dragonfly's PV書庫 -2ページ目

dragonfly's PV書庫

2021年春〜真性多血症(PV)について書いてみよう

 先週金曜日、9月に予約しておいた腹部の超音波検査を受けた。

 

 手慣れた検査技師さんのテキパキとした指示に合わせて、息を吸ったり吐いたり止めたり、腹式呼吸で膨らませたり凹ませたり、およそ15分。

お願いした通り、真性多血症で問題になる脾臓の大きさも丁寧に確認してくださった。

 最後に下腹部の大腸とS字結腸も、というので

「あ、卵巣は取ってしまいました」と言うと

「あー、なるほど」

 

 担当の先生に検査結果を聞いた。

胆嚢、脾臓を含め、特に心配な点はない、とのこと。よかった、よかった。

 

 以前その消化器内科で胃と直腸の内視鏡検査を受けたのは、5年前だった。

婦人科の検査で腫瘍マーカCA19-9の値がかなり上がっており、消化器全体を診ることになったのだ。 

先生が「膵臓ということもありますから」とおっしゃるので、一気に青ざめたのを思い出す。

結局のところ、原因は卵巣にあったらしく、嚢腫(良性)を摘出すると腫瘍マーカは正常値に戻った。

 

 その腹腔鏡手術の順番を待つ間のことだが、(予定通り)サンクトペテルブルクとヘルシンキへ一人旅した。

エルミタージュ美術館で「これが最後の旅行になるのか」と、寂しくマティスの大作「ダンス」を見上げたっけ。

買っても意味ないでしょ、とほとんどお買い物しなかった、あの旅行。

 

 ロシアには恐らくもう行けないけれど、いくつかの病気を抱えつつ、定期検診の予定に合わせて旅行はできるよね。

No trip, no life! 

というわけで、9月後半からベルリン〜ワルシャワまで5都市を一人で回って来た。

たくさんの美術館だけでなく、バケット・リストのアウシュヴィッツ=ビルケナウ博物館にも行った。

帰国して1週間、複雑に入り組んだ中欧の歴史資料をまだ読み続けている。

旅行備忘録はそのうち。

 

 

 

 

 

 おととい、9月初旬のJ大U病院定期検診はいつものように、

 

 採血→瀉血→担当医師との面談

 

と(所要時間は3時間ほど)、順調だった。

 瀉血ルートがちょうど血管の中央に入ったせいなのか、文字通り血の気が多いのか、

またしても肘掛けから床までポタポタ流血状態になったのは困ったことだけど、

400ccは20分ほどで終了した。

酷暑の8月、ずいぶん水分を摂ったからね。

 

瀉血前の採血結果は↓

 

 ヘマトクリットが正常値だ。全体的に改善されている。

M先生

「落ち着いていますね。次回は瀉血なしで様子を見てもいいんですが、

あー、いや、採血結果を見てから決めることにしましょう」

 

 さて、今朝は別件で、ものすごい悪天候の時間帯に、

K総合病院Mクリニックの消化器内科へ向かった。

台風13号接近のため雨風強く、IKEAの丈夫な黄色い傘も裏返りそうになる。

久しぶりにレインコートを着て行ったけど、チノパンはひざ上までずぶ濡れだ。

 

 このMクリニックでは3ヶ月に一度定期検診を受けており、

先日撮ったCT画像で、胆嚢の厚みが指摘された。

一度詳しく検査しておきましょう、とデータが回ったというわけなのだ。

 

 腹部画像を見ながらの説明は、特に心配はない、とのことだった。

胆嚢壁は食後に厚みを増すものなので、

念のため10月に超音波検査をすることになったが、

取りあえず一安心。

同時に、真性多血症で問題とされる脾臓の大きさもチェック、

こちらも気になる点はないとのご説明をいただいた。

 ほっとして、さあ、秋ですよ!

 

 

 

 3ヶ月に一度の早起き日。雨上がりの明るい朝だ。

既に気温が高い。夏服で出かけることにした。

 

 J大U病院は駅から10分余り。早足で歩いて機械受付を済ませ、いつものように採血受付へと通路を直進したが、あれれ、様子が違うよ。

 

 1階は大きな改築が行われたらしく、採血その他の受付は通路の左側に拡張された広いスペースに移動していた。

整理券を取るよう注意を促す係の声が、ひっきりなしに響いている。

初診の方々ばかりでなく、患者さんたちはみんな右往左往、しかたないよね。

スーパーだって棚の位置が変われば、お客は混乱してしまうでしょ。

慣れるまではしばらく、この状態が続くのだろう。

係員の大声に呆れ顔のお隣さんと採血順番を待ちながら、あれこれ世間話。

 

