音型(おんけい)が彫る

音型(おんけい)が彫る

私の名は、
雨垂れ石を穿つ音型

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甲骨文字百顆印 第八十一顆 / 白文・7mm角・新疆彩凍石


01 「歸」という文字について

    
意 味かえる
成り立ち会意文字。甲骨文字の段階では「女性が嫁ぐ」という意味だった。女性がほうき(帚)を持って夫の家に入る姿を表しており、嫁ぐことを「新しい居場所に帰る」と表現したことから、「元の場所に戻る」という意味に転じた。
部 首彳(ぎょうにんべん)
現代漢字の畫數10畫

「復」の回で元の場所へ戻るという話を書いたが、「歸」も同じ方向の字だ。違うのは、「歸」の起源が女性の嫁入りにあるということだ。帰るという言葉が、元々は女性が新しい家に入る場面から来ていたとは、知らなかった。今では使わない表現だが、字の構造の中にその記憶が残っている。


02 嫁ぐことが帰ることだった

甲骨文字の「歸」は、女性が嫁ぐという意味から始まった。

ほうき(帚)を持って夫の家に入る、という場面をそのまま描いた字だ。「掃」の回でほうきが神聖な場所を清める道具だったという話を書いたが、ここでもほうきが登場する。嫁入りの際にほうきを持っていくというのは、新しい家を清め、そこを自分の居場所にする、という意味を持っていたのかもしれない。

嫁ぐことを「帰る」と表現していたということは、結婚が女性にとって「本当の家に戻ること」として捉えられていたということになる。今の感覚とはずいぶん違うが、そういう世界観が字の中に刻まれている。


03 今では使わない表現

嫁ぐことが帰ることだった、というのは今では使わない表現だ。

「お嫁に行く」という言い方は今でも残っているが、それが「帰る」という概念と結びついているとは、普段意識することがない。現代では、結婚が「帰る」という動作と結びつくイメージはほとんどない。

でも字の歷史の中には、そういう概念のずれがあちこちに残っている。「正」の回で征伐から正しさが生まれた話を書いたが、「歸」も同じように、現代の意味から想像しにくい起源を持っている。


04 帰る場所があることのありがたさ

帰る場所があるというのは、いいことだと思っている。

山から下りてきた時、長い旅を終えた時、何かに疲れた時。帰る場所があることで、もう一度そこから出発できる。「復」の回で家へ帰るという甲骨文字の起源の話を書いたが、帰るべき場所は単なる物理的な空間ではなく、安心できる状態そのものだと思っている。

まぁ、なくてもいいのかもしれないけれど。帰る場所がなければないで、また別の形で生きていくことになるだろう。


05 鉄砲の弾のように

帰路につくためには、戻るべき場所が必要だ。

拠り所がなければ、鉄砲の弾のようなものだ。射出されたら、元に戻ることはない。ただひたすら前に向かって飛んでいくだけだ。それはそれで一つの在り方かもしれないが、弾は止まった後に誰かを傷つけることが多い。

帰る場所があることで、人間は落ち着いて動けるのだと思う。「宿」の回で肉体は入れ物で、魂の宿る場所だという話を書いたが、帰る場所というのも、心にとっての宿のようなものかもしれない。


06 魂は大元へ帰る

帰る場所が物理的にない場合でも、もっと根本的な意味での帰還はある。

僕たちの魂は、大元へ帰るのだと思う。肉体を持って生きている間は、その肉体に宿っているが、最終的にはそこから抜け出して元の場所へ戻る。どこへ戻るのかは、体から抜け出してみないとわからない。でも、戻るべき場所が存在するという感覚は、どこかにある。

「無」の回でこのシリーズを始めた時、全ては無から生まれた意識体だという話を書いた。無から来て、また無へと帰っていく。そう考えると、「歸」という字が持つ「帰る」という意味は、生死という大きな循環とも重なってくる。


07 ほうきと歸のつながり

帚(ほうき)という部品が「歸」の起源にある。

「掃」の回でほうきが神聖な場所を清める道具だという話を書いたし、「雪」の回でほうきで掃き清めるという表現が雪の成り立ちに絡んでいるという話も書いた。ほうきというのは、場所を整えるための道具だ。

新しい家に嫁ぐ時にほうきを持っていくということは、その場所を清めて、自分の居場所として整えるという意味があったのかもしれない。掃き清めることで、そこが「帰れる場所」になっていく。ほうきを持つことが、帰る場所を作る行爲だったということだ。


08 制作について

今囘も白文。字體は甲骨文字風で仕上げた。擊邊は入れた。彫る前に研いだ。

制作メモ

  • 印 式:白文
  • 字 體:甲骨文字風
  • 印 材:新疆彩凍石(7mm角)
  • 印 刀:刀匠印刀 三號(彫前に研磨)
  • 擊 邊:あり



旧字體の「歸」を甲骨文字風で彫った。女性とほうきという二つの要素をどう7mm角に収めるかが工夫どころだった。現代の「帰」より情報量が多い分、省略しながらも歸らしさが残るバランスを探った。


09 甲骨文字百顆印 これから

八十一顆目で「歸」が加わった。

嫁ぐことが帰ることだった起源、帰る場所があることのありがたさ、鉄砲の弾の比喩、魂は大元へ帰るという話。今囘も一字から遠くまで旅した。残り十九顆、一顆ずつ丁寧に帰路をたどるように向き合っていく。






#篆刻 #甲骨文字 #歸 #白文 #新疆彩凍石 #百顆印 #会意文字 #印章



甲骨文字百顆印 第八十顆 / 白文・7mm角・新疆彩凍石


01 「陽」という文字について

    
意 味ひなた
成り立ち形声文字。『阝(丘)』と『昜(太陽が昇り光が広がる様子)』の組み合わせ。高い丘に太陽の光がさんさんと降り注ぐ明るい場所、という意味から「ひなた」を表すようになった。
部 首阝(こざとへん)
現代漢字の畫數12畫

今囘、思いがけない事実に出會った。「陽」という字自體は比較的新しく作られたもので、甲骨文字の段階では独立した文字として存在していなかったということだ。このシリーズは「甲骨文字百顆印」と名付けて、甲骨文字を元にして彫り続けてきた。だが今囘の「陽」については、その前提が少し揺らいだ。


02 甲骨文字に陽は存在しなかった

「陽」を構成する要素である「日(太陽)」や「台(祭壇や高い場所)」は、甲骨文字の段階でも確認できる。

でも、それらを組み合わせた「陽」という一つの字としては、甲骨文字の時代にまだ存在していなかった。後の時代になって、丘と太陽という二つの要素が組み合わさり、「陽」という字が作られた。

