音型(おんけい)が彫る

音型(おんけい)が彫る

私の名は、
雨垂れ石を穿つ音型

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甲骨文字百顆印 第四十一顆 / 白文・7mm角・新疆彩凍石


01 「禮」という文字について

     
意 味 れい・礼儀
成り立ち 会意文字。「示(神への祭壇)」と「豊(甘酒を盛る高坏)」の組み合わせ。神に甘酒を捧げて幸福を祈る儀式が起源で、そこから社会的な敬意・作法・礼儀へと発展した。
部 首
現代漢字の画数 5畫
旧字体の画数 18畫

旧字「禮」から現代の「礼」への変化は、18畫から5畫という大胆な略し方だ。甲骨文字の面影はほぼ残っていない。「傳」の回でも現代字への簡略化の話が出たが、「禮」はその中でも特に激しい部類だと思う。まぁ、いいんでしょうね。


02 神に甘酒を捧げるという起源

「禮」の成り立ちを知ると、礼儀という概念の出発点が神事にあったことがわかる。

祭壇の前に高坏を置き、甘酒を盛って神に捧げる。幸福を祈り、感謝を示す。その儀式の中にあった所作が、やがて人と人との間の礼儀へと転じていった。「尊」の回で両手で酒樽を捧げる話を書いたが、神への供え物という点では共通する起源を持っている。

神に向けていた敬意が、人に向けられるようになった。そう考えると、礼というのは元々かなり真剣な行為だったのだと思う。


03 形より、意識を向けること

礼は大事だと思っている。

ただ、礼の本質は形式にあるのではなく、相手に意識を向けることにあると思っている。深くお辞儀をすれば礼儀正しいかというと、そういう話でもない。形が整っていても、心がどこかに向いていなければ、それは礼ではなくただの動作だ。

こうしなければいけない、というルールが礼儀として語られることが多いが、そこに縛られすぎるとかえって本質から遠ざかる気がする。相手のことを思って、何かをする。そのシンプルな感覚が一番大切なのではないかと、今は思っている。


04 御礼は循環させるもの

御礼について、ずっと大事にしていることがある。

恩を受けた相手に直接お返しする、というのが一般的な御礼の形だ。でもそれだと、二人の間で一往復して終わる。そこで止まってしまうのが、どうも勿体ない気がしてならない。

恩を受けた分を、別の誰かに渡していく。その人がまた別の誰かに渡す。そうやってぐるぐると多くの人の間を循環していけば、最初の一つの親切が何倍にも広がっていく。一往復で完結させるより、ずっと豊かな流れが生まれる。

「傳」の回で絲をぐるぐる囘すように人から人へ伝わっていくという話を書いたが、御礼の循環もそれと同じ構造だと思う。


05 ペイフォワードという発想

ペイフォワード、という言葉がある。

受けた恩を返すのではなく、前へ払う。自分が受けた親切を、別の誰かへ送り出す。コーヒーショップで見知らぬ後ろの人の分を払うと、その人もまた次の人の分を払う、という連鎖が起きることがある。

あれは単なるいい話ではなくて、循環の仕組みをうまく可視化したものだと思う。最初に払った人は、いつかまたその列に並んだ時、誰かに払ってもらうことになる。直接的な往復ではなく、大きな環の中で必ず自分のところへ戻ってくる。

「盟」の回で棲み分けの話を書いたし、「採」の回で必要以上に取ることの弊害を書いた。循環というのはそういったことの逆で、出したものが回り回って返ってくるという自然な流れだ。出すことを恐れると、循環が止まる。


06 制作について

今囘も白文。字體は甲骨文字風で仕上げた。擊邊は入れた。

制作メモ

  • 印 式:白文
  • 字 體:甲骨文字風
  • 印 材:新疆彩凍石(7mm角)
  • 印 刀:刀匠印刀 三號
  • 擊 邊:あり
  •  

     

旧字「禮」は18畫だが、甲骨文字風にすると祭壇と甘酒という核心の二要素に絞られてくる。神に供え物を捧げる情景が7mm角の中に収まっている、と思いながら彫った。


07 甲骨文字百顆印 これから

四十一顆目で「禮」が加わった。

神事から始まった礼が、人と人との礼儀になり、循環という概念まで広がった。甲骨文字を掘り下げていくと、古代の人々が何を大切にしていたかが見えてくる。神への感謝と祈りから生まれた文字が、今も毎日使われている。そういうつながりを感じながら、次の一顆へ向かっていく。

 

 

生成AIさんに作っていただいた画像はこちら、

いいですね(´艸`*)

どぶろく?

 

 


#篆刻 #甲骨文字 #禮 #白文 #新疆彩凍石 #百顆印 #会意文字 #印章


 

甲骨文字百顆印 第四十顆 / 白文・7mm角・新疆彩凍石


01 「演」という文字について

     
意 味 えんじる・ひろがる
成り立ち 形聲文字。『氵(水)』と音符『寅』の組み合わせ。水がよどみなく長く流れる樣子から「引き伸ばす」「廣げる」を意味し、轉じて演說・演技・演奏といった意味に発展した。「寅」は兩手で矢を引っ張って眞っ直ぐにする形が起源とされる。
部 首 氵(さんずい)
現代漢字の畫數 14畫
甲骨文字の畫數 10畫ほど

十二支の「寅」と同じ字が、矢を兩手で引っ張るモチーフを持っていたというのは知らなかった。寅年の寅、というイメージしかなかったので、これはちょっとした驚きだ。普段何氣なく使っている字の中に、こういう意外な起源が潜んでいる。


02 水が流れ、廣がっていく

「演」の成り立ちの核心は、水が引き伸ばされていく動きだ。

水は低いところへ向かって流れ、障害があれば迂囘し、それでも進み続けてやがて廣がっていく。その動きが「引き伸ばす」「廣める」という意味になって、演說や演技という言葉につながっていった。

水が廣がる樣子と、舞臺で演じることがつながっているというのは、最初は少し意外に感じた。でも、演じるというのは自分の何かを廣げていく行爲でもある。内側にあるものを外へ引き伸ばして、観ている人の中へ流れ込ませていく。そう考えると、水の動きとの對應がとても自然に感じられてくる。


