音型(おんけい)が彫る -3ページ目

音型(おんけい)が彫る

私の名は、
雨垂れ石を穿つ音型

篆刻とか
書きものとか
掛け軸とか
小物作ったり
好きな時に好きな事をする
勝手気ままなブログです

 
 
對意二字熟語百顆印の七十三顆目は「始末」です。
 
## 始末の意味
 
事の始めと終わり。
始めから終わりまで。
終始。本末。首尾。
 
「始末」は、物事の始まりから終わりまでを表す言葉です。
 
「始末書」という言葉があるように、何かトラブルがあった時に、その經緯を最初から最後まで説明する、そんな使い方もされます。
 
また、「始末に負えない」という表現もあります。これは、手に負えない、收拾がつかないという意味です。
 
始まりがあれば、必ず終わりがある。それが、始末です。
 
## 制作について
 
今回も朱白文で彫りました。
 
・字體:篆刻體風
・朱白文:始は朱文、末は白文
・サイズ:10mm角
・擊邊:入れませんでした
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石

 

 

今回は擊邊を入れませんでした。以前、擊邊を入れ過ぎて石を缺いてしまったこともありましたが、今回は最初から擊邊なしで彫ることにしました。
 
擊邊の有無も、作品の印象を大きく變えます。
 
## 篆刻體の彫りやすさ
 
終始で小篆を利用していたので、今回は篆刻體を使いました。彫りやすいです。
 
以前、32顆目に「終始」を彫った時は小篆風を使いました。
 
今回、似たような意味の「始末」を彫るにあたって、同じ字體では面白くないと思い、篆刻體を選びました。
 
そして、彫ってみて氣づいたのは、篆刻體の彫りやすさです。
 
同じような意味の言葉でも、字體を變えることで新鮮な氣持ちで向き合えます。篆刻體は正方形に收まりやすく、彫りやすい。字體の選擇も、作品の仕上がりに大きく影響します。
 
篆刻體は、その名の通り、篆刻のために整えられた字體です。正方形の印面に美しく收まるように設計されています。
 
だから、彫りやすい。バランスも取りやすい。
 
一方、小篆は古代の字體をベースにしているので、時として印面に收めるのが難しいこともあります。
 
字體の選擇は、作品の完成度に大きく影響するのだと、改めて實感しました。
 
## 終始と始末
 
32顆目に終始を彫ってますね。でも終始は終わりが先ですね。今回は始末なので、始まりが先。
 
「終始」と「始末」。どちらも、始まりと終わりを表す言葉です。
 
でも、言葉の順序が違います。
 
「終始」は、終わりが先で、始まりが後。
「始末」は、始まりが先で、終わりが後。
 
言葉の順序にも意味がある。「終始」は終わりから始まり、「始末」は始まりから終わる。同じような意味でも、順序が違えば、微妙にニュアンスも變わってくるのかもしれません。
 
「終始一貫」という言葉があります。終わりから始まりまで、一貫している。つまり、最初から最後まで、ブレないということです。
 
一方、「始末」は、始まりから終わりまでの過程を表します。「事の始末」と言えば、事の經緯、顛末を意味します。
 
微妙な違いですが、言葉の順序が、意味の焦點を少しずらしているのかもしれません。
 
## 最後って何?
 
始めがあって、終わりもある。でも、最後までやろうというのは、最後って何?ってなるよね。
 
「最後まで頑張る」「最後までやり遂げる」
 
私たちは、よくこんな言葉を使います。でも、その「最後」とは、何でしょうか。
 
プロジェクトには、期限があります。その期限が「最後」でしょうか。
 
でも、期限を延長することもできます。では、延長した後の期限が「最後」でしょうか。
 
人生には、死があります。それが「最後」でしょうか。
 
でも、死の後も、何かが續くかもしれません。では、「最後」はどこにあるのでしょうか。
 
最後は自分で決めていいと思う。
 
これが、答えです。
 
「最後まで頑張る」とよく言いますが、その「最後」は誰が決めるのでしょうか。他人が決めた最後ではなく、自分で最後を決める。それが、自分の人生を生きるということなのかもしれません。
 
他人が決めた「最後」に縛られる必要はありません。
 
自分で「ここまで」と決めたら、そこが最後です。
 
逆に、「もう少し續けたい」と思ったら、續ければいいのです。
 
始末は、自分で決める。それが、自分の人生を生きるということです。
 
## 百顆印プロジェクトの始末
 
この百顆印プロジェクトにも、始まりと終わりがあります。
 
始まりは、1顆目。「可否」を彫った日でした。
 
終わりは、100顆目。まだ、どの言葉を彫るか決めていませんが、いずれ來ます。
 
でも、100顆目を彫ったら、本當に終わりでしょうか。
 
101顆目を彫ってもいいかもしれません。
あるいは、別のプロジェクトを始めてもいいかもしれません。
 
「最後」は、自分で決めます。
 
100顆という目標は、一つの區切りです。でも、それが絕對的な終わりではありません。
 
今は、73顆目。殘り27顆です。
 
100顆という目標に向かって進んでいますが、その先のことは、その時になって考えればいいのです。
 
## 始めがあれば終わりがある
 
始めがあって、終わりもある。
 
これは、宇宙の法則です。
 
體を持って生まれたものは、必ず體を脱ぎます。
始まったものは、必ず終わります。
 
でも、終わりは悲しいことではありません。
 
終わりがあるからこそ、始まりに意味があるのです。
 
永遠に續くものには、緊張感がありません。いつでもできると思えば、今やる必要がありません。
 
でも、終わりがあると分かっているからこそ、今を大切にできるのです。
 
百顆印プロジェクトも、いつか終わります。
 
でも、その終わりがあるからこそ、一つ一つの作品が大切なのです。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 73/100 進行中
 
73顆完成。殘り27顆です。
 
始まりから、ここまで來ました。
 
そして、終わりまで、あと27顆です。
 
でも、その「終わり」は、本當の終わりではないかもしれません。
 
一つの區切り。一つの通過點。
 
そして、その先にまた、新しい始まりがあるのかもしれません。
 
始末は、自分で決める。
 
その自由を大切にしながら、殘りの27顆を彫っていきたいと思います。

 

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成長とともに色々と変わる感じですかねぇ~(^^)/

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
 
 
對意二字熟語百顆印の七十二顆目は「是非」です。
 
## 是非の意味
 
是と非。
道理があることと道理がないこと。
よいことと惡いこと。
善惡。正邪。
 
「是非」は、善と惡、正と邪を表す言葉です。
 
是は正しいこと、非は誤っていること。白黑はっきりとした二元論の世界です。
 
でも、世界は本當にそんなに單純なのでしょうか。
 
## 制作について
 
今回も朱白文で彫りました。
 
・字體:小篆風
・朱白文:是は朱文、非は白文
・サイズ:10mm角
・擊邊:ちょっとだけ入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石

 

 

## 白文と朱文の手應え
 
白文は意外とうまくいったように思う。
 
今回の「非」は白文で彫りました。彫った部分が白く出る白文。
 
比較的スムーズに彫ることができ、仕上がりにも滿足しています。
 
朱文はやっぱり必要な技術が身に付いていないように思う。精進いたします。
 
一方、「是」は朱文で彫りました。殘した部分が赤く出る朱文。
 
やはり、まだまだ課題があります。線の太さ、均一性、全體のバランス。理想とする朱文には、まだ届いていません。
 
自分の技術的な課題を冷靜に認識しています。白文はうまくいった、朱文はまだ課題がある。その違いを自覺し、次への課題として受け止める。この姿勢が、成長を支えています。
 