ということは、今囘彫った甲骨文字風の字は、厳密には甲骨文字そのものではなく、甲骨文字に存在する構成要素を組み合わせて作られた、いわば後付けの形ということになる。


03 あとから作られた文字を彫るということ

これは少し不思議な体験だった。

今までの七十九顆は、甲骨文字として実際に確認されている形を元に彫ってきた。今囘は、甲骨文字には存在しなかった字を、甲骨文字風の要素で構成して彫った。元々の甲骨文字には存在しない組み合わせを、自分なりに想像して形にしたということになる。

これは正確には何と呼ぶべきなのか、少し考えてしまう。甲骨文字風の創作、と言うのが正しいのかもしれない。「率」の回で諸説あるなら感じたままでいいという話を書いたが、今囘はそもそも甲骨文字自体が存在しない以上、感じたままに頼るしかない部分が多かった。


04 陽氣というラーメン屋の記憶

「陽」という字を見て、まず思い出したのが昔食べたラーメン屋の名前だった。

陽氣、という名前のお店だったと記憶している。今はもう食べられない場所だが、数十年前に確かに食べた覚えがある。味の詳細は覚えていないが、名前だけが妙に残っている。記憶というのは不思議なもので、内容よりも名前や印象だけが先に残ることがある。


05 田中陽希くんと山で

陽希という名前で思い出すのが、田中陽希くんだ。

冒険家として知られていて、日本百名山や日本三百名山を歩いて踏破する企画で有名だ。一度山でお会いしたことがある。今はソロで活動しているようだ。歩いて山を巡る、という行為そのものに魅かれるものがある。「歩」の回で走るより歩くことが好きだという話を書いたが、彼の活動はその究極形のような氣がする。


06 陰陽という考え方

陽という字から、陰陽という言葉が連想される。

全てのものを陰と陽という二つの性質で捉える考え方だ。光と影、動と静、男と女。対立するようで、実は互いを補い合っている。この二元論を見ていると面白いと思う反面、「正」の回で善悪二元論の刷り込みについて書いたことを思い出す。陰陽は対立というより循環や調和を表す概念なので、単純な善悪二元論とは違う種類の枠組みなのだとは思う。


07 五行と丙という性格

陰陽に五行を組み合わせると、生まれた日でその人の性格を知ることができるという考え方があるらしい。

調べてみたところ、僕は火の陽、つまり丙(ひのえ)というタイプにあたるようだ。太陽を表す性質で、明るく前向きで、サービス精神旺盛、周囲に活力を与え自然と人が集まる魅力がある、とされている。

こういう占術めいた考え方を全面的に信じるわけではないが、生まれた日付という一つのデータから性格傾向を読み取ろうとする発想自体が面白い。古代の人々は、太陽や星の動きと人間の性質を結びつけて捉えようとしてきた。「望」の回で月読命の話を書いたが、こういう天体と人間の結びつきへの探求は、文化を問わず繰り返し現れているテーマだと思う。


08 太陽タイプという巡り合わせ

「陽」という字を彫る回で、自分が太陽タイプだと知ったのは、ちょっとした巡り合わせだと思っている。

意図して選んだわけではなく、偶然この字に行き着いたのだが、彫り終えた後に陰陽五行の話を調べていたら、自分自身の性質と字の意味が重なっていた。「翌」の回で想像した通りの現實になるという話を書いたが、こういう小さな巡り合わせを面白がる氣持ちも、その一部なのかもしれない。


09 制作について

今囘も白文。字體は甲骨文字風で仕上げた。擊邊は入れた。彫る前に研いだ。

制作メモ

  • 印 式:白文
  • 字 體:甲骨文字風(構成要素を組み合わせた創作)
  • 印 材:新疆彩凍石(7mm角)
  • 印 刀:刀匠印刀 三號(彫前に研磨)
  • 擊 邊:あり



日と台座という甲骨文字に存在する要素を組み合わせて、丘の上に太陽が昇る情景を7mm角に收めた。元の字が存在しないという特殊な状況の中で、どこまで甲骨文字らしさを残すかが今囘の工夫どころだった。


10 甲骨文字百顆印 八十顆目という節目に

八十顆目で「陽」が加わった。

甲骨文字に存在しなかった字を彫るという珍しい経験、ラーメン屋の記憶、田中陽希くんとの出会い、陰陽五行と丙タイプという巡り合わせ。八割を超えたこの節目に、こういう異色の一顆が來たのも面白い。残り二十顆、引き続き丁寧に彫り続けていく。





#篆刻 #甲骨文字 #陽 #白文 #新疆彩凍石 #百顆印 #形声文字 #印章



甲骨文字百顆印 第七十九顆 / 白文・7mm角・新疆彩凍石


01 「報」という文字について

     
意 味 むくいる・しらせる
成り立ち 会意文字。手枷をはめた罪人と、頭を上から押さえつけて服従させる手の組み合わせ。元来「罪人に罪を認めさせて処罰する」ことを意味していた。
部 首
現代漢字の畫數 12畫

「幸」の回で手枷が幸せになった話を書き、「執」の回で同じ手枷が拘束を意味する話を書いた。今囘の「報」も同じ部首の「幸」を持っている。手枷という同じ起源から、幸せ、拘束、そして処罰という三つの方向に字が分かれていった。同じ部品が、組み合わさる相手によってこれほど違う意味を持つというのは、改めて漢字の構造の奇妙さを感じる。


02 頭を押さえつける手

「報」の甲骨文字は、両手を縛られて跪いている罪人と、その頭を上から手で押さえつけている人物の組み合わせだ。

押さえつけるという動作が、字の構造に直接組み込まれている。罪人に罪を認めさせる、服従させる。今の感覚で見ると、相当に暴力的な情景だ。「武」の回で戈を持って一歩踏み出すという起源を書いたが、「報」も同じくらい直接的で、力による支配がそのまま文字に刻まれている。

漢字の成り立ちを辿っていくと、こういう生々しい場面に出会うことが多い。古代の社会では、こういう力の構造がもっと日常的だったのだろう。


03 意味の変遷

処罰するという起源から、「報」の意味は徐々に変化していった。

罪を断罪する行爲から、罪に相当する罰を与えるという意味、つまりお返しをするという概念へと広がっていった。報恩、報復、仕返し。さらにそこから、知らせる、結果を伝えるという意味、報告、電報、予報という用法に発展した。

処罰から始まったものが、最終的には単なる情報伝達の意味まで持つようになった。最初の暴力的な起源を知らなければ、報告や電報という言葉に違和感を持つことはまずない。意味の旅は、起源から想像もできないほど遠くまで行くことがある。


04 報恩講には出たことがない

報恩講という言葉は聞いたことがある。

浄土真宗の重要な法要で、親鸞聖人の恩に報いるための行事だと理解している。ただ、実際に参加したことは一度もない。少し調べてみたら、参加にお金がかかるようだった。そういう事情もあって、これからも知らない體で過ごそうと思っている。

