音型(おんけい)が彫る -2ページ目

音型(おんけい)が彫る

私の名は、
雨垂れ石を穿つ音型

篆刻とか
書きものとか
掛け軸とか
小物作ったり
好きな時に好きな事をする
勝手気ままなブログです

 
 
對意二字熟語百顆印の八十三顆目は「明暗」です。
 
## 明暗の意味
 
明るいことと暗いこと。
轉じて、物事の明るい面と暗い面。
成功と失敗、幸と不幸など。
 
「明暗」は、光と影、明るさと暗さを表す言葉です。
 
そして、物事の良い面と惡い面、成功と失敗、幸福と不幸といった、人生の明暗をも表します。
 
## 制作について
 
朱白文で彫りました。
 
・字體:小篆風
・朱白文:明は朱文、暗は白文
・サイズ:10mm角
・擊邊:入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石

 

 

## 縱畫が多い字
 
縱畫が多いので入るかなと思ったけど、なんとかギリギリ入りました。
 
「明」も「暗」も、縱畫(縱の線)が多い字です。
 
「明」は、日と月。
「暗」は、日と音。
 
どちらも、複雜な構造をしています。
 
10mm角という小さな印面に、これらの字を收めるのは、なかなか難しい作業でした。
 
でも、なんとかギリギリ、收めることができました。
 
## 體調回復
 
きょうはそこそこ力みが拔けてたので、すっぽ拔けて指を切ることもなく、愼重に落ち着いて彫れたと思う。
 
昨日は何だったのかな。あぁ、體調不良か。
 
前回、指を切ってしまいました。
 
體調不良で、集中力が落ちていました。力みがあり、手元が狂ったのです。
 
でも、今回は違いました。
 
體調が回復し、力みが拔けていました。
 
落ち着いて、愼重に、彫ることができました。
 
前回は體調不良で指を切ってしまいましたが、今回は落ち着いて彫れました。力みが拔けていると、安全に作業できる。體調が回復したことで、本來の調子が戾ってきたようです。
 
力みが拔けている狀態。
 
これは、武道でも藝術でも、とても大切な狀態です。
 
力んでいると、動きが硬くなります。呼吸が淺くなります。視野が狹くなります。
 
力が拔けていると、動きが柔らかくなります。呼吸が深くなります。視野が廣くなります。
 
そして、事故も起きにくくなります。
 
體調管理の大切さを、改めて實感しました。
 
## 二極化
 
二極化かなぁ。どちらがいいと言うわけでは無いと思う。そこに存在するもの。
 
「明暗」という言葉から、考察が始まります。
 
明と暗。二極化。
 
現代社會でも、よく使われる言葉です。
 
格差の二極化。
意見の二極化。
 
明るい側と暗い側に、世界が分かれていく。
 
でも、どちらが良いというわけではない。
 
明が良くて、暗が惡いわけではありません。
 
兩方とも、そこに存在するものなのです。
 
## 光と陰
 
光があって、陰がある。晝閒は明るいし、夜は暗い。
 
これは、自然の法則です。
 
太陽が昇れば、明るくなります。
太陽が沈めば、暗くなります。
 
光が當たるところに、影ができます。
影があるということは、光があるということです。
 
光と影は、切り離せません。
 
最近は明るくなるのが早くなりつつある。
 
春が近づいています。日が長くなってきました。
 
朝、明るくなるのが早くなってきました。
 
季節の移り變わりを、肌で感じます。
 
## 良い面と惡い面
 
良い面もあるし惡い面もある。表裏一體。明暗一體。
 
これは、物事の本質です。
 
どんな物事にも、良い面と惡い面があります。
 
成功には、プレッシャーが伴います。
失敗には、學びが伴います。
 
幸福には、失う恐怖が伴います。
不幸には、再起のチャンスが伴います。
 
明るい面だけの人生はありません。
暗い面だけの人生もありません。
 
明と暗は、表裏一體なのです。
 
## 太極圖
 
よくある陰陽を表す太極圖がまさに、それといった感じだと思う。☯️これね。࿊
 
太極圖。陰陽圖。
 
白と黑の勾玉が、圓を作っている圖です。
 
☯️
 
この圖は、宇宙の眞理を表しています。
 
白(陽)の中に、黑い點があります。
黑(陰)の中に、白い點があります。
 
陽の中に陰があり、陰の中に陽がある。
 
明の中に暗があり、暗の中に明がある。
 
そして、白と黑は、互いに入り組んでいます。境界は、曲線です。直線ではありません。
 
明確に分かれているわけではなく、グラデーションのように、移り變わっていくのです。
 
明と暗は對立するのではなく、共存している。陰陽の太極圖のように、明の中に暗があり、暗の中に明がある。どちらが良いということではなく、兩方があって世界は成り立っています。
 
兩方があって、世界は成り立っている。
 
明だけでは、世界は成り立ちません。
暗だけでも、世界は成り立ちません。
 
明と暗、兩方があるからこそ、世界は豐かなのです。
 
## 明暗の人生
 
人生にも、明暗があります。
 
明るい時期もあれば、暗い時期もあります。
 
成功する時もあれば、失敗する時もあります。
 
幸せな時もあれば、不幸な時もあります。
 
でも、それは自然なことです。
 
明るい時期だけを求めても、それは不可能です。
 
暗い時期を避けようとしても、それも不可能です。
 
大切なのは、明暗の兩方を受け入れることです。
 
明るい時には、感謝する。でも、驕らない。明の中に暗があることを知っている。
 
暗い時には、耐える。でも、絕望しない。暗の中に明があることを知っている。
 
そうして、明暗を行き來しながら、人生は進んでいくのです。
 
## このプロジェクトの明暗
 
百顆印プロジェクトにも、明暗があります。
 
うまくいく日もあれば、うまくいかない日もあります。
 
體調が良い日もあれば、體調が惡い日もあります。
 
前回は、體調不良で指を切ってしまいました。これは、暗です。
 
今回は、體調が回復し、落ち着いて彫れました。これは、明です。
 
でも、暗があったからこそ、明のありがたみが分かります。
 
失敗があったからこそ、成功の喜びが大きくなります。
 
明暗、兩方があって、プロジェクトは進んでいくのです。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 83/100 進行中
 
殘り17顆!
 
83顆完成。殘り17顆です。
 
83という數字は、100の83%です。
 
ゴールが、はっきりと見えてきました。
 
でも、油斷は禁物です。
 
明るい未來を夢見つつ、足元の暗がりにも注意を拂いながら、一步一步、進んでいきます。
 
明暗を受け入れながら、殘り17顆を彫っていきたいと思います。

 

生成AIさんに、作成頂いた画像はこちら。

うん、面白い( *´艸`)

こちらも面白いですね。

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
對意二字熟語百顆印の八十二顆目は「向背」です。
 
## 向背の意味
 
從うことと背くこと。こうはい。また、成行き。
 
「向背」は、從うか背くか、という選擇を表す言葉です。
 
權力に從うか、權力に背くか。
多數に從うか、多數に背くか。
常識に從うか、常識に背くか。
 
人生は、向背の連續です。
 
## 制作について
 
朱白文で彫りました。
 
・字體:小篆風
・朱白文:向は白文、背は朱文
・サイズ:10mm角
・擊邊:入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石

 

 

## 「背」という字の成り立ち
 
「背」という字の成り立ちを考えました。
背中。肩甲骨。そんなイメージが浮かびます。
でも、字をよく見ると、人が背合わせで2人立っているようにも見えます。
背を向け合う。互いに反對方向を向いている。
それが「背く」という意味につながっているのかもしれません。
 
## 久々に指を切った
 
制作中、アクシデントがありました。
久しぶりに、指を切ってしまったのです。
「背」の字を彫っている時、下の枠部分を大きく崩してしまいました。
そして、勢いが餘って、印刀が指まで達してしまったのです。
 
