まったく、また地震かいっ!
また地震。
幸いなことにセキトバクリニックは患者さんが少ない時間帯。
3.11の時と比べてスタッフの動きは段違いに良かった。
2人のクラークさんは無駄の無い動きでキーボードを叩き、看護士のNさんは自動ドアを手動に切り替えて開け放ち、落ち着き払って患者さんを誘導。
同じく看護士のUさんはガス栓を手早く締めて院内の安全チェック。
私はちょうど来院した患者さんを診察、病状は問題無い事を告げ、今までの内服を続けるよう指示して外来終了。
スタッフを帰宅させる。
この間10分あまり。
前回はここまで30分かかった。
3.11で医師会長、副医師会長を瞬時に失った我が医師会。
指揮系統を失ったため個々で震災医療に立ち向かわざるを得なかった。
その反省から
警報が解除されるまで医師は自宅又はクリニックから離れない事。
すぐ動ける者は県立病院に集合し、医療チームを編成する事。
たまたま家内とJr②がこちらに来ており、仙台に帰れるかなー、の状態。
問題は中2のJr①が一人で仙台の自宅にいること。
幸い、電話連絡が取れたので非常食のしまい場所といざという時の避難場所の相談ができた。
ま、新幹線も止まっているので仙台に帰りたくても帰れないしね。
中2なら一人でも何とかするでしょ。
男だし。
さて、警報解除。
一応 新幹線の駅まで行ってみるかと家族で車に乗る。
「これから点検なのでいつ動くかわからない」
仕方ないな、晩御飯でも食べよ。
ここでJr①に連絡。
「もしかしたらオカーさん達、仙台に帰れないかもしれないよ。ちゃんと戸締りしてね。」
「マジっすか?(ノ゚ο゚)ノ」
はい、マジです (゙ `-´)/。
ぐっすり寝ているJr②を叩き起こして食事。
もう一度駅に。
この時点で22時を過ぎていたか?
やはり、いつ新幹線が来るか分からないと。
仕方ないなぁ。
Jr①は可哀想だけど一人で過ごしてもらおうか?
私達はクリニックのある実家に戻って…
そう、①には良い教育の機会かもしれない。
最近の彼は食事や着るものやその他、すべてオートマチックに出てくるものと思い込んでいる。
自分でラーメン作って食って風呂を掃除して入って明日の準備して目覚ましをかけ、孤独で不安な夜を頑張って寝る。
目が覚めたら準備して鍵を掛けてガッコに行く。
オカーさんがいないのはどんなに大変な事か、知ってもらおう。
と
「アタシ、やっぱり新幹線待って仙台帰る。①が心配だし」と家内。
あのねー、一晩くらい一人でも大丈夫だって!親の有り難みを知るいい機会だから。余震が来てもちゃんと行動できるって!
その他モロモロモロ言いたい事はありましたが…
男親と女親の考え方の違いなのだな、
Jrを想う気持ちは同じ。
一人納得のセキトバさん、家内と②を駅に降ろしてクリニックに戻りました。
家内と②が新幹線に乗れたのは0時過ぎ。
明けて土曜日。
患者さん達に目立った被害も無く一安心。
ただ、あれだけ避難勧告が出ていたのに避難しなかった方達もいた。
「なんで?」
「いやー、ここまで生きると(87歳)津波でも何でもスパっと死にたいのさぁ。身内もみんな死んじまったし。そうやって死ぬのも自然の一部だべ?病院のベッドで死ぬのだけはやんだ(厭だ)」
う~ん、説得の言葉が出ませんでした。
備忘録として3.11の事はここにあります
。
忘れちゃいかんぞ!Pochi !
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オレのヤマムラ
やっと オレのヤマムラの記事を書く気持ちになりました。
その背番号16の背中に愛娘の可愛い手…
ひしっとヤマムラに抱きついたモミジのような小さな手の感触を感じた時…
苦労ばかりだった彼の野球人生は報われたのです。
うん!
やったな!
やり通したな!
オレのヤマムラ!
ありがとう!オレのヤマムラ!また、どこかで!Pochi!

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