詳しく知らないことについて、無理に知ったかぶりをする必要はない。「鑄」の回で一次情報まで遡ることの大切さを書いたが、知らないものは知らないと正直に言うことも、情報との健全な向き合い方の一つだと思っている。


05 報連相とAIによる自動報告

報連相、つまり報告・連絡・相談という仕事の基本がある。

報告しないと叱られる、というのは社会人なら誰しも経験がある話だと思う。ただ、今はAIが自動で報告をまとめてくれる時代になりつつある。作業内容を記録するだけで、進捗報告のたたき台が生成される。人間が手作業で報告書を書く時代は、徐々に終わりに近づいているのかもしれない。

報告という行爲の形は変わっても、誰かに何かを知らせるという根本的な必要性は残る。AIが手伝ってくれても、何を報告するべきかを判断するのは結局人間だ。


06 報德以德という前向きな考え方

「報」の負の側面を見てきたが、報德以德という熟語には救いがある。

德をもって德に報いる、という意味で、論語が出典とされている。誰かから受けた親切や恩恵に対して、恨みや打算ではなく、純粋な善意と感謝で返していくという考え方だ。

「德」の回で德を積むことについて書いたが、この熟語はその実践そのものだ。受けた善意を別の善意で返す。それも一往復で終わらせるのではなく、循環させていく。「禮」の回で御礼を一往復で終わらせるのは勿体ないという話を書いたが、報德以德もその循環の輪の中にある考え方だと思う。


07 人間が人間をどうこうしない

成り立ちを知ると、頭から押さえつけるという行爲に強い違和感が出てくる。

「正」の回で征伐から正しさが生まれた話を書いたし、「武」の回で戈の話を書いた。こういった字の起源には、力で誰かを支配する構造が繰り返し出てくる。それを知った上で、今を生きる自分がどう振る舞うかを考えると、人間が人間をどうこうするのはやめようという結論に行き着く。

支配したい、押さえつけたい、という欲求は、「得」の回で書いた3S欲求の一つでもある。手枷を起源に持つ「報」という字は、その欲求の生々しい記録だと思っている。だからこそ、報德以德のような考え方を意識して選んでいきたい。


08 制作について

今囘も白文。字體は甲骨文字風で仕上げた。擊邊は入れた。彫る前に研いだ。

制作メモ

  • 印 式:白文
  • 字 體:甲骨文字風
  • 印 材:新疆彩凍石(7mm角)
  • 印 刀:刀匠印刀 三號(彫前に研磨)
  • 擊 邊:あり
  •  

     

手枷と押さえつける手という二要素を7mm角に收めた。「幸」「執」の回でも似た部品を彫ったが、今囘は頭を押さえつける動作が加わって、より動きのある構図になった。重い起源を持つ字だが、彫る作業自體は丁寧に向き合った。


09 甲骨文字百顆印 これから

七十九顆目で「報」が加わった。

手枷から生まれた三つの字、幸・執・報。同じ起源から幸せ、拘束、処罰という全く違う方向に意味が分かれていったのが面白い。残り二十一顆、引き続き丁寧に彫り続けていく。

 

 

 

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え・・・(;^ω^)
こうなるのか・・・(;^ω^)
まぁ、そうか、、、

 

 


#篆刻 #甲骨文字 #報 #白文 #新疆彩凍石 #百顆印 #会意文字 #印章


 

甲骨文字百顆印 第七十八顆 / 白文・7mm角・新疆彩凍石


01 「樹」という文字について

     
意 味 き・うえる
成り立ち 形声文字。『木』と『壼(音)』の組み合わせ。「壼」は元々太鼓の象形で、人が木の横で鼓を打ち鳴らして豊作や成長を祈る儀式を表していた。そこから「立てる」という意味が後付けで生まれた。
部 首
現代漢字の畫數 16畫

「鼓」の回で太鼓の象形について書いたが、今囘の「樹」にもその太鼓が登場した。木を植える儀式の場で太鼓を打ち鳴らす、という情景が起源にあるとすれば、成長を祈ることと音を出すことが古代では強く結びついていたのだろう。「立てる」という意味が後付けで生まれたというのも面白くて、儀式の様子がそのまま字になり、後から「木を立てる」という解釈が定着していったらしい。


02 木を地面にまっすぐ立てる

成り立ちを辿ると、太鼓を打ちながら木を立てる、という儀式の樣子が見えてくる。

木を植えるという行爲は、現代では単純な農作業や園藝の一環として捉えられがちだが、古代においては祈りを伴う神聖な行爲だったのだろう。「禮」の回で甘酒を神に捧げる話を書いたし、「登」の回で神に供物を捧げるために高台に登る話を書いた。木を植えることも、同じ系列の儀式だったのかもしれない。

太鼓の音とともに木を立てる。豊作と成長を願う氣持ちが、その音に乗って届けられる。そういう場面を想像すると、樹という字の重みが少し変わってくる。


03 木と樹はどう違うのか

「樹」という字を彫りながら、ずっと考えていたことがある。

木と樹は、なぜ別の字として使い分けられているのだろうか。

木という字は植物の総稱として使われることが多いし、切り出して加工された後の物體を指すことも多い。材木、木材、木箱。生命としての木かどうかを問わず、形があるものを広く指している。

一方、樹という字は、今まさに大地に根を張り、空高くそびえている、生命力に満ちた状態を指す氣がする。樹皮、樹液、樹齢。どれも生きている木にしか使わない言葉だ。


04 巨樹と巨木、両方使う言葉

巨大な木を表す言葉として、巨樹と巨木の両方が使われる。

これは木と樹の境界が完全には分かれていないことを示している氣がする。どちらを使っても通じるし、文脈によって選ばれているだけのようにも見える。樹木という熟語になると、木と樹が一つの言葉として結合してしまう。

完全に別の概念ではなく、重なる部分も多い。元々は一つの字だったものが、長い歴史の中で少しずつ用途が分かれていったのかもしれない。「自」の回で鼻が自分に転じたという話を書いたが、漢字の意味の分岐というのは、思いがけない経路を通って起こることが多い。


05 立つという意味は後付けだった

成り立ちの説明で一番驚いたのが、「立つ」という意味が後付けだという点だ。

太鼓を打ち鳴らして木を植える儀式が起源で、そこから「立てる」という解釈が生まれた。最初から「立てる」という意味を表すために作られた字ではなく、別の情景から派生して意味が固まっていった。

