音型(おんけい)が彫る -4ページ目

音型(おんけい)が彫る

私の名は、
雨垂れ石を穿つ音型

篆刻とか
書きものとか
掛け軸とか
小物作ったり
好きな時に好きな事をする
勝手気ままなブログです

 
 
對意二字熟語百顆印の六十四顆目は「乘除」です。
 
## 乘除の意味
 
數を掛けることと割ること。
掛け算と割り算。
乘法と除法。
 
加減乘除の四則演算のうち、掛け算と割り算を表す言葉です。足し算と引き算は「加減」、掛け算と割り算は「乘除」。數學の基本中の基本ですね。
 
## 制作について
 
今回も朱白文で彫りました。
 
・字體:篆刻字體風
・朱白文:乘は白文、除は朱文
・サイズ:10mm角
・擊邊:氣持ち程度入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石
・印影:

 

 

 
乘降で乘を小篆で彫ってたので、今回は篆刻字體にしました。
 
「乘」という字は、これでニ回目になります。一回目は「乘降」で小篆風、今回は篆刻字體風。
 
同じ字でも、字體を變えると全く違う印象になります。以前彫った時との違いを樂しみながら制作しました。
 
字體を變えることで、同じ文字でも新鮮な氣持ちで向き合うことができます。そして、字體ごとの特徴や難しさも體驗できる。これは百顆印プロジェクトならではの樂しみです。
 
朱文でも空白が少ないため力加減が必要となります。面白いです。
 
畫數の多い字を朱文で彫る時は、細かい部分を殘していく繊細な作業になります。
 
白文は彫った部分が白く出ます。だから、大膽に彫り進めることができます。
 
一方、朱文は殘した部分が赤く出ます。つまり、細かい線を殘していかなければならない。特に畫數の多い字では、空白が少なくなるため、一つ一つの線を愼重に殘していく必要があります。
 
力加減を誤ると、殘したい部分まで削ってしまう。その緊張感が、篆刻の面白さの一つです。
 
集中力が求められる作業ですが、だからこそ樂しい。うまくいった時の達成感もひとしおです。
 
## じょうじょ
 
じょうじょ。ぉゃっゎぃヵょ〜を久々に思い出した。
 
「乘除」を音讀みすると「じょうじょ」。
 
この音から、懷かしいネットスラングを思い出しました。懷かしいですね。
 
どうでも良いですね。
 
確かに、本題とは全く關係ありません。でも、こういう自由な連想が浮かぶのも、一人で制作している時の樂しみです。
 
## 加減乘除
 
乘はのる、除はのぞく。加減乘除。足し引き掛け割りという事ですよね。
 
加減乘除。四則演算。
 
加える、減らす、乘せる、除く。
 
數學の基本であり、日常生活でも頻繁に使う計算です。
 
そういえば、以前加減を彫りましたね。
 
確かに、このプロジェクトの中で「加減」も彫っています。そして今回は「乘除」。
 
和差積商を求めるための、加減乘除。
 
加減で和(足し算の答え)と差(引き算の答え)を求め、乘除で積(掛け算の答え)と商(割り算の答え)を求める。
 
數學の美しい體系です。
 
## 計算通りにいかない現實
 
うーん、計算って大事だけど、現實的には計算通りにいかない事だらけで、何のための計算なのかなと思う事も最近はしばしばですよね。
 
數學は美しく、論理的で、完璧です。
 
1+1は必ず2になります。2×3は必ず6になります。
 
でも、現實はどうでしょうか。
 
二人で力を合わせた場合、必ずしも二倍になるわけでもないし、一つのものを半分にしたからと言って、綺麗に0.5ずつになるとは限らない。
 
人閒が二人集まれば、力は二倍になるはずです。數學的には。
 
でも、實際はそうなりません。相性が良ければ、二倍以上の力を發揮することもあります。逆に、相性が惡ければ、一人の時よりも成果が下がることさえあります。
 
一つのケーキを二人で分ければ、0.5ずつになるはずです。數學的には。
 
でも、實際は綺麗に半分にはなりません。切り方が下手かもしれないし、一方が大きい方を取るかもしれない。あるいは、譲り合って小さい方を取り合うかもしれません。
 
あくまで假定の話なんですよね。
 
數學は、理想化された世界の話です。摩擦のない平面、完璧に均一な物體、絕對に正確な測定。そんな假定の上に成り立っています。
 
現實世界は、もっと複雜です。
 
それは敎えてもらえない。
 
學校では、數學の美しい體系を敎えてくれます。でも、數學と現實のギャップについては、あまり敎えてくれません。
 
數學はあくまでモデルであり、近似であり、道具であること。現實はもっと複雜で、豐かで、予測不可能であること。
 
それは、自分で氣づくしかありません。
 
自分でおかしいと思って調べるしかない。
 
敎科書に書いてあることを鵜呑みにせず、自分の頭で考える。現實と照らし合わせて、矛盾を見つける。そして、自分で調べる。
 
そっちの方が樂しいですよね😆
 
確かに、その通りです。
 
與えられた答えをそのまま受け入れるよりも、自分で疑問を持ち、自分で調べて、自分なりの答えを見つける。その過程こそが、本當の學びです。
 
數學は美しい體系ですが、現實は數學のように單純ではありません。1+1が必ずしも2にならない世界。でも、だからこそ面白い。
 
計算通りにいかないことを樂しむ。それも一つの生き方かもしれません。
 
## 數學と現實の閒で
 
數學を學ぶ意味は何でしょうか。
 
現實が計算通りにいかないのなら、數學を學ぶ意味はないのでしょうか。
 
いいえ、そうではありません。
 
數學は、複雜な現實を理解するための道具です。完璧ではないけれど、近似として有用です。
 
そして何より、數學的思考は、論理的に考える力を養ってくれます。
 
假定を置き、推論し、結論を導く。この過程は、數學だけでなく、人生のあらゆる場面で役立ちます。
 
ただし、數學の假定と現實のギャップを理解しておくことも大切です。
 
モデルはモデルであり、現實ではない。近似は近似であり、眞實ではない。
 
その前提を理解した上で、數學を道具として使いこなす。それが、數學との正しい付き合い方なのかもしれません。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 64/100 進行中
 
64顆完成。殘り36顆です。
 
3分の2を超えました。100顆という目標が、少しずつ現實的に見えてきました。
 
數學的には、64÷100=0.64。64%の進捗です。
 
でも、實感としては、もっと進んでいる氣がします。あるいは、まだまだ先が長い氣もします。
 
數字と實感は、必ずしも一致しません。
 
それもまた、計算通りにいかない現實の一つです。
 
でも、だからこそ面白い。
 
次はどんな言葉が待っているのか。どんな氣づきがあるのか。
 
計算では予測できない、その先を樂しみにしています。

 

