甲骨文字百顆印 第四十一顆 / 白文・7mm角・新疆彩凍石
01 「禮」という文字について
| 意 味 | れい・礼儀 |
| 成り立ち | 会意文字。「示(神への祭壇)」と「豊(甘酒を盛る高坏)」の組み合わせ。神に甘酒を捧げて幸福を祈る儀式が起源で、そこから社会的な敬意・作法・礼儀へと発展した。 |
| 部 首 | 示 |
| 現代漢字の画数 | 5畫 |
| 旧字体の画数 | 18畫 |
旧字「禮」から現代の「礼」への変化は、18畫から5畫という大胆な略し方だ。甲骨文字の面影はほぼ残っていない。「傳」の回でも現代字への簡略化の話が出たが、「禮」はその中でも特に激しい部類だと思う。まぁ、いいんでしょうね。
02 神に甘酒を捧げるという起源
「禮」の成り立ちを知ると、礼儀という概念の出発点が神事にあったことがわかる。
祭壇の前に高坏を置き、甘酒を盛って神に捧げる。幸福を祈り、感謝を示す。その儀式の中にあった所作が、やがて人と人との間の礼儀へと転じていった。「尊」の回で両手で酒樽を捧げる話を書いたが、神への供え物という点では共通する起源を持っている。
神に向けていた敬意が、人に向けられるようになった。そう考えると、礼というのは元々かなり真剣な行為だったのだと思う。
03 形より、意識を向けること
礼は大事だと思っている。
ただ、礼の本質は形式にあるのではなく、相手に意識を向けることにあると思っている。深くお辞儀をすれば礼儀正しいかというと、そういう話でもない。形が整っていても、心がどこかに向いていなければ、それは礼ではなくただの動作だ。
こうしなければいけない、というルールが礼儀として語られることが多いが、そこに縛られすぎるとかえって本質から遠ざかる気がする。相手のことを思って、何かをする。そのシンプルな感覚が一番大切なのではないかと、今は思っている。
04 御礼は循環させるもの
御礼について、ずっと大事にしていることがある。
恩を受けた相手に直接お返しする、というのが一般的な御礼の形だ。でもそれだと、二人の間で一往復して終わる。そこで止まってしまうのが、どうも勿体ない気がしてならない。
恩を受けた分を、別の誰かに渡していく。その人がまた別の誰かに渡す。そうやってぐるぐると多くの人の間を循環していけば、最初の一つの親切が何倍にも広がっていく。一往復で完結させるより、ずっと豊かな流れが生まれる。
「傳」の回で絲をぐるぐる囘すように人から人へ伝わっていくという話を書いたが、御礼の循環もそれと同じ構造だと思う。
05 ペイフォワードという発想
ペイフォワード、という言葉がある。
受けた恩を返すのではなく、前へ払う。自分が受けた親切を、別の誰かへ送り出す。コーヒーショップで見知らぬ後ろの人の分を払うと、その人もまた次の人の分を払う、という連鎖が起きることがある。
あれは単なるいい話ではなくて、循環の仕組みをうまく可視化したものだと思う。最初に払った人は、いつかまたその列に並んだ時、誰かに払ってもらうことになる。直接的な往復ではなく、大きな環の中で必ず自分のところへ戻ってくる。
「盟」の回で棲み分けの話を書いたし、「採」の回で必要以上に取ることの弊害を書いた。循環というのはそういったことの逆で、出したものが回り回って返ってくるという自然な流れだ。出すことを恐れると、循環が止まる。
06 制作について
今囘も白文。字體は甲骨文字風で仕上げた。擊邊は入れた。
制作メモ
- 印 式:白文
- 字 體:甲骨文字風
- 印 材:新疆彩凍石(7mm角)
- 印 刀:刀匠印刀 三號
- 擊 邊:あり
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旧字「禮」は18畫だが、甲骨文字風にすると祭壇と甘酒という核心の二要素に絞られてくる。神に供え物を捧げる情景が7mm角の中に収まっている、と思いながら彫った。
07 甲骨文字百顆印 これから
四十一顆目で「禮」が加わった。
神事から始まった礼が、人と人との礼儀になり、循環という概念まで広がった。甲骨文字を掘り下げていくと、古代の人々が何を大切にしていたかが見えてくる。神への感謝と祈りから生まれた文字が、今も毎日使われている。そういうつながりを感じながら、次の一顆へ向かっていく。
生成AIさんに作っていただいた画像はこちら、
いいですね(´艸`*)
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