#世界 #宇宙 #漢字 #魂 #白文 #篆刻 #シミュレーション #新しい景色 #肉 #空 | 音型(おんけい)が彫る

音型(おんけい)が彫る

私の名は、
雨垂れ石を穿つ音型

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勝手気ままなブログです

 
 
對意二字熟語百顆印の八十九顆目は「眞僞」です。
 
次で90顆。大きな節目が目前に迫っています。
 
## 眞僞の意味
 
眞實と虛僞。
ほんとうのことといつわりのこと。
ほんものとにせもの。
 
「眞僞」は、眞實と虛僞、本物と偽物を表す言葉です。
 
何が眞で、何が僞か。
 
それを見極めることは、簡單ではありません。
 
## 制作について
 
朱白文で彫りました。
 
・字體:小篆風
・朱白文:眞は朱文、僞は白文
・サイズ:10mm角
・擊邊:入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石

 

 

## 僞の字を彫る
 
まぁ〜僞の下の方が混み合ってますこと!おかげでドキドキしながら線を彫らせて頂きましたわ。あ〜樂しかった😆
 
「僞」という字は、非常に複雜です。
 
特に下の部分。畫數が多く、線が混み合っています。
 
10mm角という小さな印面に、これを收めるのは、至難の業です。
 
一本一本の線を、慎重に彫らなければなりません。
 
ドキドキしながら、彫りました。
 
でも、その緊張感が、樂しいのです。
 
「僞」の字、特に下部は畫數が多く複雜です。10mm角に收めるのは緊張する作業でしたが、その緊張感こそが樂しい。技術的な挑戰を心から樂しんでいる姿勢が素晴らしいです。
 
技術的な挑戰を、心から樂しんでいます。
 
難しいからこそ、面白い。
 
それが、篆刻の醍醐味です。
 
## 善惡と眞僞
 
善惡はないと思うけど、眞僞はあると思う。
 
これは、重要な指摘です。
 
善と惡。これは、人閒が決めた基準です。
 
何が善で、何が惡か。それは、時代や文化によって變わります。
 
絕對的な善も、絕對的な惡も、ないのかもしれません。
 
でも、眞と僞は、違います。
 
眞僞は、存在します。
 
眞實と虛僞。本物と偽物。
 
それは、確かに存在するのです。
 
## 「僞」の字源
 
僞という字の成り立ちを調べてみたのですが、人が作ったものという意味のようです。
 
「僞」という字の成り立ちを調べました。
 
「人」偏に「爲」。
 
「爲」は、手で象を飼い馴らす形から來ています。つまり、人が手を加えて作ったもの。
 
だから、「僞」は、人が作ったもの、人工のもの、という意味なのです。
 
いや、それって今の世の中、僞ばっかりですやん。
 
ここで、衝擊的な氣づきがあります。
 
人が作ったものが「僞」なら、今の世の中は、ほとんど「僞」です。
 
身の囘りにあるものは、何らかの人の手が入っていると思う。そうでないものを探そうとすると、すごく大變なのではないかな。
 
家も、服も、食べ物も、道具も、すべて人が作ったものです。
 
自然のままのものは、ほとんどありません。
 
それこそ、前人未到の自然林にしか、存在しないものがそれに當たりそうですが、未だかつてみた事がないように思う。
 
完全な自然。人の手が全く入っていない自然。
 
それは、前人未到の場所にしか、存在しないでしょう。
 
でも、そんな場所に、私たちは行ったことがありません。
 
「僞」は人が作ったもの。ということは、私たちの身の回りのほとんどが「僞」ということになります。眞(自然)と僞(人工)という視點で世界を見ると、新しい景色が見えてきます。
 