生成AIさんに作っていただいた画像はこちら

日本でよく見る学校の風景ですね。

かけ算は2年生ぐらいかなぁ・・・

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
 
對意二字熟語百顆印の六十三顆目は「兄弟」です。
 
## 兄弟の意味
 
片親または兩親を同じくする男の子供たち。
兄と弟。また、その閒柄。けいてい。
男女の別なく、片親または兩親を同じくする子供たち。
 
本來は男の子供たちを指す言葉でしたが、現代では男女を問わず、きょうだい全體を指すことも多くなりました。
 
## 制作について
 
今回も朱白文で彫りました。
 
・字體:甲骨文字風
・朱白文:兄は朱文、弟は白文
・サイズ:10mm角
・擊邊:ちょっと入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石
・印影:

 

 

 
甲骨文字風の字體は、古代の素朴さと力强さがあって好きです。シンプルながら、本質を捉えている。そんな印象があります。
 
## 兄と弟の字源
 
兄は人の頭に器を持ってる感じで、弟は絲がぐるぐる卷いてる紐だそうで。
 
漢字の成り立ちを調べると、いつも想像を超える面白さがあります。
 
兄は、儀式で器を頭に載せて捧げる年長者の姿を表しているそうです。年長であることは、それだけ重要な役割を擔うということ。儀式の中心人物として、器を捧げる。その姿が「兄」という字になりました。
 
一方、弟は、糸を卷いた紐の形から來ているそうです。糸を順番に卷いていく。その順序性が「弟」という字の由來になったとか。
 
どちらも「順番」という概念が含まれているのが興味深いですね。
 
兄は年長者としての順位、弟は糸を卷く順序。異なる由來でありながら、どちらも「順序」「序列」という共通の概念を持っている。
 
白川靜さんと一度會話してみたいんですよね。
 
白川靜氏は、漢字學の第一人者として知られる學者です。その著作を讀むと、漢字の奧深さ、そして古代中國の人々の世界觀が見えてきます。
 
もし直接お會いして話ができたら、どんなに樂しいだろうと思います。
 
そのうち白川靜チャットbotとかできてもおかしくなさそうですよね。
 
AI技術の發展を考えると、白川靜氏の著作を學習したチャットbotが登場する日も遠くないかもしれません。漢字の成り立ちや字源について、白川靜氏のような深い知識で答えてくれるAI。それが實現したら、篆刻の制作がさらに樂しくなりそうです。
 
## 人類皆兄弟
 
個人的には兄も弟もいないので、その存在には緣遠いです。
 
長兄として育った私には、兄弟という存在は身近なものではありません。兄弟がいる友人を見て、羨ましいと思ったこともあれば、氣樂でいいなと思ったこともあります。
 
でも、昔、人類皆兄弟というフレーズがあったように思う。
 
「人類皆兄弟」。このフレーズ、覺えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。
 
プロレスラーのアントニオ猪木氏が使っていた言葉として有名ですね。すべての人間は兄弟である。國籍も人種も超えて、私たちは一つの家族である。そんな理想を表す言葉です。
 
最近は聞かなくなりましたね。僕だけなのかな。當たり前すぎて言わなくなったのかな。
 
最近はあまり耳にしません。理想が實現したから言わなくなったのか、それとも理想が遠のいたから言わなくなったのか。どちらなのでしょう。
 
## 干支の兄と弟
 
というか、十干十二支のえと(干支)はえが兄でとが弟という意味合いじゃなかったかな。兄が陽で弟が陰。
 
十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)は、「きのえ」「きのと」「ひのえ」「ひのと」と讀みます。
 
この「え」と「と」が、實は「兄」と「弟」を意味しています。
 
甲(きのえ)= 木の兄(陽)
乙(きのと)= 木の弟(陰)
 
陽と陰。兄と弟。この對比が、十干の根底にあるのです。
 
兄弟という關係性が、單なる家族の序列だけでなく、陰陽という宇宙の原理にまで繋がっている。古代の人々の世界觀の深さを感じます。
 
## アナスタシアと一族の土地
 
アナスタシアの九卷にも確かこの兄弟出て來て、弟さん凄いなと思ったものです。
 
「アナスタシア」はロシアの作家ウラジーミル・メグレ氏による本のシリーズです。シベリアのタイガに住む女性アナスタシアとの出會いを描いた作品で、自然と調和した生き方を提案しています。
 
まぁ、アナスタシアは一卷と九卷しか讀んで無いんですけどね。
 
飛び飛びで讀んでいるようですが、それでも強く印象に殘った內容がありました。九卷に出てくる兄弟のエピソード、特に弟さんの行動が印象的でした。
 
一族の土地探しを心のどこかにしまい込んでしまっています。
 
アナスタシアの本では、「一族の土地」という概念が提案されています。約1ヘクタールの土地を持ち、そこで自給自足的な生活をする。自然と調和しながら、家族が世代を超えて受け繼いでいく土地。
 
理想的ではありますが、實現するのは簡單ではありません。
 
日本で約1ヘクタールの土地を見つけようと思っても、近場には手の屆く値段では無いんですよね。
 
1ヘクタールは10,000平方メートル。100メートル四方の土地です。都市部やその近郊では、とても手が出る價格ではありません。
 
でも、日本の地方には、まだそういう土地があるかもしれません。
 
屋久嶋にあるらしいですね。
 
屋久嶋。世界自然遺產にも登錄されている、豐かな自然が殘る島です。
 
ちょうど今年のGWに宮之浦嶽登山豫定してるので、何となくつながって來ました♪樂しみが增えたな。
 
偶然というのは面白いものです。
 
兄弟という言葉から始まって、アナスタシアの一族の土地について考え、そして屋久嶋への登山計畫と繋がっていく。
 
宮之浦嶽は屋久嶋の最高峰。標高1,936メートル。九州地方の最高峰でもあります。
 
登山の際に、もしかしたら一族の土地にふさわしい場所を見つけることができるかもしれませんね。
 
## 繋がりということ
 
兄弟という言葉から、干支の陰陽、アナスタシアの一族の土地、そして屋久嶋へと話が展開していく。
 
一見バラバラに見える話題が、どこかで繋がっている。それもまた兄弟のように。
 
兄弟は血の繋がりです。でも、「人類皆兄弟」という言葉が示すように、血の繋がりを超えた繋がりもあります。
 
思想の繋がり、理想の繋がり、そして偶然の繋がり。
 
今年のGWに屋久嶋に行くという計畫と、アナスタシアで讀んだ一族の土地の話が、「兄弟」という漢字を彫ることで繋がった。
 
これもまた、不思議な縁です。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 63/100 進行中
 
63顆完成。殘り37顆です。
 
一つ一つの作品が、思いがけない氣づきをもたらしてくれます。
 
兄弟という言葉一つから、これだけ多くのことを考え、繋げることができる。
 
言葉は、思考の入口です。そして、篆刻は、言葉と深く向き合う時閒を與えてくれます。
 
次はどんな言葉が待っているのか。どんな繋がりが見えてくるのか。
 
樂しみです。

 

