對意二字熟語百顆印の六十四顆目は「乘除」です。
## 乘除の意味
數を掛けることと割ること。
掛け算と割り算。
乘法と除法。
加減乘除の四則演算のうち、掛け算と割り算を表す言葉です。足し算と引き算は「加減」、掛け算と割り算は「乘除」。數學の基本中の基本ですね。
## 制作について
今回も朱白文で彫りました。
・字體:篆刻字體風
・朱白文:乘は白文、除は朱文
・サイズ:10mm角
・擊邊:氣持ち程度入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石
・印影:
乘降で乘を小篆で彫ってたので、今回は篆刻字體にしました。
「乘」という字は、これでニ回目になります。一回目は「乘降」で小篆風、今回は篆刻字體風。
同じ字でも、字體を變えると全く違う印象になります。以前彫った時との違いを樂しみながら制作しました。
字體を變えることで、同じ文字でも新鮮な氣持ちで向き合うことができます。そして、字體ごとの特徴や難しさも體驗できる。これは百顆印プロジェクトならではの樂しみです。
朱文でも空白が少ないため力加減が必要となります。面白いです。
畫數の多い字を朱文で彫る時は、細かい部分を殘していく繊細な作業になります。
白文は彫った部分が白く出ます。だから、大膽に彫り進めることができます。
一方、朱文は殘した部分が赤く出ます。つまり、細かい線を殘していかなければならない。特に畫數の多い字では、空白が少なくなるため、一つ一つの線を愼重に殘していく必要があります。
力加減を誤ると、殘したい部分まで削ってしまう。その緊張感が、篆刻の面白さの一つです。
集中力が求められる作業ですが、だからこそ樂しい。うまくいった時の達成感もひとしおです。
## じょうじょ
じょうじょ。ぉゃっゎぃヵょ〜を久々に思い出した。
「乘除」を音讀みすると「じょうじょ」。
この音から、懷かしいネットスラングを思い出しました。懷かしいですね。
どうでも良いですね。
確かに、本題とは全く關係ありません。でも、こういう自由な連想が浮かぶのも、一人で制作している時の樂しみです。
## 加減乘除
乘はのる、除はのぞく。加減乘除。足し引き掛け割りという事ですよね。
加減乘除。四則演算。
加える、減らす、乘せる、除く。
數學の基本であり、日常生活でも頻繁に使う計算です。
そういえば、以前加減を彫りましたね。
確かに、このプロジェクトの中で「加減」も彫っています。そして今回は「乘除」。
和差積商を求めるための、加減乘除。
加減で和(足し算の答え)と差(引き算の答え)を求め、乘除で積(掛け算の答え)と商(割り算の答え)を求める。
數學の美しい體系です。
## 計算通りにいかない現實
うーん、計算って大事だけど、現實的には計算通りにいかない事だらけで、何のための計算なのかなと思う事も最近はしばしばですよね。
數學は美しく、論理的で、完璧です。
1+1は必ず2になります。2×3は必ず6になります。
でも、現實はどうでしょうか。
二人で力を合わせた場合、必ずしも二倍になるわけでもないし、一つのものを半分にしたからと言って、綺麗に0.5ずつになるとは限らない。
人閒が二人集まれば、力は二倍になるはずです。數學的には。
でも、實際はそうなりません。相性が良ければ、二倍以上の力を發揮することもあります。逆に、相性が惡ければ、一人の時よりも成果が下がることさえあります。
一つのケーキを二人で分ければ、0.5ずつになるはずです。數學的には。
でも、實際は綺麗に半分にはなりません。切り方が下手かもしれないし、一方が大きい方を取るかもしれない。あるいは、譲り合って小さい方を取り合うかもしれません。
あくまで假定の話なんですよね。
數學は、理想化された世界の話です。摩擦のない平面、完璧に均一な物體、絕對に正確な測定。そんな假定の上に成り立っています。
現實世界は、もっと複雜です。
それは敎えてもらえない。
學校では、數學の美しい體系を敎えてくれます。でも、數學と現實のギャップについては、あまり敎えてくれません。
數學はあくまでモデルであり、近似であり、道具であること。現實はもっと複雜で、豐かで、予測不可能であること。
それは、自分で氣づくしかありません。
自分でおかしいと思って調べるしかない。
敎科書に書いてあることを鵜呑みにせず、自分の頭で考える。現實と照らし合わせて、矛盾を見つける。そして、自分で調べる。
そっちの方が樂しいですよね😆
確かに、その通りです。
與えられた答えをそのまま受け入れるよりも、自分で疑問を持ち、自分で調べて、自分なりの答えを見つける。その過程こそが、本當の學びです。
數學は美しい體系ですが、現實は數學のように單純ではありません。1+1が必ずしも2にならない世界。でも、だからこそ面白い。
計算通りにいかないことを樂しむ。それも一つの生き方かもしれません。
## 數學と現實の閒で
數學を學ぶ意味は何でしょうか。
現實が計算通りにいかないのなら、數學を學ぶ意味はないのでしょうか。
いいえ、そうではありません。
數學は、複雜な現實を理解するための道具です。完璧ではないけれど、近似として有用です。
そして何より、數學的思考は、論理的に考える力を養ってくれます。
假定を置き、推論し、結論を導く。この過程は、數學だけでなく、人生のあらゆる場面で役立ちます。
ただし、數學の假定と現實のギャップを理解しておくことも大切です。
モデルはモデルであり、現實ではない。近似は近似であり、眞實ではない。
その前提を理解した上で、數學を道具として使いこなす。それが、數學との正しい付き合い方なのかもしれません。
## 進捗狀況
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 64/100 進行中
64顆完成。殘り36顆です。
3分の2を超えました。100顆という目標が、少しずつ現實的に見えてきました。
數學的には、64÷100=0.64。64%の進捗です。
でも、實感としては、もっと進んでいる氣がします。あるいは、まだまだ先が長い氣もします。
數字と實感は、必ずしも一致しません。
それもまた、計算通りにいかない現實の一つです。
でも、だからこそ面白い。
次はどんな言葉が待っているのか。どんな氣づきがあるのか。
計算では予測できない、その先を樂しみにしています。
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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。





