03 気づかないうちに演じている

演じることも、楽しめればいいのかもしれないと思っている。

ただ、自分がいくつの役を演じているかを改めて數えると、なかなかの量だ。母の子としての自分、妹の兄としての自分、子の父としての自分、犬の飼い主としての自分、社會の一員としての自分。どれも確かに自分なのだが、場面が変わるたびに少しずつ振る舞いが変わる。

これは意識してやっているわけではない。無意識に切り替わっている。人と話す時、一人でいる時、誰かに見られている時、見られていない時。それぞれで出てくる自分が微妙に違う。これをどこまで「本當の自分」と呼べるのかが、ずっと氣になっている。


04 本當の自分はどこにいるのか

本來の自分はどうあるべきなのか。本當にしたいことは何なのか。

こういう問いに向き合うことが増えたのは、「尊」の回で書いた25年前とは違う自分、という変化と関係している氣がする。あの頃は自分が何を演じているかさえ、意識していなかった。演じているという自覚がないまま、誰かの期待に応えようとしていた。

今は少し違う。役割を演じながらも、その奥に何かが残っている感覚がある。それが本當の自分なのかどうかはわからないけれど、その感覚を大切にしていきたいとは思っている。「翌」の回で、自分の現實は自分が想像することで現れるという話を書いた。演じる自分が想像する現實は、演じていない自分が想像する現實と、きっと違う。


05 政治家という演者の話

政治家は演者だ、というのがなんとなくわかってきた。

自分の意思で動いているように見えて、実際は上からの指圖で動いている。人質を取られているという話もある。自分の本音を誤魔化しながら、台本通りに話し、台本通りに振る舞う。

そう思って見ていると、怒りより先に不憫さを感じる。本當はどんな人閒なのか、何を考えているのか、何がしたいのか。それを表に出せないまま、與えられた役を演じ続けている。「新」の回で眠らされている状態という話を書いたが、政治家もまた別の形で眠らされているのかもしれない。

演じることを選んだのか、選ばされたのか。そこが一番の核心だと思う。


06 演じることを楽しめるかどうか

役割を演じることは、必ずしも悪いことではない。

母の子として、父として、社會の一員として。それぞれの場で求められることに応えながら生きることが、人間の社會の基本的な仕組みだ。問題は、演じることに疲れた時に、戻れる場所があるかどうかだと思う。

演じていない自分、役割を脱いだ時の自分。その状態を知っているかどうかが、大きな違いを生む。一人でいる時間、山を歩く時間、甲骨文字を彫る時間。そういう時間の中に、少し本來の感覚が戾ってくる瞬間がある氣がしている。


07 制作について

今囘も白文。字體は甲骨文字風で仕上げた。擊邊は入れた。

制作メモ

  • 印 式:白文
  • 字 體:甲骨文字風
  • 印 材:新疆彩凍石(7mm角)
  • 印 刀:刀匠印刀 三號
  • 擊 邊:あり
  •  

     

 

さんずいと寅の組み合わせを10畫ほどで7mm角に収めた。水が廣がる動きを意識しながら、さんずいの部分に少し流れの感覚を出せるよう彫った。寅の部分が矢を引っ張る形だと知ってから見ると、字形の見え方が変わった。知識が眼を変える、というのはこういうことだと思う。


08 甲骨文字百顆印 これから

四十顆目で「演」が加わった。全體の五分の二だ。

本當の自分という問いは、この百顆印を通じてずっと続いている問いでもある。一字一字と向き合いながら、自分の中にある何かを少しずつ引き伸ばしている感覚がある。水が廣がるように、ゆっくりと。

 

 

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現代風ですよね。

伝統芸能の能ですかね。。。

これが一番しっくりくる気がしますね・・・

 


#篆刻 #甲骨文字 #演 #白文 #新疆彩凍石 #百顆印 #形聲文字 #印章


 

甲骨文字百顆印 第三十九顆 / 白文・7mm角・新疆彩凍石


01 「齒」という文字について

     
意 味
成り立ち 象形文字。開いた口の中に齒が竝んだ樣子を描いたもの。上部の「止」は音(シ)を表し、形聲文字としての要素も持つ。年齡によって齒が拔け變わることから「よわい(年齡)」という意味も持つ。
部 首
現代漢字の畫數 12畫

現代字の「齒」の中に「米」という形が見えるが、お米とは無關係だ。古い字形が變化した名殘で、全く別のものに見えている。甲骨文字の段階では口の中に齒が竝んでいる、という情景がそのまま描かれていて、こちらの方が直感的にわかりやすい。


02 齒は咀嚼の入り口だ

齒は大事だ。これは体感としてよくわかる。

咀嚼という機能の入り口に齒がある。食べ物を細かく砕いて、次の消化プロセスへ送り出す。その役割は地味に見えて、実はかなり重要だ。よく噛まずに飲み込むと、後の工程に余分な負担がかかる。丁寧に噛むことが、体全體の仕事量を減らしていく。

「養」の回で食べることの話を書いたが、何を食べるかと同じくらい、どう食べるかも大切だと思っている。


03 唾液の中に遺傳子情報がある

よく噛むと、唾液がたくさん出る。

唾液というのは単なる水分ではない。その中には自分の遺傳子情報が含まれているとされている。食べたものと一緖に、その情報が体内へ送り込まれていく。口から始まって、食道、胃、十二指腸、小腸へと届いていく長い旅だ。

噛む、という動作がその旅の出発点を整えている。丁寧に噛むことで唾液がよく混ざり、遺傳子情報が食べ物に行き渡る。その状態で体内に入っていくことの意味を考えると、よく噛むという習慣は思った以上に奥深い。


04 腸の中の數十兆の會話

小腸に届いた食べ物を待ち受けているのが、腸内細菌だ。

その數は数十兆とも言われる。それぞれが異なる役割を持ち、得意とする消化や吸收を担いながら、互いに情報をやり取りしている。腸内細菌のゲノム情報の総量は、人間のそれの150倍にもなるとされている。

