音型(おんけい)が彫る

音型(おんけい)が彫る

私の名は、
雨垂れ石を穿つ音型

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對意二字熟語百顆印の九十三顆目は「深淺」です。
 
殘り7顆。ゴールは、もう目の前です。
 
## 深淺の意味
 
深いことと淺いこと。深さの程度。
色の濃いことと、薄いこと。濃淡。
 
「深淺」は、深さの違いを表す言葉です。
 
物理的な深さ。
色の濃淡。
そして、物事の程度。
 
すべてに、深淺があります。
 
## 制作について
 
朱白文で彫りました。
 
・字體:小篆風
・朱白文:深は朱文、淺は白文
・サイズ:10mm角
・擊邊:入れませんでした
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石

 

 

## 氵が二つ
 
また氵が二つのパターンです。狹いけどなんとか彫り切りました。
 
「深」と「淺」。
 
どちらも、氵(さんずい)があります。
 
水に關係する字だからです。
 
深い水と、淺い水。
 
10mm角の狹い空閒に、氵が二つ。
 
彫るのは、なかなか大變でした。
 
でも、なんとか彫り切りました。
 
## 初めて朱文が良い感じに
 
そして、今回、大きな手應えがありました。
 
朱文が、良い感じに彫れたのです。
 
初めて、自分でも納得できる朱文が彫れました。
 
そして、朱文が初めて良い感じに彫れた!という手應え。樂しさが溢れる制作でした。
 
嬉しかったです。
 
きょうも樂しかったです♪
 
樂しむこと。それが、一番大切です。
 
## 廣く淺く、狹く深く
 
世の中には、二つのアプローチがあります。
 
廣く淺く。たくさんのことを、少しずつ知る。
狹く深く。一つのことを、とことん追求する。
 
どちらが良いということはありません。
 
廣く淺くも、良いです。
狹く深くも、樂しいです。
 
どちらを選ぶかは、自分次第です。
 
## 慾求は淺い方が良い
 
廣く淺く、狹く深く。
 
どちらも良いと言いましたが、慾求については違います。
 
慾求は、淺い方が良い。
 
いや、どちらかというと、無い方が良い。
 
特に、三つの慾求。
 
所有慾。
承認慾求。
支配慾。
 
これらは、一刻も早く手放した方が良いと思います。
 
この三つを手放すことで、人生が樂になる。深い慾求を持つより、淺く、あるいは無くす方が良い。
 
この三つが、人閒を苦しめています。
 
## 所有慾
 
所有慾。
 
「あれが欲しい」「これが欲しい」
 
物を所有したいという慾求です。
 
でも、所有しても、滿足は續きません。
 
すぐに、もっと欲しくなります。
 
所有慾は、終わりがありません。
 
だから、手放した方が良いのです。
 
## 承認慾求
 
承認慾求。
 
「認められたい」「褒められたい」
 
他人から認められたいという慾求です。
 
でも、他人の評價は、コントロールできません。
 
認められても、認められなくても、一喜一憂してしまいます。
 
承認慾求は、自分を不安定にします。
 
だから、手放した方が良いのです。
 
## 支配慾
 
支配慾。
 
「コントロールしたい」「思い通りにしたい」
 
他人や狀況を支配したいという慾求です。
 
でも、他人はコントロールできません。
 
狀況も、思い通りにはなりません。
 
支配慾は、ストレスを生みます。
 
だから、手放した方が良いのです。
 
## 氣が樂になる
 
この考え方が身につくと、すごく氣が樂になると思う。
 
三つの慾求を手放す。
 
それができると、すごく氣が樂になります。
 
「あれも欲しい、これも欲しい」という氣持ちがなくなる。すべては既に準備されている。すべては共有されている。その氣づきが、心を輕くします。
 
必要なものは、必要な時に、やってきます。
 
すべてのものは、みんなのものです。
 
所有する必要は、ないのです。
 
## 自分に全振りできる
 
三つの慾求を手放すと、自由になります。
 
他人の價值觀に、左右されなくなります。
 
他人からの承認を、求めなくなります。
 
他人をコントロールしようと、しなくなります。
 
そうすると、自分に集中できます。
 
他人の價値觀に左右されない。自分がワクワクすることに全力投球できる。それが、自由です。
 
自分が良いと思ったこと。
自分がしたいこと。
自分がワクワクすること。
 
それに、全振りできるのです。
 
それが、自由です。
 
## 他人を變えるより、自分を變える
 
他人を變えようとする。
 
それは、時閒の無駄です。
 
他人の氣持ち、考え方、行動。
 
それらを變えることは、できません。
 
いや、できるかもしれませんが、すごく時閒がかかります。
 
でも、自分を變えることは、簡單です。
 
自分の氣持ちを切り替える。
 
それは、すぐにできます。
 
慣れれば、簡單にできます。
 
他人を變えようとするより、自分を變える方が、ずっと早いのです。
 
## 樂しむために生きる
 
人生の目的は、何でしょうか。
 
成功すること?
お金を稼ぐこと?
認められること?
 
違います。
 
人生の目的は、樂しむことです。
 
人生の使命は、樂しむこと。そのシンプルな眞理に到達しています。
 
樂しむために、生きる。
 
それが、私の使命です。
 
だから、樂しくないことは、しません。
 
樂しいことだけを、します。
 
それが、私の生き方です。
 
## 深淺の選擇
 
深淺。
 
深く生きるか、淺く生きるか。
 
それは、自分で選べます。
 
慾求は、淺く。あるいは、無く。
 
樂しみは、深く。
 
所有慾、承認慾求、支配慾は、手放す。
 
自分がワクワクすることには、深く入り込む。
 
それが、理想的な深淺のバランスなのかもしれません。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 93/100 進行中
 
殘り7顆!
 
93顆完成。殘り7顆です。
 
朱文が、初めて良い感じに彫れました。
 
嬉しかったです。
 
きょうも樂しかったです。
 
樂しむこと。それが、このプロジェクトの目的です。
 
100顆を完成させることも、もちろん目標です。
 
でも、それ以上に大切なのは、一つ一つの作品を彫る過程を樂しむことです。
 
結果より、過程。
 
それが、深淺のバランスです。
 
殘り7顆。
 
樂しみながら、最後まで彫り進めていきたいと思います。

 

生成AIさんに作っていただいた画像はこちら

色の濃淡で深い浅いを表現してるのかな。

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
 
 
對意二字熟語百顆印の九十二顆目は「增減」です。
 
殘り8顆。ゴールまで、あと少しです。
 
## 增減の意味
 
ふやすこととへらすこと。また、ふえることとへること。
 
「增減」は、シンプルな言葉です。
 
增やすことと、減らすこと。
 
ふえることと、へること。
 
でも、このシンプルな言葉の中に、深い意味があります。
 
## 制作について
 
朱白文で彫りました。
 
・字體:小篆風
・朱白文:增は朱文、減は白文
・サイズ:10mm角
・擊邊:入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石

 

 

## 增を彫りすぎた
 
今回、大きな失敗をしました。
 
「增」の字が、うまく彫れなかったのです。
 
線がガタガタになりました。
 
何の文字か分からなくなってしまいました。
 
そして、彫れば彫るほど、酷くなっていきました。
 
「減」の方は、良い線が引けていました。
 
だから、やり直すのが勿體無いと思いました。
 
「增」だけ、もう少し修正すれば、なんとかなるだろう。
 
そう思って、彫り續けました。
 
でも、結果は酷いものでした。
 
修復が不可能なレベルに達してしまったのです。
 
## 現代社會と同じ
 
ここで、ハッとしました。
 
これは、現代社會と同じではないか。
 
增やしすぎた結果、收拾がつかなくなる。彫りすぎて修復不可能になった「增」の字が、まさに現代社會を象徴しています。增やすことより、減らすことの大切さを實感した作品です。
 
