昨日は息子と娘の運動会でした。息子は6年生のため小学校最後の運動会を思う存分楽しんだようです。昨年から娘が入学して子ども達が登場するプログラムが多くなり、ビデオカメラを片手に私も大忙しでしたが楽しい時間を過ごすことが出来ました。

先日、NHKニュースを見ていたら、運動会は朝早く弁当を作ったり、場所取りなど親の負担が大きく、また熱中症対策や教師の働き方改革の意味からも午前中で終わる学校が増えているとのことでした。

 

私が最近感じるのは、子ども目線ではなく親の理屈が増えてきているなということです。運動会は多くの子ども達にとって家族と一緒に食べるお弁当もふくめて年に一回の楽しみだと思います。また個人種目や団体種目などの様々な種目を出来るだけ多くやりたいと思っていると思います。応援合戦や高学年の様々なスタッフとしての役割もやりがいを持ってやっていることと思います。

 

親が運動会を負担に思う気持ちも分かりますが、子ども目線で一緒に楽しめる運動会でありたいものです。

 

三重小学校では、校歌を三番まで歌わず一番だけにしたり、組体操の時間を少し身近くしたり、徒競走のレーンを1レーン増やしたり、全員音頭の企画を無くしたりと時短の工夫をし、熱中症対策で20分間の休憩時間を設けたり、など様々な知恵を絞って今年も子ども達目線で運動会が行われました。

 

家族の形が変わり、多様化している時代に、田舎だから出来るのかもしれませんが、大人は負担に思い理屈を言うのではなく、知恵を絞り子ども目線で考えるようにありたいと思います。昔ながらの田舎の運動会をこれからも続けて欲しいと願います。

「もり・かけ問題」はもううんざりと思っている方も多いかもしれませんが、国会では6月20日の会期末が迫り様々な重要法案の採決を迎えます。働き方改革関連法案について国会ではいい議論がなされてきたと思います。国会審議の中で法案の根拠となるデータが不適切であることが指摘され、裁量労働制の対象拡大が法案から削除されることもありました。

 

働き方改革関連法案の採決が今月中にも行われるようですが、与野党の最も大きな争点となっている「高度プロフェッショナル制度」について書きたいと思います。労働基準法の根幹は「一日8時間、週40時間労働」です。これ以上の労働が可能となるのは、労使による三六協定の締結が必要です。しかし、「高度プロフェッショナル制度」はこれまでの制度の根幹から一部専門職を除外する制度で、労働時間の上限を取り払うものです。

 

政府与党は多様化した時代に様々な働き方があってもいいとの考えから、金融商品開発やコンサルタントなどの限られた専門職で年収1075万円以上といった制度適用の要件を付けて、労働生産性の向上や生活の自由度が上がるとの理由で導入したいと考えています。一方立憲民主党、国民民主党などの野党は、ブラックボックス化の原因となり、過労死を助長する可能性が高いとの理由で反対しています。

 

私も含めて働く世代は、大いに関心を持つべき議論が今国会でなされています。制度の適用要件があるので私は当てはまらないと考える人も多いかもしれませんが、労働者派遣法の事例を紹介します。

 

派遣労働者を日本で認めるか否かの大議論が30年前にありました。1986年、対象は高度な技術を要する専門的な13業務に限られて、労働者派遣法が制定されました。その後1996年には26業務に拡大され、1999年には原則自由化され、2004年には製造業なども認めらて完全自由化されました。私は日本が分厚い中間層による豊かな国から、格差社会と言われるようになった大きな原因の一つは労働者派遣法の歴史による正規・非正規労働者の問題が大きいと考えています。

 

「高度プロフェッショナル制度」には制度適用要件があります。しかしこの要件は、法律には、「高度な専門的知識等を必要」「基準年間平均給与額の三倍の額を相当程度上回る水準」と書いてあり具体的な要件は省令で定めるとされています。専門職とされる業種は何業種あるのか、年収1075万円以上といったことは書かれていません。つまり労働者派遣法の歴史をみると最初は今言われている一部の労働者対象の制度かもしれませんが、省令改正によって拡大されていくことは容易に想像がつきます。

 

マルクスの「資本論」までさかのぼることは言いませんが、私たちは歴史から学び政治を見る必要があると思います。採決の時の派手なアクションだけを見るのではなく国会での地道な議論、そして大きな争点にスポットライトを当てて、働くものとして、当事者意識を持って考えてみる必要を感じます。