痛みが走りました。血が出ました。
 
なぜ、こんなミスをしたのか。
體調が崩れていたのかもしれません。
集中力が落ちていました。手元が狂いました。
 
篆刻は、刃物を使う作業です。
集中力が必要です。手元の正確さが必要です。
體調が崩れていると、集中力も落ちます。手元も狂います。
 
だから、體調管理は、技術の一部なのです。
無理をせず、休む時は休む。早く寢る。
それも、篆刻を續けるために必要なことです。
 
## 從うことが必ずしも良いとは限らない
 
一般的には、從うことは良いことで、背くことは惡いことだと思われています。
 
從順な人は褒められます。
反抗的な人は叱られます。
 
でも、本當にそうでしょうか。
 
從うことが、必ずしも良いとは限りません。
背くことが、必ずしも惡いとは限りません。
 
「背いたから滅んだ」という物語は、よく聞きます。
でも、「從ったから滅んだ」という物語は、あまり語られません。
でも、實際には、從って滅んでいく人の方が多いのではないでしょうか。
 
從えば安全、背けば危險。
そう思われがちですが、實際には逆かもしれません。
從って滅んでいく人の方が多いのが現實です。
從うことが常に正しいわけではありません。
 
權力に從った結果、戰爭に巻き込まれた。
多數に從った結果、間違った方向に進んだ。
常識に從った結果、本當に大切なものを失った。
 
從うことのリスクは、見過ごされがちです。
でも、從うことにも、大きなリスクがあるのです。
 
## 齒向かい方の技術
 
背くにも、方法があります。
 
正面から對決する方法。
遠くから批判する方法。
靜かに無視する方法。
 
様々な「齒向かい方」があります。
そして、それらを試す經驗を積んできた。それは、貴重な財産です。
 
「受けて流す」「いなす」。
これは、武道の技術です。
 
大きい力ってまともに受けたら大變なんだけど、
インパクトの瞬閒に力が掛かっている方向と同じ向きに自分でも力を加えて、ちょっとだけ方向を變える感じ。
 
合氣道や柔道の極意です。
相手の力を、まともに受け止めない。
相手の力の方向に、自分も少し動く。そして、ほんの少しだけ、方向を變える。
すると、相手の力は、空を切ります。
 
理論的には、正しいのです。
實踐は難しい。
タイミングが必要です。
力加減が必要です。
經驗が必要です。
 
齒向かうにも技術がある。まともにぶつかるのではなく、受けて流す。力の方向を少しだけ變える。武道の極意のような、しなやかな抵抗の仕方です。
 
硬直した抵抗ではなく、柔軟な抵抗。
 
正面から對決するのではなく、受けて流す。
それが、長く戰い續けるための知惠なのかもしれません。
 
## 向くか背くか
 
「向背」という言葉に戾りましょう。
向くか、背くか。
これは、人生の根本的な選擇です。
 
でも、どちらが正しいということはありません。
狀況によります。相手によります。自分の狀態によります。
時には向き、時には背く。
それが、賢い生き方なのかもしれません。
 
そして、背く時には、しなやかに背く。
まともにぶつからず、受けて流す。
力の方向を、少しだけ變える。
そうすることで、大きな力と戰いながらも、生き殘ることができます。
 
## 體調管理も技術の一部
 
今回、指を切ってしまいました。
それは、體調が崩れていたからかもしれません。
集中力が必要です。手元の正確さが必要です。
體調が崩れていると、事故が起きます。
だから、體調管理も、技術の一部なのです。
 
無理をしない。
疲れたら休む。
早く寢る。
 
當たり前のことですが、とても大切なことです。
長く續けるためには、無理をしないこと。
それが、一番大切です。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 82/100 進行中
 
殘り18顆!
82顆完成。殘り18顆です。
 
順調に進んでいます。
でも、體調を崩しては意味がありません。
 
無理せず、自分のペースで、進んでいきます。
向くべき時に向き、背くべき時に背きながら。
 
受けて流しながら、少しずつ前に進んでいきます。

 

生成AIさんに、作成頂いた画像はこちら。

真ん中で分かれているんですね。

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
 
お大事にしてください。
對意二字熟語百顆印の八十一顆目は「大小」です。
 
## 大小の意味
 
大きいことと小さいこと。
また、大きいものと小さいもの。
 
「大小」は、最もシンプルな對比の一つです。
 
大きいか、小さいか。
 
サイズの違い。スケールの違い。
 
でも、大きければ良いというものでもなく、小さければ良いというものでもありません。
 
## 制作について
 
朱白文で彫りました。
 
・字體:小篆風
・朱白文:大は白文、小は朱文
・サイズ:10mm角
・擊邊:ちょっと入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石

 

 

## 大を大きく、小を小さく
 
こん回の作品では、視覺的な表現を試みました。
「大」という字を、印面の中で大きめに配置する。
「小」という字を、印面の中で小さめに彫る。
文字通り、大小を表現したのです。
 
實は、逆にすることも考えました。
「大」という字を小さく彫り、「小」という字を大きく彫る。
そうすれば、パロディのような、遊び心のある作品になります。
でも、こん回は素直に、文字通りに彫ることにしました。
 
「大」を大きく、「小」を小さく彫るという素直な表現。
逆にして「大」を小さく「小」を大きく彫る遊び心も考えましたが、
こん回は文字通りに。視覺的にも「大小」が表現された作品になりました。
 
素直さも、一つの表現です。
ひねりすぎず、まっすぐに表現する。それもまた、藝術の一つの形です。
 
## 大は小を兼ねる?
 
大は小を兼ねたり、杓子は耳掻きにならなかったりするので、
ものには適度な大きさが合って、最適な大きさがいい鹽梅なんだと思う。
 
「大は小を兼ねる」という諺があります。
大きいものは、小さいものの代わりにもなる、という意味です。
 
大きな容器があれば、小さな容器は不要だ。
大きな車があれば、小さな車は不要だ。
だから、大きいものを買っておけば間違いない。
そんな考え方です。
 
「大は小を兼ねる」という諺がありますが、本當にそうでしょうか。
 
杓子(しゃくし)は、汁物をすくう大きなスプーンです。
耳掻きは、耳の中を掃除する小さな道具です。
杓子で耳掻きをしようとしても、できません。大きすぎて、耳に入らないからです。
 
これは極端な例ですが、大きいものが小さいものの代わりになるとは限らない、ということを示しています。
 
大きければいいというものではなく、用途に應じた適度な大きさがある。ちょうどいい鹽梅が大切です。
 
用途に應じた、適度な大きさ。
それが、「ちょうどいい鹽梅」です。
大きすぎても不便です。小さすぎても不便です。
ちょうどいいサイズ。それが、最も使いやすいのです。
 
## 適度な大きさ
 
ものには、適度な大きさがあります。
 
家も、大きければいいというものではありません。
大きな家は、掃除が大變です。冷暖房費もかかります。使わない部屋が出てきます。
小さすぎる家も、窮屈です。物が置けません。來客を迎えることもできません。
適度な大きさの家。それが、最も快適です。
 
車も、大きければいいというものではありません。
大きな車は、駐車場に困ります。狹い道を通れません。燃費も惡いです。
小さすぎる車も、荷物が積めません。家族全員で乘れません。
適度な大きさの車。それが、最も便利です。
 