 その近くには、レストランの松本楼とナチュラル・ローソンが新設されていた。

へえ、松本楼、、、日比谷公園でカレーを食べたのはいつ頃だろう。

(1階改築後の場所変更は5月末だったとのこと)

 

 処置室に現れたのは若い医師だった。むむむ。

18ゲージのルート確保、右手は失敗し、左手に移動。

瀉血400ccは滞りなく終わった。

半袖に両手の大きな絆創膏がちょっと目立つけど、まあいいか。

M先生の診察は新薬の話など交えつつ、採血結果から

「このまま行きましょう」

 

 血液内科診察、眼科の定期検診、内科クリニック、その他病院通いの合間に何をするか。

優先すべきは、もちろん旅行でしょう。

実は昨日、7月期のクラス授業オファーをお断りしたところだ。すみません。

時間はどんどん過ぎてゆくよね。

飛行機に乗るのが億劫になる日だって、きっとそう遠くないのだから。

 

 5月中旬に2週間、サンフランシスコ、ボストン、ニューヨークとミネソタを回ってきた。

4年ぶりのアメリカ、待っている間に白髪になった(と言うか、染めるのをやめた)。

忘れてしまう前に、その「第19次遠征隊」記録をメインのブログに書き始めようと思っている。

 

 

 ありがたくも横ばい状態の検査結果↓

 

 

 数日前の定期検診。

春らしい暖かい一日だった。白内障手術後の洗顔洗髪禁止期間が終わり、気分さっぱりと血液内科に向かった。診察後に友だちとランチの約束があるので、院内ドトールは利用せず。

持参したポール・オースターの『オラクル・ナイト』、主人公が執筆する小説も挟み込まれる多重構造でややこしい。

 

受付 → 検査受付 → 採血 → 瀉血400cc → 診察  → 会計

 

 そう悪い数値ではないものの、検査結果に上限値超えのHマークを入れれば、多血症の特徴は歴然としている。横ばい状態なのは、もちろん治療のおかげだ。

ありがたいことです。

 

 この日のルート確保は、経験の浅い(と思われる)男性インターンで、看護師さんに手順を一から説明してもらっていた。緊張気味の注射針18ゲージ穿刺はうまく行ったのに、チューブが接続されていなかったため肘掛けから椅子の側面まで流血!

申し訳ないけど、自分では止められないよね。というわけで、瀉血はスムーズでした。

 

 M先生には眼科からの報告が回っており、きちんと血圧を管理するようアドバイスがあった。そうそう、手術中は血圧が200近くまで上がってしまったのだ。

予想されたことだし、点滴でコントロールしていただいたが、降圧剤を飲んでいれば安心というわけではない。高血圧にも日頃からもっと注意したほうがいいでしょう、と血圧手帳を渡された。

 次回は3ヶ月後。

 

 

 


 

 先週、北関東に住む幼なじみが日帰りで白内障手術を受けた。自分では通院時の運転ができないためお手伝いに行ったのだが、術後の注意事項プリントに少し驚いた。

 

<某市某眼科の術後予定>

首から下の入浴:手術翌日の検査後からOK

洗面、洗髪:術後3日目からOK

車の運転:術後3日目からOK

事務仕事:術後3日目からOK

力仕事:手術1週間後からOK

化粧/目の周り:手術1週間後からOK

*保護メガネは手術翌日から1ヶ月後まで、就寝時も

 

 さて、昨日がわたしの手術日。近隣にあるその眼科で左眼を手術した2年余り前は2泊3日が標準コースだった。今年から1泊2日に変更というので、かなり厳しかったと記憶している術後ケアも(友人の眼科と同じくらい)ゆるくなっているかもと思ったのだが、期待は虚しく、、。

 

<某市立病院眼科の術後予定>

首から下の入浴:退院翌日(術後3日目)から

洗面、洗髪:手術2週間後から、それまで顔はタオルで拭く、髪は美容院で

車の運転:医師の許可が出てから

運動、外出:強い振動、埃、人混みを避ける、5kg以上の物は持たない

化粧/目の周り:ファンデーションは2週間後から/アイメイクは1ヶ月後から

*保護メガネは退院から1ヶ月後まで、就寝時も


 1日4回の点眼はしっかり守るけれど、ひゃあ、また、顔も髪も洗えない2週間が始まったのだ。考えただけでかゆくなるよね。

 ネットで調べると、友人の眼科とわたしの病院の方針のちょうど中間辺りが、一般的な術後ケアのようだ。

 両眼の治療が終わり、視界は画期的に明るくなった。ただし、焦点を読書用にしたので、パソコンもドライブも以前通りメガネが必要だ。新メガネ作成は2ヶ月後?