毎日のようにテレビでは、日本大学と関西学院大学のアメリカンフットボールの定期戦での日大選手の反則タックルの映像が流れています。昨日、反則タックルをした選手が陳述書を提出し、記者会見を開き詳細な経緯と自らの思いと心からの謝罪を語りました。20歳の若者がなぜここまで重いものを背負わなければならないのかと感じ悲しくなりました。

 

記者会見は非常に誠意が感じられました。日大は、指導者の指導と選手の受け取り方に乖離があったと主張していますが、この選手の記者会見を聞くと、あきらかに監督、コーチが反則タックルを指示し選手が思い悩んで実行した様子が伝わります。しかしこの会見後も日大広報部は、監督の指示に対し誤解があり言葉足らずで選手とのコミュニケーション不足とのメッセージを発表し、あくまで指導者からの指示はなく選手の受け止め方との間に乖離があったとの主張をしています。

 

私は、高校、大学時代とラグビーをやっていて、大学では同志社大学との定期戦があり立同戦を楽しみにしており、歴代大切にしてきていました。そのことを考えると、指導者が「定期戦が今後なくなっても構わないからQBをつぶせ」という発言は怪我をさせろとの意図以外に考えられず信じられない言葉です。また、「相手QBが怪我をしてシーズンに出られなかった方が得だ」といった発言はもはやスポーツではありません。

 

ラグビーもアメフトも怪我が付き物のスポーツです。私も恥ずかしながら大学時代は鎖骨を二回骨折しました。そのぐらい激しい厳しいスポーツだからこそルールが大切です。当然、ノーボールタックルの危険はすべての選手はよく理解しており、そのことを監督、コーチから執拗に求められた選手がどれほど悩んだか、そしてやってしまったことの重大さに苦しんでいるかは想像を超えます。ぜひマスコミの方には、記者会見で自分の言葉で語った反則タックルをした選手をそっとしておいてやってほしいと願います。

 

またこの日本大学アメリカンフットボール部の一連の対応と現状判断をみていると本当に廃部になってしまうのではないかと感じます。危機管理対応をこれ以上誤ると日大フェニックスの輝かしい歴史が終わってしまいます。

インターネットテレビ三重tubeに津のパスタ屋「喜場食堂」の小柴大地さんに来てもらいました。今回の前編は、彼が先日桑名市で開催したオリエンタルラジオの中田敦彦さんの講演会の舞台裏について語っていただきました。

当日は私も参加しましたが、700名以上の来場者がいて、たくさんのスタッフにより見事なイベントでした。なぜ彼がこのイベントを企画したのか、これから何をやろうとしているのかを語っていただきました。

 

20代の彼と出会い、20年前の自分自身を思い出しました。三重県にもおもしろい熱い若者がいるなと思い今回「坂の上の雲に向かって」に出演してもらいました。

 

彼は、世界を旅してイタリアでパスタを食べた時に電流が走り、パスタ屋をやろうと決めて帰国し、イベントや路上で2万食売ったら店を持つと決めてパスタ売りを始めました。見事その目標を達成をして津でパスタ屋を経営しています。このパスタ屋の話は時間が足りませんでしたので次回の後編でたっぷり話してもらいましたのでぜひお楽しみに。

 

70人の若者がスタッフとして手弁当で集まり中田敦彦さんの講演会が開かれました。中田さんの話は私の心に大きく響きましたが、来場者はもちろん、スタッフとして関わった人たちに大きな財産になったことと思います。これからの彼らの活躍が楽しみです。

インターネットテレビ三重tube「坂の上の雲に向かって」では、政治を身近に感じてほしいとの思いから、私が県議時代に所属していた三重県議会会派「新政みえ」の県議の皆さん方に登場いただき、政治を語っていただく新企画をスタートしました。ぜひお時間あります時にご覧ください。

 

第一弾:「若者が政治に興味を持つには」

出演:杉本県議(津市選出)、中瀬古県議(松阪選出)、芳野県議(四日市選出)、ミスユニバース三重準グランプリー村上実里

 

第二弾:「若者が三重県に定住してもらうのは」

出演:杉本県議(津市選出)、中瀬古県議(松阪選出)、芳野県議(四日市選出)、ミスユニバース三重準グランプリー村上実里

 

今後第三弾、第四弾と公開していきますのでぜひチェックしてください。

先日公共政策の授業で、マルクスの「資本論」の話になり、「大学時代に皆さんは読まれたと思いますが・・・」と先生が言いました。私は法学部でしたが確か経済原論等の授業で本来学んでいるのでしょうが、読んだ記憶はありませんでした。たまたま昨日新幹線で読む本を探しに本屋に入ったら「資本論」のマンガがありました。今から「資本論」を読みたいとの欲求はありませんがマンガならと手に取り一気に読みました。非常に分かりやすく良かったです。