「暮」の回で原字が別の意味に転用されて新しい字が生まれる話を書いたが、「樹」は逆のパターンだ。儀式の様子を描いた字に、後から意味が肉付けされていった。漢字の歷史を辿ると、こういう後付けのパターンが意外と多い。最初の発想と現在の意味がずれていることが、むしろ普通なのかもしれない。


06 樹木に対する見方

樹という字を考えながら、改めて樹木という存在について思いを巡らせた。

「麓」の回で山の麓に生きるためのものが全部揃っている話を書いたが、その中心にあるのは樹木だ。水を蓄え、酸素を生み出し、土を保ち、多くの生き物を養う。一本の樹が支えている命の数は、想像以上に多い。

「森」の回で木が三つ重なって森になる話を書いたが、一本の樹もそれぞれが独立した生命だ。儀式の対象として植えられ、太鼓の音に見送られて根を張っていく木の姿を想像すると、樹という字への見方が少し変わる氣がする。


07 制作について

今囘も白文。字體は甲骨文字風で仕上げた。擊邊は入れた。彫る前に研いだ。

制作メモ

  • 印 式:白文
  • 字 體:甲骨文字風
  • 印 材:新疆彩凍石(7mm角)
  • 印 刀:刀匠印刀 三號(彫前に研磨)
  • 擊 邊:あり
  •  

     

木と太鼓という二要素を7mm角に收めた。「鼓」の回で彫った太鼓の形と似た部分があり、彫りながら過去の一顆を思い出した。木を立てる儀式の樣子が伝わるよう、配置を意識しながら仕上げた。


08 甲骨文字百顆印 これから

七十八顆目で「樹」が加わった。

太鼓と木の儀式、立つという意味の後付け、木と樹の使い分け。一字から樹木という存在への見方が少し深まった氣がしている。次の一顆も、丁寧に向き合っていく。

 

 

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・・・うん、ちょっとおもしろい・・・(´艸`*)

 


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甲骨文字百顆印 第七十七顆 / 白文・7mm角・新疆彩凍石


01 「聞」という文字について

     
意 味 きく
成り立ち 会意文字。門と耳の組み合わせとされるが、「門」は音(ウェン)を表す音符に過ぎず意味はないという説もある。甲骨文字の段階では大きな耳を持つ人の象形だけだった。
部 首
現代漢字の畫數 14畫

意味のない「門」が部首になっているというのが、今囘一番引っかかった点だ。「門」の回で門を叩く話を書いたし、「問」の回では門と口の組み合わせで問うという意味が生まれた話を書いた。どちらも門は意味を持っていた。なのに「聞」では音を表すだけで意味なし、というのは少し拍子抜けだ。


02 甲骨文字の頃は耳だけだった

甲骨文字の段階では、「聞」は大きな耳の象形だけで成り立っていた。

誇張された大きな耳を持つ人が描かれていて、それだけで「聞く」という意味を表していたとされる。後から「門」が加わったが、それは音符として発音を示すためのもので、字の意味には関係ない。

耳一本で「聞く」を表していた頃の方が、すっきりしていて潔い氣がする。「暮」の回で原字の「莫」が別の意味に使われるようになって「日」が加えられた話を書いたが、「聞」も後から付け足しが起きた字の一つだ。


03 今囘彫った甲骨文字が謎だった

甲骨文字の「聞」を参照して彫ったのだが、見れば見るほど謎が多い形だった。

膝を折って座った人の頭部に、誇張された大きな耳がある。そこまでは理解できる。でも手が口の前に来ているように見えて、お口はチャックということなのかと思ったりもした。

しかも耳の向きが、通常の体についている耳の向きと逆に見える。口が開いているように見える部分もある。手から何かがこぼれ落ちているような氣もする。なんなんですかね、本当に。

「率」の回でも成り立ちが複數あって感じたままでいいという話を書いたが、今囘は感じたままにしてもよくわからないという状態だった。


04 聞くと聴くは違う

「聽」の回で詳しく書いたが、聞くと聴くは同じ音でも字が別で、意味も少し異なる。

聞くは音や情報が耳に入ってくる状態で、比較的受動的なニュアンスがある。聴くは意識を向けて、耳だけでなく目や心も使って受け取るという、より能動的な行爲だ。「聽」の字は耳・目・心という要素が全部入っていて、その能動性が字の構造に表れていた。

「聞」の方は、甲骨文字の段階では大きな耳の象形だけだった。シンプルに耳で捉える、という意味から来ている分、受け取り方はより自然で広い。音が耳に届く、情報が入ってくる、噂を耳にする。そういう緩やかな「きく」が「聞」の守備範囲だ。


05 耳をそばだてるということ

大きな耳を誇張して描いた甲骨文字の発想は、面白いと思う。

耳をそばだてる、という表現がある。注意して聞こうとする時に使う言葉だ。耳の機能を強調することで「きく」を表すというのは、その感覚をそのまま字にしている。現代の「聞」にある「門」は意味がないと言われるが、甲骨文字の段階の方が、耳という核心を直接表現していた。

「面」の回で顔の輪郭の中に目だけを配置した話を書いたが、「聞」の甲骨文字も同じ発想だ。顔という全体ではなく、一番大事な部位だけを誇張して描く。機能を強調することで意味を伝える。


06 門は意味なし、が部首になっている

意味のない「門」が現代字の部首になっているというのは、改めて考えると不思議だ。

部首というのは字の意味や分類を示すものだというイメージがあるが、「聞」に関しては部首の「門」が意味を持っていない。音を表すために後から加えられた飾りが、字の顔として定着してしまった。

「鑄」の回で一次情報まで遡ることの大切さを書いたが、「聞」は遡れば遡るほど門の存在感が薄くなっていく字だ。現代字の姿だけを見ていると見えないものが、甲骨文字まで戻ると見えてくる。このシリーズを続けてきた意味を感じる場面の一つだ。


07 制作について

今囘も白文。字體は甲骨文字風で仕上げた。擊邊は入れた。彫る前に研いだ。

制作メモ

  • 印 式:白文
  • 字 體:甲骨文字風
  • 印 材:新疆彩凍石(7mm角)
  • 印 刀:刀匠印刀 三號(彫前に研磨)
  • 擊 邊:あり
  •  

     

大きな耳と人の形を7mm角に收めた。耳の向きと口の位置がよくわからないまま彫り進んだが、それはそれで一顆として完成した。謎を抱えたまま仕上げた、珍しい一顆だ。


08 甲骨文字百顆印 これから

七十七顆目で「聞」が加わった。

門は意味なし、大きな耳の象形、口はチャックなのかという謎、聞くと聴くの違い。今囘は疑問が解消されないまま終わった印象だが、それもまた「聞く」という行爲に似ている氣がする。全部わかってしまうより、聞き続けることの方が大事な時もある。

 

 

 