150倍、というのがまず頭に入ってこない数字だ。自分の体の中に、自分よりはるかに多くの情報を持った生き物たちが住んでいて、今この瞬間も働いている。食べ物が届くたびに、彼らの間で何らかの會話が始まる。その精巧さは、考えれば考えるほど不思議だ。


05 人間はつくづく生かされている

ソマチッドという話がある。血液や体液の中に存在するとされる微小な粒子で、生命活動の根幹に関わっているという説だ。詳細については諸説あって、まだ解明されていない部分も多いが、体の中に自分では制御できない何かが働いているという感覚は、腸内細菌の話と重なる。

腸内細菌、唾液の遺傳子情報、ソマチッド。体の中で起きていることを一つずつ辿っていくと、自分一人でこの体を維持しているわけでは到底ないということがわかってくる。

神の見えざる手、という言葉がある。市場の均衡を説明するために使われる経済学の用語だが、体の仕組みにこそ当てはまる言葉だと思う。誰かが設計したのか、長い進化の末に出來上がったのか。どちらにしても、これほど精巧なものがただの偶然でできているとは考えにくい。


06 「よわい」という読み方の話

「齒」には「よわい(齡)」という読み方がある。

年齢によって齒が生え変わることから、齒の状態が年齢を示すものとして使われるようになったらしい。年齢のことを歯の状態で把握していた、ということだ。馬の年齢を歯で判斷するという話もあるが、人間も同じように見られていたのかもしれない。

歯が命の長さと結びついている、という発想は、咀嚼という機能の重要性を改めて示している氣がする。よく噛めなくなることが、生命力の低下と繋がっているという。齒を大切にする理由が、また一つ増えた。


07 制作について

今囘も白文。字體は甲骨文字風で仕上げた。擊邊は入れた。

制作メモ

  • 印 式:白文
  • 字 體:甲骨文字風
  • 印 材:新疆彩凍石(7mm角)
  • 印 刀:刀匠印刀 三號
  • 擊 邊:あり
  •  

     

口の中に齒が竝ぶ象形を7mm角に収めた。竝んだ齒の形をどう表現するかが今囘の核心で、等間隔に線を並べるというシンプルな作業ながら、小さな印面では均一に彫るのが意外と難しい。甲骨文字らしい大らかさで仕上げた。


08 甲骨文字百顆印 これから

三十九顆目で「齒」が加わった。次で四十顆、全體の五分の二だ。

齒という一字から、唾液、腸内細菌、ゲノム情報、生かされているという感覚まで広がった。体の中の話は、掘り下げるほどに見えない世界への驚きが増していく。次の一顆も、どんな扉を開けてくれるか楽しみだ。

 

 

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歯医者さんは漢字の成り立ちの説明するんかね・・・(;^ω^)

 


#篆刻 #甲骨文字 #齒 #白文 #新疆彩凍石 #百顆印 #象形文字 #印章


 

甲骨文字百顆印 第三十八顆 / 白文・7mm角・新疆彩凍石


01 「養」という文字について

     
意 味 やしなう
成り立ち 會意文字。『食』と『羊』の組み合わせ。羊の肉を食べさせる、あるいは羊を大切に育てる樣子から「やしなう」「そだてる」を意味するようになった。羊の首の象形と食器に食べ物を盛った象形の組み合わせという說もある。
部 首
現代漢字の畫數 15畫

成り立ちの解釋はいくつか見つかったが、どれもほぼ同じ方向を向いていた。羊を食べさせることから育てることへ、具體的な行爲が抽象的な概念へと育っていった字だ。「飮」の回で水を飮む話を書いたし、「埜」の回では野菜と食の話をした。食にまつわる字がこのシリーズにも度々登場する。


02 ビーガン生活、もうすぐ二十年

僕はビーガン生活をしている。

肉を口にしなくなって、そろそろ二十年近くになる。最初は少しずつ減らしていった感じだったが、今では魚・肉・卵・乳製品・小麥・油・砂糖・食品添加物を抜いた生活だ。外から見るとかなり制限が多く聞こえるかもしれないが、自分の中ではごく自然な日常になっている。

基本的に外食はしない。でも十割蕎麥は外食でも食べられるので、蕎麥屋だけは例外だ。蕎麥屋に行く頻度は、飲食店の中では一番多いかもしれない。

「埜」の回で在來種・固有種の野菜の話を書いたが、食べるものを選ぶことへの意識は、あの頃からずっと続いている。體は食べたもので出來ているという感覚が、今も判斷の基準になっている。


03 羊の肉が養うの起源、という話

「養」の字を彫りながら、羊が起源だったのか、と少し意外な氣がした。

羊は古代において貴重なタンパク源だったのだろう。羊を飼い、育て、その肉を食べさせることが「養う」という行爲だった。今の時代に置き換えれば、スーパーで肉を買って料理して食卓に出す、という流れに近い。

僕自身は羊肉を食べないので、「養」の成り立ちとはずいぶん縁遠い生活をしていることになる。でも、字の起源を知ることで、当時の人々が何を大切にしていたかが見えてくる。食べさせることが愛情であり、育てることだった。


04 ジンギスカンという料理名の話

羊肉といえば、ジンギスカンだ。

人の名前が料理名になっている、というのがずっと不思議だった。モンゴルの英雄の名を冠した北海道の郷土料理。なぜその名前になったのか、諸説あってはっきりしないらしい。羊の燒肉でいいとは思うのだが、もうここまで浸透してしまうと変えようがない。「庸」の回で普通というのは刷り込まれるという話を書いたが、料理名も似たようなものかもしれない。

ちなみに「盟」の回で、爭いがなければ同盟も要らないという話を書いた。ジンギスカンは征服と戰争の象徴でもある人物の名前だ。その名を冠した料理が平和な食卓に並んでいるというのも、なかなか皮肉な話だと思う。


05 養うというのは、どこまでのことを指すのか

養う、という言葉の範圍はどこまでなのだろう、とずっと考えていた。

子が親を養う、親が子を養う、國が民を養う。そういう使い方があるが、本來、人が人を養うことは必要なのだろうかという疑問がある。

植物は養われなくても育つ。「埜」の回で書いたように、環境さえ整えば自分で発芽して花を咲かせ種を残す。動物も、自然の中では自分で食べ物を見つけて生きている。人間だけが、互いに養い合う仕組みをこれほど複雜に作り上げた。