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兄弟を絵にかいたような・・・(´艸`*)

 

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
 
 
對意二字熟語百顆印の六十二顆目は「長短」です。
 
## 長短の意味
 
長いことと短いこと。また、長さ。
長所と短所。
「長短倂せ持つ」
餘ることと足りないこと。
「長短相補う」
 
「長短」という言葉は、物理的な長さだけでなく、長所と短所、餘剩と不足など、様々な對比を表します。完璧なものなどなく、すべてのものが長短を倂せ持っている。そう考えると、少し氣が樂になりますね。
 
## 制作について
 
今回も朱白文で彫りました。
 
・字體:小篆風
・朱白文:長は白文、短は朱文
・サイズ:10mm角
・擊邊:ちょっとだけ入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石
・印影:

 

 

 
今回の制作は、正直なところ、思い通りにはいきませんでした。
 
線が安定せず、ガタガタとした印象の朱文になってしまいました。理想としていた滑らかな曲線には程遠い仕上がりです。
 
思い通りにいかない時もあります。でも、それが今の自分の實力。受け入れて、次に進みます。
 
完璧を求めすぎず、今できることを精一盃やる。それが大切なのだと思います。
 
この受け入れ方。これもまた「長短」の一つの姿かもしれません。
 
自分の短所を認める。でも、それに囚われすぎない。今の自分にできることを精一盃やる。そして、次へ進む。
 
百顆印プロジェクトを續けているからこそ、一つ一つの作品の出來不出來に一喜一憂せず、長い目で見ることができるのかもしれません。
 
## 帶に短し襷に長し
 
帶に短し襷に長し、とはよく言ったもので、中途半端なんでしょうね。長さが。
 
この慣用句、よく耳にしますが、實際の長さを知っている人は少ないのではないでしょうか。
 
帶は約4メートル、襷の長さは約2メートル。3メートルぐらいの長さの紐って感じですかね。
 
帶として使うには短すぎる。襷として使うには長すぎる。ちょうど3メートルぐらいの紐は、どちらの用途にも中途半端。
 
でも、實際に體驗したことがないと、この「中途半端さ」がピンと來ません。
 
いま帶を使う衣類を持ってないので、長さの閒隔が確認してみないとわからないですよね。襷も然り。使う機會が無い。
 
現代の日常生活では、着物を着る機會はほとんどありません。襷をかける機會も稀です。
 
つまり、「帶に短し襷に長し」という言葉は知っていても、その實感は失われているのです。
 
使ってみたい場合は、着物を着るしか無いのでしょうね。
 
言葉の意味を本當に理解するためには、體驗が必要なのかもしれません。
 
こういう偶然の接點が、新しい體驗につながるかもしれません。母親が着物のリメイク敎室に通っているので、着物についていろいろ聞けるかもしれない。帶の長さも、實際に測ってみれば實感できる。
 
## 箸にも棒にも引っかからない
 
箸にも棒にも引っかからないも長さ關係かなと思ったけど、ちょっと違うっぽい。
 
「箸にも棒にも引っかからない」という慣用句。これも長短に關係しているのかと思いきや、少し違うようです。
 
小さい物も大きい物も扱い辛いという意味らしい。
 
箸のように小さな道具でも、棒のように大きな道具でも、どちらでも扱えない。つまり、全く役に立たないという意味です。
 
長さの問題というより、有用性の問題ですね。
 
箸はまだまだ使うことになるだろうけど、そのうち箸を使うための講座とかできそうです。
 
今後、箸の使い方を知らない世代が出てくるかもしれません。フォークとスプーンが主流になれば、箸は特殊技能になる可能性もあります。
 
「箸の持ち方講座」「正しい箸の使い方レッスン」なんて、いずれ當たり前になるのかもしれませんね。
 
棒という道具。登山用のストック(トレッキングポール)ぐらいしか思い浮かびません。でも、それは杖と同じようなもの。
 
長さに關する慣用句を調べていると、意外と身近な道具の長さに對する感覺が失われていることに氣づきます。
 
そして、どうも「長短」に關する慣用句は、否定的な意味のものが多い氣がします。「帶に短し襷に長し」も「箸にも棒にも引っかからない」も、あまり良い意味ではありません。
 
現代生活では、着物の帶も襷も使わない。箸の使い方も怪しくなってきている。棒なんて日常で使うことはほとんどない。
 
でも、言葉だけは殘っている。そのギャップが面白いですね。
 
言葉は文化の化石です。かつての生活樣式を、言葉の中に留めている。
 
「帶に短し襷に長し」という言葉を使う時、私たちは無意識のうちに、着物を日常的に着ていた時代の感覺を引き繼いでいるのです。
 
## 長短倂せ持つ
 
「長短倂せ持つ」
 
すべてのものには、長所もあれば短所もある。完璧なものなど存在しない。
 
今回の作品も、思い通りにはいきませんでした。朱文がガタガタになってしまった。これは明らかな短所です。
 
でも、白文の方はそれなりに彫れた氣がします。そして、何より、一つ作品を完成させることができました。これは長所です。
 
人も同じです。誰にでも長所と短所があります。完璧な人間などいません。
 
大事なのは、短所を無くそうと必死になることではなく、長所を活かしながら、短所とも上手く付き合っていくことなのかもしれません。
 
## 長短相補う
 
「長短相補う」
 
互いの長所と短所を補い合う。これは、人閒關係の理想形ですね。
 
一人では完璧になれなくても、複數の人が集まれば、互いの短所を補い合える。
 
百顆印プロジェクトも、ある意味で「長短相補う」の連續です。
 
今回うまくいかなかった朱文も、次回はもっとうまく彫れるかもしれない。今回うまくいった白文の技術を、次の作品に活かせるかもしれない。
 
一つ一つの作品が、互いに補い合いながら、全體として成長していく。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 62/100 進行中
 
62顆完成。殘り38顆です。
 
思い通りにいかない作品もあります。でも、それも含めて、プロジェクトの一部です。
 
完璧な作品ばかりを並べることが目的ではなく、100顆を彫り切ることが目的です。
 
一つ一つの作品には長短があります。でも、100顆全體で見れば、互いに補い合って、一つの大きな作品になる。
 
そう信じて、次の作品へと進みます。

 

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長いビルと、短い家?