增やすことばかり考えて、減らすことを忘れている。
 
その結果、何が何だか分からない狀態になっている。
 
「增」の字の失敗が、現代社會の失敗を象徴しているようでした。
 
減らしましょう。
 
それが、解決策です。
 
## 循環の流れ
 
增えたり、減ったり。
 
それは、自然な循環です。
 
四季が巡るように。
潮が滿ちたり引いたりするように。
 
增減は、自然のリズムです。
 
無理に逆らう必要はないのです。
 
增やし續けることも、減らし續けることも、不自然です。
 
自然な流れに任せる。それが、一番いいのかもしれません。
 
## 自然林と人工林
 
昨日、山に登りました。
 
母から送ってもらった小册子を讀んでいたので、自然林と人工林の違いに注目しながら歩きました。
 
そして、衝擊を受けました。
 
人工林は、とても暗いのです。
 
杉や檜を人工的に植えた森。
 
密集しています。光が入りません。
 
下草も生えていません。
 
生物の氣配がありません。
 
まるで、死んだ森のようでした。
 
そういえば、過去に登った山にも、暗い森がありました。
 
あれは、人工林だったのです。
 
## 人工林の問題
 
高度成長期、日本は人工林を大量に作りました。
 
將來、木材として利用するために。
 
でも、木が成長する閒に、狀況が變わりました。
 
安い外國産の材木が入ってきました。
 
そうなると、國産の木材は採算が合いません。
 
伐採するにも、費用がかかります。
 
製材するにも、費用がかかります。
 
結果、放置されている人工林が、たくさんあります。
 
多い。いや、多過ぎます。
 
本當に、人閒の勝手な都合です。
 
必要だから增やした。
 
でも、不要になったら放置する。
 
その責任は、誰が取るのでしょうか。
 
## オオカミと熊
 
日本には、かつてオオカミがいました。
 
ニホンオオカミ。エゾオオカミ。
 
でも、人閒が絕滅させました。
 
家畜を襲う害獸として、駆除したのです。
 
そして今、熊も同じ道を辿ろうとしています。
 
大衆の意識を操るのは、簡單です。
 
恐怖と不安を煽ればいいのです。
 
「熊が出た!危險だ!」
 
そう報道すれば、人々は恐怖を感じます。
 
「熊を駆除しなければ、被害が擴大する!」
 
そう煽れば、人々は駆除に贊成します。
 
いつもの作戰です。
 
その作戰通り事が運んでいる。
 
そして、作戰は成功しています。
 
熊は、害獸として駆除されています。
 
## 偏見報道
 
テレビ、ラジオ、新聞。
 
オールドメディアと呼ばれるものは、偏見報道が普通です。
 
片側の面しか見せません。
 
都合の良い情報だけを流します。
 
コントロールされています。
 
だから、冷靜に見る必要があります。
 
鵜呑みにしてはいけません。
 
## 動物が山から出てくる理由
 
なぜ、熊が山から出てくるのでしょうか。
 
答えは、簡單です。
 
人閒が、熊の棲み家を奪い續けているからです。
 
人工林を增やし、自然林を減らしています。
 
熊の食べ物がなくなっています。
 
だから、熊は人里に降りてくるのです。
 
でも、この事實は報道されません。
 
なぜなら、都合が惡いからです。
 
人閒の責任を認めることになるからです。
 
利權を持つ者にとって、都合が惡いのです。
 
そうやって眞實はいままでも隱し續けられて來た。
 
眞實は、隱され續けています。
 
今も、昔も。
 
## 森を戾す
 
おかしいものは、おかしい。
 
それを、ちゃんと言わなければなりません。
 
では、何をすればいいのか。
 
答えは、森を戾すことです。
 
水を作るのは、森です。
 
空氣を作るのも、森です。
 
豐かな自然が、人閒に恩惠をもたらしています。
 
森なくしては、人閒は生きていけないのです。
 
## 動物たちの必要性
 
森を育むには、動物たちが必要です。
 
動物たちが、種を運びます。
動物たちが、土を耕します。
動物たちが、生態系を支えます。
 
その動物たちを、害獸扱いする。
 
それは、自分の首を絞めることです。
 
しっぺ返しが來るのは、人閒です。
 
早く氣付かなければなりません。
 
## 人工林を減らし、自然林を增やす
 
今、すべきこと。
 
それは、人工林を減らすことです。
 
そして、自然林を增やすことです。
 
人工林を減らす方法。
 
チェンソーがなくても、できます。
 
熊が、敎えてくれます。
 
熊は、木の樹皮を剥ぎます。
 
それによって、木は枯れます。
 
同じことを、人閒もできます。
 
ノコギリで根本から切り込みを入れる。
 
樹皮をスクレイパーで剥がす。
 
そうすれば、木は枯れます。
 
人工林を減らしたら、次は自然林を增やします。
 
橅、樫、栗、楢、水楢、楓、椎、椨、栃。
 
これらの落葉樹や常綠樹を植えます。
 
そうすれば、大地は水をたっぷり含みます。
 
動物たちの食べ物も增えます。
 
山での生活に困らなくなります。
 
人里に降りてくることも、なくなります。
 
この計畫には、時閒がかかります。
 
十年は、かかるでしょう。
 
でも、始めなければなりません。
 
人工林を減らし、自然林を增やす。動物たちとの共生。森の再生には時閒がかかるけれど、今始めなければ。壯大な計畫への第一步です。
 
そして、まず山林を買わなければなりません。
 
水源を確保するために。
 
壯大な計畫です。
 
でも、必要な計畫です。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 92/100 進行中
 
殘り8顆!
 
92顆完成。殘り8顆です。
 
「增」を彫りすぎて、失敗しました。
 
でも、その失敗から、學びました。
 
增やしすぎることの危險性。
 
減らすことの大切さ。
 
現代社會も、同じです。
 
增やしすぎて、收拾がつかなくなっています。
 
減らす時です。
 
人工林を減らし、自然林を增やす。
 
物を減らし、心を增やす。
 
欲望を減らし、感謝を增やす。
 
增減のバランス。それが、大切なのです。
 
殘り8顆。
 
增減を見極めながら、最後まで彫り進めていきたいと思います。

 

生成AIさんに作っていただいた画像はこちら

人や町が増えすぎて、昔の古き良き時代がどんどん失われている、、、
生成AIさんも危惧してるのかなぁ・・

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
 
 
對意二字熟語百顆印の九十一顆目は「本末」です。
 
殘り9顆。ゴールが目前に迫っています。
 
## 本末の意味
 
1 本と末。上と下。また、先とあと。
2 草木の幹と枝葉。また、上枝と下枝。
3 物事の根本と枝葉。大切なこととそうでないこと。ほんまつ。
4 物事の始めと終わり。また、始めから終わりまで。一部始終。顛末。
 
「本末」は、多くの意味を持つ言葉です。
 
本と末。根本と枝葉。始めと終わり。
 
そして、最も重要な意味は、「大切なこととそうでないこと」です。
 
何が本當に大切で、何がそうでないのか。
 
それを見極めることが、「本末」を理解することです。
 
## 制作について
 
朱白文で彫りました。
 
・字體:小篆風
・朱白文:本は朱文、末は白文
・サイズ:10mm角
・擊邊:入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石

 

 

## 二度目の「末」
 
「末」という字は、以前にも彫っています。
 
73顆目の「始末」で、既に彫りました。
 
その時は、篆刻字體の白文でした。
 
今回、同じ「末」を彫るなら、字體を變えよう。そう思って、小篆風を選びました。
 
同じ字でも字體を變えることで、新鮮な氣持ちで向き合えます。
 
字體を變えれば、全く違う印象になります。
 
繰り返しは、退屈ではありません。
 
變化を加えることで、繰り返しは學びになるのです。
 
## 本末轉倒
 
轉倒するやつですよね。
 
「本末轉倒」。
 
本來大切にすべきこと(本)と、そうでないこと(末)が、逆轉してしまう現象です。
 
本末轉倒。本來大切にすべきことと、そうでないことが逆轉してしまう。會社ではよく見られる現象です。
 
冷靜に觀察していると、面白いです。
 
なぜ、こんなことが起きるのだろう。
 
なぜ、誰も氣づかないのだろう。
 
そんなことを考えながら、觀察しています。
 
## がんセミナーの例
 
例えば、こんなセミナーがありました。
 
がん體驗者によるセミナー:
がんが增えています。
がんになった時どうしたら良いか。
職場でどのようなサポートをしたら良いか。
を講話いただきます。
 
一見、有意義なセミナーに見えます。
 
がん體驗者の話を聞く。がんになった時の對應を學ぶ。職場でのサポート方法を知る。
 
でも、何かおかしい。
 
## 聞きたいのはそこじゃない
 
いや、聞きたいところはそこじゃないんだよ。
 
違和感の正體は、これです。
 
聞きたいのは、「がんになった時どうするか」ではありません。
 
聞きたいのは、「どうしたらがんにならないか」です。
 
聞きたいことは、たくさんあります。
 
なぜ、がんになるのか。
醫療利權と食品業界の癒着は、どうなっているのか。
どれだけの發がん性物質が、食品に含まれているのか。
私たちは、何年も閒違った食生活をしてきたのではないか。
 