服も、食事の量も、すべて同じです。
大きければいい、小さければいい、というものではありません。
ちょうどいい大きさ。それが、最適なのです。
 
## 大小は相對的
 
「大」と「小」は、相對的なものです。
何と比べるかによって、大きくも小さくもなります。
 
象は、ネズミに比べれば大きいです。でも、クジラに比べれば小さいです。
地球は、月に比べれば大きいです。でも、太陽に比べれば小さいです。
 
絕對的な「大」も「小」も、存在しません。
すべては、比較の問題です。
 
そして、大きいことが良いとも限らず、小さいことが惡いとも限りません。
 
大きいことの利點もあれば、欠點もあります。
小さいことの利點もあれば、欠點もあります。
 
大切なのは、狀況に應じて、適切なサイズを選ぶことです。
 
## 篆刻の大小
 
篆刻にも、大小があります。
この百顆印プロジェクトでは、すべて10mm角の印を彫っています。
これは、比較的小さいサイズです。
大きな印もあります。數十センチ角の巨大な印も存在します。
でも、10mm角という小ささにも、良さがあります。
細かい作業が求められます。集中力が必要です。
そして、小さいからこそ、可愛らしさがあります。
大きな印にも、迫力があります。存在感があります。
どちらが良いということではありません。
それぞれに、良さがあるのです。
 
## ちょうどいい鹽梅
 
「鹽梅」(あんばい)という言葉があります。
元々は、料理の味加減を意味する言葉でした。鹽と梅酢のバランスです。
鹽が多すぎれば、しょっぱくなります。
鹽が少なすぎれば、味がしません。
ちょうどいい鹽加減。それが、美味しい料理の秘訣です。
 
この言葉は、料理だけでなく、あらゆることに當てはまります。
大きさも、鹽梅です。
大きすぎず、小さすぎず。ちょうどいい大きさ。
それが、最適なのです。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 81/100 進行中
 
殘り19顆!
81顆完成。殘り19顆です。
80顆を超えて、いよいよ終わりが見えてきました。
 
でも、急ぐ必要はありません。
一つ一つ、ちょうどいいペースで、彫り進めていきます。
 
大きすぎる目標は、プレッシャーになります。
小さすぎる目標は、やりがいがありません。
 
100顆という目標は、ちょうどいい大きさだったと思います。
 
大きすぎず、小さすぎず。
達成可能でありながら、挑戰的でもある。
 
そして、いま、その目標の81%を達成しました。
殘り19%。
ちょうどいい鹽梅で、最後まで進んでいきたいと思います。

 

生成AIさんに作成頂いた画像はこちら、

・・・成長?・・・(;^ω^)

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
對意二字熟語百顆印の八十顆目は「有無」です。
ついに80顆達成!8割突破しました!
 
## 有無の意味
あることとないこと。あるなし。
「在庫の有無を問い合わせる」
承諾することと斷ること。承知と不承知。
 
「有無」は、存在と非存在を表す言葉です。
あるか、ないか。存在するか、存在しないか。
哲學的には、とても深いテーマです。
「有」と「無」。對極にある二つの概念。でも、本當に對極なのでしょうか。
 
## 制作について
 
朱白文で彫りました。
 
・字體:小篆風
・朱白文:有は朱文、無は白文
・サイズ:10mm角
・擊邊:入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石

 

 

80顆目という節目の作品。特別な氣持ちで彫りました。
 
## 無の朱文チャレンジ
 
「無」という字を、朱文で彫ろうかと考えました。
朱文は、殘した部分が赤く出ます。細かい部分を殘していく繊細な作業です。
「無」は畫數が多い字です。朱文で彫るのは、かなり難しいでしょう。
迷いましたが、こん回は白文にしました。
挑戰は、また次の機會に取っておきます。
 
## 「無」という字の不思議
 
「無」という字の成り立ちを調べると、面白いことが分かります。
左右に人が立っていて、何か飾りをつけて踊っている。そんな形に見えます。
そして、「舞」という字の元になった字でもあります。
無なので何も無いはずなのに、舞ってる人がいるんですよね。
「無」は「何も無い」という意味です。でも、その字の中には、踊る人が描かれている。
何も無いのに、人がいる。矛盾しています。
 
## 無から生まれた分身
 
何も無い狀態。無。
でも、そこには「大本」がいます。根源的な存在です。
その大本が、自分が何なのか知りたいと思いました。
自分を知るためには、自分を映す鏡が必要です。
だから、自分の分身を作りました。
「無」という字は、二人に分かれた人に見えます。
何となくですが、頭の部分は繋がっているので、元々同じ存在だったのでは無いかと思います。
「無」という字をよく見ると、上の部分は繋がっているように見えます。
 
元は一つだった存在が、二つに分かれた。でも、根本では繋がっている。
そう考えると、無から生まれた最初の分身の表現に見えるような氣がします。
そう考えると面白いですよね。
 
何も無いを表す字なのに、踊る人が描かれている不思議。それを、無から生まれた最初の分身として捉える視點が面白いです。
 
無から有が生まれる。
宇宙創成の物語でもあります。
宇宙には何も無かった。無の狀態でした。
でも、その無から、宇宙が生まれました。
無から有へ。
「無」という字は、その瞬閒を表しているのかもしれません。
 
## 全ては滿たされている
 
全ては滿たされている。
私たちは、よく「足りない」と感じます。
 
お金が足りない。
時閒が足りない。
愛が足りない。
幸せが足りない。
 
「無い」という感覺。枯渇感。
でも、それは勘違いなのかもしれません。
 
必要なもの全ては存在しており、いまこの瞬閒生きているという事は、何も不要なものはないということで、必要なものは揃っている狀態。
 
いま、この瞬閒、生きている。
それは、生きるために必要なものが、すべて揃っているということです。
 
空氣がある。
水がある。
食べ物がある。
體がある。
心がある。
 
生きるために必要なものは、すべてある。
もし本當に足りないものがあれば、いまこの瞬閒、生きていることはできません。
 
だから、必要なものは、すべて揃っているのです。
これに氣づけると、すごく樂になるわけですよ。實際僕もかなり助かってる狀態です。
 
この氣づきが、人生を變えます。
「無い」から「有る」へ。
視點が變わると、世界が變わります。
 
あぁ、幸せだなぁ〜😊 無理しなくていいんだよなぁ〜って思うと、色々と滿たされていることに氣付きます。
 
幸せは、外から與えられるものではありません。
 
既にあるものに氣づくこと。それが、幸せです。
無理しなくていい。
 
今のままで、既に十分。
そう思えた時、すべてが滿たされていることに氣づきます。
 
「無い」と思うのは勘違い。今この瞬閒生きているということは、必要なものは全て揃っているということ。この氣づきが、幸せへの鍵なのかもしれません。
 
## 有と無は表裏一體
 
「有」と「無」。
 
對極にあるように見えますが、實は表裏一體なのかもしれません。
 
有の中に無があり、無の中に有がある。
 
コップに水が半分入っている。
 
「半分しかない」と見るか、「半分もある」と見るか。
 
同じ狀態でも、視點によって、有にも無にもなります。
 
そして、無から有が生まれ、有はやがて無に戾る。
 
生まれることと体を脱ぐこと。
始まることと終わること。
 
有と無は、循環しています。
 
## 80顆という節目
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 80/100 完成
 
大きな節目の80顆達成!殘り20顆です。
 
ついに、80顆に到達しました。
 
100顆の8割。大きな節目です。
 
殘りは20顆。5分の1です。
 
振り返れば、長い道のりでした。
 
1顆目から79顆目まで、一つ一つ積み重ねてきました。
 
うまくいった作品もあれば、失敗した作品もありました。
 
でも、すべてが學びでした。すべてが經驗でした。
 
そして、80顆目に「有無」を彫りました。
 
全ては滿たされている。必要なものは、すべて揃っている。
 
このプロジェクトも、同じです。
 
足りないものはありません。今あるもので、十分です。
 
石も、道具も、時閒も、すべて揃っています。
 
そして、何より、彫り續ける意志があります。
 
それで十分です。
 
## 殘り20顆
 
殘り20顆。
 
100顆というゴールが、はっきりと見えてきました。
 
でも、急ぐ必要はありません。
 
一つ一つ、丁寧に彫っていきます。
 
有も無も、すべてを受け入れながら。
 
成功も失敗も、すべてを受け入れながら。
 
今この瞬閒を、大切にしながら。
 
全ては滿たされています。
 
だから、安心して、前に進むことができます。

 