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うん、なんか色々こちらの意図が伝わってる気がする。
ただ、鳥居は門というか、楔(くさび)って感じなんだよね・・・僕の中では・・・(;^ω^)

 


#篆刻 #甲骨文字 #聞 #白文 #新疆彩凍石 #百顆印 #会意文字 #印章


 

甲骨文字百顆印 第七十六顆 / 白文・7mm角・新疆彩凍石


01 「電」という文字について

     
意 味 いなずま・でんき
成り立ち 形聲文字。空を走る稲妻を表す象形文字が起源。西洋からElectricityの概念が入ってきた際、光る性質が似ていることから電氣に転用された。西洋文化との合流で現代の意味が生まれた漢字といえる。
部 首
現代漢字の畫數 13畫

「雷」の回で稲妻の話を書いたが、今囘の「電」も同じ稲妻から来ている。雷と電は親戚のような關係だ。ただ、「電」は後から西洋の概念と合流して電氣という意味を獲得した。漢字の歷史の中では比較的新しい転用の例で、「暮」の回で原字が別の意味に使われて新しい字が派生した話を書いたが、「電」は逆に外から来た概念を既存の字で受け取った形だ。


02 稲妻が電氣になった経緯

もともと「電」は、空を曲がりくねって走る光、つまり稲妻を表す字だった。

雨という字の下に、稲妻が光る樣子を描いた「申」が組み合わさっている。古代の人が夜の嵐の中で目にしたあの光を、そのまま文字にした。

19世紀に西洋から電氣という概念が日本に入ってきた時、その現象を表す漢字が必要になった。光を発し、素早く走り、大きなエネルギーを持つ。稲妻とElectricityの性質が重なったため、「電」という字が当てられた。自然現象を表していた字が、人工のエネルギーを表す言葉になった。


03 フリーエネルギーの話

「盛」の回でニコラ・テスラとフリーエネルギーの話を書いた。

テスラが研究していたのは、宇宙空間に満ちているエネルギーを取り出して利用するというものだ。電線を引かなくても、どこにいてもエネルギーが使える状態を目指していた。それが実現していれば、電力という概念そのものが変わっていたかもしれない。

でも実現しなかった。資金を断たれ、研究を封じられた。「採」の回で必要以上に採ることの弊害を書いたが、エネルギーの世界も同じ構造がある。誰かの利権が絡むと、より良い技術が普及しにくくなる。


04 電力ありきの生活から抜け出したい

今の生活を見渡すと、電氣がなければできないことだらけだ。

スマートフォン、パソコン、照明、冷蔵庫、調理器具。電源を抜いたら、日常の相当な部分が動かなくなる。これだけ電氣に依存した生活を当たり前として育ってきたが、ある時点からこの依存をどうにかしたいという氣持ちが出てきた。

オフグリッドという言葉がある。電力会社の送電網に繋がらず、太陽光や風力などで自前のエネルギーを賄う暮らし方だ。完全には難しくても、電氣がなくても困らない状態に少しずつ近づけていくことが、今の目標の一つだ。


05 電氣を必要としない活動が好きだ

改めて考えると、自分が好きなことは電氣をほとんど必要としないものが多い。

篆刻は石と印刀と墨と紙があればできる。「繼」の回で続けることについて書いたが、このシリーズ自体が電氣なしで完結できる活動だ。登山も、散歩も、釣りも、畑仕事も、田んぼで米を育てることも、基本的には電氣がいらない。書道もそうだし、武道もそうだ。

こうして並べてみると、電氣がなくても楽しめることは案外たくさんある。足りないのは電氣ではなく、電氣なしでも豊かだという感覚かもしれない。


06 電氣に頼らないとできないことを減らす

電氣に頼らなければできないことを、極力減らしていく。

これを目標として持つだけで、日常の見え方が少し変わってくる。例えば、夜に照明を消してろうそくで過ごしてみる。調理を火と鍋でやってみる。情報をネットではなく本から得てみる。どれも不便といえば不便だが、そこに違う質の豊かさがある氣がする。

「採」の回で手で摘み取るのが本来の姿という話を書いたが、電氣でも同じことが言える。機械に任せるより、手と体を使う方が、その行爲に宿る何かが違う。

考えているだけでワクワクする。これが僕だけの感覚なのかもしれないけれど。


07 電という字が持つ二面性

稲妻という自然現象と、人工のエネルギーである電氣。

同じ「電」という字が両方を担っているというのは、考えると面白い。稲妻はコントロールできない自然の力で、電氣は人間がコントロールしようとするエネルギーだ。方向が逆なのに、同じ字で表されている。

「武」の回で同じ字の構成要素が、解釋によって正反対の意味になるという話を書いたが、「電」も似たような二面性を持っている。どちらに意識を向けるかで、字の持つイメージがまるで変わる。


08 制作について

今囘も白文。字體は甲骨文字風で仕上げた。擊邊は入れた。彫る前に研いだ。

制作メモ

  • 印 式:白文
  • 字 體:甲骨文字風
  • 印 材:新疆彩凍石(7mm角)
  • 印 刀:刀匠印刀 三號(彫前に研磨)
  • 擊 邊:あり
  •  

     

稲妻が曲がりくねって光る樣子を甲骨文字風に表現した。「雷」と同じ稲妻の要素を持つ字だが、構成が違うので彫り方も違った。電氣を使わずに電という字を石に刻む、という行爲の皮肉な面白さを感じながら彫った。


09 甲骨文字百顆印 これから

七十六顆目で「電」が加わった。

稲妻から電氣への転用、テスラの話、オフグリッドへの憧れ、電氣なしで楽しめることの豊かさ。今囘は電氣という現代的なテーマを甲骨文字の稲妻の起源から辿ることになった。残り二十四顆、引き続き電氣なしで楽しみながら彫っていく。

 

 

 

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テスラおる?(´艸`*)

なんか、電力会社に飾ってそうなオブジェ・・・(;^ω^)

 


#篆刻 #甲骨文字 #電 #白文 #新疆彩凍石 #百顆印 #形聲文字 #印章


 

甲骨文字百顆印 第七十五顆 / 白文・7mm角・新疆彩凍石


01 「登」という文字について

     
意 味 のぼる
成り立ち 會意文字。両足と高坏(たかつき)の組み合わせ。甲骨文字では神に供物を捧げるために高台に上がる神聖な儀式を表していた。
部 首 癶(はつ)
現代漢字の畫數 12畫

神への供物を持って高台に上がる、という起源を持つ字だ。このシリーズでは「禮」「喜」「鼓」など、神事を起源とする字がたびたび登場してきたが、「登」もその系譜にある。山に登るという行爲が、古代においては神への奉仕と不可分だったということが、字の成り立ちからも見えてくる。