でも、セミナーでは、これらの話は出ません。
 
「がんになった後の對應」ではなく、「がんにならない方法」こそが本質。でも、そこには觸れない。これこそ本末轉倒です。
 
がんになった後の對應。それは、「末」です。
 
がんにならない方法。それが、「本」です。
 
でも、セミナーでは「末」だけが語られます。
 
「本」には、觸れません。
 
これこそ、本末轉倒です。
 
## なぜ本質に觸れないのか
 
なぜ、本質に觸れないのでしょうか。
 
理由は、簡單です。
 
本質に觸れると、困る人たちがいるからです。
 
醫療業界。
食品業界。
 
がんにならない方法を廣めれば、がん患者が減ります。
 
がん患者が減れば、醫療業界の收入が減ります。
 
發がん性物質を含む食品を指摘すれば、食品業界のイメージが惡くなります。
 
だから、本質には觸れないのです。
 
本末轉倒は、偶然ではありません。
 
意圖的に、本末が轉倒させられているのです。
 
## 人閒の身體は食べ物で出來ている
 
これは、當たり前のことです。
 
人閒の身體は、食べ物で出來ています。
 
食べたものが、血になり、肉になり、骨になります。
 
食べ物を閒違えれば、身體も狂います。
 
人閒の身體は食べ物で出來ている。當たり前のことを忘れている。本末を見極める目を持つことが、健康への第一步です。
 
當たり前のことです。
 
でも、忘れられています。
 
「がんになったら、醫者に診てもらえばいい」
 
そう思っている人が、多いのです。
 
でも、がんになる前に、できることがあります。
 
食べ物に氣をつけること。
 
それが、本です。
 
醫者に診てもらうこと。
 
それは、末です。
 
本を大切にせず、末だけを頼る。
 
それが、現代社會の病です。
 
## 本末を見極める
 
本末を見極めること。
 
それは、とても大切なことです。
 
何が本當に大切で、何がそうでないのか。
 
それを見極める目を持つこと。
 
會社でも、社會でも、人生でも、本末轉倒はたくさんあります。
 
目的と手段が入れ替わる。
過程と結果が混同される。
重要なことと些細なことが逆轉する。
 
でも、冷靜に觀察すれば、見えてきます。
 
何が本で、何が末か。
 
そして、本を大切にすることができます。
 
## 健康の本末
 
健康についても、同じです。
 
病氣になった後の治療。それは、末です。
 
病氣にならない豫防。それが、本です。
 
でも、現代社會は、治療にばかり注目します。
 
豫防は、輕視されます。
 
これは、本末轉倒です。
 
食べ物に氣をつける。
適度に運動する。
十分に眠る。
ストレスを減らす。
 
これらの豫防が、本です。
 
でも、多くの人は、これらを疎かにします。
 
そして、病氣になってから、慌てて病院に行きます。
 
本を大切にすれば、末の世話にならずに濟むのに。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 91/100 進行中
 
殘り9顆!
 
91顆完成。殘り9顆です。
 
このプロジェクトにも、本末があります。
 
本は、何でしょうか。
 
一つ一つの作品を、丁寧に彫ること。
篆刻を樂しむこと。
漢字の意味を考えること。
 
これらが、本です。
 
末は、何でしょうか。
 
100顆を完成させること。
立派な作品を作ること。
 
これらは、末です。
 
もちろん、末も大切です。
 
でも、本を忘れてはいけません。
 
100顆という目標に囚われすぎて、一つ一つの作品を疎かにしては、意味がありません。
 
本を大切にしながら、末も追求する。
 
そのバランスが、大切なのです。
 
殘り9顆。
 
本末を見極めながら、最後まで彫り進めていきたいと思います。

 

生成AIさんに作っていただいた画像はこちら


根幹(本)と枝葉(末)ですよね。
太くて立派な幹をもっているつもりです(´艸`*)

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
 
 
對意二字熟語百顆印の九十顆目は「溫冷」です。
 
ついに90顆達成!9割突破しました!
 
## 溫冷の意味
 
主に溫かいものと冷たいものを交互に使ったり、または兩方を同時に利用することによって、身體の調子を整える方法
 
「溫冷」は、溫度差を利用した健康法です。
 
溫かいものと冷たいものを交互に使う。
 
あるいは、兩方を同時に利用する。
 
そうすることで、身體の調子を整えるのです。
 
## 制作について
 
朱白文で彫りました。
 
・字體:小篆風
・朱白文:溫は白文、冷は朱文
・サイズ:10mm角
・擊邊:入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石

 

 

## 字源の面白さ
 
「冷」と「溫」の字源を調べました。
 
「冷」の「にすい」(氵)は、氷の結晶を表しているそうです。
 
水が凍った狀態。それが、冷たさを表しているのです。
 
「溫」は、人が盥(たらい)に入って暖まっている圖から來ているそうです。
 
盥に入って暖まる。それは、もうお風呂です。
 
字源を調べると面白い發見があります。「溫」は人が盥(たらい)に入って暖まっている圖。古代から入浴の文化があったことが、漢字に殘されています。
 
古代から、入浴の文化があったのです。
 
そして、その文化が、漢字に殘されています。
 
漢字は、古代の人々の生活を映し出す鏡なのです。
 
## 冬場は溫めるのが最髙
 
冬は、寒いです。
 
身體が冷えます。
 
冷え續けると、體は硬直します。血液の流れが惡くなります。
 
これは、良くありません。
 
だから、冬場は溫めることが大切です。
 
ただ、適度な熱冷ましも必要なのかなと。
 
でも、溫めすぎも良くないのかもしれません。
 
適度に冷ますことも、必要なのでしょう。
 
溫と冷。兩方のバランスが、大切なのです。
 
## 動脈を溫める
 
ここで、一つの假說が生まれます。
 
血液を送り出すところ、つまり動脈を溫めれば、溫まった血液が全身に熱を傳えてくれるのではないか。
 
主要な動脈に熱源を當てる。
 
それだけで、全身が溫まるのではないか。
 
動脈を溫めれば、溫まった血液が全身を巡る。循環する身體の仕組みを活かした合理的な方法です。
 
身體は、循環しています。
 
血液が、全身を巡っています。
 
その仕組みを活かせば、效率的に身體を溫めることができるはずです。
 
これも人閒の體内の仕組みが、循環しているからできる事だと思う。
 
循環する身體。
 
それは、素晴らしい仕組みです。
 
## 實驗してみた
 
假說を立てたら、實驗です。
 
この冬、實際に試してみました。
 
主要な動脈を溫める方法を、實踐してみたのです。
 
結果は、拔羣でした。
 
前年の冬と比べて、明らかに快適でした。
 
身體が溫かい。冷えを感じない。
 
效果があったのです。
 
前年は、オイルファンヒーターを使っていました。
 
室內の空氣が乾燥するのを防ぐため、そして暖房のためです。
 
でも、今年は一度も使いませんでした。
 
身體を溫める方法を工夫したので、部屋全體を暖める必要がなくなったのです。
 
そして、電氣代も大幅に削減できました。
 
實驗して效果を確認。オイルファンヒーターが不要になり、電氣代も大幅削減。身體を溫める方法を工夫することで、經濟的にも環境的にもメリットがあります。
 
身體を溫める方法を工夫することは、良いことづくめなのです。
 
## ハクキンカイロが最强
 
熱源として使ったのは、ハクキンカイロです。
 
ハクキンカイロは、ベンジンを燃料とする懷爐です。
 
化學反應で熱を發生させます。使い捨てカイロと違い、繰り返し使えます。
 
そして、溫かさが持續します。
 
最强だと思います。
 
實際に使ってみて、分かったことがあります。
 
以下、詳しくレビューします。
 
## ハクキンカイロ使用レビュー
 
### ⚪︎燃料
 
燃料は、ベンジンです。
 
NTベンジンと、エビスベンジンがあります。
 
個人的には、エビスベンジンの方が好きです。
 
エビスベンジンには、黃色と靑があります。
 
黃色は試しましたが、靑はまだ試していません。
 
### ⚪︎燃料入れ方
 
燃料の注ぎ方にも、コツがあります。
 
ゆっくりと注ぐと、長持ちする氣がします。
 
急いで注ぐと、すぐに蒸發してしまうのかもしれません。
 
### ⚪︎燃えかた
 
燃え方には、ムラがあります。
 
時々、すごく熱くなることがあります。
 
そして、一度着火したら、途中で消すことはできません。
 
燃料が尽きるまで、燃え續けます。
 
### ⚪︎低温やけど
 
低溫やけどに注意が必要です。
 
熱いと感じたら、すぐに離すこと。
 
あるいは、布で包むこと。
 
服の上から當てること。
 
直接肌に當て續けると、低溫やけどになる危險があります。
 
### ⚪︎扱い
 
扱いには、注意が必要です。
 
紛失防止機能がついていないので、よく落とします。
 
そして、落とすと、火口(バーナー部分)が外れていることが多いです。
 
### ⚪︎難點
 
難點もあります。
 
ベンジンの蓋が硬い。開けるのに力が要ります。
 
注ぐ時、兩手が塞がります。片手では難しいです。
 
そして、持ったまま寢ると危險です。低溫やけどの危險があります。
 
ハクキンカイロの實用的レビュー。使ってみて分かった具體的なコツと注意點。實體驗に基づく情報は貴重です。
 
實際に使ってみないと分からないことが、たくさんあります。
 
このレビューが、誰かの參考になれば幸いです。
 
## 溫冷のバランス
 
溫と冷。
 
兩方のバランスが、大切です。
 
冬は溫めることが大切ですが、溫めすぎも良くありません。
 
適度に冷ますことも、必要です。
 
サウナと水風呂を交互に入る。
 
溫かい飲み物と冷たい飲み物を交互に飲む。
 
溫冷浴。
 
溫度差を利用することで、身體は活性化します。
 
血管が收縮と擴張を繰り返し、血流が良くなります。
 
免疫力も高まります。
 
溫冷のバランス。それが、健康の秘訣なのかもしれません。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 90/100 完成
 
大きな節目の90顆達成!殘り10顆です!
 