若者の本離れがすすみ、脈々と読み継がれてきた小説や経済学、政治学、哲学などの本が読まれなくなってきています。ネットで簡単に情報は手に入る時代になりましたので、自分にとって耳触りの良い情報だけに囲まれて非常に偏った人が増えてきているように感じます。また歴史や客観性など幅広い知識に基づいて物事を見ることが出来ない薄っぺらい人が増えてきているように感じます。

 

本来は先人たちからいい本と伝わっているものに関しては、ちゃんと読むべきですが、邪道かもしれませんが、このようなマンガででも読まないよりましであり、これもありかなと感じました。

 

「資本論」を読んで、今国会で議論されている働き方改革の関連法案が、経営者(資本家)からの視点なのか、労働者(労働力)からの視点なのかを考えてみることも必要であると感じます。マンガではありますがそんなことを考えながら私は読みました。

 

ぜひ皆さん、アダムスミスやマルクスやマックスウェーバーやケインズなどの良書をマンガで読んでみませんか?

2年前伊勢志摩サミット開催の地にお邪魔しました。前回の県議会議員選挙の際に演説会等で、三重県でG7主要国首脳会議を開催したいと語った時、そんな夢物語はいらない出来る訳ないと言われたことを思い出します。知事を先頭にその誘致を実現し、三重県を挙げて開催したのが2年前です。

個人的にはこの2年間は様々なことがあり変化の激しい激動の2年でしたが、三重県としては、伊勢志摩サミット開催のレガシーをじっくり見つめ直す期間であったのかと思います。

 

今回ご縁をいただき初めて志摩観光ホテルに行くことが出来ました。東京の会社の会合に出させていただきましたが、伊勢志摩でサミットが開催されたことはすべての方が知っています。今後地方創生もからめてこの知名度とレガシーを活かした取組が必要だと感じます。特に東京でのその魅力発信にもっと力を入れるべきではと感じました。

 

県が東京に三重テラスを開設して5年になります。様々な努力でこの三重テラスを効果的に活用いただいていることとは思いますが、来館者数、売上等から見て開設時の勢いは衰えてきているように感じます。今回私は新しい出会いや様々な刺激をいただく中で、伊勢志摩サミットのレガシーを三重テラスで発信し続ける取組みにもっと力を入れるべきではと感じました。

 

伊勢志摩サミット開催の地で、自分なりの地方創生の取組みをやっていこうと感じた貴重な二日間でした。

本屋で鴻上尚史さんの「不死身の特攻兵」が目に留まり、大学時代に鴻上尚史さんのファンの方に連れられて彼の演劇を観て感動したことを懐かしく思い出し、小説と思って買いました。読んでみると、陸軍の第一回特攻隊「万朶隊(ばんだたい)」の隊員であった佐々木友二さんの生き様をもとに特攻隊の史実を細かく調査した素晴らしい本でした。

佐々木友二さんは、特攻隊として9回出撃して9回生きて帰り、2016年2月9日92歳でお亡くなりになりました。鴻上さんが2015年に4回に渡り佐々木さんにインタビューした内容も本書には書かれています。

 

本書では、特攻隊を「命令した側」と「命令された側」の視点を分けて考えています。「命令された側(一部の自ら志願した人を含む)」はそのほとんどが命を落としていますので、戦後「命令した側」によって書かれた「神風特別攻撃隊」などにより、特攻隊は美化され、その真実は曲がって後世に伝えられています。

 

鴻上さんは、「特攻はムダ死にだったのか?」という問いをたてることそのものが亡くなった人への冒瀆であり、亡くなった方々に対して深い尊敬と哀悼と祈りを込めて頭を垂れて、魂よ安らかにと願うとされています。しかし「命令した側」の問題点を追及することは別だと語っています。「命令した側」が特攻隊員と同じ立場に立っているふりをして、英霊を批判できないから自分を批判できないという論理が意識的か無意識か分かりませんが出来上がってきたことを問題とされています。

 

この視点で特攻隊をみて、この歴史から学ぶことの重要性を私は感じました。本書を読むとあらためて、南スーダンPKOの日報問題がいかに大きな問題か、財務省の高級官僚が公文書を平気で書き換えることがいかに問題か、首相の秘書官を務めた人が記憶が曖昧ということで嘘に嘘を重ねて国会で答弁することがいかに問題かということを感じます。

 

残念ながら、我が国は、「命令した側」と「命令された側」を曖昧にしてきたことにより、先の大戦と全く同じ体質が残っていることに危機感を感じます。ぜひすべての日本人に「不死身の特攻兵」を読んでいただきたいと思います。