それが文明であり社會なのだろうが、養うことへの依存が深まりすぎると、「採」の回で書いた消費と依存の話と同じ構造になってくる。自分で自分を養える範囲を持っておくことの大切さを、「養」という字を彫りながら改めて考えた。


06 制作について

今囘も白文。字體は甲骨文字風で仕上げた。擊邊は入れた。

制作メモ

  • 印 式:白文
  • 字 體:甲骨文字風
  • 印 材:新疆彩凍石(7mm角)
  • 印 刀:刀匠印刀 三號
  • 擊 邊:あり
  •  

     

15畫という現代字の畫數はこのシリーズでも多い方だが、甲骨文字風にすると羊と食という核心の二要素に絞られてくる。羊らしさと食器らしさをそれぞれ判別できる程度に残しながら、7mm角に収めた。


07 甲骨文字百顆印 これから

三十八顆目で「養」が加わった。

食べないようになって二十年近い僕が、食べさせることを意味する「養」を彫る。なかなか可笑しな組み合わせだが、だからこそ考えさせられることが多かった一顆だった。次の一顆も、どんな話が生まれるか楽しみにしながら彫っていく。

 

 

 

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なんかほのぼのとしてていい!

掛け軸が気になって気になって・・・(;^ω^)

色々と違和感しかねぇ・・・(^-^;

これを見た人はどう思うんだろうか・・・

 


#篆刻 #甲骨文字 #養 #白文 #新疆彩凍石 #百顆印 #會意文字 #印章


 

甲骨文字百顆印 第三十七顆 / 白文・7mm角・新疆彩凍石


01 「春」という文字について

     
意 味 はる
成り立ち 會意文字。太陽(日)・草(艹)・幼兒が髮を束ねた象形(屯)の組み合わせ。草が日を受けて群がり生じる樣子から「はる」を意味するようになった。舊字體は「萅」や「旾」など、上部が草、下部が日や屯の組み合わせだった。
部 首
現代漢字の畫數 9畫

「秋」の回では龜か蟲かという謎があったが、「春」の成り立ちにも面白い要素が混じっている。太陽と草はわかる。でも「幼兒が髮を束ねた象形」というのが、春という季節とどうつながるのか。多くのものを束ねる、群がるという意味があるとされているが、幼兒の束ね髮というビジュアルから春を連想するのは、なかなかの飛躍だ。


02 四種類の甲骨文字から一つを選ぶ

今囘、「春」の甲骨文字を調べると、四種類ほどの字形が確認できた。

どれを彫るか、しばらく悩んだ。太陽と草の組み合わせが主役のものも、それぞれ雰圍氣が違う。最終的に選んだのは、「屯」の部分、つまり幼兒が髮を束ねた象形が一番面白い構圖になっているものだ。

見ていると、どうしても突っ込みたくなる。幼兒なのに、髮が長い。いや、長すぎる。当時の子供の髮型がそういうものだったのか、それとも象形の誇張なのか。詳細は謎のままだが、そのシュールさが気に入った。


03 春は面白い人が増える

春は面白い人が増える、とよく言う。

暖かくなって外に出る人が増えるからなのか、新年度の移動で見慣れない顔が増えるからなのか、理由は色々あると思う。髮の長い幼兒の象形が春を表すとするなら、古代においても春は何か賑やかなものの季節だったのかもしれない。根拠はないが、そういう氣がしてくる。


04 春が好きだ、という話

四季の中で春と秋が特に好きで、甲骨文字百顆印でも「秋」に続いて「春」が登場した。

暖かくて過ごしやすいのが一番だ。寒さで縮こまっていた体がほぐれていく感じがする。花が咲いて、山の緑が濃くなってきて、目に入るものが全體的に明るくなる。

それから、装備が輕くなる。これは山を歩く者にとって、かなり重要なことだ。冬の重い防寒具が要らなくなって、ザックの中身がすっきりする。体への負担が減ると、歩ける距離も変わってくる。「歩」の回で片道4kmを歩くという話を書いたが、春の4kmと冬の4kmは体感がかなり違う。

装備だけでなく、体も氣持ちも軽くなる。これが春の一番の魅力かもしれない。重力が少し弱まったような、そういう感覚がある。


05 草が日を受けて群がり生じる

「春」の成り立ちの説明の中で、草が日を受けて群がり生じる、という表現が一番腑に落ちた。

冬の間、地面はただ茶色くて乾いている。でも氣温が上がり日差しが強くなると、あちこちから一斉に緑が出てくる。昨日まで何もなかった場所に、今日は芽が出ている。その速度がまた驚くほど速い。

「埜」の回で野菜の話を書いたが、発芽の条件が夜間から明け方にかけてというのは、春の夜明けと重なる部分がある。日が少しずつ長くなって、夜明けが早くなって、土の中で何かが動き始める。草が群がり生じるというのは、まさにそういう春の本質を掴んだ表現だと思う。


06 制作について

今囘も白文。字體は甲骨文字風で仕上げた。擊邊は入れた。

制作メモ

  • 印 式:白文
  • 字 體:甲骨文字風
  • 印 材:新疆彩凍石(7mm角)
  • 印 刀:刀匠印刀 三號
  • 擊 邊:あり
  •  

     

四種類の字形から、幼兒の束ね髮の象形が面白い構圖のものを選んだ。7mm角という小さな印面に、太陽と草と幼兒の髮という三つの要素を収める。幼兒らしさが伝わる形を残しながら彫るのが今囘の工夫どころで、髮が長いというポイントは可能な範囲で表現した。


07 甲骨文字百顆印 これから

三十七顆目で「春」が加わった。

「秋」と「春」が揃ったことで、四季のうち二つが印になった。夏と冬がいつ登場するかは決めていないが、このシリーズはまだ六十三顆残っている。どこかで顔を出してくれるだろう。

髮の長い幼兒の象形を彫りながら、春という季節の賑やかさを少し先取りした氣分だった。次の一顆も、楽しみながら向き合っていく。

 

 

 

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一番みたい部分が見えない感じが・・・(;^ω^)