72顆目まで來て、自分の得意不得意が見えてきました。
 
白文は、比較的安定して彫れるようになってきた。でも、朱文は、まだまだ技術が足りない。
 
この自己認識が大切です。何ができて、何ができないのか。それを知ることが、上達への第一步です。
 
この姿勢が、百顆印プロジェクトを續ける原動力になっています。
 
## 出た!善惡二元論!
 
まぁ、火種の元なんだろうなぁ。
 
「是非」という言葉を見た瞬閒の、率直な反應です。
 
善と惡。正と邪。是と非。
 
世界を二つに分ける考え方。これが、善惡二元論です。
 
そして、この二元論こそが、多くの對立や爭いの火種になってきました。
 
自分は善で、相手は惡。
自分は正しくて、相手は閒違っている。
自分は是で、相手は非。
 
そう思った瞬閒から、對立が始まります。
 
相手を惡だと決めつければ、攻擊することも正當化されます。自分は正義の側にいるのだから、と。
 
歷史を振り返れば、多くの戰爭や迫害が、この善惡二元論によって正當化されてきました。
 
## 「是非」という言葉の面白さ
 
ぜひ一度のぜひは、是非なんでしょうね。
 
「是非一度お試しください」
 
よく使う表現ですが、この「是非」は、善惡の是非なのでしょうか。
 
よく使っちゃってるかもしれないけど、良くも惡くも一度お試しください、というような意味合いになりますかね。
 
面白い解釋です。
 
「是非」という言葉は、善も惡も含めて、という意味なのかもしれません。
 
良いかもしれないし、惡いかもしれない。でも、とにかく一度やってみてください。
 
そう考えると、「是非」という言葉には、善惡を超えた何かがあるのかもしれません。
 
## 經驗こそが大切
 
經驗だからなぁ。行動することに意義があるんだとは思う。良し惡しはそれからでもいいんじゃないかな。
 
善か惡かを先に判斷するのではなく、まず經驗してみる。
 
やってみて、自分で感じて、それから判斷する。
 
頭で考えているだけでは分かりません。實際に體驗してみないと、本當のところは分からないのです。
 
良いと思っていたことが、やってみたら良くなかった。
惡いと思っていたことが、やってみたら意外と良かった。
 
そんなことは、よくあります。
 
だから、先入觀で決めつけずに、まず經驗してみる。
 
人によって解釋なんて、てんでバラバラなんだから、まずは考えてみよう、んで、やってみようでいいんじゃないかな。
 
何が善で何が惡か。その基準は、人によって違います。
 
文化によって違います。時代によって違います。狀況によって違います。
 
絕對的な善惡など、存在しないのかもしれません。
 
だからこそ、自分で考え、自分で經驗し、自分で判斷する。
 
それが、自由に生きるということなのでしょう。
 
善惡を先に判斷するのではなく、まず經驗してみる。やってみてから考える。人によって善惡の基準は違うのだから、自分で體驗して自分で判斷する。その姿勢が、自由な生き方につながるのかもしれません。
 
## 是非を超えて
 
是と非。善と惡。正と邪。
 
二元論は、分かりやすいです。白黑はっきりしていて、判斷も簡單です。
 
でも、世界はそんなに單純ではありません。
 
白でもなく黑でもない、グレーの領域が、たくさんあります。
 
いや、もしかしたら、すべてがグレーなのかもしれません。
 
完全な善も、完全な惡も、存在しないのかもしれません。
 
大切なのは、是非を決めつけることではなく、考え續けること。
 
經驗し續けること。學び續けること。
 
そして、自分なりの答えを、少しずつ見つけていくこと。
 
## 篆刻と是非
 
篆刻にも、是非があるのでしょうか。
 
正しい彫り方、閒違った彫り方。
良い作品、惡い作品。
 
でも、實際に彫ってみると、そんなに單純ではありません。
 
失敗だと思った作品が、後から見ると味があったり。
うまくいったと思った作品が、後から見ると物足りなかったり。
 
白文はうまくいって、朱文はうまくいかなかった。
 
でも、うまくいかなかったからこそ、次への課題が見えました。
 
失敗は、惡ではありません。學びなのです。
 
是も非も、善も惡も、表裏一體。どちらも必要なのかもしれません。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 72/100 進行中
 
72顆完成。殘り28顆です。
 
うまくいく作品もあれば、うまくいかない作品もあります。
 
でも、是も非も、すべて經驗です。すべて學びです。
 
善惡を決めつけずに、一つ一つの作品と向き合っていく。
 
それが、このプロジェクトの姿勢です。
 
殘り28顆。まだまだ經驗は續きます。

 

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ライトとロングなんですね・・・(;^ω^)

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
 
 
對意二字熟語百顆印の七十一顆目は「順逆」です。
 
## 順逆の意味
 
正しい順序と逆の順序。
道理に從うことと、そむくこと。
 
「順逆」は、單なる順番の問題だけでなく、道德的な意味合いも持つ言葉です。
 
順は正しく、逆は閒違っている。順は善で、逆は惡。そんな價値判斷が、この言葉には含まれています。
 
でも、本當にそうなのでしょうか。
 
## 制作について
 
今回も朱白文で彫りました。
 
・字體:小篆風
・朱白文:順は白文、逆は朱文
・サイズ:10mm角
・擊邊:ちょっと入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石

 

 