生成AIさんに作成頂いた画像はこちら、

無い時代のが幸せ度が高そう・・・(;^ω^)

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
對意二字熟語百顆印の七十九顆目は「古こん」です。
 
あと1顆で80顆。8割達成が目前に迫ってきました。
 
## 古こんの意味
 
昔といま。
「古こんを問わない」
昔からきょうに至るまで。
「古こんを通じて最髙の傑作」
昔からいまに至るまで竝ぶもののないこと。また、その人。
 
「古こん」は、時閒の廣がりを表す言葉です。
 
古い時代からいまに至るまで。過去から現在まで。
 
「古こん東西」という四字熟語があります。古こん(時閒)と東西(空閒)。つまり、あらゆる時代、あらゆる場所という意味です。
 
「古きん和歌集」という歌集もあります。古い時代の和歌を集めた本、という意味です。
 
## 制作について
 
朱白文で彫りました。
 
・字體:篆刻字體風
・朱白文:古は白文、こんは朱文
・サイズ:10mm角
・擊邊:入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石

 

 

こん回は、特に變わったことはありません。淡々と、彫り進めました。
 
## 石の在庫が減ってきた
 
石がだいぶ小さくなって來ました。行きつけ店の次セールで補充しないとですね。
 
79顆まで彫り續けて、石の彫れる量が減ってきました。
 
靑田石は、篆刻に適した石です。柔らかく、彫りやすい。でも、消耗品です。
 
一つの作品を彫るごとに、石は少しずつ小さくなっていきます。
 
最初は大きな石も、何度も彫っているうちに、小さくなります。そして、いずれは使えなくなります。
 
だから、定期的に補充する必要があります。
 
セールのタイミングで補充する計畫です。
 
行きつけの店では、時々セールがあります。そのタイミングで、まとめて購入する計畫です。
 
百顆印を完成させるまで、あと21顆。石は足りるでしょうか。
 
## また「いま」が出てしまった
 
ここん。また出てしまいました。過去の「こんじゃく」とかぶっていますね。
 
ここで、重要な氣づきがあります。
 
「古こん」の「こん」。これは、以前にも彫っています。
 
「こん昔」(26顆目)で、既に「いま」という字を彫っていたのです。
 
「否」が四回も出てきたように、「いま」も二回目です。
 
百顆印のリストを作る時、もう少し注意深くチェックすべきでした。
 
でも、もう79顆まで來ています。いまさら戾ることはできません。
 
前に進むしかありません。
 
## 「いま」という字への違和感
 
以前のこんじゃくで「いま」という漢字は、この瞬閒を抑え込むという、かなり强引な蓋をする作りという事がわかってしまったので、できるだけ使いたくはないですね😅
 
「いま」という字の成り立ちを調べると、「蓋をする」という要素があります。
 
「いま」は、「亼」(集める、覆う)と「一」(線)から成り立っているとされています。
 
何かを集めて、蓋をする。閉じ込める。
 
「いま」という瞬閒を、閉じ込める。固定する。
 
「いま」は、流れるものです。固定できないものです。捕まえようとした瞬閒に、もう過去になっています。
 
そんな「いま」を、蓋をして閉じ込める。それが「いま」という字の成り立ちだとしたら、何か不自然な感じがします。
 
いまと表現するときは、「現在」とか「この瞬閒」とか「いま」と平假名で書きたいところです。
 
だから、「いま」という漢字を使いたくない。そう感じるのです。
 
「現在」と書くか、「この瞬閒」と書くか、あるいは「いま」と平假名で書く。
 
「いま」という字の成り立ちへの違和感。瞬閒を抑え込む、蓋をするという字形。それを知ってしまうと、使いづらくなる。言葉や文字の背景を知ることで、見え方が變わってくる體驗です。
 
言葉や文字の背景を知ると、見え方が變わります。
 
何氣なく使っていた字が、急に重く感じられたり、違和感を覺えたり。
 
それは、言葉と深く向き合っている證拠です。
 
## 點と點、そして線
 
ここんは、以前のこんじゃくとは違い昔といまを表す、點と點という意味合いと、昔から續いて來てこの瞬閒までの線を表すという、意味合いもあるようです。
 
「古こん」という言葉には、二つの意味があります。
 
一つは、點と點。
 
「古」という點と、「いま」という點。過去のある時點と、現在のある時點。
 
二つの時點を比較する。そんな使い方です。
 
「古こんを問わない」と言う時は、古い時代でもいまの時代でも關係ない、という意味です。二つの時點を竝べて、どちらでも良いと言っています。
 
もう一つは、線。
 
古い時代からいままで、ずっと續いてきた時閒の流れ。
 
「古こんを通じて最髙の傑作」と言う時は、過去から現在までの全ての時代を通して、という意味です。時閒の流れ全體を指しています。
 
「古こん」は點と點でもあり、線でもある。過去と現在という二つの點を指すと同時に、過去から現在まで續く時閒の流れを表す。一つの言葉に、二つの視點が含まれている面白さです。
 
一つの言葉に、二つの視點が含まれている。
 
これは、言葉の豐かさです。
 
點として見るか、線として見るか。使い方によって、意味が變わります。
 
## 古といま
 
「古」と「いま」。
 
對照的な二つの時閒です。
 
古いものと新しいもの。
過去と現在。
傳統と革新。
 
でも、古といまは、切り離せません。
 
いまは、古から生まれます。
古は、かつてのいまでした。
 
そして、いまもいずれ古になります。
 
古といまは、連續しています。線で繋がっています。
 
このプロジェクトも、古といまを繋いでいます。
 
古代の文字(甲骨文字、金文、小篆)を、いまの時代に彫る。
 
古い言葉(對意二字熟語)を、いまの感覺で解釋する。
 
古い技術(篆刻)を、いまも續ける。
 
古こんを通じて、人は同じようなことを考え、同じように悩み、同じように喜んできました。
 
古といまは、それほど違わないのかもしれません。
 
## 80顆目前
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 79/100 進行中
 
あと1顆で80顆!8割達成目前です。
 
79顆完成。殘り21顆です。
 
次の一つで、80顆に到達します。
 
100顆の8割。大きな節目です。
 
振り返れば、長い道のりでした。
 
1顆目の「可否」から始まって、79顆目の「ここん」まで。
 
古こんを通じて、人は篆刻を彫り續けてきました。
 
そして、私もいま、その傳統の中にいます。
 
古い技術を、いまも續けています。
 
殘り21顆。
 
古こんを繋ぐ旅は、まだ續きます。

 

生成AIさんに作成頂いた画像はこちら、

昔からいままで変わっていないということですかね。

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こん回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
對意二字熟語百顆印の七十八顆目は「出納」です。
 
## 出納の意味
 
出すことと納めること。
特に、金錢や物品を出すことと入れること。
收支。すいとう。出入。會計。金錢の收支。
 
「出納」は、會計用語として使われる言葉です。
 
お金や物品を出すこと(支出)と、納めること(收入)。その管理を「出納」と言います。
 
會社や團體には、「出納係」という役職があります。お金の出入りを管理する係です。
 
## 制作について
 
今回も朱白文で彫りました。
 
・字體:篆刻字體風
・朱白文:出は朱文、納は白文
・サイズ:10mm角
・擊邊:入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石

 

 