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甲骨文字百顆印 第三十六顆 / 白文・7mm角・新疆彩凍石


01 「夢」という文字について

     
意 味 ゆめ
成り立ち 會意文字。『夕』と『目』などの組み合わせで眠って見る像を表す。寢臺で眠る人の上で目が大きく開く姿という說、巫女が夜に神のお告げを聞く樣子という說、元々「暗い・ぼんやりした視界」を意味していたという說など、解釋は複數ある。
部 首
現代漢字の畫數 13畫

いくつもの解釋があって、どれも捨てがたい。眠りの中で目だけが覚醒している姿、暗闇の中でぼんやりと見える何か、夜に神の聲を聴く巫女。どの情景も「夢」という言葉の持つ多面性に重なっている。成り立ちに複數の說がある字は今までもたくさんあったが、「夢」はその曖昧さ自體が字の意味と合っている氣がして、妙に腑に落ちる。


02 屋久島に行ってきた

屋久島に行ってきた。

言葉で説明するのが難しいのだが、まるで夢の中にいるような感覚がずっと続いていた。

でかい木が、そこかしこにある。樹齢何百年、何千年というものが普通に立っていて、その根元を通り過ぎながら歩く。木の大きさというより、その存在感というか、氣配というか。空氣が違う、とよく言うが、あれは本當のことだと思った。

歩いているのに、時間が止まっているような感覚が何度かあった。足は確かに動いているのに、時間の流れが緩んでいるような。「明」の回で光に包まれると心が輕くなるという話を書いたが、屋久島の森の中にはそれとは別の種類の、もっと古くて深いものがあった。


03 計画の大切さを痛感した山行

今囘は無人の避難小屋に泊まった。

屋久島の山小屋は無人で、先着順だ。事前に調べていたつもりだったが、たまたま年間で最も人が集まる時期と重なってしまい、小屋は大混雜だった。横になれる場所を確保するのにも一苦労で、計画というものの大切さを身をもって思い知った。

「翌」の回で、想像した通りの現實になるという話を書いたが、想像するだけでなく事前に調べて動く、という部分も大事だ。屋久島は何度でも行きたい場所なので、次囘はもう少し丁寧に計画を立てようと思っている。


04 時間が過ぎていない感覚の話

屋久島の森の中で、時間の流れがおかしくなる瞬間が何度かあった。

時計を見ると確かに時間は経っているのだが、体の感覚としては数分しか経っていない氣がする。あるいはその逆で、ずっとそこにいたような感覚がある。「歩」の回で、歩くと左腦がぐるぐるしていた思考が落ち着くという話を書いたが、屋久島の歩きはそれどころではなかった。思考そのものが、どこかに溶けていく感じがした。

夢の中での時間感覚と似ている、と後から思った。夢の中では、一晩で何時間分もの出來事が起きたりする。時間というのは、意識の状態によって伸び縮みする。屋久島の森は、その伸縮を実際に体験させてくれる場所だった。


05 夢という字の、夢らしい多義性

「夢」の成り立ちに戻ると、複數の解釋がどれも外れていない氣がするのが面白い。

眠りの中で目が覚醒している、というのは確かに夢の本質の一つだ。眠っているのに、見ている。意識は別のところで動いている。

ぼんやりした暗い視界、というのも夢らしい。夢の中では輪郭が曖昧で、場面が突然切り替わって、それでも夢の中の自分は疑わない。

巫女が夜に神のお告げを聞く、というのは少し違う方向だが、これも夢と神意の結びつきを示している。古代の人々にとって、夢はただの睡眠中の映像ではなく、別の世界からのメッセージだったのかもしれない。

どの解釋も夢らしくて、どれも捨てがたい。夢がありますね、という感じだ。


06 制作について

今囘も白文。字體は甲骨文字風で仕上げた。擊邊は入れた。

制作メモ

  • 印 式:白文
  • 字 體:甲骨文字風
  • 印 材:新疆彩凍石(7mm角)
  • 印 刀:刀匠印刀 三號
  • 擊 邊:あり
  •  

     

夢という字は要素が多く、甲骨文字でも情報量がある。眠る人と目という核心の部分をどう表現するかを考えながら彫った。複數の解釋があるように、彫った形にも見る人によって違うものが見えるかもしれない。それはそれで夢らしいと思っている。


07 甲骨文字百顆印 これから

三十六顆目で「夢」が加わった。

屋久島という実際の體験が、「夢」という字と直接つながった囘だった。甲骨文字百顆印を続けていると、日常の出來事と字の意味が思いがけず重なる瞬間がある。彫る字が先に決まっているわけではないのに、その時の自分に合った字が選ばれていく。これも一種の夢のような話だ。

 

 

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せめて掛布団は掛けてほしい・・・(;^ω^)

 


#篆刻 #甲骨文字 #夢 #白文 #新疆彩凍石 #百顆印 #會意文字 #印章


 

甲骨文字百顆印 第三十五顆 / 白文・7mm角・新疆彩凍石


01 「尊」という文字について

     
意 味 とうとい
成り立ち 會意文字。香りの良いお酒を兩手で持ち神に捧げる儀式が由來。酒樽の象形と兩手の象形から、兩手で酒樽をささげて「たっとぶ」を意味するようになった。後に「廾(両手)」が「寸」に変形した。
部 首
現代漢字の畫數 12畫
甲骨文字の畫數 8畫ほど

二種類の成り立ちを見つけたが、どちらも「兩手でお酒を捧げる」という核心は同じだった。神聖な儀式の中で生まれた字が、敬うという抽象的な概念へと育っていった。所作が意味になる、という変遷がとても面白い。


02 兩手で持つ、ということ

普段、飮み物を片手でひょいと持っている。

でも「尊」の成り立ちが兩手で酒樽を捧げる姿だと知ると、兩手で持つという所作の重さを改めて感じる。受け取る時、渡す時、兩手を使うだけで、その行爲の質が変わる。丁寧さが生まれる。相手への敬意が形になる。

日本では物の受け渡しを兩手でするという習慣が今も残っているが、それは「尊」の起源と同じ感覚から来ているのかもしれない。儀式の中の所作が、日常の作法として生き続けている。