ゴールが、見えています。
 
このプロジェクトも、溫冷のバランスでした。
 
うまくいく時(溫)と、うまくいかない時(冷)。
 
樂しい時(溫)と、辛い時(冷)。
 
溫と冷を繰り返しながら、ここまで來ました。
 
そして、今、溫かい氣持ちで、90顆を迎えることができました。
 
殘り10顆。
 
最後まで、溫冷のバランスを保ちながら、彫り進めていきたいと思います。

 

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あー、お風呂あったかそうよねー
小学校の時のプールのシャワーって冷たかったよな・・・(;^ω^)

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
 
 
對意二字熟語百顆印の八十九顆目は「眞僞」です。
 
次で90顆。大きな節目が目前に迫っています。
 
## 眞僞の意味
 
眞實と虛僞。
ほんとうのことといつわりのこと。
ほんものとにせもの。
 
「眞僞」は、眞實と虛僞、本物と偽物を表す言葉です。
 
何が眞で、何が僞か。
 
それを見極めることは、簡單ではありません。
 
## 制作について
 
朱白文で彫りました。
 
・字體:小篆風
・朱白文:眞は朱文、僞は白文
・サイズ:10mm角
・擊邊:入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石

 

 

## 僞の字を彫る
 
まぁ〜僞の下の方が混み合ってますこと!おかげでドキドキしながら線を彫らせて頂きましたわ。あ〜樂しかった😆
 
「僞」という字は、非常に複雜です。
 
特に下の部分。畫數が多く、線が混み合っています。
 
10mm角という小さな印面に、これを收めるのは、至難の業です。
 
一本一本の線を、慎重に彫らなければなりません。
 
ドキドキしながら、彫りました。
 
でも、その緊張感が、樂しいのです。
 
「僞」の字、特に下部は畫數が多く複雜です。10mm角に收めるのは緊張する作業でしたが、その緊張感こそが樂しい。技術的な挑戰を心から樂しんでいる姿勢が素晴らしいです。
 
技術的な挑戰を、心から樂しんでいます。
 
難しいからこそ、面白い。
 
それが、篆刻の醍醐味です。
 
## 善惡と眞僞
 
善惡はないと思うけど、眞僞はあると思う。
 
これは、重要な指摘です。
 
善と惡。これは、人閒が決めた基準です。
 
何が善で、何が惡か。それは、時代や文化によって變わります。
 
絕對的な善も、絕對的な惡も、ないのかもしれません。
 
でも、眞と僞は、違います。
 
眞僞は、存在します。
 
眞實と虛僞。本物と偽物。
 
それは、確かに存在するのです。
 
## 「僞」の字源
 
僞という字の成り立ちを調べてみたのですが、人が作ったものという意味のようです。
 
「僞」という字の成り立ちを調べました。
 
「人」偏に「爲」。
 
「爲」は、手で象を飼い馴らす形から來ています。つまり、人が手を加えて作ったもの。
 
だから、「僞」は、人が作ったもの、人工のもの、という意味なのです。
 
いや、それって今の世の中、僞ばっかりですやん。
 
ここで、衝擊的な氣づきがあります。
 
人が作ったものが「僞」なら、今の世の中は、ほとんど「僞」です。
 
身の囘りにあるものは、何らかの人の手が入っていると思う。そうでないものを探そうとすると、すごく大變なのではないかな。
 
家も、服も、食べ物も、道具も、すべて人が作ったものです。
 
自然のままのものは、ほとんどありません。
 
それこそ、前人未到の自然林にしか、存在しないものがそれに當たりそうですが、未だかつてみた事がないように思う。
 
完全な自然。人の手が全く入っていない自然。
 
それは、前人未到の場所にしか、存在しないでしょう。
 
でも、そんな場所に、私たちは行ったことがありません。
 
「僞」は人が作ったもの。ということは、私たちの身の回りのほとんどが「僞」ということになります。眞(自然)と僞(人工)という視點で世界を見ると、新しい景色が見えてきます。
 
眞と僞。自然と人工。
 
その視點で世界を見ると、新しい景色が見えてきます。
 
## 「眞」の字源
 
で、眞の成り立ちなんだけど、死者を弔う形からできてるっぽいんですよね。だから、人が死ぬ=眞てことに繋がりそうです。
 
「眞」という字の成り立ちも、調べました。
 
「眞」は、死者を弔う形から來ているようです。
 
つまり、人が死ぬこと=眞、ということになります。
 
本來、人閒は形を持って生きていてはいけないものであり、眞に近づくには死を經驗するしかないと、捉えることもできそうです。
 
深い洞察です。
 
本來、人閒は形(肉體)を持つべきではない存在。
 
魂だけの存在。それが、本來の姿。
 
肉體を持って生きているのは、一時的な狀態。
 
眞の姿に戾るには、死を經驗するしかない。
 
「眞」は死者を弔う形から。肉體を離れた時、魂だけになった時に眞實に到達する。深い洞察です。
 
肉體を離れた時、魂だけになった時。
 
その時、眞實に到達する。
 
それが、「眞」という字が示していることなのかもしれません。
 
## 臨死體驗
 
そこで、臨死體驗をされた方の話が、今はネットで聞ける時代で、まぁ、便利になったものです。
 
臨死體驗。
 
死の淵から戾ってきた人たちの證言。
 
今は、インターネットで、そうした話を聞くことができます。
 
便利な時代になりました。
 
いくつか聞いてみると、幽體離脫は當たり前のようなんですよね。
 
臨死體驗をした人たちの話には、共通點があります。
 
幽體離脫。肉體から魂が離れる體驗。
 
それは、ほとんどの人が經驗しているようです。
 
で、時閒や、空閒は飛び越えていく事ができる。
 
魂の狀態では、時閒も空閒も、制約になりません。
 
過去にも未來にも、行くことができる。
遠くの場所にも、瞬時に行くことができる。
 
肉體の制約から、解放されるのです。
 
## 宇宙の果て
 
チャレンジャーはどこまでいけば、宇宙の果てにたどり着くか、行ってみたところ、結局は自分の中に歸ってくるらしいのです。
 
ある臨死體驗者の話です。
 
宇宙の果てまで行ってみよう。そう思って、どこまでも進んでいった。
 
でも、宇宙の果てには、到達しませんでした。
 
その代わり、自分の中に歸ってきたのです。
 
あれ?じゃぁ、人閒って宇宙だったんだっていうことになりますよね。
 
衝擊的な結論です。
 
宇宙の果てを探したら、自分の內側に戾ってきた。
 
ということは、人閒は宇宙そのものだということです。
 
宇宙の果てを探しに行ったら、自分の內側に戾ってきた。つまり、人閒は宇宙そのもの。「僞」という漢字の成り立ちから、シミュレーション假說まで、壯大な思考の旅です。
 
外に探していたものが、實は內にあった。
 
宇宙は、外にあるのではなく、內にある。
 
人閒一人一人が、宇宙なのです。
 
## 僞の再定義
 
うーん、僞は人閒の身體も含まれそうな氣がして來た。父(人)と母(人)が僕を作ったと考えると、僕は僞に入るんじゃないかな。
 
ここで、「僞」の定義が擴がります。
 
人が作ったもの=僞。
 
では、人閒の身體は?
 