昨日、「加計問題」に関して柳瀬氏の参考人招致が行われました。私は午前の衆議院、午後の参議院すべてを見たわけではありませんが、この議論はどこに向っていくのかと感じ、自分なりに問題点を整理してみました。

 

国民の疑義のポイントは、国家戦略特区にて加計学園に獣医学部が新設されることとなったが、元々「加計ありき」だったのではないか?そしてその加計学園の理事長が安倍首相の親友であることから安倍首相の意向が働いたのではないか?といった二点です。

 

私はそもそもこの国に今、国家戦略特区にて獣医学部を新設する必要はないとの考えです。少子高齢化時代に介護や福祉などの現場や建設、土木現場など人材不足の悲鳴をよく耳にします。そんな中、獣医師確保の優先順位が高いとは思いませんが、この評価は、10年後に加計学園の獣医学部がどのように評価されているかによることから、今の政策判断が正しかったかどうかは後世にゆだねるしかないと思います。

 

私のように今、国家戦略特区で獣医学部を新設する必要はないとの考えの人にとっては、上記二点の疑義について安倍首相の意向で「加計ありき」で行政手続きが歪められたとの立場になります。

 

一方、獣医学部の新設が必要だとの考えの人にとっては、国家戦略特区の仕組みに乗せるように政治力や様々な力を借りながら取り組むことは自然なことであり何の問題もないとの立場になります。

 

伝統的な日本の政治は陳情・要望型であり、政治家は様々な有権者の声を形にするように努力し、そこには忖度や口利きなど様々な要素が絡みます。その陳情・要望を実現する力が政治家の政治力となり、また選挙の際は、強い後援会となって支援を受けることにつながります。そこには必ず政治家の良心の良識が求められるのは当然のことです。

 

今回の話がややこしいのは、日本の伝統的な政治の形からみると安倍首相の政治力が頼りにされ、親友であることから関りがあることは自然だと思われるにも関わらず、安倍首相は自らの関りを一切否定し、森友問題も含めて、自分や妻が関わっているなら総理や議員を辞めると強弁されていることです。

 

そのことにより、財務省においては公文書が書き換えられたり、地方自治体の記録と官邸の記憶が違っていたり、様々な矛盾が起こっているように思います。

 

国会でいつまで森友問題や加計問題をやっているんだと私も思いますが、この一連の問題で国家公務員の矜持はズタズタにされ、政治家の良心や良識も劣化し、将来に多くの負の遺産を残すことになったと私は危惧しています。

62名が参加した国民民主党が誕生しましたが、これだけ盛り上がりに欠ける新党結成はさみしい感じがします。政治改革の大議論の末に衆議院議員選挙が中選挙区制から小選挙区比例代表並立制に変わり20年以上が経ちました。この選挙制度改革は、様々なねらいがありましたが、選挙で政権交代可能な国にすることでした。私たちは2009年の民主党政権誕生と2012年の自民党公明党連立政権誕生の二回の政権交代を経験しました。

 

民主党政権の3年間に対する厳しい評価から、2012年の安倍政権誕生以降国政選挙で野党は厳しい結果が続き、民主党という政党はなくなり、野党の離合集散が続いています。

 

私は、国民が選挙で政権を選択できる二大政党制は日本でも必要だと考えます。しかし、小選挙区比例代表並立制が導入されて約20年の政治状況を見ると、選挙で「勝者」を決める小選挙区制よりも勝者があいまいな中選挙区制の方が日本には馴染むのかもしれないと最近感じています。

 

来年は参議院議員選挙があり、おそらくその前後で衆議院議員選挙も行われる可能性がありますが、この間に、新しく生まれた国民民主党や立憲民主党そして多くの無所属を選択している議員たちが政策を磨き政権を取る覚悟の塊をつくることが出来るかどうかが、日本が政権交代可能な二大政党制になっていくかどうかの最後のチャンスであると感じます。

 

私が14年間お世話になった三重県議会は自民党と新政みえという二大会派が切磋琢磨しながら県政を担ってきました。国の政権交代可能な二大政党制とは意味が違いますが、同じくらいの政治勢力が緊張感を持って対峙し、議論することは県民の利益につながっていたと感じています。残念ながら三重県議会も今は少数会派が乱立して非常に分かりにくい状況になってしまっています。

 

日本も選挙で政権を選択できる国であってほしいと思いますが、この一年で自民党に代わる選択肢を示すことができる政党が生まれるかどうかが問われていると思います。