## 石の個性
 
石にもよるのかもしれないけど、眞っ直ぐな線が彫りにくくなってた。
 
今回使った石は、どうも扱いにくい感じがしました。
 
眞っ直ぐな線を彫ろうとしても、石がボロボロと崩れたり、刀が思わぬ方向に滑ったり。
 
同じ靑田石でも、石によって個性があります。柔らかい石、硬い石、粒子が細かい石、粗い石。
 
彫ってみないと分からないのです。
 
白文も朱文も今回の印では、思ったようにいってない。
 
正直に言うと、今回は納得のいく仕上がりではありませんでした。
 
白文の「順」も、朱文の「逆」も、どちらも思い通りに彫れませんでした。
 
石の質によって、彫りやすさが變わる。同じように彫っているつもりでも、石が違えば結果も違う。それもまた、篆刻の面白さであり、難しさです。
 
石という自然の素材を相手にしている以上、完全にコントロールすることはできません。
 
石の個性を受け入れ、その石に合わせて彫り方を調整する。それが、篆刻の技術なのでしょう。
 
思い通りにいかない時もある。でも、それを受け入れて進む。
 
完璧を求めすぎず、今の自分にできることを精一杯やる。そして、次に進む。
 
## 朱文を彫る樂しさ
 
不思議なことに、思い通りにいかなくても、朱文を彫っている時は樂しいのです。
 
なぜでしょうか。自分でもよく分かりません。
 
線が細くなっていく感覺。石を削る音。刀が石に觸れる感觸。
 
そういう感覺的なものが、心地よいのかもしれません。
 
あるいは、繊細な作業に集中している時の、あの獨特の沒入感。
 
理由は分からないけれど、樂しい。理屈を超えた樂しさこそが、續ける原動力になります。
 
明日も樂しもう。
 
うまくいかなくても、樂しい。だから、明日も彫る。
 
結果よりも過程。完成よりも制作の時閒。
 
それを樂しめているからこそ、このプロジェクトを續けられるのだと思います。
 
## 正しい順序って何やねん!?
 
この率直な疑問から、今回の考察は始まります。
 
「順逆」という言葉には、「正しい順序」と「逆の順序」という價值判斷が含まれています。
 
でも、何が正しくて、何が逆なのか。誰が決めたのでしょうか。
 
ものには順番があって、うまくいく方法とうまくいかない方法がある場合は、うまくいく方を正しい順番と言って、うまくいかない方を逆の順番と言うようです。
 
一般的な理解では、こうなります。
 
結果が良ければ順、結果が惡ければ逆。成功すれば順、失敗すれば逆。
 
實用的な定義です。
 
でも、必ずしもそうなるとは限らないですよね。
 
ここが重要です。
 
「正しい順序」で進めても、失敗することがあります。
「逆の順序」で進めても、成功することがあります。
 
順逆は、結果が出るまで分からないのです。
 
そして、結果は狀況によって變わります。ある狀況で順だった方法が、別の狀況では逆になるかもしれません。
 
つまり、絕對的な「正しい順序」など、存在しないのかもしれません。
 
## 道理という名の權力
 
道理に從うと言っても、その道理というのは、誰が何を目的にして作った道理なのかということをよくよく考えないと、なんか便利に使われてるだけだったり、思わぬところで落とし穴があったり、結局のところ搾取されるだけであったり、嫌な思いをすることもあるという事だとは思う。
 
これは、非常に重要な指摘です。
 
「道理」という言葉は、正しさの根據として使われます。
 
「道理に從うべきだ」
「道理に反している」
 
でも、その道理は、誰が作ったのでしょうか。何のために作られたのでしょうか。
 
支配者にとって都合の良い道理が、「正しい道理」として敎えられていないでしょうか。
 
從順な人閒を作るための道理。
搾取を正當化するための道理。
疑問を持たせないための道理。
 
そういう道理もあるのです。
 
「正しい順序」「道理」という言葉には、權力が潜んでいるかもしれません。誰かにとって都合の良い順序が、「正しい」とされていないか。常に疑問を持ち、自分の頭で考えることが大切です。
 
盲目的に從うのではなく、常に疑問を持つ。
 
これは道理に從わないということではありません。その道理が本當に正しいのか、自分で考えるということです。
 
權威に盲從するのではなく、自分の頭で判斷する。それが、眞の意味で道理に從うということなのかもしれません。
 
## 順と逆、どちらが正しい?
 
順と逆。正しい順序と閒違った順序。
 
でも、視點を變えれば、順と逆は入れ替わります。
 
川の流れに沿って下るのが順なら、川を遡るのは逆です。
 
でも、鮭にとっては、川を遡るのが順なのです。產卵のために、生まれた川に戾る。それが鮭の正しい順序です。
 
人と同じ方向に進むのが順なら、人と逆の方向に進むのは逆です。
 
でも、群衆が崖に向かっているなら、逆に進む方が正しいのです。
 
順逆は、絕對的なものではなく、相對的なものです。
 
狀況によって、目的によって、視點によって、順と逆は入れ替わるのです。
 
## 自分の順序を見つける
 
大切なのは、他人が決めた順序に盲目的に從うことではなく、自分にとっての順序を見つけることなのかもしれません。
 
うまくいく方法は、人それぞれ違います。
 
ある人にとって順の方法が、別の人にとっては逆かもしれません。
 
自分に合った順序を、自分で見つける。試行錯誤しながら、自分の道を進む。
 
それが、眞の意味で「順」に生きるということなのかもしれません。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 71/100 進行中
 
71顆完成。殘り29顆です。
 
思い通りにいかない作品もあります。でも、それも含めて、プロジェクトです。
 
順調に進む時もあれば、逆風の時もあります。
 
でも、自分のペースで、自分の順序で、進んでいきます。
 
他人が決めた「正しい順序」に從うのではなく、自分にとっての順序を見つけながら。
 
明日も樂しもう。
 
この言葉を胸に、次の作品へと進みます。

 

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ん?・・・(;^ω^)

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
 
 
對意二字熟語百顆印の七十顆目は「上下」です。
 
ついに70顆達成!折り返しを過ぎ、7割に到達しました。
 
## 上下の意味
 
うえとした。じょうげ。
身分の髙い人と低い人。
統治者と人民。
 
「上下」は、物理的な位置關係だけでなく、社會的な關係性も表します。
 
上司と部下、統治者と人民、身分の髙い人と低い人。上下關係は、人間社會の至る所に存在します。
 
でも、その上下關係は、本當に必要なものなのでしょうか。
 
## 制作について
 
今回も朱白文で彫りました。
 
・字體:篆刻體風
・朱白文:上は白文、下は朱文
・サイズ:10mm角
・擊邊:また入れ過ぎました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石

 

 