「出」という字は、以前にも彫ったことがあります。その時は小篆でした。
今回、同じ字を彫るなら、字體を變えよう。そう思って、篆刻字體を選びました。
 
同じ字でも字體を變えることで、新鮮な氣持ちで向き合えます。篆刻字體は正方形に收まりやすく、安定した印象になります。
 
小篆は古代の字體で、流麗な曲線が特徴です。一方、篆刻字體は、篆刻のために整えられた字體で、正方形に收まりやすく、バランスが取りやすいのです。
 
## 「すいとう」という讀み方
 
「出納」は「すいとう」と讀みます。
でも、この讀み方に、違和感を覺えるのです。
 
「境内」を「けいだい」と讀むのも、同じように不思議です。
 
「境」は「きょう」「さかい」と讀むのに、なぜ「けい」なのか。
「内」は「ない」「うち」と讀むのに、なぜ「だい」なのか。
 
同じように、「出納」も不思議です。
 
「出」は「しゅつ」「で」と讀むのに、なぜ「すい」なのか。
「納」は「のう」「おさ」と讀むのに、なぜ「とう」なのか。
 
會話の中で「すいとう」という言葉を聞いたら、まず「水筒」を思い浮かべます。
「すいとうを持ってきてください」と言われたら、水筒を持っていくでしょう。
「すいとうを確認してください」と言われたら、一瞬混亂します。水筒を確認?何を確認するの?
文脈から、「出納」のことだと氣づくまで、少し時閒がかかります。
 
## 「しゅつのう」じゃダメなのか
 
確かに、「出」には「すい」という讀み方があります。唐音です。
「納」には「とう」という讀み方があります。これも唐音です。
 
でも、普段はあまり使いません。馴染みがないのです。
 
しゅつのうでも正解にして慾しい。
 
「しゅつのう」と讀んでも、意味は通じます。むしろ、その方が分かりやすいのではないでしょうか。
 
でも、「出納」の正式な讀み方は「すいとう」です。「しゅつのう」は、正式には認められていません。
 
言葉は生き物です。時代と共に變化します。
 
でも、古い讀み方にも、價値があります。それを殘すか、失うか。難しい問題です。
 
普段使わない讀み方だからこそ、混亂してしまう。「しゅつのう」でも通じるはずなのに、なぜ「すいとう」なのか。言葉の不思議さを感じます。
 
## お金のための言葉
 
「出納」という言葉は、お金を管理するための言葉です。
お金の出入り。收入と支出。資產の管理。
現代社會では、とても重要なことです。
でも、何か違和感があります。
 
お金は大切です。お金がなければ、生活できません。
でも、お金が全てではありません。
愛も大切です。健康も大切です。時閒も大切です。
人との繋がりも大切です。自然も大切です。
お金で買えないものが、たくさんあります。
そして、お金で買えないものこそが、本當に大切なものなのかもしれません。
 
## お金の價值がなくなった世界
 
最近は、お金の價値が全く無くなった場合、どうやって生きていくかを考えるのがとても樂しかったりする😆
 
もし、お金の價値が全くなくなったら、どうなるでしょうか。
混亂が起きるでしょう。經濟システムが崩壞するでしょう。
でも、その先に、何があるのでしょうか。
お金がなくても、生きていくことはできます。
 
食べ物は、畑で育てることができます。
家は、自分で建てることができます。
服は、自分で作ることができます。
 
必要なものは、自分で作る。あるいは、物々交換する。助け合う。
 
お金がなくても、生きていける社會。
 
それは、原始的な社會への逆戾りでしょうか。
 
いいえ、もしかしたら、新しい社會の姿かもしれません。
 
出納は會計用語。お金の出入りを管理する言葉。でも、お金が全てではない。お金の價値がなくなった世界を想像するのが樂しい。それは、本當に大切なものは何かを考えることでもあります。
 
お金の價値がなくなった世界を想像することは、本當に大切なものは何かを考えることです。
 
お金がなくても殘るものは何か。
 
それこそが、本當に大切なものなのです。
 
## 出すことと納めること
 
「出納」という言葉に戾りましょう。
 
出すことと納めること。
 
これは、お金だけの話ではありません。
 
出すことと受け取ること。
與えることと受け取ること。
 
これは、人生の基本です。
 
出すだけでは、枯渇します。
受け取るだけでは、停滯します。
 
出して、受け取って。與えて、受け取って。
 
その循環が、人生を豐かにします。
 
お金の出納も大切です。でも、それだけではありません。
 
時閒の出納。エネルギーの出納。愛情の出納。
 
すべてにおいて、出すことと受け取ることのバランスが大切です。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 78/100 進行中
 
78顆完成。殘り22顆です。
 
出すことと納めること。
 
このプロジェクトも、出すことと納めることの繰り返しです。
 
時閒とエネルギーを出して、作品と學びを納める。
 
そして、作品をYouTubeとブログに出して、反應を納める。
 
出して、納めて。出して、納めて。
 
その循環の中で、プロジェクトは進んでいきます。
 
殘り22顆。
 
お金の出納ではなく、創作の出納を續けていきます。

 

生成AIさんに作成していただいたがぞうはこちら、

だいぶ儲かってそうですねー( *´艸`)

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
 
 
對意二字熟語百顆印の七十七顆目は「贊否」です。
 
## 贊否の意味
 
贊成と不贊成。
また、贊成か不贊成かということ。
 
「贊否」は、物事に對する二つの立場を表す言葉です。
 
贊成するか、反對するか。イエスか、ノーか。
 
「贊否兩論」という表現がありますが、これは贊成の意見も反對の意見もある、という意味です。
 
世の中の多くの問題には、正解がありません。だから、贊否が分かれるのです。
 
## 制作について
 
今回も朱白文で彫りました。
 
・字體:金文風
・朱白文:贊は白文、否は朱文
・サイズ:10mm角
・擊邊:入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石

 

 

## 四回目の「否」
 
否は過去に、可否、諾否、安否で彫ってるので、四顆目の否となるわけです。なんか否が使われる囘數が多いですよね。
 
ここで、重要な氣づきがありました。
 
「否」という字、これで四回目です。
 
可否(11顆目)
諾否(28顆目)
安否(49顆目)
贊否(77顆目)
 
確かに多いですね。
 
次囘の百顆印では重複削除も選考基準に入れておかないといけないですよね。
 
百顆印のリストを作成した時、同じ漢字が複數回使われることには氣づいていませんでした。
 
もう少し注意深くチェックしておけばよかったという反省です。
 
ただ、同じ漢字でも、組み合わせる相手が違えば、意味も變わります。
 
可否は「可」との對比。
諾否は「諾」との對比。
安否は「安」との對比。
贊否は「贊」との對比。
 
それぞれ、違う文脈で「否」という字を彫ることになりました。
 
そして、字體も變えています。
 
小篆白文(可否)
小篆朱文(諾否)
篆刻體白文(安否)
金文朱文(贊否)
 
同じ字でも、字體が違えば全く違う表情になります。
 
それも、一つの學びです。
 
## 金文への挑戰
 
小篆白文、小篆朱文、篆刻體白文と彫ってきてるので今回は金文朱文で彫りました。
 
「否」を四回彫るなら、せめて字體は變えよう。そう思って、今回は金文を選びました。
 
金文は、青銅器に鑄込まれた文字です。小篆よりも古い時代の字體です。
 
力强く、どっしりとした印象があります。
 
でも、彫ってみると、難しい。
 
彫り慣れていないので、ほっそい金文になってしまって、何じゃこりゃ!狀態だったのはいうまでもありません。
 
正直な感想です。
 
金文は初めての挑戰でした。彫り慣れていない字體だったので、思った以上に細くなってしまいました。
 
金文の持つどっしりとした力强さが、全く出せませんでした。
 
細くて、頼りない印象の金文になってしまいました。
 
「何じゃこりゃ!」
 
彫り終わって押印した瞬閒、思わずそう言ってしまいました。
 
反省點ですが、新しい字體に挑戰した經驗として、次に活かしていきたいと思います。
 
失敗も經驗です。金文を彫る難しさが分かりました。
 
次に金文を彫る機會があれば、今回の經驗を活かせるでしょう。
 
## 拾った言葉
 
贊否兩論のやつですよね。拾った言葉だけど、、、
 
インターネット上で、こんな言葉を拾いました。
 
國が嘘をつくとは思わなかった
政治家が嘘をつくとは思わなかった
醫者が嘘をつくとは思わなかった
學者が嘘をつくとは思わなかった
敎師が嘘をつくとは思わなかった
テレビが嘘をつくとは思わなかった
でもこの世界は嘘まみれだった
この現實とどう向き合うかで人生變わる
 