03 25年前の自分には無理だった

尊敬、尊重、感謝。今は大事だと思っている。でも、25年前には到底そういう発想に辿り着けなかった。

今だけ、自分だけ、お金だけ。言葉にすると少し恥ずかしいが、そういう時期が確かにあった。目の前のことに追われて、相手の立場を想像する餘裕もなかったし、そもそもそうしようという氣持ち自體がなかった。

何がそれを変えたかというと、一つひとつの経験だったと思う。同じような壁に何度もぶつかって、外のせいにしても何も変わらないことを体で知って、少しずつ視點が変わっていった。25年というのはそういう時間だった。


04 昨日、若者と話した

昨日、會社の人間關係で苦惱している若者と話をした。

話を聞いていると、氣持ちが痛いほどわかった。自分も同じところを通ってきたからだ。あの頃の焦りや憤りや、どうすればいいかわからない感覚。それが鮮明に思い出された。

かつての自分なら、相手のせいにして終わっていた。なかったことにするか、自分の意見を押し通すかのどちらかだ。でもそれをやると、しばらくして必ず同じような問題が別の形で戾ってくる。「客」の回で書いたカルマの話と同じで、對應を誤ると似たような狀況が繰り返される。


05 感情は抑えなくていい、とことん感じ切る

感情を抑える必要はないと思っている。

腹が立つなら立てばいい。悲しいなら悲しめばいい。その感情を無理に封じ込めると、形を変えてどこかで噴き出す。とことん感じ切ることで、初めてその先へ進める。

感じ切った先で、少し落ち着いてから考えてみる。自分に何かできることはなかったか。別の動き方があったのではないか。ちゃんと相手の話を聽いたか、「聽」の回で書いたような意味での、耳も目も心も向けた聴き方ができていたか。

感情的になったまま判斷していないか。先入觀で相手を見ていないか。根本的な原因はどこにあるのか。そういうことを、一つずつ丁寧に探ってみる。人ではない誰かに話してみるのも、意外と整理になる。


06 全ては自分への氣づきだ

目の前に起きることは、全て自分への氣づきだと思っている。

これは以前の「客」の回でも書いたことだが、「尊」という字を彫りながら改めてそう感じた。相手の言動に腹が立つのは、自分の中に何かが引っかかっているからだ。その引っかかりをたっとんで、ありがたく受け取る。難しいけれど、そういう姿勢でいると、同じ出來事でも見え方が変わってくる。

若者にそのまま全部話したわけではないけれど、少し一緒に考えた。答えは出なくてもいい。一緒に考える時間が、既に何かを動かしている氣がする。


07 制作について

今囘も白文。字體は甲骨文字風で仕上げた。擊邊は入れた。

制作メモ

  • 印 式:白文
  • 字 體:甲骨文字風
  • 印 材:新疆彩凍石(7mm角)
  • 印 刀:刀匠印刀 三號
  • 擊 邊:あり
  •  

     

8畫ほどとシンプルな甲骨文字だが、酒樽と両手という二つの要素をそれぞれ判別できる形で7mm角に収めた。兩手で捧げる、という所作の丁寧さが印面から伝わるといいなと思いながら彫った。


08 甲骨文字百顆印 これから

三十五顆目で「尊」が加わった。

「聽」「客」で書いたことと今囘の話が自然につながった。シリーズを続けていると、過去の字と今の字が思いがけず呼応する瞬間がある。百顆印は、一字一字が積み重なって、少しずつ一冊の本のようになっていく氣がしている。

 

 

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なんかそれっぽい!(´艸`*)

それっぽいけど、書いてあることが意味不明でおもしろい(;^ω^)

 


#篆刻 #甲骨文字 #尊 #白文 #新疆彩凍石 #百顆印 #會意文字 #印章


 

甲骨文字百顆印 第三十四顆 / 白文・7mm角・新疆彩凍石


01 「新」という文字について

     
意 味 あたらしい
成り立ち 會意文字。『親』の原字で、木を切って新しくする意。辛(刃物)・木・斤(手斧)の組み合わせで、木を切った際の切り口の鮮やかさから「あたらしい」を意味するようになったとされる。位牌用の木を大きな針を投げて選び、斧で切り出したという儀式に由來するという說もある。
部 首
現代漢字の畫數 13畫
甲骨文字の畫數 10畫ほど

「新」が元々「親」の原字でもあったというのが興味深い。位牌を作る木を選ぶ儀式に由來するという說と合わせると、新しいという概念が親や先祖への供物と結びついていたということになる。新しさと先祖という組み合わせは、現代の感覚からは少し意外だが、考えてみると溫故知新という言葉と妙に重なる。


02 針を投げて木を選ぶ、という話

位牌用の木を選ぶ際、取っ手付きの大きな針を木に向かって投げ、當たった木を斧で切り出して使う。そういう儀式が「新」の起源の一つとされているらしい。

投げて決める、というのがなかなか豪快だ。神意を問う、という意味合いだったのかもしれないが、外れたらどうするのかとか、複數の木に當たったらどちらにするのかとか、余計なことをいろいろ想像してしまう。「歲」の回で龜に火をつけて占う話が出てきたが、古代の決め方というのはどれも大胆だ。


03 溫故知新、でも過去の事實は把握できているか

溫故知新という言葉がある。過去の事實や古人の知惠を学び、そこから新しい知識や見解を見出す。有名な言葉で、教育の場でもよく引用される。

でも、少し立ち止まって考えてみると、そもそも僕らは過去の事實をちゃんと把握できているのだろうか、という疑問が湧いてくる。

歴史というのは、書いた人間の視點で語られる。勝者が記録し、敗者の側の記録は消されたり書き換えられたりすることが多い。戰争が起きると、勝った側の都合で歴史が再編される。敗者の意思は捻じ曲げられ、なかったことにされ、場合によっては罪惡感を植え付けるような教育が施される。精神性を根本から削いでいく作業だ。