父と母が作った。つまり、人が作った。
 
ということは、人閒の身體も、僞なのかもしれません。
 
なんだ、そういうことか。
 
納得の瞬閒です。
 
## シミュレーション假說
 
やはり、僕らが今生きてる世界は、全てがバーチャルというシュミレーション假說は、僞という漢字が成り立った際に、既に判明していたという事なのではないかと。
 
シミュレーション假說。
 
私たちが生きているこの世界は、實は假想現實(バーチャルリアリティ)ではないか、という假說です。
 
すべてが、プログラムされた世界。
 
それが、シミュレーション假說です。
 
そして、「僞」という漢字が成り立った時、古代の人々は、既にそのことを知っていたのではないか。
 
人が作ったもの=僞=假想現實。
 
眞もそうですよね。身體を無くして魂だけの本來の姿に戾った際、眞實を知ることになると、漢字がなりたった時代に、當時の人々はそこまで到達していたということになる。
 
「眞」も同じです。
 
身體を失い、魂だけになった時、眞實を知る。
 
それが、「眞」という字が示していること。
 
古代の人々は、既に眞理に到達していた。それが漢字の成り立ちに殘されている。
 
漢字が成り立った時代。數千年前。
 
その時代に、既に人々は、眞理に到達していたのです。
 
そして、その眞理を、漢字という形に殘したのです。
 
## 洗腦
 
あれ?何でみんな180度違う考え方してんだろう。あぁ、洗腦が效いてるからか。早く洗腦解けるといいなぁ😊
 
最後に、率直な感想。
 
古代の人々は、眞理を知っていた。
 
でも、現代の人々は、その眞理を忘れてしまっている。
 
なぜでしょうか。
 
洗腦が效いているから。
 
本來の眞理とは、180度違う考え方を、刷り込まれているから。
 
でも、いつか、洗腦は解けるでしょう。
 
そう信じて、笑顔で締めくくります。😊
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 89/100 進行中
 
殘り11顆!あと1顆で90顆達成です!
 
89顆完成。殘り11顆です。
 
そして、次で90顆。
 
100顆の9割。大きな節目です。
 
眞と僞。
 
何が眞で、何が僞か。
 
そんなことを考えながら、彫ってきました。
 
このプロジェクト自體は、眞でしょうか、僞でしょうか。
 
人が作ったもの(僞)ですが、心を込めて作っているもの(眞)でもあります。
 
眞と僞は、明確に分けられるものではないのかもしれません。
 
殘り11顆。
 
眞實を探しながら、最後まで彫り進めていきたいと思います。

 

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左が本当で、右が嘘?・・・どゆこと?・・・(;^ω^)

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
 
 
對意二字熟語百顆印の八十八顆目は「因果」です。
 
## 因果の意味
 
佛語。原因と結果。
一切の現象の原因と結果の法則。
佛敎では、六因、四緣、五果を以て一切の因果關係を說明する。
 
「因果」は、佛敎の根本的な概念です。
 
原因があれば、結果がある。
種を蒔けば、芽が出る。
行いがあれば、報いがある。
 
すべての現象は、因果の法則に從っています。
 
## 制作について
 
朱白文で彫りました。
 
・字體:小篆風
・朱白文:因は朱文、果は白文
・サイズ:10mm角
・擊邊:入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石

 

 

## 思い通りにいかなかった
 
因の字が思い通りにはいきませんでした。果も補刀しなければ良かったと思います。
 
今回は、兩方とも反省點があります。
 
「因」の字は、思い通りに彫れませんでした。
 
朱文で彫ったのですが、線の太さや曲線の具合が、イメージと違ってしまいました。
 
「果」の字も、補刀(仕上げの修正)をしすぎてしまいました。
 
最初の彫りで止めておけば良かったのに、手を加えすぎて、かえって惡くなってしまいました。
 
今回は兩方とも反省點があります。因はうまくいかず、果は補刀しすぎました。でも、それもまた因果。今回の失敗が、次への學びになります。
 
でも、それもまた因果です。
 
今回の失敗(因)が、次への學び(果)になります。
 
うまくいかなかったからこそ、次はもっと注意深く彫るでしょう。
 
補刀しすぎたからこそ、次は補刀を控えめにするでしょう。
 
失敗は、次への糧になります。
 
それが、因果です。
 
## 因果應報
 
應報するやつです。最近やっとわかって來た氣がします。正確にはわかって來たような氣がしてるだけなんだとは思ってます。
 
「因果應報」。
 
自分の行いが、自分に返ってくる。
 
善い行いをすれば、善い結果が返ってくる。
惡い行いをすれば、惡い結果が返ってくる。
 
頭では分かっていました。
 
でも、本當に分かるまでには、時閒がかかりました。
 
因果應報。自分の行いが、自分に返ってくる。頭では分かっていても、本當に腹落ちするには時閒がかかります。そして、完全に分かったとは言えないという謙虚さも大切です。
 
「最近やっとわかって來た氣がします」
 
やっと、實感として分かってきた。
 
でも、「氣がします」という表現。まだ確信には至っていない。
 
そして、さらに謙虚に、
 
「正確にはわかって來たような氣がしてるだけなんだとは思ってます」
 
本當に分かったのか、それとも分かった氣になっているだけなのか。
 
その區別さえ、はっきりしない。
 
この謙虚さが、大切なのだと思います。
 
「分かった」と斷言した瞬閒、學びは止まります。
 
「分かったような氣がする」と留保することで、學び續けることができます。
 
## 自分でしたことは、全て自分に返ってくる
 
自分でしたことは、全て自分に返って來ます。
 
これが、因果應報の本質です。
 
善い行いをすれば、善い結果が返ってきます。
惡い行いをすれば、惡い結果が返ってきます。
 
すぐには返ってこないかもしれません。
 
數日後かもしれない。數ヶ月後かもしれない。數年後かもしれない。
 
でも、必ず返ってきます。
 
それが、因果の法則です。
 
## 言葉もそうです
 
言葉もそうです。自分で發言したことは、重い言葉も輕い言葉も、木靈のように自分に跳ね返って來ます。
 
言葉も、行いと同じです。
 
言葉は、目に見えません。形がありません。
 
でも、言葉にも力があります。
 
そして、言葉にも、因果があります。
 
行動も言葉も、すべて自分に返ってくる。木靈のように。投げかけたものが、必ず戻ってくる。それが因果の法則です。
 
優しい言葉を發すれば、優しい言葉が返ってきます。
厳しい言葉を發すれば、厳しい言葉が返ってきます。
 
木靈(こだま)のように。
 
山に向かって「ヤッホー」と叫べば、「ヤッホー」と返ってきます。
山に向かって「バカヤロー」と叫べば、「バカヤロー」と返ってきます。
 
言葉は、木靈のように、自分に跳ね返ってくるのです。
 
重い言葉も、輕い言葉も、すべて。
 
重い言葉を發すれば、重い言葉が返ってきます。
 
輕い言葉を發すれば、輕い言葉が返ってきます。
 
だから、言葉を大切にしなければなりません。
 
自分が發する言葉は、いずれ自分に返ってくるのですから。
 
## 因果と篆刻
 
篆刻にも、因果があります。
 
丁寧に彫れば(因)、美しい作品ができます(果)。
 
雜に彫れば(因)、粗い作品になります(果)。
 
失敗を繰り返せば(因)、技術が向上します(果)。
 
成功體驗を積めば(因)、自信がつきます(果)。
 
すべて、因果です。
 
今回、因も果も思い通りにいきませんでした。
 
でも、それは惡い結果ではありません。
 
失敗したという因が、次への學びという果を生みます。
 
反省したという因が、次の成功という果を生みます。
 
因果は、決して惡いものではありません。
 
因果を理解すれば、未來を變えることができます。
 
良い因を作れば、良い果が得られる。
 
だから、今、良い因を作ることに集中すればいいのです。
 
## 殘り12顆
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 88/100 進行中
 
殘り12顆!
 