強い言葉です。
 
かつて、私たちは權威を信じていました。
 
國が言うことは正しい。
政治家が言うことは正しい。
醫者が言うことは正しい。
學者が言うことは正しい。
敎師が言うことは正しい。
テレビが言うことは正しい。
 
そう信じていました。
 
でも、氣づいてしまいました。
 
權威も嘘をつく。專門家も嘘をつく。
 
いや、嘘とまで言わなくても、閒違うことがある。知らないことがある。隱していることがある。
 
信じていたものが、崩れていく。
 
それは、苦しい經驗です。
 
でも、目を背けることはできません。
 
この現實とどう向き合うかで、人生が變わる。
 
## 贊否はあると思う
 
贊否はあると思う。でも、嘘をつかない人はいないし、全ては虛構の上に成り立っている、と僕は思っている。
 
この言葉に、贊成する人もいれば、反對する人もいるでしょう。
 
まさに、贊否兩論です。
 
でも、私は思うのです。
 
嘘をつかない人は、いない。
 
誰もが、大なり小なり嘘をつきます。
 
白い嘘、優しい嘘、必要な嘘。
 
あるいは、自分にすらついている嘘。
 
そして、この世界は、ある意味で虛構の上に成り立っています。
 
お金も虛構です。みんながその價值を信じているから、價値があるだけです。
 
國家も虛構です。國境線は、人閒が決めた線に過ぎません。
 
言葉も虛構です。物事に名前をつけることで、私たちは世界を理解したつもりになっています。
 
でも、それは虛構です。
 
虛構が惡いと言っているのではありません。
 
虛構は必要です。虛構があるからこそ、私たちは社會を作り、文化を築き、意味のある人生を生きることができます。
 
ただ、虛構を虛構と認識すること。それが大切なのだと思います。
 
## 夢の中で嘘をつく
 
昨日というか、今朝、中學の同級生が、そっくりその當時のままの姿で現れて、夢の中で樂しい時閒を過ごした。僕は普通に嘘をついていた。多分、そういうことなんだと思う。
 
これは、興味深い體驗です。
 
夢の中で、中學時代の同級生と再會しました。その友人は、當時のままの姿でした。
 
樂しい時閒を過ごしました。
 
そして、夢の中で、私は嘘をついていました。
 
普通に、自然に、嘘をついていたのです。
 
目が覺めて、氣づきました。
 
夢の中でさえ、私は嘘をつくのだ、と。
 
權威や常識を信じていた時代から、現實を見つめる時代へ。そして、夢の中でさえ嘘をつく自分に氣づく。贊成も不贊成も、眞實も嘘も、境界は曖昧なのかもしれません。
 
嘘は、外の世界だけにあるのではありません。
 
自分の內側にもあるのです。
 
それを認めること。それが、誠實さなのかもしれません。
 
## 贊否を超えて
 
贊成か不贊成か。
 
白か黑か。
 
正しいか閒違っているか。
 
世界を二つに分けることは、簡單です。
 
でも、世界は二つには分けられません。
 
グレーの領域が、たくさんあります。
 
權威も嘘をつく。でも、權威が常に嘘をついているわけではありません。
 
人は嘘をつく。でも、人が常に嘘をついているわけではありません。
 
虛構の上に世界は成り立っている。でも、眞實もあります。
 
大切なのは、二元論に陷らないことです。
 
贊成か反對か。どちらか一方を選ぶのではなく、兩方の視點を持つこと。
 
そして、その閒のグレーの領域を、丁寧に見ていくこと。
 
それが、複雜な世界を生きる知惠なのかもしれません。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 77/100 進行中
 
77顆完成。殘り23顆です。
 
「否」を四回も彫る羽目になりましたが、それもまた經驗です。
 
金文に挑戰して失敗しましたが、それもまた學びです。
 
完璧なプロジェクトではありません。
 
でも、續けています。
 
贊成も反對も、失敗も成功も、すべて含めて、プロジェクトです。
 
殘り23顆。
 
贊否を超えて、進んでいきます。

 

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賛否が分かれそうな画像ですね・・・(;^ω^)

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
 
 
對意二字熟語百顆印の七十六顆目は「晴雨」です。
 
## 晴雨の意味
 
晴天と雨天。
晴れと雨。
晴と雨。
晴か雨か。
 
「晴雨」は、天氣の二つの狀態を表す言葉です。
 
晴れと雨。對照的な二つの天氣ですが、どちらも必要なものです。
 
晴れだけが續けば干ばつになり、雨だけが續けば洪水になります。晴れと雨が程よく繰り返すからこそ、自然は豊かになります。
 
## 制作について
 
今回も朱白文で彫りました。
 
・字體:甲骨文字風
・朱白文:晴は白文、雨は朱文
・サイズ:10mm角
・擊邊:雨の内側だけ入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石

 

 

今回は、擊邊を雨の内側だけに入れるという、少し變わった方法を試しました。
 
## 字體選びの迷い
 
字體を選ぶ段階で、迷いがありました。
 
「晴」という字を小篆で調べると、二種類の字形が見つかりました。どちらを選ぶべきか。
 
迷った末に、甲骨文字を探してみることにしました。甲骨文字なら、より古い形です。原初的な形に戾ってみよう、と。
 
でも、彫り終わった今も、疑問が殘っています。
 
果たしてこの甲骨文字は、晴なのだろうか。
 
甲骨文字の解讀は、必ずしも確定していません。學者によって解釋が分かれることもあります。
 
私が選んだこの字形は、本當に「晴」なのだろうか。もしかしたら、違う字なのではないか。
 
そんな疑問が、心のどこかに殘っています。
 
字體選びに迷うこともあります。小篆に複數の形があったり、甲骨文字の解釋に確信が持てなかったり。でも、迷いながらも一つを選んで彫る。その選擇も、作品の一部です。
 
完璧な答えがない中で、一つを選ぶ。それが、創作の過程なのでしょう。
 
迷いも含めて、作品です。
 
## 晴れの良さ
 
晴れの日は、可能性に滿ちています。
 
布團を干す。太陽の光と熱で、布團がふかふかになります。夜、その布團で眠る時の幸福感。
 
外に出かける。雨を氣にせず、どこへでも行けます。
 
洗濯物がよく乾く。これは主婦的(主夫的)な喜びですね。
 
遠くがよく見える。空氣が澄んでいて、視界が開けています。
 
太陽が眩しくて目を細める。眩しいけれど、心地よい。
 
氣溫が上がるから活動的になる。體がよく動く。晴れの日は、自然と體が動きたくなります。
 
氣持ちが前向き加減になる。これも、晴れの日の不思議な力です。心まで晴れやかになる。
 
## 雨も好き
 
雨音は雨足によって變化する感じが素敵だし、畑をしてた時は雨乞いをしてるぐらい待ち望んだ、土砂降りの中をずぶ濡れになるのは樂しい。
 
雨音の變化。小雨のパラパラという音、本降りのザーザーという音、土砂降りのゴウゴウという音。雨足によって、音が變わります。
 
畑をしていた時の雨乞い。これは切實です。野菜は水がなければ育ちません。雨が降らない日が續けば、畑は干からびてしまいます。だから、雨を待ち望む。雨乞いをするほどに。
 