 
今回は擊邊をまた入れ過ぎてしまいました。以前「新舊」で大きく缺けた經驗があるにも関わらず、また同じ失敗を繰り返してしまったのです。
 
學習したはずなのに、また忘れてしまう。人閒とは、そういうものなのかもしれません。
 
## 篆刻體の難しさ
 
甲骨文字はあったのですが、今回は篆刻體で彫りました。
 
「上」と「下」は、甲骨文字も存在します。シンプルで力强い字形です。
 
でも、今回はあえて篆刻體を選びました。篆刻のために整えられた字體で、上下を表現してみたかったのです。
 
基本的に篆刻體は正方形に綺麗に收まってるので、正方形に2文字を彫るとどうしても縱長に變形する必要が出て來て、あのどっしりした感じがだいぶ減ってしまいました。
 
これが、今回の反省點です。
 
篆刻體は、一文字で正方形に收まるように設計されています。どっしりとした安定感があり、印面に美しく收まります。
 
でも、10mm角の印面に2文字を入れるとなると、それぞれの文字を縱長に變形させる必要が出てきます。
 
すると、篆刻體の持つどっしりとした安定感が失われてしまうのです。
 
まぁ、僕の彫り方が良くないのかもしれません。
 
技術的な課題です。もっと工夫すれば、2文字でも篆刻體の良さを活かせるのかもしれません。
 
篆刻體の持つどっしりとした安定感を、10mm角の印面に2文字で收める難しさ。字體の特性と印面のサイズの兼ね合いを考えさせられる制作でした。
 
一つ一つの作品が、新しい課題を與えてくれます。それが、百顆印プロジェクトの學びです。
 
擊邊も入れ過ぎてしまいましたが、それもまた學びです。
 
失敗を繰り返しながら、少しずつ學んでいく。それが、人閒の成長なのでしょう。
 
## 上と下、實は大した差はない?
 
上と下。山は登りと下りがある。でも、あるように見えてるだけで、實は大した差はないのかもしれない。
 
山に登る時、私たちは「上」を目指します。山頂が目標です。
 
でも、山頂から見れば、麓も同じ地球の表面です。上も下も、相對的なものに過ぎません。
 
宇宙から地球を見れば、山の頂上も麓も、ほとんど差がありません。
 
上と下という概念は、私たちの視點によって作られているのです。
 
## 水の循環
 
水は髙いところから低いところに流れる。雨は上から降って來て、下へ落ちる。
 
これは、重力の法則です。水は必ず、髙いところから低いところへ流れます。
 
上から下への一方通行。そう見えます。
 
上から下へばかりだと循環が起きない。だから、下から上への流れもあるはず。
 
でも、考えてみてください。雨が降り續けるだけなら、やがて海がいっぱいになって、地上から水がなくなってしまいます。
 
でも、實際にはそうなりません。なぜでしょうか。
 
上昇氣流、蒸發して形を變えて、氣體になると輕くなって上に上がることができる。
 
そうです。水は循環しているのです。
 
海の水が蒸發して、雲になり、雨になって降ってくる。そして、また川を流れて海に戾る。
 
下から上への流れもあるのです。
 
形を變えることで、重力に逆らって上に上がることができる。液體から氣體へ。重いものから輕いものへ。
 
これは、人生にも當てはまるかもしれません。
 
下にいる時、重い氣持ちの時。形を變えることで、上に上がることができるかもしれません。
 
視點を變える。考え方を變える。在り方を變える。
 
そうすれば、下から上への流れを作ることができるのかもしれません。
 
上から下への流れだけでなく、下から上への流れもある。水の循環のように、自然界は常に循環している。
 
この循環こそが、自然の本質です。一方通行ではなく、行ったり來たり。上がったり下がったり。
 
## 存在に上下關係はない
 
あと、存在に上下關係はないと思う。
 
これは、とても重要な指摘です。
 
社會には、確かに上下關係があります。上司と部下、先輩と後輩、親と子。
 
でも、それは社會的な役割に過ぎません。存在そのものには、上下はありません。
 
人間としての價值に、上下はありません。
 
上司だから偉い、部下だから劣っている。そんなことはありません。
 
年上だから尊い、年下だから價値が低い。そんなこともありません。
 
存在そのものは、等しく尊いのです。
 
そして、存在に上下關係はないと思う。そう考えると、「上下」という概念も、見方の問題なのかもしれません。
 
上下は、視點によって變わります。
 
山の麓から見れば、山頂は上です。でも、山頂から見れば、麓は下です。
 
宇宙から見れば、どちらも同じです。
 
上下という概念は、絕對的なものではなく、相對的なものなのです。
 
## 70顆という節目
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 70/100 完成
 
節目の70顆達成!殘り30顆です。
 
ついに、70顆に到達しました。
 
100顆という目標の7割です。折り返しをとうに過ぎ、ゴールが見えてきました。
 
振り返れば、様々な作品がありました。
 
うまくいった作品、失敗した作品。新しい發見があった作品、苦勞した作品。
 
でも、どの作品にも、學びがありました。
 
上も下もない。どの作品も、等しく大切です。
 
70という數字は、節目です。でも、それは通過點に過ぎません。
 
殘り30顆。まだまだ旅は續きます。
 
上から下へ、下から上へ。循環しながら、前に進んでいきます。
 
## これからの30顆
 
殘り30顆。
 
100顆まで、あと30顆です。
 
でも、急ぐ必要はありません。一つ一つ、丁寧に彫っていきます。
 
擊邊を入れ過ぎたり、字體の選擇を誤ったり。まだまだ失敗もあるでしょう。
 
でも、それも學びです。失敗から學び、次に活かす。
 
上手くなることだけが目的ではありません。一つ一つの作品と向き合い、一つ一つの言葉と對話する。
 
その過程こそが、大切なのです。
 
上も下もない。完璧な作品も、失敗した作品も、等しく大切です。
 
循環しながら、前に進んでいきます。

 

 

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上下線ですねー

あぁ、、、日本はそうなんですかねぇ、、、(;^ω^)
 
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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
 
 
對意二字熟語百顆印の六十九顆目は「輕重」です。
 
## 輕重の意味
 
輕いか重いかということ。
主に罪の重さなど、抽象的な事柄についていう。
けいじゅう。けいちょう。
 
「輕重」は、物理的な重さだけでなく、抽象的な重要性や深刻さを表す言葉です。
 
「事の輕重を見極める」「罪の輕重を判斷する」「言葉の輕重」など、物事の重要度や影響の大きさを表現する時に使われます。
 
## 制作について
 
今回も朱白文で彫りました。
 
・字體:小篆風
・朱白文:輕は白文、重は朱文
・サイズ:10mm角
・擊邊:多少入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石

 

 

## 失敗から學ぶ
 
白文の輕をだいぶミスりました。
 
今回、正直に言うと、「輕」の字で大きく失敗しました。
 
布字の段階でやり直せばよかったのですが、そのまま突き進んで、ひどくなるパターンでした。
 
印稿を石に寫す段階で、既にバランスが崩れていました。この時點で氣づいていれば、やり直すべきでした。
 
でも、「まぁ、何とかなるだろう」と思って、そのまま彫り始めてしまったのです。
 
白文はある程度、布字が亂れても、彫りで何とか修正できるかなと思って髙を括っていたのですが、あれよあれよと酷くなっていきました。
 
白文は、彫った部分が白く出ます。だから、多少失敗しても、彫り方で調整できると思っていました。
 
でも、現實は甘くありませんでした。
 
バランスの崩れた印稿から彫り始めると、彫れば彫るほど、バランスの崩れが目立ってくる。修正しようとして彫ると、さらにバランスが崩れる。
 
惡循環でした。
 
でも、修正して何とか體裁を保った感じです。
 
諦めずに、何度も修正を重ねました。完璧ではないけれど、何とか作品として成立する程度には仕上げることができました。
 
對照的に、「重」の字は比較的スムーズに彫ることができました。朱文で畫數も多いので難しいはずなのですが、不思議とうまくいきました。
 
完璧ではないけれど、それもまた作品。輕くミスして、重く受け止めず、前に進む。それもまた輕重のバランスなのかもしれません。
 
一つの作品の中で、失敗と成功が同居している。それもまた、百顆印プロジェクトの面白さです。
 
## 輕く生きる
 
斷然に輕い方が好きですね。體も、氣分も、心も、氣持ちも、全てが輕いほうが樂しいです。
 
物理的な輕さだけでなく、心の輕さ。精神的な輕やかさ。それを大切にしたいと思っています。
 
重い氣分、重い心、重苦しい雰圍氣。そういうものは、できるだけ避けたい。
 
輕やかに、樂しく、生きていきたい。
 
言葉の語源を考えると、面白い發見があります。
 
「ウキウキ」は「浮き浮き」。浮かぶ感じ。輕い感じ。
 
「ワクワク」は「湧く湧く」。泉のように湧き出る感じ。これも輕やかです。
 
樂しい氣持ちを表す言葉は、どれも輕さを感じさせます。
 
逆に、重い氣持ちを表す言葉は、どれも重さを感じさせます。「沈む」「落ち込む」「重苦しい」。
 
心の狀態は、輕さと重さで表現されるのです。
 
最近は常に輕い感じを受けてる狀態です。
 
どうすれば、そんな狀態を保てるのでしょうか。
 
## 重いものに引っ張られない
 
重い方が引っ張る力が强いそうです。
 
物理の法則として、重いものほど引力が强い。地球が私たちを引っ張っているように、質量の大きいものは、周りのものを引き寄せます。
 
これは、心の世界でも同じかもしれません。
 
重い氣持ち、重い雰圍氣、重い人。そういうものは、周りを引っ張ります。引き込みます。
 
一緒にいると、自分まで重くなってしまう。そんな經驗はないでしょうか。
 
だから常に全てを輕くしておいて、重いものを見つけたり、感じたりしたら、すぐに離れるようにします。
 
これは、一つの生き方の知惠ですね。
 
自分自身を常に輕く保っておく。そうすれば、重いものに引っ張られにくくなる。
 
そして、重いものを感じたら、すぐに距離を取る。物理的に離れる、精神的に距離を置く。
 
すると、比較的に引っ張られずに濟むようです。
 
これは、實際に効果があるようです。
 
重い人と一緒にいる時閒を減らす。重い話題から離れる。重い氣持ちになりそうな狀況を避ける。
 
そうすることで、自分の輕やかさを保つことができます。
 
輕やかに生きる。それは物理的な輕さだけでなく、心の輕さでもあります。重いものに引っ張られない生き方。ウキウキ、ワクワクという言葉の語源を考えると、輕さこそが樂しさの本質なのかもしれません。
 