日本庭園と夜の繁華街・・・?

ごめん、今の僕には理解ができそうにないわ・・・(;^ω^)

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
對意二字熟語百顆印の六十一顆目は「進退」です。
 
## 進退の意味
 
進むことと退くこと。
前に進むことと後へ下がること。
職をやめるか否か、またはどう行動するかという、身の處置。
 
「進退窮まる」「進退伺い」など、人生の岐路に立った時に使われる言葉です。進むべきか、退くべきか。その判斷が、その後の人生を大きく左右することもあります。
 
## 制作について
 
今回も朱白文で彫りました。
 
・字體:甲骨文字風
・朱白文:進は白文、退は朱文
・サイズ:10mm角
・擊邊:少し入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石
・印影:

 

 

 
久しぶりに甲骨文字風の字體を選びました。古代の文字には、シンプルながら力强い表現力があります。
 
## 撮影のハプニング
 
そして、動畫を撮ったつもりでいたのに、撮れていませんでした😅
 
スタートボタン押したつもりが、押せてなくて、止めたと思って押したボタンがスタートになってました。
 
よくあることですよね。録畫ボタンを押したつもりが押せていなかった。そして、終わったと思って押したボタンが、實は録畫開始ボタンだった。
 
つまり、一番大事な彫刻の過程が撮れていなかったのです。
 
なので今回は、仕上げ部分を撮ってます。
 
初めてかな仕上げ部分を撮って載せるのは。まぁ、そんな時もありますよね。
 
撮影のミスも、ある意味「進退」。計畫通りに進まなかったので、一旦退いて、仕上げ部分を撮るという新しい方向に進む。結果的に、普段は見せない仕上げ作業をお見せできることになりました。
 
ミスから生まれた新しい展開。これも「進退」の一つの形かもしれません。
 
計畫通りに進むことができなかった時、どう對應するか。そこにその人の眞價が現れます。
 
今回は、仕方ないので仕上げ作業を撮影することにしました。普段はあまり見せない部分です。擊邊を入れた後の調整、印面の最終確認。
 
ミスがなければ撮らなかった映像が、結果的に新しいコンテンツになりました。
 
## 進むべきか、退くべきか
 
これからの時代どう行動するかがとても重要になって來そうですよね。
 
變化が激しく、判斷を誤ると大きな代償を拂うことになるかもしれません。
 
「進む」ことは決まっていても、「どう進むか」が重要。同じ目的地に向かうにも、道は一つではありません。
 
安全な道を選ぶのか、險しくても近道を選ぶのか。多くの人が通る道を行くのか、誰も通らない道を切り拓くのか。
 
方向性を閒違えれば、どんなに頑張って進んでも、望む場所には辿り着けません。
 
結局のところ、自分の人生は自分で決めるしかありません。他人の意見を參考にすることはできても、最終的な判斷は自分自身が下す必要があります。
 
自分が信じた道を進む。それが正解かどうかは、進んでみなければ分かりません。でも、少なくとも後悔はしないでしょう。
 
## 退くことの大切さ
 
「進む」ことばかりが注目されがちですが、「退く」こともまた重要です。
 
引き際を誤らないこと。これは人生の大きな知惠です。
 
流れに逆らって無理に進もうとすると、消耗するばかりです。時には流れに身を任せ、時には一旦退いて樣子を見る。そういう柔軟性が必要です。
 
その場の空氣感とか、雰圍氣とかをよく讀んで行動する。
 
空氣を讀むというと、日本的な同調壓力のように聞こえるかもしれません。でも、ここで言う「空氣を讀む」は、狀況を正確に把握するということです。
 
今、進むべき時なのか。それとも退くべき時なのか。その判斷をするためには、周圍の狀況を冷靜に觀察する必要があります。
 
確かに難しいことです。でも、不可能ではない。日々の小さな判斷の積み重ねが、やがて大きな判斷力を養っていきます。
 
進むことだけが正解ではない。時には退くことが最善の選擇。その見極めが、人生の知惠なのかもしれません。
 
## 進退自在
 
「進退」という言葉から連想されるのは、「進退窮まる」のような追い詰められた狀況かもしれません。
 
でも、本來の進退は、もっと自由なものであるべきです。
 
進退自在。
 
進みたい時に進み、退きたい時に退く。状況に應じて柔軟に對應する。
 
それは優柔不斷とは違います。自分の意志を持ちながら、狀況を見極めて行動する。それが眞の進退自在です。
 
百顆印プロジェクトも、ある意味で進退の連續です。
 
一つ彫り終えたら、次に進む。でも、思い通りにいかなければ、一旦退いて考え直す。
 
今回の撮影ミスも、計畫通りに進まなかったので、一旦退いて別の方法を考えた結果です。
 
進むことも、退くことも、どちらも必要。大事なのは、その判斷を自分で下すということです。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 61/100 進行中
 
60顆を超えて、着實に進んでいます。
 
でも、時には立ち止まることもあります。撮影ミスのように、計畫通りにいかないこともあります。
 
それでも、一旦退いて、また進む。その繰り返しです。
 
進退を繰り返しながら、少しずつ前に進んでいく。それが、このプロジェクトの進め方であり、人生そのものの歩み方なのかもしれません。

 

生成AIさんに作っていただいた画像はこちら

岐路に立たされている感じですかね・・・(;^ω^)

 

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
 
 
對意二字熟語百顆印の六十顆目は「去來」です。
 
ついに60顆達成!折り返し地點を過ぎ、6割に到達しました。
 
## 去來の意味
 
去ることと來ること。
行ったり來たりすること。
ゆきき。往來。
「心中に去來する思い」
過去と未來。
 
去ることと來ること。シンプルな對比ですが、これは時閒の流れそのものを表しているとも言えます。過去は去り、未來が來る。その繰り返しの中に、私たちは生きています。
 
## 制作について
 
今回も朱白文で彫りました。
 
・字體:小篆風
・朱白文:去は朱文、來は白文
・サイズ:10mm角
・擊邊:氣持ち入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石
・印影:

 

 

 
 