02 登攀と登山の境界線

「登」といえば登山だが、岩や鎖を使って直接壁面を攀じ登る場合は登攀という言葉の方がしっくりくる。

石鎚山の鎖、劔岳の山頂直下、安神山の鎖、西穂獨標から西穂山頂にかけての岩稜。これらは登攀に近い感覺がある。岩に手をかけて、足場を確認して、重力に逆らいながら少しずつ上へ向かう。そこには純粋に上を目指すという動作の原型がある。

それ以外の山歩きは登山と呼んでいる。どちらも「のぼる」という行爲だが、体の使い方と意識の向け方がかなり違う。


03 山は御神體だった

日本の山岳信仰の根幹には、山そのものが御神體であるという思想がある。

山は水を生み出す場所だ。雨や雪が山に降り積もり、地中を通って清らかな水になって麓に流れ出す。「麓」の回でその話を書いたが、水がなければ農業も生活もない。水を生み出す山は、それ自体が命の源だ。だから崇められた。

今の時代、そういうことを学校で教わる機會はほとんどない。でも実際に山に入って、沢の水を飲んで、森の空氣を吸って、土を踏んで歩くと、頭の理解を超えたところで何かを感じる。言葉にしにくいが、確かにある。山が神聖だという感覚は、体験の中にしか伝えられないものだと思っている。


04 山伏という存在

戰前まで、山伏が日本各地に普通にいたという話がある。

修験道の実踐者で、山を歩き回ることで身体と精神を鍛え、自然との繋がりを深めていた人々だ。山の中で様々な行を行いながら、自然の樣子を観察し、動物や植物の変化を見守っていた。今でいう山のレンジャーや生態系の守り手に近い役割も果たしていたのかもしれない。

そういう存在が日本各地にいたということは、山と人の繋がりが今よりずっと近かった時代があったということだ。


05 なぜ禁じられたのか

その山伏の文化が、戰後に大きく失われていった。

明治時代の神仏分離令の影響もあって、修験道は一時的に禁止された。その後も、山岳信仰に基づく文化は少しずつ縮小されていった。「新」の回で歷史の書き換えの話を書いたし、「射」の回でアイヌの文化が失われていく話を書いた。山伏の文化もその延長線上にある。

なぜ禁じたかったのかを考えると、山を自在に歩き、自然と繋がり、独自の精神性を持つ人々の存在は、管理する側にとって都合が悪かったのではないかという氣がしてくる。「象」の回でゾウの鎖の話を書いたが、精神的な自立を持った人々を縛ることは難しい。だからこそ、その根っこにある文化から断ち切ろうとしたのかもしれない。


06 八百万の神とカムイ

日本の八百万の神という思想と、アイヌのカムイという概念は、根っこが近いと思っている。

「射」の回でアイヌの全てのものに神が宿るという話を書いたが、日本の八百万の神も同じ方向を向いている。山にも、川にも、風にも、石にも、それぞれに神性がある。そういう世界観を持っていた人々は、自然を壊すことへの自然な抑止力を持っていた。

その抑止力の根拠が、自分も神と繋がっているという氣づきにあったのだと思う。山を登ることが神への参拝だったとすれば、登ること自体が自分と神を繋ぐ行爲だった。「登」という字が神事から生まれたのは、そういう世界観の中での必然だったのかもしれない。


07 制作について

今囘も白文。字體は甲骨文字風で仕上げた。擊邊は入れた。彫る前に研いだ。

制作メモ

  • 印 式:白文
  • 字 體:甲骨文字風
  • 印 材:新疆彩凍石(7mm角)
  • 印 刀:刀匠印刀 三號(彫前に研磨)
  • 擊 邊:あり
  •  

     

両足と高坏という二要素を7mm角に收めた。高台に上がる動作の方向感が伝わるよう、全體的に上へ向かう構成を意識しながら彫った。神に供物を捧げるための登りというイメージを持ちながら仕上げた。


08 甲骨文字百顆印 これから

七十五顆目で「登」が加わった。全體の四分の三だ。

登攀と登山の境界線、山岳信仰の核心、山伏という存在、なぜ禁じられたのか、八百万の神とカムイ。今囘は一字からずいぶん深いところまで話が届いた。残り二十五顆も、山を登るように一歩一歩向き合っていく。

 

 

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なんか、だまし絵みたいで面白い!いい!

壮大やわ、、、すごいわこれw
なんか、生成の精度がめっちゃ上がってる気がする(´艸`*)
漢字が得意な子に当たった感じ。

 


#篆刻 #甲骨文字 #登 #白文 #新疆彩凍石 #百顆印 #會意文字 #印章


 

甲骨文字百顆印 第七十四顆 / 白文・7mm角・新疆彩凍石


01 「執」という文字について

     
意 味 とらえる・つかさどる
成り立ち 會意文字。跪いた人に手枷をはめた形。「幸(手枷)」と「丸(跪いた人)」の組み合わせ。しっかり握る、拘束するという意味から、執着・執念・固執という言葉に繋がった。
部 首
現代漢字の畫數 11畫

部首が「幸」だということに氣づいた時、思わず笑ってしまった。「幸」の回で手枷が幸せになった話を書いた。今囘の「執」は同じ手枷が部首になっているのに、意味はまったく逆の方向を向いている。手枷という同じ起源から、幸せと拘束という正反対の概念が生まれた。同じ部品でも、何と組み合わさるかで全く別の字になる。


02 成り立ちを見ると奴隷の姿だ

甲骨文字の「執」は、跪いた人に手枷をはめている情景をそのまま描いている。

右側の丸のような部分が膝をついて両手を揃えた人、左側が手首を拘束する手枷だ。見ていると、捕虜あるいは奴隷の姿そのものだ。漢字の成り立ちを知ってから字を見ると、印象ががらりと変わることがある。今まで何となく使っていた「執」という字が、こういう情景から来ていたということは、知らなかった方が良かったかもしれないとさえ思う。

執務室の「執」がそれだとすると、つかさどるという意味の背後に、支配と服従の構造があったということになる。


03 執事という言葉について

執事という言葉もある。

今でいえば、屋敷の管理を取り仕切る役職というイメージが強い。英国の執事文化が日本に伝わって、ちょっとした憧れのイメージがついている職業だ。でも成り立ちを辿ると、奴隷上がりの役職という可能性が出てくる。拘束されていた立場から、やがて家の仕事をつかさどる立場へという変遷だろうか。

「尊」の回で25年前の今だけ自分だけお金だけという話を書いたが、歴史の中では立場が逆転することも多い。執事という言葉も、起源の重さを脱ぎ捨てて別の意味に育ってきた字の一つだと思う。