溫故知新と言うが、その「故」が既に加工されているとすれば、そこから導き出される「新」も、どこか歪んでいるかもしれない。


04 眠らされている状態、という話

今は多くの人が眠らされている状態だと思っている。

情報の量は増えているのに、本質的なことへの氣づきは減っている、というのが率直な印象だ。大量の情報の中で、どれが重要でどれが雜音かを判別する時間と氣力が奪われていく。「採」の回で消費モンスターを作りたい人々の話を書いたが、情報についても同じ構造がある。

このまま一生目が覚めないまま過ごす人もいるだろう。それがその人の選択であれば、外から何も言えない。ただ、僕は嫌だ。知りたいし、感じたいし、自分の頭で考えたい。


05 抜け道を探すのが好きだ

昔から、抜け道を探すのが好きだった。

決まったルートより、ちょっと外れた道の方が氣になる。正面から入れないなら横から試す。壁があれば、回れないか、越えられないか、潜れないかを考える。「盟」の回で棲み分けの話を書いたが、争うより別の道を探す方が性に合っている。

山で遭難しかけたこともある。道がわからなくなって、どこに向かえばいいか判断がつかなくなった。でも、そういう時に何かが導いてくれる感覚があって、今まで生きてこられた。その経験から、完全に詰まることはない、どこかに必ず道がある、という感覚が強くなった。

眠らされた状態からの抜け道も、きっとある。


06 新しい知識は、動いてみないとわからない

溫故知新の「新」、つまり新しい知識や見解というのは、頭の中だけで生まれることは少ない。

実際に動いてみて、試してみて、失敗して、また試す。その繰り返しの中で初めてわかることが多い。「基」の回で守破離の「離」だけから始まったという話を書いたが、基礎を知らないからこそ、正解を疑わずに動けた部分がある。

本や映像から得られる知識には限界がある。体を動かして、風を感じて、泥まみれになって初めてわかることが、世の中には山ほどある。「採」の回で手で摘み取るのが本來の姿という話を書いたが、知識も同じで、手で触れてみないとわからないものがある。


07 制作について

今囘も白文。字體は甲骨文字風で仕上げた。擊邊は入れた。

制作メモ

  • 印 式:白文
  • 字 體:甲骨文字風
  • 印 材:新疆彩凍石(7mm角)
  • 印 刀:刀匠印刀 三號
  • 擊 邊:あり
  •  

     

10畫ほどの甲骨文字で、辛・木・斤という三要素を7mm角に収めた。木を切る動作の力強さを出したかったので、線をあまり細くしすぎないよう意識しながら彫った。切り口の鮮やかさが「新しさ」の起源という話を念頭に置きながらの一顆だった。


08 甲骨文字百顆印 これから

三十四顆目で「新」が加わった。

溫故知新という言葉から始まって、歴史の書き換え、眠りと覚醒、抜け道、身体知まで話が広がった。甲骨文字というのは、過去から現在を照らす鏡のような存在だと改めて思う。彫り続けることで、少しずつ見えてくるものがある。

 

 

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釘刺すの順番待ち・・・(;^ω^)

 

 


#篆刻 #甲骨文字 #新 #白文 #新疆彩凍石 #百顆印 #會意文字 #印章


甲骨文字百顆印 第三十三顆 / 白文・7mm角・新疆彩凍石


01 「採」という文字について

     
意 味 とる
成り立ち 形聲文字。『手』と音符『采』の組み合わせ。元々「手で木の實や芽を摘み取る」樣子を表す「采」に、動作を强調する「手」が加わったもの。會意兼形聲文字とも言われる。
部 首 扌(てへん)
現代漢字の畫數 11畫
甲骨文字の畫數 14畫ほど

二種類の成り立ちの解釋があったが、どちらも「手で木の實を摘み取る」という核心は同じだ。五本指を広げた手が、木の枝から實を一つひとつ丁寧に取る。その情景がそのまま文字になっている。シンプルで、本來あるべき「採る」の姿だと思う。


02 採のつく言葉を眺めてみる

採用、採點、採算、採取、採集。「採」のつく言葉はいくつもある。

採用されるのは嬉しいが、採點されるのはあまり好きではない。誰かの基準で數字に換算されるというのが、どうもしっくりこない。採算が合う合わないという話も、三次元の世界では割に合わないことの方が多い氣がしている。帳簿の上でプラスになることと、自分の中で豊かな氣持ちになることは、必ずしも一致しない。

採ること自體は、必要に應じて適量であれば問題ない。山菜を摘む、果實を収穫する、魚を釣る。必要なものを必要なだけ。それが本來の「採る」だ。


03 手で摘み取るのが本來の姿

甲骨文字の「採」を見ると、手と木と實という要素が組み合わさっている。

一本の木から、手を伸ばして實を取る。その動作は、必然的に量が限られる。一人の人間の手が届く範囲、一囘に持てる量、体力の限界。そういった制約が、採りすぎることへの自然なブレーキになっていた。

今のように機械を使って大量に摘み取るというのは、そのブレーキを取り外した状態だ。効率は上がるが、何かが根本的に変わっている。木の實に手が届くかどうか、という身體的な感覚は、採る量をどこかで調整していたのかもしれない。


04 人間が採取に絡むと、地球によくないことが起きすぎる

人間が採取に本格的に絡み始めると、地球にとって良くないことが続く。

石油、鑛物、森林、魚、土壌。どれも必要以上に採り続けた結果、何らかの問題が生じている。慾が深いのだと思う。必要な分だけ採る、という感覚が薄れて、採れるだけ採る、という方向に傾いていく。

「農」の回で、人がどうこうするのはおこがましい、という話を書いた。採るという行爲もそれと同じで、自然が用意してくれた範囲を超えると、どこかで歪みが生じる。地球は貸してくれているだけで、所有権は人間にはない。「盟」の回で書いた、借りているものという感覚と通じる話だ。


05 消費モンスターと依存の話

採りすぎる構造の背後には、消費し続けさせたい仕組みがある。

大量に生産して、大量に消費させる。そのサイクルを維持するために、もっと便利に、もっと安く、もっとたくさん、という方向へ引っ張り続ける。その流れに乗っている人は、物やサービスの供給が止まった瞬間に、一気に身動きが取れなくなる。