以前に「往來」という言葉で一度「來」の字を朱文で彫っているのです。今回はその經驗を活かして、白文で挑戰しました。
 
同じ字でも、朱文と白文では彫り方が異なります。朱文は殘す部分を彫り、白文は取り除く部分を彫る。同じ「來」という字でも、前回とは違うアプローチです。
 
今回初めて彫った去は、もう少し丸みを出したかったのだけれども、かなり直線的になってしまった。
 
理想と現實のギャップ。これは毎回感じることです。頭の中にあるイメージ通りには、なかなか彫れない。でも、それが篆刻の面白さでもあります。
 
## 左右對稱の難しさ
 
どちらも左右對稱な文字のため、印稿作成時にひっくり返す必要がない。ちょっと樂だったりするが、意外と左右對稱に細かい文字を書くのは難しかったりする。
 
篆刻では、印面に文字を書く時、鏡像(左右反轉)で書く必要があります。なぜなら、押印すると反轉するからです。
 
でも、左右對稱な文字は反轉しても同じ。だから、そのまま書けばいい。一見樂なように思えます。
 
ところが、左右對稱に正確に書くというのが意外と難しい。人閒の手は完璧な對稱を描くようにはできていないのです。
 
そして、さらに左右對稱に彫るのも、なかなかうまくいかないことがある。
 
書く時も難しく、彫る時も難しい。左右對稱という一見シンプルな形が、實は高い精度を要求してくるのです。
 
布字してるんだから、その通りに彫ればいいのだけれども、思い通りに彫れないから面白かったりする。
 
布字(印稿)という設計圖があるのに、その通りに彫れない。これは不思議なことです。
 
でも、それこそが手仕事の魅力なのでしょう。完璧に制御できないからこそ、一つ一つが唯一無二の作品になる。思い通りにならないことを樂しむ。それが篆刻の醍醐味です。
 
## 過去に彫った往來と意味一緖じゃん!
 
なぜ氣付かなかった。なぜ見落とした。
 
そうなのです。實は「往來」と「去來」、意味はほぼ同じです。
 
往(行く)と來(來る)
去(去る)と來(來る)
 
どちらも「行くこと」と「來ること」を表しています。對意二字熟語百顆印のリストを作成した時に、なぜ氣づかなかったのか。
 
でも、氣づいたのは、もう彫った後でした。
 
まぁ、仕方ない。
 
この潔さ。これこそが「去來」の精神かもしれません。
 
去るもの追わず、來るもの拒まず、だ。
 
過去のミスを悔やんでも仕方ない。それは「去ったもの」です。追いかけても戾ってこない。
 
これから來るものを受け入れる。次の作品に向かう。それが大事なのです。
 
ミスに氣づいても、それを受け入れて前に進む。それもまた「去來」の一つの形かもしれません。過去(往來を彫ったこと)は去り、未來(これからの作品)が來る。
 
意味が重複してしまったことも、今となっては一つの學びです。そして、同じ「來」という字を、前回は朱文で、今回は白文で彫るという經驗ができました。これは偶然ではなく、必然だったのかもしれません。
 
## 過去と未來の閒で
 
「去來」という言葉は、過去と未來を表します。
 
過去は去り、未來が來る。
 
でも、私たちが生きているのは「今」という瞬閒だけです。過去はもう存在せず、未來はまだ存在しない。
 
過去を悔やむことも、未來を不安がることもできます。でも、それは「今」という瞬閒を生きていないことになります。
 
「去るもの追わず、來るもの拒まず」
 
この姿勢は、「今」を生きるということかもしれません。過去に執着せず、未來を恐れず、今この瞬閒を受け入れる。
 
百顆印プロジェクトも、一つ一つの「今」の積み重ねです。過去の作品を振り返ることもあれば、未來の作品を想像することもあります。でも、實際に彫っているのは「今」この瞬閒だけです。
 
## 60顆達成!プロジェクトの節目
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 60/100 完成
 
ついに60顆に到達しました!
 
100顆という目標の6割を達成。折り返し地點をとうに過ぎ、後半戰に入っています。
 
振り返ってみると、よくここまで來たものだと思います。一つ一つは小さな作品ですが、積み重なれば大きな成果になる。
 
そして、每回新しい學びがあります。技術的な學び、字源についての學び、言葉の意味についての學び。そして何より、自分自身についての學び。
 
「往來」と「去來」の意味が重複していたという小さなミスも、今となっては愛おしい思い出です。完璧ではないからこそ、人閒らしい。
 
殘り40顆。まだまだ旅は續きます。
 
去るもの追わず、來るもの拒まず。
 
次の作品へと、進んでいきましょう。

 

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ゆききさんとゆききさんやん!

往来が激しい場所で待つ感じかなぁ・・・

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
 
 
對意二字熟語百顆印の五十九顆目は「單複」です。
 
## 單複の意味
 
簡單と複雜。
單純と複雜。
單數と複數。
テニス・卓球などの試合で、シングルスとダブルス。
競馬・競輪などで、單勝と複勝。
 
「單複」という言葉は、樣々な場面で使われます。一つであることと、複數であること。簡單であることと、複雜であること。この對比は、私たちの日常の至る所に存在しています。
 
## 制作について
 
今回も朱白文で彫りました。
 
・字體:小篆風
・朱白文:單は朱文、複は白文
・サイズ:10mm角
・擊邊:かなり叩き入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石
・印影

 

 

