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理論武装を解除して「箱」から出よう。

ウソのような話なのですが、数日前の朝目覚めた時に

自分の箱、箱、箱、箱…

という言葉が頭の中でリピートしていました。

気にかかった(というより、PCの前でそれを思い出した)ので
戯れに検索したところ

Leadership and Self-Deception: Getting Out of the Box
という本を見つけました。 

書評を拾い読みしてみると、どうもビジネス関連の啓発書といったもので
心理学で馴染んでいるような言葉は使われていないようなのですが
なかなか興味深い内容だと感じました。

(…実際に読んでいないんで恐縮ですが)

「箱」に入っているというのは、自己欺瞞に冒されていること
なのだそうです。

箱の中にいると、互いに相手を手ひどく扱い、
互いに自分を正当化する。
共謀して、互いに箱の中にいる口実を与えあう。


自分の心を開くー箱から出るーということの意味
そしてそのためのポイントが「箱」という概念によって
うまく説明されているように思います。

そしてその「箱」を認識する視点の重要性が説かれています。

(これまで金魚迷惑を読んでくださってきた方々には
耳にタコ的な内容かも知れません^^:)

ちなみにワタシ自身、ごく最近自分(と相手)のこの「箱」を
痛烈に!!!認識させられる出来事に遭遇してしまい
冒頭のエピソードは自分への啓示だったのではないか?と
胸に沁みました。
おかげでトラブルをこじらせず、痛みも最小限で済みました。

どれだけ自分の合理性を訴えても、理論武装するほどに
相手との関係がこじれていくばかり。

「箱」を作り、強化しているといえるかも知れません。
「箱」を打ち破って中から出てきてみませんか?

自己を正当化する必要性のない関係は
気楽でスムーズに違いありません。

こんなサイトを見つけました。
箱の話1←日本にもこんなコンサルタントがあるんですね~^^

誰かの苦しい気持ちに届きますように。

アナタは、自分の身に起こる出来事や関わる周囲の人々
そして自分の運命というものを憎んでいませんか?

ワタシはそうでした。
運命を憎み「こんなに尽くしているのだからラクにして」と
運命を脅迫していましたっけ。

憎まれ、脅されたら、相手を愛せないのは
運命の側も一緒のようです。

しかも運命(とワタシ達が呼ぶもの)は、
自らの意志を持たないのですから。

意志を持つ自分の側が変わり
運命(それがどんなに過酷でも)に微笑みかけ
愛そうとしない限り
「できない」とあきらめ続ける限り

運命もまた「変われない・できない」という答えを
その人に返し続けるのです。

心が変われば、態度が変わる。
態度が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
運命が変われば、人生が変わる。

ところが、心というモノを手足を動かすように
自在に操るのはなかなか難しいもの。

けれども心こそ、コントロールの仕方を学ばずに
突進したら命に関わるのです。

いったんギアをニュートラルに戻すことに
目を向けてみませんか?

2007/8/31(金) の記事を転載

ココロの侵略戦争

みなさんは、自分の心のテリトリーというものを
意識したことがあるでしょうか?
その自分の心のテリトリーが、誰かに侵略されてしまって
安住できる居場所でなくなっていませんか?

この世に生まれ出でた時、すべての土地(居場所)はみな他人のもの。

目には見えない自分の心という安住の地を獲得することも
人によっては大変な困難を伴うことがあるようです。

自分の心のテリトリーに居場所(認識)のない人は
他のヒトと心のテリトリーを奪い合います。

自分の期待通りにして欲しい
すべてを知りたい
自分の好みや考え方を押しつける
相手の求めていない世話を焼く
自分のために時間や労力を使って欲しい
相手の所有物(お金など)を自分のもののように考える

これらはみな他の人の心のテリトリーを侵略している
ことに他なりません。

恋をするということは、お互いに心のテリトリー(心境?)の
守りをゆるめ、自分の心のテリトリーに相手を招待し合うこと
なのではないでしょうか?
親友との関係というのも、これと似ているかも知れません。

自分の心のテリトリーの管理能力の未熟な幼い頃に
心のテリトリーを築き、大切な人とそこに招待し合うことではなく
大人によって一方的に侵略され続け、
居場所(認識)のないままに、それを奪う・明け渡すことのみを学んできた
結果のような気がしてなりません。

誰かの心のテリトリーを侵略していませんか?
自分の心のテリトリーを侵略されていませんか?

自分の心に自分の安住できる居場所
が必要ではないですか?

2007/11/11(日)の記事を転載