## 輕重のバランス
 
でも、全てを輕くすればいいというわけでもないのかもしれません。
 
「輕重」という言葉が示すように、輕さと重さは、どちらも必要なのかもしれません。
 
輕すぎれば、軽薄になります。深みがなくなります。
 
重すぎれば、動けなくなります。樂しくなくなります。
 
大切なのは、バランスなのでしょう。
 
重要なことには、しっかりと重きを置く。でも、重要でないことには、輕く對應する。
 
事の輕重を見極める。それが、輕やかに生きるための知惠なのかもしれません。
 
今回の制作でも、輕重のバランスがありました。
 
「輕」の字で失敗した。でも、重く受け止めすぎず、修正して前に進んだ。
 
完璧を求めすぎず、でも諦めもせず。
 
そのバランスが、作品を完成させる力になりました。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 69/100 進行中
 
69顆完成。殘り31顆です。
 
7割近くまで來ました。あと少しで、70顆です。
 
失敗もあります。うまくいかない時もあります。
 
でも、重く受け止めすぎず、輕やかに前に進む。
 
それが、このプロジェクトを續けるコツなのかもしれません。
 
完璧を求めすぎれば、重くなります。動けなくなります。
 
でも、輕く考えすぎれば、適當になります。成長がなくなります。
 
輕重のバランス。それを保ちながら、一つ一つ作品を積み重ねていく。

 

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気が軽くて、浄?が重い?(;^ω^)

気が軽くて、松は重いんか・・・(;^ω^)

気が軽くて、神はいろんな意味で重いよね・・・(;^ω^)

日本女性は軽いけど、稲妻は重いよね・・・ってそんな比較するのか?(´艸`*)

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
 
 
對意二字熟語百顆印の六十八顆目は「自他」です。
 
## 自他の意味
 
自分と他人。
自分と自分以外の者。
「自他ともに認めるところだ」
佛語。自力と他力。
自動詞と他動詞。
これとあれ。
 
自と他。自分と他者。この對比は、人間關係の根本にある概念です。
 
佛敎では、自力(自分の力で悟りを開く)と他力(佛の力によって救われる)という對比もあります。文法では、自動詞(主語が動作をする)と他動詞(主語が他に動作を及ぼす)という分類もあります。
 
自と他は、切り離せない關係にあります。
 
## 制作について
 
今回も朱白文で彫りました。
 
・字體:小篆風
・朱白文:自は朱文、他は白文
・サイズ:10mm角
・擊邊:ちょっと入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石

 

 

## 朱文を彫る樂しさ
 
朱文はどうもずっと彫り續けてしまう。キリがない感じですかね。面白いんですよね。
 
朱文を彫り始めると、止め時が分からなくなります。
 
もう少し細く。もう少し綺麗に。そう思って彫り續けてしまう。キリがないのです。
 
でも、それが樂しい。
 
と言うか、この音とか、線が細くなっていく感じとか、樂しいんですよね。
 
印刀が石に觸れる音。カリカリと削れる感觸。少しずつ細くなっていく線。
 
その一つ一つが、心地よいのです。
 
なぜだかわからないのですが、朱文を彫るのが好きだな。
 
理屈ではありません。頭で考えて好きなのではなく、身體が求めているのです。
 
朱文を彫る作業に没頭してしまう。石を削る音、少しずつ細くなっていく線。その感覺が樂しい。理屈ではなく、身體が求めている感じ。それが朱文を彫る魅力なのかもしれません。
 
白文も樂しいのですが、朱文には特別な魅力があります。
 
白文は、彫った部分が白く出ます。だから、大膽に彫り進めることができます。ある意味、爽快です。
 
一方、朱文は、殘した部分が赤く出ます。つまり、細かい線を殘していく繊細な作業です。愼重に、丁寧に、少しずつ削っていく。
 
その繊細さが、樂しいのかもしれません。
 
## 自利と利他の葛藤
 
自利ではなく利他。分かってはいるんだけど、どうしても自利が出てしまう。
 
「利他」という言葉があります。自分の利益ではなく、他者の利益を優先すること。
 
理想としては、利他の精神で生きたい。でも、現實はなかなか難しい。
 
氣づけば、自分の利益を考えている。自分が得をするかどうかを考えている。
 
まだまだ、適者生存、人との比較が拔けないでいる。
 
適者生存。強い者が生き殘る。この考え方が、まだ心の奧底にある。
 
人と比べて、自分は上か下か。勝っているか負けているか。そんな比較が、頭をよぎる。
 
でも、それは本當に必要な考え方なのでしょうか。
 
どうすれば、身につくのだろうか。
 
利他の精神。それは、どうすれば身につくのでしょうか。
 
修行が必要なのか。訓練が必要なのか。それとも、ある日突然、悟りのように訪れるものなのか。
 
自分を持って利他にいけないんだろうか。
 
ここで、一つの問いが生まれます。
 
自分を捨てなければ、利他はできないのか。自分を持ったまま、利他に向かうことはできないのか。
 
いや、いけるよな。何か道があるはずだと思う。考えよう。
 
答えは、まだ見つかっていません。でも、道はあるはずだと信じています。
 
利他を理想としながらも、自利が出てしまう。それは人閒として自然なことかもしれません。大切なのは、自分を否定することではなく、自分を持ったまま利他に向かう道を探すこと。その葛藤と模索の過程こそが、成長なのかもしれません。
 
## 自分を捨てる?自分を活かす?
 
利他を實踐するために、自分を捨てなければならないのでしょうか。
 
佛敎では、「無我」という概念があります。自我を捨てること。執着を手放すこと。
 
でも、自分を完全に捨てることは、本當に可能なのでしょうか。そして、それは本當に必要なのでしょうか。
 
もしかしたら、自分を活かしながら利他に向かう道もあるのではないか。
 
自分の強みを活かして、人の役に立つ。
自分の好きなことをして、結果的に人を喜ばせる。
自分が幸せになることで、周りも幸せにする。
 
そんな道もあるのではないでしょうか。
 
この百顆印プロジェクトも、ある意味でその實驗かもしれません。
 
自分が樂しいから彫る。朱文を彫るのが好きだから、彫り續ける。それは自利です。
 
でも、その結果として作品が生まれ、それを誰かが見て、何かを感じてくれるかもしれない。それは利他です。
 
自利と利他は、對立するものではなく、繋がっているのかもしれません。
 
## 自他の境界
 
自分と他者。その境界は、どこにあるのでしょうか。
 
皮膚が境界でしょうか。身體の外側が他者で、內側が自分。
 
でも、呼吸をすれば、外の空氣が身體の中に入ってきます。食事をすれば、外のものが自分の一部になります。
 
自分と他者の境界は、實は曖昧なのかもしれません。
 
佛敎では、「自他不二」という言葉があります。自分と他者は、別々のものではなく、一つであるという考え方です。
 
すべては繋がっている。自分が幸せになることは、他者が幸せになることでもある。他者が幸せになることは、自分が幸せになることでもある。
 
そう考えると、自利と利他の葛藤も、少し違って見えてきます。
 
自分を大切にすることは、他者を大切にすることでもある。
他者を大切にすることは、自分を大切にすることでもある。
 
どちらか一方ではなく、両方。
 
それが、自分を持ったまま利他に向かう道なのかもしれません。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 68/100 進行中
 