04 3S欲求が一字に詰まっている

「得」の回で所有・承認・支配という三つの欲求を3S欲求と名付けた。

「執」という一字を見ていると、これが全部詰まっているという氣がしてならない。相手を拘束する、つまり支配。自分のものとして手放さない、つまり所有。そしてその行爲によって力を認めさせる、つまり承認。一字でこれだけの概念を表現できるのは、ある意味で凄い。

ただ、凄いと感心しながらも、この三つはできれば持たない方がいいというのが今の自分の立場だ。「盟」の回で爭いより棲み分けという話を書いたが、承認・支配・所有からそっと離れることが、穩やかに生きることと直結している氣がしている。


05 執着・執念・確執・固執

執のつく言葉を並べると、確かに負のイメージが多い。

執着。何かに強く囚われて、手放せない状態だ。物だけでなく、人間關係や過去の出來事にも執着は生まれる。持っているつもりで、実は縛られている。執念。目標に向かって諦めないという意味では肯定的に使われることもあるが、度が過ぎると周囲を巻き込む重さになる。確執。意見の食い違いが固まって、解消されないまま続く状態だ。ほぐすのが難しい。固執。自分の考えを曲げない頑固さで、これも方向によって強みにも弱みにもなる。

どれも、手枷をはめて離さないという起源から来ているとすれば、言葉の重さに納得感がある。


06 執を手放す、ということ

執という字を彫りながら、手放すことについて考えた。

執着を手放す、という表現がある。手枷を外す、というイメージに重なる。執の起源が手枷による拘束なら、それを外した状態が執着からの解放ということになる。

「幸」の回で手枷から解放されたことが幸せの語源だという話を書いたが、今囘もその話と繋がってくる。執を持つことと、幸せになることは、同じ手枷を介して逆の方向にある。執を手放した先に幸せがある、という構造が、字の起源の中に既に込められていたのかもしれない。


07 制作について

今囘も白文。字體は甲骨文字風で仕上げた。擊邊は入れた。彫る前に研いだ。

制作メモ

  • 印 式:白文
  • 字 體:甲骨文字風
  • 印 材:新疆彩凍石(7mm角)
  • 印 刀:刀匠印刀 三號(彫前に研磨)
  • 擊 邊:あり
  •  

     

跪いた人と手枷という二要素を7mm角に收めた。部首である「幸」の形と、丸という部分のバランスをどう取るかが今囘の工夫どころだった。捕らえられている情景が伝わるよう、配置を意識しながら彫った。


08 甲骨文字百顆印 これから

七十四顆目で「執」が加わった。

手枷が幸せになった「幸」と、手枷が拘束になった「執」。同じ部品から正反対の字が生まれるというのが、このシリーズで繰り返し見えてくるテーマだ。物事の意味は固定されていない。何と組み合わさるかで、全く別のものになる。

 

 

 

 

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現代アート的な感じですね・・・(;^ω^)

あぁ、、、くらい、、、おもい、、、(;^ω^)

 


#篆刻 #甲骨文字 #執 #白文 #新疆彩凍石 #百顆印 #會意文字 #印章


 

甲骨文字百顆印 第七十三顆 / 白文・7mm角・新疆彩凍石


01 「虎」という文字について

     
意 味 とら
成り立ち 象形文字。虎の姿を横から描いた形。甲骨文字では大きな頭・鋭い爪・力強い尾など全身がリアルに描かれていた。
部 首 虍(とらがしら)
現代漢字の畫數 8畫

「虎」には獸偏(犭)が使われていない。犬や猫など他の動物と同じ分類に入れてもらえなかったということだ。百獸の王として別格扱いだったからとされているが、「正」の回で勝者の論理が字の意味を作るという話を書いたことを思い出した。虎が特別扱いされたのも、古代における虎の圧倒的な存在感が字の構造に刻まれているということなのだろう。


02 日本に野生の虎はいない

ここで一つ氣になることがある。

日本には野生の虎が生息していない。にもかかわらず、「虎」という字が存在して、虎という概念が日本に定着している。ということは、日本に漢字が伝わってきた時点で、虎は日本人にとって想像上の生き物だったはずだ。

実物を見たことがない動物を、字として受け入れて使い続けるというのは、なかなか不思議なことだと思う。今でいえば、誰も実物を見たことがない伝説の生き物の名前を、普通に日常語として使っているようなものだ。「象」の回でゾウは身近な存在ではないという話を書いたが、虎はそれ以上に遠い存在だったはずだ。


03 タイガーバームといえば

虎という字を見た瞬間に、タイガーバームが浮かんだ。

あの獨特の匂い、ちょっと怪しげな雰囲氣を漂わせる小さな瓶、開けた瞬間に広がるツンとした香り。塗った時のスースー感。子どもの頃に身近にあった記憶があるが、今どうなっているのか氣になって調べてみた。

まだ売っていた。


04 タイガーバームを調べた結果

調べてわかったことをいくつか。

販賣元が変わった時期があって、一時的に入手困難になっていたらしい。それは知らなかった。そして今は赤と白の二種類があるとのことだ。僕は白しか知らなかった。赤は溫感、白は冷感という違いがあるようだ。

シンガポールで作られているということも今回初めて知った。タイガーという名前から、何となくインドやタイあたりのイメージを持っていたが、シンガポールだったとは。

そして成分だ。

  • d-カンフル 24.9g
  • ハッカ油 15.9g
  • ユーカリ油 12.9g
  • l-メントール 8.0g
  • ちょうじ油 1.5g

並べてみると、ほぼスースー系の成分で構成されている。カンフル、ハッカ、ユーカリ、メントール。全部冷感・清涼系だ。ちょうじ油だけが少し毛色が違うが、全體としてはスースー成分多めという評価で間違いないと思う。


05 シナモンはどこへ行ったのか

調べる前は、シナモンが入っているかもしれないと思っていた。

あの甘いような、スパイシーなような香りの記憶に、どこかシナモンっぽさがあった氣がしていたからだ。でも成分表を見る限り、シナモンという表記はない。ちょうじ油がクローブのことなので、スパイス系ならそちらが該当するかもしれない。

ということは、僕が記憶していた香りは白ではなく赤の方だったのかもしれない。あるいは、当時の処方が今と違った可能性もある。記憶と現物が一致しないというのは「復」の回でも書いたが、案外よくあることだ。


06 タイガーバームの「タイガー」

今囘「虎」を彫りながら、タイガーバームという名前について少し考えた。

なぜ虎なのかというと、タイガーバームを開発したのが胡文虎(ホー・マン・フック)という人物で、名前に虎が入っているからだという話がある。「虎」という字が名前に使われていたということは、当時の文化圏では虎が強さや生命力の象徴として尊ばれていたということだろう。

