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泥沼の人生?〜溺れてしまうそのワケ〜

前回の恋愛依存症に通じる話です。

精神的飢餓感を持つ人は、つねに不安で不満。
まるで後ろからライオン(不安)に追いかけられているように
生きているようなものなのです。

同じ走るにしても、ジョギングやマラソンをしているのとは
大違い。

自分の意志で走っている人は、また自分の意志で
歩くことも、休むこともできるのですが

ライオンに追いかけられていたら、そのペースは
ライオンのご機嫌に委ねられてしまうのですから。

そんな中、目の前に川の流れが見えてきます。
自分の意志で走っている人は、川の流れの状況を察し
泳ぎを楽しむために足を踏み入れます。
その気のない時には、やめることだってあるでしょう。

でもライオンに追いかけられている人は、どんな川の流れにだって
急場の助けだと思い込み、飛び込んでしまうのです。

泳ぐことが初めてだったり、流れの激しい川だったら?
時には命取りにもなってしまいますね。

また死なない程度に苦しく大変な流れであったとすれば
もとのライオンに追われる自分に戻りたくないあまりに
わざわざ留まってしまうこともあるのではないでしょうか?

ライオンと急流、どちらの程度がマシなのか。

考えることもできずに

…たとえ話が長くなってしまいましたね。

急流に流されていく人は、ある種の心を病んでしまった人です。
当然、その流れを乗りこなすことに懸命になりがちなのですが

もともと追いかけてくるライオンを制することが大切だったことに気づき
岸に上がってライオンに向き合う勇気を持った時

ようやく自分の意志で生きる人生を
手に入れることができるのだと思います。

溺れてしまっていませんか?
ライオンを見つけ出すことができますか?

制したライオンを、自分の守り手として従えさせ
心強く、そして楽しく生きてみたくはないですか?

2007/10/30(火)の記事を転載

恋愛依存症〜死ぬほど恋しいそのワケ〜

恋でもすれば、ウツも吹っ飛ぶ。

ある精神科医がこんな名(迷?)言を吐いていましたっけ。

たしかに恋もウツも、生理学的には脳内ホルモンの成せるワザ。
自家製イキイキホルモンが難なく分泌されれば、
その快感で気分が軽くなりそうな気もします。

ところが。その快感というのも時にちょっとクセモノ。 

「快感や高揚感を伴う物質の摂取や特定の行為をくり返し
行った結果、それらの刺激なしにはいられなくなった状態」
ご存知の通り、これは依存症と呼ばれます。

時にと書いたのは、誰もが皆ある快感に異常にハマル
というわけではないからなのです。

原因には、体質や脳の器質の傾向性も指摘されていますが
これを心の傾向性という側面から考えてみると

精神的飢餓感を持つ人が当てはまるように思います。
自信のなさ、自己無価値感、自己効力感のなさ、承認や愛情の欲求
いろいろな言葉で表現されていますが、ようするに
自己肯定への飢餓感だといえそうです。

もっともっと、シンプルにいってしまえば

誰かにやさしくされて心地がいい

これを求めているのではないでしょうか?

ただでさえ、それまでの過程で(とくに親から)自己肯定感
愛されているという喜びや自信)を受け取れなかった人は
恋をした誰かから今度こそそれを得ようと必死です。

親に対するそれへのように、相手にとことん期待をし、求め、独占し
しがみつき、自分のすべてを受け入れさせようとする。

あのヒトの心を得るためだったら、すべてを捨てても
死んでもいい!?

その気持ちに酔うことがやめられない…

アナタ(の気持ち)が重たい・うっとぉしい・うざったい
と誰かにいわれたことはありませんか?
やさしさを求められる側は、しばしばそのように感じます。 

心当りがあったら、やさしさの快感への依存症になる前に
自分で心の奥の飢えを満たしてあげる方法を探しませんか?

2007/10/22(月)の記事を転載

insult〜侮辱するヒトの気持ち〜

誰かの侮辱の言葉に傷ついたり、不愉快になったり。
そんな経験はありませんか?

イヤミや皮肉に悪口、誹謗中傷、罵詈雑言。

これは、他の人に自分の存在を軽んじられた不満や不機嫌を持ったヒトが
自分の心の中で、その存在価値を回復するための手段のような気がします。

そして多くは、弱い人や甘えられる人、依存している人、その場にいない人
つまり自分を脅かす怖れの少ない人が対象に選ばれるのではないでしょうか?

ヒトってその存在感を認めてもらえることで心が救われ、喜び
反対にそれを軽く見られたり、無視されることによって傷つくもの。
傷ついた心の膿みは、癒されるまでくすぶり続けるのでしょう。

優越感と劣等感は、自分で自分の存在価値を計るインジゲーターの
両端なのかも知れません。

"心"は、つねに自分の存在価値を計る機能。

他の人を貶めることなく、自分の中にその存在価値を勝ち取ることは
きっとできるはず。

2007/8/17(金) の記事を転載