。
「トップ数人が速い…でもまぁ大部分はそんなに…」などと内心驚き始める。

最後に、IB,IAのプロクラス。
全員が、どでかいダブルを連続で飛んでくるのを観た。
エンデューロでは見たことのない勢いと音で、接近しながらも、躊躇なくジャンプを飛んでる。

感動した。
自分と同じようなオフロードバイクに乗っていながら、
やっていることは全然違うと思った。

エンデューロよりもずっとずっとカッコよく見えた。
迫力が半端なものじゃなかった。
地面が振動するようなジャンプだ。


それから学生生活を終え、
2008年に就職し、自分でトランポを所有できるようになったときに
最初に買ったレーサーはエンデューロではなく、モトクロッサーだった。

オフロードバイクに乗っていながら、ジャンプを無視することは出来なかった。
2005年に見た、IAのジャンプが忘れられない。



「飛べないからエンデューロ」

モトクロスを3年間続けた今となっては、単純にそんな風には思わない。
エンデューロとモトクロスは、別競技だから。
それぞれに難しさとカッコよさがある。
同じような見た目のバイクを使うからといって、両者を混同するから分からなくなるのだ。

でも、
当時の自分はそうは思えなかった。
飛べないから、飛ぶ技術がないから、飛ぶ勇気がないから、
だから山を走る技術に特化する。
それで本当に、エンデューロライダー=オールラウンダーと言えるのか。と思ったのだ。

ジャンプを避けてオフロードバイクに乗り続けるのは、嘘だ。って思った。
だって、飛べるように造ってある単車なんだからって。
誰が見たって、ジャンプしてるバイク、ライダーはカッコいい。
バイクに乗らない人が見たって、有無を言わさずに伝わる迫力がある。


だから、ジャンプを飛ぶ、ってことは自分にとって物凄く大きな目標で、
同時に越えがたい壁になった。

モトクロスを始めるとき、
3年やっても飛べるようにならないなら、やめよう。やる価値がない。と決めた。


そしてこれを書いてる今が、モトクロスを初めてちょうど3年。
IAが飛んでた大きなダブルも飛べるようになった。
自分自身で当初掲げた理想のレベルには達することが出来た。


でも実際は、
3年経つ以前に、
「いつまでも飛べない自分」が許せなくて1年3ヶ月で一度挫折した。
3年も、飛べないままモトクロスを続ける精神力はなかった。

一度挫折して、2ヶ月くらいモトクロスの事を考えもせずに、過ごした。
(そのときにロードバイクに出会ったんだけど)

そして再びコースに誘われたとき、
もう人生という長い期間の中でも、ジャンプが飛べるようになるかどうかは、今の決断に掛かっていると思った。
今、飛べないなら、もう認めよう。でも最後に挑戦はしてみよう。
だけどそれでも怖くて踏み切れなかったら、もう辞めよう。

今の生活、社会人としての自覚、
色んな事を考えた。
一般的なサラリーマンなら、普通は悩む。
モトクロスライダーはどの人もKY(危険予知)能力が若干欠如したようなセンスで乗ってる人が多いと思われるけど、
いや実際そうなんだろうけど、当然普通の人もいるのだ。
普通の人にとってジャンプは普通ではない。


いま出来なかったら一生「自分はモトクロスで挫折した」と時々思い出しながら生きてくんだろうな。と思った。



それぐらい追い込まれなかったら、
とてもじゃないけど、4速や5速全開で飛ぶ気にはならなかった。
普通の常識人の感覚では、とても出来ない。


結果的に飛べるようになったのは、自分の中では奇跡だと思ってる。
自分のこれまでの人生の中で、奇跡だと呼べるのはその時ぐらいだ。

ずっと完全に恐怖に呑まれていたのに、
ふと、「いける」っていう根拠もない不思議な感覚がどこからか湧いて出て、
アクセルを最後まで戻さず、全開で踏み切った。
今思い返せば、ただアクセル開度だけであとはバイク任せの傍目から見て相当危なっかしい飛び方だったはずだ。
それでも飛べたときは、
涙は出なかったけど、ずーーーーーーっと長い間圧し掛かっていた重圧から解放された気分だった。