土砂降りの中をずぶ濡れになる樂しさ。これは、子供の心を持っている人にしか分からない樂しさかもしれません。傘も役に立たないほどの土砂降り。もう諦めて、濡れてしまえ。そうすると、不思議と樂しくなってくるのです。
 
## 最近の雨への懸念
 
あぁ、でも、最近の雨はあまり良くないのかな。
 
氣象操作されてるようなので、ケムトレイル中の微量金屬片とか、黃砂とか、大氣の汚染物質とか入ってると考えると、浴びるには良くないのかもしれないですね。
 
最近の雨には、懸念があります。
 
ケムトレイル、黃砂、大氣汚染。これらの問題が、雨に混じっているのではないか。そう考えると、昔のように無邪氣に雨に濡れることはできません。
 
小さい頃はそうでもなかった氣がするんだけど、快晴時に明らかに白く霞んで遠くが見えなくなることが多いように思う。
 
これは、多くの人が感じている違和感ではないでしょうか。
 
快晴のはずなのに、空が白く霞んでいる。遠くがよく見えない。
 
昔の快晴は、もっと透き通っていた氣がします。遠くの山まで、くっきりと見えました。
 
でも、最近の快晴は、何となく白っぽい。空氣が濁っている感じがします。
 
晴れにも雨にも、それぞれの良さがある。でも、最近の空や雨は、昔と違う氣がする。環境の變化に對する素直な違和感。それも、日々を生きる中での氣づきです。
 
環境は變化しています。大氣は汚染されています。
 
それは、事實です。
 
でも、だからと言って、晴れや雨を樂しむことを止める必要はありません。
 
變わってしまったものを嘆くよりも、今ある晴れと雨を、精一杯樂しむ。
 
そして、少しでも環境を良くするために、自分にできることをする。
 
朝夕4kmを步きながらゴミを拾うように。
 
## 晴雨計のように
 
「晴雨計」という道具があります。
 
氣壓を測定して、晴れか雨かを豫測する道具です。
 
人間も、ある意味で晴雨計のようなものかもしれません。
 
體調や氣分で、天氣を感じ取ることができます。
 
晴れの日は氣分が良く、雨の日は少し沈む。そんな人もいます。
 
逆に、雨の日の方が落ち着く、という人もいます。
 
晴れと雨。どちらが良いということはありません。
 
どちらも必要で、どちらも大切です。
 
そして、どちらも樂しむことができます。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 76/100 進行中
 
76顆完成。殘り24顆です。
 
晴れの日も、雨の日も、コツコツと彫り續けています。
 
字體選びに迷う日もあります。疑問が殘る日もあります。
 
でも、それも含めて、プロジェクトです。
 
完璧ではないけれど、續けている。
 
晴れの日も雨の日も、淡々と續けていく。
 
それが、このプロジェクトの姿勢です。
 
殘り24顆。
 
晴雨に關わらず、進んでいきます。

 

生成AIさんに作成頂いた画像はこちら、

晴れも雨も気持ちいですね( *´艸`)

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
 
 
對意二字熟語百顆印の七十五顆目は「朝夕」です。
 
75顆達成!4分の3を通過しました。
 
## 朝夕の意味
 
朝と夕方。朝と晚。
(副詞的に用いて)いつも。常々。
「朝夕通る道」「朝夕勉學にいそしむ」
《朝晚の食事の意から》暮らし。生計。
 
「朝夕」は、單に朝と夕を表すだけでなく、日常、暮らし、生計といった意味も持つ言葉です。
 
「朝夕の食事」が轉じて「暮らし」を意味するようになったというのは、興味深い變化ですね。
 
食事は暮らしの基本です。朝夕の食事が確保できるかどうかが、生活の安定を表していたのでしょう。
 
## 制作について
 
今回も朱白文で彫りました。
 
・字體:小篆風
・朱白文:朝は朱文、夕は白文
・サイズ:10mm角
・擊邊:入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石

 

 

## だらだら彫ってしまった日
 
なんかだらだら彫ってしまって、彫り上がるまでに1時閒もかかってしまった。ちゃんと彫るときは彫ろうと思う。
 
集中できませんでした。いつもなら30分程度で彫り終わるところ、1時閒もかかってしまいました。
 
集中力が續かない時もあります。いつもと同じように彫っているつもりでも、氣づけば1時閒も經っていた。そういう日もある。
 
手は動いているのに、心はどこか別のところにある。そんな狀態でした。
 
反省しつつ、次はもっと集中して彫ろうと思います。
 
でも、こういう日があってもいいのだと思います。
 
毎回完璧に集中できるわけではありません。調子の良い日もあれば、そうでない日もあります。
 
大切なのは、調子が惡い日でも、とにかく彫り續けることです。
 
だらだらでも、1時閒かかっても、とにかく完成させる。その積み重ねが、百顆印プロジェクトを支えています。
 
## 似たような言葉が續く
 
35顆目に晝夜を、67顆目に早晚を彫ってるのに、更に朝夕を彫るという、ちゃんと選考したのか?という氣がしないでもない今日この頃ですが、みなさんいかが過ごしでしょうか。
 