68顆完成。殘り32顆です。
 
7割近くまで來ました。
 
自利と利他。この問いに、明確な答えは出ていません。
 
でも、彫り續けることで、少しずつ何かが見えてくるような氣がします。
 
朱文を彫る樂しさ。それは自利です。でも、その樂しさが作品を生み、誰かに何かを與えるかもしれない。それは利他です。
 
自と他は、對立するものではなく、繋がっているのかもしれません。

 

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色々おもしろいんで採用!(´艸`*)

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
對意二字熟語百顆印の六十七顆目は「早晚」です。
 
■言葉の意味
早いこととおそいこと。
また、朝と夕。
おそかれはやかれ。
いずれいつかは。
 
■制作について
・字體:小篆風
・朱白文:早は白文、晚は朱文
・サイズ:10mm角
・擊邊:ちょっと入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石

 

 

 
押すと思ってたんと違うパターンでした。
 
プロッキーで印面を塗りつぶしてから、布字後に彫るので、朱文は黑いプロッキーが浮かび上がる感じで、彫り終えるのですが、どうしても押すと、細く彫ったつもりの線が太かったり、黑インクは印面から無くなってるはずなのに、薄い線や、點が出て來たりします。
 
明らかな彫り殘しです。補刀である程度潰してはいるのですが、除去できなかったり、削り過ぎて字が消えたりしちゃいます。
 
でも、まぁ、それぐらいが良いのかもしれません。
 
完璧を求めすぎず、多少の彫り殘しや不完全さも含めて作品として受け入れる。その姿勢が、かえって味わいを生むのかもしれません。
 
今日も彫り彫り樂しかったです😊
 
■早晚について思うこと
おはようございますと、こんばんわですね。挨拶は大事です。
 
できてるかと言うと、出來てない方だと思います。最近は名前を知らない人と挨拶をする方のが多いかもなぁ。
 
朝の散步時によくすれ違う人、走ってる人におはようございますと挨拶をすることがあります。顏は知ってるけど名前は知らない。
 
逆によく會う名前を知ってる人には、挨拶なしで過ごしてしまっているのかもしれない。氣をつけよう。
 
なんか、早かれ遲かれと言う意味なのに、かなりズレてますね。
 
それもまた自由な發想。
 
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對意二字熟語百顆印プロジェクト進行中
67/100

 

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どちらもきれいですね(´艸`*)

 

#篆刻 #早晚 #對意二字熟語 #印章 #小篆
 
 
對意二字熟語百顆印の六十六顆目は「光陰」です。
 
## 光陰の意味
 
「光」は日、「陰」は月。
月日。年月。歲月。とき。
 
「光陰矢の如し」という言葉があります。
 
時間は矢のように速く過ぎ去っていく。その速さを、光と陰という言葉で表現した先人の感性は、実に豊かです。
 
「光」が太陽を、「陰」が月を表すというのも興味深いですね。太陽と月、昼と夜、その繰り返しが「時」を刻んでいく。
 
## 制作について
 
今回も朱白文で彫りました。
 
・字體:甲骨文字風
・朱白文:光は朱文、陰は白文
・サイズ:10mm角
・擊邊:入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石
・印影:

 

 

 
今回は少し特殊な事情がありました。
 
擊邊は入れました。というか、以前に叩き過ぎた石を使ったのですでに入っている狀態で彫りました。
 
以前、「新舊」を彫った時に强く叩き過ぎて大きく缺けてしまった石があります。その石を今回再利用しました。
 
失敗した石を捨てずに取っておいて、別の作品に使う。これもまた資源の有效活用ですね。
 
そして、すでに擊邊が入っている狀態で彫り始めるというのも、いつもとは違う體驗です。先に結果があって、そこに合わせて作品を作っていく。
 
## 光を失敗した
 
正直に言うと、今回の「光」の字はうまくいきませんでした。
 
甲骨文字風の「光」は、上部に細かい部分があります。そこが細か過ぎて、思い通りに彫れなかったのです。
 
でも、考えてみれば、これもまた「光陰」らしい出來事かもしれません。
 
失敗した石を再利用し、その上に光と陰を彫る。光の部分がうまくいかなかった。でも、陰の部分はそれなりに彫れた。
 
光があって陰があるように、成功があって失敗がある。
 
失敗した石も、別の作品として生まれ變わる。これも表裏一體。失敗と成功は合わせ持つものなのかもしれません。
 
## 光陰矢の如し
 
時間の速さを實感するのは、年齢を重ねるごとに強くなっていく氣がします。
 
子供の頃は、一日がとても長く感じられました。夏休みは永遠に續くように思えた。でも、大人になった今、一年があっという間に過ぎていきます。
 
なぜ、時間の感じ方は年齢とともに速くなるのでしょうか。
 
一つの説では、一年という時間が占める割合の違いだと言われています。五歲の子供にとっての一年は、人生の五分の一。でも、五十歲の大人にとっての一年は、人生の五十分の一。同じ一年でも、人生全體に占める割合が違うので、感じ方も違ってくる。
 
また、新しい體驗が少なくなると、時間の流れが速く感じられるとも言われています。子供の頃は毎日が新しい發見の連續。でも、大人になると、ルーティンが增え、新鮮な體驗が減ってくる。
 