「いける」なんて、どうしてそんな感覚が降って来たのか分からない。
だから奇跡だ!って今でも感じてる。

あれがなかったら、
その時は間違いなく、やめてた。
自分の理性は、どんなに考えたところでGOサインは出してくれなかったはずだから。



飛べなくたって楽しめれば良い。は嘘だった。
それは自分の中では嘘だった。

飛べた。
これで続けられる。
これで、やっと自分はモトクロスをやってる。って言って良いんだと思った。
それが何より嬉しかった。


この時にはもう、
かつてのエンデューロ系の友人達と一緒に走ることはなくなっていたんだけど。
それでも、
自分にはこっちが性に合っている。

エンデューロでは、
「自分はマジメすぎる」ってよく言われた。
この場合のマジメは、もちろん否定的ニュアンス。

そう言われるのが、イヤだったし、煙たかった。
これは今でも同じ気持ち。

エンデューロは、とにかく楽しむ才能がないと、周りに置いていかれる。
自分は、出来なければ楽しめない性格だから、合わないと思った。
出来ないところがあれば一人ででも、何度も反復したい性分だから。


一方で
モトクロスでは、一生懸命練習してる人は、それなりに認めてくれる風潮がある。
そこが好きだ。


$モトクロスとDUKEと自転車と本のこと




今はそんな風に思ってる。
いつか考え方が変わるかもしれない。

モトクロスは長く続けられるとは思っていない。
どういうレベルが自分にとってゴールなのか、今またそれを模索してるところ。




初日記~ツーリング

$モトクロスとDUKEと自転車と本のこと-110424 R166にて

曽爾から南下しR166を東へ、最後に青山高原。
320kmほどを、30分休憩を挟んだのみで走り続けた。

止まるのが惜しいほど、走るのが気持ちよかった。
道との一体感。
日常のイヤなことが綺麗に洗われる感じ。


R166が快走路だというのは聞いていたけど、
でもここまで気持ち良い道路だとは思ってなかった。

信号がほとんどなく、
70km/hオーバーで他のクルマも流れているのでストレスもない。

久しぶりのスーパーデュークは快調。
路面状態が良いと、PDSと足の硬さのネガ部分がなくなり、
トラクション感覚を右手に感じながら走っていける。
ブレーキングから倒しこみの動作が本当に楽しいバイク。
ブレーキが良いのか、足が良いのか、何が良いのかわからないけど、
以前乗っていたCBR954よりも格段に走り易い。



途中、何人ものライダーとすれ違った。
暑くもなく、寒くもなく。
ただひたすら気持ち良い。

飛んでいるような感覚になったのは久しぶり。
やる事が多い上に負荷が大きいモトクロスでは決して味わえない疾走感。

この感覚があるから、公道を走れるバイクは置いておきたいと思う。



今日はオンロードバイクの乗り方のコツが一つ分かった。
インステップの扱い方。
何となく最初は安定感が弱まって不安だったが、
思い切りよく、母子球の辺りだけインステップ先端に当てグッと力を込めて倒しこむ。
そうすると、良い具合に体もインに入るし、
いつもより旋回力があるのに、車体は以前よりバンクしていない状態になってる感じ。

マージンを確保しつつ、スムーズに走れるようになりたい。


スーパーデュークのRは特に足回りが硬く、
アクセルレスポンスはモトクロッサー以上に急激な上になぜかスロットルが異常に軽く、
しかもレバー回りはマグラやブレンボが入ってるけど、操作性はあまり良くない。
という、かなり個性的なバイクなので、
これらの改善やライディングのあれこれについて書いていきたい。



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