晝夜、早晚、そして朝夕。似たような意味の言葉が續いています。
 
百顆印のリストを作る時、もう少し注意深く選べばよかったかもしれません。
 
でも、彫ってみると、それぞれ微妙にニュアンスが違うことに氣づきます。
 
晝夜は晝と夜の對比、早晚は朝と晚の挨拶、そして朝夕は日常の暮らしそのもの。
 
晝夜(35顆目)は、晝と夜という24時閒の大きな區切りです。明るい時閒と暗い時閒。活動の時閒と休息の時閒。
 
早晚(67顆目)は、早いと遲い、朝と晚。そして「早かれ遲かれ」という意味もあります。時閒の流れを感じさせる言葉です。
 
朝夕(75顆目)は、朝と夕という一日の始まりと終わり。そして、日常の暮らしそのものを表します。
 
同じような言葉でも、それぞれに味わいがあるのです。
 
## 僕の朝夕
 
因みに僕は今朝いつものように起き、お風呂に入って、瞑想して、ゴミを捨て、4kmの道のりをゴミを拾って步き、髮を整えました。
 
朝のルーティンが語られます。
 
起床、入浴、瞑想、ゴミ捨て、4kmの步行(ゴミ拾いをしながら)、整髮。
 
毎朝、同じことを繰り返す。それが、暮らしです。
 
ただ步くだけでなく、地域を綺麗にしながら步く。一石二鳥の朝の習慣です。
 
夕方は、雨が降っていたので傘を差しながら4kmを步きました。
 
バスには多く人が乘っていましたが、僕は步くのが好きなので步きます。
 
多くの人がバスを利用しています。特に雨の日なら、なおさらです。
 
でも、步くことを選ぶ。なぜなら、步くのが好きだから。
 
それが暮らしです。
 
朝夕の暮らし。毎日繰り返される日常のルーティン。それこそが、人生そのものなのかもしれません。
 
特別なことではなく、當たり前のことを當たり前に續けること。それが暮らしです。
 
朝起きて、入浴して、瞑想して、步いて。夕方になったら、また步いて。
 
毎日同じことの繰り返し。でも、その繰り返しこそが、人生を作っているのです。
 
## 朝夕の暮らし
 
「朝夕」という言葉が「暮らし」を意味するようになったのは、深い理由があります。
 
朝夕の食事が確保できるかどうか。それが、生きるか死ぬかの問題だった時代がありました。
 
朝夕、何を食べるか。どうやって食べ物を手に入れるか。それが、暮らしの中心だったのです。
 
現代では、食べ物を手に入れることは、それほど難しくありません。でも、だからこそ、暮らしの意味を見失いがちです。
 
朝夕、何をするか。どう時閒を使うか。
 
それが、現代の暮らしです。
 
毎朝4kmを步く。ゴミを拾いながら步く。雨の日でも步く。
 
それは、單なる運動ではありません。暮らしの一部なのです。
 
習慣が人を作ります。毎日繰り返すことが、その人の人生を形作ります。
 
朝夕の習慣。それが、暮らしであり、人生なのです。
 
## 75顆という節目
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 75/100 完成
 
節目の75顆達成!殘り25顆です。
 
ついに75顆に到達しました。
 
100顆の4分の3です。殘りは4分の1、25顆です。
 
振り返れば、長い道のりでした。でも、一つ一つ積み重ねてきました。
 
だらだら彫ってしまう日もありました。うまくいかない日もありました。
 
でも、朝夕、コツコツと續けてきました。
 
それが、暮らしです。
 
完璧を求めず、でも諦めず、淡々と續ける。
 
朝起きて步くように、夕方また步くように、毎日少しずつ彫り續ける。
 
それが、百顆印プロジェクトの進め方であり、人生の生き方なのかもしれません。
 
## 殘り25顆
 
殘り25顆。
 
100顆という目標が、だんだん現實的に見えてきました。
 
でも、急ぐ必要はありません。
 
朝夕、いつものように彫り續ければ、いつか必ず到達します。
 
特別なことをする必要はありません。當たり前のことを當たり前に續ける。
 
それが、暮らしであり、プロジェクトの進め方です。
 
朝起きて、入浴して、瞑想して、4km步いて。
 
夕方になったら、また4km步いて。
 
そして、石を彫る。
 
その繰り返しの中に、人生があります。

 

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あなな・・・(´艸`*)

 

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
 
 
對意二字熟語百顆印の七十四顆目は「表裏」です。
 
## 表裏の意味
 
表と裏。
外と内。
また、その關係にあること。
「表裏をなす」
「喜びと表裏して悲しみがある」
外面と內實とで違いがあること。
 
「表裏」は、表面と裏面を表す言葉です。
 
物理的な表と裏だけでなく、外面と內實、見える部分と見えない部分といった、抽象的な對比も表します。
 
「表裏一體」という言葉があります。表と裏は切り離せない關係にある、という意味です。
 
また、「表裏がある」という表現もあります。これは、外面と內面が一致していない、つまり裏表があるという、やや否定的な意味で使われます。
 
## 制作について
 
今回も朱白文で彫りました。
 
・字體:小篆風
・朱白文:表は白文、裏は朱文
・サイズ:10mm角
・擊邊:ちょっと入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石

 

 

擊邊は控えめに入れました。以前、入れ過ぎて失敗したこともあったので、最近は愼重になっています。
 
## 表と裏、似ている字形
 
今回、「表」と「裏」を彫ってみて、改めて氣づいたことがあります。
 
この二つの字、よく似ているのです。
 
表:衣 + 毛
裏:衣 + 里
 
どちらも「衣」偏です。そして、上側の部分も、何となく似た構造をしています。
 
「表」と「裏」、意味は正反對ですが、字の形はよく似ています。對になる概念が、字の形でも對になっている。漢字の造形の妙を感じます。
 
對になる概念を表す漢字が、形も對になっている。これは偶然ではないでしょう。
 
漢字を作った古代の人々は、意味の對應を、形の對應で表現したのです。
 
左右、上下、前後、内外、そして表裏。
 
對になる概念は、字の形も對になるように作られています。
 
彫りながら、この漢字の造形美を感じました。
 
## 表裏一體
 
表があれば裏もある。
 
これは、宇宙の法則です。
 
紙には、表と裏があります。コインには、表と裏があります。
 
表だけの紙、裏だけのコインは、存在しません。
 
表があれば、必ず裏があるのです。
 
そして、表と裏は、切り離すことができません。
 
表を見せれば、裏は隱れます。裏を見せれば、表は隱れます。
 
でも、どちらか一方だけが存在するわけではありません。見えないだけで、裏側には必ず何かがあるのです。
 
## 表社會と裏社會
 
表の顏と裏の顏。
 
人間社會にも、表と裏があります。
 
表社會は、公式な、正式な、表に出ている社會です。法律に從い、ルールを守り、秩序が保たれている世界です。
 
裏社會は、非公式な、表に出ない社會です。法律の外、あるいは法律の隙閒で動く世界です。
 
そして、私たち一人一人にも、表の顏と裏の顏があります。
 
人前で見せる顏と、一人の時の顏。
建前と本音。
外面と內面。
 
完全に表裏なく生きている人は、いるのでしょうか。
 
## 表が明るく、裏が暗い?
 
表って明るいイメージがあるんだけど、裏が暗いイメージがあるからなのかな。
 
表は光が當たる側で、裏は影になる側。だから、物理的にも、表は明るく、裏は暗いのです。
 
そして、そのイメージが、抽象的な意味にも擴がっています。
 
表社會は明るく、裏社會は暗い。
表の顏は明るく、裏の顏は暗い。
 
でも、本當にそうでしょうか。
 
裏が暗いのは、光が當たっていないだけです。裏側から見れば、そちらが表になります。
 
表と裏は、相對的なものです。どちらを表と呼び、どちらを裏と呼ぶかは、見る角度によって變わるのです。
 
そして、裏が暗いということは、裏には秘密がある、隱されたものがあるということでもあります。
 
表だけを見ていては、物事の全體は分かりません。裏を見て初めて、全體が見えてくるのです。
 
## 裏表がない人
 
裏表がない人とかいるかな。
 
「裏表がない人」という表現は、褒め言葉として使われます。正直で、誠實で、表も裏も同じ。そんな人を指します。
 
でも、本當に裏表がない人というのは、存在するのでしょうか。
 
表は明るく、裏は暗い。そんなイメージがあります。でも、裏があるからこそ表がある。どちらか一方だけでは成り立たない。そして、裏表がない人というのは、本當にいるのでしょうか。誰にでも、人に見せる面と見せない面があるのではないでしょうか。
 
家族の前での自分と、職場での自分。
親しい友人の前での自分と、初對面の人の前での自分。
 
それぞれ、少しずつ違うのではないでしょうか。
 
それは、裏表があるということでしょうか。
 
それは人閒として自然なことです。
 
狀況に應じて、適切な面を見せる。それは、社會性であり、知性です。
 
裏表がないということは、すべてをさらけ出すということではありません。
 
表も裏も、どちらも自分です。狀況に應じて使い分けながら、でも根本のところではブレない。
 
それが、本當の意味で「裏表がない」ということなのかもしれません。
 
## 表裏一體の世界
 
表があれば裏がある。裏があれば表がある。
 
光があれば影がある。影があれば光がある。
 
善があれば惡がある。惡があれば善がある。
 
この世界は、表裏一體です。
 
どちらか一方だけを求めても、それは不可能です。
 
表だけの世界、光だけの世界、善だけの世界。
 
それは、存在しません。
 
表があるから裏が際立ち、裏があるから表が際立つ。
 
兩方があって、初めて世界は完全になるのです。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 74/100 進行中
 
74顆完成。殘り26顆です。
 
このプロジェクトにも、表と裏があります。
 
YouTubeやブログで見せている部分は、表です。完成した作品、考えたこと、氣づいたこと。
 
でも、その裏には、見せていない部分もあります。
 
うまくいかなくて何度もやり直したこと。
ボツにした作品。
公開するほどでもない小さな氣づき。
 
表だけを見せるのではなく、時には裏も見せる。
 
そうすることで、より立體的なプロジェクトになっていくのかもしれません。
 
殘り26顆。
 
表と裏、兩方を大切にしながら、進んでいきたいと思います。

 

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うなじがきれいですね・・・(´艸`*)

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。