百獸の王として獸偏を与えられなかった虎が、今度は薬の名前として世界中に広まっている。字形の独立と、名前としての普及。虎という存在の扱われ方が、時代によって変わってきているのが面白い。


07 制作について

今囘も白文。字體は甲骨文字風で仕上げた。擊邊は入れた。彫る前に研いだ。

制作メモ

  • 印 式:白文
  • 字 體:甲骨文字風
  • 印 材:新疆彩凍石(7mm角)
  • 印 刀:刀匠印刀 三號(彫前に研磨)
  • 擊 邊:あり
  •  

     

甲骨文字はトラの全身をリアルに描いた形だとされる。それを7mm角に收めるには、全身のどの部分を残してどの部分を省略するかという判斷が必要だった。虎らしさが伝わる最低限の線を探しながら彫った。


08 甲骨文字百顆印 これから

七十三顆目で「虎」が加わった。

獸偏がない理由、日本の虎は想像上の生き物、タイガーバームの成分調査、シナモンはなかった、タイガーという名前の由来。今囘も一字から思いがけない方向に話が広がった。次の一顆も楽しみにしながら向き合っていく。

 

 

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まぁ!かわいい!(´艸`*)

 


#篆刻 #甲骨文字 #虎 #白文 #新疆彩凍石 #百顆印 #象形文字 #印章


 

甲骨文字百顆印 第七十二顆 / 白文・7mm角・新疆彩凍石


01 「喜」という文字について

     
意 味 よろこぶ
成り立ち 会意文字。太鼓の象形(壴)と神への祈りの言葉を入れる器(口)の組み合わせ。神に太鼓を鳴らし祝詞を捧げる祭りの樣子から「よろこぶ」を意味するようになったとされる。
部 首
現代漢字の畫數 12畫

「鼓」の回でも太鼓の象形が登場したが、あちらは鼓を打ち鳴らす動作そのものが字になっていた。今囘の「喜」では、太鼓を鳴らすことが神への祈りと結びついて、喜びという感情につながっている。音を出すことと喜びが繋がっていたというのは、「樂」の回で音樂と楽しさが同じ字から生まれたという話と通じる部分がある。


02 成り立ちの「ストーリー」について

成り立ちの説明に「ストーリー」という言葉があった。

神様に太鼓を鳴らして祝詞を捧げ、人々も心が満たされて盛り上がる樣子が「喜」の起源だ、という話だ。なるほど、とは思う。でも同時に、これは誰が確認したのか、いつの話なのか、そもそも確かめる方法があるのかという疑問が湧いてくる。

「鑄」の回で一次情報まで遡ることの大切さを書いたが、漢字の成り立ちについても同じ問いが繰り返し出てくる。定説として広まっている説明が、実際にどこまで検証されているのかは、調べてみると意外と曖昧なことが多い。そういう目で見ることも、このシリーズを続けてきて身についたことの一つだ。


03 喜壽はスリーセブン

喜壽は七十七歳の長壽を祝う節目だ。

なぜ喜なのかというと、「喜」を草書で書くと「㐂」という形になるからだ。七が三つ縦に重なって、七十七を表す。スリーセブンだ。カジノのスロットマシンみたいだが、これが長壽のお祝いの名前になっている。縁起が良いということだろう。

「萬」の回でサソリが一万になったという仮借の話を書いたが、今囘は草書の字形から数字を読み取るという、また別のアプローチだ。漢字の世界では、こういう遊びのような発想が各所に潜んでいる。


04 母が西穂獨標の少し先まで登った

母がもうすぐ喜壽だ。

去年の夏、西穂獨標の少し先まで登ったという話を聞いた。西穂獨標は標高2701メートル、北アルプスの岩稜帶に位置する場所で、ここまでたどり着くだけでもかなりの体力と氣力が必要だ。その少し先というのだから、相当なものだ。

何歳であろうと、やってみたいという氣持ちがあれば実現できるということを、母は行動で示してくれている。言葉で伝えられるより、実際に山に登っている姿を見せてもらう方が、よほど説得力がある。指標と言えば大げさかもしれないが、そういうことなのだと思っている。


05 健康麻雀にハマっている

最近、母が健康麻雀にハマっているらしい。

健康麻雀というのは、吸わない、飲まない、賭けないというルールでやる麻雀だ。普通の麻雀と遊び方は同じだが、煙草もアルコールも賭け事もない、という設定になっている。主に高齢者の認知症予防や社交の場として普及しているようだ。

喜壽前にして新しいゲームを覚えようと思い立って、実際に楽しんでいるというのが、素直に凄いと思う。覚えようとすること自體がすでに頭を使う作業だし、対局中の思考量も相当なものだ。


06 全自動雀卓がある

いつか三世代麻雀をやってみたいと思っている。

ちなみに、なぜか自宅に全自動雀卓がある。自動で牌を積み上げてくれるタイプだ。なぜあるのかについては、長い話になるので省略する。とにかくある。

三世代が同じ卓を囲んで麻雀を打つ。勝ち負けより、その時間そのものが楽しそうだ。「席」の回で全席自由でいいんじゃないかという話を書いたが、雀卓は四人分の席がきっちり決まっている。でも、誰と座るかを選ぶ自由はある。


07 山で足腰、麻雀で頭

山登りで足腰を鍛えて、麻雀で頭を鍛える。

この組み合わせはなかなか理にかなっていると思う。体を動かすことと頭を使うことの両方を続けていれば、それぞれが補い合って、全體的に元氣でいられる可能性が高い。

「齒」の回でよく噛むことから始まる体の循環の話を書いたが、体と頭を動かし続けることも同じような循環の一部だと思う。どちらかだけに偏らず、両方を使い続ける。それが喜ばしい状態を長く保つ秘訣なのかもしれない。


08 制作について

今囘も白文。字體は甲骨文字風で仕上げた。擊邊は入れた。彫る前に研いだ。

制作メモ

  • 印 式:白文
  • 字 體:甲骨文字風
  • 印 材:新疆彩凍石(7mm角)
  • 印 刀:刀匠印刀 三號(彫前に研磨)
  • 擊 邊:あり
  •  

     

太鼓の象形と口という二要素を7mm角に收めた。「鼓」の回の太鼓と形が重なる部分があり、彫りながら両者の違いを意識した。神に捧げる喜びと、鼓を打ち鳴らす動作は、同じ太鼓を使いながら方向が違う。


09 甲骨文字百顆印 これから

七十二顆目で「喜」が加わった。

スリーセブンという名前の秘密、西穂獨標に登る母、健康麻雀、三世代の卓を囲む未来。今囘は身近な家族の話がたくさん出てきた。喜という字を彫りながら、喜ばしいことがたくさんある、と改めて感じた一顆だった。

 

 

 

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よろこんで、、、います?、、、(;^ω^)

 


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