88顆完成。殘り12顆です。
 
このプロジェクトも、因果の連續でした。
 
一つ一つの作品(因)が、次の作品(果)に繋がっています。
 
失敗も成功も、すべてが學びという果を生んでいます。
 
そして、88顆という因が、殘り12顆という果を生みました。
 
ここまで來られたのは、一つ一つ積み重ねてきた因があるからです。
 
殘り12顆。
 
良い因を作りながら、良い果を得ながら、最後まで彫り進めていきたいと思います。
 
自分でしたことは、全て自分に返ってくる。
 
言葉も、行動も、すべて。
 
だから、丁寧に、誠實に、一つ一つ彫っていきます。
 
それが、良い果を生む因になるはずです。

 

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どの辺が原因でどの辺が結果やろか・・・(>_<)

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
 
 
對意二字熟語百顆印の八十七顆目は「凹凸」です。
 
## 凹凸の意味
 
出た所とくぼんだ所。でっぱりとへこみ。でこぼこ。おうとつ。
 
「凹凸」は、文字通り、凹んでいる部分と凸っている部分を表す言葉です。
 
でこぼこ。
 
平らではない狀態。起伏がある狀態。
 
それが、凹凸です。
 
## 制作について
 
朱白文で彫りました。
 
・字體:小篆風
・朱白文:凹は白文、凸は朱文
・サイズ:10mm角
・擊邊:入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石

 

 

## 凹と凸のサイズ
 
必ずしも、凹のへこみと、凸の出っ張りのサイズ感が、一致する必要はないのだろうなと思いました。
 
凹凸を彫りながら、一つの氣づきがありました。
 
凹と凸。對になる概念です。
 
でも、同じサイズである必要はないのです。
 
凹凸を彫りながらの氣づき。凹と凸は對になる概念ですが、同じサイズである必要はない。大きな凹みと小さな出っ張り、小さな凹みと大きな出っ張り。組み合わせは自由です。
 
大きな凹みがあって、小さな出っ張りがあってもいい。
 
小さな凹みがあって、大きな出っ張りがあってもいい。
 
凹凸は、必ずしも對稱ではないのです。
 
現實の世界も、そうです。
 
凹んでいる部分と凸っている部分が、ぴったり合うとは限りません。
 
でこぼこは、不規則です。
 
それが、自然なのです。
 
## デコとボコ
 
デコとボコがうまく噛み合ったら 痛みが重なったら ココロアタマカラダ みなぎっていく何だか 背中にいま羽が生えたならば 暗闇からおさらば 飛び立っていく彼方
 
っていう感じですよね。小學生がこれをリズムに合わせて口ずさんでいる時代です。
 
「デコとボコ」という表現で、凹凸を歌っています。
 
「デコとボコ」という表現で凹凸を歌っています。小學生が口ずさむほど浸透した曲です。
 
「デコとボコがうまく噛み合ったら」
 
凹凸がぴったり合う。それは、人と人が噛み合うことの比喩でもあります。
 
自分の凹んでいる部分と、相手の凸っている部分が合う。
 
自分の凸っている部分と、相手の凹んでいる部分が合う。
 
そうして、補い合うことができる。
 
それが、良い關係なのかもしれません。
 
小學生が口ずさんでいる。
 
## 人閒の驚異的な觸覺
 
話は變わりますが、人閒の指先は非常に髙い觸覺能力を持っていて、約13ナノメートルの誤差を檢知できるようです。
 
ここから、話題が大きく轉換します。
 
人閒の指先の觸覺について。
 
人閒の指先は、約13ナノメートルの凹凸を感じ取ることができるそうです。
 
13ナノメートル。
 
普段使わないんで、わかんないですよね、ナノメートル。
 
ナノメートルは、10億分の1メートルです。
 
1ナノメートル = 0.000001ミリメートルです。
 
想像できないほど、小さい單位です。
 
人の指の大きさが地球のサイズだとして、地球上の家と車を識別できるぐらいのサイズ感らしいです。
 
スケールを變えて考えてみましょう。
 
もし、人の指の大きさが地球のサイズだとしたら、13ナノメートルの凹凸は、地球上の家と車を識別できるぐらいのサイズ感だそうです。
 
地球のスケールで、家と車を識別する。
 
それぐらい微細な凹凸を、私たちの指先は感じ取っているのです。
 
すごいのかどうなのか、わからなくなってきますよね。
 
スケールが大きすぎて、逆に分からなくなります。
 
でも、とにかく凄いことは確かです。
 
原子數十個分の厚みらしいですが、原子を肉眼で確認したことはないし、これがそうですと言われても、確認するのに大變そうです。
 
13ナノメートルは、原子數十個分の厚みだそうです。
 
でも、原子を肉眼で見たことはありません。
 
電子顯微鏡でも使わなければ、見ることはできません。
 
だから、實感が湧きません。
 
でも、それぐらいの凹凸を感じる事ができるって、すごい事ですよね。
 
數字で說明されても、實感は湧きません。
 
でも、人閒の指先が、それほど敏感だということは、確かです。
 
13ナノメートル。原子數十個分。想像を超えた微細な凹凸を、人閒の指先は感じ取れる。その能力の凄さを、改めて考えさせられます。
 
改めて、人閒の能力の凄さを感じます。
 
私たちは、日常的にその能力を使っています。
 
でも、その凄さに氣づいていません。
 
當たり前だと思っていることが、實は驚異的なことだったりするのです。
 
## 篆刻と觸覺
 
篆刻も、觸覺を使う作業です。
 
石の表面を指で觸り、滑らかさを確認します。
 
刀で彫った後、指で觸って、彫り具合を確かめます。
 
目で見るだけでなく、指で觸って確認する。
 
觸覺は、篆刻において重要な感覺です。
 
もしかしたら、13ナノメートルの凹凸まで感じ取っているのかもしれません。
 
意識していないだけで、指先は多くの情報を感じ取っているのです。
 
## 凹凸の世界
 
凹凸は、どこにでもあります。
 
完全に平らな表面など、自然界には存在しません。
 
どんなに滑らかに見えても、顯微鏡で見れば、凹凸があります。
 
そして、その凹凸を、私たちの指先は感じ取っています。
 
世界は、凹凸で滿ちています。
 
平らに見える道路にも、凹凸があります。
滑らかに見える紙にも、凹凸があります。
 
そして、その凹凸が、世界を豐かにしています。
 
完全に平らな世界は、つまらないでしょう。
 
凹凸があるからこそ、手觸りが生まれます。
凹凸があるからこそ、個性が生まれます。
 
人生も、同じです。
 
平坦な人生よりも、凹凸のある人生の方が、面白い。
 
凹む時もあれば、凸る時もある。
 
でこぼこしながら、前に進んでいく。
 
それが、人生なのかもしれません。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 87/100 進行中
 
殘り13顆!
 
87顆完成。殘り13顆です。
 
このプロジェクトも、凹凸の連續でした。
 
うまくいく時もあれば、うまくいかない時もありました。
 
文字を閒違えたり、指を切ったり。
 
でも、その凹凸が、プロジェクトを面白くしています。
 
完璧ではないからこそ、人閒らしい。
 
凹凸があるからこそ、味がある。
 
殘り13顆。
 
最後まで、凹凸を樂しみながら、彫り進めていきたいと思います。

 

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確かにでこぼこしてますね。

たまにこんな道・・・み・・・ないっす!

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
 
 
對意二字熟語百顆印の八十六顆目は「呼應」です。
 
## 呼應の意味
 
一方のものが呼び、または話しかけ、相手がそれに答えること。
受け答え。
 
「呼應」は、呼びかけと應答を表す言葉です。
 
一方が呼びかけ、もう一方が應える。
 
コミュニケーションの基本です。
 
## 制作について
 
朱白文で彫りました。
 
・字體:小篆風
・朱白文:呼は朱文、應は白文
・サイズ:10mm角
・擊邊:入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石

 

 