光陰矢の如し。
 
この言葉を知って、頭で理解して、でも本當の意味で實感するのは、ある程度の年月を生きてからなのかもしれません。
 
## 光と陰、表裏一體
 
光があるから陰(かげ)が出來る。日(太陽)があるから、月が見える。陽があるから陰がある。
 
これは物理的な事實であると同時に、哲學的な眞理でもあります。
 
光があるから影が生まれる。光源があってこそ、影は存在できます。影のない世界は、眞っ白な世界。輪廓も奥行きも見えない。
 
日(太陽)があるから、月が見える。月は自ら光を發しません。太陽の光を反射することで輝いています。つまり、月の輝きは、太陽なしには存在しえない。
 
陽があるから陰がある。
 
これは易の思想にも通じます。陰陽は對立するのではなく、互いに依存し合っている。一方が存在することで、もう一方が存在できる。
 
表裏一體。どちらが良くてどちらが惡いというものではないし、優れているとか劣っているとかもない。
 
現代社會では、光と陰、陽と陰を截然と分けて、どちらかを良いもの、どちらかを惡いものとして扱う傾向があります。
 
明るさは良いこと、暗さは惡いこと。
ポジティブは良いこと、ネガティブは惡いこと。
 
でも、本當にそうでしょうか。
 
暗闇があるからこそ、星が輝きます。
悲しみがあるからこそ、喜びが際立ちます。
失敗があるからこそ、成功の意味があります。
 
合わせ持つもの。全てに存在しうるもの。
 
光と陰は、切り離せない。どちらか一方だけを求めても、それは半分の世界です。
 
眞っ暗闇では何も見えず、眞っ白では輪廓も見えない。光があるからこそ陰が生まれ、陰があるからこそ光が際立つ。
 
この百顆印プロジェクトにも、光と陰があります。
 
うまくいった作品と、失敗した作品。技術が上がったと感じる時と、思い通りにいかない時。
 
でも、どちらも大切です。どちらもプロジェクトの一部です。
 
光と陰、合わせて一つの作品。合わせて一つのプロジェクト。
 
## 時間を大切に
 
光陰矢の如し。
 
時間は矢のように過ぎていきます。取り戾すことはできません。
 
では、どう過ごすか。
 
每日コツコツと石を彫る。それは、時間を丁寧に使うということでもあります。
 
一つ一つの作品に向き合い、一つ一つの言葉と對話し、一つ一つの瞬間を大切にする。
 
その積み重ねが、百顆印という大きな成果になっていく。
 
時間は有限です。でも、その使い方は自分で選ぶことができます。
 
光陰矢の如しだからこそ、今この瞬間を大切に生きたいと思います。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 66/100 進行中
 
66顆完成。殘り34顆です。
 
光陰矢の如し、とは言いますが、このプロジェクトはゆっくりと、でも確實に進んでいます。
 
速く終わらせることが目的ではありません。一つ一つの作品と丁寧に向き合いながら、ゆっくりと進んでいく。
 
その過程こそが、大切なのだと思います。

 

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春夏秋冬朝晩太陽月、、、すべて時間の経過とともにですね~(´艸`*)

相変わらず文字は読めんけど、図柄はすてきだなと思います(^^)/

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
 
 
對意二字熟語百顆印の六十五顆目は「收支」です。
 
## 收支の意味
 
金錢の收入と支出。
收入と支出をあわせたもの。
收入から支出を差し引いた殘りのことを意味します。
 
家計簿をつける時、會社の經理をする時、必ず向き合うのが「收支」です。入ってくるお金と出ていくお金。そのバランスが、生活や經營の安定を左右します。
 
## 制作について
 
今回も朱白文で彫りました。
 
・字體:小篆風
・朱白文:收は朱文、支は白文
・サイズ:10mm角
・擊邊:ちょっと入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石
・印影:

 

 

 
## 朱文を細く彫る挑戰
 
だいぶ朱文が細くなって來たとは思うのですが、もう少し細くしたいです。
 
ここ數作品、朱文の線の太さについて試行錯誤を續けています。
 
以前は「太すぎる」と感じていた朱文も、回を重ねるごとに細くなってきました。でも、まだ理想には届いていません。もっと細く、もっと繊細に。
 
ただ、文字が消えそうでびびってしまいます。
 
ここが難しいところです。
 
朱文は、殘した部分が赤く印影に現れます。つまり、細く彫りすぎると、文字そのものが消えてしまう危險があるのです。
 
石を削りすぎて、殘すべき線まで削ってしまったら、もう取り返しがつきません。
 
消えても良いかぁ〜ぐらいの勢いで彫るとちょうど良いのかな。
 
失敗を恐れていては、限界を超えられない。多少失敗してもいいという覺悟で挑戰すれば、かえってちょうど良いバランスになるのかもしれません。
 
技術的な挑戰を續けています。理想の細さを求めるあまり、文字が消えてしまうかもしれない。その瀬戶際で彫る緊張感。でも、その緊張感こそが樂しい。
 
瀬戶際に立つこと。ギリギリを攻めること。
 
それは、收支のバランスを取ることにも似ているかもしれません。支出を切り詰めすぎれば生活が苦しくなる。でも、使いすぎれば破綻する。そのギリギリのバランスを探る。
 
でも、朱文を彫るのは樂しいんですよね。
 
白文とは違う難しさと面白さがあります。殘す部分を愼重に見極めながら、少しずつ彫り進めていく。その繊細な作業が、朱文の魅力です。
 
白文は大膽に彫り進めることができます。彫った部分が白く出るので、多少彫りすぎても問題ありません。
 
でも、朱文は違います。殘す部分を正確に見極め、慎重に周りを削っていく。一つ間違えれば、文字が消えてしまう。
 
その緊張感が、樂しい。
 
## お金とは何か
 
收支という言葉から、お金について考えてみました。
 
お金って考え方はそもそもなかったんですよね。なくても生きていくことができたんです。
 
人類の長い歷史の中で、お金という概念が生まれたのは、比較的最近のことです。
 
それ以前、人々は物々交換で生活していました。あるいは、共同體の中で助け合いながら生きていました。
 
お金がなくても、生きていくことはできたのです。
 
いまは、お金がないとできないようにされていますが、ちょっとずつその考えを變えていくことが大事なのかなと思ってます。
 
現代社會では、お金がないと生活できないように構造化されています。
 
家を借りるにも、食べ物を買うにも、移動するにも、お金が必要です。
 
でも、本當にそうでしょうか。お金がなければ生きていけないというのは、思い込みではないでしょうか。
 
自分で野菜を育てれば、食べ物を買う必要はありません。
自分で家を建てれば、家賃を拂う必要はありません。
步けば、交通費は不要です。
 
極端な例かもしれませんが、お金を使わない生活も、不可能ではないのです。
 
## お金はツール
 
お金はツール。管理するために作られた。お金が全てといえばそうではない。
 
お金は便利な道具です。
 
物々交換では不便だった取引を、お金が仲介することでスムーズにしました。價値を保存し、將來に繰り延べることもできるようになりました。
 
でも、お金はあくまで道具です。目的ではありません。
 
お金があれば、誰が何を持っているか、誰が何をしたかを記錄できます。經濟活動を可視化し、管理することができます。
 
税金を徴收するためにも、お金は便利な仕組みです。
 
お金は、權力者が社會を管理するための道具でもあるようです。
 
いまはお金が必要でも、徐々にお金を使わなくても良い生活に、切り替えていくべきではないかと思ってます。
 
急にお金を使わない生活に切り替えるのは、現實的ではありません。
 
でも、徐々に、少しずつ、お金への依存度を下げていくことはできるかもしれません。
 
自分で作れるものは自分で作る。
物々交換や助け合いのネットワークを作る。
お金を介さない豐かさを見つける。
 
そんな生き方への轉換を、少しずつ始めていく。
 
お金は便利な道具ですが、それが全てではありません。收入と支出を管理することも大切ですが、お金に縛られない生き方を模索することも、同じくらい大切なのかもしれません。
 
## 收支のバランスと人生のバランス
 
收支のバランスを取ることは大切です。
 
收入よりも支出が多ければ、いずれ破綻します。逆に、支出を極端に切り詰めて收入ばかり增やしても、豐かな人生とは言えません。
 
大切なのは、バランスです。
 
そして、それは人生全體にも言えることかもしれません。
 
仕事と休息のバランス。
一人の時閒と人と過ごす時閒のバランス。
挑戰と安定のバランス。
 
どちらか一方に偏りすぎれば、バランスを失います。
 
朱文を彫る時の感覺に似ているかもしれません。
 
細く彫りたい。でも、彫りすぎれば文字が消える。
その瀬戶際で、ちょうど良いバランスを探る。
 
人生も、收支も、篆刻も、すべてはバランスなのかもしれません。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 65/100 進行中
 
