鏡両側(一体)説。
精神世界の概念にべつに傾倒していない人の間でも
「子は親の鏡、親は子の鏡」といったように
世界は自分を映す鏡である。
的な話が出ることがありますよね。
ありがちですが、世界と自分という二元に分けてしまって
自分(主体)
世界(客体)という構図がイメージされがちです。
この世界が一元だと知ると
自分(主/客)
世界(主/客)もまた真実であり
自分は世界を映す鏡である。
「も」相成り立ちます。
まぁ、全部を瞬時にバランスよく映し出すというわけでなさそうで
(世界の側も同様ですが)それぞれの鏡の質や映し出すスパンや向き
といった特性がすなわちその自分を形成しているように思います。
なので、時には自分側が鏡と仮定して
その自分鏡(カラダやココロ、あり方)に
なにをどんな風に映し出したいのか?
イメージしてみるといいかと思います。
不本意な焦点に自分の鏡の向きを合わせていることに
気づく場合あるのではないでしょうか。
気がつくだけで、鏡の角度は変わります
「子は親の鏡、親は子の鏡」といったように
世界は自分を映す鏡である。
的な話が出ることがありますよね。
ありがちですが、世界と自分という二元に分けてしまって
自分(主体)
世界(客体)という構図がイメージされがちです。この世界が一元だと知ると
自分(主/客)
世界(主/客)もまた真実であり自分は世界を映す鏡である。
「も」相成り立ちます。
まぁ、全部を瞬時にバランスよく映し出すというわけでなさそうで
(世界の側も同様ですが)それぞれの鏡の質や映し出すスパンや向き
といった特性がすなわちその自分を形成しているように思います。
なので、時には自分側が鏡と仮定して
その自分鏡(カラダやココロ、あり方)に
なにをどんな風に映し出したいのか?
イメージしてみるといいかと思います。
不本意な焦点に自分の鏡の向きを合わせていることに
気づく場合あるのではないでしょうか。
気がつくだけで、鏡の角度は変わります

「べき、ねば」の深層(真相?)
ある時、自分が「するべき、しなきゃ」という強迫観念の
権化であるような気がしました。
それって、もしかして本当はそうしたいことなんじゃないの?
という問いかけをしてみると…出るわ,出るわ!の抵抗感と
異論、反論。アメアラレ。
つまりビンゴ
もちろんワクワクと望んでるわけじゃなさそうだけど
経験上、そうした方が、そうであった方が
「自分に利がある、もしくは無難・相当」という意味では
そうしたいこと。
そうしたいんでしょ?ねぇ?
「ダイエットしたい!」なんて、よく言ってるよねぇ?
抵抗感や、反論、怒りや恐れの感情がザクザク表れる時
そこにこそ自分という観念を見出しやすいようです。
…さらに、もう少し深追いしてみましょう。
反対に「面倒、ダメ、イヤだ、やりたくない!」類いのこと。
これも本当はそうしたいこと。
ええ!?
ナニ言ってんの? 真逆でしょ、バカじゃない?
(自分の声です)
ええと…かなり説明しづらいですね^^;
それを拒む時、何を感じていますか?
やっぱり「べき、ねば」、もしくはそれに反する罪悪感や抵抗。
そもそもそれがないと、べつに「イヤだ、やりたくない!」と
強く感じたりしないものです。
でも。繰り返しますが
経験上、そうした方が、そうであった方が
「自分に利がある、もしくは無難・相当」という意味では
そうしたいこと。
「このケーキ食べちゃダメ!」…ダメ?
じつは何を望んでいるのか、いないのか?
気づくためにはちょっとコツがいるようです。
ちなみに
◯コダワリ(「べき、ねば」、コントロール、支配)
◯優越感&劣等感(プライド)
◯自/他を責める気持ち(被害者意識)&罪悪感(加害者意識)
精神のアキレス腱などとも言われる
この辺りの気持ちの深層(真相?)を俯瞰できるようになると
気づくことが多いかと思います。
折にふれて言葉を探し、こちらに綴っていこうかと思います^^
権化であるような気がしました。
それって、もしかして本当はそうしたいことなんじゃないの?
という問いかけをしてみると…出るわ,出るわ!の抵抗感と
異論、反論。アメアラレ。
つまりビンゴ

もちろんワクワクと望んでるわけじゃなさそうだけど
経験上、そうした方が、そうであった方が
「自分に利がある、もしくは無難・相当」という意味では
そうしたいこと。
そうしたいんでしょ?ねぇ?
「ダイエットしたい!」なんて、よく言ってるよねぇ?