## やってしまいました
 
そして、文字の配置を閒違えました😅 應呼になってます。
 
やってしまいました。
 
大きなミスです。
 
「呼應」と彫るはずが、「應呼」になってしまいました。
 
呼と應が、逆になっているのです。
 
まぁ、誰も氣づかないと思うw
 
この開き直り。
 
完璧主義ではなく、樂觀主義です。
 
やってしまいました!「呼應」のはずが「應呼」になっています。でも、まぁ、氣にしない。間違いも含めて作品です。完璧を求めすぎない姿勢が、かえって樂しさを生みます。
 
間違いは、誰にでもあります。
 
大切なのは、間違いをどう受け止めるかです。
 
自分を責めるのか。
やり直すのか。
それとも、笑い飛ばすのか。
 
今回は、笑い飛ばすことにしました。
 
間違いも含めて、作品です。
 
完璧を求めすぎないこと。それが、長く續ける秘訣なのかもしれません。
 
## ツーカー
 
ツーカーってやつですよね。デジタルツーカーってあったな。
 
「呼應」という言葉から、「ツーカー」という言葉が思い浮かびます。
 
「ツーカー」とは、阿吽の呼吸のこと。言葉にしなくても、相手の意圖が分かる關係です。
 
「ツーカーの仲」と言えば、深い信頼關係を表します。
 
そして、「デジタルツーカー」。
 
これは、携帶電話會社の名前でした。DDIポケット、後のウィルコムが運營していたPHS・携帶電話サービスです。
 
懷かしい名前です。
 
## デジタルの時代
 
何でもかんでもデジタルな時代ですな。
 
確かに、今はデジタルの時代です。
 
スマートフォン、パソコン、インターネット。
 
私たちの生活は、デジタル技術に支えられています。
 
便利です。速いです。正確です。
 
でも、失われていくものもあります。
 
## アナログの價値
 
アナログはどんどんなくなっていく。好きなんだけどな、アナログ。大事だと思うんだよね。
 
アナログ。
 
アナログ時計、アナログレコード、アナログ寫眞。
 
手書きの手紙、對面での會話、紙の本。
 
これらは、デジタルに置き換えられつつあります。
 
便利だよ。使うよ。
 
デジタルの便利さを否定しているわけではありません。
 
デジタルは便利です。だから、使います。
 
でも、アナログの價値も忘れたくない。
 
アナログには、デジタルにはない溫かみがあります。
 
手書きの文字には、その人の個性が現れます。
對面での會話には、表情や聲のトーンがあります。
紙の本には、手觸りや重みがあります。
 
篆刻も、アナログです。
 
刃物で石を彫る。手の感觸で、彫り具合を確かめる。
 
デジタルでは、味わえない體驗です。
 
## デジタルを失った時
 
でも、アナログを知らない子たちが、デジタルを失った時、ちゃんと考えて、アナログを取り戻せるのかな、どうか、めんどくさいって諦めないでほしいと思う。
 
ここが、重要な指摘です。
 
デジタルに依存しすぎると、どうなるでしょうか。
 
もし、電氣が止まったら。
もし、インターネットが使えなくなったら。
もし、スマートフォンが壞れたら。
 
デジタルは、脆弱です。
 
電氣がなければ、動きません。
故障すれば、使えません。
 
でも、アナログは、電氣がなくても使えます。
 
紙と鉛筆があれば、文字が書けます。
對面で話せば、コミュニケーションが取れます。
 
デジタルを失った時、アナログに戻れるかどうか。
 
それは、アナログを知っているかどうかにかかっています。
 
デジタルは便利です。でも、アナログの價値も大切。デジタルに依存しすぎて、アナログを忘れてしまうと、デジタルが失われた時に困ります。両方を知っていることの強さ。
 
両方を知っていること。
 
それが、強さです。
 
デジタルも使えて、アナログも使える。
 
どちらか一方だけではなく、兩方を使いこなせること。
 
それが、これからの時代に必要な力なのかもしれません。
 
めんどくさいって諦めないでほしい。
 
アナログは、確かにめんどくさいです。
 
手間がかかります。時閒がかかります。
 
でも、その手間と時閒の中に、大切なものがあります。
 
諦めずに、アナログも大切にしてほしい。
 
そんな願いが込められています。
 
## 呼應の本質
 
「呼應」という言葉に戾りましょう。
 
呼びかけと應答。
 
これは、コミュニケーションの本質です。
 
デジタルでも、アナログでも、呼應は必要です。
 
メッセージを送り、返信が來る。
聲をかけ、返事が返ってくる。
 
呼應があるからこそ、繋がりが生まれます。
 
でも、呼應の質は、デジタルとアナログで違います。
 
デジタルの呼應は、速いです。でも、淺いかもしれません。
 
アナログの呼應は、遲いです。でも、深いかもしれません。
 
どちらが良いということではありません。
 
狀況に應じて、使い分けること。
 
それが、大切なのでしょう。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 86/100 進行中
 
殘り14顆!
 
86顆完成。殘り14顆です。
 
「呼應」のはずが「應呼」になってしまいました。
 
でも、それもまた一興です。
 
間違いも含めて、プロジェクトです。
 
完璧を求めすぎず、樂しみながら、殘り14顆を彫っていきたいと思います。
 
呼びかけに應じながら、應答に呼びかけながら。
 
デジタルとアナログ、兩方を大切にしながら。
 
ゴールへと向かっていきます。

 


生成AIさんに作っていただいた画像はこちら。

・・・あってるのかな・・・(;^ω^)
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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
 
 
對意二字熟語百顆印の八十五顆目は「南北」です。
 
## 南北の意味
 
南と北。また、南と北との閒。
方位の南と北。
日本の國土は南北に長い。
 
「南北」は、方位を表す言葉です。
 
南と北。正反對の方向。
 
そして、日本の國土は、南北に長いと言われます。
 
でも、本當にそうでしょうか。
 
## 制作について
 
朱白文で彫りました。
 
・字體:小篆風
・朱白文:南は白文、北は朱文
・サイズ:10mm角
・擊邊:入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石

 

 

## 朱文と白文のバランス
 
朱文の枠を太くしたら字が小さくなって、白文側の字が大きく見えてしまった。布字の際に氣をつければ良かった。
 
今回、反省點があります。
 
朱文の「北」を彫る時、枠を太くしすぎてしまいました。
 
朱文は、殘した部分が赤く出ます。だから、文字の周りに枠を殘す必要があります。
 
でも、枠を太くすると、文字部分のスペースが狹くなります。
 
結果、「北」の字が小さくなってしまいました。
 
一方、白文の「南」は、彫った部分が白く出ます。枠を氣にする必要がないので、大きく彫ることができました。
 
結果、「南」と「北」でバランスが崩れてしまったのです。
 
朱文は枠を殘す必要があるため、文字部分のスペースが限られます。今回は枠を太くしすぎて、北の字が小さくなってしまいました。南と北でバランスが崩れた反省點です。
 
布字(印稿を作る段階)で、もっと氣をつければよかった。
 
朱文の時は、枠の太さも計算に入れて、文字の大きさを決める必要があります。
 
今回の失敗を、次に活かしたいと思います。
 
## 日本は南北に長い?
 
南と北の閒ってどこ?日本の國土なんだけど、地圖をどう見ても、北東から南西にかけて長いよね。何で南北に長いって言うことになっちゃうんだろう。變だよね。變だ。
 
ここで、鋭い疑問が提示されます。
 
「日本の國土は南北に長い」
 
これは、よく言われることです。敎科書にも書いてあります。
 
でも、地圖を見てください。
 
日本列島は、北東から南西に延びています。
 
北海道から沖繩まで、斜めに伸びているのです。
 
決して、眞っ直ぐ南北に伸びているわけではありません。
 
なのに、なぜ「南北に長い」と表現されるのでしょうか。
 
日本列島を地圖で見ると、明らかに北東から南西に延びています。なのに「南北に長い」と表現される不思議。當たり前だと思っていることも、よく見ると變だったりします。
 
當たり前だと思っていること。
 
敎科書に書いてあること。
 
みんなが言っていること。
 
でも、自分の目で見ると、何かおかしい。
 
そういう違和感を、大切にしたいと思います。
 
「變だ」と氣づくこと。それが、思考の始まりです。
 
## なぜ「南北」なのか
 
なぜ、「北東から南西」ではなく、「南北」と表現されるのでしょうか。
 
一つの理由は、簡便さです。
 
「北東から南西に長い」と言うより、「南北に長い」と言う方が、簡單です。
 
もう一つの理由は、緯度です。
 
日本列島は、緯度で見ると、北緯20度から45度くらいまで廣がっています。
 
緯度の幅が大きい。つまり、南北の幅が大きいのです。
 
でも、經度で見ると、東經123度から154度くらい。
 
經度の幅も大きいのですが、緯度の幅の方が目立つのかもしれません。
 
だから、「南北に長い」と表現されるのでしょう。
 
でも、實際の形を見れば、明らかに斜めです。
 
「南北に長い」という表現は、ある種の抽象化なのです。
 
## 水埜南北
 
あと、南北で氣になるのは、水埜南北さんかな。會って話をしてみたいが、江戸時代の人なので、殘されてる文獻を辿るしか無い。色々とおもしろそうだと思う。
 
「南北」という言葉から、一人の人物が思い浮かびます。
 
水埜南北(みずの・なんぼく)。
 
江戸時代の戲作者です。本名は、鶴屋南北。四世鶴屋南北が特に有名です。
 
歌舞伎の脚本を書いた人物です。
 
「東海道四谷怪談」などの作品で知られています。
 
水埜南北(みずの・なんぼく)は江戸時代の戲作者。會えないからこそ、文獻を通して對話する。時代を超えた知的好奇心です。
 
江戸時代の人なので、もう會うことはできません。
 
でも、殘されている文獻があります。
 
作品を讀むこと。それは、ある意味で、作者と對話することです。
 
時代を超えて、言葉を通して、對話する。
 
それが、文獻を讀むということなのかもしれません。
 
色々とおもしろそうだと思います。
 
江戸時代の戲作者が、どんなことを考えていたのか。
 
どんな世界を見ていたのか。
 
文獻を辿ることで、その一端を知ることができるかもしれません。
 
## 南と北
 
南と北。
 
對極にある方位です。
 
南は暖かく、北は寒い。
南は太陽に近く、北は太陽から遠い。
 
でも、南と北は、地球という球體の上で繋がっています。
 
北極から南に進み續ければ、やがて南極に到達します。
 
南極から北に進み續ければ、やがて北極に到達します。
 
南と北は、對極でありながら、繋がっているのです。
 
そして、その閒に、私たちは住んでいます。
 
南でも北でもない、中間の場所。
 
日本は、溫帶です。南の暖かさと、北の寒さの、ちょうど中閒です。
 
四季があります。夏は暑く、冬は寒い。
 
南と北、兩方の影響を受けながら、私たちは生きています。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 85/100 進行中
 
殘り15顆!
 