 
擊邊はかなり强めに叩き入れました。以前「新舊」で失敗してからは控えめにしていましたが、今回は石の狀態を見ながら、思い切って叩いてみました。
 
單はカタツムリみたいで形が面白いです。
 
小篆體の單の字を見ていると、確かにカタツムリのような、渦を卷いたような形をしています。一つのものが內側に向かって集約されていく、そんなイメージが湧いてきます。
 
## 複という字の不思議な成り立ち
 
複は復と違うんですよね。
 
「複」と「復」。見た目は似ていますが、意味も成り立ちも異なります。
 
成り立ちは衣服の襟元とふっくらした酒壺と反對向きの足。ひっくり返った酒壺をもとに戾すからふたたびという意味で複が生まれたらしい。
 
ひっくり返った酒壺をもとに戾す。そこから「重なる」「繰り返す」という意味が生まれ、さらに「複數」という意味につながっていったのでしょう。
 
漢字の成り立ちを調べると、想像もしなかった由來が出てきて面白いです。
 
古代の人々が、日常の具體的な物や動作から抽象的な概念を表す文字を生み出していった過程。それを辿ることは、人間の思考の歷史を辿ることでもあります。
 
## 單と複、どちらを選ぶ?
 
一人でいたい時ってありますよね。それが單だとすると、人と一緖にいる時は複になるのかな。
 
單獨でいること、孤獨でいること。それは決してネガティブなことではありません。一人の時閒があるからこそ、自分と向き合える。自分を見つめ直せる。
 
でも、人と共にいる時閒も大切です。複數の視點が交わることで、新しい發見がある。一人では氣づけなかったことに氣づく。
 
簡單と複雜だとすると、簡單を選ぶと樂なんだけど、複雜を選ぶと學びが多い氣がする。
 
これは確かにそうですね。簡單な道を選べば、樂に進めます。でも、複雜な道を選んだ時にこそ、深い學びがある。
 
ただし、複雜さが本當に必要な複雜さなのか、それとも無駄な複雜さなのかを見極めることも大切です。
 
單純と複雜だとすると、本來は全てが單純なはずなのに、思考を停止させるためにより複雜化しているような氣がする。
 
これは深い指摘です。
 
本質的には單純なことを、わざわざ複雜にしてしまう。それは、本當の問題から目を逸らすためなのかもしれません。複雜にすることで、思考停止させる。考えなくて濟むようにする。
 
でも、本當に大切なことは、實はとてもシンプルだったりします。
 
## 單であり複でもある
 
單數か複數かという事だと、多細胞なので複のような氣がするけど、細胞分裂する前は單なんですよね。
 
私たちの體は、約37兆個の細胞からできていると言われています。これは明らかに「複」です。
 
でも、そのすべては、たった一つの受精卵から始まりました。最初は「單」だったのです。
 
そう考えると單でも複でもある感じ。眞ん中なのかな。
 
單と複は對立する概念のようでいて、實は表裏一體。どちらか一方ではなく、兩方を含んでいるのが私たちなのかもしれません。
 
單純さの中に複雜さがあり、複雜さの中に單純さがある。
單獨でありながら、他者とつながっている。
一つでありながら、多數でもある。
 
この矛盾を矛盾として受け入れること。それが、單と複の閒に立つということなのかもしれません。
 
## 對立を超えて
 
對意二字熟語百顆印プロジェクトを續けていて氣づくことがあります。
 
それは、對立する二つの概念は、實は完全に分離されたものではないということです。
 
新と舊、紅と白、雌と雄、乘と降、斷と續。そして今回の單と複。
 
これらは確かに對立する概念です。でも同時に、互いを補完し合い、互いを必要とし合っている。
 
單があるから複が際立ち、複があるから單が際立つ。
 
どちらか一方だけでは、意味をなさない。兩方があって初めて、世界は豐かになる。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 59/100 進行中
 
60顆目が目前です。あと一つで、プロジェクトの6割に到達します。
 
每回、單純に「彫る」という作業だけでなく、言葉の意味を考え、字の成り立ちを調べ、自分なりの解釋を加えていく。この複雜なプロセスが、單純な繰り返しの中に深い學びをもたらしてくれます。
 
單純な繰り返しの中に、複雜な學びがある。
これもまた、單複の一つの形なのかもしれません。

 

 

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新種の・・・(;^ω^)

 

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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
 
 
對意二字熟語百顆印の五十八顆目は「斷續」です。
 
## 斷續の意味
 
切れたりつづいたりすること。
しばらく續いては、ときどきやむこと。
 
連續的ではなく、斷片的に繰り返される狀態を表す言葉です。日常でも「斷續的に雨が降る」「斷續的に痛みがある」といった使い方をしますね。
 
## 制作について
 
今回も朱白文で彫りました。
 
・字體:小篆風
・朱白文:斷は白文、續は朱文
・サイズ:10mm角
・擊邊:入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石
・印影:

 

 

 
兩方とも畫數が多いので、なかなか手强い感じです。
 
斷は18畫、續は20畫(舊字體)。10mm角という限られた空閒に、これだけの畫數を收めるのは技術的に挑戰的です。
 
かなり細く彫ったつもりでも意外と太く印影は出て來てたのでまだまだ行けるようだった。
 
前回「乘降」で感じた「もっと細くしたい」という課題に挑戰しましたが、まだ理想には届いていません。それでも、確實に一步ずつ理想の線に近づいている手應えを感じます。
 
彫っている時と押印した時の印象の違い。この感覺を掴むのも、經驗を積み重ねることでしか得られないものです。百顆印プロジェクトを續けているからこそ、こうした細かな技術的な氣づきが得られるのだと實感しています。
 
## 斷る勇氣と續ける面白さ
 
斷は斷崖絕壁、續は繼續は力なりって言葉を思い浮かべますね。
 
「斷」という字から連想されるのは、斷崖絕壁のような切り立った崖。絕對に後戾りできない、そんな强さを感じます。
 
一方「續」からは、「繼續は力なり」という言葉。地味でも、コツコツと積み重ねることの大切さを表しています。
 
斷る勇氣は必要ですよね。
 
何でもかんでもできるわけではないけど、やりたくないこと、やらせようとしてるなぁと思う人からの依賴は受けたく無いので受けないようにしてます。
 
現代社會では、斷ることが難しい場面が多々あります。でも、自分の時閒とエネルギーは有限です。本當に大切なことに集中するためには、不要なものを斷つ勇氣が必要です。
 
斷ることは、續けることと表裏一體なのかもしれません。何かを斷つからこそ、本當に大切なことを續けられる。
 
每日コツコツって面白いですよね。僕だけなのかな。まぁ面白いことを續けてるんだから、そりゃ面白いのか。
 
この百顆印プロジェクトも、まさに每日コツコツの積み重ねです。一つ一つは小さな作品ですが、積み重なれば大きな成果になる。そして、續けているうちに技術も上がり、新しい發見もある。
 
續けること自體が面白くなる。それは、面白いと思えることを選んで續けているからこそ、なのでしょう。
 
## 繼と斷の不思議な關係
 
繼と斷は似てますよね。
 
字の形を見ると、確かによく似ています。
 
繼は絲を繋ぐという意味合いで、斷は絲を斷ち切るという圖から成り立っている。同じ絲でも正反對の意味になりますね。
 
繼(繋ぐ)= 糸 + 㡭(つなぐ)
斷(斷つ)= 㡭 + 斤(おの)
 