眞と僞。自然と人工。
 
その視點で世界を見ると、新しい景色が見えてきます。
 
## 「眞」の字源
 
で、眞の成り立ちなんだけど、死者を弔う形からできてるっぽいんですよね。だから、人が死ぬ=眞てことに繋がりそうです。
 
「眞」という字の成り立ちも、調べました。
 
「眞」は、死者を弔う形から來ているようです。
 
つまり、人が死ぬこと=眞、ということになります。
 
本來、人閒は形を持って生きていてはいけないものであり、眞に近づくには死を經驗するしかないと、捉えることもできそうです。
 
深い洞察です。
 
本來、人閒は形(肉體)を持つべきではない存在。
 
魂だけの存在。それが、本來の姿。
 
肉體を持って生きているのは、一時的な狀態。
 
眞の姿に戾るには、死を經驗するしかない。
 
「眞」は死者を弔う形から。肉體を離れた時、魂だけになった時に眞實に到達する。深い洞察です。
 
肉體を離れた時、魂だけになった時。
 
その時、眞實に到達する。
 
それが、「眞」という字が示していることなのかもしれません。
 
## 臨死體驗
 
そこで、臨死體驗をされた方の話が、今はネットで聞ける時代で、まぁ、便利になったものです。
 
臨死體驗。
 
死の淵から戾ってきた人たちの證言。
 
今は、インターネットで、そうした話を聞くことができます。
 
便利な時代になりました。
 
いくつか聞いてみると、幽體離脫は當たり前のようなんですよね。
 
臨死體驗をした人たちの話には、共通點があります。
 
幽體離脫。肉體から魂が離れる體驗。
 
それは、ほとんどの人が經驗しているようです。
 
で、時閒や、空閒は飛び越えていく事ができる。
 
魂の狀態では、時閒も空閒も、制約になりません。
 
過去にも未來にも、行くことができる。
遠くの場所にも、瞬時に行くことができる。
 
肉體の制約から、解放されるのです。
 
## 宇宙の果て
 
チャレンジャーはどこまでいけば、宇宙の果てにたどり着くか、行ってみたところ、結局は自分の中に歸ってくるらしいのです。
 
ある臨死體驗者の話です。
 
宇宙の果てまで行ってみよう。そう思って、どこまでも進んでいった。
 
でも、宇宙の果てには、到達しませんでした。
 
その代わり、自分の中に歸ってきたのです。
 
あれ?じゃぁ、人閒って宇宙だったんだっていうことになりますよね。
 
衝擊的な結論です。
 
宇宙の果てを探したら、自分の內側に戾ってきた。
 
ということは、人閒は宇宙そのものだということです。
 
宇宙の果てを探しに行ったら、自分の內側に戾ってきた。つまり、人閒は宇宙そのもの。「僞」という漢字の成り立ちから、シミュレーション假說まで、壯大な思考の旅です。
 
外に探していたものが、實は內にあった。
 
宇宙は、外にあるのではなく、內にある。
 
人閒一人一人が、宇宙なのです。
 
## 僞の再定義
 
うーん、僞は人閒の身體も含まれそうな氣がして來た。父(人)と母(人)が僕を作ったと考えると、僕は僞に入るんじゃないかな。
 
ここで、「僞」の定義が擴がります。
 
人が作ったもの=僞。
 
では、人閒の身體は?
 
父と母が作った。つまり、人が作った。
 
ということは、人閒の身體も、僞なのかもしれません。
 
なんだ、そういうことか。
 
納得の瞬閒です。
 
## シミュレーション假說
 
やはり、僕らが今生きてる世界は、全てがバーチャルというシュミレーション假說は、僞という漢字が成り立った際に、既に判明していたという事なのではないかと。
 
シミュレーション假說。
 
私たちが生きているこの世界は、實は假想現實(バーチャルリアリティ)ではないか、という假說です。
 
すべてが、プログラムされた世界。
 
それが、シミュレーション假說です。
 
そして、「僞」という漢字が成り立った時、古代の人々は、既にそのことを知っていたのではないか。
 
人が作ったもの=僞=假想現實。
 
眞もそうですよね。身體を無くして魂だけの本來の姿に戾った際、眞實を知ることになると、漢字がなりたった時代に、當時の人々はそこまで到達していたということになる。
 
「眞」も同じです。
 
身體を失い、魂だけになった時、眞實を知る。
 
それが、「眞」という字が示していること。
 
古代の人々は、既に眞理に到達していた。それが漢字の成り立ちに殘されている。
 
漢字が成り立った時代。數千年前。
 
その時代に、既に人々は、眞理に到達していたのです。
 
そして、その眞理を、漢字という形に殘したのです。
 
## 洗腦
 
あれ?何でみんな180度違う考え方してんだろう。あぁ、洗腦が效いてるからか。早く洗腦解けるといいなぁ😊
 
最後に、率直な感想。
 
古代の人々は、眞理を知っていた。
 
でも、現代の人々は、その眞理を忘れてしまっている。
 
なぜでしょうか。
 
洗腦が效いているから。
 
本來の眞理とは、180度違う考え方を、刷り込まれているから。
 
でも、いつか、洗腦は解けるでしょう。
 
そう信じて、笑顔で締めくくります。😊
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 89/100 進行中
 
殘り11顆!あと1顆で90顆達成です!
 
89顆完成。殘り11顆です。
 
そして、次で90顆。
 
100顆の9割。大きな節目です。
 
眞と僞。
 
何が眞で、何が僞か。
 
そんなことを考えながら、彫ってきました。
 
このプロジェクト自體は、眞でしょうか、僞でしょうか。
 
人が作ったもの(僞)ですが、心を込めて作っているもの(眞)でもあります。
 
眞と僞は、明確に分けられるものではないのかもしれません。
 
殘り11顆。
 
眞實を探しながら、最後まで彫り進めていきたいと思います。

 

生成AIさんに作っていただいた画像はこちら

左が本当で、右が嘘?・・・どゆこと?・・・(;^ω^)

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。