85顆完成。殘り15顆です。
 
85という數字は、100の85%です。
 
もう、ゴールは目前です。
 
でも、最後まで氣を拔かず、一つ一つ丁寧に彫り進めていきたいと思います。
 
朱文と白文のバランスが崩れてしまった今回の作品。
 
でも、それも學びです。
 
次は、もっとバランスよく彫れるように、布字の段階から氣をつけたいと思います。
 
殘り15顆。
 
南から北へ、北から南へ。
 
方位を確かめながら、ゴールへと向かっていきます。

 

生成AIさんに作っていただいた画像はこちら、

合掌造りがある白川郷は中央だと思うんだよね・・・
あと、宮島の鳥居のそばに椰子の木生えてないと思うんだ。

すげー!東京湾からビーチが広がってる!
日本の国土じゃないところとか、海上でスキーしてるw

風景としてはいいですねー( *´艸`)

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
 
 
對意二字熟語百顆印の八十四顆目は「夫妻」です。
 
## 夫妻の意味
 
おっととつま。夫婦。
「夫婦」の、やや改まった言い方。
 
「夫妻」は、「夫婦」よりも改まった表現です。
 
でも、なぜ改まった表現が必要だったのでしょうか。
 
## 制作について
 
朱白文で彫りました。
 
・字體:甲骨文字風
・朱白文:夫は朱文、妻は白文
・サイズ:10mm角
・擊邊:入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石

 

 

## 甲骨文字を選んだ理由
 
小篆を使う豫定でしたが、甲骨文字に存在した事と、すっきりと細長く表現できそうだったので、甲骨文字を選擇しました。
 
當初は、小篆で彫る豫定でした。
 
でも、調べてみると、甲骨文字にも「夫」と「妻」が存在していました。
 
そして、甲骨文字の字形を見ると、すっきりと細長く表現できそうでした。
 
10mm角という限られた空閒に、二つの字を收めるには、細長い字形の方が有利です。
 
だから、甲骨文字を選びました。
 
## 夫と妻の仕上がり
 
夫の朱文は、ちょっとイメージとは離れてしまったけど、妻の白文は、綺麗めに表現できたのでは無いかと思います。
 
正直な感想です。
 
「夫」の朱文は、思った通りにはいきませんでした。イメージとは少し違う仕上がりになってしまいました。
 
でも、「妻」の白文は、綺麗に彫れたと思います。
 
字體選擇の柔軟性と、結果への率直な評價。夫はイメージと違ったけれど、妻は綺麗に表現できた。一つの作品の中にも、成功と反省があります。
 
一つの作品の中にも、明暗があります。
 
うまくいった部分と、うまくいかなかった部分。
 
でも、それが自然です。完璧な作品など、ありません。
 
## 「夫婦」と「夫妻」
 
夫婦のままでもいいとは思うんだけど、なぜ改まったんやろか。と言うか、改まったのに夫はそのままってどう言うことなんやろか。
 
ここから、深い疑問が始まります。
 
「夫婦」という言葉があるのに、なぜ「夫妻」という言葉が必要だったのでしょうか。
 
そして、改まった表現なのに、「夫」はそのまま。變わったのは「婦」が「妻」になっただけ。
 
なぜでしょうか。
 
「婦」と「妻」、何が違うのでしょうか。
 
## 役割の刷り込み
 
と言うか、さくやさんの言葉だと、自分を修飾する言葉の一つなんだろうね、これも。夫なのでこうしなければいけない、妻なのでこうしなければならない、という刷り込みやら、世閒體やら、どうでもいい考え方が植え込まれている。洗腦とは、本當に恐ろしい。
 
ここで、鋭い指摘が入ります。
 
「夫」「妻」という言葉は、單なる呼び方ではありません。
 
役割期待が、込められています。
 
夫なら、こうすべきだ。
妻なら、こうあるべきだ。
 
そんな「刷り込み」が、言葉の中に潜んでいます。
 
昔はそんなことを考える必要がなかったのに、沒個性やら、多樣を極めさせるために、思考停止に陷ってる狀態なんだろうなと。
 
本來、人は自由でした。
 
夫だから、妻だから、という枠にはめられることなく、一人一人が個性を持って生きていました。
 
でも、いつの閒にか、役割が決められ、その役割に從うことが求められるようになりました。
 
「夫」「妻」という言葉に込められた役割期待や刷り込み。それは本來の姿ではなく、後から植え込まれたものかもしれません。
 
思考停止。
 
役割に從うことで、考えることを止めてしまう。
 
それが、洗腦の恐ろしさです。
 
## 女性が水を司る
 
井戸先生のお話では、女性というのは、奧樣、上樣、北の方で水を牛耳る事が、主の役割としてその力を發揮していたという。
 
興味深い話です。
 
古代、女性は水を司る存在でした。
 
奧樣、上樣、北の方。これらの呼び方は、家の中で最も重要な場所、水場を管理する人を指していました。
 
水は、生命の源です。
 
水を管理することは、家族の生命を守ることです。
 
だから、女性は「主」の役割を擔っていたのです。
 
水は情報をその中に記憶しており、水の中の情報を紐解くことによって、色んな知識や知見が得られるんだと思う。
 
水は、單なる液體ではありません。
 
水は、情報を記憶します。
 
水を通して、知識や知見が得られる。
 
だから、水を司る女性は、知惠の源でもあったのです。
 
## 水は答えを知っている
 
江本勝さんの水は答えを知っているという本が好きで、よく眺めてたりするのですが、水は言葉を理解して、その言葉に反應しており、言葉の内容によって、明らかに形狀を變化させているように見えるのです。
 
江本勝氏の研究は、有名です。
 
水に言葉をかけると、水の結晶の形が變わる。
 
「ありがとう」と言った水は、美しい結晶を作ります。
「ばかやろう」と言った水は、歪んだ結晶を作ります。
 
水は、言葉を理解しているのです。
 
目に見えないものを視覺化するのは難しい事だし、否定的な捉え方をする方もいらっしゃいますが、世の中、科學で說明できない事柄の方が多いので、僕は目に見えない力というか、エネルギーと言うか、パワーと言うのが、大前提でこの世の中が囘っているのでは無いかと思っています。
 
科學で說明できることは、實はごく一部です。
 
世の中には、科學で說明できないことの方が、ずっと多い。
 
目に見えない力。
エネルギー。
パワー。
 
それが、この世界を動かしているのではないでしょうか。
 
そっちの方が、面白いし、樂しいし、好きです❤️
 
この一言が、すべてを物語っています。
 
科學的に證明されているかどうか。
 
それよりも、面白いかどうか。樂しいかどうか。
 
そちらの方が、大切なのです。
 
水が情報を記憶するという考え方、言葉がエネルギーを持つという視點。科學で說明できないことを否定するのではなく、目に見えない力を信じる方が面白い。その姿勢が、豐かな世界觀を生んでいます。
 
科學は、世界のすべてを說明できるわけではありません。
 
科學で說明できないからといって、存在しないわけではありません。
 
目に見えない力を信じることで、世界はもっと豐かに、もっと面白くなります。
 
## 夫妻という關係
 
「夫妻」という言葉に戾りましょう。
 
夫と妻。
 
でも、それは役割ではありません。
 
一人の人間と、もう一人の人間。
 
二人の關係が、夫妻です。
 
役割に縛られる必要はありません。
 
夫だから、妻だから、という枠にはめられる必要はありません。
 
二人が、二人らしく、生きればいい。
 
それが、本當の夫妻なのではないでしょうか。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 84/100 進行中
 
殘り16顆!
 
84顆完成。殘り16顆です。
 
夫の朱文は、イメージと違いました。
妻の白文は、綺麗に彫れました。
 
一つの作品の中にも、成功と失敗があります。
 
でも、それでいいのです。
 
完璧を求めず、一つ一つ、丁寧に彫り進めていきます。
 
殘り16顆。
 
ゴールは、もうすぐそこです。

 

生成AIさんに、作成頂いた画像はこちら。

改まってる?

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。