兩方とも「糸」に關わる漢字でありながら、一方は糸を繋ぎ、一方は糸を斷ち切る。正反對の行為を表しています。
 
絲という共通の要素を持ちながら、一方は繋ぎ、一方は切る。言葉の成り立ちに、深い意味が隱されています。
 
人生も同じかもしれません。何を繋ぎ、何を斷つか。その選擇の連續が、人生を形作っていく。
 
斷續的に訪れる出來事の中で、何を續け、何を斷つのか。その判斷が、自分自身を形作っていくのだと思います。
 
## 斷と續の閒で
 
「斷續」という言葉は、切れたり續いたりする不安定な狀態を表します。
 
でも、人生そのものが斷續の繰り返しなのかもしれません。
 
完璧に續けられることなんてない。時には休み、時には中斷し、それでもまた始める。その繰り返しの中で、少しずつ前に進んでいく。
 
この百顆印プロジェクトも、每日完璧に續けているわけではありません。でも、斷續的であっても續けている。それが大事なのだと思います。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 58/100 進行中
 
半分を超えて、着實に進んでいます。
 
今回は畫數の多い字を細く彫るという技術的挑戰でしたが、まだまだ改善の餘地があることが分かりました。
 
完璧でなくても、斷續的でも、續けていく。それが力になる。
 
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雨が斷續的に降ってる感じでしょうか・・・
 
今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
 
 
對意二字熟語百顆印の五十七顆目は「乘降」です。
 
## 乘降の意味
 
乘り物にのることとおりること。
のりおり。
「乘降する人の數」
「乘降客」
 
現代では當たり前のように使われる言葉ですが、そもそも「乘り物」という概念自體が、人類の歷史の中では比較的新しいものなのかもしれません。
 
## 制作について
 
今回も朱白文で彫りました。
 
・字體:小篆風
・朱白文:乘は白文、降は朱文
・サイズ:10mm角
・擊邊:多少入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石
・印影:

 

 

 
乘るは舊字體になりますね。やっぱり朱文は面白い。
 
でも押印すると思ったのと違う感じだった。もっと細くしたい。次回チャレンジです。
 
制作を重ねるごとに、自分の理想とする線の太さや印象が見えてきます。今回は少し太すぎたと感じたので、次回はより繊細な表現に挑戰したいと思います。こうして一つ一つの作品から學び、次へと活かしていく。それが百顆印プロジェクトの面白さでもあります。
 
## 徒步の素晴らしさ
 
乘り物って昔はあったのかな。今は普通に乘っちゃってるけど、昔は普通ではなかったよね。基本移動は徒步だよね。
 
徒步は素晴らしいと思う。步けば步くほどその素晴らしさが見えてくる。自分の足で步くこと。
 
人間は生まれた時、立つこともできません。でも成長と共に、少しずつできることが增えていきます。
 
最初は立てもしないんだけど、寢返りが打てるようになって、這いずりができるようになって、つかまり立ちができるようになり、そこから步く事ができるようになる。
 
一生使う足。大事にすべきだ。誰も自分の代わりに步いてはくれない。
 
便利な乘り物が發達した現代だからこそ、自分の足で步くことの價値を見直したいものです。
 
## 體という乘り物
 
というか、僕らはそもそも意識體が本體なので、現世では體に乘らせてもらっている。降りる時は、體を脫ぐ時。
 
「乘降」という言葉から、こんな深い氣づきに至りました。
 
そう考えると、體はとても大事。一生使わせてもらうもの。大切に扱うべき。
 
石油製品は體に入れない方がいいし、よくわからないお注射も避けた方がいい。農藥も、精製されたものも、日本は世界的にみても大國と言われている食品添加物も避けたい。
 
實際僕は避けるようにしている。するとびっくりするぐらい、體調が良くなる。怪我の治りも早い。
 
何だ、今まではよっぽど閒違ったものを體に入れていたんだなと氣づく。
 
體は私たちが一生使わせてもらう大切な器です。何を入れるか、どう扱うかは、自分自身で選擇できます。
 
## 體からのサイン
 
今日、「家庭でできる自然療法」という本を買った。この本があれば本當に日本からお醫者さんがいらなくなる。
 
書店では發賣できないから、本當に必要として知ろうとして知っている人だけが手に入れる事ができる。
 
そりゃ、書いてあることは、全ての食品業界、醫療關係の機關を否定してしまうことにつながってるので、そこで利權を得ている人たちから潰しがかかるだろうと思う。ここでも、食品業界と醫療機關の癒着があるんだろなと。
 
あぁ、乘降だった。話が逸れましたが、本題に戾ります。
 
痛みは體を通して神からのサインなんですよね。車で言うと、煙が出てたり、タイヤがすり減ったりしてる狀態。
 
車は部品の取り替えや、買い替えができるけど、體は神樣から預かっている一生使わせてもらう大切な乘り物。
 
だから、「氣付いてよ!」と言ってくれてる。何かしらが閒違ってるんだよ、と。
 
痛みや不調を藥で抑え込むのではなく、體が何を訴えているのかに耳を傾ける。それが本當の意味で體を大切にするということなのかもしれません。
 
現代醫療を全否定するつもりはありませんが、自分の體と對話し、自然の力を借りながら健康を保つという選擇肢もあることを、多くの人に知ってほしいと思います。
 
## 乘り物としての體を大切に
 
「乘降」という何氣ない日常語から、こんなに深い氣づきが得られるとは思いませんでした。
 
私たちは意識體として、この體という乘り物に乘せてもらっている。そして、いつかは降りる時が來る。
 
だからこそ、乘っている閒は大切に扱いたい。自分の足で步き、良いものを食べ、體の聲に耳を傾ける。
 
當たり前のようで、現代社會では忘れられがちなことかもしれません。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 57/100 進行中
 
半分を超えて、確實に進んでいます。
 
今回は朱文の線の太さについて新たな氣づきがありました。理想とする印影に近づくために、次回はまた新しい挑戰をしてみたいと思います。
 
一つ一つの言葉が、思いがけない氣づきをもたらしてくれる。それが百顆印プロジェクトの醍醐味です。

 

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間違い探しみたいで、色々とおもしろい(´艸`*)
 
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今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
 
 
對意二字熟語百顆印の五十六顆目は「雌雄」です。
 
## 雌雄の意味
 
めすとおす。めすおす。
「雌雄異株(いしゅ)」
 
轉じて、優劣。
 
生物學的な性別を表す言葉ですが、「雌雄を決する」といった表現では優劣や勝敗の意味でも使われます。本來は中立的な區別を示す言葉が、いつの間にか價値判斷を含む言葉として使われるようになった興味深い例です。
 
## 制作について
 
今回も朱白文で彫りました。
 
・字體:小篆風
・朱白文:雌は白文、雄は朱文
・サイズ:10mm角
・擊邊:ちょっとだけ入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石
・印影:

 

 

 
雌は畫數が多いので、結構ギリギリのサイズでした。10mm角に收めるのに苦勞しました。限られたスペースの中で、字のバランスを保ちながら彫り進めるのは、毎回緊張する作業です。
 
擊邊は前々回の「新舊」での失敗を教訓に、控えめに入れています。石との對話を重ねながら、少しずつ適切な力加減が分かってきた気がします。
 
## 甲骨文字に雌雄はなかった?
 
制作にあたって字體を調べていて興味深いことが分かりました。
 
どうやら甲骨文字で雌雄は存在していなさそうです。その時代に雄雌の區別をつける言葉がなかったのかもしれませんね。
 
古代の人々は、生物の性別をどう認識していたのでしょうか。區別する必要性を感じなかったのか、それとも別の表現方法があったのか。文字の歷史を辿ると、こんな風に當時の人々の世界觀が垣間見えて面白いです。
 
## 雌雄について思うこと
 
雌がいて雄がいる。
いない生物も存在する。
雌雄が變わる生物もある。
植物も雄蘂と雌蕊がある。
 
生物の世界は實に多樣です。雌雄が明確に分かれている種もあれば、雌雄同體の種もある。カクレクマノミのように環境に應じて性別が變わる魚もいます。
 
どちらが優とか劣とかはないとは思う。
 
僕らが授業で習っていた優性と劣性も、顯性と潛性に變わったそうで、まぁ、色々と變わるもんですね。
 
言葉は時代と共に變わっていきます。「優性・劣性」という表現が「顯性・潛性」に改められたのも、優劣という價値判斷を避けるためでした。優性遺傳子が「優れている」わけではなく、單に「表に現れやすい」という意味だったのですが、言葉の印象から誤解を生んでいたのです。
 
雌雄という言葉が「優劣」の意味で使われることもありますが、本來は單なる性別の區別。そこに優劣の意味を讀み込むのは、人間の側の解釋なのかもしれません。
 
「雌雄を決する」という表現も、よく考えてみれば不思議です。なぜ性別の區別が勝敗を意味するようになったのか。源平合戰で源氏が白旗、平家が赤旗を用いたように、對立する二つのものを表す言葉として雌雄が選ばれ、そこから優劣・勝敗の意味が生まれたのでしょうか。
 
言葉の意味は、使う人々の意識を映し出します。そして同時に、言葉は人々の意識を形作ってもいく。だからこそ、言葉は愼重に選ばなければならないし、時代に合わせて見直していく必要があるのだと思います。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 56/100 進行中
 
半分を超えて、着實に進んでいます。一つ一つの言葉と向き合いながら、その奧にある意味や歷史を探っていく作業は、篆刻そのものと同じくらい興味深い時間です。
 
畫數の多い複雜な字を小さな印面に彫り込む技術的な挑戰も、回を重ねるごとに樂しくなってきました。
 
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・・・大喉通・・・?(;^ω^)

 
今回の作品、いかがでしたでしょうか。
次回もお樂しみに。
 
 
對意二字熟語百顆印の五十五顆目は「紅白」です。
 
## 紅白の意味
 
紅色と白色。赤と白。
「紅白の幕」
 
《源氏は白旗を、平家は赤旗を用いたところから》
對抗試合などでの、傳統的な二組の組分け。
赤組と白組。
「一クラスを紅白に分ける」
 
日本では特に緣起の良い色の組み合わせとして、祝い事や慶事に用いられます。紅白の幕、紅白饅頭、紅白歌合戰など、日本文化に深く根ざした色彩です。
 
## 制作について
 
今囘も朱白文で彫りました。
 
・字體:小篆風
・朱白文:紅は朱文、白は白文
・サイズ:10mm角
・擊邊:ちよっと入れました
・印刀:刀匠印刀三號
・印材:靑田石
印影

 

 

 
擊邊は昨日のことがあったので弱めにしました。前囘「新舊」で强く叩き過ぎて大きく缺けてしまったので、今囘は愼重に取り組みました。
 
失敗から學ぶというのは、まさにこのこと。一つ一つの作品が次の作品への學びになります。石との對話も、囘を重ねるごとに深まっている氣がします。
 
紅を朱文で、白を白文で表現することで、色彩の對比を印面の表現でも再現できたのではないかと思ひます。
 
## 紅白という色の組み合はせ
 
赤と白つて凄く合いますよね。
 
混ぜるとピンクになるので危險です。依存性が强い色と聞いた事があります。確かにピンク色には、人を惹きつける不思議な力がありますね。
 
でも、櫻の花は好きだな。
 
白地に赤を每日見てる限りですが、全く飽きが來ません。緣起がいいとされているからでしょうか。これも刷り込みなんかな。
 
日本人にとって紅白は特別な色の組み合わせです。お祝い事には必ずと言っていいほど紅白が使われます。この感覺は、文化的な刷り込みなのか、それとも色彩そのものが持つ力なのか。考え出すと面白いテーマです。
 
## 赤字と名前の不思議な關係
 
昔、人の名前は赤字で書くと緣起が惡いので、書いちやダメと聞いたような氣がするのですが、ちよっと調べたところ、色々と出所がありそうですね。
 
韓國では死者の名前を赤で書く習慣があるとか、日本でも赤字は借金を意味するから縁起が惡いとか、諸說あるようです。
 
うーん、でも印はほぼ赤で名前なんだけど、矛盾してないのかな。
 
印章は朱で捺すのが傳統。名前を赤で書くのは緣起が惡いとされる。同じ赤なのに、用途によつて意味が變わる。不思議なものです。
 
同じ色でも、使われ方や文脈によつて吉凶が變わる。これも文化の面白いところですね。印章の朱は權威や正統性の象徴であり、むしろ緣起の良いものとされています。
 
色というものは、それ自體に意味があるのではなく、文化や歴史の中で意味づけられていくものなのかもしれません。
 
## 進捗狀況
 
對意二字熟語百顆印プロジェクト
現在 55/100 進行中
 
半分を超えて、著實に積み重ねています。一つ一つの言葉、一つ一つの色、一つ一つの字體と向き合ひながら、ゆつくりと、しかし確實に進めています。
 
前囘の失敗を活かして、今囘は愼重に擊邊を入れることができました。こんな風に、少しづつ技術も經驗も積み重なつていくのだと實感します。
 
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そういうふうになるんだ・・・(;^ω^)

 
今囘の作品、いかがでしたでしょうか。
次囘もお樂しみに。