65顆完成。殘り35顆です。
 
3分の2を超えて、著實に進んでいます。
 
このプロジェクト自體も、ある意味で收支のバランスです。
 
時閒という資源を投入し、作品と學びという成果を得る。
 
投入する時閒と得られる成果のバランス。それが取れているからこそ、續けることができるのだと思います。

 

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何となくわからんでもないけど、税金が0になるといいね(´艸`*)

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
 
 
對意二字熟語百顆印の六十四顆目は「乘除」です。
 
## 乘除の意味
 
數を掛けることと割ること。
掛け算と割り算。
乘法と除法。
 
加減乘除の四則演算のうち、掛け算と割り算を表す言葉です。足し算と引き算は「加減」、掛け算と割り算は「乘除」。數學の基本中の基本ですね。
 
## 制作について
 
今回も朱白文で彫りました。
 
・字體:篆刻字體風
・朱白文:乘は白文、除は朱文
・サイズ:10mm角
・擊邊:氣持ち程度入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石
・印影:

 

 

 
乘降で乘を小篆で彫ってたので、今回は篆刻字體にしました。
 
「乘」という字は、これでニ回目になります。一回目は「乘降」で小篆風、今回は篆刻字體風。
 
同じ字でも、字體を變えると全く違う印象になります。以前彫った時との違いを樂しみながら制作しました。
 
字體を變えることで、同じ文字でも新鮮な氣持ちで向き合うことができます。そして、字體ごとの特徴や難しさも體驗できる。これは百顆印プロジェクトならではの樂しみです。
 
朱文でも空白が少ないため力加減が必要となります。面白いです。
 
畫數の多い字を朱文で彫る時は、細かい部分を殘していく繊細な作業になります。
 
白文は彫った部分が白く出ます。だから、大膽に彫り進めることができます。
 
一方、朱文は殘した部分が赤く出ます。つまり、細かい線を殘していかなければならない。特に畫數の多い字では、空白が少なくなるため、一つ一つの線を愼重に殘していく必要があります。
 
力加減を誤ると、殘したい部分まで削ってしまう。その緊張感が、篆刻の面白さの一つです。
 
集中力が求められる作業ですが、だからこそ樂しい。うまくいった時の達成感もひとしおです。
 
## じょうじょ
 
じょうじょ。ぉゃっゎぃヵょ〜を久々に思い出した。
 
「乘除」を音讀みすると「じょうじょ」。
 
この音から、懷かしいネットスラングを思い出しました。懷かしいですね。
 
どうでも良いですね。
 
確かに、本題とは全く關係ありません。でも、こういう自由な連想が浮かぶのも、一人で制作している時の樂しみです。
 
## 加減乘除
 
乘はのる、除はのぞく。加減乘除。足し引き掛け割りという事ですよね。
 
加減乘除。四則演算。
 
加える、減らす、乘せる、除く。
 
數學の基本であり、日常生活でも頻繁に使う計算です。
 
そういえば、以前加減を彫りましたね。
 
確かに、このプロジェクトの中で「加減」も彫っています。そして今回は「乘除」。
 
和差積商を求めるための、加減乘除。
 
加減で和(足し算の答え)と差(引き算の答え)を求め、乘除で積(掛け算の答え)と商(割り算の答え)を求める。
 
數學の美しい體系です。
 
## 計算通りにいかない現實
 
うーん、計算って大事だけど、現實的には計算通りにいかない事だらけで、何のための計算なのかなと思う事も最近はしばしばですよね。
 
數學は美しく、論理的で、完璧です。
 
1+1は必ず2になります。2×3は必ず6になります。
 
でも、現實はどうでしょうか。
 
二人で力を合わせた場合、必ずしも二倍になるわけでもないし、一つのものを半分にしたからと言って、綺麗に0.5ずつになるとは限らない。
 
人閒が二人集まれば、力は二倍になるはずです。數學的には。
 
でも、實際はそうなりません。相性が良ければ、二倍以上の力を發揮することもあります。逆に、相性が惡ければ、一人の時よりも成果が下がることさえあります。
 
一つのケーキを二人で分ければ、0.5ずつになるはずです。數學的には。
 
でも、實際は綺麗に半分にはなりません。切り方が下手かもしれないし、一方が大きい方を取るかもしれない。あるいは、譲り合って小さい方を取り合うかもしれません。
 
あくまで假定の話なんですよね。
 
數學は、理想化された世界の話です。摩擦のない平面、完璧に均一な物體、絕對に正確な測定。そんな假定の上に成り立っています。
 
現實世界は、もっと複雜です。
 
それは敎えてもらえない。
 
學校では、數學の美しい體系を敎えてくれます。でも、數學と現實のギャップについては、あまり敎えてくれません。
 
數學はあくまでモデルであり、近似であり、道具であること。現實はもっと複雜で、豐かで、予測不可能であること。
 
それは、自分で氣づくしかありません。
 
自分でおかしいと思って調べるしかない。
 
敎科書に書いてあることを鵜呑みにせず、自分の頭で考える。現實と照らし合わせて、矛盾を見つける。そして、自分で調べる。
 
そっちの方が樂しいですよね😆
 
確かに、その通りです。
 
與えられた答えをそのまま受け入れるよりも、自分で疑問を持ち、自分で調べて、自分なりの答えを見つける。その過程こそが、本當の學びです。
 
數學は美しい體系ですが、現實は數學のように單純ではありません。1+1が必ずしも2にならない世界。でも、だからこそ面白い。
 
計算通りにいかないことを樂しむ。それも一つの生き方かもしれません。
 
## 數學と現實の閒で
 
數學を學ぶ意味は何でしょうか。
 
現實が計算通りにいかないのなら、數學を學ぶ意味はないのでしょうか。
 
いいえ、そうではありません。
 
數學は、複雜な現實を理解するための道具です。完璧ではないけれど、近似として有用です。
 
そして何より、數學的思考は、論理的に考える力を養ってくれます。
 
假定を置き、推論し、結論を導く。この過程は、數學だけでなく、人生のあらゆる場面で役立ちます。
 
ただし、數學の假定と現實のギャップを理解しておくことも大切です。
 
モデルはモデルであり、現實ではない。近似は近似であり、眞實ではない。
 
その前提を理解した上で、數學を道具として使いこなす。それが、數學との正しい付き合い方なのかもしれません。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 64/100 進行中
 
64顆完成。殘り36顆です。
 
3分の2を超えました。100顆という目標が、少しずつ現實的に見えてきました。
 
數學的には、64÷100=0.64。64%の進捗です。
 
でも、實感としては、もっと進んでいる氣がします。あるいは、まだまだ先が長い氣もします。
 
數字と實感は、必ずしも一致しません。
 
それもまた、計算通りにいかない現實の一つです。
 
でも、だからこそ面白い。
 
次はどんな言葉が待っているのか。どんな氣づきがあるのか。
 
計算では予測できない、その先を樂しみにしています。

 

生成AIさんに作っていただいた画像はこちら

日本でよく見る学校の風景ですね。

かけ算は2年生ぐらいかなぁ・・・

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。