抵抗感や、反論、怒りや恐れの感情がザクザク表れる時
そこにこそ自分という観念を見出しやすいようです。
…さらに、もう少し深追いしてみましょう。
反対に「面倒、ダメ、イヤだ、やりたくない!」類いのこと。
これも本当はそうしたいこと。
ええ!?
ナニ言ってんの? 真逆でしょ、バカじゃない?
(自分の声です)
ええと…かなり説明しづらいですね^^;
それを拒む時、何を感じていますか?
やっぱり「べき、ねば」、もしくはそれに反する罪悪感や抵抗。
そもそもそれがないと、べつに「イヤだ、やりたくない!」と
強く感じたりしないものです。
でも。繰り返しますが
経験上、そうした方が、そうであった方が
「自分に利がある、もしくは無難・相当」という意味では
そうしたいこと。
「このケーキ食べちゃダメ!」…ダメ?
じつは何を望んでいるのか、いないのか?
気づくためにはちょっとコツがいるようです。
ちなみに
◯コダワリ(「べき、ねば」、コントロール、支配)
◯優越感&劣等感(プライド)
◯自/他を責める気持ち(被害者意識)&罪悪感(加害者意識)
精神のアキレス腱などとも言われる
この辺りの気持ちの深層(真相?)を俯瞰できるようになると
気づくことが多いかと思います。
折にふれて言葉を探し、こちらに綴っていこうかと思います^^
カラッポと自分探し。
十代の終わり頃だったでしょうか。
今になって調べてみると、かなりの人が経験するらしいのですが
それぞれの相手の期待に合わせて自分を作る
(対面というのか、言葉使いや態度や意見などを変える)ような
ことをしているうちに、たくさんの自分がいるような気になり
どれが本当の自分かわからなくなってしまいました。
それで、人格を消していったんです。
「◯×さん用の」自分をひとつづつ。
親用、先生用、友達用、近所の人用、兄弟用…
アレもコレも、誰かの言われた通り、もしくは気に入るように
取り入れたり、真似したり、そんな自分も逐一消していきました。
ついには、誰かとナニカが起きた後に痛くなる手足も消化器も
アタマも、カラダも。
最後にわかったんです。
自分なんてない、カラッポだ。
そこまでは、いいのですが…^^;
そこからは自分探し、というよりむしろ自分作りに没頭して
しまいました。
意気揚々と選んでいったんです。
強い自分を。
しばらくはよかったのですが、せっせと自分の世界に挑んでいるうちに
苦しくなって行き詰まりました。
そして、また自分に目を向けるハメになったのです。
かなりの年数さんざん回り道、迷い道をした挙げ句に
見つけた出口は…
またもやカラッポ
な~んだ、それでよかったんだ…
徒労のような気がしますが、かつての経験と違って
そのカラッポこそが探していた物だと気づきました。
カラッポこそすべてだった!
今はカラッポが穏やかに、まだまだ
好きでやっている(のにままならない)自分を
見つめています。
ちなみに、悟った人がよく人類の役割や使命について語りますが
ワタシの場合は「べつにハエでもいいや~」と感じてしまったので
多分違うと思います(笑)。
あしからず。
今になって調べてみると、かなりの人が経験するらしいのですが
それぞれの相手の期待に合わせて自分を作る
(対面というのか、言葉使いや態度や意見などを変える)ような
ことをしているうちに、たくさんの自分がいるような気になり
どれが本当の自分かわからなくなってしまいました。
それで、人格を消していったんです。
「◯×さん用の」自分をひとつづつ。
親用、先生用、友達用、近所の人用、兄弟用…
アレもコレも、誰かの言われた通り、もしくは気に入るように
取り入れたり、真似したり、そんな自分も逐一消していきました。
ついには、誰かとナニカが起きた後に痛くなる手足も消化器も
アタマも、カラダも。
最後にわかったんです。
自分なんてない、カラッポだ。
そこまでは、いいのですが…^^;
そこからは自分探し、というよりむしろ自分作りに没頭して
しまいました。
意気揚々と選んでいったんです。
強い自分を。
しばらくはよかったのですが、せっせと自分の世界に挑んでいるうちに
苦しくなって行き詰まりました。
そして、また自分に目を向けるハメになったのです。
かなりの年数さんざん回り道、迷い道をした挙げ句に
見つけた出口は…
またもやカラッポ

な~んだ、それでよかったんだ…
徒労のような気がしますが、かつての経験と違って
そのカラッポこそが探していた物だと気づきました。
カラッポこそすべてだった!
今はカラッポが穏やかに、まだまだ
好きでやっている(のにままならない)自分を
見つめています。
ちなみに、悟った人がよく人類の役割や使命について語りますが
ワタシの場合は「べつにハエでもいいや~」と感じてしまったので
多分違うと思います(笑)。
あしからず。