依存というのは、氣づかないうちに深まっていく。食べ物、エネルギー、情報。どれも生活に必要なものだが、どこか一つに依存しすぎると、その供給が変化した時に対応できなくなる。依存は極力少ない方がいい、というのが今の自分の方針だ。手で摘み取れる範囲で生きる、という甲骨文字の「採」の世界観に、どこか共感する。


06 捨てられると楽になる

採ることの反対は、手放すことだ。

必要以上に手に入れようとすると、管理するものが増えて、失うことへの不安が増える。捨てられると楽になる、というのはそういう意味だ。手放した分だけ、身輕になる。

「宿」の回で肉體は入れ物という話を書いたが、入れ物の容量には限りがある。何でも入れようとすると、本当に必要なものが入らなくなる。採る量を減らして、手放す量を增やす。そのバランスが、今の自分には合っている氣がしている。


07 制作について

今囘も白文。字體は甲骨文字風で仕上げた。擊邊は入れた。

制作メモ

  • 印 式:白文
  • 字 體:甲骨文字風
  • 印 材:新疆彩凍石(7mm角)
  • 印 刀:刀匠印刀 三號
  • 擊 邊:あり
  •  

     

14畫ほどの甲骨文字を7mm角に収めた。手と木と實という三要素のうち、手の形をどう表現するかが今囘の工夫どころだった。五本指が伝わる程度に残しながら、全體のバランスを取った。


08 甲骨文字百顆印 これから

三十三顆目で「採」が加わった。

手で摘み取るという原初の動作から、消費と依存の現代まで話が広がった。甲骨文字というのは、現代社會への問いを内側に持っている字が多い。一字を掘り下げるたびに、今の自分たちの生き方を見直す氣持ちになる。それもこのシリーズを続けている理由の一つだ。

 

 

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あぁ、そんな感じですよね。

 


#篆刻 #甲骨文字 #採 #白文 #新疆彩凍石 #百顆印 #形聲文字 #印章

 

甲骨文字百顆印 第三十二顆 / 白文・7mm角・新疆彩凍石


01 「翌」という文字について

     
意 味 あくる
成り立ち 形聲文字。『羽』と『立』の組み合わせで次の意。本來は「翼(つばさ)」を意味していたが、轉じて「翌日」「あくる」を表すようになったとされる。會意文字として「鳥の兩翼」と「立つ人」の組み合わせという說もある。
部 首
現代漢字の畫數 11畫

二種類の解釋があるが、どちらも羽や翼という要素が中心にある点は共通している。翌という字が本來「翼」を意味していたというのは面白い。翼が「次の」という時閒の概念に転じていったのは、どういう経緯だったのだろうか。


02 蛹っぽい、という話

今囘彫った甲骨文字を眺めていると、羽の象形とされる部分が、どう見ても蝶の蛹に見える。

公式な解釋ではないし、完全に勝手な見立てだ。でも、もし翌という字の起源が蛹から蝶への羽化を表しているとしたら、どうだろう。今日は蛹として靜かに過ごし、翌朝には翅を廣げて飛び立つ。そういうイメージで「翌」という字が生まれたのなら、なんとも詩的で好きだ。

學術的な根拠はゼロだが、自分がそう感じたならそれでいいと思っている。「率」の回でも書いたが、成り立ちの解釋が複數ある以上、最終的には感じたままでいい。


03 想像した通りの現實になる、らしい

翌日、次の、あくる。先のことを表す字だ。

先のことはわからない、というのが一般的な感覚だと思う。でも、どうやら想像した通りになるらしい、ということが最近わかってきた氣がしている。

自分の現實というのは、全て自分が望んだり想像したりすることで目の前に現れてくる。引き寄せとか創造とか、そういう言葉で語られることもあるが、難しく考えなくてもいい。要するに、頭の中で繰り返し思い描いていることが、気づけば現実になっている、という話だ。

良いことも、そうでないことも。


04 望んでいないはずの現實も、自分が想像している

こんな現實は誰も望んでいない、と思うような出來事がある。

理不盡な出來事、思い通りにならない状況、繰り返されるトラブル。これらを外側のせいにしたくなる氣持ちはよくわかる。昔の自分もそうだった。「客」の回で書いた、ドア越しにプンプンしていた頃の話だ。

でも、よく考えてみると、そういう出來事が繰り返し起きるということは、自分がどこかでそれを想像し続けているのかもしれない。不安として、恐怖として、あるいは「またこうなるだろう」という思い込みとして。意識していなくても、頭の中で繰り返されているイメージが、現實を引き寄せていく。

「カルマかもしれないし、成長のための課題かもしれない」という「客」の回の話とも重なる。結局のところ、目の前に起きることは自分と無縁ではない。


05 翌朝には違う景色を見ていたい

蛹は靜かだ。外からは何も起きていないように見える。

でも中では、ずっと何かが変わり続けている。翌朝に羽化するための準備が、見えないところで進んでいる。そう思うと、何も起きていないように見える日々にも、意味がある氣がしてくる。

「滴」の回で、氣づいたら違う景色を見ていたくらいの速度で変わっていきたい、と書いた。翌という字を彫りながら、その感覚がまた浮かんできた。今日の蛹が、翌朝には蝶になっている。大げさに言えばそういうイメージで、毎日を過ごしていきたい。


06 制作について

今囘も白文。字體は甲骨文字風で仕上げた。擊邊は入れた。

制作メモ

  • 印 式:白文
  • 字 體:甲骨文字風
  • 印 材:新疆彩凍石(7mm角)
  • 印 刀:刀匠印刀 三號
  • 擊 邊:あり
  •  

     

羽の部分の形をどう表現するかが今囘の核心だった。蛹のように見える、というのは彫り終えてから氣づいたことで、結果的にそれが気に入っている。意図していなかった形が、意圖した解釋より詩的になることがある。


07 甲骨文字百顆印 これから

三十二顆目で「翌」が加わった。

蛹と羽化と現實創造という、思いがけない組み合わせで話が展開した。甲骨文字百顆印は、彫るたびに翌日への期待感が少し高まる。次の一顆が何になるか、どんな話が生まれるか。その翌朝を楽しみにしながら、続けていく。

 

 

 

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羽化って神秘的ではありますよね( *´艸`)


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